「2003北斗旗全日本空道体力別選手権大会」を振り返って

平成15年6月2日 NPO法人 国際空道連盟 大道塾 代表師範・塾長  東 孝

昨日、ガオラの解説収録を終え、又、各方面にご心配をお掛けした藤松 泰通選手も退院したので(後述)、改めて今大会を総合的に振り返ってみたいと思う。
1.大会総評
私は今大会を見ながら、又、その後何度か改めてビデオ等を見返す度に「ああ、『北斗旗』もとうとうこのレベルまで来たんだなー。"夜郎大(自惚れ過ぎ、背負いすぎ)"と言われれば確かにそうなのだろうが、二十数年前に、現代においての"武道の存在価値"の一面である護身術として、突き、蹴り、投げ、関節、締めのすべての技に対応できる『現実的な技術』と、しかし他方、強さにのみこだわるのではなく、"健全に"青少年の人間的、社会的成長を促す『社会体育』の両面を備えた"柔道"、"剣道"のような『真の意味での"武道" 』を確立したい。

そのことが、かつて坂本龍馬に憧れ政治を志したが果たせなかった俺にでも出来る、存続の危機に陥っているとまで言っても過言ではない、この現代日本を再生させるために残された、確かな一つの方法、手段なのではないか、との想いに"執り憑かれ"、後先も考えないで走り通して来た、その妄想(?)が形になりつつあるんだなー」と。

また、「消費される一方の "ブドー・カクトウギ"熱もそろそろ一段落し、これからは"武道" や"格闘技"が、社会に対しての真の"生産性"を問われる時代、この『空道』の普及活動を通じてもっともっと選手層を厚くし、まだまだレベルを上げなくてはならない。その為にも、まだまだ狭いこの世界(業界?)の中だけでエラソーに"そり返って"はいられない、もっと広い世界のもっと多くの人達に理解して頂くよう、余り得意ではないが"営業"努力もしなければならないだろう。しかし、間違いなくこの道の先には確かなものがあるぞ」と、素晴らしい試合の数々を見ている内に、いつも引き摺っていた、新しい事を始めたが故の二十数年間の様々な嫌な思い出もどこかに消え、本当に幸せな気分(自己満足?)に浸れた数時間でした。

2.試合内容。
今大会、決勝に進んだ選手の大半は今まで以上に、"全ての技に対応できる、しかし、単なる総花的ではなく、その中でもこの技には絶対の自信を持っているという「北斗旗、大道塾、空道の理念」を体現した選手達"でした。それは軽量級優勝の伊賀泰四郎と高橋 腕。中量級優勝の中川 博之。軽重量級の寺本正之とアレクセイ・コノネンコ。超重量級の藤松泰通と山崎進らの顔ぶれを見れば納得して頂けると思います。

しかしながらこれは単に彼等だけの努力で成し得たものではありません。様々に誹謗中傷されながらも上記の理念に共鳴しこのルールの進化に一途に取り組んできた、多くの選手や指導者の二十数年の試行錯誤が生み出した成果であり、そしてそれを信じ支援続けていただいた多くの後援者、ファンの方々のお陰です。本当にありがとうございました。

◎ 軽量級
優勝した伊賀 泰四郎選手は緒戦からパンチの連打で接近し、組み付いては投げ捲くるといった試合運びで勝ち進みました。しかし、決勝戦では組み技では一定の力を持っている腰の重い高橋 腕(かいな)選手です。どうかと思われましたがここでも同じような戦法で下しました。これは超級に出ている山崎選手と同じように、伊賀選手が左の投げを得意としている所から来ています。打撃の体系では右利きの人は腕力のある右をフィニッシュブロー(極めの突き)に使うことが多いので、リードパンチである左の拳を前に出すために、多くの選手は左足を前に出して構えます。相手の高橋選手は元が右利きをサウスポーに変えた選手ですので意識している時には右足が前に出ていますが、夢中になると自然に左足が前になるはずです。ここが自身の剣道の経験(右足前の構え)からサウスポーで鳴らし無差別を三度制覇した山田利一郎支部長が右利きでも自然に右足が前に出ているのとの違いです。

そうすると左の投げを使える人は投げ技をかけるときは殆ど踏み込みなし、もしくは右足の継ぎ足と、腰を半回転するだけで簡単に相手を担いだり、前になっている相手の左足首に自分の左足を掛けて体落しをしたり巻きつけて払い腰が出来ます。そこで今度は左の体落しや払い腰が来た時には、相手はそれを警戒して体重を右足に掛けて頑張ろうとすると、伊賀選手は連絡技の基本通り体を左に捻り左の支え釣込み足に移るので、面白いように綺麗に技が決まります。

しかし、伊賀選手、この2週間前の「03空道モスクワ国際大会」では突然の呼び出しでウォームアップ不足であったものの、同じ戦法で左構えに組み付いたところを、彼らの豪腕だからこそ出来るのでしょうが、その左腕の上からクロスカウンター気味にパンチをもらってダウンしております。もっと体力のある相手の場合は相手との距離を開けないようにするとか、左ヒジを上げてガードもしながら(となると今度はボディも警戒するようなのですが)掴むといったような工夫が必要でしょう。

逆に高橋選手の方は、「左構え(左足前)の選手はめったに、右構え(右足前)の選手とは当たらない」のに、「右構えの選手は殆んど、左構えの選手との戦いが多い」というような戦法の蓄積差の利点を生かして、左構えの選手が余り経験していない右のリードパンチや左の内腿蹴り、更には左の投げといった技をもっと多用すべきでしょう。

◎ 中量級
優勝の中川 博之選手。この中量級は東北地区に強豪が多く、02,03東北予選優勝と最も安定した力を持って、また今年のモスクワ大会でも、ただ一人2回戦に進出し、僅差で敗退したが一人気を吐いた、今野章選手との決勝になると思われていた。しかし、今野選手が九州の業師、平島 腱選手に延長になっても良いような、3−2の僅差判定で2回戦で敗退した。そこで決勝戦はグランド技を得意とし、関東予選も本大会も、殆んど腕十字固めで勝ち進んだ藤本 直樹選手との戦いになった。中川選手は元々グランドが得意な印象が強かったのだが、今大会は重い右のストレートや左フックが威力を振い、グランド中心の選手にはパンチの連打を、打撃の選手にはグランドでと、相手によって使い分けて確実にポイントを奪ってきた。決勝でもグランドに持ち込みたい藤本選手に適度に付き合いながら、本戦後半、藤本の形ばかりのパンチの連打に強烈な右のストレートカウンターを合わせ左フック、右アッパーと繋げて見事なダウンを奪った。これが延長戦で生きて文句なしの優勢勝ち。中川選手、今秋11月15日に北欧エストニアで開かれる「エストニア国際空道選手権大会」参加を希望している以上、4月のモスクワ大会での日本勢の屈辱を雪ぐためにも、より一層の体力UPを課題として精進してもらいた。

一方の藤本選手、打撃指導では定評のある吉祥寺支部に所属しているのだから、もう少し打撃のレベルを上げないと折角のグランド技が生きない。グランド戦に自信があるということは、接近しての打撃戦も伸び伸びと出来るということだから、打撃中心の選手がグランドを恐れて及び腰の攻撃しか出来ないことに比べたなら、戦力は1(打撃)+1(グランド)=2以上、3にも4にもなる。食わず嫌いをしないで取り組んで欲しいものだ。

◎軽重量級
優勝の寺本 正之選手は、世界大会後の昨年あたりから、やっと自分の立場に寝覚めたと言うか、試合に欲が出てき、一昨年まで階級別でベスト8が精々だったのが、いきなり階級別、無差別ともにベスト4に進出し、「今年は絶対優勝します」と意欲満々だった。元々ボクシングを経験していたこともあり、他の打撃中心の選手同様、寝技導入直後は組技にはあまり乗り気ではなかったが、九州本部在任中から、積極的にウェイト・トレーニングや、寝技などに取り組むようになった。同じような打撃中心の選手だったが、組技にも積極的に取り組んで厚みを増した選手に'98年にあのセム・シュルトと決勝をし準優勝した森 直樹選手がいる。寺本も今では両方に高いレベルを見せるようになった。緒戦こそ力み過ぎたか明確なポイントはなかったものの、2回戦では距離をとって戦いたい小野 亮(りょう)の間合いを無視するがごとくに前へ前へと出て得意の接近してからの左中段フックや左中段アッパーからの左上段フックのダブルブロウや返しの右フック、掴んでのショートアッパーや頭突きを叩き込み、この試合巧者に試合をさせずに右フックで一本を奪う。

 一方の東北本部師範代のアレクセイ・コノネンコ。スマートになり過ぎ、来日当時の彼を髣髴させるような荒々しい戦いをしたロシアの後輩に優勝を奪われた「第1回世界大会」を反省し、アグレッシブな前進力と、来日以来の稽古で習得した正確なパンチを組み合わせ、きれいなワンツーからの豪腕フック、アッパーを繰り出し、ここ数年では最も強力な攻撃力を見せ付け、見る者全員に「コノネンコ強し!」を印象付けた。モスクワ大会の雪辱を期して一段と力強い前進攻撃をする服部宏明をも正面から撃破し決勝に進出した。

この両者の戦いは、今大会中、屈指の、見ている者の肌に泡が立つような、まさに死闘と表現するに相応しい壮絶な打撃戦だった。両者ともに正面からぶつかり、一歩も引かない。ストレートからフック、アッパー、アッパーからフックやストレート、フックの連打、また連打。しかしコノネンコを相手にこんな打ち合いを出来るのは、寺本が普段のウェイトト・レーニングやグランドの練習で首が太く強くなっているからだ。残念ながら基礎体力作りが軽視されている今日、おそらく寺本以外に軽重量級でこんな打ち合いを出来る日本選手はいないだろう。

更に寺本、接近しては得意の襟を掴んでのアッパーや、コノネンコを試合場から帯ごと引き抜こうとするかのような大腰を繰り出す。しかしコノネンコも逆にそれをこらえて反対に腰を入れ替え寺本を投げつける。再延長後半、コノネンコはこの接近を利して前方に回転し膝十字に入る。これは昨年、寺本が健闘しながらも最後の一瞬に清水に極められて破れた技だ。その不覚の経験は伊達じゃなかった。うまく左方向に回転し最後はコノネンコの臀部を足で蹴ってこの窮地を脱した。再延長までもつれ込んだこの試合、内容的には全くの五分と言っていいだろうが、互いにヒートアップしているからグランドの攻防時に、ヘッドロックした寺本の頭に、威嚇のために出したのだろう、パンチが当たってしまい、紳士的なコノネンコらしくない痛恨の「反則」1を取れれた。再延長でも両者に「効果」などのポイントもなかったため、これが決定的な判定材料となり、寺本の「判定勝ち」、初優勝!

この乱打戦に館内の興奮は最高潮に達し観客は大喜びだ。観客やマスコミは一緒になって興奮できるからこのような長い"打ち合い"を喜ぶ(所謂、フルコンタクトの"下段蹴り合戦"と同じだ)。しかし、世界大会を考えた場合、日本選手にとって、これは非常にリスキーな戦法である。あの打ち合いの後、寺本は右目の視野が狭くなったといって救急車で運ばれる騒ぎになった。MRI を撮ってもどこにも異常はないということで直ぐに帰され次の日には回復していたが、原因はおそらく興奮しすぎて血圧が上がったためだったのだろう。

しかし、相手のコノネンコはほとんど無傷であった。コノネンコは心技体にバランスよく完成された選手だが、ロシア人として特に抜群に体力があるというわけではない、今大会も特に体力トレーニングはしていなかったと言う!世界大会では決勝でダウンさえ喫している。それを考えたとき、世界大会で日本選手があのような戦法を4回続けることの無謀さは分かってもらえるだろう。これは残念ながら、肉食文化と米食(草食?)文化の違いから生まれた、一朝一夕ではどうしようもない歴史的な筋肉の質の差異だと私は思っている。(これからの来る、地球規模での"食料難"の時代の民族保持能力(?)の高い米食の優位性は又、別の問題である)それならば日本人の個性を生かした戦法があってしかるべきだと思う。

◎重量級
この階級はさまざまな媒体によって選手層の薄さを指摘されているが、残念ながらそれは認めざるを得ない。原因はさまざまに考えられるが、この260未満という体力指数は元々日本人には結構いるはずなのだが、以下のような事情があるのだろう。即ち、このクラスの選手は@身長170−175cm前後で体重が85kg以上のガッチリ型とか、逆にA身長175−180cm前後で、80kg未満の痩せ型の選手だ。所が、@で減量しやすい体質の人間なら、体力的に優位に立てる軽重量級に行くだろうし、Aで増量しやすいならなら思い切って超重量級にあげるだろう。残るのは@で減量しにくいタイプかAで増量しにくいタイプとなる。となると、一般的にこの階級は@なら少し重めな動きになるし、Aなら技は切れるが軽いというタイプになる。まさにこの構図を絵に描いたように証明したのが今回の決勝の2人だった。

@のタイプの志田 淳選手。志田選手は柔道の経験があり、腰が重く打たれ強い選手ではあったが、もともとそう器用なタイプではなかった。それが打撃主体の組み手指導では定評のある飯村健一吉祥寺支部長の下でかなり器用さが出てきた。今のところこの戦法の変更は成功しているといって良いだろ。ただそれが行き過ぎて腰高の傾向が出てきた。世界大会では相手は同じ指数でも20−30位の指数差の体力差を持っていると見なくてはならない。腰を落として下半身のバネを生かした、全身から繰り出される攻撃力を持たず、手先足先だけの打撃になっては、日本人には通用しても、彼らには"全く"通用しない。試合中もその当たりを「低重心、低重心」とアドバイスされていた。肝に銘ずべきである。

一方Aのタイプ木村 猛(たけし)選手。昨年くらいから実力を付けてきて、今では東北地区重量級の第1人者であり、調子に乗ったときの強さは十分に全国レベルでの通用するものである。ただ志田選手以上に腰が高くほとんど棒立ち状態と言っても過言ではない。そのため、決勝までの相手が皆ガッチリ型で前へ前へと出てくるタイプだったために当たり負けし、当たるのだが、腰の引けた手先足先だけの攻撃になって決定打がなく、ともに延長まで行って結局、軽い突き蹴りの攻勢点で判定勝ちしている。もっと体力アップをして、かつて"小さな巨人"と言われ、軽量級ながら重量級の選手たち(いまなら、超重量級の指数だ)を相手に、北斗旗の第一,二回を連覇した、師匠の岩崎 弥太郎支部長のような、重い腰と前へ前へ出て体全体で撃つような、迫力のある突き蹴りを出すようにしないと、世界では通用しない。

ましてや、このクラスに出てくる海外の選手は180cm、80kgという、日本人なら170cm、70kgと言った最も自然で、最も運動能力が発揮しやすい体格を持った選手達だ。両選手ガッチリとウェイトトレーニングをしてパワーと共に低重心を身に着けないと、今のままでは世界への壁は余りにも高すぎる。

◎超重量級。
さて今回最も充実していた超重量級だが、ブロックの前半の前半には'98、'99と重量級を制している稲田 卓也選手。後半には00,01重量級優勝で今大会も候補の山崎 進選手。ブロック後半の前半には02重量級優勝、無差別準優勝の清水 和磨と過去四度の無差別制覇をなし遂げている長田 賢一選手。どん尻、後半の後半には"本命"とでも言うべき01世界大会重量級優勝、02超重量級、無差別長重量級優勝と若干22歳にして無人の野を行くが如しの、藤松 泰通選手。この5人の優勝経験者が犇(ひし)めき合う、まさにThe champion of champions (王者の中の王者)を決める大会とでも言うべきブロックで、大道塾二十三年間の試行錯誤の果ての高みを問う、又、「北斗旗選手権大会」"そのもの"の歴史的意味を検証する激戦区となった。

 稲田選手は昨年一年間選手としての休養を取ってこの大会に臨んでいる。距離をとって戦うスタイルは変らないが、休養したことでいざ接近戦と言うときにも一昨年までの打たれ弱さが影を潜め力強い打撃戦も見せる。彼の重量級らしからぬ飄々とした戦法は力強さに欠け事実、01年の世界大会では一回戦敗退の屈辱を味わっている。しかし、日本人相手では十分に効かせるだけの粘っこい重さの突き、蹴りは持っている。それが見えたのは、同世代の藤松が余りにも若手として輝き過ぎるために損をしている部分があるが、十分に将来性が楽しみな平塚洋二郎戦だった。この台頭著しい沖縄、那覇支部の若武者のアグレッシブな前進を,例によって上手く凌ぎながらも、技を出すときに予備動作の大きい平塚の出鼻を捉えて的確な打撃を出すし、組み合っても必ず上になり、前進力のある平塚の攻撃を受けて立っていた。

平塚選手もこれ迄の若手の登竜門的な体力別ならば、十分に上位に進出が可能だったのに、昨年から"伝説のヒットマン"長田選手が出場するようになって、俄然実績のある先輩たちも出るようになった為、中々"良い想い"が出来ないでいるが、前に立つ壁が高く厚ければ厚いだけ、自分の実力も高くなると思い前向きに地力を養成する時だ。しかし、彼の希望である"世界大会出場"を実現する為には、少なくとも彼らのうちの何人かにはここ2年の間に勝つようでないと、いつまでも"若手のホープ"のままだし、夢も"絵に描いた餅"に終わる。

さて稲田選手、'98、'99の優勝のあとには、山崎選手には二年連続で敗れているので、ここらで何としても勝利し存在をアピールしたいところだ。過去の山崎戦では度々接近戦で投げられて負けているので、今回は一,二発打ったならすぐに離れて組ませないと言う戦法を取り、とうとう最後まで投げを貰わなかった。山崎が打ち合いに出ると稲田は下がり、時折、山崎が届かない長いレンジからのパンチをコツコツ当てる。かと思うと、今までには見せたことのないような突進で左右のフックを出す。これは正解で、審判にはかなりアピールしたはずだ。しかし、如何せん掌底(開手)が多く、その一発に強さ、重さがないから、どうしても軽いイメージで、最後はいつものような前進して攻撃するする山崎に、後退する稲田という印象だけが残った。判定で山崎。

山崎選手は身体指数が254で本来から言うと、重量級か、チョット減量すると、軽重にもなれる体格だ。この身体指数で常に重量級や超級で上位を張っているのは正に「小よく大を制する」を体現していると言って良く驚異的なことだ。良く人は安易に「武道は『小よく大を制する』でなくては」と言うが、単純に考えて、強さは心・技・体で決まるものだとすれば、同じ才能、同じ精神力なら大きいほうが強いのは"ものの道理"というものだ。山崎のように実際に「小よく大を制する」為には心・技・体の外に、時間的に豊富な稽古量で、しかも、濃密な内容の、という条件が必要だ。

正直に言えば、最近、大道塾で「小よく大を制する」選手が少なくなったのは、選手全体のレベルや体格が総体的にアップしたにもかかわらず、練習量でそれをカバーする選手が逆に減っていることによるところが大きい。ここがプロではなく殆どの選手が有職者である大道塾の難しいところだ。他のプロ、もしくは稽古を優先させ、アルバイトで生活している選手主体の団体なら、しなくてはならない練習内容を考えれば、全日本クラスの稽古時間は大体一日平均最低4,5時間は当然だろう(実際そうしているかは知らないが)。

しかし、どう頑張ってみても、昼に出来ない稽古時間の差が2時間あると考えて、北斗旗の選手の平均稽古時間は1日2,3時間と言うところだろう。(負け惜しみと取られても、敢えて言い訳をさせてもらえば、今はこれで生活できる環境にない以上、それは環境が熟するのを待つしかない。今は許される状況の中で精一杯、1分でも10分でもの細切れな時間を積み重ねて稽古時間を確保するしかない。)ただ、残念ながら稽古できる時間があっても、大道塾の理念である"社会体育"という言葉を「俺はプロじゃないのだから好い加減にしても良い」とサボる材料にする選手もいるから、一部の選手を指して「大道塾の全日本レベルも大した事ないな」、と言われても仕方ない部分はある。そんな状況では「小よく大を制する」選手が出るわけがない。

その点、山崎は柔道で鍛え抜いた頑健な体力と、大学レベルの投げとグランド技術、体格差をばねにした不屈の精神力、そして何よりも仕事を持ちながらも選手クラスでは恐らくトップに近い稽古量を重ねているので、持ち前の組技に加えての頑健な体力から放たれる強烈な打撃がある。確かに山崎には巷間言われているように、公務員という武道、格闘技の練習をしたい者にとっては最も恵まれた条件もあるのだが、そうはいっても先日の体力別が終わってすぐに稽古を再開していたのを真似る人間が、大道塾に何人いるのだろうかを考えればその努力は賞賛に値する。

山崎は試合では常により大きい人間を相手にしているから、自分を奮い立たせるために"人も無げに"憎々しげな態度で戦うので、良く知らない人間には"傍若無人"に見られて損をしているところがある。かつて海外の支部長からも「先生はなぜあのような態度の選手を許すのですか?大道塾は武道ではないですか?」といわれ釈明するのに一苦労したこともあった。しかし、素顔はその反対で、一例を挙げると、現役選手は一般的に自分の練習を中心に考えて、下の者に教えて時間を取られるのを好まない傾向があるのだが、彼は総本部で水曜日の組技のクラスと、日曜日の一般部のクラスを殆ど休まないで指導してくれている。教える時でも初心者相手にも「あんな初歩的なことをよく厭な顔もせずに、丁寧に教えているなー」と感心するほどの誠実な人間である。関東近辺の塾生は大道塾ではトップレベルの組技と、あの体格で超級を倒す独特な打撃の技術はもちろんだが、それ以外にも彼から学ぶものは沢山あるのに、参加者が少ないのは正にもったいない。

山崎、その研究心と努力で指数差10,20、30といったものを乗り越えて常に優勝戦線に食い込むのだが、相手は年々その組み手スタイルを研究し、今回の稲田、藤松戦でもそうだが、距離を取って戦うようになってきており、ダッキング、ウィ−ビングしながら接近してのボディアッパーや左上段フックや飛び込みざまの頭突き、更には強烈な投げをしようにもなかなか捕まえきれないし、捕まえても以前のように簡単には投げさせない。今大会の決勝戦でも若いが既に"試合巧者"の藤松が、山崎の一連の打撃の強さを知っているから、なるべく打ち合いを避けて遠い間合いからの単発のパンチ、けりを中心にした戦法を取るので攻め倦んだ。

今後もこの傾向は続くはずだから対策としては、今まで以上の前進力のあるステップワークで中に入ってのパンチや、頭突きの後の投げの態勢に入っても、前に担ぐ技への受けが上手くなっているなら、直ぐに大内、小内、小外といった後ろに崩す技と連動させて、数少ない機会を絶対に逃がさないような戦法を研究するようだろう。

重量級後半の前半。二回戦で実現した清水対長田戦。「伝説のヒットマン」と打撃のみの印象が強いが、着実にグランドの技術も身に付けてきている長田。しかし、この試合は何としてもものにして藤松戦を実現したい(長田談)ので徹底してグランド戦を避け絶対の自信のある打撃戦に持ち込みたい。寝技に行けば十分に勝機があるにも拘らず、それならと、敢えて自分の打撃の力量を計りたい清水の、壮絶な打ち合いになった。

試合早々長田、左前蹴りから左フック、右ストレートと得意の連打を出す。下段の応酬。長田の右スト、左フックに右下段をあわす清水。ここで組合いになり膝蹴りの応酬になるが、清水の右膝を抱え右足払いで倒す長田。清水待ってましたとばかりにアキレス腱固めに行くが、長田定番の前屈立ちの姿勢で堪える。清水ここで左手で長田の右足かかと付近を持ち左足で体を押せば尻餅をつかせる事は出来たのだろうが、ボディを踵で蹴ることに気を取られたのか寝技時間終了。再び立ち技。このところウェイト・トレーニングが充実し、20歳台より2,30%スコアが上がっているという、これが当たったならと思わせるような長田の左アッパーからの右ストレート。清水スゥェーバックでかわし、負けじと右ストレート。これは手応えがあった。嵩に掛かって接近して右大外に行くが、そうはさせないと片膝立ちで堪える長田、立ち上がって右膝を返す。その接近に、頭突きを2発、3発と打ち込む清水、これは確実に効いた!崩れる長田。だがそこはベテラン、素早く引き込みのような腰の落とし方をしたものだから、副審の旗が二本挙がったが主審は取らない。ここがこの後の試合の流れと勝敗を左右した。

これが後輩にこれほど打ち込まれたことのなかった、長田の闘争本能に火をつけたか、今度は立ち上がりざまの長田の左フック、右ストレートがまともに顔面を捉えて、清水、倒れはしないが、膝がガクンと落ちた。長田、これまでの勝負師としてのキャリアは伊達ではない、ここぞとばかりに左右のフックの連打で「効果」から「有効」へと大きな先制ポイントを上げた!ところが清水にも昨年の無差別大会のファイナリスト(決勝進出者)としての意地がある、2度目のフックの連打はステップワークでかわし、猛然と右ストレートを2度打ち返し左フックに繋ぐ。それを巧みなダッキングで空を切らせて再び長田、左アッパー、右ストレートと打ち返す。だが、このあたりになると若さのスタミナだろう、力みから一テンポ遅れる長田のパンチを清水スウェーやスリップでかわし、逆に右ストからの左右のフックで遂に「効果」を奪い返した!!

この一連の激しい攻防の後は、両者しばらくは何も出来ずに試合場中央で睨み合い。しかし、見ている者は残酷だ、「おさだー」、「しみずー」の両陣営の、喉も張り裂けんばかりの絶叫!に煽られるように、双方、足を止めての"打ち合い"というより鳥肌が立つような"潰し合い"!が始まった。互いに何発かは良いのが入り、全体的に、清水のほうが押してはいたが、はっきりした「効果」以上のポイントには繋がらない。清水の応援団が「効いてる、効いてる、おかしいよー、何で取らないんだよー」とアピールするが副審の旗は挙がらない。ここホイッスル!試合終了。結局「有効」のあった長田の判定勝ちとなった。しかしここでたとえ清水に「効果」が上がったとしても「効果」2では「有効」1には勝てない。

3. 藤松 泰通の試合分析
今大会の最激戦区、超重量級で優勝したことにより、名実共に「北斗旗」、「大道塾」、「空道」の、The champion of champions (王者の中の王者)となった、藤松 泰通の試合を見てみよう。
彼の試合はこれまで見てきたどの選手との試合とも違っている。藤松は長田のような強烈なパンチや研ぎ澄まされた反射神経、山崎のような確実な投げ技や頭突き、突進するような激しい闘争心、清水のような鋭いローキックや気迫、小川のような変幻万化する技や機転といったものはない。一見すると不器用そうにも見える。確かに藤松は寝技にはかなりな自信を持っている。しかし、単に寝技だけの選手なら決勝戦での山崎のような、寝技では大学柔道で鍛え、それ以上に柔術などの技も練習していて絶対に取らせないし力を持ち、しかも藤松より一と回りも2回りも大きく、山崎より10センチも15キロも重い藤田や、稲田といった選手と、正面から打ち合いをして打ち勝つ選手には勝てないだろう。

 藤松はなぜ勝つのだろうか?私は正直なところ今大会では、まだ山崎には勝てないだろうと思っていた。打撃の伸びも顕著な藤松だが,藤松は決して打たれ強い選手ではない。それは、元々の身体は超級の選手ではないのだが,「第一回世界大会」で超級の優勝を海外に奪われたということが許せなくて,増量して超級に上げた選手で,しかもまだ肉体が完全に成長し切ってはいないからだ。同じような例では,例えば長田や稲垣がいる。両方とも入門当事は,身長は180前後あったが,体重は70Kgあるかないかだった。それでも22、3歳くらいになって、それまで激しさに付いて行くのが精一杯だった稽古に身体が慣れ、体力が"肉が付く"方に回るようになってから,打たれ強さも力強さも付いて来た。ところが,藤松は高校から大道塾をしていたから入寮する時は既に黄色帯になっていた。一年ほどして4級になって,しかも身体指数的には重量級になったので19歳の時には超重量級の先輩達と顔面の打ち合いに進んでいる。

 山崎との戦いでは寝技では取れない,最後は打撃戦になるはずだから、そうなればあの山崎のフックやアッパー,そして接近からの強烈な頭突き,そしてそれと連動するもぐり込むような低い位置からの、強烈な背負い投げなどで「有効」までは行かないでも「効果」位は取られて負けるだろうと思っていた。ところがこの男は若干22歳だというのに,実に冷静でクレバーな試合運びをした。常に距離を取って,打ち合いを避けながら意表を突いた単発のフックや,回し蹴りなどをコツコツ当てて行く。業を煮やした山崎が前へ出て打ち合いに持ちこもうとすると深入りはしないでスット下がる。どうしても接近した時には打ち合うが、余り自由に打ち合いにならないよう,しかも下からの頭突きを貰うと、すぐに身長差で有利になる掴んでのアッパーを入れ山崎の顎を上げさせている。

これは出来そうで中々出来ない戦法だ。あの年の若者なら,気負って打ち合いに行くか,距離を取ってというよりも逃げ回るような印象の試合になるはずだ。最も聞けば決勝戦の前から頭が少し痛かったそうだからそういう戦法を取らざるを得なかった事もあったのだろうが、結局この戦法が効を奏して判定は藤松へ。藤松、昨年の,寺本,清水といった強豪に続いて遂に歴代のチャンピオンである,長田、山崎をも破り、連勝記録を伸ばし、名実共に「北斗旗」,「空道」の王者となった。

4.藤松の強さの秘密
技術的、戦略的に藤松の強さを考察すると以上のようになる。しかしだからと言って藤松と同じ事をしたからといって誰でも同じ結果は出ないことは自明の事だ。それでは何が藤松に連勝街道を歩ませているのか?私はその一つの大きな要素がこの男のもつ、現代の若者全てが失っている、「一つの事に賭ける"ひた向きさ"だ」と思う。現代は刺激の多い社会だ。マスコミやインターネットをを通じて昔なら絶対に知る事の出来ない貴重な情報や知識や、逆にどうでも良い種々雑多な情報が四六時中あらゆる媒体を伝わって入ってくる。そんな時それ等を一切無視していては時代に遅れる事もあるかもしれない。

 私は良く武道版だけではなく2チャンネルを見る。余談だが、私に関してのあることないことや、私に反感を持つ人間が、私の名前を使って勝手な事も書いていたりするー大体誰かは想像がつくが(笑)。しかし、私は、天地神明に誓ってここに書き込んだ事はない。2チャンネルを見ている等と言うとこれすら信用されなくなりそうだが(笑?)第一、私はそこまで暇ではない。質問がある場合はどうか:DWHQ@Daidojuku.com/へ送って頂きたい。真面目な質問や提言なら、時間のある限りはお答えします(何て言うと、これを証文みたいにして、それらしく粉飾して絡んでくる人間もいる。だから忙しい人間は、一般的にはこういうことはしたがらないのだが、今は大会も終わって一段落したから・・・・。この辺が私のいつまで経っても立場を考えない"やじ馬根性"だと言われる所か・・・。)

しかし、実際の話、今は、ただ"便所の落書き"と言われている、このインターネットという"化け物"は世界を変えるかもしれない。情報公開などというものではない。そこでは、大半は匿名だからと、どうしようもない下らない事が毎日毎日大量に書き込まれており、別名"便所の落書き"とも言われているが、武道・格闘技界だけではなく、政治、経済、文化などなど、社会全般、森羅万象に亘って、たまには1、2%の割合で、雑誌や本には絶対に載らない、また、一般の部外者では絶対に知り得ない情報 (こんな危ない情報はすぐに消されるが) や、自分でも気が付かない指摘があったりする。

そんな時は「なるほど表には出なかったがあの事件、現象の裏にはこんな事があったのか。恐いなー、触らぬ神には祟りなしだ、気をつけよう」(意味が解る人には解る−笑)、とか「なるほどこういう考えも有るんだな、全部は首肯出来ないが一考には値するな」と参考にする情報もある。又、知らない知識や情報があっても、辞書や辞典を引く煩わしさもないから、簡単に一応の知識を様々な角度から得られるので考えに幅が出来る。もちろんこれは玉石混交で全く逆の情報というものも溢れ返っているから、そのままには信用はできない場合も多いし、入ってくる情報の全てをチェックなども出来ない。それを一々検証などしていたなら時間がいくらあっても足りなくなり、実際の行動は何も出来なくなる。所謂"オタク化"するのだ。要はこれの使い道も程度問題ということなのだが。

 私の"はみだし"の癖で、話が大きく横道に逸れたが、聞けば藤松は高校時代から様々な格闘技雑誌で調べて、大道塾が一番自分の武道観、格闘技観に合致すると思って入門したという。知っての通り現代には無数の武道、格闘技がありそれらがみな自分の所が一番だとガナリ立てている。この年になる私でさえ送られてくる5、6種類の格闘雑誌の"唯我独尊"記事を毎号毎号見ていると、「俺は考えぬいてこの大道塾、空道、北斗旗を提唱している積もりだが、果たしてこの考えで良いいのだろうか」と不安になる事もある。(特に怪我などで動けない時などはそうだ)

 ましてや始めから実体験をしない人間の想像力は自分だけの宇宙を創り始めるから、触れないでも相手をフッ飛ばすようにもなるし、相手を怪我させても平気で百戦無敗にもなる。そんな情報の中で、社会経験が少ないために判断力も未熟な、しかし、強くなりたい多くの若者達はみんな毎号毎号出てくる"夢の武道、格闘技"の記事を見てはアッチを齧り、コッチに手を出す。完全に人を満足させるものなど有る訳がないのに、「今やってるここは、こんな点が駄目だ、この雑誌の言っている、これならば良いんじゃないか」と、今取り組んでいるものへの情熱が冷め、結局、いろんな事に手は出すがドレ一つ満足に身に付けずに中途半端で終ったりする。藤松はそんな時代の中で一日中、武道・格闘技のことを考えていて様々な情報の入手にも貪欲だが、自分で一旦、これと決めた場合には動揺しないで今自分が取り組んでいることに、あらゆる場合、対応できるように全身全霊で集中する。これは情報の溢れ返っている現代においては一つの"才能"である。そして、これが彼の試合時臨機応変な対応を生み、必ず勝つ要素になっているのだ。

 だが、ここまで実績を積むと、そろそろこれからは藤松にも、様々な方向から今までの北斗旗のチャンピオンの多くに浴びせられた"賞賛"や、「あれをやれ」だの、「これをやれだ」のとの"勧誘、兆発(?)"が確実に出てくるはずだ。様々な情報を取り入れたり、実際に経験をする事は良い事だが、一般的に武道・格闘技好きの若者が読む雑誌はそういう類の物が多く、そこに書いてある記事や説が世の中の全てだと思いがちだ。ところが、こういう雑誌の読者数というのは社会全体から見たなら微々たるものだ。だから世間一般の常識的な人から見たなら驚くような説や人物が大手を振って紙面を埋めているし、奇説を繰り広げている。そんな中で若者が常に冷静に自分の方向を見失わない事は至難の技だ。私は私に指導力がない為でもあるのだが、それで何人もの優秀な人材を失った。藤松は動揺しないと書いたが、しかし、武道・格闘技に対する目利きは出来ても年齢的にはまだ完成された人格ではない。手を替え品を替え迫ってくるはずの"善意"に惑わされることのないよう、最後まで自分の道を見失わないで精進してもらいたい。

5.「拳サポーターとスーパーセーフ」の安全性について、 
 今回、藤松は試合後、具合が悪いと言って表彰式にも出れずに、前述した寺本と一緒に救急車で病院に運ばれた。MRIを撮った所、寺本は異常なしという事ですぐに返されたが,藤松の方は、頭蓋骨骨折で出血があるという事で即入院させられた。私が表彰式が終って病院に駆けつけた時は、意識もあり話もしっかりと出来、その数時間後には出血も止まって,次の日には一般病棟に移されたのだが, 一時は非常に心配したものだった。

 決勝前から頭が痛かった本人から聞いてぞっとした。そんな事が分っていれば絶対に試合はさせなかった。藤松は中々自分の感情を表さない選手で,めったな事では"痛い"とか"疲れた"等とは言わない人間で現代の多くの若者にもこういう所が少しは欲しいとは思うが、こんな試合の場では問題で、万が一の場合には"我慢強い"では済まない。ラウンド制のように3分の試合のあとに1分間のインターバルで数ラウンドから10数ラウンド続く試合と違い, 通常は本戦だけで、決勝戦でも最長で3ラウンド、しかも一試合ごとにインターバルが数時間や,数十分、数分あるトーナメント制だから、ダメージはそう蓄積しないし、不調があればその間に分るが、そうは言っても上位に進む選手は多少なりともダメージは追っている可能性はあるのだから, 今後は適宜選手のコンディションを確認させるようにしなければならない。

  早速、今回の事も、インターネットでは「スーパーセーフ+拳サポ」の危険性などと、このルールに反感を持ってるか正確な知識を持っていない感情的な説がいくつか挙がった。しかし、それは"為にする暴論"というものであろう。「現実に通用する護身の技術体系」であろうとすれば避けられない"顔面打撃"を許容する為に武道、格闘技関係者は様々な方法を考えた。安全性を考えると、素手、素面というのは論外で、グローブに素面、グローブに重い面などなどが主力だ。そして「北斗旗」では「拳サポ+スーパーセーフ」がその中でも最も安全性が高いと考えてこのルールを採用している。

所が、設立以来この二十数年ズーット「顔が見えないから迫力に欠け人気が出にくいので、興行的にはマイナスだし、素面にグローブが世界標準だからそういうで試合をさせろ」とずっと言われ続けて来た。しかし、大道塾はプロではない。興行形式の試合も、選手の希望があればやるが、それは経験のためで大道塾の"本筋"ではない。組織の成長のためには人気も欲しいが、いずれは社会人として世に羽ばたく若者の安全を冒してまで急激な売名は必要ない。そんなこんなの理由と、選手の安全性を第一に考えて、以下を根拠にして「拳サポ+スーパーセーフ」を採用している。

@ グローブでの頭部への打撃は後に残り次の日に吐き気などがするが、グローブより軽く、頭部への衝撃の少ない"拳サポ"とさらに衝撃を緩衝するスーパーセーフではそれはない。
Aボディでは息を吸った時に入った場合は別にして、鍛えているのなら素手で何発叩かれても我慢できるがグローブでは限界があるという"実際の使用体験"や、
B中部大学工学部教授の吉福 康郎(よしふく やすお)先生の著書(「武道の科学(福昌堂)」-P66どちらが強い拳と掌、素手とグローブ。「格闘技「奥義」の研究(講談社)」−P53、グローブは衝撃力を弱めるか?などで「グローブ着用での頭部打撃よりは素手のほうが(「力積」から来る)ダメージが少ない」

  しかし、そうは言ってもやはり頭を攻撃する競技である。全くの危険性がないといったなら嘘になる。しかし、毎年グローブでの事故が数件起きるのに比べて、又、いろんな意味で組織力があったから表には出ていないが、過去に、顔を殴らないいわゆる"フルコンタクト"でさえ何人かが事故があったのは事実だ。尤も、武道や、格闘技ではない普通のスポーツでさえ、何件かはあるのだ。それらと比較してもこの方法は格段に安全だと言って良い。今回、何度も藤松の試合をビデオで繰り返してみたが、準決勝での長田の肘打ちと、決勝での山崎の頭突きが効いたのは分かったが、それとて普通の体調ならあれほどのダメージには繋がらないはずだ。それをいうのなら、寺本、コノネンコ戦や、長田、清水戦の方が数倍打撃の応酬をしている。しかし、前述した寺本に一時的な事があっただけで、その他の誰にもそのような症状は出なかった。しかし、事実としてああいう甚大な怪我があったことは忘れてはいけないし、二度とあってはいけない。
6.稽古法の原点回帰
私は学生の頃、東京オリンピックの日本代表だった、白鳥金丸先生に授業でボクシングを教えてもらったのだが、何かは知らないが、気に入られて授業以外にも度々呼び出されたり、自分からお願いしたりして授業イガでも練習を付けてもらった。そんな事で顔面への打撃を考え始めた後年、後輩や、弟子を捕まえて自分で何度かグローブを着けてのスパーリングをやって、次の日に頭が痛くなった経験が度々ある。また、空手の演武では(実戦でも使えるからと"下段蹴り"と)頭突きを何十回となくやった。

ある年の春先、まだ寒風が吹いている頃、仙台の一番町という繁華街で演武をする事になった。その時、ある弟子が自分でも出来るというから「ブロック手刀二枚割り」をさせた。ところが良く乾燥させておけよといったのに、碌に日に当てもしないでしたものだから、何度叩いても全然ビクともしない。その内見てる人達の中からクスクスと笑い声がしてきた。「コリャーまずい」と自分で替わってやったがやはり割れない。こうなったなら最後の手段だと、思い、頭からガツーンと突っ込んで行ったなら、グヮンと頭が弾んで目から火花が飛び、正面を向いた時には頭がくらくらしたが何とか割れた。が、それから数ヶ月間は他人と話していても途中で話の筋道が解らなくなったり、鼻を噛むと血が出て止まらなかった。そんな経験から頭に衝撃を与えるという事の恐さは人一倍知っている。

 上記の経験があるから初期の頃は塾生には「週に何回も本気で殴り合っては駄目だぞ」と口を酸っぱくして言っていたし、著書でもそれを強調していた。所がグローブブームが来ると生徒達の中には「塾長はグローブでの経験がないから」等と人のアドバイスを聞かない者が出てきた。私自身は現実ではグローブを着けて戦うわけではないので、素面での感覚を知るためにはしないよりはした方が良いだろうが、前述したように同時にグローブの弊害も知ってるから、その練習の効果と危険性を天秤に掛ければ、しなくてもそう不都合はないと考えている。

だが当時全盛だった"グローブ信仰"に影響されていた選手達が、一生懸命努力しているのに、それに水を掛けるのも大人気ないと思って、ある程度以上は言わないようにした。第一、それ以上の"生の戦い(笑)"をして得た結論なのに、なぜ「グローブを着ける等という(仮の方法を)経験していないから解らない(何を?)」などと言われなくてはならないのか「冗談言うなよ」という感じで相手にしなかった。ところが、組織が大きくなり、机での仕事や出張、人との会合などが多くなり、週一回の直接指導以外は自分の力を維持する為の練習時間を取るのが精一杯になり、中々塾生に直接教える機会が減ってしまった。

 それでなくてもフルコンタクトでは、どうしても試合をする選手の方が説得力を持つし、私も出る度に同じ事を言うわけには行かないので、年々この方針が薄れてきていた。それでも十数年前までは、極力組み手の時は立会って、「顔面は思いっきり殴っては駄目だ」と同じ事を繰り返していたが、毎日の先輩からの指導と、たまの私の話しでは影響力の差はどうしようもない。選手クラスでは普段から殴り合うのが普通になってしまった。それでもこの「スーパーセーフ+と拳サポーター」の安全性は高いから、大きな事故もなく今日まで来ているのだが、恐らく今回、決勝で当たった藤松と山崎は総本部の選手クラスでは殆ど一緒に練習し、連日殴り合っていたのだろう。それではいくら安全性が高いとは言ってもダメージは蓄積するはずだ。

7.審判の問題
また、北斗旗開始当時から公平性のために設けていた"審議員制度"も審判技術も向上してきたからとか、見た目の公平性という観点からとかくの賛否論があるからと、昨年から廃止にした。所が、今大会の審判の判定基準が、一寸の連打でも「効果」にしたかと思えば、その逆にもう「効果」を取っても良いのに延々打ち合いをさせていたりと、不ぞろいだった観は否めない。例えば、志田VS木村戦や、中川VS佐野戦であの攻撃が「効果」なら、稲田VS山崎線はなぜ「効果」にならないか?とか長田VS清水戦や、寺本VSコノネンコ戦ではもう少し早めに「効果」を取らないと危険ですらある。

これは今大会は試合数が多く、二面でやらざるを得ず審判員がいつもより多く必要だったが、交通の便もあり東京でやった世界大会ほどの審判が集まれず、審判の技量にばらつきがあったことと、逆に2面でしたことにより、隣の試合が刺激になり非常にエキサイティングな好試合が多かったため、審判もついそれに流された部分があったかもしれない。しかし、今後はもう一度原点に返って、安全性に付いて皆で今以上に配慮しなければならない。

以上、今大会にについて様々な観点から検証してみましたが、皆さんの見方はいかがでしたでしょうか?是非、大道塾総本部事務局まで率直で建設的な、ご意見をお持ち致しております。最後に、今後とも宜しくご支援、ご協力のほどをお願い申し上げ、拙文を結ばせていただ