武道の祭典 パリ・ベルシー2004 3月19〜24日

東孝

3月19日(木)

出発!今回の助さん、格さんは前回パスポートの関係で昨年のモスクワ大会に同行出来なかった高松猛師範代と、昨年の無差別であのロバートと死闘を繰り広げた五十嵐 祐司三沢支部長の二人。08:20、例によりサンシャインプリンスホテル前からリムジンバスで成田へ。11:50出発予定が不心得者の為に12:20離陸。(時差−8時間だからパリは今、朝の04:20だ。今回はANA(全日空)だから機内は綺麗だし、客室乗務員(スチュワーデス)もサービスは良いしで、12時間のフライトもさほど長いと感じなかった。

大雑把に言って、家族主義的なアジア系の航空会社の方が、個人主義の欧米の航空会社より、心配りも対応も親切だ。また、現在、共産主義や社会主義の国、もしくはそれを経験している国のサービスは、全体的にやはり官僚的というか紋切り型というか、通り一遍で客にも余り愛想はしない。

これらの国は決められたノルマさえこなしていれば良く、自分から進んでサービスの向上に努める(仕事上の創意、工夫をする)必要はなく、その上、原則的に男女平等思想だから「仕事さえ出来れば男性と同格だ」と言った所で、他人に愛想を振りまく必要はない、もしくは、なかった為だろうか、まー、愛想はない。一方、資本主義国の航空会社は常に競争に晒されていて、少しでも良いサービスをしなければ客は、リピーター(再度の利用者)になってくれず結果として自分の首を締める事になる、という競争社会ゆえにか、愛想は遥かに良い。(それも"計算づく"だと言ってしまっては、身も蓋もない話になってしまう。)

どちらが先に月に人間を送るかという、華々しい人工衛星による、月面着陸競争でも、1950-60年代にはそれほど大きな差がなかったアメリカとソ連。一方は、私有財産を否定して財産の共有と,共有財産にもとづき国民が平等な社会・政治体制を実現しようとする思想。簡単に言うと、「皆で働き、その成果を皆で平等に分け合い、皆で幸福になろう」という実現出来るなら、非常に理想的な政治体制だ。

ところが、ここには利己心や、競争心という、一見、批難されるべき人間の本能への考察が足りなかった、もしくは抑制への楽観的な過信があった。その結果、平等主義では生産性が上がらないと、収穫を働きに応じて取るという修正主義を経ても生産は向上せず、74年間という遠回りをし、ついに1991年、ロシアは資本主義に戻らなくてはならなかった!1917年に生まれた人間なら74歳までのほぼ一生と言って良い人生が否定されたことになる!ロシアという国に生まれてしまった運命と言ってしまえばそれまでだが、嘆息するしかない、政治の(に限らず全て、とも言えるだろうが)指導的立場にある人間は「他人の人生を左右する」という恐ろしいまでの重大、厳粛な事実への敬虔な自覚が要求されるのだが、今日(こんにち)、どれだけの政治家(各種のリーダー)がそれを自覚しているのであろうか?

もしくは中国のように、換骨奪胎(かんこつだったい)と言うほどに、殆ど資本主義社会になって始めて一部の(極端な)富裕層と、圧倒的に多くの貧困層を生み出した。かつて、正に"資本主義の病弊"として最も攻撃の対象にしていたはず極端な貧富の差(2極化現象)のある社会になっているのに、国全体の経済を向上させる為にはそんな事は言っていられない、というのが現実なのだろう。

※ 貧困層
人口12億6000万人のうちの約16%、2億人が月収約3,300円(一日1ドル)以下。約0,5%、約5、600万人が月収約150,000円(一日、約45ドル)以上の富裕層。
万人の平等、幸福以前に、先ず自由を前提とし、人間の利己心、競争心を認め、競争の中で淘汰され勝ち残った物、者に、残る、生きる権利があるという、極端に過ぎれば倫理的、道義的に大きな社会問題を生じる"弱肉強食"を前提とした一見、残酷、非情な資本主義社会。片や、「万人への平等主義、愛情を出発点とする理想主義―共産主義」を元に労働者・勤労者(の代表)が政治を動かす社会。

二者を比べてみれば、普通の人間なら大抵後者のほうが理想的な社会を実現すると思うだろう。(だからこそ、60年、70年代に青春を送った優秀で、真面目で正義感の強かった純粋な、といえば綺麗だが人間社会の複雑さ知らない、学校秀才の多くが共産主義・社会主義運動に嵌まったのだ)

だが、その理論を完全に理解し、そういう社会の中で自己の利己心をコントロールできるほどの、理性(抑制心?)的な者だけの社会ならそれも可能だったろうが、そんなことは、普通の人間には(生まれた時から"洗脳"しても)無理だった。例え普通程度の人間のでも、自由な考え(思いつき?)や、口を封じる事は出来ないからだ。強いてすれば逆にその思想統制のための組織の肥大化、強大化、陰湿化、密室化により、やがて人は自分から創意も工夫もしなくなり逆に社会の進歩、発展は停滞する。

確かに、物事を大所高所から見られず、目先の狭い視野で発言する"普通の人間"の自由な発想や、発言は指導者にとって煩わしいものだろうし、物事が決まるまでは手間隙が掛かる。それより一人の優秀な人間が、強力な力で引っ張っていった方が社会は効率的,且つスピーディに発展すると我々普通の人間は思いがちだ。しかし歴史はそうではないと教えてくれた。人間の利己心、競争心を利用し、適度に制御しながら進まざるを得ない、人間心理、人間社会の実相を露骨に示す冷徹な現実だ。

資本主義・自由主義社会の方にも二極化現象は見られるものの、根本の"思想の自由"から生まれる、単なる反抗にしろ、汲む価値のある献策にしろ、政治が国民の声を反映させて進まざるを得ない社会の方が、「理想から始まったにせよ、政治は結果だ」と言われる通り、結果として今なお喘いでいる共産主義・社会主義の国々より、数十年も早く、物質的にはそれなりに豊かで、心情的には遥かに自由な(放縦?)社会を実現してしまった。資本主義万々歳というところだろう。しかし・・・・・。

経済的には共産主義は失敗したのだろうが、現代社会は益々、一人もしくはごく少数の人間の行動が想像も出来ないような影響を及ぼす社会になっている。核兵器、化学・生物・細菌兵器、インターネットによるハッカー被害。悪意ではないにしろ、一人一人の無自覚から生まれる、資源の浪費、枯渇、環境汚染問題等々。人類が存続を願うなら解決しなければならない、嘗てないほど世界・人類。地球に対し取り返しの付かないような重大、甚大な影響を及ぼす多くの問題に面しているのは確かである。

そう考えると、ここまでの結論を、混ぜっ返す事になるが、これからの社会では今までのような、"どこまでもの"人間性の自由、解放一辺倒では立ち行かなくなるだろう。人類存続の為には、否応なく全地球的な規模での調整、協調、さらには聞きたくないだろうが、統制、管理といった現実との折り合いをどこで付けるのか?が問われるはずだ。しかし、それをどれだけの人間が理解、納得でき、自覚的に行動できるのだろうか?どこまでも個人主義的、利己的、自己もしくは自国中心主義的になって行くのが良い、との現代の風潮の中では、はなはだ疑問だ。というか、絶望的な想いのほうが先にたつ。

そんな時、よく言われるように、"真の意味での社会主義"とも言えそうな、世界一豊かで平等な社会を実現させた日本のような家族主義、集団主義を土台にしての資本主義は大きな、指針になるような気がする。今更「ジャパン・アズ・ナンバーワン」でもないだろうという気がするが、世界のさまざまな国を見るたびにそう思う。数字や理論的に証明するほどの知識はないし、それなりに不満や、なお改善、前進しなければならない所は当然あるが、総合的に日本は素晴らしい国だと思う。私だけではなく、海外に出て日本を振り返れば、大抵の"普通の常識を持った人"は同じような感想を持つはずだ。

そんな日本なのに・・・。前述した優秀な"学校秀才"達は、自分達が描いた地上のどこにもない(夢想的な)政治体制を実現できず、いざ実人生を歩む段になった時、自分達が否定した正しく"資本主義社会の基盤"である一般企業には入れなかった。そこで彼等は、原則的に思想信条の自由が認められる教育界、マスコミ界へ大挙して就職し、何かというと日本のマイナス面を殊更にあげつらい、日本を撹乱させて、所謂"反日日本人"として行動してきた。彼等に「日本が素晴らしい」等というものなら、「単純な奴だ」とか「馬鹿じゃないか」、「歴史を振り返れ!」等という冷ややかな反応が返ってくるだろう。

彼らも日本の素晴らしさは感じているはずだが、人間、100%の満足などはありえない上に、 "優秀な自分"のそれまでの言動を否定してしまうので、その事実は中々認めたくはない。その上、現代日本は何を言っても責任を取らなくて良い社会になってしまったから、世の中には不平、不満だけが声高に叫ばれ、マスコミを通じ反響、増幅されて伝わる。それに又、かつての彼らと同じような社会経験のない若者がモロに影響される。こんな悪循環が繰り返され、最も豊かで平等な国で、最も大きな不平不満の大合唱という、その日の食料にも困っているような世界の多くの国々から見たなら、到底理解できないような、"世の中(世界)を舐めた"風潮が当たり前になってしまった。

勝者による敗者への復讐裁判とも言われる"東京裁判"史観を基にした、日本が全て悪かったとの"自虐主義"戦後教育のお蔭で、日本の歴史(過去)に自信を喪失し、日本人であることを卑下し、結果、理想的ともいえる平等社会を生み出した日本の美風、家族主義、集団主義は雲散霧消した。その結果、尊敬するものを何も持ち得なかった若い世代では個人主義、利己主義が当たり前になってしまい、国を愛し、国の将来を考え、国に貢献しようなどという者の割合は世界で最も低いほどになってしまった。

愛国心などという大袈裟な話ではなくても、こんな話がある。最近の日本社会の治安悪化に対し、市町村で地域パトロール活動をするところが増えているが、それへの協力をしたいという割合が、40、50台では84%を超えているのに対し、「正義感が強い」とか「血気盛ん」と表現されてしかるべき20台が最も低く、65%しかなかったそうだ!若者の「他人のことなんか知らないかよ」とか「俺にはカンケーねーよ」、「何で俺がそんなことをしなくちゃいけねーんだよ!」という声が聞こえてきそうだ。

また、日本の若者の自分の国である、日本(もしくは公共という概念)に対する姿勢が冷めていることは様々な統計でも顕著で、海外でも有名(悪名)だ。ついにはどこかの国の偉いさんに「21世紀には日本なんて国はなくなっている」と言われるほどの体たらくになっている。しかも、それに対して"ムッ!"とするのはせいぜいは我々の世代までで、若い世代には何の反応もない。ここにも今日の日本の危うさが如実に顕われている。将来の彼ら自身に帰ってくる深刻な問題で、子供だましの喩えで申し訳ないが、"アリとキリギリス"そのものだ。目先の楽しさのみを追いかけている。

考え始めるとシツコクなり、そうなると普段は日常業務に支障をきたすので、なるべく物事を深くは考えないようにはしている(笑)。ところが今回、大きな楽しみである「ビールを飲みながらの映画鑑賞」が、機内上映の殆どが見たものばかりだったため、こんな辛気臭い話になってしまった。更に、あれも読みたい、これも読みたいと欲張って購入はするが雑用に追われ積読(つんどく)している本を、いつも飛行機にどっさり持ち込んでは来るが、生来のモノグサ、向上心の欠如により、つい気楽な雑誌や映画の方に行き、結局は重い荷物を運搬するだけになるのが常なのだが、そんな訳で何もすることがないので、久し振りで単行本を数冊読んだ。は良いが、やはり最後は唸ってしまった・・・・。

1冊はある巡り合わせで関係した「カタルシス」(公式サイト)という映画以来、特に関心を持ち始めた、非行・犯罪少年の問題を扱った「なぜ普通の子供が犯罪少年になってしまうのか」という本。その中で言われている「少年法の年齢を下げても、また罰則を厳しくしても犯罪は減らない」と言う点は、自分をコントロールする躾をされていない今の子供が、カッとなった時に最後まで突っ走ってしまうというのは当然だから、それなりに腑に落ちる話しではあった。また、残された家族にはどこまでも納得の行く解決法はないのかもしれないから、という気もしたが、しかしそれでも、被害者側の心情への想い遣りという観点が弱い気がした。

一つは、生きている者の"更生"が優先され、死んでしまった者はどうしても還る事はないのだからと、その"無念さ"が二の次にされるのでは、殺され損という事になるのではないか?そしてそれ以上に、残された家族は自分の息子、娘を突然奪われた不幸を永久に引き摺って行かなければならないのに、加害者が数年で社会復帰し、内面は別にして"普通の(?)人生"を歩む姿を、このマスコミ全盛時代(何も出来ずに)いやでも見続ける事になるだろう"苦しみ"をどう慰撫すればいいのか?という事だ。

「目には目を歯には歯を」は余りに単純な法で、それを認めれば子々孫々までの復讐が際限なく続く。だから国がその権利を取り上げて代りに刑罰を執行する、というのが近代法の始まりであることは分る。しかし、少年犯罪に関しては、余りに加害者の権利のみが慮られてはいないか?事の善悪を判断する力がない年齢だからと、犯した罪は深く問わないような"更生教育"をし、数年で社会復帰?させている。そんな事でその少年達が真に更正したり、前向きに生きる気持ちになれるのだろうか?いろんな本や、雑誌などで読む限りでは、彼等の心情は"開き直り"か、"忘却"しかないように見える。

近年、欧米社会では10歳や14歳くらいから刑事事件として起訴し、中には、終身刑という判決すらあるというのに、日本の場合は"分別のない少年の更生"という名の元に、余りにも拘束期間が短すぎるのではないのか?また、年月の問題だけではなく、突然息子や娘を奪われた被害者家族への配慮も足りないのではないのか?残された家族への慰撫、慰謝の為にも、被害者側とも接触させ、被害者家族が知りたいであろう犯罪に至るまでの経緯や、そのときの少年の心情なども吐露させるとか、加害者少年の拘束年月への被害者家族の関与も認める、といった方法があっても良いのではないのか?

犯罪少年が、残された家族の苦しみを知ることで初めて、"開き直り"や"忘却"ではない、自分の犯した罪への重大さを自覚し、許しを心底から請う、真の意味での更正も期待出来るし、前向きに生きようとする意志の回復も可能なのではないか?また、そんな過程の中で残された家族の心情も少しずつ癒され、許しはしないにしろ徐々に"無理のない諦観"というものが生まれてくるのではないのか?今は加害者には"致たせり尽くせり"のケアがあるが、被害者側には「自分達だけ出で立ち直れ」と、"放置"としか考えられない対応しかない。

(その辺の事は、息子を殺した犯罪少年と、息子を失い人生を見失った父親の、運命のいたずらとでも言うべき遭遇が生み出す葛藤、克服、そして人間の尊厳を謳いあげた「息子のまなざし」という映画が、一つの例になるかもしれない。勿論、皆がこの映画のように"人間の尊厳"といった美辞麗句で表現されるような言動を示すことはあり得ないとは思うが。)

16:20、無事にパリ、シャルル・ド・ゴール空港着。成田へ行くバスの中で挨拶をされていた、同じ催しに参加しに来ていた松井派極真の選手団と、荷物受け取り場で又、一緒になり、松井館長とも久し振りで話した。彼等はもう5回くらい参加しているそうで、「ヨーロッパ中に衛星放送される非常に大きな演武会です」と言っていた。そういえば確かに、数年前にモスクワの塾生に「フランスで大きな演武会があり、モスクワでも見れますが、大道塾は出ないんですか?」と聞かれた事があったが、それがこれなんだなと思った。互いに日本武道の真髄を見せよう、と話して別れた。

30分くらい車で走って、19:30頃ホテル着。土田支部長から「21:00から食事会なので、その前にチョット練習場所に回り塾生に声を掛けて下さい」というので、早速シャワーを浴び、パリ市内で借りている合気道場へ向かう。20:30頃着いたなら、フランスのHPで今回、我々がこのイベントの次の日にセミナーをすると知った陽気なアンドレ・アストッパ イタリア支部長(第一回世界大会超重量級第3位)が来ていて、迎えに出た土田支部長の代わりに20人弱の塾生に稽古をつけていてくれた。

塾生は学生や、社会人、公務員、留学生等などと様々で、その上あらゆる国々の人達がいて、改めて武道の懐の深さを、可能性を感じた。中に東南アジアの留学生で、国へ帰ったなら政府のスポーツ関係の仕事をするので是非大道塾・空道を導入したい、等という人間がいたりして、この所の海外セミナーの申し込みラッシュとも通じる、大道塾・空道の根や芽が世界に着実に広がり、花を咲かせつつあるな、との手応えを強く感じた。

21:00よりシャンゼリゼ通り、凱旋門近くの店で、支部長始めパリ支部創生期の弟子達と食事会。なんと!シャンゼリゼ近くの店で、である。4年前、飯村、コノネンコ両師範代を伴って、パリの郊外の電気も暗い古ぼけた体育館で20数人を相手にセミナ-を開き、その後近くの小さなコーヒーショップで細々と懇親会をしたのとはエライ違いだ。アルザス地方(※)のピッツァのような物を食べさせる店で、週末という事もあり大入り満員だった。

200人からの弟子を持ち、伝統派をやっていたが、一昨年のセミナーから大道塾に惹かれ修行し直している謙虚なジャメール。昨年夏に東京総本部にも練習に来た、JALパックに勤めているいつもニコニコしている人の良い黒人のセリ。事務長役で同じく昨年暮れ支部長と一緒に本部修行に来たナタリー。軍の警察に務めているだけあって、眼光鋭いが礼儀のしっかりしたファビアンといった塾生たちと、ワイワイ楽しく食事をして23:00頃ホテルへ戻り、入浴後、即バタンキュウー。日本は朝の07:00か。

※アルザス地方:
「アルザス・ロレーヌ地方」として歴史や地理の教科書に必ず出てくる、ドイツとフランスの国境地帯。アルザスの農地としての肥沃さ、ロレーヌの鉄鋼産地としての鉱脈ゆえ、1870年の普仏戦争でドイツ領になって以来、第一次大戦後(仏)、1940(独)、第2次大戦後(仏)と4度に亘って交互に領有されて来た。

3月20日(土)

さすがに疲れたか05:00起床。こまい事を忘れないうちにと、道中記に取り掛かる。07:00朝食。一昨年夏、右膝の半月版の3/4を除去して以来、「汗を流してのビールと活字拾い」という、私の後半生のテーマ(!)維持の為、週4回、一時間、自転車での大腿4頭筋(太腿)の鍛錬と、朝食抜きによる減量が定着した。食べないのが普通になってしまったからそれほど"ヒモジサ"は感じないのだが、旅に出るとどうしても朝食を食べてしまう。生活のリズムとして07:00くらいには、日本なら新聞を読むとかとなるのだが、それも出来ないので何か気分転換に、という朝食だ。欧米の食事は基本的にカロリーが高いので、帰る頃には2〜3kg太るのが通例で、それを戻すのが、又、一苦労だ。

08:30に迎えが来て10:00からのリハーサルの為、会場に向かう。大相撲のパリ公演なども行われる二万人収容の何とかというパリの(ということはフランス)屈指の大会場である。こんな大きな会場に演武だけで、しかも有料(3〜5,000円!)で観客を集められるというのも、ヨーロッパの中でも1、2位を争う武道愛好国ならではの話だろう。09:00頃には着いたのだが、どの団体もまだ来てる感じはしない。ま、兎に角するのは間違いないのだからと、着替えて自分たちだけのリハーサル。

演目は先ず私と高松師範代で、打撃の攻撃に対して【1】打撃での反撃と、【2】投げ、締め、関節を使った反撃を紹介し、そのあと、五十嵐支部長とストッパ支部長で軽い組み手という段取りだ。ま、試割をするわけではないから5,6分もあれば終えるものだが、なんせ氷割り以外は演武慣れしていないからつい順番を忘れ、その場で瞬間の"勘ピューター"を作動させ別な技で反撃してしまうので(実際の試合はそれで良いのだが) 何度も反復練習をした。ここが、"はみ出し人間"には難しいところだ。

それに比べると今回参加した30ほどの団体、各種武道の方は、演武慣れしているというか、見せるという点では素晴らしい演武を披露していた。今回この演武会への誘いがあった時、上述したように余り乗り気ではない演武会への参加を決めたのも、以前から言っていた(※)今後、大道塾・空道の展開を考えた時、低学年層や、逆に高年齢層の稽古体系の幅を広げなければならないと、この所強く思い始めているからである。一言でいうといわゆる"型的なもの"の採用の為である。

塾長コラム「型の意義」参照

少年部には試合技術だけの指導ではなく、経験ある者が絶対の権威を持って教えられる、"型的"な事をする事で、目上の人間への尊敬心や、決まり切った事を反復する事で、規範を守るという習慣を養う事が出来る。高年齢層の人達には若い時しか出来ない試合武道ではなく、生涯に亘って自己の精神力、気迫を維持させてくれる"武の世界"を継続する為の"幅"が必要になってくるからである。

しかしだからと言って、以前から言っているように、伝統空手のエッセンスである"型"をそのまま踏襲する事は却って意図したものと逆の結果を生むだろう。なぜなら、昔からある型だからと、昔の稽古体系に基づいた技からなる伝統型を、構えも、動きも、戦いの心理も違うのに、便宜的、安易に採用するのでは、これから選手になる子供には理論と、実戦の乖離が生じるし、高齢者には自分それまで信じて使って来た技とは違う技を習得するという矛盾が生じ"熱意"を生まないだろう。熱意を伴わない、型は正に"形骸"で、実際、伝統派の人達の嘲笑を招いている。伝統派の演ずる型が綺麗で迫力があるのは自分たちの稽古体系にも合い、自分たちで最高だとの信念で演武をしているからである。

※形骸
中身が失われて外形だけが残っているもの。

ま、なんとか決まり切った技が出るようになったところで、KARATE BUSHIDO(空手武士道)誌(編集部注:音声が出ます) の写真取材を30分ほど受け、今日のコンビネーションを分解、解説した。明日のセミナ-後の言葉のインタビュー共々、次の号で掲載してくれるとの事。戻って最後にもう一度リハーサルをと思ったなら、テコンドウが集団演武をしていて出来ない。30分くらい待てば終るだろうと待っていたが1時間ほど待っても中々終らない。やっと終ったなと思って畳に上がったなら、あと5分貸してくれと言うので、「まさか50分じゃないよな」と言いながら下がったなら、正にその通りだった!日本と韓国の今を象徴しているようだった(あくまでも、笑)。その内、松井館長一行が来て何度も参加しているからだろう、「そろそろ止めるように言った方が良いですよ」と、現地のコーディネーターを通じて要求してくれた。それでも終ったのは10分後だ。あれくらいの押しがないと海外ではやって行けないのかなと感心した。

一旦休憩し、食事に近くに出てみようとなったが、演武をしている間にメガネ(度付き偏光)がなくなった。私は昔から視力は左右共に2.0だったから遠くの物でもはっきり見えるのが当たり前だった。が、寄る年波には勝てず(?)乱視も入っているからだろうが、最近遠くがボヤ-と見えにくくなって、ゴルゴ13を気取るわけではないが、非常にストレスが溜まるようになった。その上、夏などは太陽をまともには見れない程に眼球が敏感だから、イザとなった時(どんな時だ?)メガネは不利だと思いつつも、外に出る時や審判長を務める場合などは大抵メガネを掛けるようになった。他人のメガネを盗っても何の役にも立たないだろうにと、会場中を探したがなかった。無ければ無いでも何とか、などと考えているし、日本でも良くメガネを忘れるが大抵はどこからか出てくるから、そんなに騒がないのだが、とうとう出てこなかった。今回始めて、ずーっと無い事の不便さが分った。今度からは首からでも吊るすか。

食事の方は、幸いな事に会場の近くに"銀座"という日本食(もどき)のレストランがあったので喜んで入った。案の定、日本人ではない経営者だから、味噌汁(味噌スープ)は始めに出てくるし、タイ米のパサパサしたご飯に、変な味のカツ定食を食わされったが、バターやチーズ、オイルたっぷりの分厚い肉よりはまだ胃に優しい。各団体のリハーサルで時間がかなり遅れて、全体でのリハ、夕方16:00までに戻れば良いと誰かが言っていたので、食事が終わって、一旦ホテルへ戻り小休止するかとなった。

それでも念の為にと、確認の電話を入れてみたが繋がらないので、もう一度会場に戻った。ところがなんと!既に全体のリハが始まっていた。しかも、「大道塾は次ですよ」となって、大慌てで着替えてなんとか無事済ませた。しかし、進行表の配布も説明もなかったし、日本人的な思い遣りなどは甘いのかねー。全く面食らったが、今度こそ夕方18:30まで戻れば良いというので会場を出た。ここでも驚いた!まだ開場まで5時間もあるというのに、もう入り口に観客が並んでる!「この何割かでも良いから、ウチの大会に並んでくれたならなー」などと愚痴りながらホテルへ。

18:30再び会場入り。もう会場はかなりの入場者だ。既に、20,000人入りの会場の5,6割が埋まっている!20:00から開演というので19:00からウォーミングアップ開始。大道塾は始めから8番あたりなので、早く終えてあとは観演(?)出来るなと心待ちにして、会場がほぼ満杯約16〜18,000人程入った20:30分頃、演武スタート。

はじめに会場を暗転させ大道塾のダイジェストビデオが流される。その間に整列し前後に礼。リハ通りにはじめ高松師範代を相手に6種類の反撃法を行った。ところが気合が入りすぎ、2番目の左ジャブ、右フックを左ブロッキングして右袖をと左襟を掴み、頭突きから体落とし、腕拉ぎ十字固めという時、頭突きが強すぎて、高松師範代が一瞬朦朧となってしまい、腰が後ろに落ちてしまった。試合ならそのまま臨機応変に、後ろに倒して締め、関節にでも行けば良いのだが、変に反復練習の"成果"が出た為、体落としに拘ってしまった(ここが型練習のマイナス面)。その為、体落としが綺麗に決まらず、強引に捻り倒してるような感じになったが、それでも一般の観客はそこまで気付かなかったから演武としては成功したのだろう。それにしても、当てない演武では迫力が伝わらないからと、始めからマスク、ボディープロテクター着用していたから良かったが、改めて実戦での頭突きの威力を再確認した場面だった。

その後ストッパと五十嵐のこれまた本番に近い組み手。それまでの演武は、決まり技のところを、当然寸止めでするしかない為、何となくその効果が伝わりにくかったり、大袈裟に倒れればヤラセ的に見えるという中で、顔への頭突きはもとより、肘ウチや、倒れてからの突き、蹴りなど実戦的な技で、実際に思いっきり打ち合っても安全だ、という「空道」の特徴が歴然として会場の反響は素晴らしかった。この演武会への参加のお蔭で、これまで以上に、ヨーロッパでの「空道」への認識度は高まるだろうから、第2回世界大会へは益々強敵が集まるだろう。(喜ぶべきか否か?は知らないが・・・)

極真会の演武の終るのを待って(この時点で23:00!)せっかくの機会だから、となって、パリの中心街にある、こっちの海鮮料理を食べさせるという店で一緒の食事会が始まったのが、ほぼ24:00。

先月のムック本で、かつての私の大先輩、盧山初男 極真館々長や佐藤勝昭 佐藤塾宗師との対談でも話したが、武道の発想の中には"力的"に強くなるのと同じ位に、人間的に強く逞しくという発想があるから、女々しく昔の事にいつまでも囚われるなという心根が自然に身につく。余程、後々まで残る嫌な事でもない限り、一旦、同じ席に着いて"一杯"始まれば、それまでの関係に様々な紆余曲折があっても、同じ釜の飯を食った先輩後輩の昔に戻り、その場では、些事を忘れる事が出来る。良い事だ。

これが世間一般の人間関係なら、逆に過去のことは忘れては駄目だろうし、その時点でのそれぞれの立場や勢いなどでの、間合いの計り合いから始まるだろうから、中々打ち解けにくいだろう。また、賛否両論あるのを敢えて是として言えば、武道の世界のように付き合いの基本に"飲む"という発想がないから、余計"いい加減"になれないだろうから、これまた心が緩むのに時間が掛るだろう。(・・・とは「人生の充実は何度、美味い酒を飲んだかで決まる!」と思っている呑兵衛の強弁か?)

ついでに、今の若者達は武道の上下関係が嫌だとよく言うが、武道の上下関係ほど平等なものはないんだぞと言いたい。確かに、始めは誰でも"後輩"になるが、途中で止めない限りいずれは必ず"先輩"になれるのだ。しかも実際に心・技・体の全てをぶつけ合っての練習から成り立つものだから、言葉だけで生まれた状況によって変わる対人関係ではない。それが武道での付き合いが実際に長く続く根本的な原因だと私は思う。勿論、その中で、付き合い易い先輩や苦手な先輩も当然あるだろうが、それも人間修行だと発想を転換できる所が、武道的発想の寛(ひろ)い所だ。

先輩の方としても、全人格を掛けての付き合いの中で、自分への評価(人望?)というのは自ずと感ずるものだ。強さに関しては「俺のやり方がある」と依怙地になる人間でも、"(人間)修行"という武道的言葉の前では、それを矯正し、大きな男になりたい、という素直な気になるものだ。

とか何とか言って初めは食事だけという感じだったが、会も楽しく過ぎて02:00過ぎ、遂に(案の定)カラオケに突入した。知っているのは30数年前、西池袋の総本部にいた真面目な男フランス人のジャックだけだった。今教師をしているそうで、私との飲み会を恐れた為か来なかった(笑)ので、直接の同輩、後輩は誰もいなかったが、例によっての"はみだしぺース"に強引に引き込んで若い連中の唄も聞けた。また、試合はした事はなかったが、第二回世界大会では幻の台風の目となるはずだった、"人間風車"と呼ばれていたらしい、南アフリカのケニーウーテンボガードとも同期の桜的に飲めた。

ところが普段から自己を解放している海外の連中は、日本人のように普段は遠慮していても宴会だからと特にピッチを上げる訳ではない。しかし、呑みだすと遺伝的にアルコール分解酵素が多く、しかもあの体格の彼らと指しで呑む場合、日本人はよほど体調を整えておかないと無理である。その上、5,6人と数回ワインの返杯、返杯を続けたものだから、気分は最高!という感じで例によってドンチャン騒ぎをしてあとは知らん!と、なった。最高師範に知れたなら「50もとうに超えたのだから少しは松井館長のように人格者になれば良いのに!」と雷を落とされるところだった。(笑)

そうは言っても、「三つ子の魂100までも」で、ガキの頃から田舎の飲み会を見ているから、肩肘張った呑み方は面白くない。私にとっては楽しい飲み会だったが、今の上品な空手家からは、「初めて会った大先輩と緊張していたのに、あんなとは"!」と、もうコリゴリだとなったかも知れない。
(そう考えるとウチの塾生は逃げ場がないし、大変だねー。同情します。) ま、あの連中も物好きがいるのなら、機会があったなら又呑もうや、というところだ。ホテルに帰ったのは、05:00だった、そうだ。

(ちょっと、照れ隠しに調子を変えて)ここで言わずもがなかも知れないが、以前の後輩、先輩達との関係について、「どっちにも良い顔をする」などと言う声があるそうだから、一言。私は上でも述べたように、一緒になって苦しい思いをした、もしくは共通の思いを共有している友人、知人というのは、この世知辛い世の中では、正に、「袖振り合うも他(多)生の縁(前世からの縁)」とやらで、裸になって呑める(例えですよ、例え!)得難い宝だと思っているから、いつまでも大事にしたい。偶々あった場所でも、今、仲間でないから付き合わないでは、人間の幅を広げる為に苦しい思いをした武道が、ただ世間を狭くしただけのものになってしまう。(勿論、相手が嫌がらない限り、又、相手の立場に迷惑を掛けない限り、だが)

3月21日(日)

朝10:00から少年部のセミナ-だったが、初めは高松、五十嵐両師範代に任せて後半から12:30まで指導。簡単な食事休憩を挟んで14:00から一般部のセミナ-。様々な流派団体から50人程が集まった。少年部と合わせて約100名か。毎回セミナ-をするほど人が増え、レベルも高くなってきているのを感じる。17:30までやって、さすがに皆疲れが見えてきたので打ち止め。

そろそろあっさりした日本食が食べたい頃だが、今夜はジャメールが、知っているモロッコ料理を食べさせる店を予約しているとの事。上等じゃないの!敵に背中は見せないとばかりに、ゲンナリしながらもレストランへ。店は正にアラビア風のインテリアで、流れる音楽はアラビアンナイトを連想させるような曲調だ。メインディッシュは、クスクスという、日本の粟(あわ)とか稗(ひえ)みたいな穀物の上に様々な肉やソーセージを載せてカレー風のスープを掛けて食べるものと、野菜や、鶏肉を煮込んだ何とかというもののどっちかを、と言うことだった。が、なんせ昨日の暴飲暴食が祟っているから日本勢は皆、消化力がない。適度に飲み食いした後は通常は参加者に自己紹介などをさせ盛り上る所だが、ワインにうるさいストッパが誉めた、何とかというワインもそこそこに、この夜はおとなしく退散。01:00就寝。やっぱり明日こそ、日本食が食べたい!

3月22日(月)

04:30起床、PCに向かう。07:00朝食。今日もパンとハム、チーズ、フーッ。やはりご飯と味噌汁、お新香がないと力が入らないな-。それでも、いろんな雑穀が入っているフレークは、以外と口に合う。08:00、今日はフリーという事で、昼から土田の勤める"本物の日本食"レストランに何としても行こうと決意も固く、午前中は11:30まで作文。12:00頃に迎えに来たセリと4人で地下鉄に乗り、昨日の会場のある駅ベルシーで乗り換えピラミッド駅へ。"安兵衛"はフランスに来るたびに寄らせてもらうが、いつ来ても日本人、外国人(ここでは逆だが)を問わず千客万来だ。

一昨日の演武も昨日のセミナ-も上手く行った事を祝して (又か) 、昼からだが、先ずは焼き鳥で乾杯!美味い!やっぱり本物は違うねーと、欠食児童(※)のようにたちまち片付けて刺身定食へ。寿司なら毎日でも良いというウチの最強(妻強)師範に「港町、気仙沼で育った割には、余り魚を食べないのね」と言われるが、普段、余り好んで刺身定食などは食べないのだが、五臓六腑に染み渡る。それに昨日と比べて米が格段に美味い。結局三杯も食べて店の女の人に笑われてしまった。

※欠食児童:
戦中戦後の食用難の時代、学校に弁当を持って来られず食事を欠かした児童がいたことを話したなら、今の飽食の時代に生きる何人かが「だったら、インスタントラーメンを食えば良いのに」と言ったという、笑えない話もあるので、敢えて注を。

欧米人にとって、米と塩(味噌、漬物など)だけで生きれる日本人は、いざ戦時となった時は非常な脅威だったと、何かの本で読んだが、実際、米(穀物)食は携行が容易でしかも、人口保持力は肉食より何十倍も大きい。逆に肉食文化のパワーは米食文化にとって脅威だから、適度に取り入れて体位の向上を図らなければならないが、食糧不足や、最近の肉類のウィルス汚染などの問題の度に、最近のように、肉食だけに偏る食生活の怖さが見える。人間なら何十人も養うことの出来る量の穀物を動物に食わせ、手間隙をかけて成長させ、それを最後に何十分の一かの人間で食べるという事実をも、見据えなければならない。栄養学的にも、成人病が増加の傾向にある日本人の健康上からも、(大きく言えば、人類存続の観点からも)穀物や野菜とのバランスの良い摂取を真剣に考える時なのだろう。

その後、パリは初めての高松と五十嵐の二人は、ファビアンとセリに案内してもらってパリ市内観光。私は部屋へ戻り、又もPCへ向う。要領の悪い私などには、テンポの速い日常にただ流されて行く現代、少しでも立ち止まって自分の方向を考えられるので、PCに向かうのは貴重な時間だ。こんなとりとめもない文章でも、物を書く(キーボードを打つ)ということは、漢字を思い出す、言葉を思い起こすといったボケ防止に効果的、実利的な収穫だけではなく、感覚的に生きている毎日を振り返るとか、物事を少しは掘り下げてみる事を要求されるので、反省しない私でも少しは自省させられるという訳だ。それでも"まっとうな人達"から見れば「反省が足りない」のかも知れないが、一応はそういうつもりで生きてますのでご勘弁を(笑)。

みんなが帰ってきた頃に、一昨年のセミナーに来た時泊まったホテルの近くの、中華レストランで最後の会食をして、改めて今回の成功を互いに喜んだ(又かよ!という声、届いています)今回の演武会のあと、帰国した直後から早速E-mailでヨーロッパ各国から数通の問い合わせが来ていることを見ても、益々この空道の流れは強く、太くなってゆくだろう。

セリとファビアンは是非10月頃に日本に行って練習したいといっていた。それを喜びながらも、目先の楽しいことにのみ夢中になり、苦しいこと、辛い事を極力避け、将来の為に今の自分を鍛えることの大事さを忘れてしまったかのような、日本の若者の現状を考えると、武道界のみならず、日本そのものの先行きに不安を覚えてしまう。年寄りの冷や水なのだろうか?そうであってくれれば良いのだが・・・・。

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