モロッコ遠征記 2005.6.2-6.8

東孝

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第一日目 6月2日(木)

今年初めから交信し始めていろいろと紆余曲折があり、体力別大会の直前の5月23日に決定した今回の「アフリカ・モロッコ遠征」。
日本から超級優勝・最優秀勝利者の藤松泰通師範代(以下敬称略)を連れ、パリ在住の土田信也支部長(同、以下敬称略)を呼んでの開催となった。
08:15サンシャイン前をリムジンバスで出発。10:00前に成田着。12:05発。12時間でパリ着。

時差が7時間だから12+12−7=現地時間は17:05。早速、土田に無事電をしていると、ギリシャからハンガリーでのセミナー要請があったとの割り込み電話。ボーダフォンは助かるが、お蔭で目の回るような日程だ!しかし、世界大会までは走らないと。「撃ちてしとまん」!か(笑)

21:19発パリ発。約3時間でモロッコ着。24時だが時差が更に2時間逆戻り(日本とは9時間)で22:00、遂に大道塾25年目にして初めてのアフリカ大陸進出!!との喜びもつかの間、通常は空港で大歓迎!のはずの迎えがいない!!
同じようなことが去年の上海遠征のときもあったが、あれは空港の2階でみんなが横断幕を下げて待っていたからだった。待てど暮らせどそれらしい人間が現れない。10分ほど探してさすがにそれらしい人間がいないということで、電話したなら「今、空港から30分の所にいます。もうすぐ着きます」という。「コノヤロウそれはないだろう」と思ったが小1時間待つ。来ない!!もう一度電話したなら、「渋滞が酷いのでホテルに直行してください」との事。
これはちょっと?と嫌な予感が胸をよぎる(笑) 空港を出て怪しげな呼び込みを避けて正規のタクシー乗り場から、言われたホテルへ向かう。0時過ぎに到着したが、連中はまだ着いていない。一応フロントに予約はあるそうだが、実際に明日いるのかどうかは分からないぞ???

しかし、ここまでなったなら、B型の強さか、いい加減さか(笑)「その時は観光でもして帰るか」と開き直った。08:00にロビーで会うことを伝言し部屋へ入り、02:30就寝。まだ着いてないようだ!!

第二日目 6月3日(金)

05:30起床。洗面などをし、07:00にロビーに行って恐る恐る(笑)、聞いたなら昨日夜中の3時過ぎに着いたとの事。一応ホッとするが、5時間の違いがあるということは、昨日の電話の時点ではまだ自宅を出発してなかったことになる。人を呼んでおいてそれはないだろうと思ったが、逆にどんな顔をして姿を現すんだろうという、ひねた自虐趣味もある。これだから遠征は止められない!早速起こすようにフロントに頼んで、私は藤松、土田を起こす。食堂でミーティング。

「アリババと40人の盗賊」に出てくる悪漢はこういう顔をしているのだろうな?と思いつつも、「顔で人を判断してはまずい。第一、それじゃお前はどうなんだ」と自問しつつ(笑)話を聞いた。ネパールが本部の世界的に有名な流派(??)をしていると、胸を張り分厚いアルバムを持って自己紹介してくれたが、全く聞いたことのない団体だった(笑)

しかし、昨年の「ベルシー2004」を見て衝撃を受けたとの話は本当だろう。実際あの演武以後フランス支部は一気に数十人が入門した。今年に入ってヨーロッパ各国からのセミナー依頼が10数件あったのもその効果だろう。尤もなぜか今年は来なかったが。ま、他人(団体)の発展を黙って見ているほど、この世界は甘くはない。「人は踏まれて強くなる」さえ抑えておけばどうという事はない。

10:00日本大使館のある首都ラバトへ向け出発。15:00から大使館を表敬訪問の予定だったが、高速を160から170kmくらいで走るものだから、11時過ぎには市内へ着いた。明日のセミナー場所となるTanger(タンジェと読む)まではさらに400kmもある。午前中に表敬訪問が出来れば、それだけ早く出発できる。ドライバーに聞くとそこからは10分くらいで行けるというから、大使館へ電話するとそれでも良いとの事。所がここでもモロッコ側はいい加減。“10分”があっちへ向かいこっちへ戻りで30分も掛かった。着いたのは11:30過ぎ。昼前の遅刻はどこでも嫌がるのだが、それでも待って頂き、空道のことや、世界大会の話などをさせて頂いた。

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12:00過ぎまで話して退館。今回の遠征目的の一つを終えたので近くにあるという日本レストラン(日本大使館の近くには大体ある)で軽く乾杯!15:00、Tangerへ向け出発。例によって高速をぶっ飛ばす。途中はなだらかな起伏の丘陵地帯の連続でモンゴルに似ているようだが、それらの多くが草原ではなく耕作された畑となっていて、ひまわり畑が延々と続く。たまには同じように牧童がノンビリと羊や牛を放し飼いにしていたりもするが、突如として次には近代的な工場があり、上には高速電圧線が走っていたりと、時間と空間が不規則に入り組んでいるような不思議な風景だ。

18:00ホテル着。所が藤松と土田を乗せた後続の車が、30分経っても着かない!高速では抜きつ抜かれつで“ツーリング”していたのに?!と思いながら待つがとうとう1時間経ってもこない。これは交通事故にでもあったのでは?とドライバーに「警察に事故車がないかどうか聞いてくれ」と言うが、こっちでは電話での照会は受けないとの事。その間、既にまた30分経過している。こりゃー絶対なんかあったな、参った!!と焦り、「とにかく、直接警察に行って聞け」と指示し向かわせた。
すると、出た直後に“ひょっこり”という感じで連中が姿を見せる。聞けば途中、明日の稽古場所に立ち寄っていたとの事。「それならそれと電話1本すればいいじゃないか!!」と怒鳴りつけたが、「何でそんなに騒いでいるの?」みたいな顔をしている。呆れて怒る気もなくなった。

第三日目 6月4日(土)

今日は午前10時からミーティングで午後はセミナー。05:00から1時間ほどストレッチ。その後風呂でマッサージ。元々体は軟い方じゃない上に年も年なので、体は縮もう縮もうとする。その為、最近はセミナーだけでなく稽古をする場合も結構“下拵え”が必要だ。

07:00から日誌打ち込み。08:30朝食。さすがに今回のセミナー主催者の性格も分かってきたので、逆に少しイライラさせようと遅れて10:00過ぎに出発した。所が敵はその上手を行く。書類のコピーだとか何とか行って、空しく11:00まで待ってやっと現れたなら、今度は自分から言い出したくせに「何をするの?」みたいな顔をしている。それじゃと、ビデオ、DVD でも見せて空道を実感させようと小1時間試みるが、ビデオデッキが悪く映らない。日本でちゃんとPalのデッキで映して行ったのに。小1時間掛けてやっと映ったがテープが悪いとほざく。

昼になり、中華を食べようと聞くが近くにはないとの返事。どうせ当てにならないので、周辺の人から聞くと歩いて30分位の所にあるという。午後もこの調子だろうからと時間を掛けてゆっくりとした昼食をとった。3時過ぎに戻ったなら50数人いたが、ほとんどが他団体の子供。今まで数10回セミナーをしているがこんなことは初めてだ!!止めようかと思ったが、5,6人の生徒は真剣な面持ちで指導を待っているし、これが何かのきっかけになるかもと、小1時間教えた。

本人はそれまでの不始末から何かを感じたのか、体調が悪いとか次に場所まで運転しなくちゃならないからと、全く着替えようとしなかった。しかし、こっちは弟子に罪はないと丁寧に教えるのを見て安心したか、終わり間際になって、やっと偉そうに出て来た。その場で洗礼をしてやってもよかったのだが、真面目そうな弟子の手前、我慢した。調子に乗って、稽古終了後、2人で写真を撮ってほしいなどというのを無視しホテルに戻る。

「次のフェズという町に期待するしかないな」とホテルで出発の車を待つが、約束の17:00になってもこない!「これは又、18:00かな」などとフザケながらも念のために、昨日運転してくれたドライバーに電話して「こっちに向かっているのか?」と聞くと「いや今日は運転することになっていない」との返事。そのうち本当に18:00になっても来ないので「どうなっているんだ?」と怒気を含んで電話すると、「アハメドが掴まらない」などと来た!!彼との電話の話を言ったなら「それじゃ23:00の電車で行こう」などと言い出す。
怒鳴りつけたいのを我慢して、とにかくホテルに来いと呼んだ。30分後に来たのはいいが、「当てにしていたアハメドが云々」などとこの期に及んでもなお、あれこれ言い訳をする。さすがに“人格者”の私も、腰を浮かせかけたが、(一人ならその時点でスタート(?)していたろうが)同行者がいるし、ここは敵地だ。こんなやつの事だ何を思い付くか分からない。グッと堪えて「いい加減にしろ!すぐにレンタカーでも借りろ」と睨み付けたなら(「目で殴っていた」とは最高師範の言)飛び上がるようにして弟子と共に慌てて出ていった。「誰か(人質に(笑)置けばよかった)とも思ったが「あそこまで恐縮しているんだから、今度こそは」と思ったのは、まだまだ甘いということか(笑) さらに又1時間が過ぎる。

これは相手にする人間じゃないと、自分達でタクシーをチャーターし宿を出ようとすると、今度は「支払いがまだで、彼は明日払うといっているが信用できないので帰せない」となった。同行した事務局長は「世の中にはこんな人もいるのねー」と呆れて口も利かなくなったし、温厚な藤松でさえ「もうあんなのを相手にセミナーなんかしたくないです!フェズに行っても同じじゃないでしょうか?」と来た。第一、もう主催者がいないんだから次に予定しているフェズもないでしょう。直接、カサブランカに帰っては?というのも一理ある。しかしだ!
その気持ちは2人以上に分かるが、「大道塾は本部や地区本部だけではなく、支部からの運営費もあって活動している。」確かにその土地その土地の人間に値踏みされるような一面もあり、常にベストの自分を見せなければならない、心身ともに消耗することが多いのが「海外遠征」だ。だが一方、自分の好きな道で選ばれ、胸を張って海外に送り出されるという晴れがましさ、派手さもある。
そんな時、遠征に多大な時間と経費を掛けて「海外に行って来ましたが、騙されました」では、理由はどうあれ単なる物見遊山になってしまう。何らかの成果を挙げて帰らなければ、送ってくれた支部・道場・同好会のみんなに申し訳がない。俺はいつでもそういうつもりで行動しているんだ」と講釈し、「とにかく明日まで待とう」と又1泊することにした。

それでも救いだったのは、この一連の遣り取りを見ていた昨日の弟子の何人かが、この自分たちの“センセイ”の信じられない言動に本当に申し訳なさそうに色々と気を配ってくれたことだ。学生のサミーは明日試験があるというのに、センセイとホテルの間に入って遅くまで掛け合って、何とか明日までに自分達で支払うことを納得させてくれた。
そのサミーが、「フェズの師範は良い人だから」というのでというので、とにかく行くだけ行って、同じようならそのままセミナーなしでカザに向かおうとなった。

第四日目 6月5日(日)

対岸はポルトガルで「リスボンまで30分」というフェリーも出向している、アフリカ最南端のこの町は観光地でもあり土曜ともなると余計にうるさい。一晩中若者のこえが響き渡っていた。06:00頃に起きて日誌と朝食を済ませ、08:30に出発。(結局はというか案の定と言うか、本人は現れず、弟子がせめて半分となけなしの金を払いそうだったから可哀相になり、こちら側が払うしかなかったが・・・。)

昨日から後部座席に3人で合計10数時間、しかも目的地の人間や状況にも確信がなく半信半疑で乗っているので、腰が痛くなってきた(泣)4時間掛け12:30、やっと会う約束のフェズのスーパーに到着したが誰もいない!!2人はやっぱり!見たいな顔をしているが、ここまで来たなら「毒を喰らわば皿までも」だ!住所を頼りにあっちこっちウロウロし道場を探す。やっと探したならここも2,3人が道場にいるだけだった。
話を聞くと、8ヶ月も掛けてさまざまな準備をし、町の偉いさんも集めて歓迎パーティーまで用意していたのに、昨夜は来られないと聞いてみんなガッカリした。それでも諦めきれないで、今朝も50人ほど集まっていたが、件の“ペテン師”から電話があって「セミナーはない」と言われたので、もう解散したとの事。それまでがそれまでだっただけに、本当かよ?と疑ったが、刺すような日射しを避けて近くの床屋の中で待っていた最高師範も、同じ事をその床屋の主人からから聞いたそうだし、その後わざわざ我々をホテルまで連れて行って証明した。
タンジェでの話をしても、仲間だろうからなんか言い訳をするかと思ったが、それほど深い付き合いではなく、それはひどいと呆れていた。昨日の男と比べると、余計に引き立つのかもしれないが、このメヒデ・マヒデはタンジェの若い弟子が言っていたように、非常に温厚で誠実そう。それでも急に空道連盟加盟などという話まではどうかと思って、一応世界大会の参加を振ると大いに興味を示した。

しかもそれだけではなく、「空道連盟加盟の話も聞きたいから是非泊まって行ってください」とまでなった。しかし今日中にカザに帰らないと明日早朝、先に出発しパリでの我々の受け入れ準備をする土田が大変なので、4時頃までと時間を区切って話した。結局、「今度は隣のアルジェリアやチュニジアなどにも声を掛けるから」と、8月に再度セミナーをする約束までさせられた。5時過ぎに出発し、又も5時間掛けて10:30カザ到着。

 11:00せめて食事だけでもと、インターコンチネンタルホテルの日本レストランへ。やっとたどり着いた町での、水みたいな酒や果物とアイスクリームを混ぜた想像を絶する鉄板焼き!!「大道無門だな」とふざけると、藤松などは「いや、これには道がないんじゃないでしょうか?」などと憤慨する。
しかし今ではすっかり定番になった、カルフォルニアロールなどもそうだが、新しいものは既成概念に囚われない、様々な(無鉄砲な?) 試行錯誤があり、それらが、多くの人達の容赦のない取捨選択を経て、生き残ったものが新しい常識となっている。実験台にされる方は堪らないが(笑)。確かにそういうものに見向きもしないで伝統的なものにだけ価値を見出すというのもひとつの選択肢ではあるが・・・。

第五日目 6月6日(月)

06:00起床。トレーニングしたいが施設がない。仕方ないのでPCに向かう。08:00朝食。08:30やっと、最後の最後で4時間ほど時間が取れたので、観光となった。
泊まったホテルから歩いても10分というところに,センチュリーファイアットホテルがある。その1階には、兼ねてアフリカに行く機会があったなら必ずと思っていた、往年のハンフリーボガードと、イングリッド・バーグマンが演じた悲恋の名画(?典型的過ぎてありきたり、との評価もあるが--笑)「カサブランカ」の舞台となった“リックバー”があるはずとズンズン進む。
所が勇んで突入した目に映ったのは!「工事中」の看板と、テント。ガッカリして、腹立ち紛れに超豪華なトイレに入り(?) ロビーで暫くお茶を飲んでいた。しかし、やはり諦めきれないので、ボーイに何とか中を見られないかと頼んだなら、意外とアッサリ「良いですよ、どうぞ、こちらへ」と先頭に立ってぐるっと回って案内してくれた!その上、ピアノ(蓋をしたまま--笑)を弾く振りをしての写真まで撮ってくれた。訳を聞くと、ファンの高齢化で、集客効果が下がって来たため、あと2週間で壊され、新たなテーマのレストランに生まれ変わるのだとか。(ということは1ヵ月後の“今”はもう壊されてしまった!!)
封切りが1942年だから自分もまだ生まれておらず、リアルタイムで好きになったわけではないが、なんかの機会にテレビかビデオで見て、私が好きな2大映画、「ローマの休日」--王女との良い思い出のために超特ダネを捨てる新聞記者(グレゴリー・ペック)と「アラモ」--負けを承知でアラモ砦に残る義勇軍(中でも、主役のジョン・ウェインより脇役のリチャード・ウィドマーク)のヒーロー像に通じる生き方が気に入ったからだった。

そのファイアットの向かいには、ファイアットの高級感とは天地の差があるが、逆にそのゴタゴタが魅力のメディナ(古くから続く市場)に入った。メディナとは、アラビア語で「預言者の町」という意味を持ち、モロッコの町は旧市街メディナと、新しい市街地に分かれている。城壁に囲まれたメディナは、ラビリンスと称されるように、人がやっとすれ違えるくらいの狭い路地が走っていて、スーク(商店街)やみやげ物のお店、住居などが所狭しと詰まっている。メディナはもっともモロッコらしい魅惑の世界を見せてくれる観光名所です。――以上ガイドブックより抜粋) 2,3軒冷やかしをするが、時間もないので、海外出張の楽しみの一つである(笑)得意のバーゲニング(値引き交渉)は出来なかった。その後、20世紀最高の建築物とガイドブックに書いてあった、ハッサン2世モスクを見て。11:30空港へ。

色々振り回され一時はどうなることかと思ったモロッコ遠征だが、最後の粘り勝ち(?) とでもいう結末になり、空港レストランでやっと乾杯となった。のは良かったが安心しすぎてゲートが変わったという放送を(フランス語だから余計分からない)聞き逃したらしい。搭乗間際のチケットチェックで分かったのだが、危うくドバイへ送られる所だった(笑) 大急ぎでパリ行きのゲートへ。すでに10数分遅れていたらしくバスで待っていたのは3,4人だった(汗)。
20:35、15分遅れでパリ着。昨年の体力別の時に本部研修をしていたジャメルと、そのあと一人で来て1ヶ月頑張ったファビアン(自称kenpei―憲兵、すなわち軍の警察)が出迎えてくれた。ホテルに向かう途中の競技場の中に、土田の稽古場があるというので立ち寄り、少し稽古風景が見たいと言う藤松を残してホテルへ。ホテル到着後、飢えるようにして日本食レストランを探し焼き鳥、冷奴を肴に無事パリへの脱出成功!を祝って日本酒で乾杯。

実は今回最高師範を伴ったのはアフリカ側が「奥さんも」などと、後で考えれば噴飯ものの“招待”もあったのだが、もう一つはこんな“立派な”私に25年も付き合ってくれたことへの“ゴマ擂り”の意味(これで暫くは文句言わせないぞ!) もあったのだが、実に思い出深い結婚25周年記念となった (笑)

第六日目 6月7日(火)

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今回のモロッコ行きはアフリカ直行便もあったのだが、敢えて時間の掛かるパリ経由にしたのはもう一つの目的があった。それは、ヨーロッパ全域に影響力のあるフランスの格闘技雑誌でのインタビューを通じ「2005北斗旗 第2回世界空道選手権大会」の選手募集や、告知をすることだった。
土田支部長の尽力もあり、本部側から働きかけでコンタクトしていた雑誌の他に、人気の総合格闘技の雑誌「Figfht Sorts」の取材も受けることになった。編集長が今はやりの「総合」の試合にも実際に出ているというので、正直そのような質問をされるのかなと思って行った。所が、本人も柔道(術?) ではフランスの名の通った選手だったらしく、我々の「空道は、社会体育として“武道”に徹したい」との想いを解ってくれ、「実は私もこの雑誌は仕事ではあるが貴方の考えには大いに賛同する。貴方のこれまでの大変だった道程を私がきちんと書きましょう」と、逆にエールを送られ、隣の柔術の道場を借りての撮影会となった。

その後、以前土田支部長がバイトしていた「安兵衛」が昼休みだった為、その隣の、このところ人気のウドンの店「国虎屋」という所で乾杯、乾杯。「雨降って地固まる」じゃないが初めのモロッコが嘘のように物事が運ぶ。みんなで喜び腹ごしらえができたところで、「ジャー、観光しよう」となった。
パリ観光の定番、先ずそのレストランから近場の、そしてつい先日上映されて人気だった「オペラ座の怪人」の舞台となった、「オペラ座」。同じくセーヌ川沿いのこれまた「ノートルダムのセムシ男」で有名な「ノートルダム寺院」、ついで「エッフェル塔」と一回り。
そのうちに夕方になったので一旦ホテルに帰り小休止。20:00より昨年結婚をしたのにまだお祝いをしてやっていない土田支部長のためにフランス支部の幹部たちと一緒にタイレストランで食事会。タイ料理は辛いのが多くてあまり得意ではないが、ここはなかなか上品な店構えもあるのかそれほど辛いとは感じなかった。

第七日目 6月8日(水)

10:00に今回のパリ訪問の目的、空手の報道を中心にし、ヨーロッパ中の武道界に影響力を持つ「Karate Bushido」を訪ねた。この雑誌は年に1回、世界の代表的な20ほどの格闘技や武道を集めて行う、武道の祭典「Bercy(ベルシー、地名)2000年」を主催することでも有名だ。昨年の「Bercy 2004」には大道塾・空道も招待され参加した。その模様がヨーロッパ中のあらゆる有名なスポーツを取り上げ人気のある「Euro Sports」を通じて、ヨーロッパ中に放映された為、10数カ国からのセミナー申し込みがあり(モロッコもそうだったー笑) フランス支部なども一挙に50数人に塾生が増えたほどだ。
ただし、逆にそれだけの重みを持っているからだろう、「大道塾・空道」の理念について、微に入り細を窺がった質問をされた。こうなると私の英語程度では上手く説明できないので持参したDVDをPCで映し、ビデオを提供した。さらに今ではフランス人と結婚し(語学征服の王道!) フランス語がベラベラの土田支部長のお陰で、よく理解して頂けたようで、記事にすることを快諾して貰った。

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これで晴れて今回の遠征の目的を全て果たしたことになる!夜の23:20のフライトまでの間、シャンゼリゼを散策しようとなって、先ず凱旋門まで歩き、地下道を通ったりし、様々な角度から写真撮影。その後その道を戻りながら有名な店の前や、シャンゼリゼ通りでもパチリパチリと、もろに“オノボリサン”
いい加減飽きてきた所で、有名なフーケという店の通りに出ているオープン・カフェで昼食。ココはハリウッドスターや皇族とか、有名人がパリに来たら必ず寄ると言われているレストランで、店内にはサインなどが多数飾られている。日本の『風月堂』の名前の由来はココの名前らしい。(ネット情報)

注文が出てくるまでにひょうきんそうな店員を掴まえて冷やかしで「俺も映画俳優で有名なんだけど、知ってる?」と振ったなら暫く考え込んでいて、「ヤクザ?」と来た!!「この野郎、業界の良心を持って任じている俺に!」と笑ったが、そのままじゃただの冗談で終わるから早速“行商人”精神を発揮し、「空道」という武道を知ってるか?」と追い討ちをかけた所、何と!「知ってるよ、ここによく来るスワット(特殊警察)がやっているマーシャル・アーツだ」と来た!
嘘だろうと、「フランスで空道を名乗るのは皆ウチの弟子だぞ。どういうのが来ているんだ」と言ったなら、これまた呆れた!以前日本に1ヶ月ほど住み込んで稽古し、帰って以来、勝手に支部を名乗ったりするので、出入り禁止にしている人間がいて、確かに警官だといっていたが、当時は「格闘空手」を名乗っていたはずだ。いやはや目敏いというか・・・。

この例に限らず、このところ世界のあちらこちらで私の知らない「格闘空手」や「空道」の道場が出回っている。これまた先日、障害者への武道を研究している宮城県仙台西支部の長田 賢一支部長がスウェーデンに行った時も、大道塾を名乗り、何と堂々とWeb Site(HP) までUPしているとの事。早速見てみたならあった、あった!(編集部注:2005年12月現在該当ホームページ不明のためリンクを解除しました。)しかも勝手に私の写真まで載せている!!! 早速連絡を取ったなら、イラン支部で学んだとの事。
イランは、「第一回世界空道大会」でビザの問題で入国できなかったことが理由なのか、その後3年間、本部から登録やら黒帯の件などを問い合わせても、見当違いな返事を半年遅れくらいで寄越し、それに再送信すると、今度は返信なしといった状態が続いていた。2年前にコノネンコ師範代が「グレートジャーニー」でイランに立ち寄った所、「今この通り、1万2千人会員がいる」と誓約書に肘を突いて豪語したらしい!!1人の本部登録もしていないくせに!!
そんなこんなで海外の商標権も登記完了したので、特許事務所を通じて「商標権の侵害だから支部認可を取り上げる」と通知したなら、慌てて「あなたの忠実なイランの弟子○○○」などとすぐに返信してきた(笑)。ここも早速通知しないと・・・・。

シャンブラ(?笑)も飽きたし昼食も済んだ所で、まだ出発の23:20までは時間がある。とは言っても空港には21:00ころには着きたいので、途中の交通事情や夕方の会食も入れ逆算すると、19:00パリ市内発だ。「あと3時間弱何するか?」と言ったところ藤松が「前回は確か映画を見ました」というのでそれじゃ又そうするかとなって、「スターウォーズ・エピソードV」を見た。全6作のうち、これまでは1,2本しか見てないが、それほど印象に残っていないのでどうかとも思ったが、他は時間的に合わないのでやめた。
今回のジェダイ(銀河帝国を守る騎士団)の英雄、アナキン・スカイウォーカー(第1作からの主人公、ルーク・スカイウォーカーの父)が、妻の苦境を救おうと、銀河帝国の悪の皇帝に服従を誓い、ダース・ベイーダーになる所がアンチヒーロー的で評判になっているらしい。
という訳で今回の遠征、始めは遠征暦10数年で始めてと言って良いほどのペテン師に捕まり、どうなることかと思ったが、別な希望者が出現し拡大セミナーを決定し、マスコミへのアピールも出来、終わりは様々な成果を上がることが出来、塾生のみんなにも何とか成果を報告出る。2枚腰、3枚腰の粘り勝ちと言って良いだろう。

世界大会の参加選手は、@前年度の2大会と、A今年の体力別の戦績、Bそしてその間の合宿への参加状況などを加味して、総合的に決定される。今年の体力別大会でベスト4に入ったからといって確定ではないことは何度も公表しているから周知のことと思う。確定したのは半分ほどだが、まだ確定していない候補選手も、この調子で最後まで努力を続けて参加の切符を手にして欲しいものだ。途中にどんな障害、困難があろうと、「最後に笑うものが最もよく笑う」のだから。

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