第9回武術世界大会参加報告 11月11-16日

東孝

 11-13日 | 14-16日 | 画像 

11日(日)

07:20池袋サンシャイン発 8:20成田着 10:25 搭乗 10:45離陸 14:30(時差-1時間だから3時間半で)北京着。空港には中国に来るたびに世話を焼いてくれる、「中国散打の伝説の強者」(東京散手倶楽部の木本泰司代表氏談)、杜春煌(としゅんこう)が迎えに来てくれていた。それにしてもこのスモッグの凄さよ!!杜春煌(としゅんこう)の運転する車で市内に向かうにつれ、のどが痛くなり、目がショボショボし始める。聞きしに勝る凄さだ。3年前より確実に悪くなっている。20年前の日本の大都市がこうだったが、それでも室内ならまだしも、こんな中でマラソンなどをした日には選手がバタバタなどということにもなりかねないのでは・・・・。

15:30ホテル着 村上(智章 中四国本部長)と会う。夏の予選(参考記事※1)同様、平安が出るというので同行してくれたのだ。16:00、散手倶楽部大阪のマネージャー兼コーチ的な田村卓也君が組み合わせを持ち帰り、概観。結構厳しいブロックに入っている。

この大会は2008年北京五輪期間中に五輪センター体育館にて開催される「北京武術(英語、及び中国発音はWushウーシュ)大会」を構成する二つ部門の一つ「型部門 (套路 トウロ)」と両輪をなす、「組手(実際の打ち合い)部門 (中国語では散手=散打) 」の試合への、各国代表を決める「第9回世界武術選手権大会」である。(昔でいうと、公開競技だが、今はそう言わない)

私は東京散手倶楽部の木本泰司代表から、「是非、散打の選手を日本からも出したいがそれ以上に、私も散打を単なる格闘技にはしたくない。やはり青少年教育や社会人の健康増進のための競技と考えているので、ついてはアマチュア活動を主とし、プロにも匹敵するレベルを持ちながらも公的競技を志向している空道、大道塾にご協力をお願い致したい。」との申し出に、選手も「オリンピックと同じような大会で開催される競技なら参加して実力を試したい」と言う希望があったので 、後見役といった形(公的には監察役)で参加している。

参加選手は、去る7月に中国北京で行われた日本側の対中国練習試合での内容で選ばれた3人。(参考記事※1)大道塾の笹沢一有(67kg級48人参加・・最低3試合勝利)、平安孝行(57kg級32人参加・・最低3試合勝利)、東京散手倶楽部の秦文也(52kg級6人参加)の3選手である。

参考記事※1 2007年遠征レポート「散打交流試合レポート」村上智章

この世界大会に出ている総数(約1000??)の内、套路(トウロ)から80名、散打から40名の合計120名が「北京武術大会」に出場でき、散打40名の内訳は女子2階級と、男子3階級、で各階級8名(×5階級=40)ということだそうだ。日本の「武術太極拳協会」(世界は「武術協会」という名称)の参加判定基準としては、「型部門(套路)との合計参加人数の制限(8名)もあり、メダルの可能性の少ない選手は套路(トウロ)にせよ散打(サンダ)にせよ参加を認めないという方針で、散打からの出場資格はベスト8と言われている。何にせよ、一つでも勝ち進むに越したことはない。

昨日11日は午前中から一日かけて計量。夕方17時集合で17:40バスでホテル発、20分移動して18:00体育館。19:30まで待機してから22:00まで開会式だったが、入場行進、役員挨拶(ここまでで21:00)以降の表演(演舞)見学は自由なのでタクシーで21:30にホテルに戻って夕食。と思ったが、なんと夕食は16:00〜18:00との事でもうレストランは閉まっていた!!いったい誰がこんなスケジュールで夕飯を食べられたのだろうか?大陸的な余りに大陸的な・・・カオスである。

仕方がないので、散手クラブの木本泰司代表、田村君、秦(文也)君の3人と、村上智章、平安孝行の6人で近くのレストランにて食事。チャーハンの米が硬いからよく噛めよと言ったが、減量苦から逃れた秦、平安の二人は実に幸せそうな顔をして食べている(案の定次の日は腹の調子がなどと言っていた)。体調が今一という笹沢は開会式もスキップさせて休ませていたから、「飯はどうした」と電話で聞いたなら「済みました」と言うことで来なかった。前回の失敗(参考記事※2)が良い勉強になっているようだ(笑)

参考記事※2 ハノイで開催された散打世界大会の際、笹沢選手を含む日本人選手3名が食あたりに罹る。
   (2005年ベトナム遠征レポート参照)

>12日(月)

今日からの試合だが、10:00開始の試合に6:30ホテル発のバス。今日試合がない秦君と夜の試合の平安は早く試合が見たというのでそれに乗る。午後からの試合の笹沢は「それじゃーいくら何でも早過ぎるので、もう少し遅く行けないでしょうか?」というから早すぎると7:40にタクシーで行ったなら昨日はバスで20分だった体育館までが、朝の渋滞で小1時間掛かり、8:40体育館着。チョッとヒヤリ。笹沢は3人一ブロックで16ブロック≒48人の一番厳しいクラス、しかも1試合して勝った方がシード選手と戦う、言わば“逆シード”だった。ところが、午前中最後の試合予定だった笹沢の1回戦は相手選手の棄権による不戦勝となり、無傷で1勝という幸先の良いスタートを切った。

後で聞いたが、この対戦相手も渋滞に巻き込まれたものか、田村君から聞いた話では、控え室でガックリ肩を落としてコーチやらトレーナーなどが済まないという感じでうな垂れていたそうだ。それはそうだ,長い練習の後、やっと手にした国の代表となり、手間隙かけて北京まで来て「時間に間に合わなかったから失格!」では泣くに泣けない。可哀想に・・・・。「もって他山の石」としなければ。

平安はこれから8時間後(!)の夜9時半ころ(!)に北朝鮮の選手と対戦。「2面でやればもっと効率よくやれるのになー」と思いながらも、大らかというか、羨ましいくらいに暇、いや、今はやりでいえば“スローライフ”だねー。

「空道」にしろ、「大道塾」にしろ、中国の故事、諺、名言から引いているのに、ここの所の日中関係(排日運動、反日教育)が、余り物事を詰めないいい加減なこの俺にも多少は影響して、中国への見方が少し厳しくなってるのかな???それじゃー“大道無門”じゃないな、自戒、自戒。

13日(火)

12時間後の今、13日午前1時30分、ホテルに戻りこれを書いている。夜の9時過ぎに始まった平安の試合。結果は残念だが判定負けだった!!散打は基本的に相撲的な判定で、相手を四角の試合場(雷台)から出すのが最もポイントが高く(3ポイント)、次いで投げがパンチでのダウンと同じ(!)2ポイント。相手の北朝鮮戦の選手は、パンチや蹴りは今ひとつだったが、投げへの対応力は半端ではなく、 平安、一度はパンチでダウンを奪うも、平安も投げは空道の選手として「組み技」はしていると言う自負があるからだろう、相手がパンチでは分が悪いと見て組み技にくるのに付き合ったり、自分から投げ(主にタックルだが)に行ったりする。ところが平安がしている「組技」は主として「寝技」である。

ここをよくウチの選手も勘違いするのだが、同じ「組み技」とはいっても「投げ技」と、「寝技」ではまったく違う。片や「立つ」という前提で応酬される「バランスを崩す立体での競技」であり、片や始めからその前提なしに始まる「平面での競技」である。だから前者では体格差=立体差がその優位不利を大きく左右するし、後者は始めからその前提が大きく小さいから、技の比重が高まり、立ち技に比べ、比較的小柄な者でも大きなものを相手に出来る。

私も苦い経験がある。立ち技がカッコイイと思い始めた柔道だから、ウチの高校は両方満遍なく(普通で3時間の練習で半分が寝技)しごかれた。しかしそもそもが喧嘩三昧をした子供時代の延長で嵌(はま)った柔道だから、投げられれはクソーとムキになったが寝技で取られても、「これは(喧嘩に)関係ない」という感じで本気にはなれなかった。私の高校当時、昭和30年代、倒れた人間を上から殴るなどという喧嘩は完全に不良かヤクザのそれで、「一般社会に本籍をおく人間(笑)」の発想ではなかった。(始めてバーリトゥードー(何でもあり)を見たときも、金網での試合だったし、「あ、これはマフィア(日本ではヤクザ)の発想だ」ととっさに思った)

寝技はムキになってはいなかったが、それでも大概の試合では寝技でも勝っていたからそれなりの自信はあった。そんな時県下の有名柔道高校との試合で寝技が得意だという選手と当たった。その相手なら立ち技では絶対の自信があったが、組んだ瞬間に「投げれるな」とは思ったが、相手が引き込んで来た時「よーし、寝技が得だというならそれで遣ってやろうじゃないか!」とこの悪い虫が動き始めてしまった。ところが彼は寝技を専門(?)に練習してきた選手で、抑えられたなら動けば動くほど決まってしまい、とうとう負けてしまった。「投げで遣ればよかった!」と思っても後の祭りだった。閑話休題。

散打は打撃3,4割にあとは組み技である。それほど投げを練っている選手に、同じく組み技ならと投げ技で対抗するのは無理である。ウチの選手でも投げ技が上手いのは、中学や高校(大学)で柔道やレスリングなどを経験してきている選手である。経験がない選手が経験のない選手を投げることは可能だが、それなりの経験(3年以上))ある選手を投げるのは極めてまれである。空道を始めてから投げを練習する選手はそこを前提にして相手を見て戦法を使い分けなければならない。

平安、そんな試合展開で打撃では勝っているのに、度々投げられたり場外に出たりしている内に、そんな気持ちにれに囚われ始まったのがみえたから、1ラウンド途中から2階席からセコンドに付いた笹沢に「パンチだけで勝負させろ!組むなと言え!」と怒鳴ったり、インターバルでは直接平安にも言ったが、時既に遅しで、投げられて自分の攻撃パターンになれないから興奮し耳には入っても、もう攻撃パターンは変えられない。流れは向こうに行ってしまい戻らず、ポイント負けで敗退してしまった。

試合前、木本氏に「一人は選手同士なので笹沢選手がするそうですが、東先生付いて頂けますか?」と言われたのだが、平安も特にそんなことは言って来なかったので「いや、いつも見ている村上の方が気心が知れて、俺が付くより緊張しなくても良いと思うよ」と2階観戦にしたのだが、やはり付いてやれば良かったか・・・。

私はこの仕事(?)に付いてから約35年間、春秋の予選や各種大会、北斗旗本戦など等、良い試合詰まらない試合(笑)を含めて、年間約7〜800試合を見るから合計すると、約30,000!!前後の試合を見ている計算になる!!! これだけ見ていれば、大体の試合は30秒ほど見ると大まかな展開は分かる。(だから世界大会などで日本選手の試合などを見ていると、「何であそこを攻め(させ)ないんだ、この!!こういう戦法を取れば良いじゃネーか、まったく!!」と胃が痛くなることが度々だ(笑)最も、外国側からも「センセイは我々みんなの先生ですからね」と釘を刺されるので審判長席では何も出来ない。

平安も実力的には確実に勝てたのに、もったいない試合をした。「先生申し訳ありませんでした」とガックリした平安を見ると、対外試合に限っては(勿論、選手が望むならだが)「俺がセコンドをするのかよ!」といった体裁を言っている場合じゃないな」と反省させられた。夜中の10時過ぎに試合が終わって宿舎に戻り、それからまだ開いている周辺のレストランを見つけて食事。午前1:30ホテル着。あと8時間後には笹沢の試合だ。

◆当レポートは「北京 第9回世界武術選手権大会レポート1」として2007.11.12に掲載された内容を加筆訂正したものです

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