「第9回世界武術選手権大会」随行記

村上智章(中四国本部)

 10-12日 | 13-15日 | 16-18日 

この度、村上は、「2008年北京武術トーナメント」の選抜競技大会となる「第9回世界武術選手権大会」選手団にスタッフの一員として随行いたしました。すでに塾長による「第9回武術世界大会参加報告」がHPにおいて公開されており、大会の大要は周知されていると思いますが、一スタッフの目から今大会を見た随行記としてご笑覧いただければということで、筆(ワープロ?)を取りました。

11月10日

広島駅新幹線ホームにて、7月の散打初体験を経て世界大会にチャレンジする平安孝行選手と待ち合わせ。平安選手は計量後の体力増強を目的に前日購入した段ボール2箱分の食料を携え登場。中四国の仲間が見送る中、必勝を期して広島発9時29分の「のぞみ」にて出発、新大阪へと向かう。新大阪では、以前中四国本部に所属し、現在関西で稽古中の江本さんが待機、江本さんの車で大阪国際空港へ。

関西国際空港にて、散打日本選手団の大阪出発組である東京武術散手倶楽部の田村先生、秦選手と合流、あらためて必勝を期す。今回、平安選手は、56s級に挑戦、かなり過酷な減量であったが、直前に最後の減量にチャレンジし計量をクリアするという戦略。計算通りに減量が進んでいるということで本人は至って落ち着いているのだが、万一、体重オーバーで失格ということにでもなれば泣くに泣けないというのがこちらの気持ち。空港での待ち時間、食事にあたって最低限のカロリー、水分(豚カツの衣をはいだ赤身部分一切れ、水コップ三分の一程度)を平安が摂取する時でも、「あまり食べるなよ」と嫌な顔をしている自分がわかる。つらいのは本人とわかってはいるがカロリー、水分摂取にはこちらのほうがナーバスになる。

日本時間14:00発の北京行きに搭乗、北京時間16:00現地着(当然機内食は限定摂取)。空港で先に到着したはずの笹沢選手を捜すが、見当たらず。学生ボランティアであろう中国人スタッフの案内で宿泊場所となる「燕翔酒店」へ。そこで笹沢選手と合流、宿泊費その他の支払いを済ませる。

ホテルの従業員から、日本選手団への伝言ということで電話番号を書いたメモ用紙を渡され、その番号に電話すると、套路(トウロ 徒手・武器の武術型部門)日本選手団の指導に当たっていらっしゃる孫先生が電話口に。「何かお困りのことがありましたら是非お申し出下さい。石原先生もこちらにいらっしゃいます。ご足労ですがこちらにきていただけませんか」とのこと。
套路の日本選手団は「森根大酒店」に宿泊、石原先生とは、日本武術太極拳連盟の石原理事、ごあいさつをかねてタクシーで訪問することに。ホテルに着いて、ルームに電話するとすぐに孫先生が出迎えてくださり、「これは会場入場、試合出場に不可欠なものですから、なくさないようにお願いします」と日本選手、スタッフのIDカードをいただく。石原先生は会議その他でご多用な様子。合間を見計らって、ごあいさつ。「がんばってくださいよ」と散打選手団への激励の言葉をいただく。また、套路選手団の世話役をなさっている及川先生からも「期待しています」とあたたかい言葉。

ホテルへ帰ると選手団は部屋でトレーニング、体重チェックに余念がない。平安、笹沢両選手とも一応予定通り減量は進んでいるようだが、こればかりは最後まで油断できない。食事・水分制限はつらそうだが仕方がない。1日でも減量につきあうかと思ったが、スタッフも体力勝負ということで、選手とは別にホテルのレストランで食事をとる。ホテルの食事は中華料理と洋風料理が並んだバイキング形式。アウェイで食事が口に合わないと大変ということで、日本からかなり食料を持ってきたが、これなら大丈夫。
夜半に東京武術散手倶楽部会長の木本先生が到着。選手と顔合わせ。規定体重にはまだ達していないが、明日未明から最後の減量メニューをこなしてクリアするということで早めに就寝。

11月11日

未明、4時くらいからウェイト最終調整。室内シャドーをこなすがなかなか規定体重に到達しない様子。今回出場する階級は平安が56s級、笹沢が70s級、北斗旗のパンフレットを見ればわかるが、両者とも、10s近い減量。なかなか体重が落ちないということで屋外へ。早朝は車の往来もほとんどない。ホテル前の遊歩道で平安、ミットの特打ち。北京の早朝、暖冬とはいえさすがに寒い。20〜30分も打ったであろうか、汗をかくには至らないが、かなり息も上がったということで室内へ。だが規定体重にはまだ届かない。なりふり構わず、暖房を効かせた室内でミット、シャドーをこなす。と、それまでの運動で汗腺が開いたか、おびただしい発汗。数度体重計にのるうちに、規定体重をクリア。一方の笹沢もクリア。7時からの計量に遅れないようにと早めにバスで出発。

会場到着。計量は、7時から8時の間、1回目の計量でパスできなかった場合、1時間以内の再計量を認めるというもの。その後にトーナメント組み合わせを決める抽選会が行われるという予定。各階級のグループが、順番に計量を行うのだが、選手数が多いためか、なかなか進まない。

そうこうするうちに、「トーナメント抽選会を行いますので、コーチの方はお集まりください」とのアナウンス。しかたなく、選手を残し、私と田村先生とが抽選会場へ。くじを引く大役は私が担当することになっていた。組み合わせの良否というのも勝敗の重要な要素。気合いを入れて待っていると、今度は、「隣室で必要書類の提出をお願いします。」とのこと。今回、私に課せられていた第一の役割は大会参加の受付を着実に済ませる、大会組織委員会に選手の「責任証明書」・「健康診断書」・「保険証」その他の書類を提出するというもの。入国直後に手続きがあるということだったが、それらしき機会はなく、中国人スタッフに聞いてもなかなか要領を得ない。「もしやこちらが気づかぬうちに手続きが終わっているのでは。」と少々あせっていたところだったので、少し安心。書類管理は私が行っており、取りに帰らなければならず、抽選は田村先生に任せるということに。

書類提出を済ませたのちに、「国歌」の確認。「君が代」のメロディはこれで大丈夫かと中国人スタッフよりテープを聴かされる。「会場でこれが流れればなあ」と思いつつ試聴、「OK」の返事。抽選も終わり、一回戦平安の相手は北朝鮮、笹沢の相手はトルコといずれも強敵。計量会場に戻ると平安、笹沢、秦の三選手ともに余裕を持って規定体重をクリアしたとのこと。ホテルに戻って休息、午前中は日本から持参のお粥、ご飯をよくかんで食べるなど、胃腸に負担をかけぬよう軽い食事を心がけて欲しいとアドバイスしたが、ずっと監視していたわけではない。

昼は三々五々レストランに集まり、皆で気兼ねなく食事。そうこうするうちに塾長到着。計量をクリアしたこと、トーナメントの組み合わせ、今後の予定などを報告。選手はランニングしたり、休息をとったり。夕刻から会場へ向かい、開会式へ。ホテルに帰り、近くの料理店で食事、本場の水餃子をたんのう。就寝。

11月12日

試合当日、先発部隊は6:30のバスで会場に向かう。試合進行は、軽量級から重量級といった順番ではなく、どうやら選手数の多い階級から早めに済ませるように組まれているらしい。
試合予定は、前日の夕方以降に発表されるが、終了時間が遅れれば当然予定の決定も遅れる。笹沢は12日午前の最終試合、ホテルで休息、調整をしベストコンディションで臨みたいということであえてタクシーで会場に向かうこととなった。

散打の試合形式は2分3ラウンドで間に1分の休憩をはさむというもの。単純計算で1試合8分ということになるが、散打はラウンドごとに勝敗を決定、2ラウンドをとれば試合勝利になるので、一方が第1、第2ラウンド連続で取れば、3ラウンドを待たずに決着することになる。2ラウンド決着が多いのだろうか、意外に進行が早い。

入場手続きを見ていると、4〜5試合前くらいから練習会場で選手の呼び出しがあり、IDカードとパスポートの提出による選手確認。そして2〜3試合前から会場に案内される様子。まだ来ないかとやきもきしているうちに、係員が「ジャパン」と、選手の呼び出しを始める。これはやばいと、木本先生が受付に張り付き、私が入口で笹沢到着をひたすら待つ。が、なかなかこない。木本先生と協議、「遅刻による失格では、国内的にも申し訳が立たず、主宰者側にも迷惑がかかる。どうしても間に合わないのであれば、こちらから棄権を申し出ましょう。」ということに。2試合前の試合が始まったらタイムリミットということで、試合場に行き、観戦というより進行チェック。

試合が進み、リミットが刻々近づく。「これは嫌な役回りだな。」と棄権申し出の覚悟を固めながら、ふっと横を見ると、笹沢と一緒に行動しているはずの塾長が熱心に試合観戦。「いついらっしゃったのですか。」とお聞きすると20分位前についたが、練習場がわからず、ついさっき、笹沢も練習場に入ったとのこと。急いで練習場に戻ると、無事手続きを終え、アップに余念ない笹沢の姿があり一安心。

試合が進みいよいよ本番かと思っていると、何やら受付が騒がしい。どうも笹沢の相手になるはずのトルコ選手が到着していないようだ。そうこうしているうちにタイムアップ、トルコ選手失格、笹沢不戦勝という結果になった。結局、笹沢到着までのあたふたは取り越し苦労に終わり、幸運な結末となったが、試合進行、交通事情と先が読めないアウェイでは、早め早めの移動が吉ということであろう。

さて、夜にはいよいよ平安の試合。前日、練習場で北朝鮮選手の動きを見、必勝の信念に燃えながら、余裕を持って練習場に入り、アップ。時間が進み、こちらは手続きを終えるが北朝鮮選手はなかなか来ない。こちらをじらす作戦かなと思いながら待っていると、すれすれで選手団到着。他の場所でアップはすませたのか、それほど体を動かすことなく試合会場へ。今回平安のセコンドには、笹沢と私がついた。

試合開始、平安の動きは軽快、打撃では明らかに優位、だが、組んでみると北朝鮮選手の腰は重い。組み技でなかなかポイントを取れず、むしろ取られる場面が多い。しかし、後半、見事なフックでダウンを奪い、ポイントをかせぐ。そうこうするうちに試合終了。打撃でのポイントはあるが、組み技でポイントを取られたことが響き、1ラウンド目は北朝鮮に取られる。

が、後半の打撃によるポイント奪取があがり調子に思え、マッサージをしながら平安には「相手は追い込まれてきている。がんばれ。」と声をかける。うしろからは塾長の「パンチだ。パンチ。組み技につきあうな。」の声。そうこうするうちに2ラウンド。
1ラウンド終了当初は、ポイント負けでいささか呆然としていた平安も、まなじりを決し雷台上へ。試合開始。が、どうしても組み技になるとポイントを取れず、押し出しもくらう。非情に時間は過ぎ、試合終了。2ラウンド先取により、北朝鮮選手勝利という結果になった。

組み技にこだわりすぎたのが敗因といってしまえばそれまでだが、今回の散打、ポイントをかせぐには組み技重視というのが平安、私の共通認識。そのために研鑽も積み、一応の自信を持って試合に臨んだが相手も一国の代表、なかなか思うようにはいかない。そこで逆転を狙ってさらにポイント稼ぎ=組み技に向かってしまい、敗北という結果になってしまった。1ラウンド、打撃で立派にポイントを取ったのだから、今にして思えば、塾長のアドバイス通り、打撃に特化すれば十分勝機があったのであろうが、その時はそこまで思い至らなかった。セコンドとして平安にも悪いことをした。

審判団が北朝鮮2ラウンド勝利を告げ、(もう試合は決まっているのだが)雷台上での判定へ。
ここで散打の礼法を簡単に述べると、試合開始、雷台に上がるときに周囲(観客)に対し、右拳を左の掌で包み、胸の前に置く武術式の礼を行い、試合開始時に相手コーチに礼、コーチも礼を返す。そして選手が互いに礼を行い、試合開始。判定時には、選手は相互に位置を交換、つまり相手側に立ち、判定を待つ。判定終了後、選手互いに礼、主審に礼、そして相手コーチに礼を行い退場という流れ。北朝鮮勝利の判定、選手互いに礼のあと、それぞれ相手コーチ(セコンド)の所まで来て礼、こちらも礼を返す。平安も相手コーチに礼を済ませ、こちらに戻り、もう一度北朝鮮選手団と雷台ごしに礼の交歓。

平安「すいませんでした」に「立派な試合だった」と一言、こういうときに気のきいたことがいえない自分を何だかなーと思う。試合結果に言葉少なく、早々にホテルに帰る。二人だけになったとき、あらためて平安、試合出場への感謝の言葉、試合までの苦心をこちらも承知しているから、グッとくるものがあったが、「日本選手団として戦いはまだ終わっていない。くやしいと思うが今回の敗北はきれいに忘れて(忘れられるわけはないが)、日本選手団の一員としてがんばってほしい」と述べると「わかりました」との返事。夜遅く、ホテルのレストランはすでに閉まっているということで外出して日本レストランへ。敗北を引きずっていいことはない。さすがに皆勝負師、気持ちを切り替えて楽しい語らいの場に。明日は、秦選手、笹沢選手の試合ということで、早めに切り上げ、就寝。

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