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コロンビア奮戦記
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7月20日

今朝、カイセド支部長はアルメニア市に寄ってセミナーの宣伝してからカリに帰ると言って別れ、自分はボゴタへ向かいました。
ホテルに昨日のセミナーの参加者・セサルさん(オスカルさんの同輩・指導者)が来てくれて空港まで送ってくれました。
かなり早めに空港に着きましたが、搭乗者のチェックインが全て終了したとの事で予定よりも1時間20分も早く出発しました!(こんな事があるんですね!)
ほとんど待たずに出発でしたのでラッキーでした。飛行機は40人乗り位のプロペラ機でかなり揺れました(怖かったです)。
無事ボゴタ空港に到着しましたが、うっかり4000ペソ(日本円で約270円位)しか持ってませんでした(汗)。
桁が多いとまだ大丈夫のような錯覚がします。慌てて両替所で換金してからタクシーに乗ってホテルを探しました。
在コロンビア・ブラジル総領事館の近くの(タクシーの運転手いわく)ホテルに宿泊です。

今日はコロンビアの独立記念日。どこもかしこも人だらけです。
マニサレス空港に向かう途中も、ボゴタのホテルに向かう途中も沢山の人が、国に対しての感謝や愛情表現のメッセージ(コロンビアが私!)(コロンビアが私達の全て)の入ったTシャツを着て、コロンビアの国旗を掲げ歩いています。
通り過ぎる車のミラーやアンテナ部分にも国旗が装飾され、住宅のベランダや建物のいたる所に国旗が掲げてあります。
大通りでは喜びと感謝の意を表したデモ行進が行われ、全員顔が嬉しそうです。
ニュースでもカリの状況が中継されていましたが同様に凄い賑わいです。
日本人の自分の目にはとても珍しく、そして羨ましくも映りました。
右翼的思想ではありませんが(個人的には近いかもしれません)現在自分の住んでいる国に対してのリスペクトが今の日本には物凄く足りない気がします。
他国に比べ経済・環境の良さ(個人差はありますが)が今の日本の大事な何かを失わせてる気がしてなりませんでした。
この光景を目の当たりにしているからこそ強く感じるのかもしれません。

コロンビアに来てから丁度1ヶ月…、偶然この日を首都のボゴタで過ごすというのも妙な縁です。
ホテルの従業員と少し会話しましたが「先人が命を賭けてくれたからこそ今のコロンビアがある。」と誇りげに言っていました。
「日本もこうなのか?」と聞かれ少々言葉に詰まりました…。何か自分の中でも忘れてしまっている事を気付かせてくれた1日でした。

――――と体調不良で溜めてしまった日記をまとめた所で今日は休みます。押忍。

東塾長

「コロンビアが私!」、「コロンビアが私達の全て!」、「先人が命を賭けてくれたからこそ、今のコロンビアがある」と誇りげに言っていました」かー。 今の日本では絶対的に聞けないセリフだな・・・・。良い経験をしたな。
上の、「コロンビア」を「日本」に入れ替えた「自分を後にして、日本の生き残りをかけて国の為に一所懸命に生きた」、しかし今の日本を見下ろした時、行く末を心配し虚空を彷徨っているだろう、明治の先人たちの魂に捧げたなら、心からの安堵と共にようやく“往生”して貰えるだろう。今の70歳代以上の人たちは「敗戦後の日本を立て直すために寝食を忘れて頑張った甲斐があった!」と、滂沱(ぼうだ)の涙を流して今後の人生を過ごして頂けることだろう。
その逆に「先人達が間違ったことをしたから日本に生まれたことが恥ずかしい」だの「誰も生んでくれと頼んだ訳じゃない」果ては、「日本なんかどうなったっておれには関係ない」だのが淵源となる道徳の崩壊から、あろうことか親殺し子殺しが普通のニュースとして流れ、「人を殺してみたかった」だのといった言葉が溢れかえっているのが今の日本だ。
「衣食足りて礼節を知る」という言葉があるが「衣食足り過ぎで、礼節を忘れ、粗暴を知る」、のが今の日本だ(俺的には「武道精神を忘れ、無(ぶ)道/暴動精神が充満している」とも語呂合わせしたい)。
だから「日本は云々」という人間はみんな、半年だ1年だなどとは言わないから1ヶ月でも2ヶ月でも世界を見てくれば良いんだよ(もうそんな“危険なこと”は今の日本人には言えない、か?)。文化が爛熟して生きる方向を失っているかに見える欧米だけじゃなく、明日を目指して一生懸命に生きている人々がいる(今を生きることで精一杯の、とも言えるが)アジア、アフリカ、南米と言った国々も。
そうすれば余程感性が鈍いか、「絶対に日本は認めないぞ!」という頑なな心を持っている人間でない限り「いろんな問題はあるが、日本という国が(総合的に見て)いかに素晴らしい国か!」が分かるはずだ。それは経済的だけではなく、今は病んではいても、潜在的にまだ社会が蘇生/再生できる、人と人が迎え合える可能性を持った国だからだ(シツコイが俺的には「武道精神が社会に残っているから」だが)。
結論(笑):
国だって家だって色んな事情で良い時もあれば悪い時もある。一時的に間違った時もあれば正しかった時もあるだろう。反省することは必要だし大事なことだが、だからと言って自分たちの歴史を全面的に否定して、「日本は理由もなく突然悪い国になりました。あなたたちの言うことがすべて正しくて、私たちが全て悪うございました。許して下さい」なんて、自分に置き換えてみた場合、武道で他人と闘って来た俺たちにとって、負けたからと言ってひたすら頭を下げて卑屈にすり寄って来る人間を、尊敬したり信用したりできるか?そのあと仲間になろうと思うか?なれるか?そんな人間は自分が立場が逆になる(優位に立つ)と、人一倍尊大で、傲慢になるものだ。そんな人間とは付き合いたくないよな。

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