※原文はこちらから [Traditional Value of Kudo](PDFファイル 84.5KB)
私は最近6年の間伝統派空手について3つの大陸、3つの別の大学で研究を続けている。一定の流派は他の流派より「伝統的」と見られたりして、より新しい流派は「伝統から掛け離れている」と批判されている。糸東流、松濤館、剛柔流は伝統派の標本としてとりあげられ、空道大道塾が、人によって、空手と全く別の物として捉えられています。
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- 空手道は以前に多くの名前で知られていた:「琉球唐手術」、「唐手拳法」、「沖縄拳法」、「沖縄唐手術」。1930年代あたりから空手は正式的に「空手道」として報告されるようになってきた。
- ポイント制の競技形式は第二次世界戦争の後に始まった。それまでは沖縄で20世紀の始まりから「かけ試し」という勝負競争があった。そのやり方は、相手同士が同意した「紳士的なルール」以外にどんな技でも勝負をつけてもいいとなっていた。相手同士は自分の技をお互いに試し合っていた。勝負の目的は相手を破って優勝してメダル等をもらうことではなく、自分の技を試し、自分の体力的、精神的な弱点を見つけることであった。
- その当時の空手家はお互い同士だけではなく、ミックスルールでレスラー、柔道家、ボクサーと勝負し、技を磨いていた。
- 当時にクロストレーニングは頻繁に行われ、柔道、柔術、沖縄相撲(大相撲より柔道に近い競技)の経験を持っていない空手家はほとんどいなかった。
- 1920年代から安全配慮のため剣道や野球の防具は試されるようになった。
- 型は練習の中心でありながら
- 型の全ての動きは機能的、実戦的な意味をもっていた。そのほとんどは歴史の中で失われたが、最初の空手の本で書かれている型を参考にすれば、技の制限がほとんど存在しなかった。突き、蹴り、肘、膝、頭突き、金的、投げ、タックル、締め、関節、基本的な寝技は「伝統派」の創立者の本で明らかに明記されてある。
- 体力を作るためにウェイトトレーニングはとても盛んであった。
- サンドバッグや巻きわらは吹かせない練習道具であった。
- 最後に、道着と色帯は空手家に初めて与えられたのは1920年代の頃であった。
それでは、現代の伝統派と空道・大道塾は上述な10つの点にどれだけ当てはまるのか見てみましょう。
- 多くの人は「空手道」が数世紀の歴史を持っていると主張しているが、「空手道」という言葉は90数年の間しか存在していなく、その間にもいくつかの変化を経験している。伝統派自体も、現在に知られている名前にたどり着くまで名前の変更を繰り返していた。空道・大道塾の組織は30年の歴史を持ち、変わっている状況をよりよく反映するために名前の変更を行っている。しかし、組織として、伝統派と違って、その変更を公開し、アピールしている。
- 伝統派の空手家は制限の多いルールでお互い同士しか競争しない。組技もなく、打撃のインパクト限られ、ローキック等が存在していない。一方、空道・大道塾の大会形式は幅広い技を許し、実際のコンタクトで行われてある。空道・大道塾の大会スタイルは昔の「かけ試し」に似ていると思われる。
- 伝統派の大会はとても閉鎖的であり、一定の組織の選手しか参加できないようになってある。選手は他団体の試合にも参加できない。空道・大道塾の生徒は他団体の試合にも出場することで知られている(UFC、パンクラテイオン、武術、等)。ザ・ウォーズ大会も他の格闘技の選手と交流し空道の力を試す場として実施されたこともある。空道のトーナメントも比較的にオープンな形式を持ち、他団体の選手の出場が可能となっている。空道のルールはあらゆる格闘技の技の利用を可能にし、他の流派などを剥離させない。そのおかげで空道・大道塾の選手は、昔のように、ボクサー、柔道家、などの他格闘技の技を認識しなければならない。
- 伝統派の選手はほとんど組み技ができない。足払いは認められているが、長い乱取りは禁じられている。一方、空道・大道塾の多くの選手は柔道、サンボのような組技系の背景を持っている。大道塾を始める生徒は早い段階からつかみ、投げ、寝技を教えられている。1920-30年代に空手を始めた多くの日本人は元々柔術や、柔道の経験者であった。沖縄の人も子どものときから組技を練習していた。ということで、本来の空手は基盤となっていた組技の上に育てられていた。
- 伝統派の大会は、安全のため、すねサポータ、グローブ、ファルカップといった防具を利用しているが、画面プロテクターは(大道塾が使っているのに対し)使われてない。しかし、寸止めルールでも顔面の怪我は多いことが事実である。戦前の空手家の写真を見ると全身に防具付けて戦っていると伺える。従って、伝統派も空道・大道塾のその線の真ん中にあると言える。しかし、顔面のガードは、選手の大きな怪我を防いで、肘、膝、頭突きのようなより広い技の適用を可能にしてくれる。
- 伝統派の空手家は試合と帯審査、両方のために型を練習する。残念ながら、型は、実戦を知らずに、パフォーマンスアートになりつつある。型の世界チャンピオンは実戦の経験を全くないことが珍しくない。
- その一方、空道・大道塾は型を練習しない。実際の技がもっとも重視される。伝統派は実戦と関連していない型を練習し、空道家は型を無視し、実戦を追求していると言える。
- 伝統派の空手家は、大会ルールによって体力があまり必要とされないから基本的にヴェイトトレーニングを避けている。彼らの目的は、最初にポイントをとった選手が勝ちとなるため、できるだけ軽く、早くなることである。かえって、空道・大道塾の選手は技の稽古と体力作りを組み合わせている。空道の大会は体力指数を使っているため、体力のある選手はより軽い相手と戦うときに組技で優先を持っているが、同時に軽くて、早い選手はスピードとリーチのアドバンテージをそのまま使える。
- 伝統派の空手家はほとんどサンドバッグトレーニング、ミットトレーニングをしない。大会ルールによって実際の接触は反則と見なされているから。空道・大道塾の選手は技の威力を最大限に発展させるためにこのトレーニングをよく適用し、そういった意味で戦前の空手家に似ている。
- 伝統派も空道も道着を着用し、色帯の段階制度を持っている。空道の空道着は組技の負担に耐えられるためにより丈夫に作られてある。
結論
空道・大道塾は多くの側面で伝統派より本来の空手に近いと言える。相手はだれであろう、自分を試すために賞を求めずに勝負に挑む精神は本体の格闘技の精神と同様である。利用可能な幅広い技と練習方法を改良する能力によって発展し続ける空道・大道塾は本来の空手のルーツに近づいていると同時に、伝統派はそのルーツから離れ続けているように見える。
Swennen, Filip. “The Evolution of Karate: From Secret Martial Art to Worldwide Cultural Sport.” International Budo University, 2009.
翻訳:アレクセイ コノネンコ(東北本部)
【著者プロフィール】
ベルギーの大学で日本学専攻し、2009年に修士号を授与。2009年からオーストラリア政府奨学金を受け、シドニー大学博士課程に入学、空手の歴史ついて研究を行っている。オランダ語、英語、フランス語、ドイツ語、イタリア語、日本語を話せる。日本文部科学省から奨学金を受け、日本国際武道大学で1年半の留学を終えている。空手道初段(沖縄流)、居合道初段、長刀初段、柔道、合気道、少林寺拳法の経験者。現在空道シドニー支部在籍、空道無級。 |
掲載日 2011.2.14