大道塾は平成13年2月4日の「大道塾定例全国運営会議」において、来る11月17日の「北斗旗世界選手権大会」を 「第1回北斗旗 空道世界選手権大会」として行うと決定しました。
理由は様々にありますが、大きなその一つは、今回の世界大会には空手を始め、柔道や柔術、レスリング、サンボ、散打、パンクレーション、ムエタイ、ボクシン等、様々な武道、格闘技の経験者や現選手からの参加が予定されており、又、実際「投げ」や「関節技」、「締め技」等の比重も大きくなっており、“当てる” “当てない”どちらの「空手」にしても、従来の「突き・蹴り」のイメージが強い「空手」のみの大会ではないからです。
さて、「武道」の目的は、自分自身の心身を鍛え、その強さを社会に生かすことは当然ですが、それと同時に明日の日本を背負う青少年を育成する事も大きな目的の一つでしょう。
そう考えた時、「武道」は、昨今「混乱」から「崩壊」とまで言われている日本と世界の教育を立ち直らせ、明日の日本と世界を担って行く青少年を育成する最後の砦とでも言うべきものです。
既に確立されている大会は別として,新たな「空手道 世界大会」を立ち上げたりする事で、いわゆる「空手界」の内部的混乱で「武道」全体の価値に疑問を生じるような事は絶対に、避けなけれなりません。それが「空道」という名称を掲げた第二の理由です。
「空手」の「空」は、当時は中国を「唐(とう)」と呼んでいたので、「唐(の)手=(とうで)」の訓読み「からて」の「から」に「空」を充てたものです。本当に素晴らしい字を充てたものと思います。
本来の「空(そら、くう)という意味から三つの定義が生まれました。
一つは“無常観” 即ち「形ある物は必ず滅す」(だから物質に囚われてはいけない)というもの。
二つ目は“相互依存”「全てのものは互いの存在により成り立っている」(だから唯我独尊的な考えはいけない)という考え方です。
そして三つ目は“開放”,“不偏”,“自由”。我々は物質も思想,観念も何事も真剣に追及すれば自分のものに出来ます。しかし偏見や偏向から離れ,自由である為には日々の出来事も含め、それらに囚われるてはなりません。「開明、自由」主義、とでも表現していいかもしれません。(しかしそれは自分勝手や自己中心主義ではなく確固とした信念に基づいた寛容さ、謙虚さを伴った,私の造語ですが、「開明、自由」主義です。)
これらの「空」の全てが「大道無門」(“至高”にいたるには門を構えず、“人世”全てを修行の糧として積極的に生きる)を塾是としてきた我々とっては深く、重い意味を持っています。