コラム04 無題

格闘技の凄まじい人気、認知度は、御承知のとおりで、ゴールデンタイムのテレビ放映など、一昔前では考えられないことです。それに対して“武道”の観点からは、将来の未知的部分、派手すぎる演出など批判があるのも事実です。一方、これによって、空手及び格闘技の名が広まったという事実も見過ごせません。将来の未知的部分があるとは言え、銀行までが倒産する混迷の時代において、それを見た若者が、「格闘技でメシを食いたい!“プロ”(語感がまた、カッコイイ!)になりたい!」と思うのも無理がないのかもしれません。若者の純粋な願望で、好きな道を貫き、それで失敗しても本人の選んだ道ですから、良いじゃないか。いつだって若者は未知なるものに賭けて人生を切り開いて行くのだから、という声があるのも知っています。そこで今回はこの件にについて、日頃想っている事を述べてみたいと思います。

まず、プロという言葉について定義してみると、全くの個人として頂点のみを目指すトーナメントプロと、教える事で月謝という対価を生活の糧とするレッスンプロがある。

まず後者の“レッスンプロ”について私の考えとしては、20年前に若気の至り(?)で踏み出した、まだ海のものとも山のものとも知れない大道塾を、若い時の修行というのならまだしも、生活の手段としても(と言う事は一生の仕事として)勧める事に確信を持てなかった。更に、若くて血気にはやっている“選手”は強くなる事だけで頭が一杯で気づかない、また気づいても眼中にない事だろうが、柔道や剣道のような、社会に充分に認められ、“学校体育にも入っているような武道”と空手(特にフルコン系)の“社会的立場”は明確に違うという理由もあった。

背景を詮索されるような団体も多い空手界(これは寸止め系、フルコン系を問わずだが)は、残念ながら社会的信用度が低い。しかもその上に、寸止め系は日本体育協会傘下で“公共の場”で教える事が多いからそれほどでもないが、フルコン系の場合 “任意団体” と言うことで、人気稼業にならざるを得ず、その時の団体の勢いでの入門者の増減が激しいし、個人的にも職業病とでもいうべき怪我が即生活の不安定さにも繋がる。無責任に俺について来いと言うのはカッコイイし簡単だ。しかし私は25年前に憧れのアメリカで味わった、空虚感というか挫折感を若者に味あわせたくはなかった。幸いにも私にはそれまでの社会生活で培ってきた“雑草精神”があったから良かったが、社会経験の浅い若者に、必ず出来るという確信がなければ、人の人生を左右する言葉など言えるものではない。それよりは、空手一本で青春を過ごしたことで、職業知識は同年代よりは確実に少なく、初めは給与も安いだろうが、昼間は会社勤務をしながら夜間教えるというパターンを数年も続ければ両方が良い影響を及ぼし合って(仕事上の知合いが武道を教えているという事を聞いて、それでは子供を躾て欲しいと入門させるとか、逆に空手の生徒やその親が“先生”の仕事の話を聞いて良い関係が出来るとかで)安定した人生を送れるし又、多くの父親の方もそれを望んだ。

だから初期の頃の寮生には、家業のあるものは別として、道場と両立しやすい自営業、特に整骨院や公務員を役員の協力を得ながら強く勧めた。(公務員の方は社会が経済的不安要素が強くなって志望者が増え敷居が高くなったので2、3人しか成功しなかったが、整骨院等に進んだ人間の多くは)今では地域に溶け込み“先生”として仕事と道場を両立させており、「ああこれで俺のところにきた若者を、少しは骨のある、そして生活力もある人間にして送り返す事が出来たな」と責任を果たしたような安心感を持つ事が出来たものだった。

だがそれも、その後の異常な格闘技(雑誌?)ブームが起こり、好きな道一本で食えるのではと言う幻想が広まった頃からは、「まだ経済基盤も、健全な競技としても確立されていないから、あくまでも仕事との両立を」と言う私の言葉も説得力がなくなってしまった。なにも他人の人生、そこまで考えなくてもと言う人は多いが、人の話に耳を閉ざし、自分から自縄自縛になったり、落伍して行くく人間はどうしようもないが前述した様に、大道塾に集まってきた若者で、素直に一生懸命努力している人間には後悔はさせたくないという、逆に言うと大道塾は誰にも後ろ指を刺されない団体なんだと言う自負心(自惚れ?)の強い、(気の小さい?)性分の私としては、それは出来ない。

しかし幸いな事に、支部長、責任者達の協力や、その間の選手達の頑張り、運営的に苦しくても健全な活動を心掛けてきた事等などにより、大道塾も一般的“人気”という意味ではまだ不十分とは言え、さてなにか武道をしようと思った時には頭に浮かぶ“良い印象の団体”の一つといった程度には知名度を待ってきているし、実際これ専業で生活している支部も出てきているので、最近は肯定的になって来ている。 

と言うのは、「やはり仕事との両立を」という方向も、そのような両立しやすい仕事についた者は別にして、そのほかの分野に進んだ場合、社会的適応力がありそうな人間でも、いざ社会に出ると中々の悪戦苦闘を余儀なくされているのを見るに付け、“好きこそものの上手なれ”で他の一般の若者が、他の分野の技術、仕事を学んでいる二十代に、闘うことに生きがいを見い出し、その技術を蓄積している選手にとってその分野が最も自分を生かせる得意な分野になるのかな、ということをこの二十年来度々見てきているから、安心は出来ないが(と言う事はいつまでも心配の種ではあるのだが)不安定でも、それを本人が覚悟するなら良いのかなという考えにもなりつつあるからである。

問題は前者のトーナメントプロ、つまり闘うことのみで生計を立てる“プロ”である。 “トーナメントプロ”という言葉で思い浮かぶのは、先ず大きなものはプロボクシングとプロレスだろうか。(大相撲もそうであるが、これは論ずる必要もないぐらいに確立しているので、ここでは論じない、能力があると思う人はどうぞ、である)

プロボクシングとプロレスは柔道と空手の関係に似ている。プロボクシングは柔道と同じく早くから体制が統一的に運営され、アマチュアとしてオリンピックにもなり、その“確立されたルール”を元に、プロとしてもあからさまな八百長もなく、ボクシングという競技自体が歴史的、体制的に他の追随を許さないレベルにまで達しているから、生活人としては柔道の世界チャンピオンが少なくとも日本では大きく将来を約束してくれるのと違い、プロボクシングの世界チャンピオンを4、5度防衛しないと殆ど無理だいうことは、今では周知の事実だが、引退後もレッスンプロとして生きることも出来るし、それ以上に、おしも押されもしない“成功者”として誇りを持って存在できるからだ。確かに“生活”だけが人生じゃないと言うのも人生の真理のひとつだろう。(それも程度問題で、いくら“武道”的に優れていてもじぶんの生活や家庭くらいは賄えなくては、“ヒモ”になってしまう。一時代前の劇画の世界では面白いが)

一方のプロレスは空手と同じく早くに統一的団体を結成できなかった為に組織や、ルールが乱立し、ルールによって勝者と敗者が容易に入れ替わる。その上、地域での社会体育育成という方法ではなく、興業で組織運営をしてきたプロレスでは、団体間の激しい競争に勝ち残る為には、確立されたルールで次第に権威を確立するという“回り道(?)”より、手っ取り早く、看板選手の牽引力(集客力)で運営をするという個人商店的運営をしてきた。その為、その選手が衰えてくると、どうしても“不信な試合”が増えざるを得ない。(それに対し実力的に優位に立った若手がクーデターを起こすという事の繰り返しで、団体の栄枯盛衰、離合集散は度々であり、プロボクシングや柔道に比べて、今一つ権威が蓄積されず芸能人的人気は現役時代には一時的に持てても、この情報万能の時代2、3年すればすぐに忘れ去られてしまい、オフィシャルな意味でも“成功者”とは言いにくいだろう)

空手のプロ部門を作るという件については、さらに、“武道”として前述したような“不信な試合”は論外としても、ボクシングにはプロがあるが柔道にはプロはないという、競技理念の違いから来る次ぎのような又別な事情がある。(現実的にプロレスは、柔道のプロ部門だと言うことも出来なくはないが、少なくとも柔道側が積極的に勧めている訳ではない) 即ちスポーツ化されたとはいってもまだ柔道も“道”という概念(と文字を)を全く捨てたわけではない。それぞれの個人が、それぞれの立場や目的で「人生に立ち向かうという意味での“靭さ”」を目指す“武道”もしくは“アマチュアスポーツ”としての理念を掲げながら、仮にプロ部門を設立し、プロの育成にも重点を置くことになると、どうしても金銭的報酬が絡む際の人間(社会?)の本能として「勝つ事(したがって“金”を稼ぐこと。当然、負ければそれまでの努力も無意味となる)」を至上目的とするような方向性が強くなってしまうだろう。そして結果として運動神経の善し悪しに関係なく、誰もが参加可能な「生涯スポーツ」として、勝敗のみではなく闘うことの過程にも価値を置き、その努力する心や体力を社会生活に生かそうとする、「社会体育」としての意義を土台とする団体の下部組織の形成、維持は非常に困難となるだろう。

つまり、トーナメントプロにこだわれば「勝つ」ことのみが最終目標となる。逆にアマチュアにこだわれば、トーナメントプロを養成する環境としては不十分となる。それでは「格闘空手」と「社会体育」の両立を理想とする大道塾の理念とも大きくずれてしまう。現実に、一団体内でプロとアマを両立させると言うことは、今迄どの競技団体も成功はしていない。公認された“武道”もしくは“スポーツ”として柔道や剣道、ボクシングやレスリングと言った種目の場合、学校教師とか、道場主としてのレッスンプロならありうるがトーナメントプロというものはない(念の為言うと、アマチュアボクシングとプロボクシングは同一団体ではない)。

最後に経済基盤について。2年程前、アマチュアの一代表として、WARSを行った。この時は、日々並々ならぬ練習量をこなしているプロの選手を相手に、普段は社会人としてそれぞれの仕事に従事している選手達が、寝る間も惜しんで仕事の後に練習し「よくぞここまで」と言うほどの活躍を見せてくれた。 しかし、何度もそれを期待する事は出来ないし、七面倒くさい“理念”を持つ“武道”より単純に勝ったか負けたかを論ずる事の出来る“格闘技”が盛んになった今日、世間の関心は、「勝つか負けるか」であって、アマチュアがよくあそこまでやったとは見てはくれない。つまり、プロであれアマであれ、今は勝つことこそが全てなのである。

そうなると、当然一日中を練習のみに費やす「プロ」を養成しなければ不利になるのは明らかであるが、それには前述した「社会体育」と「プロ育成」という問題と、その前に個人的には選手の「生活費」、団体としてはその「運営費」、の問題がある。信じられないと思うが、これだけ興業が派手になりファイトマネーも高騰すると興行収入でコンスタントにそれを得るのは大抵の場合無理である。日本の場合、普通の民間会社は、テレビにでも出れるぐらいに成長した時は応援してくれるだろうが、成長するまでは、(球技やマラソンなどは別だが)それまでは殆ど期待できない。それまでの大きななスポンサー(?)が必用なのだ。幸か不幸か大道塾にはそのようなスポンサーはなかった。どう見るかは立場の違いだろうが、だからこそ現在の大道塾なのである。

コラム01 機関誌「格闘空手マガジンvol18」巻頭言より

西暦2000年の今年、大道塾は設立20周年を迎えます。20周年、最初の発行に際してご挨拶させていただきたいと思います。

ご存知の方も多いと思いますが、私自身現役の選手時代を極真会館で過ごしました。日々強くなることを考えがむしゃらに稽古をしていましたが、試合などを経験するうち特に海外勢との試合などでは「小よく大を制す」「柔よく剛を制す」という言葉を意識するようになりました。この発想は実に日本的で欧米人に比べ体格的に差のある日本人にとって武道だけでなくあらゆる分野に必要で非常に重要な発想です。

私が空手を始めたのは「護身」という意味がひじょうに大きかったので実際自分より体格的に大きな人間と向かい合って体力で自分を主張する場合、顔面のない練習を日々やっていて勝てるのだろうかという疑問が出てきました。事実、相手の胸を叩く稽古をしているといざという時も胸しか攻撃できないのは今では周知の事実です。

私自身、第11回大会で膝を決定的に悪くしてから、極真ルールの中での限界というものを感じ始めていました。しかし、「小よく大を制し得る武道」なら…。顔面へのパンチと継ぎ技として金的蹴りや瞬間的な投げ、締め、関節技を認めたルール。私は機会があるとこの提案を繰り返していました。しかし、極真には極真のすばらしい理念があり、一支部長であった私の考えを押しとおすなどとんでもないし流派を起こすなどという不遜な気もありませんでした。だが様々な格闘技、武道を見る度にこの新しいルールを実践してみたいという気持ちは日に日に強くなりました。活字にはできませんが更にもう一つ決定的な要素があり、遂に小よく大を制し得る武道としての空手を求めて格闘空手「大道塾」の設立を決心したわけです。

しかしながら決心したと言っても、最初の3年間はこれを一生の仕事とするということに迷いもありました。私の理想として当時の若者の殆どがそうであったように坂本竜馬をはじめとする維新の革命家達がおり自分の力がなんとか日本のためにならないかと漠然とですが考えていました。もちろん好きな空手ですからやってやれないことはないが、はたして夢を捨ててまでやることなのか…。

「格闘空手」も新しい体系ということで始めてみるととても片手間ではできない仕事でした。その日々の仕事と以前からの理想の間で揺れていた時期でもあります。しかしながら時代に合ったのか自分が思っていた以上に早く組織としての大道塾は大きくなっていき、そのうち支部も増え、塾生も増え選手も育ちました。拠点としていた仙台から総本部を東京に移しました。私としては仙台で続けていくつもりでしたが、当時の選手達に「自分達は地方区だから」と言われ、自分は現役時代、全日本とか世界という目標で頑張っていたが弟子達にもそういう場を作ってあげなくてはならないのか…と思い東京に出たわけです。 (余談ですがそんな動機から展開したわけですが、私自身試合に出たかったし、それなりの自信があっても出れなかった…今でもこれは後悔しています。)

ですから設立当初は「一大流派を作ろう」だとか「世界的な組織にしよう」などという野望もなく自分の想像を越え、組織の方が大きくなったというのが正直な感想です。しかしながら徐々にですがその中で空手を通しての武道教育というものも、自分が理想としていたものと同じではないかと感じるようになりました。上に立ち政治の世界で改革していくのも大事だが、武道を通じて裾野を教育していくのが自分には合っているのかなと思いはじめ一生の仕事としての決心をしたのもやはり3年位経てからのことでした。

今、この20年を振り返ってみて思うことは、人というのはいろんな考えがあるから自分としては後ろ指を指されないようにやっているつもりでもすんなりいかないものだなと…(笑)。邪魔があったり、足を引っ張られたり、後ろから殴られたりと…(笑)。…でもそういうことがあるから、人生なのかなとも思います。正に「大道無門」なのでしょう。

よく大道塾の方向性が変わるということも聞きますが、そういうつもりは毛頭ないですね。そもそも大道塾は護身ということもあって、あらゆる状況というのを最初から想定している訳です。ですから、新しい技なり出てきた場合、それはやはり吸収しなくてはならない…。護身の場で「これは知らないから」などというのは通用しません。グローブなどをやったのは、やはり顔面の技術というのはやはりグローブが先行していたわけですから、それを吸収するためにやりましたが、基本は素手である姿勢も変わっていません。寝技に対しても最初から取り組んでいたものです。最近は寝技のブームのようになっていますが、あくまでも打撃でそれを凌ぐという姿勢も同様に変わっていません。新しく出てきたものの対処法としていろいろな経験は必要ですが、「格闘空手」というものはずっと同じであると思っています。

20周年の今年やることとしてやはり本部道場を新設するということがあります。これは区切りとして必ず実現させるつもりです。それと、来年は世界大会の開催もあります。「灯台元暗し」で武道の本家とは名ばかりで外国に比べて日本では一部の理解者を除いて民間も行政もなかなか武道に対しての支援という面では心細いのが現実です。多くの武道団体が青少年教育という看板と台所の差が為らざるを得ない状況です。大道塾にも今まで歩んできた道としてもっとやりやすい道、安易な方法というのはあったと思います。しかし、今まで「○○は食わねど高楊枝」とやせ我慢をし、ここまできたということが、堂々とした社会体育としての大道塾を誇れる理由と思っています。これからも、「社会体育」、「格闘空手」を両輪として大道塾はやって行くつもりです。塾生の皆さんは日々鍛錬を続け、応援してくださってる方々にはこれからも御理解、御協力を宜しくお願い致します。(談)

コラム17 年末エッセイ!!年越しを振り返る。わが生涯、二度目の海外での年越し!!泣&笑(中編)

前編 | 中編 | 後編

※ある年一度だけ海外で年越しをしたことがある(続く 笑)

というとなんか今風だと思われるかもしれないが、ある年(2007年)、私がニューヨークでのセミナーを終えての帰途の話(シチュエーションは格好いい)。

当時、娘は大学生活も後半に入っていたが、自分の進む方向が見つからないようで進路で悩んでいた。その数年前(高校2年生だった)には、一番多感な時期に一時の仲違はあったがそれも修復し、前のような仲のいい関係に戻っていた「おにぃ」を突然の出来事でなくし心に大きなダメージを受けていた。しかしそれも何んとか克服して生きていたが、同じ年代同士で相談できる唯一と言っていい人間だったから、参考となることが何もなくなって途方にくれたのも無理はなかった。
※生まれた頃から道場で多くの内弟子と一緒に暮らして、チョッと人見知りする子になっていたから、よけい「おにい」だけが頼りだった。

この2000年からの数年は、上述したようにそれまでの最も楽しい期間が、いきなり180度反転し奈落の底へ叩き下ろされたような期間になったので、我が家にとって思い出したくない寂しい年末、年始だった。娘も友達としたりして“家族”での年越しは途切れ途切れになった。「今年を振り返り来年に期す」作業も止めたし、年が近い姉が送ってくれるナメタ鰈(かれい)のある年越し膳を挟んでも笑顔は少なくただ時間の過ぎるのを待つみたいだった。好きだった「ゆく年くる年」も見ないで床に入ったり、朝は新宿の熊野神社への初詣が習慣になっていたがそれも止めた。また、それまでの正月3日、4日頃は古参の弟子を呼んで酒盛りやゲーム等をしたものだったが、そんな元気はなく、家族での楽しかった頃を撮り溜めしていたビデオを何時間もかけて観ては「こんなの撮るんじゃなかったな~」とため息をついていた。

そんな中の2001年の重苦しい年越し、正月。とは言っても否応なく娘も受験を考え時期になり「やはり、おにぃと同じ大学へ」と頑張っていたが、私たちも「あんなことをさせなければよかった」、「あの時、止めるべきだった」、「この先、何を励みに生きればいいんだ?」等々自分を(また口には出さなかったが、互いを)を責めたくなる時も多くなり、夫婦ともに不安定な状態が続いていた。ありがちに家内も一時は亡くなった子の事ばかり考えて宗教的なことに敏感になった。私は私で後ろばかりを振り返り、今にして思えば馬鹿な事を、考えていた。

とうとう、弟子達も見かねたのだろう、ある古参の弟子が代表し電話をよこし「先生の心境を考えると、来年の『第一回世界大会』は延ばした方が良いんじゃないでしょうか?」等と心配もされたくらいだった。こんな風に親が両方ともに立ち直れないでいるから(しかし、まだこぼす相手がいるだけ良かったと言えるのだが)、一人取り残された感じの娘はそれ以上に大変だったろう。遂には、いつまでもグズグズしている私に「お父さんお母さんは、いつまでもお兄ちゃんのことだけ考えて、私がいることを忘れているよー!!」とまで言われてしまった。

勿論そんな気はなく、ただ「女の子には穏便に幸せな人生を送れば・・」との考えだったから、あまり期待めいたことは言わなかったのだが、それが逆に自分は忘れられているという気持ちにさせたようだった。別な古参の弟子からも「自分達はいつまでも先生のそんな姿は見たくありません」とまで言われてはいたのだが「分かってはいるが・・・」という状態だった。しかしさすがにその言葉にはハッとさせられ「このままでは駄目だ、俺が気を強く持って家族を引っ張らなければ、俺も家族も大道塾もみんなダメになってしまう。何かの目標を持って生きなければ」と目覚めた。

こんな感じでようやく再び前を見始め「考えてみればあいつとの約束もあったんだ!」と、あとは眼前の大事業とでもいうべき「第一回世界大会」に向かって無我夢中で1年を過ごし、何とか無事やり終えた。

【参考】「2001北斗旗第一回世界空道選手権大会」外伝  

そんなこともあって、娘も徐々に気持を持ち直して受験勉強に打ち込むようになり、見事に進学を果たしてくれたので、一時は深刻だった“家族崩壊”も免れた。全く同じようなケース(長男を失くした事で両親が放心し、妹がぐれて家族崩壊した)も見聞きしていたから、実際そうなってもおかしくはなかった・・・・。そんなこんなの数年を過ごして(2005,6年ころか)の、この、卒業後の進路についての悩みの時期である。

私は娘がやる気になったんだからと(自分が望んで実現出来なかったからだろう。良くないことかもしれないが・・・)、「お前は英語が好きみたいだから、その好きな道をもう少し本格的に勉強してみたなら、その間に何かいい方向が見つかるんじゃないか。学費は先行投資と考えて何とかしてやるから老後はしっかりと見てくれよ(笑)」と言った所「いまさらまた勉強だなんて・・・」と言いながらも、その内に自分でネットなどを色々ひいて、海外の様々な大学の案内書などを取り寄せて「やってみたい」となった。

「アメリカはもう斜陽だとか言われているが、世界の中心は当分まだアメリカで、中でも世界の全てが集まり、いろんな人間が集まるので刺激も受けるし人脈も広がる。せっかく海外に出るなら、冒険するつもりでニューヨークにでも行ったらどうだ。英語だけでなく人生勉強になるぞ」と言ったのだが、娘はアメリカ(のガサツな所?)は好きではないらしく、「イギリスの方がいい」と決めて旅立った。

(と思っていて、書いた後に本人に確認したところ・・・・以下のようになりました(双方ともに譲らない 笑)。いかに人の記憶があいまいか、もしくは人はみな自分のメガネを通して自分の外界を見るものだという証左かもしれない。もっとも私の場合は子供ころから喧嘩ばっかりしていたし、親父には何十回となく(NHGなしの 笑)頭を殴られているので、打たれ強いのと裏腹に記憶力には全く自信がないので、大概「そうかぁ~」となるのだが 泣)

「とある就活の講演会である人の話きいていて、何か自分に自信がもてるような苦労と体験をしたらその先に見えるものが変わるのかも、って思ったのがきっかけ。その話にインスパイヤーされたのもあって、英語なんて好きでもなかったし、しゃべれないけどぶっ飛びで行ってみちゃえばどうだろう、って悩んで悩んだ末に決めた。けど、お兄ちゃんのこともあったし、何て言われるか心配で、「何言ってるんだー!」とちゃぶ台をひっくり返されるんじゃないか、反対に涙もろいお母さんには泣かれるんじゃないか、ってホントにドキドキの瞬間だった。勇気をだしておとーさんとおかーさんに相談したなら逆に「お前からその言葉を聞けて安心した」ってアメリカ行きを進められて驚いた。しかしそれ以上に、わたしがこの話を切り出さなかったらお父さんたち、わたしにガッカリしてたのかも・・・って考えると、ほんとにドキドキの瞬間だった」らしい。

でも、チョッと違うかもしれないが、親子の関係ってのはそういうものじゃないんだぞ。「鉄道員(ぽっぽや)Wikipedia」という浅田次郎原作で高倉健主演の映画がある。詳しくは読んで(見て)貰えばいいが、一人暮らしの父親を心配し亡くなった娘が度々姿を変えて出てくるのだが、あるシーンで「お父さんが怖がるかと思って」という言葉に対し「何言ってんだ、どんな姿でも子供を恐がる親なんかがいるもんか!!」というセリフがある。(私も当時は「幽霊でも良いから出て来い!」と心から思っていたから、全く同感できる)子供のことなら親は何でも認めるしかないんだ。ましてや、真剣に考えた上で決めたことならなお更だ。

後編へ続く

文書日付2013.1.5

コラム17 年末エッセイ!!年越しを振り返る。わが生涯、二度目の海外での年越し!!泣&笑(前編)

前編 | 中編 | 後編

25日(現地時間)コロンビアのカリ市に到着。26日から1月2日まで、コロンビアのカリ市に来年のワールドゲームズの打ち合わせ+セミナー(何と5日間に10回!!)で滞在する。これだけ言うと「良いですね~年末年始は海外ですかぁ~、素晴らしい!!」とか(乗継の為なんだが)「カウントダウンはマイアミ!!へ~羨ましい」などと言われることが多いが・・・・。

そんなことが契機になって、今までの「年越し」が妙に気になり振り返ってみた。

19歳で家を出るまでは、私(我が家)の年越しは、風呂上がりに新しい着物(下着や和・洋服など)を貰って、中間(なかま)といわれる炬燵もない寒い部屋にオバンツァン(祖母)を筆頭に一家全員(11~14人!!兄が2人に姉が4人の7人兄弟)が揃って、親父の「今年もみんな怪我もなく一家無事っで良かった云々」と言う言葉を聞きながら、「年越し膳」(ナメタ鰈(かれい)の煮ものと、卵、長ネギ、山で採れる松茸が入った醤油汁等)などを食べるのが習わしだった。

(参考)宮城の年越し膳 http://matsusaka-cs.jugem.jp/?eid=316

19歳で一人暮らしを始めても大晦日というと必ず実家に帰って一家揃っての「年越し」をした(いつの頃からだろうか、大晦日の夕方から晩御飯(年越し膳)にかけては部屋に引きこもり「今年を振り返り来年に期す」みたいな日誌を書くようになったのは)。さすがに20歳を過ぎてからは(オバンツァンはとっくに亡くなってたし)二男や姉達も嫁いで自分の家庭で年越しをするようになって、実家の家族が減ってからはそういう賑わいはなくなったが、それでも自分で結婚して数年までは、家族で帰省して同じような行事には参加して「年越し」を過ごした。

そのうち正哲(まさあき)が小児喘息だということで(また住まいを仙台から東京に移したこともあって)、帰省して天井の高い(寒い)実家に泊まる度に(電気ストーブをつけて貰っても)風邪をひいたりするようになってからは、次第に年越しや正月の帰省は遠のいて行き、代わりに家族4人での「年越し」をするようになった。
初めは親父の真似をして自分で「今年も云々」などと言っていたのだが、戦後の“民主教育”を受けた団塊の世代の誰でもそうだったろうが、どうも自分が子供として見上げていた家父長制時代の親父の貫録には到底及ばない気がして、何となく照れ臭くてしょうがなかった。

それでもそれからの約20年は常に家族4人で揃っての「年越し」で、ましてや正哲の誕生日が12月30日ということで、カラオケやいろんなゲームをしたりして、それにも増して楽しいものだった(当人は「プレゼントが一緒にされるから面白くない」などと贅沢を言ってたが)。実家と同じようにしようと、一時は無理やり百人一首やトランプをひっぱり出してきて顰蹙(?)を買ったりしたこともあった(笑)。それでもお酒の好きな人と結婚したお陰で(優しい表現だ 笑)、大体7時ころからの「年越し」は、始めはビールで始まるが次第にウィスキーから日本酒になる12時近くには眠くなるのだが、ある番組だけはしっかり見てから床に入ったものだ。

焦らし過ぎだが、またこんなことを言うと爺臭いかもしれないが、そのある番組とはNHKの「ゆく年くる年」である笑。特に意識して見るようになったのは、「明日はどうなるんだろうな~?」という日々を過ごした大道塾設立前後からだろうか。酒を飲みながらNHKの「ゆく年くる年」を炬燵で見つつ「あー今年もあんな事こんな事、いろんな事があったが、どうにかこなしたな~」と、何とか飯を食えたことに感謝しつつしんみり過ごし、アドレナリンを静めて行く。そして、正月の松の内にかけて「よ~し、しょうがない始まってしまった。今年はこういう年にしたいものだな~」等と徐々に静めておいたアドレナリンを再度分泌させつつ(笑)、新しい年に望む腹積もりを固めるのが恒例なのだ。

これは本当に今まで一度しか外したことのない“我が家の行事”である(※)。これがないとなんか正式に年を越した気がしないし、チャンとした年を迎えられないような気がする。(チョッと大袈裟だが)いつもの雑な“俺”ではない笑、私の一年で一番の貴重な時間と日々である。

ま、大相塾設立以来32年間、空道創始12年間、もがき続けてきてようやく念願の「公的スポーツ」への脱皮の端緒に辿り着いたことを思えば、そんな個人的な 感傷に浸ってるときではないのは十二分に分かっているのだが・・・・。実際、ここ1~2年は本当に設立以来の重要な年月(としつき)になるだろうから、逆に 年末年始から助走をつけて前進しなければ、天罰が当たるというものだろう。年末に働いている人は私だけじゃあるまいし・・・・。

※ある年一度だけ海外で年越しをしたことがある(続く 笑)

中編へ続く

左 エドワルド・カイセド コロンビア支部長
中央 ロルダン カリ市スポーツ局長
右 ルイス・エチェベリ氏(WG2013 Caliのディレクター)

文書日付2012.12.29

コラム14 怪力乱神を語らず

この文章は「コラム13 矢のごとし光陰に、爪痕なりを」の補足として「マススパー動画集2009」に寄せて書き下ろしたものです。

東塾長マススパー動画2009

体を使う競技、運動で「走らなくても、ウエイトトレーニングをしなくても強くなれる」とか「年を取るほど強くなる」などと公言するのは“武道(ブドー?)”の世界だけである。(「年を取るほどに強くなる」なら理の当然として師は永遠に強くなるだろうし、その下にいる弟子は代々それより弱いはずである。人間は何千年何万年と人類の歴史が始まって以来闘争を繰り返している。もしそんなのがあるなら現代社会に生きている我々の強さは、ないも同じではないのか?こんな子供騙しはさておいて、なぜ前者(ウエイトやランニング不要論)のような説が出てくるのだろう?から考えてみたい)

それは数字(点数や時間、距離)で、その優劣を計れる他のスポーツと違って、人間と人間の戦いには技や体力以外に、精神的、心理的な要素(強そうに見えるとか、対峙する側の気の強弱、妄想を信じたがる性格など、刷り込まれた恐怖心)も関係するから、確かに単純に体力やスタミナだけの比較で、その強弱は決められないからである。

大晦日の総合格闘技の試合で若くて体力、気力、スタミナと全てに勝っていた話題の選手が、戦前の大方の予想をひるがえして負けたのも、パンチに対する必要以上の恐怖心があり中に入って打ちあう事が出来なかったり、打ち合っても腰を引き気味にして体重の乗らないパンチだったから、相手にはそれほどのダメージにならなかったのである。昔、週刊プロレスに大道塾(当時は「格闘空手」)の連載をした時「組み技系の選手は首が太くて、1発や2発顔にパンチを貰っても恐怖心がなければ即倒れる事はないから、まず初めにパンチへの恐怖心を克服して、前進して思いっきり打ち合えばいい。それができればパンチは覚えやすい」と書いたのだが、恐らく彼は総合を練習し始めてすぐに打撃系の選手のパンチで相当なダメージを負ったので、そのトラウマが前進や打ち合いをを躊躇(ためら)わせたのだろう。

ましてやどこにも所属しないでフリーで練習をしていたとなると(色んな練習法を学べる反面)どこに行っても“お客さん”だからそのジムなり道場としては、「柔道オリンピックチャンピオン」に敬意を示す意味でも、舐められない為にも、まず“洗礼”をしてから、と思うのは人情である。

ウチなどにも柔道等の組技系の経験者が入って来た場合、彼らは大抵、初めから打撃系で育っている人間よりは体力(首も太い)があるので普通にボディや脚を蹴られてもそう大きなダメージは受けない。中にはそれで勘違いして先輩などへの態度が大きい者などもいるから(恥ずかしながら私もその一人だった笑)そういう場合はマスクを着用させた顔面ありの組手をしておくと、大抵、次からは態度が改まる(笑)。

譬え(たとえ)が適切ではないが、犬の調教をしたことがある人は知っているはずだが、初めに犬を柱に縛っておいて咬み付けないようにしておいて、鼻っ面(つら)を殴っておくと、絶対に人間に反抗しないようになり従順になる。
所が人間の場合、これが利きすぎると道場の秩序(皆が余計な摩擦なしに練習できる上下関係)を保つのには良いが、その選手がパンチに対しての恐怖心を克服するには余計な時間が掛るようになる。一方、選手は褒めて煽てある程度“天狗”にすると自信を持って伸びが速いものだ。

しかし、どちらに偏っても、弟子を育てると言う意味では一長一短だ。「道場の秩序維持」と「選手の育成」というある意味相反する両方の要素を上手く兼ね合いながらしなければ、「武道の道場らしく上下関係や秩序は良いが強い選手が出ない」という道場と「確かに強いが礼儀も言葉づかいもなってない道場」というどちらも困った道場になってしまう。

閑話休題。また別な要素で、実戦実戦などと言っても暴力、腕力絶対反対の現代社会では実際に殴り合い(ケンカ)などは度々あるものじゃないから、摩訶不思議な体系なり、妄想なりを信じて練習していても、“その時”までは、バレないで済む。何となく強くなった気がして余裕ある態度や所作が身に付いたりすると、益々強そうに見えて周りは手を出さないからそれで十分に通用するのだ。

何年か前に、これ又一世を風靡した“ブドー”があった。当時、世の中に出始めて研究が十分ではなく、様々な武道格闘技が連敗していた“柔術”に対して、我々はあり得ないと見ていたのだが、常に話題が必要なマスコミに乗せられて「我々の体系なら勝てる」とまで言っている内に自己肥大し、日本全国の注目を集めて実際に公開で試合をして“しまい!”全くなす術(すべ)もなく負けた団体があったが、これ等は、まだ正直な方だろう。普通は「我々はどっちが強いかなどという目的のためにブドーをしているのではない」とか、「我々の“術”は危険過ぎるから、試合は出来ない」などと言って、そんな下手な真似はしないものだ。

このような“ブドー”や“術”がいつの時代も「浮かんでは消え、浮かんでは消え」する理由の一つは、人間自身の心の弱さにもよるのだろう。特に若い時の動きや、スタミナがなくなってくると、何か今までと違った別な体系なり力がその弱くなった部分を補ってくれるのではないか?と。

これは向上心ともとれるから余計始末が悪いのだが、ここで「現役(若い)時代からは衰えて当たり前だ」と現状を客観的に直視できる、現役の選手だった頃には当然備えていたはずの“誠実さ”や“勇気”。「その足りない部分を、鍛錬の過程で身に付けた精神力や間合いで補うのが“武道”なはずだ」「子供ではあるまいし、いつまでも“殴り合い”で勝ち負けが決めるのか?」という複眼的な見方ができるなら、そんな妄想に耽ることなく、「ゼロになる訳ではない」とか「しないよりは数段良い」となり、少しでも時間を見つけて「これまでの練習を効率良く」となり、それは確実な“現実的な強さ”となって維持されるはずなのだが・・・・。

もっと露骨な言い方をすれば、現代社会で最も暴力や腕力を必要としているのは誰で、どこだろう?と考えれば答えは自然に出るのではないか?それは表では警察や軍隊であり、裏では暴力団なはずだ。だからどこの国でも、軍や警察はその国において最も相手を制せるものとして、「実際に体を鍛えて初めて使える武道や格闘技」を採用しているのではないのか?(尤もヤクザやマフィアは、身に付けるのに手間暇が掛かるそんな面倒なものより、刃物や拳銃のほうに頼るのだが 怖)

何と米軍は最近MMAの採用を検討しているという噂もある。それは現代のアメリカでは一番MMAが強いと思われているからだろう。軍に応募すれが中東や、アフガニスタンに運ばれ、実際に死ぬ確率が高い昨今の米軍である。最近では手を変え品を変え(低所得者層に大学進学や奨学金を約束するなどして)徴兵しようとするが中々集まらない。そこで若者に人気のMMAを学べるというインセンティブ(?)を付けると集まるだろうということらしい。間違っても気で相手を倒すなどと言う“ブドー”や“術”を採用している軍やヤクザやマフィアはないはずである。
因みに当然の流れだと思うが、既得権益が絡む日本では難しいが、既に空道は海外の数カ国で警察や軍の指導を始めている。

最後に「現在の私の力は現役時代から見れば半分以下だろうが、それでもこれを職業としているお陰で、週2-3回の練習はできるので、この位ならまだ動ける。当然、弟子だから遠慮はしているのだろうが、それを割り引いても“そこそこ”には動いているはずだ(笑)。
皆がそういう環境ではないだろうから同じにとは言わない。しかし週1回でも(たまには2回 笑)練習を継続してれば、それなりの力は維持できるのだ。年々練習はきつくなるし泣、「何かもっといい手はないか?」と逃げ道を探しがちになるが笑、イザという時に『こんなはずでは!!??』と天を仰ぐよりは賢明な選択だと、自分に言い聞かせて自転車を漕いだり、バーベルを手にしている今日この頃である」、とこの小論を締め括りたい。

文書日付2010.1.13

コラム09 15年振り3度目のニューヨークは・・・・

何でも、始まるとシツコイ性質(タチ)だから、「もう年だし」と、深く考えないようにしていたんだが、やっぱ俺の中にはアメリカ、特にニューヨーク市(NYC)に空道、大道塾の旗を立てたいという気があるんだろうなー、いつまでたっても「はみ出しの血」は納まらない、か ? (笑&泣) 

アメリカ(NYC) は”物質文明の極限”という感じで否定的に捉えられるし、それは一般的には間違っていないんだろう。この街は我侭な人間の全てを容認する。欲望を放任し、増長させ、小才を勘違いさせ、みんなを夜郎自大(やろうじだい)にし、止む事のない闘争へと誘う、善悪の彼岸を超えたエネルギーがある。

しかし、もし運が良くて、その毒気に当てられないよう何と巧くかいくぐり、一応、向こう岸まで泳ぎ着き、その堤に登れたなら、世界の果てまで届く、とんでもない地平を与えてくれるのだろう。みんなそれを思って夢中で手足をバタつかせるが、どこから飛んで来るか分からない矢玉に倒れ、もしくは想像を絶する流れの速さ強さ大きさに、途中で力尽き溺れ沈むのかもしれない。

しかも、運良く岸まで辿りつき、何とか周りは見渡せ、取り敢えずの手間仕事も見つけ、当面の飯も食えあわよくば田んぼの一つも手に入れたとしても、それを維持するのもこれまた大変だ。

ましてや、もうチョッとだけ広げようとか、後進に渡そうなどと思ったなら、時間空間に頓着なく、無数に降り掛かる天変地異、人変血囲(?人間の変心と、血―闘争で囲まれる事 アズマ造語)に負けないだけの、殆ど異常なほどの強靭な精神力と体力を持ってないと、確実に消耗磨耗し、よくて“散華”か、最悪“野晒し”を覚悟するしかないだろう。

しかし、それを分かってはいても、だ。自分を試したい心と、当然、自惚れ、そして内から沸き出る“押さえがたい想い”を持った人間になら、この街が売ってくる“喧嘩”は(かき立てる興奮)は無視できないなー。

昨日、よく映画やニュースでブロ-ドウェイというと、大抵の人は一度は見ているはずの、斜め上空から俯瞰される二股の交差点に行ってきた(32年前の“道草”ではそのあとが大変な事になったが 笑) ※1

その真ん中に立って回りの高層ビルの壁面全体を使った巨大な広告、眩いばかりのネオンサイン、液晶パネルの目を奪う極彩色の映像等々・・・・に取り囲こまれ、見下ろされると、なんか足元が覚束なくなり、異次元に来たような気持ちになる。

チッポケな自分などは一気に飲み下そうとしているかのような、これらの幻影が見せる迫力に対面すると、なだめすかせて眠らせていた積もりの闘争心(誇大妄想、狂?) を変に突付かれる気がした。少年の日の、あのドデカイ番長に向い合った時と一緒かな?正にトラウマ?正に被害妄想そのもの―(爆) 

「このヤロー!上等だぁ、やってやろうじゃネェーかぁー!!!」ってな感じになる、困ったもんだ。「神様、俺に時間をくれー」、なんて聞き古した言葉だが、身に沁みる。
ま、これはさっきのワインが見せてくれた、一炊の夢(※2)だが・・・・。頼もしい事に我が弟子であると同時に松原教授、ビジネスマンクラス直属の○○も、優しそうな顔をしているのにそんなことを言っていた(勿論、俺と違って品は良いが―笑)

2006冬

※1・・連載漫画「上等だぁ!」第14話参照

※2一炊の夢・・盧生(ろせい)という青年が、邯鄲(かんたん)で道士呂翁から枕を借りて眠ったところ、富貴を極めた五十余年を送る夢を見たが、目覚めてみると、炊きかけの黄粱(=大粟)もまだ炊き上がっていないわずかな時間であったという「枕中記」の故事。人生の栄枯盛衰のはかないことのたとえ。一炊(いっすい)の夢。盧生の夢。邯鄲(かんたん)の夢。 [大辞泉より抜粋]

文書日付2006.11.24

2017.7.7  【大会結果】第10回 青森県空道選手権大会 結果

【大会結果】第10回 青森県空道選手権大会 結果6月25日に三沢市武道館で行われた、第10回青森県空道選手権大会の結果と、三沢・青森市支部 五十嵐 祐司支部長によるレポートを公開いたしました。

第10回 青森県空道選手権大会 結果

三沢・青森市支部 五十嵐 祐司支部長による大会レポート

コラム08 チョットとした「知った振り話」

9月7日から、中央アジアのカザフスタンにセミナーに来ている。カザフスタンは「旧ソ連から1990年に独立しナザルバエフ大統領の強力なリーダーシップで政治・経済改革をすすめ、政情の安定から経済的発展が著しい国で、先月28日に小泉首相が来訪し、世界第2の埋蔵量を誇るウランの鉱山開発技術や原子力発電所導入の協力など両国関係の強化を図った国」、というのが来るまでの知識だった。

が実際に来て見るまではこんなに発展した国だとは思わなかった。石油とウランのお陰で結構豊かで、金持ちが多く、意外なことに地震国だそうで(とはいっても月に1回くらいと、日本とはレベルが違うがー笑) その為に高いビルこそ少ないが、街には高級レストランや、ショップがあり、車の定番、ドイツ車を始め、一番人気だという、トヨタの5,600万円する車がバンバン走っている。

それにしても武道は本当に日本の宝だ。どこに行っても武道を通じて日本の評価は高い。今回も空道を習いたいといって車で2日間(!)掛けてセミナーに来た国がある。「指導員でわが国に来てくれる人はいないですか」と、真剣な面持ちで聞かれる。(今の若い日本人にはそんな気概はないよ。豊かになり過ぎたんだね」と笑い話にするしかないのが寂しいが・・・・)

しかしそれにしても、国際関係の樹立、維持の為には、上記の政治の働きかけは勿論政治の本道だろうが、もっと足元の宝にも目を向けて欲しい。 政治がその掌中の珠に気付かないで「年間百数十億円ものODA(途上国援助)でまず経済援助(金)だ」と思っているから、金の切れ目が縁の切れ目となることを恐れ、自分の国だって負債何百兆円などという恐ろしいことになっているのに止められない。果ては日本から貰ったODAを自国のODAとして第3国に回してその国を反日国家にしている国すらある。笑えないマンガだ(泣)

そのODAの何分の一(十分の一でも10億円以上だ!)の金をかけて武道を奨励すれば、昨今世上を騒がせない日がないほどに崩壊している青少年対策にもなるし、育った武道家を何年か海外へ出して武道を教えさせれば、それこそ外から日本を見ることでいかに日本が素晴らしい国かということが分かり、いかにしてこの国を守ってゆかなければならないかという、単なる評論家ではない真の国際人にもなる。彼らが戻ってきたなら対外的な仕事に着かせれば、教えられる側は、みんなで楽しむスポーツではなく、自己との戦いが主となる武道を選ぶような人間だから、その国を動かすほどに成長する人間が何人も出る。彼らはずーっとその日本人、ひいては日本のファンになるから、その後の対日関係にズーッと寄与する。良い事だらけなの・・・・。

やっぱ俺が首相にでもなんねえーとダメだな(笑)

 

文書日付2006.9.11

コラム07 チョット待った“武士道精神” 改訂版

当コラムは2002年に発行されたエッセイ集『日々是雑念』に収録された文章を加筆・修正したものです

◎「武士道精神」の復活?

最近、老若を問わず多くの言論人により、又それに力を得て、武道を愛好する人々の間に「武士道」という言葉が頻繁に唱えられるようになった。さすがに始めは「アナクロ(時代錯誤)と取られるのでは」と及び腰で「オズオズ」と、意外に思ったほどの反撃も見えないと分かった最近では「堂々と」、「武士道精神」の復活が声高になされるようになった。 待望される理由を私なりの解釈で翻訳(?) すると大体以下のようなものだ。

昨今の、日本をリードすべき層の堕落・崩壊は凄まじい。政治家(屋?)は、国の名誉などより、安全第一の叩頭主義(?※1) 官(奸?) 僚は公僕意識どころか特権意識、親方日の丸意識での汚職、血税浪費。経(傾?) 済人の、「ハゲタカと言われようが、何と言われようが屁理屈を言わないで、要は、儲かりゃ良いーんだ主義」、文化人の「歴史に正義などはない。力関係しかないから、長いものには巻かれるしかない」といった恥も外聞もない、小心翼翼、厚顔無恥、弱肉強食、敗北・虚無主義、等々。

※1:叩頭主義(東の造語):相手の無理難題にも、叩頭(頭を地に付けて拝礼するさま)を旨とし、事を荒立てない別名、臣従主義。

かつて、明治維新期に日本を訪れ、「何千年の歴史などと言っても、たかが東洋の島国だ、教育してやる」と高をくくって来日した諸外国の来訪者たちが、その当時、既に寺子屋の普及で世界最高だった識字率(50%。イギリスで20%))の高さに驚き、逆に「貧しいが高貴で誇り高く優秀な民族」とまで評価された、あの日本人はどこに行ったのだ?!(今こそその根底をなした「武士道精神」を復活させるべきだ!!と続く→後述) 私の歴史の知識は高校程度のもので、学生生活もバイトと空手(と宴会)にその殆どが費やされ、専門的に歴史や哲学を勉学する時間はなかった。従って、歴史や政治の本を読むのが好きというだけで、そういった社会事象やそれへの反動として唱えられ始まった「武士道精神」に付いて言いたい所があっても、中途半端な知識で「偉そうな、訳知り顔な事」を言って恥を掻くようなことだけは避けて来た。

それでも、何故今日のような日本らくになったのかに付いて考えるきっかけとして、始めは20数年前、機関紙「大道無門」の中で、数年前はエッセイ!「日々是雑念」中の「チョッと待った武士道」の中で、国際連盟事務局次長、新渡戸稲造博士の名著「武士道」に触れたことがある。 当時は正に「何を今更、“武士道”等というアナクロな話を」という感じで無視されたものだったが、この本は、その後、年を経るに従って加速度的に、様々な出版社から、様々な言論人の解説付きで出版されるようになった。

要約すると「唯一神を持たない、従って、神による行動の指針を持たない、(しかも“理”と、“利”に聡い) 日本人が、あからさまな生存競争もなくそれなりに穏便な社会を維持してきたのは、日本の歴史に“武士道精神”があったからだ」、述べられている」と。 「歴史に見る日本の行く末」で日本の教育の崩壊を予言した、小室直樹氏は「人をつくる教育国をつくる教育」の中で、「堕落した日本人の再生は偉大な人物を生み出す『松蔭教育』しかない」「松陰の教育の極意は、『死に甲斐』であった。「武士道とは、死ぬことと見つけたり」は、将に吉田松陰のエートス(精神)そのものである。 最近ではベストセラー「国家の品格」を著した、藤原正彦お茶の水女子大学理学部教授が「いま日本に必要なのは、論理よりも情緒、英語よりも国語、民主主義よりも武士道精神であり、「国家の品格」を取り戻すことである。と述べられている。

柄に似合わずの“活字好き”でも、仕事(事務雑務、メール送受信、作文、指導、自主錬、渉外、社交、等々)に追いまくられ、中々時間の取れない最近は、手っ取り早く情報を仕入れる為に一寸した時間は、「ゴルゴ13」や、「ゴーマニズム宣言」などの情報漫画(?) を読んで向学心(爆笑)を満たしている。

特に、真摯で広範な学習から読み込まれた情報や知識を、一般人の常識感覚で選別し構築した、素朴だが、骨太な論理をベースに描かれる、「ゴ-マニズム宣言」(小林よしのり氏)は、面倒な問題でも、考えやすく調理してくれるので、自分程度の「浅学な訳知り顔」にも、適度な刺激を与えてくれる有難い漫画だ。数年前、その中でもやはり「武士道精神を備えたものに政治をさせろ」と書かれていた。

このように、最近様々な場で“武士道精神”が称えられている風潮を感じるにつけ、「何でもかんでも合理主義の西欧が優れていて、非論理的、情緒的な日本は駄目な国」だという、敗戦以来ずっと引きずってきた“敗戦ショック”からの、戦後50年を過ぎてやっとの、覚醒として私も大いに喜びたい。 とは言っても、へそ曲がりな性分からか、この風潮に諸手で賛成は出来ず、実際にその風潮に悪乗りする、武士道精神とは全く縁もゆかりもなさそうな、「外見で武士道を売りもにする武道家」が最近澎湃と出現するのを見るにつけても、再び「チョッと待ったぁー!」と言いたくなるのだ。

実際、上記の「ゴーマニズム宣言」にも、「武士道精神を評価してもらうことは有難いが、人よりは少しは実践的、多角的に触れて来た者として、“武士道”に連なる“武道”(≒)を実践する現場を見たとき、それは危険な礼賛では?」と手紙を書かせて貰ったものだった。

忠誠、犠牲、信義、廉恥、礼儀、潔白、質素、倹約、尚武、名誉、情愛などなどを重んずる“武士道精神”(広辞苑より)は正しく理解されて行動の規範になれば,その責任意識や“恥”を知る日常行動により、現実に徳川三百年の平和をもたらし、義に殉ずる精神力、死をも恐れない“潔(いさぎよ)さ”により、明治維新のような偉大な成果を生むとは思う。

しかしこの武士道精神は一歩間違えば、武士≒死を賭して主君に仕える者(侍ふーさぶらふ、即ち“侍”)という図式から、ややもすると、単純で分かりやすい“葉隠れ武士道”――「武士道とは死ぬ事と見付けたり、二つ二つの場にて、早く死方に片付くばかり也、(中略)犬死などという事は上方風の云々・・・。」(山本常朝)―という極論に、簡単に走るきらいが大きくある。また現実に、昭和期の“問答無用”の軍閥政治を招いた歴史的事実があったことも忘れてはならないと思うのだ。

“武士道精神”とはある意味で、強い肉体と靭い精神とのバランスを失わないだけの“強靭さ”を持った吉田松陰のような“天才”、もしくは、そこまでは要求しないにしろ、かなりな“人間(社会)通”で分別のあるものが持つのなら、命懸けで社会人類の為、言葉を変えれば「誇り高く、公に生きる」という、理想的な意志を強固にしてくれる強力な武器(?)だとは思う。 しかし、中途半端な、肉体だけが強くて、「普通の精神や分別しかない者」が扱ったなら、それは“命懸け”という極彩色で形容される部分だけが肥大化し、生命を抹殺するという過剰な精神量とに酔い痴れて、「“死”という絶対的な恐怖」を乗り越える時に感じるであろう高揚感が一人歩きし、忽ち、簡単に全てを、己だけではなく他人をも、抹殺できる“凶器”にもなりうるものだからだ。

醒めた言い方をするなら、自分だけなら「、ご自由に」とも言えるかもしれないが、それには止まらず、同じ事を他人にも要求し始めるのだ。当然、死んだ本人が、ではなくそれを賞賛した周囲の“空気”が。いわゆる“詰め腹”も含めて。

本当の死を前提として闘って来た訳ではないが,少なくとも現代で、最も直接的に相手を倒す事を前提とした“闘い”を追求し、肉体の威力と精神の凶暴さの境界に立つ高揚感を、充実もしくは喜びとして体感して来た者の一人として、その極限の(正確に言えば、極限に近い)至高感が分かるのだ。

そういう意味で昨今の、楽天的な (?) 「武士道」礼賛の風潮には慎重でありたいと思う。 “武道の教育効果”を誰よりも訴え“武道が評価される事”に無上の嬉しさを感じ、“情”や,“熱”を人一倍大事にしたいと思いながらも、「肉体の持つ“狂気” というものを知る者として、その怖さを真に理解しコントロール出来る者でなければ、“武士道精神”を軽々にもてあそぶべきではない、と訴えたい。

“武士道精神”という劇薬を安易に賞賛することは、本来の“武士道精神”が根底に持つ“理”よりも、その表層である“熱”や“情”に浸る快感に陥って振り回されてしまう危険性を同時に抱え込むことだ。あくまでも“情”や“熱”は、“理”のコントロールがあってこそ正しい方向に向かう」という事を、遠慮会釈なく、くどいぐらいに叫びたい。

◎「“武道精神”とは?」

「武士道に連なる武道」と述べたように“武道”は“武士道”から生まれたものだから、当然多くの共通の価値を共有してはいる。しかし、大きく似て非なる点がある。それは“死”というものに対しての捉え方の違いである。

さて、「“武士道”とは死ぬ事と見つけたり」というあまりに有名な葉隠れ武士道の一節から、“武士道”には「命を惜しまない心構え」が最初からあったような錯覚を持っている人が多いのではなかろうか?私はそれは違うと思う。“武士道”の原型は、“死”が日常的にあった戦国時代に、死の恐怖を乗り超えるために、仏教や儒教をベースにして萌芽したものだと思うが、しかし実際その頃の“兵の命”は戦力として掛け替えのないものだったはずで、「その場その場で早く死んだ方が真の武士である」(山本常朝「葉隠」)等とは、絶対に考えなかったはずである。

ところがその後、江戸中期の安定した時代、当然、死が稀なものとなり、死を恐れる風潮が出て来た。そんな時代、物事への対応や己の出処進退の判断をする時に、命を惜しむのが一般的な人間の自然な性(さが)であるから、逆説として「武士道とは死ぬ事と見つけたり」という極論に到れば、少なくとも卑怯・無責任の謗りは招かないとして生まれたものであろう。即ち当初は「命を惜しむ風潮を嘆いた論」だったはずである。

山本博文 東京大学史料編纂所々長は「葉隠の武士道」の中で、「しかし『葉隠』は武士の処世術に満ちた書物なのである」、「作者の山本常朝は、職務をより全うする為にも出世しなければと思い、自分が家老になる為にひたすら藩主に迎合するように努めた」とすら書いている。ここまで書かれると寂しい気もするが、「職務を全うする為に」という前提なら「理想と現実の折り合い」という意味で、ま、腑に落とせるか・・・・。

そもそもは、単に、地方藩の藩主の側役ではあったが、さして重要な役目を務めたとも言えない、ましてや家老などではなく、主君の死に殉じて隠棲した一老人(山本常朝)の悲憤慷慨(?)を、彼に私淑した若い祐筆役(書記)が纏めたのが「葉隠聞書」であり、当初は「鍋島論語」として佐賀藩士の間でのみ読まれた物である。

ところが日本は言霊(※2ことだま)の国である。ましてや「平和な時代には過激な言論が好まれる」という定説(?)そのままに「武士道とは死ぬことと見つけたり」という、正しく「鬼面人を威す」その言葉が、太平楽の江戸時代には「新鮮な過激思想」として一人歩きし始め、一地方の「聞き書」の一節、「その場その場において早く死んだ者が、真の武士だ」が、「武士道そのもの」となってしまった。

※2:言霊(ことだま) 言葉に宿っていると信じられる霊的な力。古代その言葉の不思議な威力によって吉凶様々な事象がもたらされると信じられ、畏敬された。

現代社会も「生き馬の目を抜く競争社会」ではあり、人はそれぞれの場で“闘って”いるし、いざとなれば否応なく命を懸ける場面に突き当たるはずだ。身近な例で言えば、普段は「武士道精神」などという高邁な精神など毛ほどにも見せない、ごくありふれた中小企業の社長だって、会社が立ち行かなくなれば“死”を選んでしまうのが、善し悪しは別にして、“現実”である)

しかし、少なくとも現代の競争・闘争は“始めから死を前提とした闘い”ではなく、逆に多くの人は“生”を前提とし、豊かな“生”を享受しようとして日々競争し闘っているのではないか? 確かに、競争の激しい社会ではあるが、現代に生きる人々は闘争心や攻撃心を掻き立て闘いながらも、信義、廉恥、礼儀、名誉といった多くの倫理観により、最低限の人間相互の信頼関係を失わず、社会秩序を維持し、安定した社会を成り立たせているのが現代である。

多くの人も、まさか“生”を前提とした現代において「生きるとは,いかに見事に死ぬかと言う事である」とはもはや言わないだろう。即ち、“武士道精神”から少なくとも、前提としての“死”の部分を除いて信義を重んじ、正々堂々、積極的に生きる、等々が現代に求められている精神なのだ(これが私の言う“武道精神”である)

武士道と比べた時、それ(武道)は人を、国を動かすまでの本質的な力を持たないという人もいるかもしれない。あくまでも厳然たる死が存在するから大きな力となりうるのだと。それではそういう人達は、“死を恐れない”と言う意味で“武士道精神”と似通うパレスチナとイスラエルの“殉教者”による、果てしない、不毛の、としか思えない、自爆合戦を“積極的”に称賛するのだろうか?

そういうと、今度は、「正しい武士道精神は「滅私奉公(己を去り、公に殉ずる)」の精神で実行され、無関係な他人を巻き込んだりはしない。自爆テロはあくまでも、「来世での自分の幸福」を担保され(妄信し?) 実行され、無関係の人間を殺すことを躊躇しない」と言われる。

それは身贔屓(?)というものではないのか?少なくとも、特攻を敢行した人達が、死を賭しながら自分の為ではなく国を想ったことは疑わないが、一方で、自分の死が自分の家族や親類縁者への、(国や地域からの)何らかの“評価”に繋がると信じてもいたはずだ。  更に、命を奉ずる事だけが至高の善だとするならば、漠然とにしろ「命を大切にする事」、「生きて幸せになる事」を志向しながら、今日まで連綿と続いて来た、人間と文明の進化を否定してしまう事になるだろう。

この程度の小論でそこまで厳密に言うこともないと思うが、テロルは政治的軍事的弱者が、圧倒的な強者に対抗しようと思う時、その一つの手段となる可能性は現実的には否定できない。しかし、道義的、倫理的には、絶対許されない。としなければ、平和な社会の前提が崩壊する。

そう考えた時、嘗て「死の対称としての生を輝かせた精神」ではなく、「始めから生そのものをより輝かす為にある“精神”」こそが、現代に生きる我々が拠り所とすべきものなのだと思う。そしてそれを育ててくれる大きな一つは、現代社会には観念として存在はしても、現実に実践されることのない“武士道精神” (観念は過激になりがちだ)ではなく、“武道”として生身の人間によって実践される中から育くまれる“武道精神”だと確信している。

真のリーダーが死を賭して事に臨む心掛けを、自己に向けて(他に対してはではない、“絶対”に!) 胸中深く秘めているのなら、我々凡人の及ばない所だが、社会を成り立たしめている圧倒的多数の我々凡人が掲げて、触れて良いのは“武士道精神”から“死”を除いた“武道精神”までだと、私は思う。

文書日付2006.4.28

コラム06 「武道を生きる」に寄せて

今そちらこちらで“武道理論家”や“学識経験者”の武道への発言が相次いでいるが、中には体現者の言語アレルギーへの陥穽を付いた、到底承服できない“脳内達人”がかなりいるように見受けられる。著者は中学から柔道を始め6年間の修行の後、名誉段のない大道塾で全くの白帯から実力で四段位まで獲得した「本物の武道体現者+理論家」である。中でも同感したのは 1.柔道の練習法で、「打ち込み」と「乱取り」を繋ぐ稽古法がない」、また2.「選手個々人の個性(身長、体重、反射神経、性格など)が違うのだから、Aに良い技、タイミングが必ずしもBにいいとは限らない」などなど、著者の慧眼を感じさせるくだりが随所にある、同好の士なら是非座右に置きたい本である。

1.柔道の練習法について

打撃系で言うと、基本(打ち込み)はあるが実際に掛けるタイミングを学ぶ、約束組み手からマススパーまでの練習体系がない、と言うことである。(今は取り入れているところも結構あると思うが。)

自分も柔道を始めた頃感じたことで、高校1年のあるとき、偶然“体落し”が先輩にも面白く掛かり始めた。しかし、1ヵ月もするとタイミングを覚えられて全く掛からなくなった。焦って色々変化させてみたが、体系化されて覚えたものではないから、二度とそのタイミングは戻ってこなかった、という苦い経験がある。空手を習い始めた団体でも同じで、延々と基本(約1時間)と移動稽古(約1時間)の後は体力トレ(約30分)を行い、その後はすぐに「組み手」だった。これでは技に対する反応が出来ていない後輩はやられる一方で怪我も多かった。

自分が指導員になってからは、余計なことはするなと言われながらも、当時「寸止め」にはあった約束組み手を、「フルコン用」に組み立てて行ったところ、後輩が急速に伸び自分の良い練習相手になったものだった(笑)。また支部を持ってもすぐに「杜の都の○○軍団」などと、経験2、3年の若手でも全日本大会で3回戦位までは進出した。

2.「選手個々人の個性(身長、体重、反射神経、性格など)が違うのだから、Aに良い技、タイミングが必ずしもBにいいとは限らない」について

武道理論は百人百様である。だから私は弟子が色々稽古方や鍛錬で試行錯誤していても、自分の理論に合わないからといって、一概にああだこうだとは言えない。ただし「その理論の当否は他と交流する試合の結果で評価される」というのは厳然たる鉄則である。

ここを踏まえないと、「試合は完全な実戦ではない。だからルールのある試合で真の実力は測れない」という、玄妙な理論の「幻の武道」が華々しく登場し、短時日は目を欺いてもいずれ真の姿が晒され消えて行った、これまで同様の「打撃系独特の歴史」の繰り返しになる。

「試合は殺し合いではなく、最低限“生”を前提にする以上本当の闘いではない」は当然だが、しかしまた、逆にその程度すら証明できない理論を信じろとなると「鰯の頭も信心から」ではないが、「信ずる者だけが救われる」、「信ずる者にしか分からない」“宗教”になってしまうのではないか?大道塾は疑問を持ちながらも、評価されているなら他のルールでもそれなりに証明して来た。

ま、個人的には別にそんな玄妙なものは縁がないから証明して欲しいとも思わないが、言葉で相手を幻惑するのも立派な技である“武術”ではなく“武道”を標榜して、青少年育成、成人の自己実現力向上の道を標榜するなら是非公開の場で証明し若者達が疑念なく取り組め、また、“頑迷固陋”な我々にも正しい武道の光明を当たるようにして頂きたいものだ。

文書日付2006.4.18

書籍紹介

武道を生きる 表紙武道を生きる 日本の現代 17
価格  ¥2,415 (税込)
松原 隆一郎 (著)
単行本  288 ページ
出版社: NTT出版
ISBN: 4757141084

「武道を生きる」書籍紹介