コラム06 「武道を生きる」に寄せて

今そちらこちらで“武道理論家”や“学識経験者”の武道への発言が相次いでいるが、中には体現者の言語アレルギーへの陥穽を付いた、到底承服できない“脳内達人”がかなりいるように見受けられる。著者は中学から柔道を始め6年間の修行の後、名誉段のない大道塾で全くの白帯から実力で四段位まで獲得した「本物の武道体現者+理論家」である。中でも同感したのは 1.柔道の練習法で、「打ち込み」と「乱取り」を繋ぐ稽古法がない」、また2.「選手個々人の個性(身長、体重、反射神経、性格など)が違うのだから、Aに良い技、タイミングが必ずしもBにいいとは限らない」などなど、著者の慧眼を感じさせるくだりが随所にある、同好の士なら是非座右に置きたい本である。

1.柔道の練習法について

打撃系で言うと、基本(打ち込み)はあるが実際に掛けるタイミングを学ぶ、約束組み手からマススパーまでの練習体系がない、と言うことである。(今は取り入れているところも結構あると思うが。)

自分も柔道を始めた頃感じたことで、高校1年のあるとき、偶然“体落し”が先輩にも面白く掛かり始めた。しかし、1ヵ月もするとタイミングを覚えられて全く掛からなくなった。焦って色々変化させてみたが、体系化されて覚えたものではないから、二度とそのタイミングは戻ってこなかった、という苦い経験がある。空手を習い始めた団体でも同じで、延々と基本(約1時間)と移動稽古(約1時間)の後は体力トレ(約30分)を行い、その後はすぐに「組み手」だった。これでは技に対する反応が出来ていない後輩はやられる一方で怪我も多かった。

自分が指導員になってからは、余計なことはするなと言われながらも、当時「寸止め」にはあった約束組み手を、「フルコン用」に組み立てて行ったところ、後輩が急速に伸び自分の良い練習相手になったものだった(笑)。また支部を持ってもすぐに「杜の都の○○軍団」などと、経験2、3年の若手でも全日本大会で3回戦位までは進出した。

2.「選手個々人の個性(身長、体重、反射神経、性格など)が違うのだから、Aに良い技、タイミングが必ずしもBにいいとは限らない」について

武道理論は百人百様である。だから私は弟子が色々稽古方や鍛錬で試行錯誤していても、自分の理論に合わないからといって、一概にああだこうだとは言えない。ただし「その理論の当否は他と交流する試合の結果で評価される」というのは厳然たる鉄則である。

ここを踏まえないと、「試合は完全な実戦ではない。だからルールのある試合で真の実力は測れない」という、玄妙な理論の「幻の武道」が華々しく登場し、短時日は目を欺いてもいずれ真の姿が晒され消えて行った、これまで同様の「打撃系独特の歴史」の繰り返しになる。

「試合は殺し合いではなく、最低限“生”を前提にする以上本当の闘いではない」は当然だが、しかしまた、逆にその程度すら証明できない理論を信じろとなると「鰯の頭も信心から」ではないが、「信ずる者だけが救われる」、「信ずる者にしか分からない」“宗教”になってしまうのではないか?大道塾は疑問を持ちながらも、評価されているなら他のルールでもそれなりに証明して来た。

ま、個人的には別にそんな玄妙なものは縁がないから証明して欲しいとも思わないが、言葉で相手を幻惑するのも立派な技である“武術”ではなく“武道”を標榜して、青少年育成、成人の自己実現力向上の道を標榜するなら是非公開の場で証明し若者達が疑念なく取り組め、また、“頑迷固陋”な我々にも正しい武道の光明を当たるようにして頂きたいものだ。

文書日付2006.4.18

書籍紹介

武道を生きる 表紙武道を生きる 日本の現代 17
価格  ¥2,415 (税込)
松原 隆一郎 (著)
単行本  288 ページ
出版社: NTT出版
ISBN: 4757141084

「武道を生きる」書籍紹介