第9回「加藤和徳&加藤智亮」

2014年に兄・和徳(写真左)が-260優勝。2015年に弟・智亮(右)が-250優勝。空道の全日本選手権・男子において、初めて兄弟で全日本王者となった加藤和徳&加藤智亮。智亮の優勝は1997年のセーム・シュルト以来、実に18年振りの大道塾外団体所属選手の全日本制覇でもあった。二人は揃って2018年世界選手権の代表に選出されている。兄弟が揃って日本代表に選出されること、大道塾外団体所属選手が日本代表に選出されることも、また、史上初の快挙。そこまでの道程には、空道との不思議な縁があった……。
(2018年10月7日・全日本空道連盟広報部取材)

――まず、お生まれからおうかがいします。

 昭和60年(1985年)11月6日生まれです(取材時32歳)。

 自分が昭和61年(1986年)12月10日です(取材時31歳)。

――スポーツ経験は?

 二人ともサッカーですね。 自分はサッカーを小学校のクラブ活動で始めて中高と部活で。弟は小中の途中まで。それから空手ですね。

――空手を始めたきっかけは?

 僕が中学生の頃、同級生と喧嘩して、ちょっとやられたんでやり返したくて。それで、最初に、近所の体育館で空手の先生に教わってたんですよ。そこには兄貴もちょこちょこ来てたよね。

 そうだね。たまに行ってましたね。フルコン経験のある先生で、実戦志向で独自の喧嘩術みたいな。

 そのときに、そこに大道塾の佐野(教明・新宿支部師範代、2004全日本-240準優勝)先生が出稽古にいらっしゃって、そこで始めて空道を知ったんです。

――意外なところにめぐり逢いがあるものですね。

 ええ。顔の広い先生で、よく出稽古の方を呼んでくださる先生で、ヘビー級の方がいて、自分なんか体重が軽くて、いつもやられていたんですけど、佐野先生が来て、その方と組手しているのをみていたら、頭突きして一本背負で投げたんですよ! 「うわぁ~、スゲェ」って中学生ながらに感動して……。で、その後、近所に出来た極真空手の道場に入りました。

――どちらの道場に?

 大泉学園にある道場で、松井派の城北支部(川本英児支部長)ですね。父親も先に入門していました。

――お父さんに勧められてそこの道場へ?

 いえ。オヤジがやってるのすら知らなくて「格闘技をもっとやりたい!」と思って探して行ってみたら、たまたまオヤジがいた、と。

――お父様は、昔から極真空手をやっていたわけではなく?

 昔は高校の部活で伝統派の空手をやっていて、その頃、たまたま近所にフルコンの道場が出来たから、久々に始めたっていう…。

――その後、極真空手はどれくらい続けられたんですか?

 自分が中2くらいで入って18歳までやっていました。

 自分は18から始めました。高校までサッカーを続けて、引退してから、卒業間際に弟とオヤジのいた道場に入門して、2年くらい、全日本を目指して稽古しました。

――弟さんの方が、先に始めていていたんですね。

 3~4年でしょうか。ただ、兄貴が入ってくるまでは、さほど真面目にやっていなくて週2回程度です。茶帯までやりました。

――その後は?

 弟が19くらいのときに、弟が全日本の予選に出たんですけど、そこで胸の骨を折っちゃって。

――胸骨を?

 はい。それでしばらくフルコンルールの組手が出来なくなってしまったのでキックボクシングに転向したんです。

――顔面パンチを求めてでなく、胸を打たれないことを求めて、フルコンからキックに転向するというのは、珍しい転向理由ですね。

智 いやぁ、胸骨を何度も何度もやっちゃって、病院に行ったら、骨折しすぎて偽関節っていうのが出来てるって言われて、やっては治してやっては治しての繰り返しで、胸を打たれないためにはどうすればよいかと考えた結果ですね。ちょうどK-1も流行っていたんで、じゃぁ、キックやろうかなぁ、と。

――松井派の城北支部といえば、川本英児支部長がキックボクシングにも取り組んでいらしゃるのでは?

 今はやっているんですけど、当時はやっていなかったですね。

――最近、首相撲とかまでやりこんでいる練習の様子を動画サイトでみましたが…。

智 そうなんですよ。今はやっているんですけど、当時は「胸がどうしても痛いんで…」って先輩に相談したら「キックなんて絶対ダメだ!」って言われて「我慢してやれ!」と。

――我慢! 極真空手のスピリットですね。

 で、我慢してやっていたんですけど、我慢できなくて、勝手に辞めちゃってバンゲリングベイというキックボクシングのジムに入ったんです。それが19か20のときです。

――おぉ! 新田(明臣)さんが会長のジムですね。新田さんも元々、大道塾総本部塾生で、その後、キックに転向したんですよ。

 へぇ!

 その後は今に至るまで、ずっとバンゲリングベイで。で、途中で兄貴が道場を出してからは、そっちに週2回行って、他の日はほとんどバンゲリングベイに。

 自分は18で極真空手を始めて、1年間浪人だったんですけど、勉強せずに毎日稽古しちゃってたんで、大学に行くのは無理だなと思って情報システム系の専門学校に行って、2年間通って食品メーカーのシステム部に就職しまして。

――いわゆるSE?

 まぁ、社内SEみたいな感じですね。

 自分は週2くらいで稽古してたのに、兄貴は浪人しているときに毎日通うから、一気に抜かれちゃって。

――サッカーをやってきて、なぜ空手に?

 弟の影響もあったし、弟が通っていた極真会館城北支部に同級生が通っていたこともあって。もともと、単純にケンカが強くなりたいとも思っていたし、サッカー辞めて運動できる場所が欲しくて。

――浪人生で週6日通っていたんですか……。

 勉強する気がないだけなんですけど(笑)。

――勉強から逃げたくて稽古する、みたいな。

 そうです、そうです。逃げです。

――“受験あるある”ですね。その後は?

 20歳くらいの時に、極真会館城北支部の富士見台道場責任者だった井上誠吾先生が独立して誠真会館を立ち上げられて、自分たちがお世話になっていた大泉道場の加藤邦顕先生も行動を共にされたので、自分もそちらに移るかたちとなりました。4年間サラリーマン生活を送りながら、清瀬道場というところで稽古して、はじめの2年間は稽古出来ていたんですけど、3年目から出張の多い課に異動になってあまり稽古が出来なくなって、その時に「指導員にならないか?」とお声掛け頂き、25歳の時に東伏見道場を開設しました。

――それ以降、会社員を辞めて専業で空手指導を?

 おかげさまで。たぶん、場所がよかったんじゃないかと思います。周りに競合する道場がなくて、学校がいっぱいあるところを選んで、テナントも1階で、外からみやすいところにあるんで。そういうのが良かったんじゃないか、と。子どもと大人、半々くらいの生徒がいます。

――フルコンタクト空手の道場?

 フルコンなんですけど、僕が道場を立ち上げてから、弟も誠真会館にも所属するかたちになったんで、一緒にキックの練習もしたりとか。弟も胸を怪我しない程度にフルコンの練習をしたりとか。お互いにいろいろやりながら「空道にいつか出たいね」と話していたんです。

――最初にみた頭突きからの投げが、原体験としてあったのですね。

 それと、自分も道場を出すにあたって人さまに教えるには実力が足りないな、と思って。それで、2011年の1月か2月、サラリーマンを辞めて、道場を開く前に、大道塾の吉祥寺支部に入門しました。そのときに飯村支部長に「自分、他の団体の空手をやっているんですけど、入っていいですか?」と伺ったら「おぅ、いいいんじゃねぇか?」って仰っていただいて。その数カ月後に道場を出しました。

――昔は、グレイシー柔術的に、各道場とか各武道・格闘技が秘伝を守るために“掛け持ち”を禁じる風潮がありましたが、今の時代は、みんなでオープンにしましょうという時代ですからね。……でも、道場のトップがよそに習いにいくというのは、勇気がいるのでは?

 自分的には、なんでもっとみなさん行かないのかな? って思いますね。

――インプットする作業をせずにずっとアウトプットし続けることに無理がある?

 そうですね。それと、どちらかというと、自分自身がやりたいタイプでもありますし。

――……で、後から格闘技の世界に入った兄がそうやって道場を持つまでになるまでの間、弟はずっとキックを?

 そうですね。プロの試合にちょくちょく出ていました。

――高校を卒業してから、お仕事は?

 もともと高校が、田無工業高校の都市工学科っていう希望者の少ない、願書出せば誰でも入れるところだったんで、その流れで、攻玉社工科短期大学という夜間通学の短大で測量を学んで、途中から就職して20歳でサラリーマンになって4~5年務めて、兄貴がサラリーマンを辞めた頃、自分も24くらいで辞めて……。

 で、海外に行ったんですよ、青年協力隊で。アフリカ、タンザニアに。

――おぉ、空手やキックボクシングを教えに?

 いや。もともとやってた測量の仕事で。ただ、海外で働いてみたかっただけで。2年いて、向こうではボクシングが盛んなんで、ボクシングの試合は4回くらい出ました。

――動画でみた印象だと、アフリカの人って、草試合みたいな素人同士の殴り合いでも、もの凄くスピードが速かったり、よけるのが巧かったりしました。

 いや~! 強いです!! その時に世界の壁というものを感じました。何にもやってないのにムキムキの人がごっろごろいますし。身体能力が高い!

――空手はやらなかったのですか?

智 やりました。タンザニアに行くときに誠真会館の緑帯しかもっていなかったので、特別に昇段審査していただいて黒帯を頂いて向こうへ行ったんです。空手は型ばかりをやる感じでしたね。強くなりたい人はボクシング、セルフディフェンスを考えている人は空手をやる、という感じでしょうか。

――海外だと、空手はハイソな人たちが文化として学ぶという傾向はありますね。

 はい。

――ボクシングの試合は、草試合的な?

智 ええ。でも、向こうの新聞にも載ったりして。

――「日本人との国際試合が実現!」みたいな。

 いや「中国人が試合に出てた」って書いてありました(笑)。

――よくあることですね(苦笑)。多くの国の人からみると、東洋人はまとめて中国人なんですよね。……で、現地でのお仕事の内容は?

 バガモヨという街で、道をつくるため……、それ以前に地図をつくるための測量をしていました。基本的にはパソコンでの仕事で、たまに現場に測りにいく感じです。

――そこは、そんなにド田舎ではない?

 いえ、ド田舎です。2階建ての建物がないくらいで、コンクリートの建造物も少ない…。

――動物はいる?

 2~3時間車を走らせれば、キリンとかなんでもいます。

――なんでも! 象とかライオンとかも!

 国立公園に行けばいます。

――凄いですね。

 でも、街には来ないです。動物も危ないのが分かっているんで。

 分かってるんだ、動物も。

 うん、国立公園にしか、いない。

――でも、その国立公園は柵で囲まれているわけではないんですよね?

 ないんですけど、不思議なことに、動物も感覚で分かるんだと思います。テリトリーというか、これ以上、行ったら人間に殺されるとか。

――日本だと、熊とか人里に下りてくるじゃないですか。

 あぁ、そういう感じで、たまに来たりはするんですが、猟やってる人が狩って食べちゃうから…。

 食べちゃうんだ!

――凄いですね。……話を戻しましょうか(笑)。

 最初に自分が空道の八王子大会に出たときは日本にいて、その後、タンザニアに行ったんだよね。

智 その時は兄はまだ弱かった(笑)。

 で、2年経って帰ってきたら、もう全然強くなってて、今度世界大会っていうときでした。

 2011年に入門して、1年ちょっとして、2012年の八王子大会に出て優勝したものの、 関東予選では2回戦負け。それでも全日本無差別の出場権を得て、運よく3位になって。翌年、体力別では2回戦で渡部(秀一)さんに失神させられて。で、秋も全日本無差別はどっかで負けて、翌2014年に体力別(-260)で初優勝して。

――何がそんな変化をもたらしたのでしょうか?

 吉祥寺支部に入門してからシャドー、ミット、マススパー、首相撲といった練習を通して技術を多々学べたことです。パンチの打ち方、膝蹴り、前蹴り、ミドルキックの蹴り方、使い方、それらに対するディフェンス、間合いについて、そのほかにも細々とした技術を多く学びました。飯村先生がマンツーマンでミットを持って稽古をつけて下さるので、お陰様で入門当初からすると、かなりレベルが上がりました。吉祥寺支部の先輩方の影響も大きいです。

――吉祥寺支部にはプロのキックボクサーの方もよく出稽古にいらっしゃるようですが、そういった方々とも練習を?

 えぇ。印象に残ってるのは……大月晴明さんですかね。独特なスタイル、独自の技術論など勉強になりました。

兄・和徳の重いパンチ。

――それで世界選手権代表権を得た時期に、弟が帰ってきたわけですね。

 帰ってきたとき、世界代表に選ばれてかなり追い込んだ練習をしていて、体格が同じくらいの人がいなかったので、僕が相手をすることになって。タンザニアで結構筋トレしてたこともあって、途中から対応出来るようにはなってきて。

――吉祥寺支部は行きつつ、東伏見道場でも、空道の練習を?

和 自分が試合に出ているので、生徒のうち、何人かとは一緒にしています。

――基本はフルコン空手?

 そうです。あとは、まぁ、なんちゃってキックみたいな感じですけど、キックボクシングも。

――弟さんが空道ルールの試合に出始めたのは?

 2015年だよね? 2014年に自分が世界大会に出た後の、春の体力別大会に出て、いきなり予選でも全日本でも優勝した。

 清水(亮太)選手とか出ていなくて…。

 世界選手権直後で、笹沢(一有)選手とか、(アレクセイ・)コノネンコ先生とか、主要選手が出ない大会だったね。

――それはともかく、男子では初の全日本チャンピオン兄弟ですね。

 初なんですかね?

――えぇ。智亮選手は初の大道塾以外の団体所属の世界選手権日本代表選手でもあります。

 そうなんですか。

――過去、海外の選手では、大道塾外の団体所属選手が世界選手権に出たケース(2001年大会-260クラス準優勝のステファン・タピラーツなど)がありますが、日本人では初ですね。

首相撲からの崩しで相手を転倒される智亮。柔道やブラジリアン柔術の系統の投げ技・寝技はあまり行わない加藤兄弟だが、その分、首相撲からの展開でイニシアチブを握り、組み負けない

智 空道に出始めるときに練習していたのは兄貴の道場だけだったので、兄貴の道場の名前(誠真会館東伏見道場)で出たんですけど、兄貴としか練習していないと勝てないから、その後、自分も吉祥寺支部で練習させていただいていますから。

――では、今はお二人、練習環境は同じなのですね。

 そうです。

 毎週、水曜日の朝と金曜の夜はウチの道場で一緒に稽古して、火曜日は吉祥寺に行くと決めています。

――智亮選手はバンゲリングベイと合わせて3か所で練習を。

 そうです。

――お二人は独身ですか?

二人 いえ、結婚してます。

――お二人とも、自分の練習を日々行いながら、指導で家族を養っている?

 いえ、自分は自営業、工務店をやってます。部屋の内装をする仕事です。測量はパソコン上の作業が多くて、それが嫌いで、身体を動かせる仕事の方がしたくて。最初はバイトみたいなかたちではじめたんですけど、朝4時5時起きで夜8時くらいまで仕事して、それから稽古して12時くらいに帰ってきて…また朝4時起きという生活をしていたら体がもたなくて、独立して。それで、毎日練習できています。

――キックの試合出るときは、今もバンゲリングベイの選手として?

 そうです。

――キックの方での実績は?

 タンザニアに行く前はポンポン勝ってたんですけど、帰ってきたら、同期で一緒にやってた人がみんなチャンピオンとかになってて。自分もWPMFタイトル戦やJ-NETのタイトル挑戦者決定戦に挑んだのですが、勝ててないですね。

――空道の試合に出ようと思ったのは、やはり、中学時代にみた頭突きのインパクトで?

 それはありますね。あと、その近所の喧嘩空手家の先生に教えていただいた技術も、投げとか、崩しとかタックルの切り方とか意識しながらのものだったので、けっこうすんなりと空道のスタイルに移行出来たんです。寝技もやってはいなかったけど、切り方は意識していたんで。

――お二人は、アイデンティティーって言うんですか……、「打撃で勝つ」とか「空手家」とか、なにかポリシーとか信条のようなものを意識して空道に取り組んでいらっしゃるんでしょうか?

 空手から始めたんで、空手っていうのはあるんですけど、「ケンカで強くなりたい」という気持ちですね。

――そこが一番?

 はい。

――喧嘩に強くなるための空手?

 はい。

――空道は「ケンカ」に沿うもの?

和 そうですね。

――そういえば、2016年の全日本無差別選手権に和徳選手が出場した際、選手控室に10キロくらいのバーベルのプレートが置いてあるのをみたんですよ。そのとき「なんだろう?」って思ったんですけど、野村幸汰選手(188センチ、110キロ超)と試合しているのを観てピン! ときたんです。「空道ルールでは体力指数差が30以上あると、立ち技で組んだ状態での打撃が禁止になる。柔道出身の野村選手と対戦した時に、掴んでの打撃が出来るよう、計量時にプレートを持って体重計に乗り、体力指数差を減らしたのではないか?」と?

 そうです。服の中にプレートを入れて、体重計に乗りました。

 それ、言っちゃまずいんじゃ?

――ただ、そもそも計量は、リミットまで余裕のある人は、服を着たまま体重計に乗る場合が多いですから、凄く重い服を着て体重計に乗ったとしても区別は出来ないでしょうし、あるいは、水を5リットル飲んでから体重計に乗るとかも可能ですし。

 はい! ちっちゃかろうがデカかろうが勝てなきゃいけないと思っています。

――キックやボクシングなど、階級別の競技を行っていると、テクニック志向で、無差別には興味を持たないタイプが多いと思うんですが、無差別志向、ケンカ志向なんですね。

 はい。

――あぁ! それで「巌流島」大会にもエントリーを?(和徳選手は9月17日に開催された「巌流島・舞浜大会」での「第1回全日本武術選手権」にエントリーしたが、8月に肩を脱臼し、棄権。代わりに大道塾から渡部秀一が出場したが、2回戦でプロレスラー・奥田啓介のタックルで2回場外に押し出され敗戦。奥田がその後の試合も勝ち続け優勝した)

 そうなんですけど、自分も押し出されてたと思います(苦笑)。

――「俺だったらテンカオで倒せた」とは思わない?

 狙ってはいくと思うんですけど……。ただ、(奥田に準決勝で敗れた)原翔太選手が道場に来て、1~2ヵ月、弟と練習してたんですけど、とても強くて、あの原選手が押し出されるんじゃ、自分がやっても同じことになったんじゃないかなぁ、と。

――智亮選手は、日本代表強化練習等で、一人、大道塾外の選手ということで何か感じる?

 初めは意識していたんですけど、最近は日本代表の皆さん、仲間としてみて下さっているということを勝手に思っていて、溶け込んでいるんじゃないかな、と。他団体とか意識せずに、先生方が皆さん、真剣に教えて下さるので、すごく嬉しいです。

(CAP)日本代表強化練習で加藤清尚・行徳&東中野支部長に指導を受ける智亮

――それにしても、縁ですね。佐野師範代にはじまり、新田さん……と。

 根本に大道塾があったんですよね。

 いやぁ、まだ子どもだったから脳裏に焼きついていて、今でもよぎるんですよね…。無精ヒゲ生やしたザ・空手家みたいな方が、頭突きしてポーンと投げたのをみて、感動でした。

――頭突きって、みてどう思いました?

 いや、カッコいいなって思いました。それで崩して100キロくらいある選手を簡単に投げちゃうんですから。

――空道は面白いですか?

 めちゃくちゃ面白いですね。

 楽しいです。

 だからもっと普及すればよいのに、と思います。

――改善すべき点は何でしょう?

 全部の防具や白・青の道着から帯留めまでを揃えて、連盟加盟料も合わせると、かなりの額になってしまって、それだけ払わないと試合に参加できないから、大道塾外の選手がやりたいと思っても「じゃぁ、MMAのアマチュアでもいいかな」となってしまうんじゃないかな、と思うんです。

――競技自体は面白いのに、いろんな団体の選手が気軽に出れるような間口の広さがない、と。

 ビギナーレベルの大会では、用具の貸し出しとかあったらいいですよね。

 取っ掛かりの壁が高いんで、初めくらいは、どこの流派の道着でもそのまま出られる、拳サポも、どこのメーカーのものでも、OFGでもいいくらいでどうでしょう?

――ノースリーブの道着を着て出場されては組み技において有利になってしまいますし、拳に着けるものも、重さによって威力が変わってくるから共通にする必要があると思うのですが、かつては北斗旗も主催者側で面を用意していました。血液感染など、衛生面での安全が確保できるなら「NHGと脛サポと拳サポは貸し出しあり。道着は『肘上10センチまでは袖があるもの』であれば所属団体のものでもOK」くらいのビギナークラス大会があってもよいかもしれません。

 それでトライしてもらって、面白いと思ったら、予選大会に出てもらえばいい。

――予選からは、現状通り、参加する選手それぞれに正式な競技用具を揃えて頂いて。

 本当に魅力的な競技だと思うので、広まって欲しいな、と思います。

――アマチュア修斗なども「OFGやヘッドギアは主催者側が貸し出して、脛サポは規定を満たしていればどこのメーカーのものでも自由」だったからこそ、爆発的に競技人口を増やしたわけですからね。少なくとも“ガバナンス維持のためには、あんまり大道塾外の選手が出ていただかなくて結構”といった空気があってはいけない。……すみません、また脱線しちゃったんで、話を戻して一般的なテーマに。お二人、性格は違いますか?

 まったく正反対ですね。

 自分は細かいです。

智 自分はあんまり気にしないタイプなんで。

――スポーツは同じように得意で?

 僕は球技が得意で弟は球技が苦手で。

 兄貴が瞬発系の筋肉で僕が持久系の筋肉で。

――練習中に、兄弟喧嘩になるようなことは?

 しょっちゅうです。

智 こないだも喧嘩したばっかりです。

――どんなことで?

 ミットの持ち方で「もっとこうしてくれ、ああしてくれ」「そんなん出来ねぇよ」って口喧嘩になって、その後、組手になったらもうガチンコ……みたいな。あとは普通にマスやってても、片方がバーンといいのが入ると、ムカついて強く打ち返して、お互い強くなっていって、最終的にガチンコになっちゃう……というような。

――なんだか、初心者とあまり変わらない現象ですね(苦笑)。でも、逆に、兄弟だからこそのメリットもあるのでは?

 それは、ありますね。

 はい。一緒に頑張ろうっていう結束があります。

 最近、兄貴の方が強いんで、離されないようにって気持ちがあります。

――迫る12.1~2世界選手権に向けてはいかがですか?

 自分は前回、ロシア人(アレクセイ・カリトノフ=2014世界選手権-260クラス準決勝)に負けて、その前のロシアの大会に出て、アダン・カリエフ選手に負けて、ロシア人に2連敗しているので、2回戦とか早々に当たって、ロシア人を倒したいです。優勝は、もしかしたら出来ないかもしれないけど、とにかくロシア人をぶっ倒したいんです。

――優勝より、とにかくアイツらをぶっ倒す、と。

 アダン・カリエフとすぐ当たるところにトーナメントが組まれたら嬉しいです。しょっぱなから潰しにいきたいんです。

――1回やられた相手って、やりたくないとは思いませんか?

和 あの攻撃(カリエフの得意技である後ろ回し蹴り、後ろ蹴り)をもらいたくはないですけど……まぁ、一騎打ちのつもりで、優勝は清水君とか、伊藤君とかに委ねることになっちゃうのかもしれないですけど、腕の一本、足の一本、潰すつもりで。僕、まぁ、今、ケガもあるんで4試合闘えるかどうかも分からないんで、ケガの痛みが出ないうちに早くロシア人と闘いたいですね。

――8月に脱臼した肩は、やはり万全ではない……。

 一応、もう打撃はやっていて、あと1ヵ月したら組み技も再開できるかな、と。ただ、ロシア人とガンガンやってたら影響は出ると思うんで、そこにすべてを掛けたいな、と。

 自分は海外で2年生活していて、海外の人はみんな、武道を尊敬の目を向けているんです。「日本人って凄い」って思ってる。そこで、日本人が負けちゃ「なんだ、日本ってこんなもんか」って思われちゃうから、そう思われないよう、しっかり優勝したいです。

――タンザニアでは、日本や武道に対するリスペクトはやはり大きかった?

 予想以上でした。自分に何が出来るかといったら、綺麗な技も極められる技もないんで、ただ強さで見せるしかないと思うんで、しっかり勝とうと思います。

――世界選手権後は?

 もう無差別しか出ないつもりです。無差別で勝たなきゃ、強いとはいえないと思っています。

 無差別の世界大会あったらどうするの?

 それはヤバいね!

――野村選手に勝ちたい?

 それもありますし、小っちゃかろうが、デカかろうが全部の中で一番になるということが凄いと思うし、試合数が5回戦とか6回戦と多い中で勝ち上がっていくのが凄いと思うんで。

 目黒(雄太)選手とか凄いよね。

 ねぇ。オレ、負けちゃったし……(2015年全日本無差別準々決勝で、和徳は-230クラスの目黒に敗れている)。

――自分より二回り大きい野村相手とどう闘うか? 自分より二回り小さい目黒選手とどう闘うのか? 真逆なことを考えないといけないから、難題ですね。

 そうですね。

 自分は、まだ、世界選手権後のことは何も考えていないです。ただ、ひと階級上げてもいいし、無差別は出たいですね。