国際格闘空手道・空道連盟 大道塾総本部
代表師範・塾長 東孝
支部長・責任者・塾生各位
先日の「WARS6」の折には皆様方には運営や観戦、応援など様々にご支援頂き誠に有り難うございました。お蔭様で過去の「WARS」にも劣らないような印象深い試合の数々が繰り広げられました。しかしながら、いくつかの課題も残しました。それに付いて述べてみたいと思います。
以前は運営は塾生がしていましたが、大会のシナリオなどは専門家に頼んでいました。また、大道塾とは別なルールで行った為、選手の招聘も、審判も外部に頼んでいました。今回は「着衣の総合」という「北斗旗」「空道」にも繋がる「それ自体の価値を持つ“WARS”」の確立の為、シナリオの段階から塾生の手作りで、又、当然北斗旗をベースにした「WARSルール」という事で審判も、塾生の中で国際大会のライセンスである「S級ライセンス」を持つ審判を中心にして行いました。正に100%、「手作りの“WARS”」と言って良いでしょう。
選手の招聘も、大道塾の理念に似通ったフランスの“リュット・コンタクト”という柔道や、サバットを中心とした本格的な競技をベースにした“総合”で社会的にも認知もされている団体からしました。その為“格闘技界的”には地味な知名度でも、実力は素晴らしいものがあり、「これは!」といったような、印象を持たれた人が多かったと思いますし、マスコミ的な評価も高かったように思います。
その上に礼儀や作法もしっかりしており、多少はパフォーマンスも必要とされる日本の武道、格闘技界の現状に照らして、「北斗旗」とは違うからという意味で大目に見ている日本勢に比した場合、余計その立派な“立ち居振舞い・言動”が際立ったのは、私自身も含め最近の日本人の考える“武道(精神)”と海外勢のそれとの差を強く感じ考えさせられる点でした。
ま、醒めた言い方をすれば、このような高度に資本主義が発達し生存競争が激しい日本社会ではありますが、まだアメリカのような“弱肉強食社会”にまではならないのは “儒教精神を元にした武道精神“が、日本社会の根底に“社会規範”として間違いなく横たわっているからこそでしょう。だから、日本選手が多少羽目を外したパフォーマンスをしても「イヤーあんな事をするけど、あれは試合を盛り上げようとするポーズであり、本当は礼儀正しい人間で、“根”は良い奴だから」と安心して見てられるのでしょう。
しかし我々にとって、根底にあり意識しないほどにありふれているが故に、その有り難味を感じないでいる、いわば空気のような存在の“武道(精神)”も、海外勢にとっては新鮮な異文化であり、日本人を手本として“全てが学ぶ対象”です。彼らは、元々が“肉食文化”であり動物を殺して食糧として来たが故に、日本人以上に“力(弱肉強食)”が当然の社会規範となっています。そんな社会の中でも特に“強者願望”の強い“格闘技者”が、露骨にその感覚を顕わにする事なく「強いだけでなく、しかも、高潔で、品位を備え正々堂々としている」というサムライのイメージに自己をオーバーラップさせることで社会的認知を得ているのです。 だからこそ彼らにとっての“日本人の武道(精神)”は我々が考える以上に重いのです。(今は“サムライ”のいない国、に住んでいる我々にとっては「そこまで、サムライは立派なだったのかなー?」といったような、正直、些か面映くなるようなイメージなのですが・・・。)
以前もロシアでの試合で「最近の日本選手は大人しいから、多少は暴走しても良いから勝ちに行け!」と煽ったところ、普段は温厚で私の言う事は(「ご無理ごもっとも」と言う感じかもしれないが?!)良く聞いてくれるロシアの支部長から「そんな事を許したなら、こっちの“血の気の多い選手”は押さえが効かなくなります!」と、血相を変えて強談判された件を書いたと思います。
確かになにかの拍子で連中が本気になって“個性(本性?)”を発揮し“猛獣的”迫力で立ち向かって来られた経験をしている人間としては、とても草の実である米を主食とする根本的に“優しい”日本人が、更に戦後教育で安全第一を旨として、競争を避けブロイラー的に育ってる今の若者の事情を勘案すると、「“洒落”を分ってくれればいいが・・・。」と思わざるをえません。
こういう言い方をすると、いささか鼻白むかも知れませんが、“闘い”を形式美に昇華させたという「ロマンチックな意味での“武道”」としてではなく、人間界のあらゆる災いを封じ込めてあるという「“パンドラの箱”の“封印”」としての「実利的な意味での“武道精神”」という考え方を取る方が利口なのかもしれません。そう考えた場合、こっちは“ポーズ(愛嬌?)”のつもりでしているパフォーマンスも、「寝た子を起こす式の話にならなければいいのだが」、と老婆(爺?)心ながら考えてしまいました・・・・。閑話休題。 チョット道草が長くなりましたが、そんなこんなで、これまでの手際のよい「WARS」に較べ、チグハグな進行も多く有り、採算度外視という意味では同じくとは言え、全くの武道の大会である「北斗旗」と違い、殆ど興行といって良い形式をとる「WARS」では運営についてもより厳しく評価されるのは避けられません。が、「WARS」の意義は認めるにしろプロの団体ではない、従って大きなスポンサー(?)も持たない大道塾にとって、(世界大会の大きな残務もあるし)極力経費を節減し、開催しやすくするという意味で正真正銘、文字通り「手作りの“WARS”」であり、又、前述したような「着衣の総合」という「北斗旗」「空道」にも繋がる「それ自体の価値を持つ“WARS”」を実現できた、という意味で、充分に満足の行くものだったと、敢えて考えたいと思います。
「開催しやすく」と述べましたが、いくら「WARS」が様々な面で評判良いとはいえ、既に「体力別」「無差別」とそれに伴う全国五地区での予選、同じく五地区での合宿、これだけで大小合わせて年間、17!の行事があり、その上、その間の各地区での審査会、支部大会等など、正直な所これ以上行事は増やしたくないのが本音です。事務局の専従者を増員すれば多くの要望にも応えることは出来るのでしょうが、塾生の月謝で成り立っている大道塾としては、もう少し規模が拡大する事による“体力向上”がなければ無理です。
(余談ですが、「本部ばかりで抱え込まないで塾生の協力を得て」とは良く言われますが、多くの行事では当日の手伝いはお願いするにしても、それまでの準備のほうが、多くの時間と人手、費用といったものが掛かるわけで、基本的に本部の仕事が増える事に変わりはないのです・・・・)
そんな“泣き言”を言ってはいても、一旦始めてしまった世界大会、次の2005年の「第二回世界空道選手権大会」までには何とか、心・技・体の備わった選手を育てなくてはならないという現実には変わりはありません。所が、多くの選手が社会人であり、専従の選手の少ない大道塾としては、他団体の様に一週間単位での強化合宿を重ねるというような“贅沢”は出来ません。
こんな条件で選手のモチベーションをいかに高め、いかにそれを維持させ得るかを考えた時、その一つは今までもしてきた“海外支部の大会への参加”です。しかしながら、ここでも、仕事を持っている選手には、この、たかが四泊五日の遠征すら、特にこの不景気な時には“大事(おおごと)”となっている現実を考えると今までと同じには気軽に考えられません。(不景気で仕事が少ないから、逆に休みを取りやすいという場合もあるでしょうが、それとて良く考えれば手放しで喜べる話ではないでしょうし・・・・) そう考えた時、今までのような、他団体や他の競技に対するアピールといった、対外的、他律的な動機ではなく、上記のような大道塾本来の「北斗旗世界空道選手権」に出場するような心・技・体の備わった、選手の発掘、育成という意味でも、国内で開ける「WARS」は仕事との遣り繰りが付き易く、自身の日常の稽古スケジュールとの調整も出来やすいものでしょう。
モチベーションに関しても、「海外での試合」は精神力を高めるには良いシチュエーションで、これまでも古くは、長田、加藤、飯村といったベテラン陣、近くは世界大会で活躍した、武山、稲垣、稲田、能登谷、高田、藤松、渡辺等などの選手の実力を一回りも二周りも向上させてくれました。是非、今まで通り、外国での戦いを積極的に体験してもらいたいものです。
因みに、9月15日旧ソ連のラトビア国際大会に、今春の02重量級優勝で体力別最優秀勝利者の清水和磨選手(長野県佐久支部)と今回のWARSで大型外国人選手と堂々の試合をした那覇支部、平塚洋二郎選手が出場します。
しかし、昨年の世界大会出場選手の中でも様々な理由で海外遠征を経験出来なかった選手もありました。そんな場合にも、この「WARS」は、海外で見知らぬ人達のみに囲まれて戦う緊迫感には及ばないものの、次善の策として、多くの知人友人が見に来るのでより一層良い試合をしなければと練習への集中力や試合場での高揚感を増大させてくれ、実力以上のものを引き出してくれるでしょうし、その上更に、全くの武道の試合であり、品位、節度というものが求められる「北斗旗」とは違い、多少今風なパフォーマンスの許される「WARS」は今的な感覚にも訴え、強い動機付けになるのでしょう。
話しは戻って、試合内容に付いては・・・・。
第一試合の「平塚VS.ハーミーシュ・マクレガー戦」は緒戦こそ平塚の接近戦での頭突きや掴んでの打撃といった大道塾らしい「路上の現実」を思わせる積極的な試合で沸いたものの、まだ荒削りな為、右のストレートで追い込んでからの左のフック、アッパー、左膝といった駄目押しがなく、みすみすKOのチャンスを逃すという隔靴掻痒の感があり、「八島VS.デュカステル・ステファニー戦」では打撃戦に持ち込めば絶対の勝機があったのに敢えて勉強という意識か、不得手なグランド戦に拘り一本負け。
続く「稲田VS.ボナフ・ロラン戦」のバッティングでのノーコンテスト。第四戦ではパレストラ・東京の八隅VS.ディデイエ・リッツ戦」は一進一退の攻防ではあったものの「引き分け」、次の「佐藤VS.伊賀戦」でも開始早々の肩脱臼等と、いま一つスカッとした試合がなく進行の手際の悪さと相俟って、ヨタヨタした印象が醸し出され、しまいにはどうなるものかと思うほどでした。
後半に入ってからも印象は変らず、「飯村VSファド・イズ戦」では相手のファド・イズベリの不思議な転落(興奮しすぎて一時的に記憶がとんだ?キックがベースの選手なので恐らく殴り合いの蓄積によるドランカ-症状の一種か?)等があり、このままではこの試合も酷評のままに終わってしまうと思われました。しかし、ドクターの続行可能という判断以後は、イズベリも持ち直し互いの持つ、切れる技の一瞬、一瞬の応酬という打撃戦の最も良い所が出て漸く大道塾らしい緊迫感のある試合が始まりました。
その後の試合も徐々に盛り上がり「山崎VS.ホートリー・パトリック戦」では、フランスナショナルチームの組み技では超一流の選手相手に、タックルや投げを悉く凌ぎ、逆に自らが投げに出て行くなど、例によっての積極的な試合運びで遂には左フックでのダウンを奪い文句なしの勝利。「藤松VS.デニス・フランソワ戦」でも、この四年間負け知らずという、フランスの誇るサバットの世界チャンピオンで一回りも大きな強豪相手に右ストレートでダウンを奪い両者共に、今回のWARSの宿題とでもいうような、打撃での勝利という理想的な勝ち方で場内を沸かせて最終戦に、バトンを渡しました。
そのメインベント、「小川VSドロ・ブノア戦」。相手もフランスバァーリトゥードゥー界の歴戦の試合巧者、よく小川の手の内を研究していた。いつもの相手の襟を取っての足払いや、蹴りといった“小川スペシャル”が中々決まらず、グランドになる度に、逆に度々ヒールを掛けられ“あわや!”という場面も一再ならずで、見ている者をハラハラさせ通しでしたが、最後の最後に相手のヒールにヒールでやり返すと言う小川らしい、絵になる極め方をして場内の興奮度は最高潮に達しました。全体としては大成功といって良いでしょう。 (ただこのヒール合戦で小川が膝靭帯断裂という怪我をしてしまいました。試合前の選手同士のルールの擦り合わせで決まったものですが、選手は互いに弱音を吐きたくないから「相手がそれでというなら・・・」という感じになりがちだが、やはりヒールホールドは「北斗旗」同様、禁止にすべき技でした。)
それにしても裏方の話としては「世界大会のように『外部からの影響を極力排除する為には、ある程度身内に券を買ってもらないと』という大会運営の方法も度重なると押し付けがましい」との声で自粛した為でしょうが、あの程度の入場者では又も“重荷”を増やした結果になりました。
こういう試合形式は時間的にも短いし、意識の高い選手の高度な試合のみを見られるから飽きないという性質もありますが、上述した「社会体育」を標榜する大道塾の選手を養成する上でも、今後益々重要になります。しかし、試合時間は短いからといってもその準備や運営にも、多大な時間と経費が掛かり、善意のボランティアだけの手作りではそうそう度々は出来ません。
これを“打開(?)”するに三つの方法がある事は分っています。一つは“大きな資金”の導入を図り、宣伝攻勢を掛け一般の観客を引き付ける事(この事実が、日本の武道・格闘技界が色々言われながらも、強力な“スポンサー”に頼らざるを得ないという構図になってるのでしょうが)。もう一つが今を時めく“何でもあり”のルールにして、観客が興奮するような試合をする事。三つに、そういう形式の試合をできればランキング制にして“コンスタント”に度々開催し、常にマスコミに載る事。等などですが、その採用のどれもが「流行に踊らされないで“武道路線”を歩む事が、長い目で見れば社会的認知を得る近道である」との確信から、「社会体育」を標榜する大道塾には難しいのは塾生の皆さんも充分に分っていると思います。 それならばどうするか?答えは簡単です。「今のところ次善の策ではあるが、『独裁』を避けるとか、特定の方向に引きずられない為には『民主主義』を守るしかない。その為には、その社会に属する一人一人の主体的且つ、積極的な参加、協力がなければならない」とは有名な、しかし当然の理屈ですが、同じ事が大道塾の運営にも言えのではないでしょうか?
度々訴え、耳にタコが出来ている話とは思いますが、興行的には楽になるはずの「選手の安全より、見てる方の面白さ」という興行形態に背を向けて、あくまでも「健全な雰囲気の会場、選手には安全で、見ている人達もやってみたくなるような“総合武道”」という「社会体育」の理念を通す意志があるのなら、全国の支部を挙げて、又、塾生一人一人の“具体的な協力”で正に“手作りの試合”を続けるしかないのです。 地方の支部、道場は「大道塾は強くあって欲しい。大道塾が雑誌に載って欲しい。もっと世間にもアピールして欲しい」と思いながらも、その運営に関しては「我々は地方の支部だから、当事者としての応援までは出来ないが、関東圏の支部道場でもっと盛り上げて欲しい、皆で協力して欲しい」では今流行りの“良いとこ取り”との風評も否定できないでしょう。
一方、関東圏の塾生に関しては、このような高度な試合が生で見れるという“地の利”を享受するだけでなく、一人の塾生が一人の友人を誘って観戦するだけでも、現在よりもっともっと大きな集客力になるはずです。その辺のところを一人一人の塾生にもう一度考えて頂きたいと思うのですが、無理なお願いでしょうか?
文章日付2002.7
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