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押忍。吉祥寺支部の志田です。この度、チェコ・ポーランド遠征に同行させていただきました。6月26日〜7月5日までの遠征報告を致します。
6:00起床、10:00成田着。3階出国受付の所で案内板見ながら迷っている時に東先生から連絡があり無事合流。出国手続きをし、朝食を食べて搭乗口へ。 成田(12:00発) ⇒ モスクワ(21:50着) ※モスクワ現地時間16:50(時差5h) 前回エストニア(2003年11月)以来の飛行機です。空に上がっていく感じがなんともたまりません。
■機内食 其の1 13:30頃
牛肉とキノコのバターソテーを中心にバターライス、のり巻き、パン等
■機内の事
ビール(お酒)飲めないようです。先日の機内のお酒が有料になった&日本円が使えないという理由です。日本から出発している便なんだからその位は対応して欲しいものです。
元々ヒザが悪いというのもあったんですが、長時間のフライトの為、ヒザが痛くなってきました。
東先生に進められてストレッチをしてきたらかなり楽になりました。先生は飛行機になれていますね。
出発2日前の稽古で出稽古に来ているSの寝技に付き合ったおかげで持病の“ギックリ腰”再発!!青くなったがすかさず昔から診て貰っている平山カイロに急行。普通は神経が麻痺しているからか(??!!)どこを押されても痛みを感じない私が、「マッケンジーテクニックなる」簡単に言うと背中を頂点に、頭と脚が直角になるような「海老反り固め」で油汗を流した。平山センセイはそんな顔を見て勝ち誇ったようにニコニコしている。氏は元柔道出身で練習中の背負い投げからの頚椎捻挫で頭以外全身麻痺という重態から奇跡的に生還した人で、その後カイロを極めて素晴らしいテクニックで多くの重症患者を治している人だが、人が痛い顔をすると喜ぶ意地の悪い人だ(S男か?失礼 笑)
「クソー、以前は練習に出ていたからお返しも可能だったが今は忙しくて治療に専念していると思って!」と、「地団太を踏みたい」所だがそんな事をしたなら益々痛くなるので悔しいが我慢、我慢だ(泣)それにしても寝技や投げは腰に一番負担が掛かるから、本気で出来ないのは情けない。最近特にだ。
雲の上はよい天気ですね。真っ青です。時間があるのでチェコ語、ポーランド語のお勉強。
チェコ語で『ピーヴォプロスィーム』、ポーランド語で『ピーヴォポプロッション』・・いずれも日本語で『ビールをください!』です。これで現地の方との会話はばっちりです。
18時頃読書灯が消える。テレビのモニタも壊れているし。大丈夫なのか?エアロフロート・ロシア航空・・・19時頃直ったらしくモニタも映るようになった。ロシアの真ん中あたりまで来ているようです。
■機内食 其の2 20:15頃
トマトソースのペンネが中心。あとパン。先生は焼きうどんをチョイス。だんぜんこちらのほうがおいしそうでした・・・
■モスクワ着
21:50(現地時間16:50)ほぼ予定とおりモスクワ着。でも、混雑のため中々飛行機から降りられない。
さらに乗換口で30分も待たされる。やっと手続きが済んだと思ったら乗換口の出口がロックされていて係員がいないと通門不可なんです。しかも、係員がその場にいないのでしばらく待たなければいけないようで・・・ええ、サービス業ナメてんのかと思いました。本当にやっとこれで給水(主にアルコール類)できると思ったのですが、通貨を替えることができずここでもお預けとなってしまいました・・・アルコールはプラハまでお預けです。
■モスクワ出発
18:05に乗り込み始められる予定でしたが遅れに遅れて搭乗して席に着いたのが18:45で、実際に離陸できたのが19:10頃。押しすぎだよエアロフロート・・・ちなみに飛行機までバスで移動したんですが、西日が暑いですよ・・・
モスクワ(19:10発 ※1 日本時間0:10) ⇒ チェコ・プラハ(19:40着 ※2 日本時間2:40)
※1 プラハ現地時間19:40(時差2h)
※2 モスクワとの時差。日本とはサマータイムな為7hの時差。
■機内食 其の3 1:00頃
スモークチキン等を中心に軽めの食事。ビールはあきらめています・・・ご飯がきたので先生に声をかけたのですが起きません。お疲れと思いましたのでそっとしておきました。
■機内
20時間以上まともに寝てないのですが、目が冴えていたのでレポートをまとめてみます。
その後はガイドブックを見て過ごしました。
■プラハ着
19:40(日本時間2:40)チェコ・プラハ着。入国手続きをし、タクシーでホテルへ。
■ホテル ホテル ディプロマット
20:30頃ホテル到着。部屋に到着して荷解き。21:00に宿泊するホテルの地下にある日本食レストラン「桂」へ。念願のビールを飲みほっと一息。ウマ過ぎです。だし巻き玉子、冷奴、枝豆、シラスおろし等のつまみを頼んで食べました。日本酒(大関)があったので熱々の熱燗で飲みました。普段はあまり飲まないのですが海外で飲むと格別です。締めにかき揚丼と鳥ねぎそばを頼みました。先生は鮭茶漬けを注文。いわゆる現地人が適当に作っている店という雰囲気は無く、しっかりしたお店でした。ちなみにここのビールはピルスナー(Pilsner urquell)でした。日本でも飲めるビールです。
■自室
さすがに24時間以上ほとんど寝ないで行動していましたのでシャワーを浴びてベッドに横になったらすぐ寝てしまいました・・・
この日から現地時間でお届けします。前日に先生に翌朝7:00からジムでトレーニングするぞと言われていたので6:30起床。
■朝練
受付を済ませトレーニングルームの中へ。中々広くてキレイなジムで設備も充実していました。サイクリングマシーンを40分程やったあと筋トレをしました。ヒジ、ヒザが治っていないという事もあったので程々の力でやりました。2時間たっぷりやり終了。時間が無かったので使用しませんでしたが、ジャグジーとサウナもありました。
■朝食
9:40頃。ビュッフェでございます。つまり「食い放題」!!すばらしい響きです。しかもご飯とお味噌汁があったんです。しかもトッピングにうどんがあり、入れると結構合うんです。先生も海外に出たら日本食レストラン以外では白飯を食べるのは諦めているらしく、『いや〜、力出るな〜!!』とおっしゃっていました。朝からお米が食べられる幸せ・・・最高です。
■プラハ散策
・プラハ城
まずはプラハ城に向かいました。ホテルから歩くこと15分。僕のあやしいガイドでしたが無事プラハ城到着。まさに威風堂々といった感じでそびえたっております。城のいたる所に細かな彫像が飾られており(と、いうか城に彫られている。)
それを観ているだけでも飽きない位でした。衛兵の交替式というものが行われており、衛兵をバックに先生の写真を取りました。衛兵もカッコいいですが、先生もカッコいいです。ただ、皆距離をおいて見物しているのですが、アラブ系の観光客が平気で脇を通り過ぎて行ったのをみて興ざめしました。
・カレル橋
1357年に着工し60年近くかけて完成した橋のようです。特徴的なのが左右の欄干に彫像が並べられているところです。歴史的な聖人や英雄、聖書から題材をとった彫刻等合わせて30体あるそうです。中には日本でも有名なフランシスコ・ザビエルの彫像もありました。
・旧市街広場
プラハの心臓部ということもあり、観光客、現地人でごった返しておりました。天文時計とティー教会を眺めて次の場所へ。
・ヴァーツラフ広場
1968年『プラハの春』でチェコの自由化路線を弾圧する為、旧ソ連が戦車を乗り入れた場所です。ヤン・パラフという学生が1969年1月に焼身自殺をし、自らの命と引き換えに抗議をしたが、その抗議が実る事なく占拠されてしまったそうです。東先生が熱心に説明書きを見ておりました。大きい通りの真ん中に道路に沿って直線状に伸びている広場でして、周りは若者向けのお店が多くありました。のどが渇いてきたところですので、老紳士のピアノ生演奏が聴けるカフェで休憩をとりました。
当時最高の視聴率を誇ったNHKドラマを見、維新の志士「坂本竜馬」に憧れ「いずれ俺も革命の志士たらん!」としてはいたが、いかんせん政治運動とは遠い田舎の、しかもまだ高校生であり、大学(改革)紛争から発展した学生運動には「遅れてきた世代」である私は、実際にはこの「革命運動ゴッコ(?)」には参加しなかった(良かった!親を泣かせないで)。
しかし、年代分けでは「70年安保世代」になる私にとって、日教組教師を中心とした(洗脳?)教育「共産主義から社会主義体制への移行は歴史的な既定路線であり、理論的な事実だ」という主張には単純に「そうかもしれないなー。いやそうあるべきだよなー。そうすれば俺もこのまま大学に行けるんだろうから・・・」と漠然たる共感を持っていた。
当時学生運動に走った学生の殆どはまじめな優等生で、同じような共感(平等社会の実現)から運動に取り組んだはずだ。幸か不幸か私は、まじめでも優等生せいでもなかったし、大学に入る金がなかったから遠回りしている内に、頭デッカチの直情径行、純粋真直ぐ君から脱皮し、世の中を複眼的に見られるようになった。又、念願かなって大学に入った頃には学生運動自体が下火になっており、そんなこんなで“流行り病(はやりやまい)”には感染しないで済んだ。
革命どころか、逆に大学への入学金を稼ぐために自衛隊に入り、デモ隊鎮圧の放水車に乗り、放水射手の訓練を受けていた!!!「俺ってもしかしてあっち側にいたんじゃないか?」と思いながら・・・。(好い加減だねーーー爆笑)
しかし、「チェコ事件」は私のような半端な共感にしろ、理論的な確信者にしろ、資本主義社会の中にも多くいた共産主義シンパ(支持者)に大きな疑いを持たせた歴史的な大事件だった。それは人間/人類の向上心にも繋がる利己心を肯定する自由主義経済を否定し、「生産手段の共有による私有財産否定を通じての平等社会の実現」という、マルクス・レーニンにより唱導され試行された「ソヴィエト連邦社会主義共和国」という、人類の壮大な「理想社会実験の“崩壊」の、 いわゆる「終わりの始まり!!」であった。「その時、歴史が動いた」風にドラマ仕立てで言うならば(笑)、「今、その歴史の現場にいる!」と思うだけで、感無量なものがあった。
後日談。そのチェコが共産主義政権を打倒して本当に自由主義政権を確立するのはこの事件から実に21年後。「プラハの春」以来積極的に改革を進めてきた、劇作家ヴァーツラフ・ハヴェルが大統領に就任した。無血革命だった為、「ビロード革命」といわれる。
■いざ、空手道場へ
先生がチェコ出発前にチェコで空道をやりたいという人がいたそうですが、数週間前から連絡が取れなくなってしまっていたようです。プラハに着いてから『ホテルはここで、連絡先はここだよ』というメールも送ったそうですが、連絡が無かったのでこちらで道場を探して訪ねる事にしました。事前にホテルのトレーニングジムで場所を押さえていたので訪ねてみましたが、数ヶ月前にやめてしまったらしくその場所には道場がありませんでした。日本大使館の広報文化センターという所に行って色々調べてもらいましたが、有力な情報を得ることが出来ませんでした。
セミナーを決めて行く準備をしていても、近くなって「資金のめどが立たなくなった」等と言われたりすることも稀にはある。「ウチは特定のスポンサーを持たない団体なので、セミナーをするには少なくとも2人分の運賃は出して貰わないと行けない。海外でのセミナーは申し込みがあってから数度、条件等の遣り取りをして、向こうの意志を確認した時点で、不足分を補うために大概2ヶ国掛け持ちで行うから尚更、中止はできない。
「それは同時に“支部認可料”になるから」等と説得しても、一方でメールの遣り取りだけで認可したり(!)、そこまででなくても、海外の支部数を増やすために航空運賃込みで、“全額自己負担”でセミナーをしたりする、資金が潤沢な団体もある。
終いには、「あそこの団体は資金援助してくれるのに・・・」等と、逆に開き直られる場合や、今回のように急に応答がなくなる場合も10回に1、2回はある(トホホである 泣)。
そういう場合は「せめて手掛かりだけでも」と現地に行き、電話帳やインターネットで引いた道場などを探す「運動代わりの歩け歩け」である。セミナーがない分、体は楽だが、結果として何も見付からず「時間と費用の無駄だった」と思わざるを得ない時は胃が痛くなる(従ってビールの量が増える 笑)
■ホテルへ・・・
湿気があまり無いので気温は日本とあまり変わらないのですが快適に過ごせます。この日も距離だけで言えば約6、7Km位歩きましたが、ムシムシすることも無かったのであまり疲れませんでした。ホテルに戻り先生はメールチェック、僕はチェコ料理店探しです。ホテルはわりと郊外にありまして、近くにガイドブックに載っている店がなかったので散策帰りに見つけた店にする事にしました。
■チェコ料理
行ったお店はブドワイザー・ブドヴァル(BudweiserBudvar)というチェコビール置いているお店のようで、名前を見たまんまバドワイザーのお店だと勘違いしておりました。ウェイターのお兄さんに先生が必死に『チェコビールはないのか?』と聞いていましたが、お兄さんは『この日本人は何言ってんだ?』みたいな顔で見ていました。とりあえずビールを持ってきてもらって飲んだらバドワイザーとは明らかに違う味。気になってガイドブックをみたらありましたよチェコビールにこのビール!!どうやら本家がこっちでアメリカのバドワイザーは名前をパクッってその後訴訟になり、その結果が今日らしいです。
欧米文化の華(?)「勝てば官軍!」を髣髴させる話だが、味は、地ビールと比べるのもなんだが、アメリカのバドワイザーの方が美味いか(泣)
牛肉のグラーシュ(チェコ風のビーフシチューのような物)、ポークとチキンソテーとチェコ料理盛り合わせみたいなのを注文。自分はそんなに好きじゃないザウアークラウト(キャベツの酢漬け。普通のと赤キャベツ使用の2種類)がどの皿にも付いていました。あと、クネドリーキという蒸しパンのような物。これがもっちりしていておいしかったです。プラハの庶民的なお店のようでホテルのレストランに比べると格安の値段で腹いっぱい食べられました。
■桂へ・・・
日本酒で締めたいと思いまして今晩も桂へ。シシャモを肴に日本酒を飲みました。最後にお茶漬けを食べて自室に戻りました。
ムシャクシャして酔いたい時は日本酒に限る(笑)。
■自室へ
22:30頃自室に戻り、チェックアウトの準備をし就寝。ちなみに22:30でも外は薄暗い程度の明るさでした。完全に暗くなるのは23:00過ぎ頃です。昼が長いんですねこの地方は。
本日も6:30起床。生活のリズムだけは規則正しい遠征になっております。昨晩はよく寝たはずなんですが若干眠いです。
■朝飯(お米が食べられたのであえて『飯』という字を使用)
海外にきたのに今のところ日本食に飢えていないすばらしい状態です。本日も山盛りご飯をいただきました。体重が気になりはじめてきましたが気にせず食べました。
栄養的には肉類の方が元気が出るのだろうが、長年、米を主食にして来た身にとっては、3日も肉中心にすると逆に胃が疲れて来て、胆/腹(はら)に力が入らなくなる。
■空港へ・・・
8:00にタクシーを呼んでいたので(これ僕が昨晩フロントの人に必死でお願いして呼んでもらいました。)ロビーへ。タクシーに荷物を積んで空港へ。15分位で到着し出国手続き、お土産を物色して時間をつぶしいざ搭乗です。
「窮すれば通ず」の見本のようなもので、日本人で高校まで6年学校英語を学んできた者なら、1週間も英語しか通じない所にいたなら一応の話しは通じるようになる。
■飛行機
チェコ・プラハ(11:35発) ⇒ ポーランド・ワルシャワ(12:50着)※チェコとの時差無し。
小型ですがプロペラが大きい飛行機でワルシャワに向かうようです。乗務員さんが可愛かったですが眠かったのでほぼ寝て過ごしました。
■機内食 其の4
ハムサンドとチョコレートといった軽食(おやつ)でしたが、ここで念願の飛行機でビール(ピルスナー)が飲めました。ついに、と言いますかこれだけ飛行機内で飲めないと感動も一入です・・・
■ワルシャワ到着
12:50頃ワルシャワに到着しました。気候もチェコとほとんど変わりません。入国をしてポーランドの通貨ズウォティ(1ZL=50円前後)に両替しいざホテルへ。タクシーでホテルまで行こうとして乗ったんですけどこのタクシーいわゆる悪徳タクシー業者で、普通の値段の2倍位の料金を請求されました。そこは先生ガイドブックに書いてある料金をしっかり伝え悪徳タクシー業者を撃退しました。カッコいいです東先生。(その後はかなりご立腹な様子でしたが・・・)
「空港で声を掛けられたとき、証明書を首から掛けていて「40」と言う。ガイドブックの「市内なら25-45ZL(ズオティ)」とほぼ同じで人の良さそうな顔をしていたし、ポーランドへの飛行機では出たビールで良い気分になっていたこともあり、気を許してしまった。しかし駐車場に移動したのでこれはと思ったが、「リストラにあって」とかぼやいていたから、「ま、白タクでも、良いかこの親父もかわいそうに」等と余計な同情をしたのが間違いの元。
ホテルで清算となったなら「40ズオティじゃなく、40ユーロだ」と来た。「この俺に吹っかけてくる人間なんか・・・・」と自惚れていたから一瞬「この親父相手を間違えている」とキョトンとしたが、何を言われているか分かって正気に戻った。オイ、オイ!空港では40としか言わなかったろうが!」と怒鳴った少し高音になった(笑)が、そこは慣れたもの、「それはユーロという意味だ」と引かない。
確かに単位を確認しなかったのも私のミスだが、日本人と見て舐めている風情があったので、「ここは同胞のためにも頑張らなくては!」と決意した(笑)。実際こんな調子で言われた時、(欧米人から見たなら)同じ顔をしていても他の東洋人は「絶対に払わない!!!」だろう。「面倒は避けよう」と払ってしまうのが、悲しいかな島国で海に守られて「和を持って貴しとなす」の優しいDNAを純粋培養してきた大抵の日本人だ。だが、それが観光地の物価全体を底上げしている部分もある(話が大きいのではなく実際に)。
かと言ってまさかホテルの前で立ち回りも出来ない。「良ーし!」とホテルのポーターを呼んで「この人は(英語だから、「こいつは」とも取れる 笑)こんな事を言っているが、このホテルではこんな事を許すの(か 前と同じ理屈)?通常はいくらだ(ですか 同左)」と詰問(!)した所、ガイドブックどおりの値段を言う。当然だ、とばかりに40ズオティ払って車から降りた。こんな場合、中には荷物を積んだまま走り去るどうしようもないのもいるらしいから、睨み付けながら警戒して見ていたなら、流石に諦めたかブツブツ言いながら素直にトランクを開けた。当たり前だ!
それにしても私としたことが、慣れから来る自惚れで「ここは日本じゃない、外国だ」という旅の怖さを忘れ、流れに任してしまったことを、大いに反省した。自分一人ならイザ知らず弟子を連れて来ているのに・・・・。帰国時のタクシーはホテルに頼んだにも関わらずシツコイくらいに値段を確認して運転手さんを怖がらせたかも知れない(済みません 笑)
■ホテル着13:30
タクシーで一悶着ありましたがホテル到着。ただ、チェックインよりも早く着きすぎたので僕の部屋の準備が出来ていなかったので、東先生のお部屋で待たせていただく事に。稽古が余裕で出来る位?の広いお部屋でした。僕のような庶民には王様のお部屋かと思う位。
帰国前に日本大使館を表敬訪問する為に、またこのホテルを取った。所が二人部屋とは言っても三日前と比べると断然狭い。二人で泊まったなら私が仕事をするスペースがない。
シングル二つにすると値段が高い。「この前と違うじゃないか!」と言うと「先日の部屋はデラックス・ツインだったのですが、申し込まれた通常のツインに空き部屋がなかったので安く使ってもらいました」と言う。「こっちはそのつもりで頼んだのだから、多少は足してもいいから何とかしてくれ。今後も使わせてもらうだろうから・・・・。」と懇願すると「それなら通常のツインより少し高くなるけれど」と空けてくれた。人間話合えば誠意は通じるものだ(笑)
■ポーランド料理とポーランドガール
15:00頃やっと準備が済んだ自室で寝ていたら先生からお呼び出しの電話がありました。どうやらイギリスに留学している由美子さん(先生の娘さん)がホテルに到着したようです。急いで用意してロビーへ。
由美子さんにドロータさんというポーランドの友人を紹介していただく。不覚にも寝癖が直りきっていない状態でしたがスマイルで乗り切りました・・・かっこ悪いです・・・。
ドロータさんが良いお店を知っているという事で一路タクシーで街へ・・・渋滞です。車が全然動きません。ここは東京かと思う位の渋滞でした。こんなに渋滞になっているのに信号がほとんど無い。交通整理の警察もいないという事で渋滞の理由が納得できました。しかしドロータさん18時頃の電車でポズナンという街へ帰らなければいけないらしく、時間が無いので急遽お店を変更。お姉さんから教えてもらったというお店(BAR)に行きました。ここでピエロギという料理を食べました。ガイドブックには餃子のような・・・と書いていましたが、この店のピエロギは明らかに春巻き。でも日本人の口に合う味でとてもおいしかったです。一通り食べて飲んでいたらドロータさんの電車の時間が近づいてきたので駅へ。こちらの電車は切符を買う所までは同じなんですが、電車内で自分で改札するようです。
※電車に設置されている改札機に切符を入れて打刻するそうです。しっかり打刻してないと罰金を取られるらしい。
ホームまでお見送りし挨拶してお別れしました。若いのですが「よく気配りが出来る娘だな」と先生も感心しておりました。その後、別のBARでビールと軽くおつまみを食べてホテルに戻りました。もう、お腹一杯です・・・
■アナス登場
23:00頃部屋で寝ていたら先生から電話がありアナスが到着したとの事。とりあえずお部屋で挨拶。夜も遅かったのでその日はそのまま寝る事にしました。
アナスは「第二回世界大会」スリランカ代表選手だったが、ビザの関係で参加出来ず、その後イギリスに移住してロンドンの西郊外、イギリス王室(ウィンザー家)の離宮があるウィンザー市でデパートの警備を任されながら「ウィンザー支部」を運営している弐段の支部長。
今回、ポーランド支部開設に当たり近隣の国の支部長幹部塾生の昇段審査もあるからと誘った所「是非に」と参加したもの。今何かと話題のイスラム教徒で髭モジャ、志田が言うように結構な迫力があるが、本当に敬虔なイスラム教徒であり、穏健な男である(後日談あり)
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