― 今回はこれまで以上に基本稽古のチェックが厳しい目で行われていたように感じました。このことについての背景をお聞かせください。
東塾長受験者の基本稽古を見ていて、俺も、高橋英明全国運営委員長も技が「バラバラ」だと感じた。
― 受験者は支部長が5名、指導員が2名、いずれも長年大道塾で後進の指導に当たられている方々でした。
東塾長教える人間というのは、無意識にせよ意識的にせよ、組手をする時のスタイルとか、戦法について自分と同じような事を求めるもので、それは自分の経験から紡ぎだしてきたものだから、確信を持って指導できるからだ。
しかしこれも、ある程度は良いが、厳しく規定し過ぎると選手の創意工夫を抑えてやる気を削いでしまう。人間自分で工夫できるとなると自分のプライドが掛かるから、最大限の努力をし、最高の能力を発揮する。だから俺は組手スタイルとか戦術についてはあまりうるさく言わないできた。
― そういった自由度の高さが大道塾に個性豊かな選手が生まれてきた背景ですね。
東塾長余談だが、かと言って、全く野放図にさせると、中には「私はあなた(先生、先輩) からは何も教わってない」となる人間もいるから、歴史始まって以来「自由から生まれる技術(社会)革新と帰属意識の両立」は難しい所だ。(大きく言えば、思想の自由と国民、民族意識も同じだろう)そこで指導者の人間性=器量や、国や組織(運命共同体)としての理念が試される訳だ。
例によって話がそれたが(笑)、上の考えを当てはめると、組手スタイルとか戦術を組み立てる土台は基本の技だ。これがバラバラだと、その上に立って組み立てられるものを違えてしまう。
― 「基本の技」が「バラバラ」であってはいけないと。
東塾長そうだ。選手、特に戦績を上げている選手に限って自分理論とか癖があるから基本からそれで通したがるものだ。そうなるとその弟子やその時代の後輩選手などはその真似をする。前述したように組手では自分の創意工夫があって良いが、基本でこれを許しては駄目だ。大道塾、空道が年を経るに従って生まれる幾多の “達人”の基本が、互いにぶつかり合って滅茶苦茶になるだろう。
― 各地区審査会やサマーキャンプの「基本稽古」の場面では先生が厳しくスタンダードな形(型)を指導されていますね。
東塾長別な面でも、“基本”統一の重要性はある。多少の不備不完全さがあったとしても、創設当時の“空道の基本”を守らせなければならない。
― そこには創意工夫の余地はないと。
東塾長これは「俺が創った体系だから文句言うな」という訳ではない。それ所か、今まで大道塾34年の歴史で、俺自身が「“武道”としての理念にも反せず、且つ、より強くなる為には、この技は取り入れた方が良い、修正した方が良い」と思った時とか、立場の自由さから色んな武道や格闘技の技術を吸収して来た弟子(“達人たち” 笑)の提案に納得した時には恥も外聞(見栄)もなく(笑)適宜修正して来た。
― 空道は、「より本物」を求めて、ルールだけではなく “基本”の見直しや改変もあったのですね。
東塾長しかしその時代に実績があり、その時代に発信力があるからと言って、“時代、時代の名人、達人”の主張する通りに“基本”を度々改変していたのでは、 各支部や各国、各時代で違った基本をするようになり、団体としての統一性を保つ事は出来ない。 特に空道、大道塾ではいわゆる“型”をしないから、そういう意味でも“空道の基本”は“空道の憲法、憲章”だという点を忘れないでほしい。
― 日本中、そして世界のどの地域に行っても「基本稽古」は全員が同じことを行っていること、それが「空道」という武道の基本姿勢としてなければならないということですね。
― ではここまでのお話を総括して、指導者に望むことをあらためてお願いします。
東塾長さっきも話したしたように、指導者自身が、“空道”の発展の土台は、まず「空道の基本を守ることにある」と肝に銘じて、選手に守らせる部分と創意工夫させる部分を混同しないことだ。
― ありがとうございました。これでインタビューを終わります。
2014.1.28更新