大谷美結【女子】優勝
大道塾札幌西支部の大谷美結です。
2月12日にインド・ムンバイで開催された第2回空道ワールドカップに出場させていただいたので、その報告をさせていただきます。
1回戦 Paolo Torres選手 (メキシコ)
払腰からの極め、体落からの極めでポイントを取り、効果2で勝ち
2回戦 Svetlana Potokova選手 (ロシア)
大外からの極めでポイントを取り、効果1で勝ち
決勝戦 Drayna Ivanova選手 (ウクライナ)
マウントからの極めでポイントを取り、延長ではそのままポイントの動きがなく、効果1判定5-0で勝ち
外国人選手と試合できることがとても楽しみだったので、ワールドカップという舞台に立たせていただいて、本当に光栄に思います。
今回の試合も、投げ技ばかりに頼った内容が多く、今後研究されるので、打撃で勝てるような技術を身に付けていきたいです。
動画で見てみると、修正点ばかりで恥ずかしいですが、まだまだ強くなるな~とも思います。
これからの課題もたくさん見つかり、実りある遠征になりました。
東塾長、事務局長、先生方、由美子さん、先輩方、親切にしていただき、ありがとうございました。インドの文化も知ることができて、とても貴重な経験をさせていただきました。
この遠征で感じたことを、今後にいかしていきたいです。
押忍。
目黒 雄太【-230】3位
今回、インドのムンバイでワールドカップに出場させて頂きました。そのレポートを書かせて頂きます。
まず、塾長、先生方、 関係者、選手の皆さまのお陰で無事試合に出て帰って来ることができ大変貴重な経験になりました、ありがとうございます!
試合以外も色々あったのですが、自分の試合についてまとめたいと思います。
1回戦
大会の4試合目ということもあり時間を作れず、すこしアップ不足だったかもしれない。
序盤、相手との距離感をつかむためにローキックで様子をみる。
最初の攻防で外国人選手の力強さを再認識しました。
まず、相手の左ミドルをスウェーでかわそうとしてその後に後ろ回し蹴りが来て避けきれず効果をを取られ焦って取り返そうとパンチを打ちに行ったら逆に相手のパンチをもらい一瞬、頭が真っ白になりました。
その後何回か攻防を繰り返し、右ハイキックで効果を取り返せました。
最後はグランドのマウントパンチで効果を取って絞め技で一本勝ちでした、相手はタップせず失神してしまいました。
2回戦
蹴り足を掴まれて投げられるという展開が続く。
普段なら投げられないように足を絡めたり体重をかけると投げられないのだがそういうのを関係なしに投げられてしまう。
右足でも左足でも掴まれたら投げられてしまう、ミドルをハイキックに変えたりして当てることは出来たが効果を取ることは出来ず延長戦へ。
延長戦
延長戦はもっと、動いてフェイントを増やしていき最初の方で右ハイキックで効果を取れました。
その後も蹴り足を掴まれて投げられて、効果取られないまでも副審に旗を上げられたりと危ない展開が続きました。
互いに責めれず、消極的攻めで指導をとられる。
試合終了間際も危ないパンチをもらったが効果にはならず試合終了。
そのまま、優勢勝ちでした。
3回戦
相手はカザフスタンの選手
フットワークと技の出入りが早いタイプの選手でした。
終始、お互いに牽制しあいどっちもポイントを取れない展開だったのですが試合終了間際にハイキックで効果を取られそのまま判定負けでした。
前の試合で足を痛めてしまい、その足は後半で使って行く予定でしたが時間配分を失敗し何もいい所が無いまま負けました。
そのカザフスタンの選手は決勝でロシア代表選手に負けてしまいました。
結果、自分は3位でした。
課題の残る大会になりました。
課題
コンビネーションがあまり出なかった事
フットワーク(動き)が少なかった事
時間を試合中に気にしすぎた事
蹴り足を掴まれた時の対処
体調管理
コンビネーションは体に染み付くまで練習しようと思います。
フットワークは、緊張などもあったかも知れませんがもっと試合場を広く使うよう意識します。
時間を気にしすぎるのは後半の方にポイントを取りに行くからだと思うので前半でもポイントを取れるよな動きができるようにします。
蹴り足を掴まれた時の対処に関してはこれから、もっと工夫と掴まれないようにする練習をしたいと思います。
体調管理については日本でも当たり前なのですが海外だと食事以外でももっと気を配ったりまだまだ改善の余地があったような気がします。
これだけではなく自分が試合中に気になったことなど細かいことを踏まえて練習に励み、次へ繋げたいと思います。
大会で勝てなかったことは悔しいですが遠征自体はとても有意義で楽しい時間でした。
繰り返しになりますが塾長、先生方、関係者、選手の皆さまありがとうございました!
田中洋輔【-240】4位
押忍。御茶ノ水支部の田中です。 2 月12 日にインドのムンバイで行われた第2 回空道ワールドカップに出場しましたのでその内容を報告致します。
2 月 9 日
朝 8 時 に成田空港に集合しました。国際線のチェックインカウンターに並んでいると、早稲田準支部 で空道を始めたばかりのころ指導してくれ、「お前なら必ず北斗旗で優勝できる」 という言葉をかけてくれた先輩に 8 年ぶりくらいに偶然再会するという出来事がありました。今は若くして経営者として成功しているようで、年は同じくらいですが風格なようなものをまとっていました。大一番を前に不思議な縁のようなものを感じるとともに、大きな刺激を受けました。
事務局の方々のおかげで余計な手間もなく、スムーズに飛行機に乗ることができました。減量中でもあったので、機内では気を紛らわすため 映画をひたすら見ていました。邦画の話題作の「シンゴジラ」「君の名は」「何者」を見ました。またインド映画で、昔のレスリングのチャンピオンが家族の絆を取り戻すために総合格闘技に挑戦する「スルタン」という映画を見ました。内容としてはロッキーを総合格闘技 (MMA) に置き換えたような単純なものでしたが、今まであまりレスリング以外のイメージがなかったインドでも総合格闘技が普及しつつあり、今回インドでワールドカップが行われるのもこのような流れがあるからなのかな、と一人で色々と考えていたらムンバイの空港に到着しました。入国審査等に時間がかかりホテルについて就寝したのは深夜でした。
2 月 10 日
昼前に集合しホテルのロビーで待機していると、同じ バスで 会場に向かうロシアチームも集まって来ました 。今回同じ階級に出場する現役の世界王者で、自分がここ数年間ずっと戦ってみたいと思っていたゲガム・マナバシアン選手もいて、久々に武者震いような感覚を覚え、一気に緊張感が高まりました。 ロシアチームもおそらくこちらを意識している感じで、近くにいながらも選手同士ではほとんど挨拶も交わしませんでした。一方、南米の選手は会ってすぐにフェイスブックで友達になろうと言ってくるなど、国によって試合に臨む感覚であったり対戦相手への接し方など特徴があると改めて感じました。
会場に到着後、すぐに計量の会場に向かいましたが、自分が家で使っているものより明らかに誤差が大きく、みすぼらしい体重計がぽつんと置いてあるだけでした。身長計は探してもなかったので、インドの運営の人間に聞いてみると、壁のほうを指さされ、手書きで「 170cm」 などメモリのようなものが書いてありました。子供の頃祖父の家で、柱に毎年身長を刻んでいった記憶が思い出されました。手作り感があるのはよいですが、各国のごつい体格をした強豪が壁を背にして身長を図っている姿はシュールで、よくも悪くも緊張感がなくなる瞬間でした(しかも確認のために巻き尺で図ってみると、正確ではなかったのでその後修正していました)。その後も、選手と運営の間で諸々トラブルが発生し、日本の試合運営の素晴らしさを感じました。
日本の選手は皆無事軽量を通過し、会場で用意された食事を取ることになりました。今回の遠征は、いかにインドの食事に気を付けて体調を崩さずに臨むかが一つのカギになると考えていましたが、今までの食事制限から解放されたことと、他に選択肢がなかったこともあり、若干衛生面で不安そうなものでしたが結構食べてしまいました。その後、開会式まで時間があったので、別室で選手達で休憩していると、たまたま窓の外を眺めていた野村選手が、会場外の不衛生な階段で先ほど食べた食事が雑な感じで調理されている光景を目撃し、かなり後悔しました。不安な気持ちを振り払うために、調整として目黒選手と加藤選手と本当に軽いマススパーをしましたが、二人とも非常にうまく、大きな刺激を受けまし た。
開会式はインドの超有名俳優が来たということもあり、非常に多くのマスコミが駆けつけ盛況でしたが、各国の選手たちは 長時間待たされ、置いてけぼりの感じがあったので、インドの運営にはもう少し選手に配慮して欲しかったです。
夕食はインドのメハル支部長に洗練されたインド料理のレストランに連れていってもらい、ようやく心から食事を堪能することができました。食事の際に選手・審判団が全員自己紹介と今回の抱負を語り、誕生日を迎えた佐藤支部長を祝いました。
2 月 11 日
審判団はルールミーティングに参加しましたが、選手たちはホテルに残り調整することになりました。気分転換を兼ねて選手たちで ホテル付近の市場を散歩しに行きました。 子供たちが広場でクリケットしているのを見つけ、選手たちも混ぜてもらったのですが、大谷選手と野村選手が豪快にボールを空振りする中、目黒選手は豪快なホームラン級の当たりを出していたのは流石でした。ただ、それによって子供たちのボールがなくなってしまい、すごい勢いで「ボール返せ」「金よこせ」と詰め寄られていた光景は非常に面白く、今回の遠征中、試合以外で一番印象に残った出来事でした(「ナマステ」といって適当にごまかして逃れようとしましたが、結局ボールが見つかったので助かりました)。短い時間の散歩でしたが、現地の人々と関わることができ、自分の好きなインドを舞台にした映画である「スラムドッグミリオネア」のような雰囲気を味わうことができたので良かったです。
ホテルに戻って軽くシャドウなどで調整しましたが、このころから昨日の昼食が影響してか、男子選手は皆お腹の調子を崩し始めました。自分はお腹が下すだけで済みましたが、発熱などもっと重い症状もみられました。異国の地で試合をすることの厳しさを改めて感じました。自分がやっと思いでホテルの食堂に行き、無理やり食事を胃の中に運んでいる横で、中央アジア等の選手が大勢でバクバク食事を取っている光景をみると、日本人は快適な環境に慣れすぎて生物として弱体化しているのでは?と考えてしまいました。この日は選手全員でラインで最低限の事項を確認し、後は各々ひたすら回復することに専念しました。
2 月 12 日(試合当日)
昨日事務局長から頂いた薬のおかげで試合当日はお腹の調子もよくなり、問題なく試合に望めるコンディションに戻りました。それでも試合当日は緊張感で食欲もなく、朝食を本当に軽くとっていると、今回優勝した女子の大谷選手がうれしそうに様々な食べ物を取っている姿を目撃しました。 王者になる人間のたくましさを感じた瞬間でした。
試合前が始まる頃には昨日体調を崩していた選手も大分回復したようでした。全員の士気を高めるため、日本の選手の存在感を示すため、そして自分自身気合を入れるために円陣を組んで、会場中に響くように「日本絶対勝つぞー!」と大声を上げました。以下は自分の試合内容です。
○ 1回戦シード
○ 2回戦 VS Sokhibkhon Khakimov( タジキスタン )
初戦でインドの選手に勝利したタジキスタンの選手が相手でした。タジキスタンの選手は全員白帯をつけていましたが、軽量級の選手が目黒選手から効果ポイントを取り競った試合をしていたことから、おそらく皆別の競技の強豪で、この国の選手は油断ならないと感じていました。
右のパンチを基点にして組み、膝蹴りを中心にして攻めるという展開を続け、判定勝ちでした。組み打撃に関しては 顔面への膝蹴りなど練習していたことがそのまま出せました。 ほぼお互い組み打撃だけの泥臭い試合展開でしたが、 フィジカルの強い選手に削り合いで勝てた点はよかったです 。
○ 準決勝 VS Rauli Tutarauli (ジョージア)
ロシアなど様々な国の MMA 団体に参戦しているプロ選手であり、動画を見た限り打撃・寝技ともに細かい技術がある感じではないですが、外国人選手の中でも特にフィジカルが強く、ロシア代表と同じかそれ以上に強いと警戒していた選手でした。
寝技で下になったことや相手の強烈なローキックでバランスを崩したことで印象が悪く、ポイントはとられなかったものの本戦で判定負けでした。試合開始直後に向かい合った瞬間から相当な圧力を感じ、前に出て来る相手に対して自分が距離をとりながら戦う展開になりました。組みの展開になると圧倒的なフィジカルを感じ、思わず引き込んでしまいました。自分は寝技が得意ですが、 MMA をやっていたときの習慣から試合では極力下になることを避けて、あくまで自分がテイクダウンしてから寝技を行うことを重視していましたが、今回本能的に引き込みという選択肢を選んでしまったことは自分でもショックでした。寝技ではパスガードはされなかったものの、ボディへの強力なパンチを受け肋骨を負傷しました。自分から踏み込んでのパンチも当たりましたが、相手の首が強靭すぎて効いてる感触がしませんでした。
この選手は決勝でもロシアのマナバシアン選手もフィジカルで圧倒して優勝し、自分は結果的に 4 位入賞でした。
宿舎に戻ると、ホテルのホールを借りて各国の選手が合同で食事をするサヨナラパーティがありました。インド支部の陽気な塾生の司会のもと、各国のお立ち台の上に立って挨拶したり、音楽に合わせて踊るという展開になりました。インド人は基本的に礼儀正しく他の国の人に比べると大人しい印象でしたが、ボリウッド映画のとおり楽しく踊るのが大好きな人々だということがよくわかりました。今回日本選手団は若手中心ということもあり、みんな躊躇していましたが、そんな中で小松支部長に率先して漫談で笑いをとっていただき、踊りの際は自分と加藤選手が年長者・日本人選手としての意地を見せて、ピコ太郎のPPAPを踊ってなんとかやり過ごすことができました。会場にいたほとんどの人は PPAP を知っていたようで、ジャスティン・ビーバーの影響力の凄さを初めて感じました。その後も加藤選手とともにインド・イラン・ウクライナ・シンガポール・ロシア・フランス等のテーブルを回り、格闘技という共通言語で交流することができたので良かったです。試合で痛めた肋骨が終始痛み、笑うと非常に苦しかったのですが、空道という武道を通じて世界中の人々と仲間として通じ合える素晴らしさを実感することができ、試合の悔しさも体の痛みも 一時 忘れることができました。
2 月 13 日
インド支部のメハル支部長の案内のもと小さなバスでムンバイ市内の観光にいきました。「タージマハルに行く」という言葉が英語で聞こえたので、非常に期待していましたが、実際に行ったのはインド門と「タージマハル」という名前の高級ホテル(2008年のムンバイでの同時多発テロが起きた場所)だったので少しガッカリしました。しかし、試合の緊張感から解放された状態でのんびりとムンバイの中心地の街並みや雰囲気を感じることができたので非常にありがたかったです。目的地に行く道中で山田支部長・飛永支部長・神山先輩に各支部の状況であったり選手の状況だったりを教えていただくことができ非常に参考になりました。夕食はメハル支部長と奥さんの慰労会も兼ねて、日本食レストランで 食事をしました。その後ホテルに戻り、ロビーで荷物をまとめ直し、ジョージアセミナーに向かう東先生と支部長の方々と別れの挨拶をすると、そのまま空港に向かいました。
2 月 14 日
空港での荷物チェックの長い行列の際に次々と割り込みをしてくるインド人が多く、日本語で威嚇せざるを得ない場面もありましたが、無事深夜発の便でムンバイを出発することができました。完全に気が抜けたからなのか、肋骨の痛みが激しくなり、機内では物思いにふける余裕もなく、ひたすら早く日本に着くことを祈っていました。
所感
今回自分自身「絶対優勝する」という強い覚悟を持って臨んだ試合でした。空道母国の日本代表として強さを見せるということはもちろん、現在素晴らしい選手が揃っている中量級の選手として、普通に働きながら練習を続けているサラリーマン格闘家としての意地もみせたいという気持も強かったからです。
また、今回は自分にとって8年間待ち望んでいた機会でした。学生時代に世界大会( 2009 年) に出場させてもらいましたが、初戦で優勝したロシアのアブドゥルケリモフ・シャミル選手と戦い負けました。このときは世界大会に出場することが目的で、日本代表として勝たなければならないという気持ちは正直そこまで強くなかったです。シャミル選手が使っていた技術らしい技術はワンツー左ハイキックというシンプルなコンビネーションのみでしたが、圧倒的なパワーの差があったため、技の引き出しの多さで優っていた日本の選手を総なめにして優勝しました。その光景を見て以来、パワー系を中心としたフィジカルトレーニングの重要性を痛感し、本気で鍛え直してロシアの選手を倒して世界大会で優勝したいとという気持ちを持ち続けていました。
その後就職し、格闘技に割ける時間は圧倒的に少なくなりましたが、空道以外の別の世界も知ってみたいという気持ちもあり、後々空道に活かすためにプロ修斗など他競技の経験も積んできました。転勤で職場環境が変わり、練習環境が整わずモチベーションが下がることもありましたが、ロシアの選手と戦った記憶は忘れることはなく、最低限フィジカルトレーニングは必ず続けていました。しかし、2014 年の世界大会の出場は残念ながら叶いませんでした。
世界大会終了後、東京に転勤することになり、仕事としては今まで以上に大変になり、30歳という年齢も目前に迫ったきて、ふと考えてみると、まだまだ長いと思っていた格闘技人生が実はそんなに長くないこと、自分が格闘技を始めた当初の目標である北斗旗優勝と打倒ロシアが達成できていないことに気がつきました。
これをきっかけに、自分の格闘技に対する意識をより高め、時間が確保しずらい平日は走ったり、自宅で筋トレなどフィジカルトレーニングを中心にして、どんなに時間がなくても毎日最低ストレッチを行い、少ない練習の質を高めるために食事管理も行ってコンデションの維持を徹底するようにしました。人を相手に練習するは休日のみというスタイルになりましたが、上記のように色々と工夫を行った結果、練習時間は少ないながらも、自分が少しずつ強くなっていることを実感できるようになりました。今回の試合はこのような流れの中で臨んだものでした。
今まで 主にフィジカルの強化をテーマに上げて継続的に取り組んできて、今回の大会でその成果を一定程度感じることもできましたが、世界の強豪と比べるとまだ足りていないことを感じました。しかし、このような大きな舞台で多少のトラブルがあってもある程度落ち着いて戦えたのはひとつの収穫でした。これは他競技への挑戦や社会人として鍛えられた経験が活きたからではないかと思います。
今後日本人の世界大会での優勝のための課題として、パワーの強化ということは必ず出てくるかと思いますが、自分はそれ以上に選手はもっと空道以外の別の格闘技と交流することが必要だと感じています(もちろん空道という軸を崩さずに)。その過程で悔しい思いをすることも多々ありますが、やはり日本の格闘技・武道の多様性は世界に誇るべき環境にあるので、積極的に広い世界を知ろうという意識をもっていけば、自分自身で課題を見つけて強くなることができるかと思います。特に今の時代に格闘技をやっている人間は、世界的に急速にレベルが上がっているMMAを避けて通ることは出来ないと思います。海外の選手と話したところ、日本の選手より素直に新しい技術・練習法を取り入れており、日本に優位性はなくなってきていると思います。
色々とまとまりなく長々と書かせていただきましたが、今回自分自身大きな覚悟を持って臨んだ大会だったので、その経験や雰囲気を記録に残しておきたいと思いました。また、非常に多くの人々協力があって今回の大会に出場することができ、掲示板等で応援していただいたので、可能な限り遠征の様子や自分の感じたことを伝えるのは出場した選手の義務だと思いました。
塾長を始め、事務局長、高橋師範、山田支部長、神山支部長、佐藤支部長、飛永支部長、小松支部長、神山歩未先輩、由美子さん、目黒選手、清水選手、加藤選手、野村選手、大谷選手、大変お世話になりました。また、今回の試合に臨むに当たって多大なご協力と応援と協力を頂いた職場・御茶ノ水支部・早稲田準支部、関係者、応援してくださった皆様、本当にありがとうございました。今回の経験を 2018 年の世界大会での優勝につなげられるように今後も精進していきたいと思います。押忍。
御茶ノ水支部 田中
清水亮汰【-250】準優勝
押忍。2月9日(木)〜2月14日(火)までインド遠征に参加させて頂きましたのでご報告致します。
9日(出発)
早朝、成田空港にチームジャパンが集合し、東京(成田)→香港→インド(ムンバイ)と経由しムンバイに着いた時にはもう0時過ぎでした。
減量がきつかったので食べ物少しと水で何とか乗り切り、超高級ホテルに一泊し、腹ペコで就寝しました。
10日(計量)
朝、体重が74キロで1キロオーバー。
11時に集合し会場入り、12時から計量でした。
それまでトイレに行って、唾を吐いて、会場の体重計が少し壊れていたおかげで72,8キロ、体力指数49,8でギリギリクリアしました。
今日、開会式だけやる事になりものすごく長くダラダラした開会式を行いドッと疲れが来ました。段々頭痛が出てきました。夕食はインド料理を食べて就寝。
11日(フリー)
早朝、目が覚めると体がだるく、頭痛もあった為、熱を測ったら38,8℃あり、「うわ~、また試合前に体調不良かよ。海外試合向いてないな~」と思いつつ、事務局から薬をいただいて飲み、1日中ずっと寝ていました。他の選手たちはインドの町を散歩しに行っていてうらやましかったです。
12日(ワールドカップ当日)
朝、起きると昨日の風邪が嘘のように治っていて体調は良くなっていました。ありがとうございました。
早起きして、ホテルのプールサイドの芝生で目黒先輩とマススパーで汗を流し試合会場に向かいました。円陣を組み気合を入れ、選手同士でセコンドを回すことになりました。
第1回戦(シード)
第2回戦(vs Beau Luxford選手 オーストラリア)
いつも通り、初戦は体が動かず、エンジンがかからなかったが試合を優位に持って行けて体落としからの極めで効果を取ったが試合終了3秒前に変則的な飛びハイキックみたいなのをもらってしまって効果を取り返され延長戦になった。延長戦はそのまま優位に運び、5-0で判定勝ちだった。
準決勝(vs Vilius Tarasevicius選手 リトアニア)
タックルを切ってからの4連打で効果を取り、打撃でも的確に当て試合を優位に運ぶことが出来た。5-0で判定勝ち。
決勝戦(vs Igor Permin選手 ロシア)
相手はペルミン選手で世界大会の時にベスト8で勝った選手だった。試合は途中までいい感じに運べていたが、映像で見たところ1分半あたりでジャブをヘッドスリップして避けながら左のフックを合わせようとしたところ相手の右フックをもらってしまって2秒くらいは立っていたがそのままダウン10秒ぐらいで目が覚めた感じだった。
自分的には構えていたら、いきなり真っ暗になってキーンと音がしたような感じで気づいたら審判団に囲まれていた感じだった。相手はそんなに体がごついわけでもなかったし、どっからあんな強いパンチが打てるのか不思議だった。二階級くらい上の選手並だと感じた。
全体的に見て戦って
もちろんパワーがすごいと言っても打撃の威力がすごかったりするだけで実際に組んだりした感じ的には確かに力は強いがたいしたことなかった。
寝技が出来る国とできない国の差がすごかった。全体的に大振りでコンパクトに打撃を入れたりする選手は少なく技術もそうでもない。全体的に雑な印象だった。
これからの課題はフィジカル面の強化(ウエイトトレーニングは当然のこと、それだけではなく)だと感じました。外国勢と戦う上で自分は打撃の時の出入りと組技(組打撃も含めて)が有効ではないかと今回思いました。
試合後、表彰式をやって記念撮影
さよならパーティをやって就寝
13日(観光)、14日(帰国)
朝、お腹を壊してトイレにこもっていたが朝食を食べ、薬を飲み何とか治りました。
昼、12時にホテルをチェックアウト
船に乗ったり、スタバに行ったり、色々な建造物を見たり、ショッピングをしたり観光しました。ここでインドの空気にやられたのか声がおかしくなってガラガラに。
夜は日本食を食べ、空港へ。インド(ムンバイ)→香港→日本(成田)と経由して14日に帰国した。そしてすぐお寿司を食べに行ってやっぱり日本食はおいしいなと思いました。
最後に
塾長を始め、一緒に同行させて頂いた、事務局長、高橋師範、山田支部長、神山支部長、佐藤支部長、飛永先生、小松支部長、歩未先輩、由美子さん、洋輔先輩、目黒先輩、和徳さん、野村さん、大谷さんお世話になりました。貴重な経験をさせて頂きありがとうございました。またこのような機会がありましたら宜しくお願い致します。押忍。
加藤和徳【-260】3位
インド開催第2回ワールドカップに出場する機会を頂けたことに感謝するとともに、試合内容や所感をご報告させて頂きます。
まず試合に関して。
【1回戦】
シードで一回戦はなし。対戦相手の試合チェックを試みたが、試合順番号の表示もなく、ゼッケンもない為、アップから戻ると二回戦で対戦する相手の試合が終わっていた。前情報があった方が対策を練りやすいが、なしで戦うのも、どんな選手なのだろう?どんな攻撃をしてくるのだろう?とスリルがありそれはそれで好きなので良しとした。
【2回戦】
イギリスの選手、礼をしてコートに入り相手選手と向かい合った段階で勝てると思った。
試合開始と共に飯村支部長の教えの通りじわりじわりと距離を詰める。
相手はそういうスタイルなのか、怖がっているのか、ステップで下がり続ける。
何をやっても勝てる気しかしなかったが、万が一ラッキーパンチでももらってポイントを取られ一回戦敗退というのだけは避けるのが賢明だとし、中間距離から右ミドルキックをフルパワーで蹴った。相手の左腕にクリーンヒットしいい感触だった、相手の腕が下がったので、効いたなと思いそのまま詰めて追撃の右ミドルキックを蹴ると相手が蹴り足を掴みながら嫌倒れ、バックマウントで極め突きを狙うもならず、相手が逃げたのでニーオンにかえて効果奪取。
普段であればここで寝技をやめ立つのだが、絞め技で一本狙うか、一回戦なのでもう少し試合を続け身体をほぐす意味でも打撃をいろいろ試すか、どちらにするか一瞬悩んだ。
が、試合にて寝技で一本をとったことがないので、狙いにいき稽古通りにしっかりと極まり相手がタップし試合終了となった。
【準決勝戦】
ウクライナの選手。前の試合をチェックしていてパンチ主体の選手であることがわかった。
本戦、下がる相手に前に出てプレッシャーをかける。
パンチが交錯するも互いに当たったり空振ったり、かすると痛かった。
立ち組みでは、力負けはせず膝を当て相手が嫌倒れすること3回、自分の右ローを掴まれ押されて倒されること2回、寝技でも自分が上になっている方が多く、全体的に前に出て押してる印象だったので勝ちかな?まぁ負けはないなと思っていたら判定で相手に旗二本、自分に一本、引分け一本だったので焦った。
主審が引分けにしてくれたので延長になったが、延長もこのままでは負けじゃないかよと。
延長戦、誰が審判でもわかりやすいようにぶっ倒してやるよと攻めに行ったらパンチを合わされ効かされた…そして、効果もたくさん奪われるという失態。
まぁいいや、どうせ倒すから効果くらいくれてやるよと割り切り、顔では倒れなさそうだったのでボディに的を絞りテンカオを決め、ボディ打ちも決まり、相手も効いたのと疲れで心が折れそうになってるのがわかったので、終始攻め続けあともう1~2発ヒットすればダウンしそうでしたが残り時間も少なくなり、最後立ち組みから相手が嫌倒れし、寝技になり大逆転のチャンスも股の締めが甘く腕ひしぎが決まらずそのままタイムオーバーとなり負けとなった。相手の方がパンチを当てる技術・威力共に上だった(現に効かされた)ので完敗だった。
[課題]
■パンチをたくさん貰ってしまった
→ディフェンス力、カウンターの精度向上
■パンチで効かされた
→首の筋力強化(田中選手オススメ)
■自分のパンチが当たっても効果にならず、膝蹴りやボディ打ちで倒せない
→攻撃力向上(フィジカルアップ)
■寝技で逆転できなかった
→極める技術の習得
■ポイントを取れなかった
→確実にポイントを取れるパターン…検討中
決勝戦にも残れず情けない結果となりましたが、今回の経験を活かし来年の世界大会優勝を目指します。
試合以外の所感
・自分も小さな空手道場を営んでおり、小さな団体ながらも大会などを主催し運営に携わっている。日本国内で大会を開催するだけでもとても労力がかかるのだが…、これが世界大会となると言葉の壁、文化の壁、価値観の壁、時差などなど…準備の大変さが容易に想像できる。開催にこぎつけたミハル支部長とそれを支えた幹部や道場生、関係者の方々、そして、半分以上?は手助けしたという日本の先生方や事務局の皆様、本当に有難うございました。
・インドの街並をみて、カースト制度の名残りか貧富の差の大きさに改めて驚かされた。物乞いをする子供達を目にした時は日本の道場の子供達の姿が浮かび上がってきた。
同じ子供でもこんなにも生きる環境が違うか、インドでは親もいない衣食住も教育も満足に与えられない子達がいる、日本とは対照的だ。日本に戻り子供達にインドでのことを伝え、日本だと「当たり前」のことがインドでは有ること難いかと、今の自分達がどれだけ有り難い環境にいるかを説明し、なんでも当たり前だとは思わずに感謝しないとね話しました。
それと言語について、今回の遠征中、日本語しか話せない自分は他国の方とほとんどコミュニケーションがとれなかった。しかし、英語を話せる方は様々な国の方と会話し、笑い合い、気持ちを伝え合っていた。
英語が話せることで得られる物は多く、まさに世界が広がるなと、子供達も今や小学生から英語を習うようになっていると聞いたので、勉強だからと嫌がらずに英語を身に付けられたら楽しいよと話しました。
実際に体験できたことだから子供達も真剣に聞いてくれて、この話を子供達に出来ただけでもとても有意義な遠征になったと思いました。
東塾長、師範、支部長、先生方、事務局の皆様、選手達、身体を張って稽古をつけて下さった飯村先生、先輩や仲間たち、有難うございました。
今後ともよろしくお願い致します。
加藤和徳
野村幸汰【270+】準優勝
押忍。札幌西支部の野村幸汰です。今回インドで開催されたワールドカップに出場させていただきました。自分の試合の内容を書かせていただきます。
一回戦 インドの選手に開始30秒に有効取られ、累積による反則により反則勝ち
準決勝 ウクライナの選手に延長戦で優勢勝ち
決勝戦 ロシアの選手に後ろ蹴りからのパンチで効果を取られ延長戦判定負け
ワールドカップに出場して感じたことは、外国人のパワー、対外国人に対しての戦略、環境の違いです。今回も決勝でロシア人に負けてしまいましたが世界大会前に得るものはあったと思います。これからは自分に一番必要な質を求めて練習をしていきたいと思います。
今回のワールドカップに同行して頂いた、東塾長、先生方、由美子さん、関係者や現地の方、一緒に戦った選手の先輩方ありがとうございました。
以上、短いですが遠征レポートとさせていただきます。押忍。
高橋英明KIF副理事長
大会の模様については、選手を初めとして多くの参加者からのレポートがあると思いますので、私からは、ワールドカップ開催までの経緯や大会裏話を中心にレポートします。
第2回空道ワールドカップについては、インドの他、メキシコも開催地候補として手を挙げていました。参加国側に立つと、国によってはビザの取得のために6ヶ月を要するという国もあるようなので、2月に開催するとすれば7月中には開催地が決定していないといけないわけですが、7月20日になって、総本部と開催希望国との間の調整が進んでいないので私の方で調整をしてくれとのメールを塾長からもらい、翌21日から、インドおよびメキシコとのコンタクトを開始しました。
その後、インドからのいくつかの問い合わせに回答した後に、KIF加盟各国に送付する大会開催通知や申込書のサンプルを送ったのが8月1日でした。メキシコは、まだスポーツ省との交渉ができていないということであり、こちらは難しいだろうなという感触でした。
インドにしても、メキシコにしても、最大の問題は開催費用であり、そのスポンサー探しに苦労しているようでした。インドからは、スポンサーの獲得のために、ジュニアのワールドカップも並行して開催したいという要望があり、KIF総本部としてこれを承認する旨と、こちらで内容確認するので大会開催通知や申込書の案を提出するようにメールしたのが8月8日でしたが、エアインディアと交渉するので開催の決定は待って欲しいとの返事でした。メキシコについても、スポーツ省との交渉は進んでおらず、この時点では、ワールドカップを開催できるかどうか、まだ不確実な状況でした。
その後、開催地をインドに絞り、ジュニアの大会を含めた開催条件の交渉と、大会開催通知および申込書の添削を進め、開催日程を2月10~12日と決定したのが9月11日、早く開催通知を出せと繰り返し催促して、ようやく大会開催通知と申込書を確定しかけたのが9月27日。ところが9月30日にインドとパキスタンの間の紛争が勃発し、万が一これが拡大した場合にはワールドカップの開催そのものに影響する可能性も否定できないことから、状況によっては開催時期の延期や中止もあり得るという文言を開催通知に加え、また細部の修正も行って、一般の大会開催と申込書を確定してKIF加盟各国に通知できたのが、10月17日でした。その後、ジュニアの大会については、ジュニアワールドカップではなく、ジュニアフレンドシップカップという呼称とすることとし、カテゴリーを決定して各国に通知できたのが10月31日。ここまでに、150通を超えるメールのやりとりを行いました。
その後、大会開催要項を遵守せずに応募してくる国が何ヵ国もあったり、総本部が許可したジュニア大会の範囲からの逸脱があったり、どうなることやらと思っていましたが、日本勢は2月9日の朝8時に成田空港に集合し、香港経由でムンバイに着いたのは日付が変わった深夜の0:30でした。宿泊先はマリオットホテルという立派なホテルでしたが、出発間際になって、大変なことに気がつきました。ホテルは9日からの4泊分が必要なのですが、どうやら、2月11日からの2泊しか取っていないようなのでした。事務局からインド側に連絡してもらった結果、部屋に空きがないために到着した日は別のホテルに泊まり、翌日から当初予定のマリオットに移動するということでしたが、10日の宿泊がとれているのかどうかに、一抹の不安を覚えていました。
10日は、昼前に大会会場に移動し、選手は計量を行いましたが、ここで次の問題が発生しました。まず、体重計が2つ用意されていましたが、これらの間の計測値が一致しません。またホテルにも体重計がありましたが、これとも食い違いがあります。更に、身長計は、巻き尺を使って壁に目盛りを記入してあり、この壁の前に立って計測するのですが、計測値と認識値に大きな違い(2~3cm)がありました。ところが、この計量に立ち会ったインド側の担当者は大会ドクターであり、「間違いない」と言い張ります。この時は、何とか言い訳をつけて、計測値から-1cmを採用することで合意しましたが、その翌日に計量したグループからも、やはり3cmほど高く計測されてしまっているというクレームがあり、大会の運営そのものにクレームが発展しました。ちょっともめましたが、結局は、3cmほど高く計測されるという意見に合意し、計量によるペナルティーはごく少数という結果になりました。
この日の夜は、大会会場で開会式が盛大に開催されました。
開会式終了後に大会会場からマリオットホテルに行くと、不安を感じていたとおり、部屋の予約は翌日の11日からしかなされていません。部屋は満室ということであり、我々ではどうしようもないので、しばらくロビーで待機していましたが、メフル支部長とホテル側とでもめた結果、何とか部屋を確保してもらうことができました。
この日の昼食は、全員、大会会場で食べたのですが、どうやらこの食事で選手全員がお腹を壊したようでした。生水は、氷を含めてくれぐれも厳禁ということは、全員理解していたと思いますが、どうやら、このときに提供された生野菜がいけなかったようです。二人部屋で交互にトイレに入っていたという話しも聞きました。
清潔な日本は世界に誇れることですが、一方で耐性がなくなっていることは、生物として問題かと思います。
大会自体は、12日の一般部には17ヵ国から74名(うち女子が8名)が出場、ジュニア大会は10日に200名が参加してインド予選を行い、ワールドカップ前日の11日にインド以外の国からの選手も参加してのフレンドシップカップを行うということで、期待以上の大会になりました。ジュニアしか参加しなかった国もありましたので、全体では20ヵ国ほどの参加になったと思います。
皆さん、お疲れ様でした。
大会の結果は周知されているとおりですが、選手には、世界大会での成果を期待します。
以上
山田利一郎新潟支部 支部長
この度の遠征においてインドとジョージアにおける空道が異常なまでに受け入れられ、その意気込みを感じた次第です。
インド開催のワールドカップ。試合監査を仰せつかり進行と関係者の取りまとめには、日本以上にとても難儀しました。
しかし、もう少し時間を掛ければそれなりの形に成るものと思います。
この後、ジョージアに遠征に向かいました。
ジョージアの空道の取り巻く環境は今すぐにでもジョージア大会、その後、ヨーロッパ選手権大会の開催、指導員の面倒を見るから日本から呼んで欲しい。
そして、同じ武道団体からの全面的な協力体制。セミナーに入る前からこんな調子で始まりました。
来年開催の世界大会を成功させる為にも空道連盟の部門委員会の緊急発動と世界大会対策委員会の設立を切に願いたいところです。
もう少しここで述べたいのですが終わります。「何故なのか」ご察し頂ければ幸いです
。
塾長、奥様、高橋総運営委員長、他、関係者の皆様,またご一緒する機会を楽しみにしております。
神山信彦日進・長久手支部 支部長
第二回 ワールドカップ インド大会
2月9日に出発し、2月14日に帰国するという日程で、第二回ワールドカップ(インド大会)に参加させて頂きました。
第一回ワールドカップから6年が経過しており、インドではどのような大会になるのか興味がありました。というのは、第一回ワールドカップ(ロシア大会)が盛大に開催されたため、第二回以後の開催を各国が躊躇しているように感じていたからです。そういった意味で、今大会が、後のワールドカップの規模と内容の目安になると思いました。
細かい試合の内容や旅の様子は選手や他の方がレポートすると思いますので、ワールドカップ全体を通しての自分の感想を報告します。
まず試合結果ですが、ご存知の通り-240、-270以外はロシアが制覇しました。しかし、全階級をロシアが制覇しなかったことが物語っているように、ジョージアやタジキスタンなど各国も選手が育ってきており、世界の空道のレベルが上がってきているのを実感しました。
一方、日本選手は、以前より指摘を受けていることですが、国内では通じる技でも海外の選手には通じない技がたくさんあり、今大会でもそれが目立つ結果となりました。来年、第五回世界大会が開催されます。世界大会は過去4回開催され、ワールドカップは今回をいれ2回開催されております。世界大会やワールドカップを目指す選手は皆、一生懸命に稽古を積んで大会に臨んでいます。しかし目指した目標を達成しておりません。
どのように稽古を進めていくのか結論は出ていると思います。世界を相手に戦う選手は、塾長も仰っていますが、打ち負けない力を付けることが必要です。もちろん力だけでは勝つことは出来ませんが、最低限の力は必要です。技だけでも勝つことができません。もちろん力だけでも勝てません。双方をバランスよく身に付け、自身の持ち味をより伸ばすように工夫することが重要だと考えます。代表として選ばれる選手は、それぞれのスタイルを持っています。そのスタイルのメリット/デメリットを把握し稽古を積み重ね、良い技を伸ばし、デメリットを埋めていく稽古に取り組むことが必要だと思われますが、果たしてできているでしょうか。ミットを何ラウンドも行ったり、組手の数を多く行う稽古などは、どの選手も行っていると思います。しかし、この稽古法で結果が伴わないということは、何かが抜け、足らないということではないのでしょうか。今までと同じ稽古方法の繰り返しでは今までと同じ結果となり、世界の選手には勝てないと思います。一番高いところに日の丸を上げるのなら選手一人ひとりが取り組むべき本当の課題に気づき取り組むことが必要です。それぞれの稽古方法を違う角度から見直すことも大切だと考えます。
さて、今回のインドにおけるワールドカップ開催は、インド支部だから可能となった大会だと言えます。完成したものに誰でも批判はできます。今大会は、インド支部塾生一人ひとりがとても真剣に取り組み、皆が協力して大会を運営していました。審判もレベル的にはまだまだですが、審判を行った一人ひとりが真剣に取り組み一生懸命でした。少しでも吸収しよういう真剣さが感じ取れました。ワールドカップの審判にインド支部の塾生はいませんでしたが、前日のジュニア審判団は全員、審判の服装で会場にいました。この一生懸命に取り組む姿勢は、日本人も学ぶ必要があるのではないでしょうか。選手だけではなく今後のインド支部の役員のレベルアップを期待したいと思います。
第二回ワールドカップに同行させて頂きありがとうございました。海外遠征に参加させて頂く度に、事務局長や塾長には大変お世話になり、改めてお礼を申し上げる次第です。本当にありがとうございます。
海外遠征を通して肌で感じ学んだ事を塾生に伝え、世界で活躍出来る選手育成や地元での空道発展に繋げていきたいと思います。また空道連盟や大道塾の組織作りに繁栄させて行くことが恩返しと考えます。
留守の間、指導をして頂いた支部塾生幹部や指導員にお礼申し上げ、支えてくれた家族に感謝します。
ありがとうございました。
神山歩未日進支部
はじめに、第二回世界杯という空道にとって重要な国際大会に審判として参加する機会をいただいたことに深く感謝申し上げます。
私からは以下の2点についてご報告させていただきたいと思います。
まず、今回同行させていただいたインドは、6年前、選手として姉妹でインド支部立ち上げのためのセミナーに参加させていただいた場所で、私にとっては2度目の訪問となりました。広い会場を見渡しながら、6年前、同じ会場で、伝統空手の道衣に身を包んだ300人を超える生徒たちに、塾長が空道の突きの出し方から丁寧にご指導されていたことを思い出しました。あれから6年。誰もが顎から突きを出す空道のスタイルに変わっており、まだまだ発展途上ではあるものの、空道の試合を行えるレベルへと成長しており、ここに至るまでのMehul支部長と奥様、そしてインド支部を支える指導員らの多大なご尽力が伺えました。
6年という長くも短い時間を経て今回の世界杯という国際大会の開催に至ったことは、賞賛に値すると感じます。掲示係、会場アナウンスなど足りない点が多々あるものの、確固たるレベルを築いている日本の審判団やロシア・ウクライナの審判団が中心となり試合運営を行い、だれもが一所懸命に、選手たちが十二分に力を発揮できるよう、そして良い世界杯を作り出そうとするあたたかさを感じさせられました。言葉が通じなくとも一人一人が良いものを作り出そうとする「思い」が、とても重要になるのだと改めて教えられました。
次に、女性についてです。
世界杯前日の少年部の大会では、インド人の女性審判が多数みられました。彼女たちは大きな大会に出て立派な功績を残している選手というわけではありません。それでも一人一人が男性と同じネクタイをはめ、体の大きな男性審判らに混じり活躍していました。
昨年の全日本体力別選手権大会において女子部が正式に階級別になり、それぞれの階級に初めて優勝者トロフィーが用意されました。それは私にとって、とても喜ばしく、そして空道女子の発展を伺わせる出来事でした。大会においてようやく女子選手が育ってきたところなので、審判までは望みすぎではありますが、インドでの女性審判らの様子は、国内における空道女子の遅れを感じさせられました。審判資格には、大きな大会で実績を残すことや、選手として活躍することは求められておりません。実績がないからと、女性だからと躊躇するのではなく、武道であるからこそ、それぞれのレベルでそれぞれに合った取り組み方で、積極的に昇段や審判資格の取得に挑戦してほしいと感じました。
今回、私が女性の審判として大きな国際大会に参加させていただいたことは、とても重要なことだと認識しております。これまで選手でしか海外で活躍する機会がないなどという風説がありましたが、審判として、また女性も活躍することができるのだと、空道女子の新たな1ページを刻めたのではないかと思います。これからも自身のレベルが向上するよう、少しでも空道に貢献できるよう精進してまいりたいと思います。そして将来、空道を担う子どもたちが、男の子だから、女の子だからという差異なく、選手として、審判として、また指導員やサポータとして、空道という広い世界で十二分にそして多様に活躍できる時代がやってくることを切に願っております。
遠征中は、塾長、事務局長、由美子さんをはじめ、高橋師範、支部長方々、選手のみなさんには大変お世話になりました。改めてお礼申し上げます。
また支部長不在中、支部を守ってくれた黒帯の皆様、稽古を成り立たせようと協力してくれた少年部の皆さん、私の代わりになろうと一生懸命頑張った妹に、いつも影で精神的に支えてくださる母に、この場をお借りし感謝申し上げる次第です。
押忍
小松洋之秋田支部 支部長
押忍 秋田支部長の小松です。
塾生諸君においては、目前の各地区予選に向け厳しい稽古漬けの日々を送っている事と思います。この度、インドでの第2回WC、及びジョージアでのセミナーに参加させて頂きましたのでここに報告致します。
インド空道について
インド支部はメハル支部長のもと、老若男女数多くの陽気な塾生達とそれを支える多くの熱心な幹部達が籍を置く、おそらく日本以外ではアジア最大規模の組織である。今後、空道の技術とルールをより深く正しく理解し、フィジカル面でも更なる充実を図ることにより、近い将来にはアジア戦線へ台頭してくるであろうとの印象を受けた。WC打ち上げでインド支部のほぼ全員が見せた明るく激しいダンスの運動量からも、いずれアジアの強豪国の一つになるであろう事は想像に難くない。
七世紀に玄奘三蔵がインドから長安に持ち帰った657部の経典は、その後日本に伝わり、私たちはそこから「空」の一文字を戴いている。1400年の時を経て、この度、空道はそのルーツの地から世界へ向けて新しい発信を行った。その場に立ち会えたことは空道家として正に誉れである。
ジュニアフレンドシップカップの一場面。
WCについて
WCについては、運営についてそれなりの改善点はあるものの、国際大会のうちでも最大規模である本大会を運営した事で、インド支部の組織としての一体感、経験値は確実に上がったのではないかと考えられる。
WCでの私の役割は審判と計量を務めた。計量ではいつもの国際大会の通り、身長計測時の選手の立ち姿勢の矯正に苦労をさせられた。
その他印象では、シビアな減量を行ったのであろうと見受けられる選手が、日本人以外ではほとんどいない事であった。その事は、第3回世界大会出場者のPIデータを比較した際にも見受けられたことであった。外国人選手は、比較的通常の状態で試合に挑んでいる場合が多いのではないかと考えられる。
閉会式。有無を言わさず巻かれて、正装となる。
WC日本選手団について
第1回大会から比べ優勝・入賞者数が増加したこともあり、日本選手団は良く戦ったと感じている。今回で取得した多くの経験とデータをしっかりと咀嚼し、PDCAサイクルを回していって欲しい。試合とそれに至る稽古は、己の過去への検証、そして未来への実験であるのだから。
試合については既に選手本人や同行の師範先生方からの報告がなされている為、私からはセコンディングについて考えたことを記したい。
今回の大会を通じて、WCの様な大きな国際大会では日本国内では考えられない程の大歓声の中で試合を行うため、セコンドの肉声は選手に聞こえない前提で試合に挑む必要がある、と感じた。多くの国内での試合で見られる、状況への対応を音声で指示をする、というセコンディングでは国際大会の場合は限界が生じる。選手とセコンドは国内戦以上に深く戦術を理解し合う事が必要で、肉声が届かない状況下でも、戦術に沿った単純で力強いメッセージを選手に届ける手段を予め決めておくべきである。本大会では専属コーチ陣はいなかった為、選手同士がお互いのセコンドを務めた。現役選手同士であるから手の内をさらすというリスクは確かに存在するが、情報公開によるリターンで十分黒字になると考えている。生じたリスクは、次回対戦時までの自己研鑽で解消可能でもある。国際大会は総力戦である。総力戦のキーワードの一つにセコンディングも加えることにより、次の国際大会での日本の勝利をより堅く出来るのではないかと考えた次第である。
ジョージア空道について
インド支部同様にダビド支部長のカリスマ的求心力と絶妙な人材活用、そして幅広い人脈により、短期間で世界に台頭してきた驚くべき支部である。事実、本WCでは-240を制し、-250でも3位入賞を果たしている。
ジョージアではセミナーの指導員と昇段審査の監督官を務めた。私自身は、渡航直前より悪化させていた腰痛により、最善の模範演技を披露出来ない状態になってしまっていた。体調管理について深く反省している。
ここでは、空道の実技指導のみならず、多くの政府要人やオリンピックメダリスト、企業経営者の方々と意見交換を行う事が出来、非常に興味深い時間を過ごす事が出来た。この国の旗はジョージア正教の核心である三位一体を表しているという。産・学・官がまさに三位一体となって支援を開始したこの国の空道の将来が明るくない筈がない。次の国際大会ではどのような成長を遂げているか、非常に楽しみな集団であった。
指導中の私。声も出ているが、腹も出ている。
おわりに
世界に広まっていく空道のダイナミズムを実感できた遠征であった。特に印象的であった事は、インドとジョージアの両国とも、今までの海外支部とは大きく違う立ち上げ手法を取っていた事である。異次元の初期費用を投じ一気に立ち上げていく様は、明らかに既存の手法と異なる形式であり、そのような手法を選択可能な人物や組織が空道を理解したうえでいよいよ空道に参加してきたという事なのであろう。
今後、空道は二次曲線的に世界に広がっていくと私は考えている。その様な世界の中で、私たちは武道のあるべき姿を、正しく強い空道を発信して行かなければならない。微力な私ではあるが、今後とも空道の発展に貢献したいと考えている。
ジョージアでのセミナー後の集合写真。ほんの数時間前までは他人だった我々。セミナーの度にいつも思う事。
謝辞
この度、このような機会を与えて下さいました、塾長、事務局長に御礼申し上げます。東事務局員、大きな段取りから細かいお気遣いまで、ありがとうございました。
高橋師範、神山師範、飛永師範、神山指導員、インドまでの行程、本当にお世話になりました。ゆっくりお話をする時間が取れ無かった事が残念でなりません。山田師範、佐藤師範、ジョージアまでの永きに渡りありがとうございました。お二方の指導技術をしかと勉強させて頂きました。また腰痛で動き辛い所を助けて下さり、ありがとうございました。
選手の皆さん、お疲れ様でした。近々、構造力学と運動エネルギー、そして空道について更に深く語り合いましょう。
ダビド支部長とジョージア支部関係者の皆さん、メハル支部長とインド支部関係者の皆さん、大変お世話になりました。また一緒に稽古して沢山飲みましょう。タマラさん、ファビアンさん、深く広い知識で私たち皆を結び付けて下さりありがとうございました。
最後に、高野副支部長と秋田支部の皆さん、いつも支部を護ってくれていてありがとうございます。
佐藤繁樹仙南支部 支部長
インド(ムンバイ)で開催のワールドカップ(以下、W杯)、及びジョージア(トビリシ)で開催のセミナーの報告をいたします。
W杯
日本代表選手の成績や評価、反省については、各選手の報告をご覧いただくとして、国際審判員、空道指導者の視点からお話しいたします。
22カ国参加の今大会。これまでも日本、ロシア以外の国の台頭をお話ししてきましたが、これまで以上にインド、ジョージア、ウクライナ、コロンビア、タジキスタンなど他国の台頭が目立った大会となりました。
これは空道が世界に一層拡がった証であると共に、日本の更なる危機感を煽るものでもありました。
そんな中でも、大谷の優勝をはじめ日本選手が全員入賞を果たしたことは前W杯の入賞者2名と比べて大きな進歩と言っていいと思います。
しかしながら、今の成績に満足せず更なる上位を狙ってほしいです。
大雑把に言って、大谷、野村は打撃技のレベルアップ、清水、目黒はフィジカルアップ、田中、加藤は確実にポイントを獲る組手の確立といったところだと思います。
でも全般的によくがんばってくれました。ありがとう。
開催国インドについてですが、競技、及び審判員のレベルはまだまだと言わざるを得ませんが、インド連盟の一体感はとてもいいものがありますし、支部長をトップとした統制がしっかりと取れている印象を受けました。
インド選手も1回戦で野村から突きで有効を奪い、女子では3位入賞するなど、これからの可能性を大いに感じさせる国です。
観客の大声援「インディアーインディア!」コールは今も耳から離れません。
来年の第5回世界大会まで1年9ヶ月。日本代表を狙っている選手は計画的に万全を期して日々の稽古に取り組んでほしいと思います。
ジョージアセミナー
W杯終了後、そのままジョージアセミナーに向かいました。
ジョージアは連盟発足半年で、既に今W杯240級で優勝者を輩出しています。
加えて、チタオバ、柔道、レスリングなどの組技競技の盛んな国です。
空港での歓迎セレモニーにはじまり、歓迎会などには政府関係者、柔道、レスリングのオリンピックメダリストが毎晩歓迎して下さいました。
2日間のセミナー、そしてジョージア空道連盟の記者会見の模様はTVニュースで取り上げられるなど、国、政府をあげて、そして競技を超えて空道を国内に浸透させメダリストを育成しようという熱意をとても感じました。
セミナーは100名超の参加者で、1日目は3時間、2日目は審査会を含めて6時間ほど行いました。競技的にはフィジカルが備わっている印象を受けましたので、日本から指導員を数ヶ月間派遣できれば、超速の進歩を遂げられる国だと感じました。
その他
以上で報告を終わりますが、書ききれない書けない内容もあり以下はトピックスのみ。
詳細は個別にご連絡いただければと思います。
・カレー地獄
・小松支部長と一夜限りの…
・インドのハッピーバード
・ガーバルジョス
・超高級車内であわや!
・パイプと傘
・ギオルギ
・あのね!新発売!
最後に
今回も世界に広がり続ける空道を目の当たりにできて大変うれしく思いますし、これは生涯をかけて追求する価値のある武道だと改めて感じました。
また、思いがけずインドで44歳の誕生日を迎え、皆様に祝福していただいたことは忘れられない思い出となりました。ありがとうございました。
私の遠征中、道場を支えてくれた指導員の方々、生徒の皆様ありがとうございました。
この経験を日々の稽古に還元してまいります。
遠征にご一緒くださいました塾長はじめ皆様大変ありがとうございました。
飛永耕治帯広支部 支部長
2017第2回空道ワールドカップ遠征記 in ムンバイ
2015モンゴルで開催された第1回アジア大会では日本選手団のコーチとして参加させて頂きましたが、今回は審判として日本選手団に召集していただきました。ワールドカップと言う最高峰の舞台に上がれる事は、選手のみならず審判にとっても大変光栄で名誉な事と感じています。
成田集合!
前日入りして空港近くのホテルで新潟支部長の山田支部長と一泊、実は山田支部長、私の内弟子時代の直属の先輩です。遠征出発前から、懐かしくも内弟子時代を想い出しました。
東 塾長、事務局長、広報で参加の由美ちゃん。
札幌西の野村、枕持参!海外に慣れてますね。
5時間の飛行時間を経て、香港国際空道に到着!ここでのトランジットが5時間!
前回のインドのセミナーでも指導されているので、旅慣れた感じです。高橋副理事長。
等身大のキャプテンアメリカを発見!
まずは乾杯!
香港国際空港を経由、ムンバイまで約5時間です。飛行機の中はどうしても狭く自由のききづらい環境ですが、チケットの購入時に事務局側の配慮で“通路側”を抑えていただいているので足を伸ばせるのと、気兼ねなく席を離れることができます。
【インド、ムンバイ到着。】
今回宿泊するホテルです。主催者側の配慮で世界的に有名なマリオットホテルに宿泊させてもらいました。外国人環境客やひかくてきに裕福な人達が宿泊しているようです。
当然、プールやジムも完備してます。ロシアの選手が泳いでました。
インドには昔ながらのカーストと言う日本では考えられない階級制度が存在しており、法律で禁止されてからは少し変わってきているそうですが、その名残はいたる所で見ることが出来ます。私達の宿泊したホテルは、最高級ホテルでしたがチョット裏の路地を覗くとスラムが広がっています。
日本に戻って来て、道場の子供達に一番に伝えたのが『日本は世界で一番いい国なんだよ!』と、言う話です。
ストリートチルドレン、または両親はいるが働かない…今回選手団の乗ったバスに多数のストリートチルドレンが 押し寄せました。バス走行中、信号待ちで減速したところに、10歳にも満たない子達が「何か食べるものを下さい」と一生懸命に身振り手振りでジェスチャーをしています。見ないふりをしていると、バスを激しく叩き、手に持っているストールの様な物を窓に向かって投げてきます。
目鼻立ちがハッキリとしていて日本人には無い顔立ちはとても愛らしく、思わず情を掛けたくなりますが…
日本を経つ前、ガイドブックに目を通した中で、インドはもっとも物乞いが多い国の一つなので注意が必要と書かれていたことを思い出していました。
外人選手の一人が、ペットボトルに入った水を1本、子供達の中に投げ込みました。
さっきまで愛らしい表情で私達に物乞いしていた子供達の顔は豹変し、まるで野犬が獲物を奪い合うかの様に争い始めました。日本人にとっては たかだか水で…と思われる人もいるかもしれませんが、水道の水をそのまま飲めるのは世界でも日本だけです。他の国では水は買ってくる物なのです。
財布やスマホを落として手元に戻って来る国も日本だけ。財布やスマホを拾った時に「ラッキー、もうけた!落とした奴が間抜けだ!」と思うのが外国で、「落とし主は困っているのではないか?」そんな気持ちを持って警察に届け出るのが日本です。昔より希薄になったと言われていますが、それでも持ち主に返さないで着服する人間が集まって出来た国(その国では違法ではない)と、人の事を思い、人のために警察に届け出る人間が集って作り上げた国とでは必然的に国の出来方、ありかたが変わるのは当然の事で、どちらが住みやすい国になるかを聞くまでもないことだと思います。
私達は「空道」と言う日本発信の武道を学んでいます。日本は侍の国、武士道の国でそれが現在の武道、日本の「道徳」として根付いています。海外にいくたび その重要性を改めて再認識させられます。
インドと言えば、本場のカレー!味も香辛料が効いていてとても美味しかった…でも…滞在期間中3食すべてがカレーだったのには驚きを通り越して感動(インドは本当にカレーの国(◎_◎;)
【山田先輩からの「軽めのジャブ」】
話戻りますが、遠征前日のホテルで先輩からお土産を頂きました…まさかの”カレー”!!!
新潟で有名なレトルトカレー3箱… 結構ずっしりしています… このカレーは美味しくて好きです…が、先輩、インドにカレーって…(゚Д゚)
このレトルトカレーをインドに持っていき、インドから持って帰ってきました…
インドでは「生」とつくものには気をつけろと言われています。
特に水はそのまま口に入れる事は出来ません。上下水道の整備がいきとどいていないため、水は全く飲料水には適していません。飲み水は勿論、歯を磨いて口をゆすぐ水もペットボトルの水を使用しました。
高級なホテルでしたが、毎朝巨大な給水車がホテルの敷地に入り、水を貯蔵タンクに給水、供給しているのを見ました。しかしこれも飲み水にはならないと思います。おそらくシャワーの水等に使用されているものだと思われ、飲み水はあくまでもペットボトルに入った購入する水となります。
亮汰も試合の前日に9度近くの熱を出し、同部屋だった軽量級の目黒も9度の発熱。野村と重量級の加藤和徳は前日に食べた野菜サラダ(おそらく)にあたりトイレに30回以上駆け込んでいました。 女子で優勝した大谷も発熱といった具合に日本人選手団の殆どが最悪の状態だったにもかかわらず、前回第1回ワールドカップの日本人最高位4位を上回り、今回の成績を納めることが出来たのは彼らの強いハートがあったからだと思います。
体調管理も試合のうちと言ってしまえばそれまでですが、選手諸君は負けた理由を体調不良のせいにする者は一切おらず、それどころか試合前、試合後を通してその事を一言も口には出していません。
本人が望んで体調不良となる人間は100%おりませんが…とは言え、選手の自己管理に任せることなく、日本代表選手団として選手を管理する側の我々もことの重大さを今一度肝に銘じていきたいと思います。
選手の試合内容については、選手達が書いたレポートに任せる事します。
今回のワールドカップ、来年の「世界大会」の前哨戦として各選手様々な課題が見つかったと思います。
各地区に戻ってから修練を積んで、来年の世界大会では一回りも二回りも大きくなった姿を見せて下さい。更なる活躍を期待しています。
インドチーム地元開催だけに盛り上がっていました。
今回、日本選手団としてインドに入るにあたり、審判業務が私の最大の役割です。各国の選手が人生をかけて、そして国の威信をかけて闘います。
私達審判はその闘いの主導権を握っていると言っても良いと思います。
自身が選手だった頃は全く考えた事もなかった審判の役割、中でも主審の役割の大きさ。
公正なジャッジは勿論の事、主審のハンドリング次第で試合が面白い生きたものにも全くつまらない死んだものにもなってしまうと感じています。
その責任の重大さに、最初の頃は審判の役割担当が来た時には正直気分が憂鬱になりました。
回を重ね、経験を積んでいくうちに「これは大変だけどやりがいのある事」だと感じ始め、今では試合前の心の作り方、試合中の大きなプレッシャーが自身を磨き成長させてくれると思い取り組んでいます。
今回、ワールドカップには「日本選手と共に闘う!」と言う意識のもと乗り込みました。
試合も終わり塾長ご夫妻、事務局、審判団と記念撮影。(右端はフランスのファビアン)
サプライズ!ケーキのプレゼント!仙台南 佐藤支部長 44歳バースデー!
ワールドカップ前日のルールミーティング。
神山信彦支部長(右)と神山歩未審判員(左)は親子でワールドカップ審判員としての参加。なかなか成せる事ではないです!空道史上「初」の快挙です!
2016無差別女子の準優勝の由美ちゃん(塾長の娘さんです)今回は広報として参加。
外国人選手からは日本代表として出場するのか?という質問も受けていました。
【山田先輩からの「ボディーブロー」】
先輩とWベット…(;´д`)
枕が4つあったので衝立代わりに顔のところのに置いて就寝…フェリーの雑魚寝部屋みたいな感じでしょうか…内弟子の時に同部屋で就寝した際、先輩の「いびき」にはかなりやられましたが、今回は自分が勝利したらしい(勝敗の決め手→ベッドに入って3秒で記憶が無い。先輩のいびきの記憶もない。夜中に何度も蹴りを入れられたり殴られたりしたらしい…その記憶も無い。)結局、殴られているので気持ちとしては複雑ですが…^^;
聞いた話だと、こっちの人はこう言うの気にしないらしい。そう言う関係でなくも、男同士で手を繋いで歩いたりとか、ハグしたりと言う事です。…でも、まあ、この場合インド側の経費削減だと思いますが笑。
このストールみたいなやつは、王様に会いに行くときの正装だそうです。
日新支部の歩未ちゃんとファビアン。この2人、ストールが大変似合ってました。
秋田支部の小松支部長とロシアのフィリポフ
小松支部長は日本のムードメーカーで、どこの国に行ってもその場所を盛り上げてくれます。大変助かります。
フィリポフはロシアから審判として参加しています。
ロシアでは俳優もやっているらしく、強いけど最後はやられてしまう悪人役だそうです笑。見た人も多いと思いますがYouTubeで反則をした両選手を倒す審判としてネット上でも有名です。彼の審判スタイルは素晴らしく公正で分かりやすく、私が参考にしている審判員の一人です。
最終日は観光になりました。遠征の楽しみの一つです。選手達も試合が終わってリラックスしています。真ん中、御茶ノ水支部、田中洋介。月1で帯広まで仕事で来ていると知って驚きました!遊びに来いよ!
チョット小さい写真ですが、右は札幌西支部 大谷選手、今回のワールドカップでは唯一優勝の日本人選手。いつも笑顔を絶やさないのが良いですね。
紹介が遅くなりましたが左のインド人が支部長のメフル、その横は息子さんです。
昔はイギリス領だったので、ヨーロッパ風の建築物が多いのもインドです。
遠征先での観光は役得です。地元の支部長や、道場生が観光の案内を一手に引き受けてくれるので、一般的な旅行会社が企画したものと違い、地元の人間しか行けないような場所も見ることができ、より近くにインドを感じる事が出来ます。
海に来れるとは思ってもいませんでした。
塾長にカモメの○が直撃!「うん」を持ってるということで…^^;
残念ながら、水は濁っています。空も雲一つない快晴なのですが、青い空とはいかず、若干茶色をおびていて空気も何とも言えない独特な匂いがあります。
たまたま撮った写真、地元の人の服装がインドって感じですね。
真ん中、吉祥寺支部イケメン加藤。 第1回のワールドカップにも出場し、今回の遠征では日本選手団のリーダー的存在でした。露店ではなく、空港で値切っていた強者!予想外の展開に空港のお姉さんも戸惑ってました笑。
地元の土産屋さん!通りに露店商が数多く並んでいます。こういう場所は、その土地に精通している人間でなければおとづれるのは無理ですインドの文化なんかを間近で見ることが出来て感激です。果敢に値切ったりするのもこういう場所ではいいのかもしれませんが、時間の制限もあり、次回の課題にしておきます。
3食カレー…この経験自体、人生を通しても中々少ないと思いますので、それだけでも良い経験をさせてもらいました。
最後は日本食で夕食を済まして、さよならパーティーとにかく滞在期間中は3食全てカレーだったので、日本食がとても懐かしく、美味しかったです。
「ガツガツ」と音が聞こえてきそうですね(◎_◎;)。体調も回復して、減量からも開放され、三食カレーからも開放され、食べまくる、目黒と亮汰!
最終日は昼の12時にホテルをチェックアウトしてから観光。20:00pmにレストランにて日本食を頂きました。この後は2班に分かれ日本帰国組とジョージア遠征組とで別行動となりました。。
日本食レストラン「幸福」美味しかったです。インドで最後の全員での記念撮影!
帰国組は夜中の1:00amの便で香港経由で日本へ、ジョージア組、塾長、山田先輩、佐藤支部長、小松支部長が3:00amの便でトルコ経由でジョージアに向かいます。
東 先生、奥さん、高橋副理事長ありがとうございました。今回は出場選手は勿論、審判の最高峰とも言える「ワールドカップ」での決勝戦で主審を務めさせていただいた事で、今までにない重圧と経験を通し、その全てが自信や貯金となりました。共に闘った審判団の皆さんありがとうございました。
北海道に戻ってから審判を育てていく上でもこの経験は大変良い材料となるはずです。皆に伝えていきたいと思います。
山田先輩、遠征期間中の殆どの行動を共にさせていただきまして、内弟子時代の事を沢山想い出しました笑。
日本帰国組が「終わった」感たっぷりのところ、ジョージア遠征組は、ここからが本番と更に気を引き締めている様子でした。
選手の皆さんが今回の経験を生かし練習を積み、今より更に強くなって北斗旗の会場で会える事を楽しみにしています。
私も必ず何らかの成果をあげてから、皆さんに再び会う事を約束したいと思います。
インド遠征を共に同行させていただきありがとうございました。
帯広支部 飛永耕治