コラム21 「老骨に鞭打って(笑)」

「塾長スパー動画、予想通り、みんな驚いてますね。」

「驚いてる」って“人間機関車”(懐かしい言葉だ笑)が、化石燃料使用反対の声に押されて十分に供給できず馬力がでないためか?もしくは車体・車輪の摩耗によりガタピシしてるからか笑。この動画を見てどう思うかはそれぞれだと思うが、以前、63歳で9段の審査を受けた組手シーンが紹介されたなら、ドッカで「東も遂にこんなことをするのか。どうせ弟子は遠慮してるだけだろうに~」にみたいな反応が、塾内()外からあったと聞いた。

:内からの声としては「塾長はこんなことしなくても、過去の輝かしい実績や、不本意な結果でも、今は実際の試合映像で見れる時代になり、実力は誰しもが認めてるんだから、今更‥‥」という好意的なものから「塾長もTの仕事にも繋がる、セールストークに煽られて、イメージダウンするのも考えないで・・・」等というものまである。しかし、前者には「そうだろう、そうだろう」とニンマリしても(笑)、後者の「空道を盛り上げよう」として“格安”で働いていてくれる人間達 m(__)m が、逆に攻められるようなことになっては可哀想だ。聞き捨てならない!!

そんなこんなで「なぜ俺がこんな事をするのか?」は、いつか書かなくてはと思ってはいたんだが、できなかった事情を絡めて…。“総本部”は傍で見てるほど運営は楽じゃない()。為に、相も変わらず“少数精鋭”で切り盛りせざるを得ないから、それこそ小遣い社長として、日々の雑用に追いまくられてる。そんな身としては、半分「なに言われようが、そんなことは今しなくてはならないことじゃない。それより国内外からの、様々な事象に対応することは“今”必要なことだ」と思ってたのだが・・・・。

ある古参の塾生に「空道が国内外にこれだけ広がってれば‥でしょう」などと言われて「現実はボランティアみたいなもので、あなたの考える十分の一でもないよ~」といったなら「俺だって事業してるから分かるよ~」と来た。「ああ、分かってくれたんだな」と思ったなら、真逆な皮算用をされたみたいで腰を抜かした。「いや~」というと「俺を馬鹿にしてるの!!」とくる。「俺はそんなに甲斐性がないのか~」と返す言葉もない。

閑話休題。今回の動画について、またぞろ(又候)、色々な声が聞こえてきたので、言い訳でも年寄り自慢でもなく、その理由についてそろそろ書き留めなくてはとなった次第。くそ~!このくそ忙しい時に~~。

昔の選手時代を知ってる人間から見たなら「何で今更、こんなヨタヨタしてる映像を晒すんだ!」という声もあると思うが、俺は「はみ出し空手」の巻末(P218)で、

「単なる“我儘”や、チョッと有名になったからと「その気になって“独立”する」のではなく、50歳,60歳になってもできる“武道スポーツ”を確立する為だ。(中略) 実行しようとしてもできなかったなら、何もしないと同じだ。今後の生き方を見据えていただきたい。云々」

と大見得を切った以上、その年になったなら「俺は言ったことを、チャンと実行したぞ~!」と証明する義務があると、ずうと思ってきた。運動選手なら誰しも自分のことは過去の全盛時の姿で封印したいもので、それはそれでいいと思う。しかし、俺の場合は、かつての団体での歩みを期待してくれていた人たちに対して、ある意味、信頼を裏切ったかもしれない”過去”がある以上、それは避けてはいけないことだと思っているからだ。

「いや~俺も上に反発して別なことをやろうと思ったけど、実際自分で初めて見ると、思ったようにはできなかったよ」とは言いたくなかった。そして、これが東孝67歳11か月の組手であるの姿である。どう評価されるかは知らないが()、一応、「それなりに頑張ったな」とは言っていただけるのではないだろうか(m(__)m。

しかし、そんな辛気臭い話を離れても、この「勝手な“義務”」かもしれないが、があるから、この年でも汗を掻かなきゃならないし、お陰様で、終わった後の毎日の飯もビールも美味いんだ(笑)

「行蔵は我に存す、毀誉は他人の主張、我に与からず我に関せずと存候」(勝海舟)

コラム10 治療院通い

注:下記文章は書きなぐり/書き下(くだ)し/推敲後日/再読修正アリ (笑)

チェコ・ポーランド遠征出発2日前の稽古で出稽古に来ているSの寝技に付き合ったおかげで持病の“ギックリ腰”再発!!青くなったがすかさず昔から診て貰っている平山カイロに急行。普通は神経が麻痺しているからか(??!!)どこを押されても痛みを感じない私が、「マッケンジーテクニックなる」簡単に言うと背中を頂点に、頭と脚が直角になるような「海老反り固め」で油汗を流した。平山センセイはそんな顔を見て勝ち誇ったようにニコニコしている。氏は元柔道出身で練習中の背負い投げからの頚椎捻挫で頭以外全身麻痺という重態から奇跡的に生還した人で、その後カイロを極めて素晴らしいテクニックで多くの重症患者を治している人だが、人が痛い顔をすると喜ぶ意地の悪い人だ(S男か?失礼 笑)
「クソー、以前は練習に出ていたからお返しも可能だったが今は忙しくて治療に専念していると思って!」と、「地団太を踏みたい」所だがそんな事をしたなら益々痛くなるので悔しいが我慢、我慢だ(泣)それにしても寝技や投げは腰に一番負担が掛かるから、本気で出来ないのは情けない。最近特にだ。

私の腰と膝も暫く期間をとって、休めばもっと回復するのだろうが、汗を流さないと飯も酒も美味くないし、果ては仕事にしろ時間潰しにしろ、活字を追っても集中力が落ちるという正真正銘、完全なる”運動中毒”患者の私だから、3日と大人しくしていられない。一方で治療しながらもそれをチャラにするような練習を続けているから、かなり複雑に消耗して来ていて、常にここに行けばメンテナンス完了とはならない場合もある。

その場合はこれまた長くお世話になっている仙腸関節の調整で治療する、腰痛といえば常に名前が挙がる、マスコミで話題のNクリニックや、右足の半月盤を除去してから欠かせない“エアロバイク漕ぎ”でなる、太腿の張りから来る腰痛などの場合は、最近家の近くで発見した全力でその筋肉を解してくれる整体院など、時々の症状であと2人のセンセイに世話になっている。現役時代に膝が痛かったのは、靭帯が伸びたのも原因だが、「こんなに右重点で蹴っていたな腰に負担が掛かるな」っと自覚しながらも、しかし私にはあのルールでは万能と確信していた、「下段蹴りの練習をし過ぎて腰の骨が滑り易くなっている」のが原因だ、とどこでも言われる。一種の職業病である。

「いい加減年なんだから、口だけで指導すれば」とか、「それなりに立派そうに見える年になったんだから(本当か?)神棚に上がったら」と言われるが、ざっくばらんな言い方をすれば、私はこれ(武道)で食ってる以上、常に体を張っておかないことには仕事をした気になれない現場志向の人間である。飯の食い上げになる。
お花のセンセイがお花を活けなくなったり、書道の先生が字を書かなくなったなら看板を外さざるを得ないように・・・・。

とは言っても現役時代の怪我が回復しないとか、勤続/金属(?)疲労から不具合が固定化した方々の場合などは、当然、お花や書道以上に体が資本の仕事だから、一概にそうも言えないのだが、心構えとしては「看板を上げている以上、動けるうちは体で教える」のが基本だと思っている(くどいがその方が飯も酒も美味い 笑)。動けるうちに「代稽古できる指導員が出来たから」等と偉そうにして、自分は腹を出し能書きだけ垂れているのでは「看板に偽りあり」と自分で言っているようなものである。当分、治療院通いもどうしようもない。

関連記事:チェコ・ポーランド遠征レポート

文書日付2007.7.23

コラム11 チェコ ヴァーツラフ広場での妄想(笑)

注:下記文章は書きなぐり/書き下(くだ)し/推敲後日/再読修正アリ (笑)

当時最高の視聴率を誇ったNHKドラマを見、維新の志士「坂本竜馬」に憧れ「いずれ俺も革命の志士たらん!」としてはいたが、いかんせん政治運動とは遠い田舎の、しかもまだ高校生であり、大学(改革)紛争から発展した学生運動には「遅れてきた世代」である私は、実際にはこの「革命運動ゴッコ(?)」には参加しなかった(良かった!親を泣かせないで)。

しかし、年代分けでは「70年安保世代」になる私にとって、日教組教師を中心とした(洗脳?)教育「共産主義から社会主義体制への移行は歴史的な既定路線であり、理論的な事実だ」という主張には単純に「そうかもしれないなー。いやそうあるべきだよなー。そうすれば俺もこのまま大学に行けるんだろうから・・・」と漠然たる共感を持っていた。

当時学生運動に走った学生の殆どはまじめな優等生で、同じような共感(平等社会の実現)から運動に取り組んだはずだ。幸か不幸か私は、まじめでも優等生せいでもなかったし、大学に入る金がなかったから遠回りしている内に、頭デッカチの直情径行、純粋真直ぐ君から脱皮し、世の中を複眼的に見られるようになった。又、念願かなって大学に入った頃には学生運動自体が下火になっており、そんなこんなで“流行り病(はやりやまい)”には感染しないで済んだ。

革命どころか、逆に大学への入学金を稼ぐために自衛隊に入り、デモ隊鎮圧の放水車に乗り、放水射手の訓練を受けていた!!!「俺ってもしかしてあっち側にいたんじゃないか?」と思いながら・・・。(好い加減だねーーー爆笑)

しかし、「チェコ事件」は私のような半端な共感にしろ、理論的な確信者にしろ、資本主義社会の中にも多くいた共産主義シンパ(支持者)に大きな疑いを持たせた歴史的な大事件だった。それは人間/人類の向上心にも繋がる利己心を肯定する自由主義経済を否定し、「生産手段の共有による私有財産否定を通じての平等社会の実現」という、マルクス・レーニンにより唱導され試行された「ソヴィエト連邦社会主義共和国」という、人類の壮大な「理想社会実験の“崩壊」の、 いわゆる「終わりの始まり!!」であった。「その時、歴史が動いた」風にドラマ仕立てで言うならば(笑)、「今、その歴史の現場にいる!」と思うだけで、感無量なものがあった。

後日談。そのチェコが共産主義政権を打倒して本当に自由主義政権を確立するのはこの事件から実に21年後。「プラハの春」以来積極的に改革を進めてきた、劇作家ヴァーツラフ・ハヴェルが大統領に就任した。無血革命だった為、「ビロード革命」といわれる。

しかし、それほどまでにして手に入ようとする自由だが、自由は誰にでも輝かしい未来、人生を約束してくれる訳ではない。我々が何気なく生きる分には心地よい「自由」だが、一歩進んで人生を前向きに、向上心を持って生きようと思う者には、時にどうしようもない重荷になる。 「自己の責任で生きなければならない」という「選択肢の多さから来る不自由さ」を伴ってどう生きていいか分からなく、逆に無気力になる若者を多く生んでいる。

更には、「俺は誰の世話もしない代わりに、誰の世話にもならないから全くの自由だ。何を言ってもしても、俺の勝手だ。」という自己本位、自己中心な考えに至り、その通り出来るGift(天与の才能)に恵まれた一部の人間(エリート?)は良いにしても、中途半端な形で、自己に責任は持たないくせに完全な自由や、義務を果たさない権利のみを求める人間が増えている。

どちらにしろ、結果として多くの人間は“孤独”に至り他人と協調できない人間が増えている。人は皆、自由(本当の?)かもしれないが、孤独のうちにのたうち回っている。そんな多くの自由主義国を見るにつれ、これから人間が、人と繋がり協調してこそ成り立つ“社会”を維持して行くことはいつまで可能なのだろうか?と思ってしまう。

そんな時、外にだけ生き甲斐(目標、目的)を見出そうとすれば、(私の狭い視野かもしれないが)人類に多くのフロンティアは残ってないように見える。現代社会は早晩行き詰まりを感じざるを得なくなる、いや既にそうなっている?のではないのか?そんな中で、自己の中に生きる目標と価値を見出せる者のみが自己に自信を持て、他に働きかける力が生まれ、これからの社会を生き延びて行けるではないかと、漠然とだが思う。

そういう意味で、“消費される強さ=格闘技”ではなく、強くなりたいという人間の単純な本能/欲望の追求ではあるが、その過程で「一人では強くなれない事(教えてくれる先輩と、一緒に切磋琢磨してくれる同輩、指導力=人間性を磨いてくれる後輩とがいて始めて、本物の社会生活をする人間としての強さ/靭さが身に付く)に気付かせてくれる“武道”こそが、その答えを持っているのだと、「怖ず怖ず(おずおず)だが声を大にして(?)」言いたい。

武道は、現代のストレスの多い人間関係から生まれる、氷解不能に見えるほど巨大化/堅牢化しているその「孤独の克服」という社会現象に対し、「本能/欲望の追求を通じての協調性の涵養」という、様々な最新の医療や心理学では考えもしない角度からの解決法を持っている。

“武道”というと「フルーイ!」というのが若者の反応だが、古いどころか、現代社会を救う可能性を秘めた、不易流行で温故知新が可能な、日本が世界に誇れる文化なのだと、例に拠っての大仰な物言いを許して欲しい。

参考URL:NHKアーカイブス 激動の時代と日本人の「志」

関連記事:チェコ・ポーランド遠征レポート

文書日付2007.7.24 一部改稿2007.10.12

コラム12 組み技、寝技の練習の意義と実際

「空道の試合に勝つには組み技のレベルを上げないと」と町の柔道の道場へ行っても、レベルがではなく、職業的指導員がいるかいないかという意味で、アマチュアの道場は、大抵一人の指導員がいれば良い方で(いない場合は道場生同士で教える)、「手取り足取り」の指導は期待出来ない。

これは何も柔道に限らない。武道の世界的名声は高く、世界的な試合の時だけは「武道母国日本」等と持ち上げられ勝つのが当たり前みたいに見られているが、その割に武道の世界的価値や日本社会での教育的価値に見合う扱いはされていない日本では、どこの武道道場も維持するのが大変だというのが実情で、専従の指導者を常に置いている道場はまれである。その為、人手が足りなくて、大抵は受身を教えたなら即、乱取りとなるのが普通である。これではいくらか受けは強くなったり、力で頑張る癖は付くが、自分から相手を投げられるようにはならない。

それでも高校時代に柔道やレスリング、相撲などの組技を経験して即、乱捕りに対応出来る者なら別だが、「投げ技を基本から教えてもらい、打ち込みで形を作って、乱取りに進む」と考えて柔道の道場に入門しても、その希望は中々叶えられない。

一方、大道塾で両方をこなせる選手にしても、仕事を持っていながら練習する者が殆どだから、自分の練習時間が減るので、他人に教えることより自分の練習をしたがり、通常の練習以外で基本から組み技を教えたりはしたがらない。

そんな中で、総本部では毎週、金曜日はパラエストラから指導員を招いて、水曜日19:00からは山崎、寺園の両指導員が、組み技寝技の指導を行っている!!!参加しないのは絶対に勿体ないと思う。

金曜日のパラエストラの指導員は初心者にも丁寧に寝技の基本から教えてくれる。水曜日の寺園選手は柔道の経験こそないが(剣道の経験者。山田利一郎新潟支部長はじめ、大道塾のサウスポーの選手には意外と剣道の経験者が多い。)柔術の道場に通い、自分なりに研究して試行錯誤しつつ指導している。

逆に言うと、柔道未経験者としての経験(?)を生かして、いわば打撃中心に覚えてきた(組技の専門的な経験がない)多くの塾生が、空道=打撃系「総合(武道)の試合で、どう組み技や寝技に対処(自分が使う、もしくは、経験者の組技に対応)するか?の実験をしつつ取り組んでいる。これはこれで非常に貴重な試みである。

一方、山崎選手は周知の通り大学柔道(日本体育大学)の、まず組み技では最上級の修行経験を持ち、事実、数々の大会で豪快な投げ技と打撃の見事な連繋で、幾多の巨漢を破ってきた選手である。

それと、試合のように派手な/目に見える活動ではないので、「知る人ぞ知る」地味な話なのだが、同じくらいに評価したいのは、嫌がらないで初心者にも丁寧に基本の受身や、打ち込みを教える事だ。それは現役時代から変わらず、今も続いている。選手の習性を考える時、これは中々できるものではない。

手前味噌じゃないが、これらのクラスは本当に貴重なクラスで、塾生で組み技、寝技を覚えたい者が、なぜ総本部にあるこんな恵まれたクラスに参加しないで、余り指導体系が充実しているとはいえない、一般の道場に行くのか気が知れない。本当に不思議で且つ、勿体ない話だと思う。

なぜ空道にとって組み技が重要性を増しているのか?このところ連勝街道を驀進している藤松選手の勝利の方程式を見てみよう。

一つは、一発では威力は小さいかもしれないが皆が対応研究していなから貰ってしまう腰や、脇から出る「寸止め系の突き」。これは顔面近くから水平に出る今までのパンチと角度が違い、そういう「突きへの受け」の反復練習から生まれる「条件反射」がないので、安易に貰ってしまう。貰っても軽いからとさほど気にも留めない。(それが藤松の狙い目の一つでもあるのだろうが・・・)

しかしこの所の試合を分析したなら、「突き」、という意味では似ていても、これまでの打撃系にとっての寝技と同じ位に、「知らない技が一番怖い/威力がある」という武道・格闘技の大原則に立ち返って、重要視する必要がある。安易に考えて受けが形作られない限り、誰も取り組んでいない練習をしている藤松の突きは、益々当たる回数が多くなるだろう。

更にはその副次的な効果として、両拳を上げて顔面をガードする構えが一般的なフルコン系ではありえない、顔面ガラ空きの慣れない構え(単打戦が多い寸止めではこれが一般的)と、下から入ってくる突きに対戦相手の注意が集中してしまうから、何気ない下段蹴りや前蹴りをまともに貰ってしまう。

多くのKOは連打で注意の向いてない所に打撃が入るから生まれるが、一発二発ではダメージにならないこれらの攻撃でも、度重なるとそれが心理的な動転/負のスパイラルを招き、貰った方は自分の組手を忘れて、防御に関心が集中してしまい、結局、藤松の術中に嵌ってしまってしまう。

その上、ただの突き蹴りの選手がそれをするなら、「軽く打たせて(打たれても)倍にして返す」という方法があり、どういうことはないのだが、(彼の組手から学ぶ者は、ここを忘れてはいけない!)、藤松の場合は、その軽い突きをそれだけでは終わらせない、第二弾を持っているからより一層、より確実に、この戦法が功を奏する。

それが、この一撃必倒的組手の弱点である「乱打戦」を防ぐための組技だ。即ち、「相手が連/乱打戦に持ち込もうとして接近してきた場合や、チャンスを狙いつつ自分から単発で当て行き、ここだと思ったなら、素早く相手に密着して相手の連打を封じてしまい、投げ→寝技に繋ぐ戦法」である。

逆の場合もこの「投げ?寝技」の連携/展開が大きな抑止力になっている。相手がその連携/展開を恐れるがゆえに、掴まれたなら後ろに下がって逃げようと始めから腰が引けた状態から出す威力のない中途半端な攻撃や、思い切って入って行っても組まれた時点で「投げられるのでは!!」と、途中で攻撃を止めて/体を硬直させてしまう反応は、藤松の投げの絶好の下拵(ごしら)えだ。

しかしただ「投げ技が出来るから」では同じ結果は生まれない。今までも柔道ではもっと実績を持っている選手が出てきているが同じ事はできていない。それを可能にしているのは藤松の「打撃系用のステップから迅速確実に投げに入れる、構え方と運足」である。

私は組技に初めて取り組む人間に教える時「必ずサウスポーで覚えるように」と言う。それは打撃では柔道と逆で、多くの人間は通常左足前に構えるので、前に投げる技をかける場合、左の投げ技をかけた方が自分の体の回転が少なくて済むし、相手の体との密着を生むので、投げやすいからだ。

また、相手を後ろに倒す技でも、例えば相手の左前足を刈る左の大外刈りは、右足での継ぎ足一動作だけで刈れる。これは右足前で構えて柔道をしていた人間にはなかなか出来ない。どうしても二動作になり相手にその意図を読まれて防御されてしまう。藤松は通常右足前にして戦う選手が多い柔道を、高校時代からサウスポー(左足前)でしていたから、左足前の構えで打撃戦をしてそのまま左の技(特に大外刈り)にスンナリ入れるのだ。

他の選手は、それぞれの突きや投げは、柔道や寸止めでの見慣れたものであるが故に、特別の警戒心を持たないで対応しているが、この「一見ありふれている技」の組合せ/連繋の生んだ、これまでの結果をもっともっと意識的に再認識して対応策を研究しなければ、「もっと打ち合えれば・・・。効いたパンチはなかったのに、何となく投げられて寝技で負けた。負けた気がしない・・・」という、今までの勝負スタイルに捉われた/拘った総括をし、いつまでも不完全燃焼の負け試合を続けることになるだろう。

かと言って、語解して欲しくはないのだが、あの戦法/戦術が万全だというのではない。人の個性が千差万別であると同じように、その人によって生み出される勝負事にも定待った型や、究極の戦法はない。

ただ、今まで武道/格闘技最強を唱えていた打撃系が、柔術(寝技)の登場によって散々に苦渋を飲ませれている事を考えれば、時代の空気で「あんな時代錯誤な『寸止めスタイル』が様々な武道、格闘技の集大成とも言うべき『総合(武道・格闘技)』で通じるのも目新しいからだ。今に必ず失速する」等と思考停止し、歴代の戦士/選手の研究の成果である過去の実績にのみ寄り掛かり、現役の選手自らがこの戦法/戦術の研究もしないで戦いを続けるのなら、今後も死屍累々の戦野が続くだろうと言うことである。

今度はあの戦法/戦術を、上述したような先入観なしに、謙虚に研究吸収し、その土台に立ってその弱点(何にでも弱点・欠点はある)を突き、凌駕する戦法戦術を研究する選手が出てこなくては、空道の新たな発展はない。

元に戻るが、そういう意味でも、入門していても今まで食わず嫌いだった選手や、特にこれからの塾生には、これらのクラスに大いに参加して、上記の国内戦だけではない、次の世界大会ではより一層、対外国選手との戦いの大きなポイントとなる「投げ技、寝技」の充実に努めてもらいたいものだ。

<総本部 組み技関連クラス>
※支部所属の塾生も参加できます。
※金曜技研・組み技クラスは、塾長が出張、会議等で不在の際は内容が変更となります。詳細は総本部までお問い合わせください。

●水曜組み技クラス  19:00~20:30 3階道場
 指導員:山崎進(総本部指導員)
●金曜技研・組み技クラス 19:00~21:00 3階道場
 19:00~塾長指導 実戦組手(関節蹴り、金的蹴りあり)稽古
 20:00~パラエストラ指導員 寝技基本、スパーリング

一部改稿2007.11.8 文書日付2007.11.6

コラム13 矢のごとし光陰に、爪痕なりを(「還暦雑感」改稿)

(編集部注)当文章は6月に掲載された「還暦雑感」を大幅加筆修正し第三回空道世界選手権大会パンフレット(2009年11月発行)に掲載された「矢のごとし光陰に、爪痕なりを」を転載したものです。

この所、何回か遠征レポートを書くべき時の言い訳にしている常套句「忙しくて書く時間がないので・・・」は、皆さんからお祝いをして頂いたという事の性格上、今回はできないと思うので観念してPCに向かっています。

この度、私もお陰さまで還暦の年を迎え様々な機会に、様々な人たちから、様々な形でお祝いをして頂き、誠にありがたいことだと心から感謝し、御礼を申し上げたいと思います。

これを機にまた自分の人生のテーマである「空道」普及のために邁進したいと思いますので、今後とも宜しくご指導、ご鞭撻、ご協力のほどをお願い申し上げます。 本来なら各方々に一々御礼をしたためなくてはなはらない所ですが、誠に不躾、非礼は重々承知しておりますが、この場をお借りして、御礼の言葉とさせて頂きます。

(宴会の連続で記憶が覚束ない上に、ご出席者の一覧(住所なし)を頂いたのはごく一部で、少ないスタッフで世界大会の準備に天地をひっくり返えしているような状態の本部の今日この頃では、住所を確かめるのも一仕事なものですから。)


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ここからはオマケです。永遠に「木鶏(もっけい)たり得ない」所か、“チョイワルオヤジ”ですらない軽薄オヤジの駄文です。忙しい方は、以降は無視してください。(例によっての“デスマス調”と“デアル=偉そう”調の混交はご勘弁ください。)

弟子たちとしては初めは「塾長の先輩である他団体の諸先と同じように、ホテルで大々的に・・・」という考えもあったらしいのですが、「今のマイナス10歳が、昔の年齢感覚だ(※)」といつも言ってる上に、特に成長の遅い私自身まだまだ昔的な意味での“還暦”という意識はない。恥ずかしながら、老成度はまだ2-30歳代かも (笑)ので、70歳まで動いていた時はお願いしますが(笑)、今回は遠慮させて頂きました。
※2006年現在の日本の還暦以上の人口は何と26.4%(約4人に一人!!)である。なにも珍しくはない。

但し、みんなと一緒に「ああでもないこうでもない!!」と口に泡を飛ばして騒ぐことには全然/全く吝かではないので(笑)、色んな層(本部現役塾生、元本部先輩塾生―直接私に殴られ蹴られた世代 笑、支部長達、本部BGMクラス、本部午前のクラス、等など)の色んな場に呼んで頂き、今まで何と5回(あと1回ある!)の楽しく激しい(笑)宴を重ねさせて頂きました。(既に300歳です 爆!)ここに改めて、重ねて御礼を述べさせて頂きます。(口の悪い弟子に言わせると、「これは塾長に殴られ蹴らの塾生が今まで恨みを返そうとの、形を変えたリベンジじゃないすかね。」、となる 笑)

悪ガキの出来そこないみたいな、“多感なオヤジ”である愚生にとって、毎日書きたい雑文の“お題” (主に愚痴、悪口など 笑)は一杯あるのですが、塾長兼秘書兼雑用係の身には、毎日来る(襲来する?)国内外からの結構な数のメールは、気付いた時に、逐次返事しないと、すぐに「どこから手を付けていいか分からない状態」(しかも海外からのは返事が一昼夜後になってしまう)になるので、朝方(世間では夜中?)に起きると同時にMicrosoft Office  Oulookを立ち上げるというのが、ここ十数年来の習慣になっており、中々こんな楽しい時間は持てません。(実際、世界を掌-たなごころーにしているような気になって、偉そうに好き勝手書けるというのは、一端の訳知りになったような、酒が回って来て「俺の歌を聞け!」状態になり始めたような、飽きない楽しみっす、 笑 暇のある方はお付き合いください。)

俺の歌を聞け!

つけなければただの沈黙する菓子箱(私に関連する“沈黙する臓器”ではなく。 脈絡不明。失礼)みたいなノートPCが、スイッチを入れると同時に、突如、居丈高に、所構わず、ガナリ立て、公私の別なく、様々な要望、要求、文句、愚痴(悪いことばっかりか!)といったあらゆる有象無象、森羅万象(大袈裟か!)を、ボーとした頭に目に、一気に捻じ込んで、私の闘争心に火を付けます(笑)。

その上、生来がヤジ馬な小生としては「買っても読む時間がないからなー」などと思いながらも、朝刊の広告に良いタイトルを見てしまうと、新刊書だけでなく、週刊誌4誌、月刊誌3誌にもツイ手が出てしまう、病気持ちですから。(今年月刊2誌が廃刊になったので関係者―書く人、出版者/社―には申し訳ないが、「これも読んでおかないとなー!」という強迫観念から少しは解放されたー!!)

「日の下に新しきことあり」(?)は一番恐ろしい“退屈な日々”を消してくれるのでそれも良いのですが、それも程度問題です。語を短縮したり、レッテルを貼り説明を省きたい今はやりの風潮なのか、はたまた命名者になりたい医者か学者が考えるのでしょうか(穿ち過ぎ?※)、何にでも新しい病名を付ける昨今の風潮からは、これを「何とか症候群」というそうですが、何となく毎日がPCに追われて過ぎて行くような気がしてし、さすがにたまに「これで良いのか?」と思う時もあります。※やはり同じことをある学者が言っていた笑

とは言いながら、殴る蹴るを教えて(直接、加えて 笑)、挙句、偉そうに説教を垂れている私のような、ある意味特殊な世界の住人はそうやって目をキョロキョロさせ、手を広げないと全くの世間知らずで終わってしまい社会のお荷物になりかねませんのでヤジ馬にならざるを得ません。

そんなきのう今日、いくら酔脳(得意の出鱈目な造語です。酔眼があるならこれもありかと)とは言え、何十倍の濃密な生き方をしている人の言葉を勝手に引いて話すほど、昼から酔ってはいないのですが、ある雑誌の巻頭言で、ある高名な作家の方の言葉には本当にハッとさせられました。

「だけど〈○○○※〉の頃の若き日からいつの間にこんなに歳月が経つて了つたんだらうね」ということを友人への手紙に書いた、と。この所みんなに言われる「60歳ですね。(おめでとうございます)」の度に何とはなしに想うのも、まさにこんなことだったから。※同人誌の名前

改めて過ぎた日々を振り返ると、若いころに感じた「人生てのは、なんて退屈でなんて毎日が長いんだ(だから飲んで歌って面白がんなくちゃ、となった訳では・・・あるか 笑)」と思っていたのが、気が付けば決まり文句の「光陰何とか」じゃないが、忽ち、「ほんとうに人生てのは短いものだなー」と残りの年数(日数?)を数えるようになってしまった、というのが実感です。

そんな時、日々自分の生き方、考え方を吟味しながら生き、文字にして自分の“生”を満たしている人たちにこう言われると、「去年のことさえ覚束ない俺なんかどうすりゃいいのよ・・・」となるわけです 泣。

更に例の悪い癖で話を広げると(これが始まると時間を食い仕事が滞る!ああーまたメールが入った音がしてるのに・・・・)自分で確かな記憶、記録がないということは、「俺なんかあっちに行ったと同時に、他人にとっちゃ何もかも消えてしまうんだろうなー」、とまでなるのです。

別にアッチに行った時の楽しみもあるから、「アッチに行った時の、コッチの事まで知ったこっちゃない」と言ってしまえばその通りなのですが、ただ仕事に追われ何となく生きているのでは、「あっちに行く、行かない」まで話を高尚、高踏(?)にしないにしろ、もう少し残っている“嵐の年月”の後の、“静かな日々”を迎えた時の事を考えると、余りに味気ない話だろうと。
「ピンピンころり」も良いが、それでは私の人生は正に「酔生夢死」で終わってしまうでしょう。

ドタバタ劇場とは言え、折角の一度限りの人生、終章くらいは・・・・。樹が数本置いてあり、ほど好い陽だまりの中、眺めのいい屋上で、好きな音楽を聴き(こういう場合、演歌だけではない、念のため!)ビールを片手にし、(あ、その前に一汗かかなくっちゃ 馬鹿!)遠景を見遣りながら、去りし日々と懐かしい(憎たらしい、か?)人々の顔を思い浮かべつつ、来し方を振り返る時間も少しは欲しいものである。(なんか寅さん調になってきたか 爆) 果たして俺にそんな安穏な日々が来るか甚だ心配ではあるが・・・・。

(閑話休題)人に見せるためではなく、「去年の今頃は何をしてたんだ?3年前は??5年前は??」と考えた時、雑文でも何かを書き遺しておけば、単に日誌や手帳を見て、ああこんな事をしてたんだな、とデジタル的に大文字の記憶を繋ぐだけではなく、それに小文字が加わり、更には色や匂い、小味といったものまできかせて、いい酒のツマミになるはずだから。

「不要不急なことは忘れるに限る」という理屈も“プチボケ“の昨今、膝を打ちたくなく言葉ですが、真っ白な過去で振り返る何物もないという達観の境地よりは、私は「そう言えばこの時はこんなこともあったんだったなー」といった脚注(?)やとか「あの時は、こういう理由でああいう行動をしたんだったな」みたいな、言い訳(爆)、「あのヤロー、今頃どうしてるかな~」といった繰り言は、私のような「汗を流して飲んで歌う!」的な生き方しか知らず、特にこれと言った趣味もない人間にとって、確実に何年かあるだろう「汗を流さない/流せない(で食うだけ)の生活」を、少しは潤し、暇つぶしを与えてくれるでしょう。

この所の宴会とそのための汗流しが重なって、さすがに悲鳴を上げている体の内外(多事多難、と続くと知る人ぞ知る常套句になるが 半笑)のコンディションのためか、今日はチョット内省的(この程度で?スンマセン)になってますが、一杯入ればまた元の黙阿弥、じゃない、元気になりますので、もう少し頑張ります。

後半へつづく

コラム15 2011年年頭挨拶「みんなの力で日本再生元年に!」

「昨年末に書き掛けたのだが、例によっての(はみ出し・道草)人生だから今日になってしまった 謝」

日本衰退(滅亡)論

このところ日本の衰退が国内外のマスコミを通じて喧伝されて久しい。(私もそのお先棒を担いでいる一人だが笑)約10年ほど前に隣の国の偉い人が「日本なんてあと10(20?)年もすればなくなるよ」という恐ろしいことを言ってるし、極秘計画では日本の東半分が(内モンゴルやチベットみたいな)日本自治区で、西半分は東海省となるのだそうだ。

中国の偉いさん
日本解放第二期工作要綱
※米太平洋軍総司令官のティム・キーティング氏の発言:2007年5月に中国を訪問した際に、中国側から太平洋を東西分割して協力体制を持つのもどうかと言われたと7月の記者会見で冗談混じりに話していた。
2050極東マップ

政治・経済・国防の行方は?

いたずらに不安感を煽る“狼爺ィ”になる気はないのだが・・・・。実際、どこを向いているかわからないような政治の混乱。止まるところを知らない円高。票欲しさの収支を無視した“バラマキ政策”による1000兆円なんなんとする国債発行残高。“外国人参政権”等という狂気の沙汰としか思えない政策。人件費の安い海外への工場移転などによる国内産業の空洞化。経済成長率やGDPの下落等などの国内外経済の停滞。尖閣、竹島、北方領土などなど蚕食され続ける国土・・・・等など。「右を向いても左を見ても」じゃない、国内を見ても海外を見ても日本の発展どころか、現在の位置を維持するだけにしても、良い材料はどこにもないように見える。ここいら辺で日本も踏ん張らないと、本当にお隣さんの言う通りになるかもしれない。

一人ひとりが頑張るしかない!

一体我々はどうすればいいのか?と風呂敷を広げてみても、浮世離れした生活をしている愚生になど良い案が出てくるはずもない 泣。「みんなで力を合わせて頑張ろう」くらいの単純な事しか言えない 泣&謝。しかし、しかし、だがそうなのだ。それしかないのだ。敗戦から立ち上がった現在70歳80歳の先人に倣って、みんな一人ひとりが「今自分が取り組んでいる“それぞれの分野で”頑張る」しかないのだ!!必死になって人一倍、いや人二倍三倍頑張れば必ず自分の能力は向上するし道は開ける。他人の悪口批判はひとまず脇に置いて、まず自分の頭の上のハエを追え!だ。

何でも簡単に覚える、身につけることができるGift(天与の才能)を持っている人間に腹は立つ、「何であんな奴が俺より・・なんだ!!」と。しか、自分がそうでないなら、それを嘆いたところで何とかなるわけじゃない。ただの時間の無駄である笑。それならば、潔く(?)考えを切り変えなければならない。

時間の効用

そうなんだ。何度も言ってるが、何の分野でも凡人が他人より抜きんでるには「人より多くの時間をかける」しかないんだ。かと言って額面通りに人の2倍3倍なんて考えると億劫になる。取り敢えず、1.5倍でも人並よりは確実に違ってくる。逆に「短時間で効率よく何々をマスターする」とか、「無駄を省いて効果的な方法がある」などという本や雑誌の情報は溢れているが、そんな個性も能力も違う他人の成功例を読む暇があったなら、まず“行動”だ。闇雲でもいい、人より多くの時間を掛けて一つのことに取り組めば、普通に生きている他人の見えないものが見えてくる。その中で自然と自分に合った効率的な方法も身に付いてくる。「まず行動ありき」なんだ。

情報氾濫の中で

しかし、今の時代はいろんな情報が溢れすぎで一つのことに集中することが本当に難しい時代だ。新聞やテレビ、雑誌の情報を見たなら皆見たい知りたいものばかりで、一つの事の絶対的な知識を得ようと思っても別な情報が気になって仕方がない。また、いろんな情報に触れれば触れるほど真っ向から反対のものも沢山あるから、どれを選んでいいか分からなくなる。

そうなると、いろんなことは中途半端に知っているが確信が持てないから、結論が出せない。従って何事も熱く取り組む気がしなくなり、遠くから第三者的に物事を(斜めに)見たり、冷笑すること(熱くならないこと)が格好いいような気分、風潮が蔓延する。かくして、多くの人間は中途半端な評論家になり色んな事を浅く広く見て“したり顔”で、行動し発信する主体となる人間にケチを付ける。

「行蔵は我に存す~」

こういう人間は一生懸命物事に取り組む人間に取って一番厄介だ。自分では何も生産しない癖に人の向上心に水をかける。しかし、そんな奴は気にするな、放っておけ。そんな時は、昨年のNHKドラマにも出ていた幕末の偉人、勝海舟が言った格好いい言葉を思い出せ。『行蔵(こうぞう)は我に存す、毀誉は他人の主張、我に与(あずか)らず、我に関せずと存候』と。即ち「出処進退(自分の進む道と解釈しても良いだろう)は自分で決める事だ。誉(ほ)める、貶(けな)すは他人のする事だ。俺には関係ねー」と。

集中する難しさ

かく言う私も元々は何でも知りたがる“野次馬根性”の人間だから、空手に狂って一日5~8時間の練習時間を確保するために、練習と睡眠(と酒 笑)、気分転換の二番上映館 (池袋「名画座」、飯田橋「佳作座」、早稲田松竹)巡り以外、数年間「小説どころか、テレビを見ない、新聞も読まない」という日々が続いた時は心底、不安で一杯だった。「常識的な情報も知らないで果たして俺は時代に遅れていないのだろうか??」、「同級生は就職だ結婚だと言っているのに毎日毎日汗を流すだけの生活で果たして俺に未来はあるのか?」、「俺は浦島太郎になるんじゃないのか?」と。(その上、親からも「いつまで空手なんて夢を追っているんだ!!さっさと、就職しろ!」と“せっつかれた”し・・・)

しかしその一方、「何一つ自分に自信が持てない人間が社会人になって周りと一緒に行動(流され?)したからと言って、時代について行っているとは言えないはずだ。俺なりに考えてこの道を選んだんだから今はこの道に集中することだ!!」と、何度も何度も自分に言い聞かせ(て、最後は開き直っ)たものだった 爆。

「どこまでも“真理”を追求し間違いのない道のみを歩もう」と学者の道を極めるのも(頭の良い人間には)良いが、そうでないなら(笑)、ある程度自分で考えて決めたことに、とりあえず夢中になって取り組んで、過ちに気がついたならそれから修正すれば良いじゃないか?人生は何も一本道じゃない。そう考えるから窮屈になりみんなとチョッと違った道を歩むと不安になり、チョット失敗すると俺はもうだめだ!!となる。第一、そんなに物事の先が正確に読める人間が世の中に溢れているなら、世の中はもっともっと一直線に発展していたんじゃないのか?

俺の場合

閑話休題(はみ出し休止) 私の場合は政治家、冒険家、教育者、文筆家、(ヤクザ笑)などなど色んな道や夢があったが、10年近い“浮遊”ののちに(笑)、ある時一人になって、現実に実現可能な道を考えてみたならそう多くは残っていなかった。そこで教職課程も取っていたし勧めてくれる先生もいたから『高校の先生にでもなれたなら柔道を教え好きな本を一杯読みながらのんびり生きるか』が一つの道だった。

所が、それすらも仕事と空手と夜学で中途半端な勉強しかしてなかったから「果たして俺はチャンとしたことが教えられるのか?」という不安もあった。そこで「もっと本格的に勉強をしたい。それなら海外の大学に入るしかない。しかしそんな金はどこにもない。それなら自分が持っている乏しい能力の中でも多少他人よりはましだと思える運動能力を生かして実現するしかないだろう」

退路を断つ

という訳で、「よし!(当時の所属団体の機関誌に載っていた)“空手海外指導員” しかない!!」と“はみ出した”結論に達し、退路を自分から絶ってしまった。しかしだからこそ、それまで何事にも興味を持つが全てが中途半端だった私でも、「ここで結果を残せなかったなら、何の為にこんな回り道をしたか分からない」という想いから、死に物狂いで練習に集中でき、それなりの結果を出せたのだと思う。

こんな、死に物狂いで、練習をした時代があり、幾分かは人の見てない地平や時空を経験することができたからこそ、今“そこそこには”人前で偉そうに講釈したり、範を垂れたりして何とか飯も食えている。高校時代の“青雲の志”とはずいぶん離れた“職人”の世界ではあるが、こういう判断しかねる物事が次々と毎日起きてくる時代、様々な体験を重ねてきたからこそ、人より少しは確信のある、広い見方が出来るといいうことは、悪くない人生なんじゃないか?

目標設定と集中

繰り返すが、人生のどっかで「俺は何で世の中を渡って行くんだ?」と自問自答する時が必要だ。そして「ここが俺の分かれ道だな」と結論したなら、思い切って退路を断つくらいの気持ちで、他の事は暫く忘れて一つのことに集中することだ。そうすれば必ず人の見てない世界、地平が見える。

改めて、日本って国は?

先日「マラソン世界一周」を達成した間寛平氏が「日本が素晴らしい国だという事が分かった」と言っていた。口はばったい事を言わせてもらえば、私もこの仕事のお陰で7~80ヶ国前後を訪れていると思うが、全く同感である。まだ色々海外に学ぶこと、改善しなければならない事も多々あるが、いつも、どこの国へ行っても、“総合的に見て”日本という国は既に世界でも1,2番を争うほどに素晴らしい国だ!(見てない国とは比較できないが 笑)本当に海外に出る度に、日本に生まれた事に感謝する。日本人は日本に大きな誇りと自信を持って良い。そして感謝と。

高転び(※)したこの20年間の日本

日本は戦後の国民総懺悔的な教育、社会風潮の中で、だからこそと「経済第一主義」の国家運営をした。その内「ジャパン・アズNo1」(1980年) とまで称賛されたが、その「経済第一主義」が1980年代後半からの「日本経済脅威論」を招き、1985年「ドル安・円高」のプラザ合意を機に、(一時はバブル景気を謳歌しアメリカの象徴とまで言えるロックフェラーセンターを買収までしたが)円高により生命線と言うべき輸出の不振を招き経済も失速した(バブル崩壊)。「経済第一主義」の国家運営だったから、頼みの綱の経済が失速した事で、思想や文化を後回しにして育ってきた世代が大勢を占める現代日本は、思想文化歴史といった分野での(基礎)知識や蓄積で後れを取っており、世界から舐められっぱなし、言われっぱなしである。

※高転び:戦国時代、禅僧で武将でもあった安国寺恵瓊が、「信長の時代はあと3年か5年は続くだろうが、その後『高ころびに、あおのけに、ころばれ候ずると云々』と言ったのが原典。「調子に乗って浮かれて油断している所を足下をすくわれて真っ逆さまに転落するだろう」という意味。

日本再生“元年”だ!

しかし、当然どこにでもある欠点の“何十倍”もの素晴らしい長所がある、こんな立派な国を作った、こんな優秀な民族が、このままおかしくなるはずがない。日本人は島国で周りを海に囲まれて謂わば“純粋培養”されており、世界の中でもかなり人が良過ぎるから、チョッと浮かれて油断しただけだ。虚心に現在の地盤沈下を認めて、もう一度日本人としての自信と誇りを基に、一人ひとりが本気になって自分の持ち場を守り発展させることを心掛ければ、滅びるどころか日本は益々素晴らしい国になるはずだ。滅びるどころか、期待に反して“人類の理想郷”、“地上の天国”にもなれる国なんだ、日本は。

冗談半分で言えば「それはそれで憧れから日本に殺到されても怖い」位だ 爆。

文書日付2010.1.13

コラム16 改めて、基本に付いて

ここ10数年の、武道が単なる「どっちが強いでしょー」的なものになっていた社会風潮の中にあり「現実的な護身」とか「社会体育」と言った原点に固執し(?)、派手なパフォーマンスができずに、ご後援者やファンの方々に(中には支部長にも?)、「大道塾、空道はどうなってるんだ?」とか「これからどうなるんだ?」などと大変心配をして頂いておりましたが、既にHPでご存じのように、「大道塾」発足32年目、「空道」提唱12年目にして、これまでの地道、堅実な活動が認められ、[2013 World Games Cali]への参加(demonstration)、JWGAへの加盟などなど、様々な明るい話題が重なっております。その上に、参加が黒帯昇段の条件になったという“遅すぎた対策”も理由の一つである訳ですが(笑)、SC(合宿と言うには短すぎるのでSummer Camp 泣)が例年以上の盛り上がりを見せているのはご存じの通りです。

そんなSCで行われる定番の審査(※1)で気になったことが何点かあり、その都度注意しましたが、改めて注意を喚起しておきたいと思います。それは基本と移動の習熟度に支部間で大きな差があるという事です。恐らくある一定の割合の支部では基本を軽視したり(まさかとは思いますが)殆どしてない支部があるように見えました。これは空道が飛躍的に世界へ広がる予感のある今、絶対に見逃してはならない問題です。

(※1) 7,8,9月はSC以外では審査は認められません。賛否両論はあるでしょうが、いわばSCに参加したものの特典として審査が行われるのです。運営的にはこうしない方が受験者も多く本部や支部にとっては助かるのですが、単なる技術競争者集団ではなく、SCを通じて普段顔を合わせない支部生同士が、より親しくなれる、同じ場所で練習をし、同じ屋根の下で入浴し、食事をし、語り合という、より人間的な交流も何度かは経験して欲しいからです。でないと技術競争者集団の常で、会うのは大会とか審査会だけというライバル関係しか築けず、一旦亀裂が入ると修復することはなく縮小再生産の繰り返しになるからです。人間の幅を広げるのも一つの目的で武道修行をしたのに、心身の個性(強気、弱気、センスの有無、身長、体重など)で差が出やすい技術中心の付き合いは、チョッとした考えの相違がもとで普通の人以上に、疑心暗鬼になったり相互不信に陥ってしまいがちで、実際にそういう虚しい例を多く見ているからです。そういう時に歯止めになるのが、人間的な触れ合いの記憶なのです。

基本と移動は、現在いわゆる“伝統的な型”をしない空道、大道塾(理由参照 当コラム「型には二つの意味がある。一つは“技術の伝承”もう一つは“体育教育”」)にとっての数少ない共通項目で、芸事の奥義と言われる、守破離の“守”にあたる部分です。個人的な解釈をしたり、大会での実績を元に安易に変えて良い物ではありません(優勝者は10年で階級含めれば何十人生まれるわけで、その個性に合わせていては大変なことになります)。勿論、当職にも現実の攻防、護身から生み出しという自負はあるものの、競技としては未知の部分のある「空道という新しい武道」を始めた創立者としての限界はあり、当職が定めたことの全てが完全だとは全く思っていません。実際に、基本や移動なども発足当時から変わってる部分はあります。しかし、それは運営会議での協議と創立者である当職の合意があって初めて変わったものです。

(※2) 守破離(すはり、しゅはり) 意味

以下は守破離の元の意味に、武道生活50年になろうという私なりの、守破離という観点からの、基本に対する考え方です(破と離に付いては機会があれば書きますが、時間が・・・)。さて、“守”は字義通り、先達から受け継ぐ、その団体や流派の伝統、形式といった共通項を、無条件で伝え(教え)、伝えられる(教えられる)ことで、(ここからは私見の色合いが強くなるでしょうが)とかく技術習得が早い者が陥りがちな“独善的、唯我独尊的な性向”を抑止し、相互理解や切磋琢磨で成り立つ一般社会でも通用する人格を維持(担保?)するためにも、重要な導入過程(通過儀礼)というべきものです。これは“肉体的強さ”という、「他の芸事以上に周りに大きな影響を与える武道や武術」では、最も留意しなければならない点だと思ってます。強くて人の言葉を聞かない人間を育ててしまったなら社会に害毒をまき散らすようなものです。

だからその排他的な心情の萌芽を摘み取るために武道や武術界では“押忍”という、忍耐の上に更に、押し付ける、押えるといった語を加えて、上位者へ従う事が「一方的な受身(押し付ける)だけではなく、自分の意志(押える)でもある」という形式美に高めたのだと思います。(だから空道、大道塾では、今どき時代錯誤な響きのある“押忍”という言葉の(重い、暗い?)イメージを了解しながらも、敢えて今でも残しているのです。(そんなことをしても駄目な場合は駄目ですが 笑)

そういう意味でも、もう一度支部長、塾生は上述したように、空道がこれ以上世界的競技になる前に、同じ道着を着てるが、音だけが同じ「クードー」にしないように、改めて空道の基本や移動稽古の意味を振り返って貰いたいものです。

文書日付2012.8.30

コラム04 無題

格闘技の凄まじい人気、認知度は、御承知のとおりで、ゴールデンタイムのテレビ放映など、一昔前では考えられないことです。それに対して“武道”の観点からは、将来の未知的部分、派手すぎる演出など批判があるのも事実です。一方、これによって、空手及び格闘技の名が広まったという事実も見過ごせません。将来の未知的部分があるとは言え、銀行までが倒産する混迷の時代において、それを見た若者が、「格闘技でメシを食いたい!“プロ”(語感がまた、カッコイイ!)になりたい!」と思うのも無理がないのかもしれません。若者の純粋な願望で、好きな道を貫き、それで失敗しても本人の選んだ道ですから、良いじゃないか。いつだって若者は未知なるものに賭けて人生を切り開いて行くのだから、という声があるのも知っています。そこで今回はこの件にについて、日頃想っている事を述べてみたいと思います。

まず、プロという言葉について定義してみると、全くの個人として頂点のみを目指すトーナメントプロと、教える事で月謝という対価を生活の糧とするレッスンプロがある。

まず後者の“レッスンプロ”について私の考えとしては、20年前に若気の至り(?)で踏み出した、まだ海のものとも山のものとも知れない大道塾を、若い時の修行というのならまだしも、生活の手段としても(と言う事は一生の仕事として)勧める事に確信を持てなかった。更に、若くて血気にはやっている“選手”は強くなる事だけで頭が一杯で気づかない、また気づいても眼中にない事だろうが、柔道や剣道のような、社会に充分に認められ、“学校体育にも入っているような武道”と空手(特にフルコン系)の“社会的立場”は明確に違うという理由もあった。

背景を詮索されるような団体も多い空手界(これは寸止め系、フルコン系を問わずだが)は、残念ながら社会的信用度が低い。しかもその上に、寸止め系は日本体育協会傘下で“公共の場”で教える事が多いからそれほどでもないが、フルコン系の場合 “任意団体” と言うことで、人気稼業にならざるを得ず、その時の団体の勢いでの入門者の増減が激しいし、個人的にも職業病とでもいうべき怪我が即生活の不安定さにも繋がる。無責任に俺について来いと言うのはカッコイイし簡単だ。しかし私は25年前に憧れのアメリカで味わった、空虚感というか挫折感を若者に味あわせたくはなかった。幸いにも私にはそれまでの社会生活で培ってきた“雑草精神”があったから良かったが、社会経験の浅い若者に、必ず出来るという確信がなければ、人の人生を左右する言葉など言えるものではない。それよりは、空手一本で青春を過ごしたことで、職業知識は同年代よりは確実に少なく、初めは給与も安いだろうが、昼間は会社勤務をしながら夜間教えるというパターンを数年も続ければ両方が良い影響を及ぼし合って(仕事上の知合いが武道を教えているという事を聞いて、それでは子供を躾て欲しいと入門させるとか、逆に空手の生徒やその親が“先生”の仕事の話を聞いて良い関係が出来るとかで)安定した人生を送れるし又、多くの父親の方もそれを望んだ。

だから初期の頃の寮生には、家業のあるものは別として、道場と両立しやすい自営業、特に整骨院や公務員を役員の協力を得ながら強く勧めた。(公務員の方は社会が経済的不安要素が強くなって志望者が増え敷居が高くなったので2、3人しか成功しなかったが、整骨院等に進んだ人間の多くは)今では地域に溶け込み“先生”として仕事と道場を両立させており、「ああこれで俺のところにきた若者を、少しは骨のある、そして生活力もある人間にして送り返す事が出来たな」と責任を果たしたような安心感を持つ事が出来たものだった。

だがそれも、その後の異常な格闘技(雑誌?)ブームが起こり、好きな道一本で食えるのではと言う幻想が広まった頃からは、「まだ経済基盤も、健全な競技としても確立されていないから、あくまでも仕事との両立を」と言う私の言葉も説得力がなくなってしまった。なにも他人の人生、そこまで考えなくてもと言う人は多いが、人の話に耳を閉ざし、自分から自縄自縛になったり、落伍して行くく人間はどうしようもないが前述した様に、大道塾に集まってきた若者で、素直に一生懸命努力している人間には後悔はさせたくないという、逆に言うと大道塾は誰にも後ろ指を刺されない団体なんだと言う自負心(自惚れ?)の強い、(気の小さい?)性分の私としては、それは出来ない。

しかし幸いな事に、支部長、責任者達の協力や、その間の選手達の頑張り、運営的に苦しくても健全な活動を心掛けてきた事等などにより、大道塾も一般的“人気”という意味ではまだ不十分とは言え、さてなにか武道をしようと思った時には頭に浮かぶ“良い印象の団体”の一つといった程度には知名度を待ってきているし、実際これ専業で生活している支部も出てきているので、最近は肯定的になって来ている。 

と言うのは、「やはり仕事との両立を」という方向も、そのような両立しやすい仕事についた者は別にして、そのほかの分野に進んだ場合、社会的適応力がありそうな人間でも、いざ社会に出ると中々の悪戦苦闘を余儀なくされているのを見るに付け、“好きこそものの上手なれ”で他の一般の若者が、他の分野の技術、仕事を学んでいる二十代に、闘うことに生きがいを見い出し、その技術を蓄積している選手にとってその分野が最も自分を生かせる得意な分野になるのかな、ということをこの二十年来度々見てきているから、安心は出来ないが(と言う事はいつまでも心配の種ではあるのだが)不安定でも、それを本人が覚悟するなら良いのかなという考えにもなりつつあるからである。

問題は前者のトーナメントプロ、つまり闘うことのみで生計を立てる“プロ”である。 “トーナメントプロ”という言葉で思い浮かぶのは、先ず大きなものはプロボクシングとプロレスだろうか。(大相撲もそうであるが、これは論ずる必要もないぐらいに確立しているので、ここでは論じない、能力があると思う人はどうぞ、である)

プロボクシングとプロレスは柔道と空手の関係に似ている。プロボクシングは柔道と同じく早くから体制が統一的に運営され、アマチュアとしてオリンピックにもなり、その“確立されたルール”を元に、プロとしてもあからさまな八百長もなく、ボクシングという競技自体が歴史的、体制的に他の追随を許さないレベルにまで達しているから、生活人としては柔道の世界チャンピオンが少なくとも日本では大きく将来を約束してくれるのと違い、プロボクシングの世界チャンピオンを4、5度防衛しないと殆ど無理だいうことは、今では周知の事実だが、引退後もレッスンプロとして生きることも出来るし、それ以上に、おしも押されもしない“成功者”として誇りを持って存在できるからだ。確かに“生活”だけが人生じゃないと言うのも人生の真理のひとつだろう。(それも程度問題で、いくら“武道”的に優れていてもじぶんの生活や家庭くらいは賄えなくては、“ヒモ”になってしまう。一時代前の劇画の世界では面白いが)

一方のプロレスは空手と同じく早くに統一的団体を結成できなかった為に組織や、ルールが乱立し、ルールによって勝者と敗者が容易に入れ替わる。その上、地域での社会体育育成という方法ではなく、興業で組織運営をしてきたプロレスでは、団体間の激しい競争に勝ち残る為には、確立されたルールで次第に権威を確立するという“回り道(?)”より、手っ取り早く、看板選手の牽引力(集客力)で運営をするという個人商店的運営をしてきた。その為、その選手が衰えてくると、どうしても“不信な試合”が増えざるを得ない。(それに対し実力的に優位に立った若手がクーデターを起こすという事の繰り返しで、団体の栄枯盛衰、離合集散は度々であり、プロボクシングや柔道に比べて、今一つ権威が蓄積されず芸能人的人気は現役時代には一時的に持てても、この情報万能の時代2、3年すればすぐに忘れ去られてしまい、オフィシャルな意味でも“成功者”とは言いにくいだろう)

空手のプロ部門を作るという件については、さらに、“武道”として前述したような“不信な試合”は論外としても、ボクシングにはプロがあるが柔道にはプロはないという、競技理念の違いから来る次ぎのような又別な事情がある。(現実的にプロレスは、柔道のプロ部門だと言うことも出来なくはないが、少なくとも柔道側が積極的に勧めている訳ではない) 即ちスポーツ化されたとはいってもまだ柔道も“道”という概念(と文字を)を全く捨てたわけではない。それぞれの個人が、それぞれの立場や目的で「人生に立ち向かうという意味での“靭さ”」を目指す“武道”もしくは“アマチュアスポーツ”としての理念を掲げながら、仮にプロ部門を設立し、プロの育成にも重点を置くことになると、どうしても金銭的報酬が絡む際の人間(社会?)の本能として「勝つ事(したがって“金”を稼ぐこと。当然、負ければそれまでの努力も無意味となる)」を至上目的とするような方向性が強くなってしまうだろう。そして結果として運動神経の善し悪しに関係なく、誰もが参加可能な「生涯スポーツ」として、勝敗のみではなく闘うことの過程にも価値を置き、その努力する心や体力を社会生活に生かそうとする、「社会体育」としての意義を土台とする団体の下部組織の形成、維持は非常に困難となるだろう。

つまり、トーナメントプロにこだわれば「勝つ」ことのみが最終目標となる。逆にアマチュアにこだわれば、トーナメントプロを養成する環境としては不十分となる。それでは「格闘空手」と「社会体育」の両立を理想とする大道塾の理念とも大きくずれてしまう。現実に、一団体内でプロとアマを両立させると言うことは、今迄どの競技団体も成功はしていない。公認された“武道”もしくは“スポーツ”として柔道や剣道、ボクシングやレスリングと言った種目の場合、学校教師とか、道場主としてのレッスンプロならありうるがトーナメントプロというものはない(念の為言うと、アマチュアボクシングとプロボクシングは同一団体ではない)。

最後に経済基盤について。2年程前、アマチュアの一代表として、WARSを行った。この時は、日々並々ならぬ練習量をこなしているプロの選手を相手に、普段は社会人としてそれぞれの仕事に従事している選手達が、寝る間も惜しんで仕事の後に練習し「よくぞここまで」と言うほどの活躍を見せてくれた。 しかし、何度もそれを期待する事は出来ないし、七面倒くさい“理念”を持つ“武道”より単純に勝ったか負けたかを論ずる事の出来る“格闘技”が盛んになった今日、世間の関心は、「勝つか負けるか」であって、アマチュアがよくあそこまでやったとは見てはくれない。つまり、プロであれアマであれ、今は勝つことこそが全てなのである。

そうなると、当然一日中を練習のみに費やす「プロ」を養成しなければ不利になるのは明らかであるが、それには前述した「社会体育」と「プロ育成」という問題と、その前に個人的には選手の「生活費」、団体としてはその「運営費」、の問題がある。信じられないと思うが、これだけ興業が派手になりファイトマネーも高騰すると興行収入でコンスタントにそれを得るのは大抵の場合無理である。日本の場合、普通の民間会社は、テレビにでも出れるぐらいに成長した時は応援してくれるだろうが、成長するまでは、(球技やマラソンなどは別だが)それまでは殆ど期待できない。それまでの大きななスポンサー(?)が必用なのだ。幸か不幸か大道塾にはそのようなスポンサーはなかった。どう見るかは立場の違いだろうが、だからこそ現在の大道塾なのである。

コラム01 機関誌「格闘空手マガジンvol18」巻頭言より

西暦2000年の今年、大道塾は設立20周年を迎えます。20周年、最初の発行に際してご挨拶させていただきたいと思います。

ご存知の方も多いと思いますが、私自身現役の選手時代を極真会館で過ごしました。日々強くなることを考えがむしゃらに稽古をしていましたが、試合などを経験するうち特に海外勢との試合などでは「小よく大を制す」「柔よく剛を制す」という言葉を意識するようになりました。この発想は実に日本的で欧米人に比べ体格的に差のある日本人にとって武道だけでなくあらゆる分野に必要で非常に重要な発想です。

私が空手を始めたのは「護身」という意味がひじょうに大きかったので実際自分より体格的に大きな人間と向かい合って体力で自分を主張する場合、顔面のない練習を日々やっていて勝てるのだろうかという疑問が出てきました。事実、相手の胸を叩く稽古をしているといざという時も胸しか攻撃できないのは今では周知の事実です。

私自身、第11回大会で膝を決定的に悪くしてから、極真ルールの中での限界というものを感じ始めていました。しかし、「小よく大を制し得る武道」なら…。顔面へのパンチと継ぎ技として金的蹴りや瞬間的な投げ、締め、関節技を認めたルール。私は機会があるとこの提案を繰り返していました。しかし、極真には極真のすばらしい理念があり、一支部長であった私の考えを押しとおすなどとんでもないし流派を起こすなどという不遜な気もありませんでした。だが様々な格闘技、武道を見る度にこの新しいルールを実践してみたいという気持ちは日に日に強くなりました。活字にはできませんが更にもう一つ決定的な要素があり、遂に小よく大を制し得る武道としての空手を求めて格闘空手「大道塾」の設立を決心したわけです。

しかしながら決心したと言っても、最初の3年間はこれを一生の仕事とするということに迷いもありました。私の理想として当時の若者の殆どがそうであったように坂本竜馬をはじめとする維新の革命家達がおり自分の力がなんとか日本のためにならないかと漠然とですが考えていました。もちろん好きな空手ですからやってやれないことはないが、はたして夢を捨ててまでやることなのか…。

「格闘空手」も新しい体系ということで始めてみるととても片手間ではできない仕事でした。その日々の仕事と以前からの理想の間で揺れていた時期でもあります。しかしながら時代に合ったのか自分が思っていた以上に早く組織としての大道塾は大きくなっていき、そのうち支部も増え、塾生も増え選手も育ちました。拠点としていた仙台から総本部を東京に移しました。私としては仙台で続けていくつもりでしたが、当時の選手達に「自分達は地方区だから」と言われ、自分は現役時代、全日本とか世界という目標で頑張っていたが弟子達にもそういう場を作ってあげなくてはならないのか…と思い東京に出たわけです。 (余談ですがそんな動機から展開したわけですが、私自身試合に出たかったし、それなりの自信があっても出れなかった…今でもこれは後悔しています。)

ですから設立当初は「一大流派を作ろう」だとか「世界的な組織にしよう」などという野望もなく自分の想像を越え、組織の方が大きくなったというのが正直な感想です。しかしながら徐々にですがその中で空手を通しての武道教育というものも、自分が理想としていたものと同じではないかと感じるようになりました。上に立ち政治の世界で改革していくのも大事だが、武道を通じて裾野を教育していくのが自分には合っているのかなと思いはじめ一生の仕事としての決心をしたのもやはり3年位経てからのことでした。

今、この20年を振り返ってみて思うことは、人というのはいろんな考えがあるから自分としては後ろ指を指されないようにやっているつもりでもすんなりいかないものだなと…(笑)。邪魔があったり、足を引っ張られたり、後ろから殴られたりと…(笑)。…でもそういうことがあるから、人生なのかなとも思います。正に「大道無門」なのでしょう。

よく大道塾の方向性が変わるということも聞きますが、そういうつもりは毛頭ないですね。そもそも大道塾は護身ということもあって、あらゆる状況というのを最初から想定している訳です。ですから、新しい技なり出てきた場合、それはやはり吸収しなくてはならない…。護身の場で「これは知らないから」などというのは通用しません。グローブなどをやったのは、やはり顔面の技術というのはやはりグローブが先行していたわけですから、それを吸収するためにやりましたが、基本は素手である姿勢も変わっていません。寝技に対しても最初から取り組んでいたものです。最近は寝技のブームのようになっていますが、あくまでも打撃でそれを凌ぐという姿勢も同様に変わっていません。新しく出てきたものの対処法としていろいろな経験は必要ですが、「格闘空手」というものはずっと同じであると思っています。

20周年の今年やることとしてやはり本部道場を新設するということがあります。これは区切りとして必ず実現させるつもりです。それと、来年は世界大会の開催もあります。「灯台元暗し」で武道の本家とは名ばかりで外国に比べて日本では一部の理解者を除いて民間も行政もなかなか武道に対しての支援という面では心細いのが現実です。多くの武道団体が青少年教育という看板と台所の差が為らざるを得ない状況です。大道塾にも今まで歩んできた道としてもっとやりやすい道、安易な方法というのはあったと思います。しかし、今まで「○○は食わねど高楊枝」とやせ我慢をし、ここまできたということが、堂々とした社会体育としての大道塾を誇れる理由と思っています。これからも、「社会体育」、「格闘空手」を両輪として大道塾はやって行くつもりです。塾生の皆さんは日々鍛錬を続け、応援してくださってる方々にはこれからも御理解、御協力を宜しくお願い致します。(談)

コラム17 年末エッセイ!!年越しを振り返る。わが生涯、二度目の海外での年越し!!泣&笑(中編)

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※ある年一度だけ海外で年越しをしたことがある(続く 笑)

というとなんか今風だと思われるかもしれないが、ある年(2007年)、私がニューヨークでのセミナーを終えての帰途の話(シチュエーションは格好いい)。

当時、娘は大学生活も後半に入っていたが、自分の進む方向が見つからないようで進路で悩んでいた。その数年前(高校2年生だった)には、一番多感な時期に一時の仲違はあったがそれも修復し、前のような仲のいい関係に戻っていた「おにぃ」を突然の出来事でなくし心に大きなダメージを受けていた。しかしそれも何んとか克服して生きていたが、同じ年代同士で相談できる唯一と言っていい人間だったから、参考となることが何もなくなって途方にくれたのも無理はなかった。
※生まれた頃から道場で多くの内弟子と一緒に暮らして、チョッと人見知りする子になっていたから、よけい「おにい」だけが頼りだった。

この2000年からの数年は、上述したようにそれまでの最も楽しい期間が、いきなり180度反転し奈落の底へ叩き下ろされたような期間になったので、我が家にとって思い出したくない寂しい年末、年始だった。娘も友達としたりして“家族”での年越しは途切れ途切れになった。「今年を振り返り来年に期す」作業も止めたし、年が近い姉が送ってくれるナメタ鰈(かれい)のある年越し膳を挟んでも笑顔は少なくただ時間の過ぎるのを待つみたいだった。好きだった「ゆく年くる年」も見ないで床に入ったり、朝は新宿の熊野神社への初詣が習慣になっていたがそれも止めた。また、それまでの正月3日、4日頃は古参の弟子を呼んで酒盛りやゲーム等をしたものだったが、そんな元気はなく、家族での楽しかった頃を撮り溜めしていたビデオを何時間もかけて観ては「こんなの撮るんじゃなかったな~」とため息をついていた。

そんな中の2001年の重苦しい年越し、正月。とは言っても否応なく娘も受験を考え時期になり「やはり、おにぃと同じ大学へ」と頑張っていたが、私たちも「あんなことをさせなければよかった」、「あの時、止めるべきだった」、「この先、何を励みに生きればいいんだ?」等々自分を(また口には出さなかったが、互いを)を責めたくなる時も多くなり、夫婦ともに不安定な状態が続いていた。ありがちに家内も一時は亡くなった子の事ばかり考えて宗教的なことに敏感になった。私は私で後ろばかりを振り返り、今にして思えば馬鹿な事を、考えていた。

とうとう、弟子達も見かねたのだろう、ある古参の弟子が代表し電話をよこし「先生の心境を考えると、来年の『第一回世界大会』は延ばした方が良いんじゃないでしょうか?」等と心配もされたくらいだった。こんな風に親が両方ともに立ち直れないでいるから(しかし、まだこぼす相手がいるだけ良かったと言えるのだが)、一人取り残された感じの娘はそれ以上に大変だったろう。遂には、いつまでもグズグズしている私に「お父さんお母さんは、いつまでもお兄ちゃんのことだけ考えて、私がいることを忘れているよー!!」とまで言われてしまった。

勿論そんな気はなく、ただ「女の子には穏便に幸せな人生を送れば・・」との考えだったから、あまり期待めいたことは言わなかったのだが、それが逆に自分は忘れられているという気持ちにさせたようだった。別な古参の弟子からも「自分達はいつまでも先生のそんな姿は見たくありません」とまで言われてはいたのだが「分かってはいるが・・・」という状態だった。しかしさすがにその言葉にはハッとさせられ「このままでは駄目だ、俺が気を強く持って家族を引っ張らなければ、俺も家族も大道塾もみんなダメになってしまう。何かの目標を持って生きなければ」と目覚めた。

こんな感じでようやく再び前を見始め「考えてみればあいつとの約束もあったんだ!」と、あとは眼前の大事業とでもいうべき「第一回世界大会」に向かって無我夢中で1年を過ごし、何とか無事やり終えた。

【参考】「2001北斗旗第一回世界空道選手権大会」外伝  

そんなこともあって、娘も徐々に気持を持ち直して受験勉強に打ち込むようになり、見事に進学を果たしてくれたので、一時は深刻だった“家族崩壊”も免れた。全く同じようなケース(長男を失くした事で両親が放心し、妹がぐれて家族崩壊した)も見聞きしていたから、実際そうなってもおかしくはなかった・・・・。そんなこんなの数年を過ごして(2005,6年ころか)の、この、卒業後の進路についての悩みの時期である。

私は娘がやる気になったんだからと(自分が望んで実現出来なかったからだろう。良くないことかもしれないが・・・)、「お前は英語が好きみたいだから、その好きな道をもう少し本格的に勉強してみたなら、その間に何かいい方向が見つかるんじゃないか。学費は先行投資と考えて何とかしてやるから老後はしっかりと見てくれよ(笑)」と言った所「いまさらまた勉強だなんて・・・」と言いながらも、その内に自分でネットなどを色々ひいて、海外の様々な大学の案内書などを取り寄せて「やってみたい」となった。

「アメリカはもう斜陽だとか言われているが、世界の中心は当分まだアメリカで、中でも世界の全てが集まり、いろんな人間が集まるので刺激も受けるし人脈も広がる。せっかく海外に出るなら、冒険するつもりでニューヨークにでも行ったらどうだ。英語だけでなく人生勉強になるぞ」と言ったのだが、娘はアメリカ(のガサツな所?)は好きではないらしく、「イギリスの方がいい」と決めて旅立った。

(と思っていて、書いた後に本人に確認したところ・・・・以下のようになりました(双方ともに譲らない 笑)。いかに人の記憶があいまいか、もしくは人はみな自分のメガネを通して自分の外界を見るものだという証左かもしれない。もっとも私の場合は子供ころから喧嘩ばっかりしていたし、親父には何十回となく(NHGなしの 笑)頭を殴られているので、打たれ強いのと裏腹に記憶力には全く自信がないので、大概「そうかぁ~」となるのだが 泣)

「とある就活の講演会である人の話きいていて、何か自分に自信がもてるような苦労と体験をしたらその先に見えるものが変わるのかも、って思ったのがきっかけ。その話にインスパイヤーされたのもあって、英語なんて好きでもなかったし、しゃべれないけどぶっ飛びで行ってみちゃえばどうだろう、って悩んで悩んだ末に決めた。けど、お兄ちゃんのこともあったし、何て言われるか心配で、「何言ってるんだー!」とちゃぶ台をひっくり返されるんじゃないか、反対に涙もろいお母さんには泣かれるんじゃないか、ってホントにドキドキの瞬間だった。勇気をだしておとーさんとおかーさんに相談したなら逆に「お前からその言葉を聞けて安心した」ってアメリカ行きを進められて驚いた。しかしそれ以上に、わたしがこの話を切り出さなかったらお父さんたち、わたしにガッカリしてたのかも・・・って考えると、ほんとにドキドキの瞬間だった」らしい。

でも、チョッと違うかもしれないが、親子の関係ってのはそういうものじゃないんだぞ。「鉄道員(ぽっぽや)Wikipedia」という浅田次郎原作で高倉健主演の映画がある。詳しくは読んで(見て)貰えばいいが、一人暮らしの父親を心配し亡くなった娘が度々姿を変えて出てくるのだが、あるシーンで「お父さんが怖がるかと思って」という言葉に対し「何言ってんだ、どんな姿でも子供を恐がる親なんかがいるもんか!!」というセリフがある。(私も当時は「幽霊でも良いから出て来い!」と心から思っていたから、全く同感できる)子供のことなら親は何でも認めるしかないんだ。ましてや、真剣に考えた上で決めたことならなお更だ。

後編へ続く

文書日付2013.1.5