コラム13 矢のごとし光陰に、爪痕なりを(「還暦雑感」改稿)

(編集部注)当文章は6月に掲載された「還暦雑感」を大幅加筆修正し第三回空道世界選手権大会パンフレット(2009年11月発行)に掲載された「矢のごとし光陰に、爪痕なりを」を転載したものです。

この所、何回か遠征レポートを書くべき時の言い訳にしている常套句「忙しくて書く時間がないので・・・」は、皆さんからお祝いをして頂いたという事の性格上、今回はできないと思うので観念してPCに向かっています。

この度、私もお陰さまで還暦の年を迎え様々な機会に、様々な人たちから、様々な形でお祝いをして頂き、誠にありがたいことだと心から感謝し、御礼を申し上げたいと思います。

これを機にまた自分の人生のテーマである「空道」普及のために邁進したいと思いますので、今後とも宜しくご指導、ご鞭撻、ご協力のほどをお願い申し上げます。 本来なら各方々に一々御礼をしたためなくてはなはらない所ですが、誠に不躾、非礼は重々承知しておりますが、この場をお借りして、御礼の言葉とさせて頂きます。

(宴会の連続で記憶が覚束ない上に、ご出席者の一覧(住所なし)を頂いたのはごく一部で、少ないスタッフで世界大会の準備に天地をひっくり返えしているような状態の本部の今日この頃では、住所を確かめるのも一仕事なものですから。)


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ここからはオマケです。永遠に「木鶏(もっけい)たり得ない」所か、“チョイワルオヤジ”ですらない軽薄オヤジの駄文です。忙しい方は、以降は無視してください。(例によっての“デスマス調”と“デアル=偉そう”調の混交はご勘弁ください。)

弟子たちとしては初めは「塾長の先輩である他団体の諸先と同じように、ホテルで大々的に・・・」という考えもあったらしいのですが、「今のマイナス10歳が、昔の年齢感覚だ(※)」といつも言ってる上に、特に成長の遅い私自身まだまだ昔的な意味での“還暦”という意識はない。恥ずかしながら、老成度はまだ2-30歳代かも (笑)ので、70歳まで動いていた時はお願いしますが(笑)、今回は遠慮させて頂きました。
※2006年現在の日本の還暦以上の人口は何と26.4%(約4人に一人!!)である。なにも珍しくはない。

但し、みんなと一緒に「ああでもないこうでもない!!」と口に泡を飛ばして騒ぐことには全然/全く吝かではないので(笑)、色んな層(本部現役塾生、元本部先輩塾生―直接私に殴られ蹴られた世代 笑、支部長達、本部BGMクラス、本部午前のクラス、等など)の色んな場に呼んで頂き、今まで何と5回(あと1回ある!)の楽しく激しい(笑)宴を重ねさせて頂きました。(既に300歳です 爆!)ここに改めて、重ねて御礼を述べさせて頂きます。(口の悪い弟子に言わせると、「これは塾長に殴られ蹴らの塾生が今まで恨みを返そうとの、形を変えたリベンジじゃないすかね。」、となる 笑)

悪ガキの出来そこないみたいな、“多感なオヤジ”である愚生にとって、毎日書きたい雑文の“お題” (主に愚痴、悪口など 笑)は一杯あるのですが、塾長兼秘書兼雑用係の身には、毎日来る(襲来する?)国内外からの結構な数のメールは、気付いた時に、逐次返事しないと、すぐに「どこから手を付けていいか分からない状態」(しかも海外からのは返事が一昼夜後になってしまう)になるので、朝方(世間では夜中?)に起きると同時にMicrosoft Office  Oulookを立ち上げるというのが、ここ十数年来の習慣になっており、中々こんな楽しい時間は持てません。(実際、世界を掌-たなごころーにしているような気になって、偉そうに好き勝手書けるというのは、一端の訳知りになったような、酒が回って来て「俺の歌を聞け!」状態になり始めたような、飽きない楽しみっす、 笑 暇のある方はお付き合いください。)

俺の歌を聞け!

つけなければただの沈黙する菓子箱(私に関連する“沈黙する臓器”ではなく。 脈絡不明。失礼)みたいなノートPCが、スイッチを入れると同時に、突如、居丈高に、所構わず、ガナリ立て、公私の別なく、様々な要望、要求、文句、愚痴(悪いことばっかりか!)といったあらゆる有象無象、森羅万象(大袈裟か!)を、ボーとした頭に目に、一気に捻じ込んで、私の闘争心に火を付けます(笑)。

その上、生来がヤジ馬な小生としては「買っても読む時間がないからなー」などと思いながらも、朝刊の広告に良いタイトルを見てしまうと、新刊書だけでなく、週刊誌4誌、月刊誌3誌にもツイ手が出てしまう、病気持ちですから。(今年月刊2誌が廃刊になったので関係者―書く人、出版者/社―には申し訳ないが、「これも読んでおかないとなー!」という強迫観念から少しは解放されたー!!)

「日の下に新しきことあり」(?)は一番恐ろしい“退屈な日々”を消してくれるのでそれも良いのですが、それも程度問題です。語を短縮したり、レッテルを貼り説明を省きたい今はやりの風潮なのか、はたまた命名者になりたい医者か学者が考えるのでしょうか(穿ち過ぎ?※)、何にでも新しい病名を付ける昨今の風潮からは、これを「何とか症候群」というそうですが、何となく毎日がPCに追われて過ぎて行くような気がしてし、さすがにたまに「これで良いのか?」と思う時もあります。※やはり同じことをある学者が言っていた笑

とは言いながら、殴る蹴るを教えて(直接、加えて 笑)、挙句、偉そうに説教を垂れている私のような、ある意味特殊な世界の住人はそうやって目をキョロキョロさせ、手を広げないと全くの世間知らずで終わってしまい社会のお荷物になりかねませんのでヤジ馬にならざるを得ません。

そんなきのう今日、いくら酔脳(得意の出鱈目な造語です。酔眼があるならこれもありかと)とは言え、何十倍の濃密な生き方をしている人の言葉を勝手に引いて話すほど、昼から酔ってはいないのですが、ある雑誌の巻頭言で、ある高名な作家の方の言葉には本当にハッとさせられました。

「だけど〈○○○※〉の頃の若き日からいつの間にこんなに歳月が経つて了つたんだらうね」ということを友人への手紙に書いた、と。この所みんなに言われる「60歳ですね。(おめでとうございます)」の度に何とはなしに想うのも、まさにこんなことだったから。※同人誌の名前

改めて過ぎた日々を振り返ると、若いころに感じた「人生てのは、なんて退屈でなんて毎日が長いんだ(だから飲んで歌って面白がんなくちゃ、となった訳では・・・あるか 笑)」と思っていたのが、気が付けば決まり文句の「光陰何とか」じゃないが、忽ち、「ほんとうに人生てのは短いものだなー」と残りの年数(日数?)を数えるようになってしまった、というのが実感です。

そんな時、日々自分の生き方、考え方を吟味しながら生き、文字にして自分の“生”を満たしている人たちにこう言われると、「去年のことさえ覚束ない俺なんかどうすりゃいいのよ・・・」となるわけです 泣。

更に例の悪い癖で話を広げると(これが始まると時間を食い仕事が滞る!ああーまたメールが入った音がしてるのに・・・・)自分で確かな記憶、記録がないということは、「俺なんかあっちに行ったと同時に、他人にとっちゃ何もかも消えてしまうんだろうなー」、とまでなるのです。

別にアッチに行った時の楽しみもあるから、「アッチに行った時の、コッチの事まで知ったこっちゃない」と言ってしまえばその通りなのですが、ただ仕事に追われ何となく生きているのでは、「あっちに行く、行かない」まで話を高尚、高踏(?)にしないにしろ、もう少し残っている“嵐の年月”の後の、“静かな日々”を迎えた時の事を考えると、余りに味気ない話だろうと。
「ピンピンころり」も良いが、それでは私の人生は正に「酔生夢死」で終わってしまうでしょう。

ドタバタ劇場とは言え、折角の一度限りの人生、終章くらいは・・・・。樹が数本置いてあり、ほど好い陽だまりの中、眺めのいい屋上で、好きな音楽を聴き(こういう場合、演歌だけではない、念のため!)ビールを片手にし、(あ、その前に一汗かかなくっちゃ 馬鹿!)遠景を見遣りながら、去りし日々と懐かしい(憎たらしい、か?)人々の顔を思い浮かべつつ、来し方を振り返る時間も少しは欲しいものである。(なんか寅さん調になってきたか 爆) 果たして俺にそんな安穏な日々が来るか甚だ心配ではあるが・・・・。

(閑話休題)人に見せるためではなく、「去年の今頃は何をしてたんだ?3年前は??5年前は??」と考えた時、雑文でも何かを書き遺しておけば、単に日誌や手帳を見て、ああこんな事をしてたんだな、とデジタル的に大文字の記憶を繋ぐだけではなく、それに小文字が加わり、更には色や匂い、小味といったものまできかせて、いい酒のツマミになるはずだから。

「不要不急なことは忘れるに限る」という理屈も“プチボケ“の昨今、膝を打ちたくなく言葉ですが、真っ白な過去で振り返る何物もないという達観の境地よりは、私は「そう言えばこの時はこんなこともあったんだったなー」といった脚注(?)やとか「あの時は、こういう理由でああいう行動をしたんだったな」みたいな、言い訳(爆)、「あのヤロー、今頃どうしてるかな~」といった繰り言は、私のような「汗を流して飲んで歌う!」的な生き方しか知らず、特にこれと言った趣味もない人間にとって、確実に何年かあるだろう「汗を流さない/流せない(で食うだけ)の生活」を、少しは潤し、暇つぶしを与えてくれるでしょう。

この所の宴会とそのための汗流しが重なって、さすがに悲鳴を上げている体の内外(多事多難、と続くと知る人ぞ知る常套句になるが 半笑)のコンディションのためか、今日はチョット内省的(この程度で?スンマセン)になってますが、一杯入ればまた元の黙阿弥、じゃない、元気になりますので、もう少し頑張ります。

後半へつづく

コラム15 2011年年頭挨拶「みんなの力で日本再生元年に!」

「昨年末に書き掛けたのだが、例によっての(はみ出し・道草)人生だから今日になってしまった 謝」

日本衰退(滅亡)論

このところ日本の衰退が国内外のマスコミを通じて喧伝されて久しい。(私もそのお先棒を担いでいる一人だが笑)約10年ほど前に隣の国の偉い人が「日本なんてあと10(20?)年もすればなくなるよ」という恐ろしいことを言ってるし、極秘計画では日本の東半分が(内モンゴルやチベットみたいな)日本自治区で、西半分は東海省となるのだそうだ。

中国の偉いさん
日本解放第二期工作要綱
※米太平洋軍総司令官のティム・キーティング氏の発言:2007年5月に中国を訪問した際に、中国側から太平洋を東西分割して協力体制を持つのもどうかと言われたと7月の記者会見で冗談混じりに話していた。
2050極東マップ

政治・経済・国防の行方は?

いたずらに不安感を煽る“狼爺ィ”になる気はないのだが・・・・。実際、どこを向いているかわからないような政治の混乱。止まるところを知らない円高。票欲しさの収支を無視した“バラマキ政策”による1000兆円なんなんとする国債発行残高。“外国人参政権”等という狂気の沙汰としか思えない政策。人件費の安い海外への工場移転などによる国内産業の空洞化。経済成長率やGDPの下落等などの国内外経済の停滞。尖閣、竹島、北方領土などなど蚕食され続ける国土・・・・等など。「右を向いても左を見ても」じゃない、国内を見ても海外を見ても日本の発展どころか、現在の位置を維持するだけにしても、良い材料はどこにもないように見える。ここいら辺で日本も踏ん張らないと、本当にお隣さんの言う通りになるかもしれない。

一人ひとりが頑張るしかない!

一体我々はどうすればいいのか?と風呂敷を広げてみても、浮世離れした生活をしている愚生になど良い案が出てくるはずもない 泣。「みんなで力を合わせて頑張ろう」くらいの単純な事しか言えない 泣&謝。しかし、しかし、だがそうなのだ。それしかないのだ。敗戦から立ち上がった現在70歳80歳の先人に倣って、みんな一人ひとりが「今自分が取り組んでいる“それぞれの分野で”頑張る」しかないのだ!!必死になって人一倍、いや人二倍三倍頑張れば必ず自分の能力は向上するし道は開ける。他人の悪口批判はひとまず脇に置いて、まず自分の頭の上のハエを追え!だ。

何でも簡単に覚える、身につけることができるGift(天与の才能)を持っている人間に腹は立つ、「何であんな奴が俺より・・なんだ!!」と。しか、自分がそうでないなら、それを嘆いたところで何とかなるわけじゃない。ただの時間の無駄である笑。それならば、潔く(?)考えを切り変えなければならない。

時間の効用

そうなんだ。何度も言ってるが、何の分野でも凡人が他人より抜きんでるには「人より多くの時間をかける」しかないんだ。かと言って額面通りに人の2倍3倍なんて考えると億劫になる。取り敢えず、1.5倍でも人並よりは確実に違ってくる。逆に「短時間で効率よく何々をマスターする」とか、「無駄を省いて効果的な方法がある」などという本や雑誌の情報は溢れているが、そんな個性も能力も違う他人の成功例を読む暇があったなら、まず“行動”だ。闇雲でもいい、人より多くの時間を掛けて一つのことに取り組めば、普通に生きている他人の見えないものが見えてくる。その中で自然と自分に合った効率的な方法も身に付いてくる。「まず行動ありき」なんだ。

情報氾濫の中で

しかし、今の時代はいろんな情報が溢れすぎで一つのことに集中することが本当に難しい時代だ。新聞やテレビ、雑誌の情報を見たなら皆見たい知りたいものばかりで、一つの事の絶対的な知識を得ようと思っても別な情報が気になって仕方がない。また、いろんな情報に触れれば触れるほど真っ向から反対のものも沢山あるから、どれを選んでいいか分からなくなる。

そうなると、いろんなことは中途半端に知っているが確信が持てないから、結論が出せない。従って何事も熱く取り組む気がしなくなり、遠くから第三者的に物事を(斜めに)見たり、冷笑すること(熱くならないこと)が格好いいような気分、風潮が蔓延する。かくして、多くの人間は中途半端な評論家になり色んな事を浅く広く見て“したり顔”で、行動し発信する主体となる人間にケチを付ける。

「行蔵は我に存す~」

こういう人間は一生懸命物事に取り組む人間に取って一番厄介だ。自分では何も生産しない癖に人の向上心に水をかける。しかし、そんな奴は気にするな、放っておけ。そんな時は、昨年のNHKドラマにも出ていた幕末の偉人、勝海舟が言った格好いい言葉を思い出せ。『行蔵(こうぞう)は我に存す、毀誉は他人の主張、我に与(あずか)らず、我に関せずと存候』と。即ち「出処進退(自分の進む道と解釈しても良いだろう)は自分で決める事だ。誉(ほ)める、貶(けな)すは他人のする事だ。俺には関係ねー」と。

集中する難しさ

かく言う私も元々は何でも知りたがる“野次馬根性”の人間だから、空手に狂って一日5~8時間の練習時間を確保するために、練習と睡眠(と酒 笑)、気分転換の二番上映館 (池袋「名画座」、飯田橋「佳作座」、早稲田松竹)巡り以外、数年間「小説どころか、テレビを見ない、新聞も読まない」という日々が続いた時は心底、不安で一杯だった。「常識的な情報も知らないで果たして俺は時代に遅れていないのだろうか??」、「同級生は就職だ結婚だと言っているのに毎日毎日汗を流すだけの生活で果たして俺に未来はあるのか?」、「俺は浦島太郎になるんじゃないのか?」と。(その上、親からも「いつまで空手なんて夢を追っているんだ!!さっさと、就職しろ!」と“せっつかれた”し・・・)

しかしその一方、「何一つ自分に自信が持てない人間が社会人になって周りと一緒に行動(流され?)したからと言って、時代について行っているとは言えないはずだ。俺なりに考えてこの道を選んだんだから今はこの道に集中することだ!!」と、何度も何度も自分に言い聞かせ(て、最後は開き直っ)たものだった 爆。

「どこまでも“真理”を追求し間違いのない道のみを歩もう」と学者の道を極めるのも(頭の良い人間には)良いが、そうでないなら(笑)、ある程度自分で考えて決めたことに、とりあえず夢中になって取り組んで、過ちに気がついたならそれから修正すれば良いじゃないか?人生は何も一本道じゃない。そう考えるから窮屈になりみんなとチョッと違った道を歩むと不安になり、チョット失敗すると俺はもうだめだ!!となる。第一、そんなに物事の先が正確に読める人間が世の中に溢れているなら、世の中はもっともっと一直線に発展していたんじゃないのか?

俺の場合

閑話休題(はみ出し休止) 私の場合は政治家、冒険家、教育者、文筆家、(ヤクザ笑)などなど色んな道や夢があったが、10年近い“浮遊”ののちに(笑)、ある時一人になって、現実に実現可能な道を考えてみたならそう多くは残っていなかった。そこで教職課程も取っていたし勧めてくれる先生もいたから『高校の先生にでもなれたなら柔道を教え好きな本を一杯読みながらのんびり生きるか』が一つの道だった。

所が、それすらも仕事と空手と夜学で中途半端な勉強しかしてなかったから「果たして俺はチャンとしたことが教えられるのか?」という不安もあった。そこで「もっと本格的に勉強をしたい。それなら海外の大学に入るしかない。しかしそんな金はどこにもない。それなら自分が持っている乏しい能力の中でも多少他人よりはましだと思える運動能力を生かして実現するしかないだろう」

退路を断つ

という訳で、「よし!(当時の所属団体の機関誌に載っていた)“空手海外指導員” しかない!!」と“はみ出した”結論に達し、退路を自分から絶ってしまった。しかしだからこそ、それまで何事にも興味を持つが全てが中途半端だった私でも、「ここで結果を残せなかったなら、何の為にこんな回り道をしたか分からない」という想いから、死に物狂いで練習に集中でき、それなりの結果を出せたのだと思う。

こんな、死に物狂いで、練習をした時代があり、幾分かは人の見てない地平や時空を経験することができたからこそ、今“そこそこには”人前で偉そうに講釈したり、範を垂れたりして何とか飯も食えている。高校時代の“青雲の志”とはずいぶん離れた“職人”の世界ではあるが、こういう判断しかねる物事が次々と毎日起きてくる時代、様々な体験を重ねてきたからこそ、人より少しは確信のある、広い見方が出来るといいうことは、悪くない人生なんじゃないか?

目標設定と集中

繰り返すが、人生のどっかで「俺は何で世の中を渡って行くんだ?」と自問自答する時が必要だ。そして「ここが俺の分かれ道だな」と結論したなら、思い切って退路を断つくらいの気持ちで、他の事は暫く忘れて一つのことに集中することだ。そうすれば必ず人の見てない世界、地平が見える。

改めて、日本って国は?

先日「マラソン世界一周」を達成した間寛平氏が「日本が素晴らしい国だという事が分かった」と言っていた。口はばったい事を言わせてもらえば、私もこの仕事のお陰で7~80ヶ国前後を訪れていると思うが、全く同感である。まだ色々海外に学ぶこと、改善しなければならない事も多々あるが、いつも、どこの国へ行っても、“総合的に見て”日本という国は既に世界でも1,2番を争うほどに素晴らしい国だ!(見てない国とは比較できないが 笑)本当に海外に出る度に、日本に生まれた事に感謝する。日本人は日本に大きな誇りと自信を持って良い。そして感謝と。

高転び(※)したこの20年間の日本

日本は戦後の国民総懺悔的な教育、社会風潮の中で、だからこそと「経済第一主義」の国家運営をした。その内「ジャパン・アズNo1」(1980年) とまで称賛されたが、その「経済第一主義」が1980年代後半からの「日本経済脅威論」を招き、1985年「ドル安・円高」のプラザ合意を機に、(一時はバブル景気を謳歌しアメリカの象徴とまで言えるロックフェラーセンターを買収までしたが)円高により生命線と言うべき輸出の不振を招き経済も失速した(バブル崩壊)。「経済第一主義」の国家運営だったから、頼みの綱の経済が失速した事で、思想や文化を後回しにして育ってきた世代が大勢を占める現代日本は、思想文化歴史といった分野での(基礎)知識や蓄積で後れを取っており、世界から舐められっぱなし、言われっぱなしである。

※高転び:戦国時代、禅僧で武将でもあった安国寺恵瓊が、「信長の時代はあと3年か5年は続くだろうが、その後『高ころびに、あおのけに、ころばれ候ずると云々』と言ったのが原典。「調子に乗って浮かれて油断している所を足下をすくわれて真っ逆さまに転落するだろう」という意味。

日本再生“元年”だ!

しかし、当然どこにでもある欠点の“何十倍”もの素晴らしい長所がある、こんな立派な国を作った、こんな優秀な民族が、このままおかしくなるはずがない。日本人は島国で周りを海に囲まれて謂わば“純粋培養”されており、世界の中でもかなり人が良過ぎるから、チョッと浮かれて油断しただけだ。虚心に現在の地盤沈下を認めて、もう一度日本人としての自信と誇りを基に、一人ひとりが本気になって自分の持ち場を守り発展させることを心掛ければ、滅びるどころか日本は益々素晴らしい国になるはずだ。滅びるどころか、期待に反して“人類の理想郷”、“地上の天国”にもなれる国なんだ、日本は。

冗談半分で言えば「それはそれで憧れから日本に殺到されても怖い」位だ 爆。

文書日付2010.1.13

コラム16 改めて、基本に付いて

ここ10数年の、武道が単なる「どっちが強いでしょー」的なものになっていた社会風潮の中にあり「現実的な護身」とか「社会体育」と言った原点に固執し(?)、派手なパフォーマンスができずに、ご後援者やファンの方々に(中には支部長にも?)、「大道塾、空道はどうなってるんだ?」とか「これからどうなるんだ?」などと大変心配をして頂いておりましたが、既にHPでご存じのように、「大道塾」発足32年目、「空道」提唱12年目にして、これまでの地道、堅実な活動が認められ、[2013 World Games Cali]への参加(demonstration)、JWGAへの加盟などなど、様々な明るい話題が重なっております。その上に、参加が黒帯昇段の条件になったという“遅すぎた対策”も理由の一つである訳ですが(笑)、SC(合宿と言うには短すぎるのでSummer Camp 泣)が例年以上の盛り上がりを見せているのはご存じの通りです。

そんなSCで行われる定番の審査(※1)で気になったことが何点かあり、その都度注意しましたが、改めて注意を喚起しておきたいと思います。それは基本と移動の習熟度に支部間で大きな差があるという事です。恐らくある一定の割合の支部では基本を軽視したり(まさかとは思いますが)殆どしてない支部があるように見えました。これは空道が飛躍的に世界へ広がる予感のある今、絶対に見逃してはならない問題です。

(※1) 7,8,9月はSC以外では審査は認められません。賛否両論はあるでしょうが、いわばSCに参加したものの特典として審査が行われるのです。運営的にはこうしない方が受験者も多く本部や支部にとっては助かるのですが、単なる技術競争者集団ではなく、SCを通じて普段顔を合わせない支部生同士が、より親しくなれる、同じ場所で練習をし、同じ屋根の下で入浴し、食事をし、語り合という、より人間的な交流も何度かは経験して欲しいからです。でないと技術競争者集団の常で、会うのは大会とか審査会だけというライバル関係しか築けず、一旦亀裂が入ると修復することはなく縮小再生産の繰り返しになるからです。人間の幅を広げるのも一つの目的で武道修行をしたのに、心身の個性(強気、弱気、センスの有無、身長、体重など)で差が出やすい技術中心の付き合いは、チョッとした考えの相違がもとで普通の人以上に、疑心暗鬼になったり相互不信に陥ってしまいがちで、実際にそういう虚しい例を多く見ているからです。そういう時に歯止めになるのが、人間的な触れ合いの記憶なのです。

基本と移動は、現在いわゆる“伝統的な型”をしない空道、大道塾(理由参照 当コラム「型には二つの意味がある。一つは“技術の伝承”もう一つは“体育教育”」)にとっての数少ない共通項目で、芸事の奥義と言われる、守破離の“守”にあたる部分です。個人的な解釈をしたり、大会での実績を元に安易に変えて良い物ではありません(優勝者は10年で階級含めれば何十人生まれるわけで、その個性に合わせていては大変なことになります)。勿論、当職にも現実の攻防、護身から生み出しという自負はあるものの、競技としては未知の部分のある「空道という新しい武道」を始めた創立者としての限界はあり、当職が定めたことの全てが完全だとは全く思っていません。実際に、基本や移動なども発足当時から変わってる部分はあります。しかし、それは運営会議での協議と創立者である当職の合意があって初めて変わったものです。

(※2) 守破離(すはり、しゅはり) 意味

以下は守破離の元の意味に、武道生活50年になろうという私なりの、守破離という観点からの、基本に対する考え方です(破と離に付いては機会があれば書きますが、時間が・・・)。さて、“守”は字義通り、先達から受け継ぐ、その団体や流派の伝統、形式といった共通項を、無条件で伝え(教え)、伝えられる(教えられる)ことで、(ここからは私見の色合いが強くなるでしょうが)とかく技術習得が早い者が陥りがちな“独善的、唯我独尊的な性向”を抑止し、相互理解や切磋琢磨で成り立つ一般社会でも通用する人格を維持(担保?)するためにも、重要な導入過程(通過儀礼)というべきものです。これは“肉体的強さ”という、「他の芸事以上に周りに大きな影響を与える武道や武術」では、最も留意しなければならない点だと思ってます。強くて人の言葉を聞かない人間を育ててしまったなら社会に害毒をまき散らすようなものです。

だからその排他的な心情の萌芽を摘み取るために武道や武術界では“押忍”という、忍耐の上に更に、押し付ける、押えるといった語を加えて、上位者へ従う事が「一方的な受身(押し付ける)だけではなく、自分の意志(押える)でもある」という形式美に高めたのだと思います。(だから空道、大道塾では、今どき時代錯誤な響きのある“押忍”という言葉の(重い、暗い?)イメージを了解しながらも、敢えて今でも残しているのです。(そんなことをしても駄目な場合は駄目ですが 笑)

そういう意味でも、もう一度支部長、塾生は上述したように、空道がこれ以上世界的競技になる前に、同じ道着を着てるが、音だけが同じ「クードー」にしないように、改めて空道の基本や移動稽古の意味を振り返って貰いたいものです。

文書日付2012.8.30

コラム04 無題

格闘技の凄まじい人気、認知度は、御承知のとおりで、ゴールデンタイムのテレビ放映など、一昔前では考えられないことです。それに対して“武道”の観点からは、将来の未知的部分、派手すぎる演出など批判があるのも事実です。一方、これによって、空手及び格闘技の名が広まったという事実も見過ごせません。将来の未知的部分があるとは言え、銀行までが倒産する混迷の時代において、それを見た若者が、「格闘技でメシを食いたい!“プロ”(語感がまた、カッコイイ!)になりたい!」と思うのも無理がないのかもしれません。若者の純粋な願望で、好きな道を貫き、それで失敗しても本人の選んだ道ですから、良いじゃないか。いつだって若者は未知なるものに賭けて人生を切り開いて行くのだから、という声があるのも知っています。そこで今回はこの件にについて、日頃想っている事を述べてみたいと思います。

まず、プロという言葉について定義してみると、全くの個人として頂点のみを目指すトーナメントプロと、教える事で月謝という対価を生活の糧とするレッスンプロがある。

まず後者の“レッスンプロ”について私の考えとしては、20年前に若気の至り(?)で踏み出した、まだ海のものとも山のものとも知れない大道塾を、若い時の修行というのならまだしも、生活の手段としても(と言う事は一生の仕事として)勧める事に確信を持てなかった。更に、若くて血気にはやっている“選手”は強くなる事だけで頭が一杯で気づかない、また気づいても眼中にない事だろうが、柔道や剣道のような、社会に充分に認められ、“学校体育にも入っているような武道”と空手(特にフルコン系)の“社会的立場”は明確に違うという理由もあった。

背景を詮索されるような団体も多い空手界(これは寸止め系、フルコン系を問わずだが)は、残念ながら社会的信用度が低い。しかもその上に、寸止め系は日本体育協会傘下で“公共の場”で教える事が多いからそれほどでもないが、フルコン系の場合 “任意団体” と言うことで、人気稼業にならざるを得ず、その時の団体の勢いでの入門者の増減が激しいし、個人的にも職業病とでもいうべき怪我が即生活の不安定さにも繋がる。無責任に俺について来いと言うのはカッコイイし簡単だ。しかし私は25年前に憧れのアメリカで味わった、空虚感というか挫折感を若者に味あわせたくはなかった。幸いにも私にはそれまでの社会生活で培ってきた“雑草精神”があったから良かったが、社会経験の浅い若者に、必ず出来るという確信がなければ、人の人生を左右する言葉など言えるものではない。それよりは、空手一本で青春を過ごしたことで、職業知識は同年代よりは確実に少なく、初めは給与も安いだろうが、昼間は会社勤務をしながら夜間教えるというパターンを数年も続ければ両方が良い影響を及ぼし合って(仕事上の知合いが武道を教えているという事を聞いて、それでは子供を躾て欲しいと入門させるとか、逆に空手の生徒やその親が“先生”の仕事の話を聞いて良い関係が出来るとかで)安定した人生を送れるし又、多くの父親の方もそれを望んだ。

だから初期の頃の寮生には、家業のあるものは別として、道場と両立しやすい自営業、特に整骨院や公務員を役員の協力を得ながら強く勧めた。(公務員の方は社会が経済的不安要素が強くなって志望者が増え敷居が高くなったので2、3人しか成功しなかったが、整骨院等に進んだ人間の多くは)今では地域に溶け込み“先生”として仕事と道場を両立させており、「ああこれで俺のところにきた若者を、少しは骨のある、そして生活力もある人間にして送り返す事が出来たな」と責任を果たしたような安心感を持つ事が出来たものだった。

だがそれも、その後の異常な格闘技(雑誌?)ブームが起こり、好きな道一本で食えるのではと言う幻想が広まった頃からは、「まだ経済基盤も、健全な競技としても確立されていないから、あくまでも仕事との両立を」と言う私の言葉も説得力がなくなってしまった。なにも他人の人生、そこまで考えなくてもと言う人は多いが、人の話に耳を閉ざし、自分から自縄自縛になったり、落伍して行くく人間はどうしようもないが前述した様に、大道塾に集まってきた若者で、素直に一生懸命努力している人間には後悔はさせたくないという、逆に言うと大道塾は誰にも後ろ指を刺されない団体なんだと言う自負心(自惚れ?)の強い、(気の小さい?)性分の私としては、それは出来ない。

しかし幸いな事に、支部長、責任者達の協力や、その間の選手達の頑張り、運営的に苦しくても健全な活動を心掛けてきた事等などにより、大道塾も一般的“人気”という意味ではまだ不十分とは言え、さてなにか武道をしようと思った時には頭に浮かぶ“良い印象の団体”の一つといった程度には知名度を待ってきているし、実際これ専業で生活している支部も出てきているので、最近は肯定的になって来ている。 

と言うのは、「やはり仕事との両立を」という方向も、そのような両立しやすい仕事についた者は別にして、そのほかの分野に進んだ場合、社会的適応力がありそうな人間でも、いざ社会に出ると中々の悪戦苦闘を余儀なくされているのを見るに付け、“好きこそものの上手なれ”で他の一般の若者が、他の分野の技術、仕事を学んでいる二十代に、闘うことに生きがいを見い出し、その技術を蓄積している選手にとってその分野が最も自分を生かせる得意な分野になるのかな、ということをこの二十年来度々見てきているから、安心は出来ないが(と言う事はいつまでも心配の種ではあるのだが)不安定でも、それを本人が覚悟するなら良いのかなという考えにもなりつつあるからである。

問題は前者のトーナメントプロ、つまり闘うことのみで生計を立てる“プロ”である。 “トーナメントプロ”という言葉で思い浮かぶのは、先ず大きなものはプロボクシングとプロレスだろうか。(大相撲もそうであるが、これは論ずる必要もないぐらいに確立しているので、ここでは論じない、能力があると思う人はどうぞ、である)

プロボクシングとプロレスは柔道と空手の関係に似ている。プロボクシングは柔道と同じく早くから体制が統一的に運営され、アマチュアとしてオリンピックにもなり、その“確立されたルール”を元に、プロとしてもあからさまな八百長もなく、ボクシングという競技自体が歴史的、体制的に他の追随を許さないレベルにまで達しているから、生活人としては柔道の世界チャンピオンが少なくとも日本では大きく将来を約束してくれるのと違い、プロボクシングの世界チャンピオンを4、5度防衛しないと殆ど無理だいうことは、今では周知の事実だが、引退後もレッスンプロとして生きることも出来るし、それ以上に、おしも押されもしない“成功者”として誇りを持って存在できるからだ。確かに“生活”だけが人生じゃないと言うのも人生の真理のひとつだろう。(それも程度問題で、いくら“武道”的に優れていてもじぶんの生活や家庭くらいは賄えなくては、“ヒモ”になってしまう。一時代前の劇画の世界では面白いが)

一方のプロレスは空手と同じく早くに統一的団体を結成できなかった為に組織や、ルールが乱立し、ルールによって勝者と敗者が容易に入れ替わる。その上、地域での社会体育育成という方法ではなく、興業で組織運営をしてきたプロレスでは、団体間の激しい競争に勝ち残る為には、確立されたルールで次第に権威を確立するという“回り道(?)”より、手っ取り早く、看板選手の牽引力(集客力)で運営をするという個人商店的運営をしてきた。その為、その選手が衰えてくると、どうしても“不信な試合”が増えざるを得ない。(それに対し実力的に優位に立った若手がクーデターを起こすという事の繰り返しで、団体の栄枯盛衰、離合集散は度々であり、プロボクシングや柔道に比べて、今一つ権威が蓄積されず芸能人的人気は現役時代には一時的に持てても、この情報万能の時代2、3年すればすぐに忘れ去られてしまい、オフィシャルな意味でも“成功者”とは言いにくいだろう)

空手のプロ部門を作るという件については、さらに、“武道”として前述したような“不信な試合”は論外としても、ボクシングにはプロがあるが柔道にはプロはないという、競技理念の違いから来る次ぎのような又別な事情がある。(現実的にプロレスは、柔道のプロ部門だと言うことも出来なくはないが、少なくとも柔道側が積極的に勧めている訳ではない) 即ちスポーツ化されたとはいってもまだ柔道も“道”という概念(と文字を)を全く捨てたわけではない。それぞれの個人が、それぞれの立場や目的で「人生に立ち向かうという意味での“靭さ”」を目指す“武道”もしくは“アマチュアスポーツ”としての理念を掲げながら、仮にプロ部門を設立し、プロの育成にも重点を置くことになると、どうしても金銭的報酬が絡む際の人間(社会?)の本能として「勝つ事(したがって“金”を稼ぐこと。当然、負ければそれまでの努力も無意味となる)」を至上目的とするような方向性が強くなってしまうだろう。そして結果として運動神経の善し悪しに関係なく、誰もが参加可能な「生涯スポーツ」として、勝敗のみではなく闘うことの過程にも価値を置き、その努力する心や体力を社会生活に生かそうとする、「社会体育」としての意義を土台とする団体の下部組織の形成、維持は非常に困難となるだろう。

つまり、トーナメントプロにこだわれば「勝つ」ことのみが最終目標となる。逆にアマチュアにこだわれば、トーナメントプロを養成する環境としては不十分となる。それでは「格闘空手」と「社会体育」の両立を理想とする大道塾の理念とも大きくずれてしまう。現実に、一団体内でプロとアマを両立させると言うことは、今迄どの競技団体も成功はしていない。公認された“武道”もしくは“スポーツ”として柔道や剣道、ボクシングやレスリングと言った種目の場合、学校教師とか、道場主としてのレッスンプロならありうるがトーナメントプロというものはない(念の為言うと、アマチュアボクシングとプロボクシングは同一団体ではない)。

最後に経済基盤について。2年程前、アマチュアの一代表として、WARSを行った。この時は、日々並々ならぬ練習量をこなしているプロの選手を相手に、普段は社会人としてそれぞれの仕事に従事している選手達が、寝る間も惜しんで仕事の後に練習し「よくぞここまで」と言うほどの活躍を見せてくれた。 しかし、何度もそれを期待する事は出来ないし、七面倒くさい“理念”を持つ“武道”より単純に勝ったか負けたかを論ずる事の出来る“格闘技”が盛んになった今日、世間の関心は、「勝つか負けるか」であって、アマチュアがよくあそこまでやったとは見てはくれない。つまり、プロであれアマであれ、今は勝つことこそが全てなのである。

そうなると、当然一日中を練習のみに費やす「プロ」を養成しなければ不利になるのは明らかであるが、それには前述した「社会体育」と「プロ育成」という問題と、その前に個人的には選手の「生活費」、団体としてはその「運営費」、の問題がある。信じられないと思うが、これだけ興業が派手になりファイトマネーも高騰すると興行収入でコンスタントにそれを得るのは大抵の場合無理である。日本の場合、普通の民間会社は、テレビにでも出れるぐらいに成長した時は応援してくれるだろうが、成長するまでは、(球技やマラソンなどは別だが)それまでは殆ど期待できない。それまでの大きななスポンサー(?)が必用なのだ。幸か不幸か大道塾にはそのようなスポンサーはなかった。どう見るかは立場の違いだろうが、だからこそ現在の大道塾なのである。

コラム01 機関誌「格闘空手マガジンvol18」巻頭言より

西暦2000年の今年、大道塾は設立20周年を迎えます。20周年、最初の発行に際してご挨拶させていただきたいと思います。

ご存知の方も多いと思いますが、私自身現役の選手時代を極真会館で過ごしました。日々強くなることを考えがむしゃらに稽古をしていましたが、試合などを経験するうち特に海外勢との試合などでは「小よく大を制す」「柔よく剛を制す」という言葉を意識するようになりました。この発想は実に日本的で欧米人に比べ体格的に差のある日本人にとって武道だけでなくあらゆる分野に必要で非常に重要な発想です。

私が空手を始めたのは「護身」という意味がひじょうに大きかったので実際自分より体格的に大きな人間と向かい合って体力で自分を主張する場合、顔面のない練習を日々やっていて勝てるのだろうかという疑問が出てきました。事実、相手の胸を叩く稽古をしているといざという時も胸しか攻撃できないのは今では周知の事実です。

私自身、第11回大会で膝を決定的に悪くしてから、極真ルールの中での限界というものを感じ始めていました。しかし、「小よく大を制し得る武道」なら…。顔面へのパンチと継ぎ技として金的蹴りや瞬間的な投げ、締め、関節技を認めたルール。私は機会があるとこの提案を繰り返していました。しかし、極真には極真のすばらしい理念があり、一支部長であった私の考えを押しとおすなどとんでもないし流派を起こすなどという不遜な気もありませんでした。だが様々な格闘技、武道を見る度にこの新しいルールを実践してみたいという気持ちは日に日に強くなりました。活字にはできませんが更にもう一つ決定的な要素があり、遂に小よく大を制し得る武道としての空手を求めて格闘空手「大道塾」の設立を決心したわけです。

しかしながら決心したと言っても、最初の3年間はこれを一生の仕事とするということに迷いもありました。私の理想として当時の若者の殆どがそうであったように坂本竜馬をはじめとする維新の革命家達がおり自分の力がなんとか日本のためにならないかと漠然とですが考えていました。もちろん好きな空手ですからやってやれないことはないが、はたして夢を捨ててまでやることなのか…。

「格闘空手」も新しい体系ということで始めてみるととても片手間ではできない仕事でした。その日々の仕事と以前からの理想の間で揺れていた時期でもあります。しかしながら時代に合ったのか自分が思っていた以上に早く組織としての大道塾は大きくなっていき、そのうち支部も増え、塾生も増え選手も育ちました。拠点としていた仙台から総本部を東京に移しました。私としては仙台で続けていくつもりでしたが、当時の選手達に「自分達は地方区だから」と言われ、自分は現役時代、全日本とか世界という目標で頑張っていたが弟子達にもそういう場を作ってあげなくてはならないのか…と思い東京に出たわけです。 (余談ですがそんな動機から展開したわけですが、私自身試合に出たかったし、それなりの自信があっても出れなかった…今でもこれは後悔しています。)

ですから設立当初は「一大流派を作ろう」だとか「世界的な組織にしよう」などという野望もなく自分の想像を越え、組織の方が大きくなったというのが正直な感想です。しかしながら徐々にですがその中で空手を通しての武道教育というものも、自分が理想としていたものと同じではないかと感じるようになりました。上に立ち政治の世界で改革していくのも大事だが、武道を通じて裾野を教育していくのが自分には合っているのかなと思いはじめ一生の仕事としての決心をしたのもやはり3年位経てからのことでした。

今、この20年を振り返ってみて思うことは、人というのはいろんな考えがあるから自分としては後ろ指を指されないようにやっているつもりでもすんなりいかないものだなと…(笑)。邪魔があったり、足を引っ張られたり、後ろから殴られたりと…(笑)。…でもそういうことがあるから、人生なのかなとも思います。正に「大道無門」なのでしょう。

よく大道塾の方向性が変わるということも聞きますが、そういうつもりは毛頭ないですね。そもそも大道塾は護身ということもあって、あらゆる状況というのを最初から想定している訳です。ですから、新しい技なり出てきた場合、それはやはり吸収しなくてはならない…。護身の場で「これは知らないから」などというのは通用しません。グローブなどをやったのは、やはり顔面の技術というのはやはりグローブが先行していたわけですから、それを吸収するためにやりましたが、基本は素手である姿勢も変わっていません。寝技に対しても最初から取り組んでいたものです。最近は寝技のブームのようになっていますが、あくまでも打撃でそれを凌ぐという姿勢も同様に変わっていません。新しく出てきたものの対処法としていろいろな経験は必要ですが、「格闘空手」というものはずっと同じであると思っています。

20周年の今年やることとしてやはり本部道場を新設するということがあります。これは区切りとして必ず実現させるつもりです。それと、来年は世界大会の開催もあります。「灯台元暗し」で武道の本家とは名ばかりで外国に比べて日本では一部の理解者を除いて民間も行政もなかなか武道に対しての支援という面では心細いのが現実です。多くの武道団体が青少年教育という看板と台所の差が為らざるを得ない状況です。大道塾にも今まで歩んできた道としてもっとやりやすい道、安易な方法というのはあったと思います。しかし、今まで「○○は食わねど高楊枝」とやせ我慢をし、ここまできたということが、堂々とした社会体育としての大道塾を誇れる理由と思っています。これからも、「社会体育」、「格闘空手」を両輪として大道塾はやって行くつもりです。塾生の皆さんは日々鍛錬を続け、応援してくださってる方々にはこれからも御理解、御協力を宜しくお願い致します。(談)

コラム17 年末エッセイ!!年越しを振り返る。わが生涯、二度目の海外での年越し!!泣&笑(中編)

前編 | 中編 | 後編

※ある年一度だけ海外で年越しをしたことがある(続く 笑)

というとなんか今風だと思われるかもしれないが、ある年(2007年)、私がニューヨークでのセミナーを終えての帰途の話(シチュエーションは格好いい)。

当時、娘は大学生活も後半に入っていたが、自分の進む方向が見つからないようで進路で悩んでいた。その数年前(高校2年生だった)には、一番多感な時期に一時の仲違はあったがそれも修復し、前のような仲のいい関係に戻っていた「おにぃ」を突然の出来事でなくし心に大きなダメージを受けていた。しかしそれも何んとか克服して生きていたが、同じ年代同士で相談できる唯一と言っていい人間だったから、参考となることが何もなくなって途方にくれたのも無理はなかった。
※生まれた頃から道場で多くの内弟子と一緒に暮らして、チョッと人見知りする子になっていたから、よけい「おにい」だけが頼りだった。

この2000年からの数年は、上述したようにそれまでの最も楽しい期間が、いきなり180度反転し奈落の底へ叩き下ろされたような期間になったので、我が家にとって思い出したくない寂しい年末、年始だった。娘も友達としたりして“家族”での年越しは途切れ途切れになった。「今年を振り返り来年に期す」作業も止めたし、年が近い姉が送ってくれるナメタ鰈(かれい)のある年越し膳を挟んでも笑顔は少なくただ時間の過ぎるのを待つみたいだった。好きだった「ゆく年くる年」も見ないで床に入ったり、朝は新宿の熊野神社への初詣が習慣になっていたがそれも止めた。また、それまでの正月3日、4日頃は古参の弟子を呼んで酒盛りやゲーム等をしたものだったが、そんな元気はなく、家族での楽しかった頃を撮り溜めしていたビデオを何時間もかけて観ては「こんなの撮るんじゃなかったな~」とため息をついていた。

そんな中の2001年の重苦しい年越し、正月。とは言っても否応なく娘も受験を考え時期になり「やはり、おにぃと同じ大学へ」と頑張っていたが、私たちも「あんなことをさせなければよかった」、「あの時、止めるべきだった」、「この先、何を励みに生きればいいんだ?」等々自分を(また口には出さなかったが、互いを)を責めたくなる時も多くなり、夫婦ともに不安定な状態が続いていた。ありがちに家内も一時は亡くなった子の事ばかり考えて宗教的なことに敏感になった。私は私で後ろばかりを振り返り、今にして思えば馬鹿な事を、考えていた。

とうとう、弟子達も見かねたのだろう、ある古参の弟子が代表し電話をよこし「先生の心境を考えると、来年の『第一回世界大会』は延ばした方が良いんじゃないでしょうか?」等と心配もされたくらいだった。こんな風に親が両方ともに立ち直れないでいるから(しかし、まだこぼす相手がいるだけ良かったと言えるのだが)、一人取り残された感じの娘はそれ以上に大変だったろう。遂には、いつまでもグズグズしている私に「お父さんお母さんは、いつまでもお兄ちゃんのことだけ考えて、私がいることを忘れているよー!!」とまで言われてしまった。

勿論そんな気はなく、ただ「女の子には穏便に幸せな人生を送れば・・」との考えだったから、あまり期待めいたことは言わなかったのだが、それが逆に自分は忘れられているという気持ちにさせたようだった。別な古参の弟子からも「自分達はいつまでも先生のそんな姿は見たくありません」とまで言われてはいたのだが「分かってはいるが・・・」という状態だった。しかしさすがにその言葉にはハッとさせられ「このままでは駄目だ、俺が気を強く持って家族を引っ張らなければ、俺も家族も大道塾もみんなダメになってしまう。何かの目標を持って生きなければ」と目覚めた。

こんな感じでようやく再び前を見始め「考えてみればあいつとの約束もあったんだ!」と、あとは眼前の大事業とでもいうべき「第一回世界大会」に向かって無我夢中で1年を過ごし、何とか無事やり終えた。

【参考】「2001北斗旗第一回世界空道選手権大会」外伝  

そんなこともあって、娘も徐々に気持を持ち直して受験勉強に打ち込むようになり、見事に進学を果たしてくれたので、一時は深刻だった“家族崩壊”も免れた。全く同じようなケース(長男を失くした事で両親が放心し、妹がぐれて家族崩壊した)も見聞きしていたから、実際そうなってもおかしくはなかった・・・・。そんなこんなの数年を過ごして(2005,6年ころか)の、この、卒業後の進路についての悩みの時期である。

私は娘がやる気になったんだからと(自分が望んで実現出来なかったからだろう。良くないことかもしれないが・・・)、「お前は英語が好きみたいだから、その好きな道をもう少し本格的に勉強してみたなら、その間に何かいい方向が見つかるんじゃないか。学費は先行投資と考えて何とかしてやるから老後はしっかりと見てくれよ(笑)」と言った所「いまさらまた勉強だなんて・・・」と言いながらも、その内に自分でネットなどを色々ひいて、海外の様々な大学の案内書などを取り寄せて「やってみたい」となった。

「アメリカはもう斜陽だとか言われているが、世界の中心は当分まだアメリカで、中でも世界の全てが集まり、いろんな人間が集まるので刺激も受けるし人脈も広がる。せっかく海外に出るなら、冒険するつもりでニューヨークにでも行ったらどうだ。英語だけでなく人生勉強になるぞ」と言ったのだが、娘はアメリカ(のガサツな所?)は好きではないらしく、「イギリスの方がいい」と決めて旅立った。

(と思っていて、書いた後に本人に確認したところ・・・・以下のようになりました(双方ともに譲らない 笑)。いかに人の記憶があいまいか、もしくは人はみな自分のメガネを通して自分の外界を見るものだという証左かもしれない。もっとも私の場合は子供ころから喧嘩ばっかりしていたし、親父には何十回となく(NHGなしの 笑)頭を殴られているので、打たれ強いのと裏腹に記憶力には全く自信がないので、大概「そうかぁ~」となるのだが 泣)

「とある就活の講演会である人の話きいていて、何か自分に自信がもてるような苦労と体験をしたらその先に見えるものが変わるのかも、って思ったのがきっかけ。その話にインスパイヤーされたのもあって、英語なんて好きでもなかったし、しゃべれないけどぶっ飛びで行ってみちゃえばどうだろう、って悩んで悩んだ末に決めた。けど、お兄ちゃんのこともあったし、何て言われるか心配で、「何言ってるんだー!」とちゃぶ台をひっくり返されるんじゃないか、反対に涙もろいお母さんには泣かれるんじゃないか、ってホントにドキドキの瞬間だった。勇気をだしておとーさんとおかーさんに相談したなら逆に「お前からその言葉を聞けて安心した」ってアメリカ行きを進められて驚いた。しかしそれ以上に、わたしがこの話を切り出さなかったらお父さんたち、わたしにガッカリしてたのかも・・・って考えると、ほんとにドキドキの瞬間だった」らしい。

でも、チョッと違うかもしれないが、親子の関係ってのはそういうものじゃないんだぞ。「鉄道員(ぽっぽや)Wikipedia」という浅田次郎原作で高倉健主演の映画がある。詳しくは読んで(見て)貰えばいいが、一人暮らしの父親を心配し亡くなった娘が度々姿を変えて出てくるのだが、あるシーンで「お父さんが怖がるかと思って」という言葉に対し「何言ってんだ、どんな姿でも子供を恐がる親なんかがいるもんか!!」というセリフがある。(私も当時は「幽霊でも良いから出て来い!」と心から思っていたから、全く同感できる)子供のことなら親は何でも認めるしかないんだ。ましてや、真剣に考えた上で決めたことならなお更だ。

後編へ続く

文書日付2013.1.5

コラム17 年末エッセイ!!年越しを振り返る。わが生涯、二度目の海外での年越し!!泣&笑(前編)

前編 | 中編 | 後編

25日(現地時間)コロンビアのカリ市に到着。26日から1月2日まで、コロンビアのカリ市に来年のワールドゲームズの打ち合わせ+セミナー(何と5日間に10回!!)で滞在する。これだけ言うと「良いですね~年末年始は海外ですかぁ~、素晴らしい!!」とか(乗継の為なんだが)「カウントダウンはマイアミ!!へ~羨ましい」などと言われることが多いが・・・・。

そんなことが契機になって、今までの「年越し」が妙に気になり振り返ってみた。

19歳で家を出るまでは、私(我が家)の年越しは、風呂上がりに新しい着物(下着や和・洋服など)を貰って、中間(なかま)といわれる炬燵もない寒い部屋にオバンツァン(祖母)を筆頭に一家全員(11~14人!!兄が2人に姉が4人の7人兄弟)が揃って、親父の「今年もみんな怪我もなく一家無事っで良かった云々」と言う言葉を聞きながら、「年越し膳」(ナメタ鰈(かれい)の煮ものと、卵、長ネギ、山で採れる松茸が入った醤油汁等)などを食べるのが習わしだった。

(参考)宮城の年越し膳 http://matsusaka-cs.jugem.jp/?eid=316

19歳で一人暮らしを始めても大晦日というと必ず実家に帰って一家揃っての「年越し」をした(いつの頃からだろうか、大晦日の夕方から晩御飯(年越し膳)にかけては部屋に引きこもり「今年を振り返り来年に期す」みたいな日誌を書くようになったのは)。さすがに20歳を過ぎてからは(オバンツァンはとっくに亡くなってたし)二男や姉達も嫁いで自分の家庭で年越しをするようになって、実家の家族が減ってからはそういう賑わいはなくなったが、それでも自分で結婚して数年までは、家族で帰省して同じような行事には参加して「年越し」を過ごした。

そのうち正哲(まさあき)が小児喘息だということで(また住まいを仙台から東京に移したこともあって)、帰省して天井の高い(寒い)実家に泊まる度に(電気ストーブをつけて貰っても)風邪をひいたりするようになってからは、次第に年越しや正月の帰省は遠のいて行き、代わりに家族4人での「年越し」をするようになった。
初めは親父の真似をして自分で「今年も云々」などと言っていたのだが、戦後の“民主教育”を受けた団塊の世代の誰でもそうだったろうが、どうも自分が子供として見上げていた家父長制時代の親父の貫録には到底及ばない気がして、何となく照れ臭くてしょうがなかった。

それでもそれからの約20年は常に家族4人で揃っての「年越し」で、ましてや正哲の誕生日が12月30日ということで、カラオケやいろんなゲームをしたりして、それにも増して楽しいものだった(当人は「プレゼントが一緒にされるから面白くない」などと贅沢を言ってたが)。実家と同じようにしようと、一時は無理やり百人一首やトランプをひっぱり出してきて顰蹙(?)を買ったりしたこともあった(笑)。それでもお酒の好きな人と結婚したお陰で(優しい表現だ 笑)、大体7時ころからの「年越し」は、始めはビールで始まるが次第にウィスキーから日本酒になる12時近くには眠くなるのだが、ある番組だけはしっかり見てから床に入ったものだ。

焦らし過ぎだが、またこんなことを言うと爺臭いかもしれないが、そのある番組とはNHKの「ゆく年くる年」である笑。特に意識して見るようになったのは、「明日はどうなるんだろうな~?」という日々を過ごした大道塾設立前後からだろうか。酒を飲みながらNHKの「ゆく年くる年」を炬燵で見つつ「あー今年もあんな事こんな事、いろんな事があったが、どうにかこなしたな~」と、何とか飯を食えたことに感謝しつつしんみり過ごし、アドレナリンを静めて行く。そして、正月の松の内にかけて「よ~し、しょうがない始まってしまった。今年はこういう年にしたいものだな~」等と徐々に静めておいたアドレナリンを再度分泌させつつ(笑)、新しい年に望む腹積もりを固めるのが恒例なのだ。

これは本当に今まで一度しか外したことのない“我が家の行事”である(※)。これがないとなんか正式に年を越した気がしないし、チャンとした年を迎えられないような気がする。(チョッと大袈裟だが)いつもの雑な“俺”ではない笑、私の一年で一番の貴重な時間と日々である。

ま、大相塾設立以来32年間、空道創始12年間、もがき続けてきてようやく念願の「公的スポーツ」への脱皮の端緒に辿り着いたことを思えば、そんな個人的な 感傷に浸ってるときではないのは十二分に分かっているのだが・・・・。実際、ここ1~2年は本当に設立以来の重要な年月(としつき)になるだろうから、逆に 年末年始から助走をつけて前進しなければ、天罰が当たるというものだろう。年末に働いている人は私だけじゃあるまいし・・・・。

※ある年一度だけ海外で年越しをしたことがある(続く 笑)

中編へ続く

左 エドワルド・カイセド コロンビア支部長
中央 ロルダン カリ市スポーツ局長
右 ルイス・エチェベリ氏(WG2013 Caliのディレクター)

文書日付2012.12.29

コラム14 怪力乱神を語らず

この文章は「コラム13 矢のごとし光陰に、爪痕なりを」の補足として「マススパー動画集2009」に寄せて書き下ろしたものです。

東塾長マススパー動画2009

体を使う競技、運動で「走らなくても、ウエイトトレーニングをしなくても強くなれる」とか「年を取るほど強くなる」などと公言するのは“武道(ブドー?)”の世界だけである。(「年を取るほどに強くなる」なら理の当然として師は永遠に強くなるだろうし、その下にいる弟子は代々それより弱いはずである。人間は何千年何万年と人類の歴史が始まって以来闘争を繰り返している。もしそんなのがあるなら現代社会に生きている我々の強さは、ないも同じではないのか?こんな子供騙しはさておいて、なぜ前者(ウエイトやランニング不要論)のような説が出てくるのだろう?から考えてみたい)

それは数字(点数や時間、距離)で、その優劣を計れる他のスポーツと違って、人間と人間の戦いには技や体力以外に、精神的、心理的な要素(強そうに見えるとか、対峙する側の気の強弱、妄想を信じたがる性格など、刷り込まれた恐怖心)も関係するから、確かに単純に体力やスタミナだけの比較で、その強弱は決められないからである。

大晦日の総合格闘技の試合で若くて体力、気力、スタミナと全てに勝っていた話題の選手が、戦前の大方の予想をひるがえして負けたのも、パンチに対する必要以上の恐怖心があり中に入って打ちあう事が出来なかったり、打ち合っても腰を引き気味にして体重の乗らないパンチだったから、相手にはそれほどのダメージにならなかったのである。昔、週刊プロレスに大道塾(当時は「格闘空手」)の連載をした時「組み技系の選手は首が太くて、1発や2発顔にパンチを貰っても恐怖心がなければ即倒れる事はないから、まず初めにパンチへの恐怖心を克服して、前進して思いっきり打ち合えばいい。それができればパンチは覚えやすい」と書いたのだが、恐らく彼は総合を練習し始めてすぐに打撃系の選手のパンチで相当なダメージを負ったので、そのトラウマが前進や打ち合いをを躊躇(ためら)わせたのだろう。

ましてやどこにも所属しないでフリーで練習をしていたとなると(色んな練習法を学べる反面)どこに行っても“お客さん”だからそのジムなり道場としては、「柔道オリンピックチャンピオン」に敬意を示す意味でも、舐められない為にも、まず“洗礼”をしてから、と思うのは人情である。

ウチなどにも柔道等の組技系の経験者が入って来た場合、彼らは大抵、初めから打撃系で育っている人間よりは体力(首も太い)があるので普通にボディや脚を蹴られてもそう大きなダメージは受けない。中にはそれで勘違いして先輩などへの態度が大きい者などもいるから(恥ずかしながら私もその一人だった笑)そういう場合はマスクを着用させた顔面ありの組手をしておくと、大抵、次からは態度が改まる(笑)。

譬え(たとえ)が適切ではないが、犬の調教をしたことがある人は知っているはずだが、初めに犬を柱に縛っておいて咬み付けないようにしておいて、鼻っ面(つら)を殴っておくと、絶対に人間に反抗しないようになり従順になる。
所が人間の場合、これが利きすぎると道場の秩序(皆が余計な摩擦なしに練習できる上下関係)を保つのには良いが、その選手がパンチに対しての恐怖心を克服するには余計な時間が掛るようになる。一方、選手は褒めて煽てある程度“天狗”にすると自信を持って伸びが速いものだ。

しかし、どちらに偏っても、弟子を育てると言う意味では一長一短だ。「道場の秩序維持」と「選手の育成」というある意味相反する両方の要素を上手く兼ね合いながらしなければ、「武道の道場らしく上下関係や秩序は良いが強い選手が出ない」という道場と「確かに強いが礼儀も言葉づかいもなってない道場」というどちらも困った道場になってしまう。

閑話休題。また別な要素で、実戦実戦などと言っても暴力、腕力絶対反対の現代社会では実際に殴り合い(ケンカ)などは度々あるものじゃないから、摩訶不思議な体系なり、妄想なりを信じて練習していても、“その時”までは、バレないで済む。何となく強くなった気がして余裕ある態度や所作が身に付いたりすると、益々強そうに見えて周りは手を出さないからそれで十分に通用するのだ。

何年か前に、これ又一世を風靡した“ブドー”があった。当時、世の中に出始めて研究が十分ではなく、様々な武道格闘技が連敗していた“柔術”に対して、我々はあり得ないと見ていたのだが、常に話題が必要なマスコミに乗せられて「我々の体系なら勝てる」とまで言っている内に自己肥大し、日本全国の注目を集めて実際に公開で試合をして“しまい!”全くなす術(すべ)もなく負けた団体があったが、これ等は、まだ正直な方だろう。普通は「我々はどっちが強いかなどという目的のためにブドーをしているのではない」とか、「我々の“術”は危険過ぎるから、試合は出来ない」などと言って、そんな下手な真似はしないものだ。

このような“ブドー”や“術”がいつの時代も「浮かんでは消え、浮かんでは消え」する理由の一つは、人間自身の心の弱さにもよるのだろう。特に若い時の動きや、スタミナがなくなってくると、何か今までと違った別な体系なり力がその弱くなった部分を補ってくれるのではないか?と。

これは向上心ともとれるから余計始末が悪いのだが、ここで「現役(若い)時代からは衰えて当たり前だ」と現状を客観的に直視できる、現役の選手だった頃には当然備えていたはずの“誠実さ”や“勇気”。「その足りない部分を、鍛錬の過程で身に付けた精神力や間合いで補うのが“武道”なはずだ」「子供ではあるまいし、いつまでも“殴り合い”で勝ち負けが決めるのか?」という複眼的な見方ができるなら、そんな妄想に耽ることなく、「ゼロになる訳ではない」とか「しないよりは数段良い」となり、少しでも時間を見つけて「これまでの練習を効率良く」となり、それは確実な“現実的な強さ”となって維持されるはずなのだが・・・・。

もっと露骨な言い方をすれば、現代社会で最も暴力や腕力を必要としているのは誰で、どこだろう?と考えれば答えは自然に出るのではないか?それは表では警察や軍隊であり、裏では暴力団なはずだ。だからどこの国でも、軍や警察はその国において最も相手を制せるものとして、「実際に体を鍛えて初めて使える武道や格闘技」を採用しているのではないのか?(尤もヤクザやマフィアは、身に付けるのに手間暇が掛かるそんな面倒なものより、刃物や拳銃のほうに頼るのだが 怖)

何と米軍は最近MMAの採用を検討しているという噂もある。それは現代のアメリカでは一番MMAが強いと思われているからだろう。軍に応募すれが中東や、アフガニスタンに運ばれ、実際に死ぬ確率が高い昨今の米軍である。最近では手を変え品を変え(低所得者層に大学進学や奨学金を約束するなどして)徴兵しようとするが中々集まらない。そこで若者に人気のMMAを学べるというインセンティブ(?)を付けると集まるだろうということらしい。間違っても気で相手を倒すなどと言う“ブドー”や“術”を採用している軍やヤクザやマフィアはないはずである。
因みに当然の流れだと思うが、既得権益が絡む日本では難しいが、既に空道は海外の数カ国で警察や軍の指導を始めている。

最後に「現在の私の力は現役時代から見れば半分以下だろうが、それでもこれを職業としているお陰で、週2-3回の練習はできるので、この位ならまだ動ける。当然、弟子だから遠慮はしているのだろうが、それを割り引いても“そこそこ”には動いているはずだ(笑)。
皆がそういう環境ではないだろうから同じにとは言わない。しかし週1回でも(たまには2回 笑)練習を継続してれば、それなりの力は維持できるのだ。年々練習はきつくなるし泣、「何かもっといい手はないか?」と逃げ道を探しがちになるが笑、イザという時に『こんなはずでは!!??』と天を仰ぐよりは賢明な選択だと、自分に言い聞かせて自転車を漕いだり、バーベルを手にしている今日この頃である」、とこの小論を締め括りたい。

文書日付2010.1.13

コラム09 15年振り3度目のニューヨークは・・・・

何でも、始まるとシツコイ性質(タチ)だから、「もう年だし」と、深く考えないようにしていたんだが、やっぱ俺の中にはアメリカ、特にニューヨーク市(NYC)に空道、大道塾の旗を立てたいという気があるんだろうなー、いつまでたっても「はみ出しの血」は納まらない、か ? (笑&泣) 

アメリカ(NYC) は”物質文明の極限”という感じで否定的に捉えられるし、それは一般的には間違っていないんだろう。この街は我侭な人間の全てを容認する。欲望を放任し、増長させ、小才を勘違いさせ、みんなを夜郎自大(やろうじだい)にし、止む事のない闘争へと誘う、善悪の彼岸を超えたエネルギーがある。

しかし、もし運が良くて、その毒気に当てられないよう何と巧くかいくぐり、一応、向こう岸まで泳ぎ着き、その堤に登れたなら、世界の果てまで届く、とんでもない地平を与えてくれるのだろう。みんなそれを思って夢中で手足をバタつかせるが、どこから飛んで来るか分からない矢玉に倒れ、もしくは想像を絶する流れの速さ強さ大きさに、途中で力尽き溺れ沈むのかもしれない。

しかも、運良く岸まで辿りつき、何とか周りは見渡せ、取り敢えずの手間仕事も見つけ、当面の飯も食えあわよくば田んぼの一つも手に入れたとしても、それを維持するのもこれまた大変だ。

ましてや、もうチョッとだけ広げようとか、後進に渡そうなどと思ったなら、時間空間に頓着なく、無数に降り掛かる天変地異、人変血囲(?人間の変心と、血―闘争で囲まれる事 アズマ造語)に負けないだけの、殆ど異常なほどの強靭な精神力と体力を持ってないと、確実に消耗磨耗し、よくて“散華”か、最悪“野晒し”を覚悟するしかないだろう。

しかし、それを分かってはいても、だ。自分を試したい心と、当然、自惚れ、そして内から沸き出る“押さえがたい想い”を持った人間になら、この街が売ってくる“喧嘩”は(かき立てる興奮)は無視できないなー。

昨日、よく映画やニュースでブロ-ドウェイというと、大抵の人は一度は見ているはずの、斜め上空から俯瞰される二股の交差点に行ってきた(32年前の“道草”ではそのあとが大変な事になったが 笑) ※1

その真ん中に立って回りの高層ビルの壁面全体を使った巨大な広告、眩いばかりのネオンサイン、液晶パネルの目を奪う極彩色の映像等々・・・・に取り囲こまれ、見下ろされると、なんか足元が覚束なくなり、異次元に来たような気持ちになる。

チッポケな自分などは一気に飲み下そうとしているかのような、これらの幻影が見せる迫力に対面すると、なだめすかせて眠らせていた積もりの闘争心(誇大妄想、狂?) を変に突付かれる気がした。少年の日の、あのドデカイ番長に向い合った時と一緒かな?正にトラウマ?正に被害妄想そのもの―(爆) 

「このヤロー!上等だぁ、やってやろうじゃネェーかぁー!!!」ってな感じになる、困ったもんだ。「神様、俺に時間をくれー」、なんて聞き古した言葉だが、身に沁みる。
ま、これはさっきのワインが見せてくれた、一炊の夢(※2)だが・・・・。頼もしい事に我が弟子であると同時に松原教授、ビジネスマンクラス直属の○○も、優しそうな顔をしているのにそんなことを言っていた(勿論、俺と違って品は良いが―笑)

2006冬

※1・・連載漫画「上等だぁ!」第14話参照

※2一炊の夢・・盧生(ろせい)という青年が、邯鄲(かんたん)で道士呂翁から枕を借りて眠ったところ、富貴を極めた五十余年を送る夢を見たが、目覚めてみると、炊きかけの黄粱(=大粟)もまだ炊き上がっていないわずかな時間であったという「枕中記」の故事。人生の栄枯盛衰のはかないことのたとえ。一炊(いっすい)の夢。盧生の夢。邯鄲(かんたん)の夢。 [大辞泉より抜粋]

文書日付2006.11.24

コラム08 チョットとした「知った振り話」

9月7日から、中央アジアのカザフスタンにセミナーに来ている。カザフスタンは「旧ソ連から1990年に独立しナザルバエフ大統領の強力なリーダーシップで政治・経済改革をすすめ、政情の安定から経済的発展が著しい国で、先月28日に小泉首相が来訪し、世界第2の埋蔵量を誇るウランの鉱山開発技術や原子力発電所導入の協力など両国関係の強化を図った国」、というのが来るまでの知識だった。

が実際に来て見るまではこんなに発展した国だとは思わなかった。石油とウランのお陰で結構豊かで、金持ちが多く、意外なことに地震国だそうで(とはいっても月に1回くらいと、日本とはレベルが違うがー笑) その為に高いビルこそ少ないが、街には高級レストランや、ショップがあり、車の定番、ドイツ車を始め、一番人気だという、トヨタの5,600万円する車がバンバン走っている。

それにしても武道は本当に日本の宝だ。どこに行っても武道を通じて日本の評価は高い。今回も空道を習いたいといって車で2日間(!)掛けてセミナーに来た国がある。「指導員でわが国に来てくれる人はいないですか」と、真剣な面持ちで聞かれる。(今の若い日本人にはそんな気概はないよ。豊かになり過ぎたんだね」と笑い話にするしかないのが寂しいが・・・・)

しかしそれにしても、国際関係の樹立、維持の為には、上記の政治の働きかけは勿論政治の本道だろうが、もっと足元の宝にも目を向けて欲しい。 政治がその掌中の珠に気付かないで「年間百数十億円ものODA(途上国援助)でまず経済援助(金)だ」と思っているから、金の切れ目が縁の切れ目となることを恐れ、自分の国だって負債何百兆円などという恐ろしいことになっているのに止められない。果ては日本から貰ったODAを自国のODAとして第3国に回してその国を反日国家にしている国すらある。笑えないマンガだ(泣)

そのODAの何分の一(十分の一でも10億円以上だ!)の金をかけて武道を奨励すれば、昨今世上を騒がせない日がないほどに崩壊している青少年対策にもなるし、育った武道家を何年か海外へ出して武道を教えさせれば、それこそ外から日本を見ることでいかに日本が素晴らしい国かということが分かり、いかにしてこの国を守ってゆかなければならないかという、単なる評論家ではない真の国際人にもなる。彼らが戻ってきたなら対外的な仕事に着かせれば、教えられる側は、みんなで楽しむスポーツではなく、自己との戦いが主となる武道を選ぶような人間だから、その国を動かすほどに成長する人間が何人も出る。彼らはずーっとその日本人、ひいては日本のファンになるから、その後の対日関係にズーッと寄与する。良い事だらけなの・・・・。

やっぱ俺が首相にでもなんねえーとダメだな(笑)

 

文書日付2006.9.11