1月6日(日)出発日
(14:00) 経緯は「映画参加について」に書いた通りだが、いよいよ今日から出発だ。何とかなるさ、という気持ちと、いくら趣旨に賛同したとは言え、なんか俺は、全く縁のないものに手を染めて、終いにはとんでもない赤っ恥を掻くんじゃないかという、新しい事に手を出す時の、逡巡が、いつものように“今更”生じる。しかし、これまた世界は違っても同じ“人”がやるものだ、どうにかなるだろう、というこれ又、いつもの“懲りない”開き直りで、近くで最高師範と“最後の晩餐”(?)ならぬ午餐を済まして、荷物を背負い地下鉄に乗り込む。車内は正月ともお別れの日曜日とあって、街ヘどっと繰り出した家族連れで一杯。今年も始まってしまったんだなと、改めてため息。
15:10羽田発のJASで17:00鹿児島着。鹿児島同好会の笹峯君が自衛隊の3人の塾生とで迎えてくれる。そのまま1時間ほどでホテルへチェックイン。早速近くの居酒屋で合流した他のメンバーと例によっての武道、格闘技談義。あとはいつもの通りなので省略。但し明日の台詞(!)の事を考えて、演歌は1曲しか唸らなかった。
1月7日(月)初日
(07:45)ロビーに集合しタクシーで鹿児島港へ。11時30分出発。船中なにもする事がないからいつも夢想タイム。ホテルの近くは、多くの明治維新の功労者、元勲達の生家のあった鍛冶屋町なので、途中大久保利通翁の、左手を腰にして右手である方向(日本の進むべき道と言う事なんだろう)を指し示している、例のチョット日本人離れれしてるカッコイイ銅像が立っていた。以前「大道無門」(JICK出版)の中でも書いたが、今回のタクシーの運転手さんもやはり“情”の西郷、“理”の大久保で、人気では西郷さんの方が圧倒的だと言っていた。司馬遼太郎が「日本のグランドデザインを書いた大久保の方が、日本にとって遥かに重要だった」というような事を書いているし、私も西郷さんは好きだが、日本の進路という事を考えた場合(当然、後生として過去の歴史を見渡せるからだが)あの時は大久保利通の方が正しかったのだろうとは思う、がだ。
国内的には大分薄れてきたとはいえ、この小さな国が“和を持って尊しとなす”事で、世界に伍して来たという歴史から来る漠然たる集団主義的国柄が厳としてある。一般的に日本人は平均して優秀だから、あまり強力なリーダーシップを好まない。「昼行灯」のように一見、茫(ぼう)としていて、しかし押さえる所は押さえるという人物像が好きだ。(西郷は元より、忠臣蔵の大石蔵之介、日露戦争時の大山巌など) 日本型のリーダーとして、いわゆる「馬鹿になれ」といわれる由縁である。しかしそれではこれからの時代、海外からは「顔が見えない」(誰がリーダーなのか分からない)といわれ、挙句、アメリカや中国、韓国辺りからは、高飛車に出るか脅すに限る!等となって一方的に交渉事を押し切られたりしている。難しい所だが、今はそのどちらにも一貫していない所が問題なのだろう。“和”と言うほどの連帯感はない、しかし、個人主義、合理主義に徹し、能力主義で全てを割り切るほどにはドライになれない。ましてや維新の頃は非常時だから、四の五の言ってる場合じゃないと、“暗殺覚悟”で徹し切れたのだろうが、今は似た状況だが、その“覚悟”は戦後教育で雲散霧消した。かくして日本よ何処へ行くとなっているのが現状だろう。
また下手の横好きで、こんな事も考えた。年末のテレビ東京の10時間ドラマ“壬生義士伝”(浅田次郎原作)は貧困から新撰組に入り勤皇の志士を切りまくる盛岡藩の脱藩浪士、を描いた物語だが、西郷や大久保が明治維新の英雄である事に疑いはないが、見方を変えれば、尊王の志が強く、既に自ら三百年の歴史を擲(なげう)ち大政奉還(政権返還)し、恭順の意を示している(これまた戦う前に逃げたという言い方もある)徳川慶喜に対し、 岩倉具視等と謀り、倒幕の詔勅を発せしめ、無理やり攻め倒した理不尽な人物とも言える。勿論、彼等にとっては中途半端に徳川を残したのでは、本当の改革は出来ないといういわば“確信犯”だったのだろうが・…。
正に「歴史は勝者が作る(創る?) 」である。しかし「勝てば官軍」という嫌な言い方もあるが確かに「正義(?自分にとっての大儀)を通したいのなら、先ず、とにかく勝たなければならない」という事なのだろう。しかし、政治と文化は違う。勝つにしろ「目的が手段を正当化する(目的が正しければ成功するためには何をしても良い)」とは考えたくない。現実認識が甘いのかも知れないが、充分な“力量”さえあれば可能だと思うのだ等々考えながら船は種子島の西之表市についた。
付いた途端に、夢想している所ではない、早速慣れない種子島弁でのシーン。大体この監督さん、始めは話だけ聞きたいと言って来たのに、いつの間にか趣旨に賛同してくれるなら、 低予算なので塾生を刑事役などで協力して欲しい、となり、終いには、大して台詞はないから本人にも出てもらいたいとなった。全くそんな事を考えてもいない内に、Faxで、それではこれがスケジュールです台本ですと矢継ぎ早に送ってくる。確かにこの映画は今日的テーマではあるな等と思いながら世界大会に気を取られている内に、既成事実になってしまいいつのまにか引っ張り込まれたという“恐ろしい”人で、他の人の話を聞いても、大抵はそれで連れて来られてる様だ!
一言、二言喋るのに、なんとか3、4回やり直して一時間ほどで、やっとOKが出た。そこからまた一時間ほど車に揺られて、映画の大きなロケ場所である沼の神社にスタッフ全員でお払いを受けに。その後30分して宿舎となる“種子島自然の家”着。ここは廃校となった島の中学校を、教室をそのまま2つ3つに分割して部屋にしたような施設だ。グランドも200mほどだが砂地のがあり、走るにはなんとかなりそうだが、宿舎は未だ工事中という事もあり、大道塾の合宿所、阿字ヶ浦が高級に思えるような、正に言葉通りに“有り難い(有るのが難しい)”もの。子役達は“教室の花子さん”の話題で盛り下がって(?)いて、遂に2日後に近くの民宿に引っ越した。俺の方はパソコンの調子が悪い。なんかの祟りかな?冗談はさて置きどうも、以前悪質な海外支部長を除名にした事を恨んでのウィルスが送られたようだ。あの野郎!もっと蹴っ飛ばしておけば良かった。
1月8日(火曜日)2日目
(14:00) 今日は前日午後に着いたフェリーに積んでいた車を先導して、隠れ家まで山道を走るシーンなので昼過ぎから。そのあと、前半のクライマックスシーンの一つ、農道での撮影の予定だったが、急に雨が降り始め、粘ったが中止。たったのワンシーンでお終い。これで予定通りの期日に帰れるのか心配になってきた。20:00“ワゴン車で片道15分掛る近く(!)の風呂”ヘ。これも“サバイバルとか足るを知る訓練”とでもいう意味では良いが、 右膝の外側靭帯と太腿の裏がパンパンに張って痛い。これは腰椎のズレからと言う事なのでマッサージやカイロがないのは辛い。
1月9日(水曜日)3日目
08:00から昼迄昨日の取り残しの撮影。12:00昼飯でカレー。午後は12:45分から鶏を捕まえるシーンだってのに・・・。近くの家に移動し飼い主の人と鳥の捕まえ方を打ち合わせ。ま、子供の頃、同じ事をやってたので、一回で上手く行った。所が、あんまり簡単過ぎるからと2、3回やり直したら、段々鶏も逃げ方が巧くなって、最後は大騒ぎで畑を荒らしまくった。お陰で膝がまた悲鳴を上げた。16:00からまた別な農道を走るシーン。自分の身内ではあるが犯罪を犯した甥と、しかし今になっても触れ合わない崩壊家族を迎え入れた、その深刻さをもっと顔に現してなどと言われても、役者じゃあるまいし・・・。なんとか3回目で諦めたかOKが出たところで終わり。宿舎に着くや大急ぎでランニングと拳立て、スクワット、基本、腹筋と最低線の練習を1時間チョット急いで18:30よりの夕食。昼に捕まえたその鶏が刺身で出た。悪かったけど旨かった。その後また風呂へ。入念に膝と太股をマッサージしたが、原因が腰とわかってるから、気休めにしかならない。
1月10日(木曜日)4日目
今日はロケハン(撮影用の場所の選定や、家屋の設営等)の為、「役者さん達(!!)は休みです」との有難いお言葉。走ろうと思ったが、膝が痛くて無理なので溜まってる洗濯やなんとか誤魔化しながらのメール送受信と、この収容所日記に取りかかる。たった3日前の事が思い出せないのは、パソコンで考える癖がついてるからだと何かの本に書いてあったな、注意、注意!
昼飯を食いに食堂に行ったら、昨日までの冷たい強風とは打って変わって、風もなく暖かな日差しの、初夏を思わせる天気。こりゃ中で食べるのはもったいないと、早速部屋に戻り短パン一つで国旗掲揚塔の下で、ビールを飲みながらうどんを流し込み、日光浴。食べ終わって腹ばいになり、持ってきた本を広げ字を追ってる内に眠くなって来た。今は廃校となり賑やかだったろう人の出入りももない、静かに眠っている中学校の校庭。雲が静かに流れて行く。なんか、気仙沼の実家の庭にゴザを敷いて大の字になりながら、のんびりと空を見上げ、聞くともなく遠くの音を聞きながらうつらうつらしてた、遠い昔に過ごした、俺にもあった少年の日々(詩的だね−)を思い出させるような、懐かしく切ない気分だった。最高、最高! 明日からは全然休みが無いという事なので少し楽させてもらっても罰は当たらないだろう。
その内、今回俺の甥っ子役で出ている、O君が技を教えて下さいとい言ってきた。彼はまだ高校1年だがこの世界には四才の頃からいて、多くのテレビドラマや映画に出ているという“ベテラン”だ。最近では、俺も本は読んだが見なかったテレビドラマ「少年H」という、時代考証がどうのと話題になった2時間ドラマので主役をやったそうだ。またなんと2日目の欄で書いた年末の「壬生義士伝」では準主役の内藤 剛、の演じた盛岡藩家老の若い頃の役をやったという。1時間半ぐらい過ぎてからテレビをつけたので、その辺りは見ないでしまったが、中々重要な役所をしているようだ。役者やタレントの世界そのものを知らない上に、ましてや子役なんてどんな人間がなるものか想像もつかないので、通り一遍の挨拶や表面的な格闘技の話しかしてなかったが、彼も、強くなりたいという、男の子なら当然通過する、力の世界に最も興味が高まる年代だという事なのだろう。
かと言ってせっかくの最高の“ぼんやりタイム”を打ち上げる気にはなれない。一応、折角だから話だけで、と思って武道、格闘技の四方山を話したが、一向に飽きる気配は無い。また今時の高校生としては聞く態度も悪くない。その内根負けしてそれじゃ基本だけでも教えるかと「本部じゃ忙しくて直接こんな風に教えるなんて、ここんとこないんだぞ」と恩着せながら、手技を小一時間教える羽目になった。中々センスが良い。こりゃ今後、結構“稽古タイム”を求められそうだな。
それにしてもパンツ一丁で4時間ほど日光浴をしたから、本物の漁師さんッぽく、良い色に焼けた。これも役作り(?)と考えると立派なもんだ。その後18時から風呂に行き、一杯やって、今パソを打ち込んでいる。12時就寝。
1月11日(金曜日)5日目
あさ05:00起床。いつも東京では3〜4時間ぐらいで自然に起きるのに、余りに健康的な日々を過ごしてるからか、ここんとこ5、6時間も寝てる。太んなきゃ良いが走れないし困ったなー。07:00まで顔を洗ったりメールチェックしたり。相変わらず調子悪い。その上携帯しか使えないから一回繋ぐと1,000円から1,500円も掛る。割に合わない“仕事”だ。
08:00より家から送ってきた品物に入っていた格闘技雑誌に目を通す。相変わらずだ。道場でも余り良い読者ではないが、ここにいると全く異次元の世界のような気がする。
09:00より“出勤”準備。今日はどうなるものやら。10:00より悟志(俺の役)の家のシーン。家族で夕食を食べながらこれからを心配するシーン(何の事か解らんだろうな−)。今まで以上に方言の会話が多くなる。東北弁なら台本なしでやるのだが…。そして“問題”のシーン。被害者の家族へワープロを打ち、夜中に寝室に入り子供達に蒲団をかけてやり妻の隣に(当たり前だ!)寝るシーン。当初はかなりきわどい台本だったのだが、東京の“本妻”(カーチャンがメールで書いてきたまま)が恐いし、弟子にも羨ましがられ(て言うことを聞かなくなられると“今以上に”余計な手間が掛るので)、監督に強談判して唯寄り添うだけにしてもらった(残念無念!)。
そんなこんなで(どんなだ?)結構予定より早く終わったし、膝も昨日休んだからか、“泣き言”を言わないので2時間ほど練習が出来た。その後夕飯を食い風呂へ。良い気持ちで帰って来たなら、明日の台詞だといきなりA4を1ページ渡された。冗談じゃないぞと言った所で他の役者さんたちが一心不乱にしかめ面をしてやってるのにいくら俺だと言っても、この世界では三下奴みたいな俺から「カラオケだ!」とも言えないのでそれから二時間(!)みんなに混じって、カーチャン、渚(なぎさ)役の川上麻衣子さん(カーッ、みんな御免!)と種子島弁での台詞の勉強。ほうほうの程で部屋に戻ると、本妻から行動確認のチェックメール。本妻も一気に最高師範としての力量を試されてる上に俺の行動も心配なのでので、ストレスが溜まるのだろう。とにかく“ウルサイ”T松となんとか本部を頼む。それにしても明日はどうなるものやら、知らん!てな感じでお休み!。00:30就寝。
1月12日(土曜日)6日目
04:45起床。昨日の折角の心地よい運動も、心地悪い台詞の積め込みでチャラになり東京時間で起きた。07:00出発の前に飯も食わなきゃないし台詞も覚えなくちゃなんないので、必死だ。なんとか覚えた頃に現場に到着したが、今度は動作をしながらとなると又話は別で、リハーサルは何度もやり直し。とうとうアンチョコを見えない所に張りつけてカンニングを試みた。所がおかしいもので、アンチョコがあるという安心感からか、今度は全然見ないで一発OK!。午前中の予定が10:30には終わった。11:30に宿舎に戻り昼飯のカレーを食い又庭に出て“役作り”の日光浴。
13:00より17:00で一旦戻り18:00から夜間撮影との事。1時間では汗をかいてもシャワーも出来ないので待機するしかない。所が余りに昼の天気が良すぎた為、中々暗くならない。19:30迄だらだらと無駄な時間を過ごしてしまった挙句今度は軽トラックが片目のため延期と来た! 折角早く終わって練習しようとすればが出来たのに!。同じように飯を食い風呂に行って生ビール。アサヒというのはガッカリだが、山の2つ目もなんとか終わった安心からか、この際アサヒでも勘弁してやる。(あーモルツが飲みてー)。帰って食堂の冷蔵庫から今日5本目のキリンビールを持って部屋へ。メールチェック、と思ったがやはり調子悪い。鹿児島のプロバイダーには繋がるのだが、メールをダウンしてるうちにすぐに切れる.何度もそれを繰り返してやっとこ何通か見れた。海外(イタリアとスペイン、ボリビア等々)からセミナーの申し込みだ。なるべく体力別前には済ましたいものだ。12時消灯。
1月13日(日曜日)7日目
今日は出番がないという事なので爽やかに気分良く起床。8時迄に飯を済ませて電話帳でアスレチックとカイロを探すが、アスレチックは島の何処にもないようだ。体育館に電話して中種子(なかたね)地区に2つあったので一つに電話するが “現在使われていません”と来た! 2つ目も中々でない出ない。まさか日曜日だからかなとチラッと思ったが、何度か掛けてやっと繋がる、恐る恐るウェイトトレーニングをしたいんですがと言って所、“トレーニングルームにマシーンがありますよ”とのありがたい“お言葉”。しかし、カイロはその又先の島の中心地、西之表市にしかないようなのでトレーニング後に行こうと決める。
仕事用の車を使うのも気が引けるので、レンタカーを借りて40分ほど走って勇んでトレーニングルームに入った。先ず、ランニングマシーン(但しモーターなし)で30分、3.5キロ(遅くなったー、往年の半分だな、ガッカリ)を走ってこれから上半身とプレスの所に行ったら、なんとワイヤーが切れていて使用不可。しょうがないから拳立て50回とバタフライとラット各15回を5セット。つぎに下半身。スクワットがしたかったが、ないのででレッグプレスとニーエクステンションそれと初めて使ったが、膝で持ち上げる機械(これは股関節に良いな)の3つを5セット。所がこれもレッグプレスの重しを上げる帯が延び切っていて遊びが多すぎ、余り負荷が掛らない。仕方ないからニーエクステンションを多めにやったがスクワット後のあの腿がパンプする快感は得られない。
その後基本、とストレッチをやってマッサージベルトを掛け、約2時間の練習を終えた。それからまた30分ほど車で走ってカイロへ。そこで聞いたので近くの西之表市の体育館を下見したら立派なマシーンが置いてある。始めからこっちにすれば良かったと思ったが、またこの次と引き返す、帰路Iより「先生、なんかおいしいシーンがあるそうで」と電話、「馬鹿コノ!不純なことを考えるんじゃね−」(2日後、今度はKからも同じような電話。チミ達はとうてい“芸術”には縁がないからなー)
結局、5時過ぎに帰ったがまだ昼飯を食ってないのに気が付いた。今更昼飯でもないと部屋の片付けをして、そのまま風呂へ。なんと昼飯抜きだとは言え体重が86キロまで落ちていた。やったー!また飯を食えば増えるとは言え、確かに大した練習もしていないのに体重が増えないのを感じてはいたが、台詞覚えのストレスてのは体重を減らすのには結構良いかも。病み付きになりそう!?
帰り道に、明日も午前中はないという事なので、我慢していたノドがとうとう疼き出し、いつも風呂帰りにネオンが眩しかったカラオケスナックへ。衣装さん(業界用語が自然に出てくるね−恐いね−)が山形出身で、川上さんのマネージャー、Kさんが福島県(しかも、同じ年)という事で“奥羽列藩同盟”を組んでいたのだが、人が歌ってるのに、聞きもしないで自分の歌を探してるから“奥羽列藩同盟”解散だ!などと騒ぎながら10曲ほど“がなった”。そのうち地元の祭りだそうで表を練り歩いていた集団の中から顔を手拭いで隠した女の人がふたり入って来て艶っぽく踊り出した。お捻りを渡したなら、明日が成人の日で休みだから、今日にしたと話してくれたが、何処でも伝統行事の継承には四苦八苦しているようだ。なんにせよ地方独特の行事を見れた事は収穫だった。それにしても、来て8日目でやっと、人里に降りてきた熊のような気がした日だった。一時就寝 。
1月14日(月曜日)8日目
5時半起床。昨日のが少し残ってる。膝が恐いが、昨日のカイロで少しは良いようなので、6時に堪らずグランドに飛び出しトレーニング。南の島の朝6時はまだ満天の星空だ。こんな星空の下で走れるなんて嬉しくなってしまう。今日は暑いぐらいでトレーナーの下に着けていたアンダーウェアーを脱いで走っても全然寒さを感じない。8時まで結構良い練習が出来た。それからシャワー、朝飯、洗濯と9時半までに済まして、この文章を打ってる。
横で正哲が小さな額に入ってこっちを見てる。去年の成人の日はかなり辛かったが、なんとか歩いて来れた。今の俺の事を正哲はどう見てるのだろう。「親父また、変なのに手をだして恥じかくんだから、止めろよ」と思ってるのか、「お父さん、これって結構大事な事だと思うから頑張ってよ、今後、俺みたいなのを出しちゃ駄目だよ」って言ってるのか。俺の役は子供を暴走族に殺されて傷心で島に帰って来た叔父が、殺人者になってしまった姉の息子(と義兄や姉)をなんとか目覚めさせるという、相反する立場にある難しい役だ。島に呼んだは良いがこれからどうすれば良いのか悩む夕食時のシーンで、内面を象徴するものがなにもないという事で、監督さんから、いつも旅に出るときは持ってくるお前の写真を使いたいと言われた時は迷った。もう充分皆さんには供養してもらったんだから、そろそろ自分たちだけの胸の内で思い出すだけにしないと、いつまでも辛い、悲しいでは、みんなにも重苦しい思いをさせると思ったからだ。そこでお母さんや由美子にも相談したんだが、現代の病理とでも言うべき、家族や人間の情愛の目覚めに一石を投ずるものになるはずの、この映画の成功に役立つのなら、正哲も嫌とは言わないだろうと考えて使ってもらうことにした。少しでもこの映画が多くの共感を呼ぶようなものになれば良いと心から思う。それにしてもその甥っ子、南青紀(なおき)役のO君の、お前も持っていた同じコート着た後姿や髪型のなんとお前に似ていることか!
午後からと夕方からの撮影が2回あったがどちらも車を運転するシーンだったが、なんせ沈痛な面持ちでと言われるので、余り上を見れないので目が疲れた。昨日、曲がりなりにもウェイトらしき事とカイロまで出来たので、調子に乗って今朝はかなりそれらしい事をした上に、午後と夕方の空き時間に、南青紀が役に嵌まりすぎたのか元気がないので、チョット稽古すっか?となって小1時間ほど付き合った(今まで遠巻きにしていたスタッフや別の子役の子まで恐る恐る参加してきて臨時の大道塾種子島同好会結成!)事もあるからだろう、かなりな膝の痛みが再発。明日、時間があればもう一軒のところも行って見よう。11時就寝。
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