収容所?日記 パート2

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1月15日(火曜日)9日目
04:18分起床。目が覚めるまで洗濯。にしたってなにも夜中にしなくても良いのに、と思うかもしれないが、結構スタッフが入れ替わり立ち代り使うから、空いてる時に使わないと、また先になってしまう。それに夜中の廃校のトイレや、何処にスイッチがあるか判らない食堂や衣装部屋のガラスに映る自分の姿を見ながらうろつくってのも一興で、中々出来ない良い経験だ。“花子”さーん、や−いってとこだ。

05:00からメールチェック。以前破門にした不良外国人(こう言う場合は“害”人と言っても良いんじゃないかな−)がウィルスを送ってきてウッカリ同じような名前の海外の生徒と間違えて開けてしまったから、そっちこっちに、飛んでいる様で、この所、海外からショッチュウ“I received an e-mail from Daido-Juku, but I don't know what was about. It was very strange.”とか“The last email sent to me had VIRUS so I could not open it or read it. Please send again.”てなのが着く。国内にも飛んでるんじゃないかなー。散々人に世話掛けあがって踏み倒した挙句にこれだ。あのヤローもっとけっ飛ばしとけばよかった!08:00朝食。

09:00よりやっと、20周年記念として出す「はみだし空手から空道へ(仮題)」の原稿に取りかかる。これは大道塾設立時の「はみだし空手」(福昌堂)、それから10年間のドタバタをまとめた「大道無門」(Jick出版)以降、今日までのあれこれを綴ってみようとの本である。前回の「大道無門」(Jick出版)は少し硬すぎたし、時系列になってないので分かりにくいという声が多かったので、その辺も加えて、年次ごとの流れに改変して書こうと思ってる。

午前中は撮影はないので3日振りに部屋の掃除。これは結婚して最高師範に躾られたという訳ではなく19歳のときに家を飛び出して(だろうな−)新聞専売所での住み込み、自衛隊、苦学生兼地下鉄堀り(その反対の、地下鉄堀り、兼苦学生か?)結婚するまでの仙台時代等々を通じて身に付いた習慣なので、大して面倒臭いとは思わない。但し、食い物に関しては全く雑食で、 唯、栄養があるということと、汗を流してビールを飲んで、且つ、簡単に食えるという二点のみが重要だから、昨今のグルメ何とかなんてのは全く理解できない。いつも「作り甲斐がない」と言われてる。その後、先日は邪魔が入ったが(?)これ又、なんとか片付けないと溜まる一方の“積読”(つんどく)の“処理”に掛る。

先ずは「予言されていた日本の行く末」(小室直樹)、この本は何故あれ程優秀だった日本が今日のような体たらくになったのかと言うことを、巷間言われるいわゆる、“戦後教育”のみの責任ではなく、明治維新以降、吉田松陰の教育、“率先垂範”と、“死”を恐れない精神”を捨てた上に、敗戦後の米軍による“日本の歴史の抹殺”が加わり、“破天荒の成果”を上げた為だ、と説いているもので本当に考えさせられるものだ。

最近、日本の再生は、木に竹を接ぐようにして日本に導入した西欧文明に根ざしたヒューマニズムより、日本の歴史に事実としてあった、今流行りの言葉で言えば“誇り高き、自己責任を自覚している者”が多く出なければならないという論が多くなってるのは、いまだに引きずっている「何でも西欧が優れている。日本は駄目な国」だという“敗戦ショック”からの覚醒として喜びたい。

但しいつも思うのだが、これらの論をする人達は、その一つとして“武士道精神”を挙げるが、“武士道精神”の良い所だけを見ているような気がしてならない。これらの考え方は、成功すれば、徳川三百年の平和と明治維新のような偉大な成果を生むとは思うが、一歩間違えば、現実に昭和期の軍閥政治を招いた、という恐れを常に持っている事は忘れてはならないと思うのだ。

浅学非才を省みず、敢えて言わせてもらえば“武士道精神”については、以前「日常の現実として乗り越えるべき“死”があった戦国時代に醸成された“武士道精神”と、“生”を前提とし、“生”をより輝かす為にある“武道精神”は決定的に違う」と述べたが、それは私の中では、いまでも変わっていない。その点に付いてはこれらの人々も同意して頂けると思う。(まさか“生”を前提とした現代において「生きるとは、いかに見事に死ぬかと言う事である(葉隠れ)」とは言わないだろう 。それでは“生きて幸せになる事を目的”に今日まで連綿と続いて来た、人間と文明の進化を否定してしまう事になるだろうからだ。)

そして、“武士道精神”とはある意味で、強い肉体と靭い精神とのバランスを失わないだけの“強靭さ”を持った“天才”が持つのなら正に理想的なのだが、中途半端な、肉体だけが強くて、 “普通の精神“の者が扱ったなら、それは忽ち、簡単に全てを抹殺できる“凶器”になりうる。

本当の死を前提として闘って来た訳では決してないが、少なくとも現代で最も直接的に“肉体”の持つ威力を追求し、同時にその“高揚を体感”して来た者の一人として、又“武道の教育効果”を誰よりも訴え“武道が評価される事”に無上の嬉しさを感ずる者の一人として、更に又、“情”や、“熱”を人以上に大事にしたい者の一人としてとして思うのだが、しかし、「肉体の持つ“狂気” というものを真に理解しコントロール出来る者でなければ、必ず“理”ではなく“情”や、“熱”に振り回される快感に陥ってしまうと言う事と、あくまでも“情”や“熱”は、“理”のコントロールがあってこそ正しい方向に向かう」という事も又、くどいぐらいに再確認したい。

午後は死の床にある“オッカン”の所に、“アンネエ”(姉)を連れて行くシーン。今までより以上に本格的に“芝居”をしている気がする。さすがに、ここまで来ると、どう映ってるんだろうと心配になるが、皆、中々良かったよと元気付けてくれる。19:30分終了。その後は飯、風呂、ビール、メールチェックと、後いつもと同じ。0時就寝。

1月16日(水曜日)10日目
午前中は葬式のシーンで、ただ歩いたりだけで、恐怖の“台詞”がなかったから、今日は気分良くと思ったが、後半、棺を海に送るシーンで、しゃがんだ時、突風が起こり度々、サーと頭から砂を被り耳の中まで入った。子供達も大変だ。その上、結構、長くしゃがむものだから膝が苦しい。今までは台詞で内面的苦痛、それがないと思えば今度は肉体的拷問か、俺になにか恨みでもあるのかと監督の顔を見てしまった。午後は、昨日のシーンの続きで、午前中の葬式シーンの前、臨終の場面。それにしてもアンネエ(姉)役の山口美弥子さん―映画「火垂(ほたる)」で53回ロカルノ国際映画祭、国際批評家連盟賞受賞、ヨーロッパ国際芸術連盟賞W受賞―の演技には圧倒された。

1月17日(木曜日)11日目
03:45起床 いつものようにメールチェックとこの「収容所日記」。06:30よりトレーニング゙、08:00迄。09:00 出発。今日は、海岸のシーンで折角、隠れ家に匿ったのに、表に出て村人に見つかった姉を叱りに行くシーン。怒りを込めてズンズン歩いてくれと、これは地で行けば良いから一発OK。娘役の“まひる”は年末のテレ朝の2時間ドラマ「君の手がささやいている」の主役をやった、谷口 舞ちゃん(今回は“まいちゃん”が2人と“まいこさん”が1人だ”)。娘役だが芝居では先輩だから、流石と感心する事がしばしばだ。“果蓮”は、地元、種子島でのオーディションを通った、まだ、幼稚園の、園田萌絵(もえちゃん)。劇中、良くまひるの真似をしてオウム返しに話すしぐさが本当に可愛い。

その他のシーンを取ってる間、「諸君」2月号の「サンフランシスコ講和条約」50年、という特集で日本の国格―「東京裁判」と「吉田ドクトリン」をこえての「『ハンディキャップ国家でいい』と嘯(うそぶ)く高官の実名」の中で、軍事をアメリカに任せて経済に集中するのが、日本にとっての賢明な選択だとした、いわゆる「吉田ドクトリン」は確かに敗戦後の選択としてはやむを得なかったかもしれないが、後日、吉田茂首相自身、側近に「日本が今日の様に、独立して、経済大国になったからには、国際的に見ても自分の力で国を守る事は必要だ」と言った。しかし、いまでも政治、経済、文化をを呪縛し、政治は問題を先送りし、小手先の対応で凌いでいる。日本はこれからいかに生存していくかという、重大な時期を迎えている。同じ敗戦国であったドイツは、「ドイツだけが特殊な事情で国際的責任を逃れる事は出来ない」と問題に直面すると、その解決のみならず枠組み自体を作り変え欧州を代表する国家に返り咲いた、とか、高坂正暁の遺言、「やがて『精神の崩壊』につながる」―憲法の改正を考えずに現実対応主義でで出来る内はそれで良いが、ある所を超えれば、それが精神の崩壊に到る)、等などを読み、一々納得と言う所だった。

後半の、「向田邦子の描いた“家族”の復権はなるか」、で父権というものが消滅した原因を「スポック博士の育児書」と月給の銀行振込みだと言っているが、それも原因の一つではあろうが、第一の大きな原因は上の諸々、特に、力を全て否定した為に、父と母の区別(差別ではない)がなくなったからだと思う。(詳しくは「この度の映画制作参加に付いて」)それにしてもこんなに本を読む時間が取れるなんて東京では考えられない。第一、空手を始めて30年になるが、こんなに道場を離れたのは始めての経験だ。

午後は村人達が突然、南青紀とその家族を許すような行動に出るところが納得できない、と役者さんと監督の議論で4時間程(!)平行線で、2つの場面の予定が1つの場面しか撮れなかった。とうてい俺のような常識人(?)には入りこめない監督独自の幻想的、抽象的世界だ。

宿に帰って、気分転換に焼酎 「魔王」を“生(き)”でコップ3杯程飲んだら少しは気分が回復した。適当な所でシャワーを浴びて出てきたなら、衣装室の方で、聞き覚えのあるヴァイオリンの音色、なんと、この映画に特別出演している、米国ヤング・アーティスト国際オーディション第1位、京都芸術祭京都府知事賞という、ニューヨーク在住の国際的ヴァイオリニスト、神尾真由子嬢が生で、しかもあの名器、“ストラティヴァリウス”(下世話な話だが、2億5千万円!だそうだ)で、一般的“クラッチック”ファンの人気定番、メンデルスゾーンのヴァイオリン・コンチェルト、ホ短調作品64を弾いている!(か、チャイコフスキーのニ長調作品35。“見栄”の為にも何度も曲名を覚えとするだが、なんせテープの両面に入っていて、俺の耳には物凄く似て聞こえるので、いまだに覚え切れない)

なんかあったの?と驚かれながら、大急ぎで2階の部屋へ駆け上がりビデオカメラを持って部屋に戻るともう終わっていた!焼酎も入っていたからだが(この落差!)なんとかもう一度と頼んでビデオに収めさせてもらったが、感激!感激!。まさか、ここでこんな経験をするなんて。この映像は間違いなく我家の貴重な映像の一つになるだろう。気取るわけではないが、こう見えても俺は演歌だけでなく、結構 “クラッチック”(クラッシックと言える程、上等じゃないからな)も好きなんである。

この曲は以前なんかのウィスキーの宣伝でそのテーマが流れて以来のMy favorite classicの一つだ。実に多くのクラッシックの名曲がコマーシャルに使われるから、聞いて良いなと思ったなら調べて見ると、普段は全く縁のない、“文化”の香りぐらいはかげるものだ。その後、前から誘われてた、悟志の“漁師の先生”の家へ行き、大きな伊勢海老や烏賊の刺身と、三峰(みね)と言う焼酎を飲まされた。途中、気が抜けた日だったが、夜は“幸せ”だった。23:45就寝。

1月18日(金曜日)12日目
03:45起床。7時までメールチェックと返信など。8時出発。今日は悟志が、謝罪も反省もしない大野家(南青紀の家族)への苛立ちを、子供を失った相手の家族の事を考えろとアンネエにぶつけるシーン。この映画の一つのハイライトなのだが、こんな重い台詞は正気では出来ないと思って腰が引けていた所、昨日誰かから、台本が変更になって別の表現になり悟志の台詞がない、と聞きほっと肩の荷が下りた気分で食堂に行った。所が突然、これが今日の台詞です、と10行もあるページを渡された!エーと言ったが後の祭。当然でしょう、と言った面持ちに反論する気もなくなった。

方言があるからなお難しいが、よーし、こーなったら、これが最後の長い台詞だ、これが済めばあとは峠を越えたも同然だ。明日からは明るい気分で残りの日々を過ごせる、と何とか気を取り直し、必死になって繰り返しなんとか覚えながら現場迄行った。所が何たる事か!なんとなく行く前から雲行きが怪しいなとは思っていたのだが、現場についた頃から、ポツリ、ポツリと降り始め2時間粘ったがとうとう諦めて順延となった。気合が入った分、急速にやる気が薄れ、バスの中は暗ーい空気が充満、宿舎へ。

普通ならこの時間を使って西之表市まで車でウェイトでも、となるのだが、高潮した分ガックリしたし、雨のため膝もいたいので、部屋で数日分の日記を打ち込む。風呂に行く時、子役の大高力也君をいっしょに連れて行ったのだが、この子は今そっちこっちの大道塾のHPで話題の、“仮面ライダーアギト”とやらの役をやってる大高力也君、というやはり大物子役だそうだ。ファン(?)のOやS、Tに生の声を聞かせたなら大喜びだろうな(?)と思ったが携帯を忘れたので、又の機会にする。夕食の後、夜は鹿児島市から出張するというマッサージを受けたからか、22時半頃に眠くなったので少し早いが就寝。

1月19日(土曜日)13日目
やはり昨日寝るのが早かったから、今朝は03:30起床。04:00よりメールチェック。相変わらずパンクレーションは揉めているようだ。日本側としてはルールが今のままの寝技主体では参加できない、としているが、瓢箪から駒という事もあるし目は離せない。先日帰った例の神尾真由子嬢(恐らく一緒に来ていたお母さんだろう)から「映画出演楽しかった」旨のメールが入っていた。“技術”を通して自分を表現し、人間を練り、人生を生きる、という意味において、武道家も、芸術家も、技術者も共通のものがあると思います。焦らず、弛まず歩いてください、と。お母さんには“才能”を育てるご苦労も大変だと思いますが、頑張ってください、等と年を嵩に偉そうな事を返信した。Mからも、支部の運営を巡っての質問あり。

08:00から、村から隠す為とはいえ、大野家をあばら家に連れて来た事に対する罪悪感を表現するように、などと本物の役者さんでも難しい事を又も要求する“カントクサン”。続いて、先日絞めた鶏肉ですき焼きをふるまうと、生物が殺される事に敏感になっている南青紀の妹、花鷲見(かすみ)が拒否反応を見せるシーン。台詞がないので、俺の動きはかなり臭かった筈だ。あれば覚えるのが大変だし、なければ動作がぎこちないし、 オラ知らん! 撮影が進むにつれ腹の具合が悪い。これは虐(いじ)めだな!この花鷲見(かすみ)役の、斎藤麻衣ちゃんは映画「千年の恋―ひかる源氏物語」の“紫の上”の役や、7月に公開されるウルトラマンのヒロインをしたりの、これ又“大物子役(やっぱり変な表現だな)”。“可愛いい”とか、“綺麗”と“美しい”が一緒になって、お嬢さんやお姫様役が似合う“女の子”と“美人” という言葉がぴったりの“女性”の中間にある高1の子だ。

午後も1シーンあって、例の物凄く長い台詞をさせられると“繊細な”神経をビクビクさせていたなら、突如として “ああ、あれは無くなりました” と平然と言う“カントクサン”!それでもこの時ばかりはこの“心変わり”が有りがたかった。出来ればあんな重い台詞からは逃げたい。19:00から夜の撮影。東京の“本妻”からこれからビジネスマンの新年会に行って来ます、の電話あり。俺にこんな事を押し付けた“某”東大教授も出席してガブガブ飲むんだろうな―、チキショウ! 21:00に帰ってきてシャワーをしたなら、ここの管理をしている本物の“元先生”のH氏とその教え子のIさん、それに、今回ボランティアで料理長をしていてくださる、陶芸家のI氏 等が一杯飲りましょうと待ち構えていて下さったので、今日、東京から届いた“モルツ”を持参して(南種子町の酒屋にはモルツがない!)焼酎と一緒に01:00過ぎまで、昨今の“わけーもん”の横行を憂いながら、いつもの“武道教育”の大事さを捲くし立てたが元先生の“げんおじ”にも同意して頂いた。01:30就寝。

1月20日(日曜日)島流し14日目
05:30起床。夕べの焼酎も旨かったし、今日は大して出番はないし、しかも午後から“ノンビリ”で良いと爽やかな目覚め。一番に朝飯(メシ)を食いに行った。昨日は飲んだ後のラーメンもないので、飯がいつも以上に旨い。幸せな気分でいる所に、背後から怪しげな“殺気”!案の定、件(くだん)の“平然と言うカントクサン”が来て平然と“ハイこれが今日の台詞です”と来た、思わず“回しげり”の態勢に入ってしまった!しかも、なんと昨日より増えてる。きょう日、外貨預金だって、こんなに増えないだろう。なに考えてんだこの“奸(かん−よこしまな)督”は!

しかし、一旦は“逃げよう”と思った俺だが、ここまで、“喧嘩”を売られたんじゃ買わない訳にはいかない。いつものように、上等じゃないか!となってしまった。さあ、それからは兎に角、先ず内容を掴み、台詞を暗記し、しかも生意気と、自分なりにこうした方が見てる人に訴えるんじゃないかと思う所を工夫して“患特(特にわずらっている)”さんに相談してOKを取った。ひたすら、反復練習、反復練習と約50回!何とか15:30のリハーサルに漕ぎ着け、“アンネエ”とも台詞の確認をして、いよいよ“本番!”途中何度か胸が詰まり、南青希と正哲を言い間違えそうになりながらも何とか、夢中になって言い終えた。台詞も一行言い忘れたし、自分ではリハーサルの方が良かったかなと思ったがOKだった。この為に、遠い所をここまで来たんだと、力をいれたので、精も根も尽き果てた。宿舎に戻り丼飯を食った。風呂のあと21:00頃戻ったなら、皆さんから、昨日“妻強(または妻恐)師範”が送ってくれた、Tシャツ有難うございましたと言われてホッとした。却って皆さん有難うございました。

1月21日(月曜日)“入所” 15日目
昨日は本当に疲れたので11時前には寝たのだが、やはり01:30に胃の辺りが重苦しくて目が覚めた。なんか腹にでも入れようと食堂兼談話室に行ったなら、若いスタッフが4、5人いてスーパーバイザーの譲(ゆずる)さん(日本の代表的な照明のエキスパート、度々国際批評家連盟賞を受賞)の“ワイルドターキー”で3時前まで話し込んだが、一人で飲みたくなったので、日本酒を持って部屋に戻った。もう04:00か、もう少し寝よう。

07:00再起床。この所Outlook Expressがウィルスの為だろう使えなくなってるので、何とかしようと悪戦苦闘するも、なんせ“ハンドルドライバー”みたいなもんだから、時間だけ食ってさっぱり好転しない(その上、“困った時の森頼み”もさっぱり連絡が取れない)その上、昼も夜も撮影なので3日も体を動かしていない。迷わずグランドへ飛び出した。1時間半ほどやって部屋に戻ったなら気仙沼の姉(本当の)から留守電があったので電話。やはり今回のことは賛否両論みたいだ。あいつの死を無駄にしない為にと、俺なりに考えての事だから色々言われても、と覚悟してたが、少し滅入った。

09:00から溜まってた洗濯や、やっと連絡が付いた森の手引きでOutlookでメールアカウントを設定して、やっと19日以降のが見れたのでその整理。14:00から撮りのこしていた、島に着いた日のシーン。2週間も経ってるから、髪の毛が伸びてるのでどうかと思ったが、台詞はそれらしく言えた、と思う。次の場所に移る段になり、天候急変の為帰ってミーティングとなった。嫌な予感(?)がしたが案の定、口角泡を飛ばし16:15から19:15まで。夕飯をはさんで21:00迄は俺も付き合ったが、あとはギブアップ。恐らく武道の話をしているうちの連中も、門外漢がその場にいれば、こんな感じに映るんだろうなと思った。しかし、幸いな事に明日は“撮休”となったので、絶対10日振りの“ウェイト”をするぞ。というような事を思いながら、部屋の掃除をして寝る前のトイレ、の帰りに、談話室前で“運悪く(?)”主演の山口さんにつかまり、又“宴会場”へ!山口さんの夫役で、悟史(“志”じゃなくてこっち“史”だった)のあいじょう(義兄)由紀夫役の真名古(まなこ)敬二さん(小劇場時代の幕開けとも言うべき「自由劇場」出身で、舞台や映画の名作「上海バンスキング」等に出演)も、明日は休みという事で皆“大フィーバー”。結局、1時半就寝。最後は4時だったそうだ。

1月22日(火曜日)16日目
04:30起床。食堂に降りて行ったなら学生スタッフの一人が飲み潰れていた。完全に熟睡していたのだろう、息の音が聞こえなかったので焦って何度か顔を叩いたなら反応したのでホッとする。こんな感じだったんだろうなー、息をしていたのが分かったから安心して離れたなんて、ましてや海岸で波の音があるのに、聞こえる訳がない。 いつも通りの朝を過ごして09:00頃、家から電話があった。「HPをみたけど“アンタ”も一応いろいろ読んだり考えたりしてるんだ、どうせ受け売りでしょう」等とエラソーな我家のお嬢様から。「ま、何でも良いから教養(強要?)を高めなさい」と言った所、「お父さんもね」と来た。「女子と小人(心の狭い小人物)は養い難し(扱いにくい)」だ。

10:15西之表に向け出発。11:15より先日目星を付けておいた体育館のトレーニング室で13:00まで。さてシャワー、税金で先取りされてるとはいえ、250円でトレーニングできて温水シャワーまで使えるんだから、有難いね−と赤い蛇口をひねったなら空回り!まさかと思ったらその、まさかだった。一気にロシアの悪夢が甦り、急いで拳立て100回して気合で“瀧行(たきぎょう)”!どこまでも修行は続くのであった。14:00先日とは違うもう一軒のカイロ。一触、「良くこんな腰で練習してますねー」と来た。「東京では1週間に一回矯正してもらってるが、こっちに来ては中々休みが取れない上に、ここまで遠いんで」と言ったが、中々本格的で、かなり感じが良かった。16:30宿舎に戻ると先日の夜の若いスタッフに稽古をつける約束をしたので待ち構えられていた。トレーニングも良かったしカイロも良かったのであとは風呂だと思ってたが、約束は約束だ、ジョートーじゃないか!ヤッチャル!(台詞の影響でかなり関西弁が入ってきてるなー)17:30より日記。諸々で23:00就寝。

1月23日(水曜日)17日目、残り“刑期”、4、5日
03:00起床。下の食堂に行ったらスタイリストのスタッフが3人いた。“オッハー”と言ったなら「これから寝るんです」と来た。彼等も連日睡眠4、5時間で頑張ってる。03:30より、パソの前に座るがメール、又、調子悪し。しょうがないから昨日の分の作文等。それにしても島の天気は変わり易いと言うが、本当に一日10回位変わる。今朝は雹(ひょう)だ!あの日光浴をした日々はどこへ行った?

今日は元々午前中がない上に、他の人達の午前中の予定が午後に順延された為、16:00過ぎまで待機。ないならないで別の事をするんだが、“待機”というのは、いつかは呼び出されるので、そうもリラックスできない。待ち構えているのも疲れるとは、流石(さすが)“収容所”である。

暇なので例によって本を読んだり、17日の続きを考えたりした。憲法問題などという“畏れ多い”ことについて半可通の俺が物言ったりしたなら、専門的に研究している人達に何を言われるか、どれだけ小突き回されるか分らないので、余計な事は言わない様にしてきた。が、暇だと余計な事を言いたくなるものだ。その程度の話として聞いてもらいたい。

さて、憲法を常識的な頭を持った人間が、常識的に読めば“戦争はしない、軍隊は持たない”と言ってるのに“自衛隊”などという正に“言霊の国(井沢元彦「逆説の日本史」参照)”を絵に描いたような言葉を創り、内面的にはどうか判らんが(一般的に“誇り”を待たないで“命懸け”を前提とした仕事は出来ない、と俺は思う)少なくとも、金額的には世界第2位の、立派な“軍隊”を持ってるのに、これは軍隊ではないなどという、“正真正銘の詭弁”が罷り通っている。事実、海外では、SDF‐Self Defense Forces(自衛隊)等という“学術的”言い方より、単純に“Japanese Army(日本軍)”と呼ぶ人が圧倒的に多い。こういった戦後の“詭弁(政治姿勢?)”が“何でもあり”や“四の五の言わないで、やったもん勝ち”とか“理屈はあとから列車で付いて来る(民社党、春日一幸談)”といったように社会に反映し、訳のわからない、筋もヘッタクレもない社会風潮を生んだのだと思う。(これが、前述した高坂氏の論「(憲法)問題に根本的に対応しないで、現実的対応のみを続けたなら、やがて精神の崩壊が始まる」と言う事なのだろう。

もうそろそろ、我々もそんな“詭弁”と“ダブー視”は止め、“軍”の存在は事実として認め、はっきりと国民的憲法論議をして、その能力、権限、義務の範囲をはっきりさせないと、それこそ国会議員の“数で押し切られ”、今回のアルカイーダの“ニューヨーク国際貿易センター”への“自爆テロ”への対応策“テロ対策特別措置法(特措法)”の成立に、小泉首相が「条文と条文の隙間を狙った」と公言するような“なし崩し”的対応を招くだけだし、継子(ままこ)扱いされてきた事に対する、積年のフラストレーションが溜まり、爆発する可能性だって生じで逆に危険ではないのか? 逆に、与党の方にしても、あの事件以来“世界が変わった”と言われる正真正銘の混沌の時代になったというのに、相も変わらず、憲法学者ですら意見が分れるような、一貫した法体系を持たないで日本丸をちゃんと運行して行けるはずがない。今、それ(憲法論議)をすると“神学論争”になるか、否決される恐れがあり、二度とない機会を失ってしまうから、と言うのがこれまでの“国政の現場”を預かる側の言い分だろうが、しかし、現実対応策を重ねて来た事が、上記のような“アミノー”(秩序、規範、道徳の喪失による社会的混乱)としか言いようのない社会風潮を招いて、“守るべきはものはあるのか?”という日本にしてしまったのではないのか?正に「憲法残って国滅ぶ」である。常識を持った日本人が、年々少なくなってきている昨今そろそろ限界だろう。

勿論、必ずしも、“普通の国”になろうとして無理に“軍事”にコミットしたりせず、みんなの合意であるならば、“理想”を求めて過去に例のない“武力を否定した国”もしくは、現在の“曖昧なままの自衛隊”程度でお茶を濁す方法を取って見るのも一つの道だろう。要は自己(日本国)の意志をハッキリさせて物事に対応しないと、対等な相手とはされず「金さえ出してくれれば良い」と“舐められ”他の国からの“侮り(あなどり)”を招き、好いように扱われるだけだという事である。それでも良い、 他国から何を言われようが、今のままで何ら国際的な物事には主体的に関わらないで、なるべく経済的に対応して、その場凌ぎで“平和第一”で行くべきであるという、所謂“奴隷の自由”という考えもあるんだろうが、それはそれで“自由な選択”だから良いとして、それも含めて一度“国の意志”を明確にさせるべきだと思う。このままでは“立ち腐れ”あるのみだ。ま、俺はあとせいぜい10年か長くても20年ぐらいの命だろうからそれでも良いが。

18:00より病院で“殺人者”である南青紀が、海辺で救った若い妊婦の子供が生まれる。徐々に生命の尊厳に触れて、自分を取り戻して行く南青紀。本物の生後10日の赤ん坊を使ったので、本当に感動的な場面だ。思わず胸が詰まりそうになった。後で真名古さんに、「東さん、分りましたよ」と言われた。20:00宿舎。シャワーをしたり、飯を食ったり、“晩酌”をしたりで、21:30迄。部屋に戻りメールチェックして23:30、さて就寝前の寝酒、のつもりで下にいったなら、例によって真名古さんや若いスタッフが、一緒に焼酎を飲みながら語り合っていたので、チョット一杯で01:30迄。

収容所?日記パート3へつづく

映画「カタルシス」制作参加について | 撮影所写真

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