東孝
モスクワ日記 初日 平成14年4月5日
現在、モスクワ。今年は、新年は大して寒くなかったのに、今になって寒さがひどくなって、最近は夜には-15度(!)、昼は暖かくて+2,3度という所らしく、日本時間12:00出発で11時間のフライトの後、時差−5時間で着いた今日18:00も、シェレメチェボ空港には雪がチラホラ。先行きを不安がらせる天気だった。しかし、迎えに出ていたゾーリンとアナスキン両支部長の、「今回、他の旧ソ連圏からは、去年の世界大会出場の為、経済的にきつくて余り出場はないとの言葉に少しホッとする。というのも気が悪いと思われるかもしれないが、日本の武道を取り巻く環境を考えた時、元々体力に優れている彼らにばっかり良い条件が重なっちゃー、練習量でしか対抗できない日本勢には悲し過ぎるという点もご理解頂きたい。
特に、予定していたウラジオ組の超級優勝者、デニス・グリゴエフや、中量級2位のダシャエフ・ベスラン等は出ないそうなので“恐怖体験”は先送りできそうだ。だが、結構良い選手を抱えていてる、ウラジオの古参分支部長、マラホフが来てるし、世界大会には国内選考で出れなかったが最後まで塾長推薦の特別枠を懇願していた、フィリポフのライバル、アルジャコフ(北斗旗は18歳の頃から数回出ている)や軽量級世界2位のシニュウチン・デニスは出るみたいなので、そう安心も出来ない。
19:00より宿舎であるモスクワ有数の5ツ星ホテル、AVRORA、MARRIOTT HOTEL のAURORA RESTAURANTでロシア組の両支部長とベゼルチャコフモスクワ支部事務長(’97北斗旗中量級優勝者)、通訳のディーナと運転手で今回中量級に出る、ロメオの五人。ちなみにディーナは、偶々(たまたま)里帰りでモスクワにいたのでモスクワ側が声を掛けて手伝ってもらったらしいが、元々はモスクワでの通訳をしてくれていた女性だった。最近、日本人と結婚して日本に住むようになって、前より一層“妻強師範”の007化してるので、よく大道塾総本部の集まりに顔を出す。知ってる人は知ってると思うが、元は、6歳の時からモスクワで新体操の英才教育を受けたというスタイル抜群の超美人だ。
それに日本組の6人の合計11人でホテルのレストランに集まって大会の成功を祈念し乾杯!(乾杯の名目はいくらでもある)。食事会兼懇談をしていると中2階からは、ピアノの妙なるメロディーが流れてくる。ハイソだねー。ロシア、二回目の稲田は別に、皆、ロシアにおける大道塾の定着と武道の世界的価値に改めて感心の様子。食事を、21:00頃に済ませて、このホテルのマネージャー兼セキュリティ長である、フィリポフの管理するジムを見学し、各々部屋へ。それから少し本読みやメールで01:00就寝。
モスクワ日記 2日目 平成14年4月6日
飛行機の中でビールと本読みの合間の一寸寝の為か、夜中に何度か起きながら5:00起床。来月の「イタリア&フランスセミナー」の為のメールを関係各国に数本と、モスクワ日記スタート。7:00頃から例年はジムで汗を流しサウナ、その後朝食となるのだが、まだ腰と、それから来ているらしい右膝が本調子ではないので、膝を着いての腕立て伏せと上体起こし、プールでの水中歩行と腰に負担をかけない運動だけでもと思い、1階に下った。
そうしたら、どうせ昨日は物珍しさから遅くまで“クダ”を巻いて夜更かしをして、寝坊しているんだろうと思っていた連中が意外に(?)みな練習していたのは、意外だったが少し嬉しかった。本当はこれが当たり前なんだが・…、最近俺も甘くなったと言われるはずだ。連中の練習場から離れプール&サウナエリアに行って小一時間ほど、上記のトレ&サウナ。然(さ)もない“トレーニング”だったが、しかし、この二、三年の何がなんだか分らなく、止まると変になりそうで遮二無二突き進むしかなかった日々にも、俺を支えてくれた“体を動かす”という事の重さを改めて考えさせえくれた。今の日常から運動を取ったなら何が残るんだろうと考える事は本当に恐ろしい事だ。
9:00から皆で朝食。やはり、昨夜、私(今回は品良く、私、で行く)が部屋に入ってから、五人で街をうろついたらしい。危ないから駄目だぞといったのに、到底、普通の日本人では危なくて出来ない事が出来ちゃうんだから、過信してはいかんが、武道の力を考えずにはいられない。そんなこんなの後は、ここでもやっぱり、ロシアの女性の綺麗なことや、ロシアという国の大きさ、それ等と堂々と対峙(変な意味ではなく、少しはあるか?)出来る、武道の偉大さ、そしてその武道に縁を持てた人生の有り難さを、代わる代わる述べながら、朝から腹一杯(!)食べた。
10:30、部屋に戻り、この日記と体力別時の定例会議の書類作り。12:00より選手連中はベゼルチャコフの案内で市内観光へ。私は14:00より両支部長と通訳のディーナの4人で足の下がガラス張りのプールになっていてチョウザメなんかが悠々と泳いでいるレストランで昼食。15:00より場所を、中東などでよくある水タバコを吸いながらリラックスする、喫茶店(?)ヘ移して、ロシア国内の運営についてのミーティング。ここはアナスキン支部長の、リラグゼーションルーム兼、瞑想エリアみたいだ。どこでも個性派集団の先頭に立つのは疲れるようで、二人の愚痴(?)を三時間(!)も聞かされた。
解る、解る、しかしまだまだ、これからなんだよ本番は。お前たちが育てた選手が増々“有名人”になって、マスコミが連中の回りに集まってくると、若いだけにややもすると“勘違いする事”も起きてくる。又、書く方は通り一遍の「押忍!」より、トピックスになるような、なるべく先走った“話題”になるような事を引き出そうとするから、何だかんだと軋みも出てくる。今のお前たちのなんか100分の1だと言った所、素直に納得されてしまったのには拍子抜けしてしまった。
18:00、一旦ホテルに戻ってメールのチェックをしたら、妻恐師範よりの怒りのメッセーッジ、「そんなんじゃねーだろうが、この!」と思いながら、下で待ってる三人の所へ戻ると、今度は19:00から夕食だと!体の大きいい外国人相手でも、体をいつも通り動かしているなら、“飲み食い”だろうが、そう遅れを取る事はないと自負(?)してるが、運動がままならないで、連中と付き合うと、本当に腹がすぐ“くちく”なる。グランドオペラとか言うシアターレストランといえば良いのかショウを見ながら食事が出来るレストランで「サー何を食べますか」と言われてもなー、さすがに軽く前菜(といっても優に日本人が食べる主食分はある)のあとに、最高級だというキャビアと魚料理を出されたが1/3ほど残しそうになったら、ゾーリン支部長にエッという顔をされたので頑張って流し込んだ。23:00頃帰ってまたメールチェックし、雑誌読みで2:00就寝。
モスクワ日記 3日目 平成14年4月7日
今日は試合後のパーチィーがあるので体調を整えなくてはならない。朝、又例によって下のジム内のプールに行って、まずサウナに15分入り体を温めてから、膝を着いての上体だけでの腕立て伏せ120 と上体起こし100、背筋100を1セットにし、5セットしてから又、サウナに15分入る。これで今夜の準備はOKだ。食べっ放なしの今回だが、少しはウェイトコントロールにはなるだろう。9:00試合会場へ。今年からは年二回、全ロシア選手権として春はモスクワで秋はウラジオでという話だったので、この後の、イタリア(ヴェネチア)&フランス(パリ)やスペイン(バルセロナorマドリッド)&ドイツ(ベルリンorフランクフルト)でのセミナー、それに全日本体力別との兼ね合いもあり予定が二転三転し、おまけに例年の会場が火事で燃えてしまったというトリプルパンチで客の入りがいつのも半分以下だった。
試合の模様は浦和の渡辺支部長のレポートにある通りなので割愛するが、因みに軽量級優勝者は世界大会で一躍世界レベルに知名度が上がったシニューチン・デニス(大会のアナウンサーはあと2回は世界大会にでれるでしょうとハシャイデいた)、2位は前述した、マラホフの弟子のレオノビッツ・マキシム。中量級優勝、ダシャエフ・ベスラン、2位は始めて聞くアゴピャン・A(アレクセイか?)という選手。軽重量級の優勝者はネクレヨノフ・セルゲイ、2位はフェセンコ・ドミトリー。重量級は優勝ゴルバチュク・イワン、2位が去年優勝のクピフェル・アンドレ(今回稲田が負けたクピフェル・ミハイルの双子の兄) 超重量級 は予想通りアルジャコフ・セルゲイで、2位が去年4位のモロトコフ・マキシム。
試合の感想を一言でいうと兎に角、“体力差”の一言に尽きる。青木のカウンターの膝が良い感じで入ってもなんのその、そのまま突っ込んできてフックをぶん回す、マウントになったかと思うと、跳ね飛ばされる。稲田が貰ったパンチもノーガードになるのは悪い癖だが、狙ってたというより偶々入ったのだが連中にすれば普通のパンチで“ぶん回した”わけじゃない。それで稲田がコロッといってしまう、怖いというより、ため息をつくしかない。
いつも言ってるように、海外勢と戦う時は同じ階級でも相手の体力は1、2階級上だと思わないとどうしようもない。そういう意味でも最近、中量級以下の選手で体力別には出るが無差別には出ない、という選手が増えているのは憂慮すべき事である。無差別で自分より体力のある選手と五分にやれる基礎体力があって初めて、世界レベルでは同じ階級の海外勢と闘えるのだという事を、四年後を狙う選手は、再び肝に銘じて欲しい。
20:30試合終了、白夜ということもあり、暗くなるのが23:00以降だから去年の22:30終了(!)よりは随分と早い気がする。22:00より“パーチィー”。挨拶で「大道塾、空道の素晴らしい所が三つあるのは知ってると思うが、1つは実践性、2つは安全性、3つが“見て解りやすい”とか“面白い”(これに競技としてよく整理されているという意味で“競技性”という場合もあるが) であるが、実はこれにもう一つ、試合のときは、親の敵(かたき)みたいにしてぶん殴りあっても良いが、終わっては兄弟のように“杯を交わす事”も同じように大事な事だ」といったところ皆喜んでいた(今後はこれを「酒交性」とか「宴会性」でも言うか!?)
日本軍の稲田は日本人同士の飲み会でもコークを飲むのに、前回はモスクワの選手らに「サムライじゃない」等と突付かれてムキになってウォッカのドットナ(一気飲み)をして大変な目に会っているので、ゾーリンが又、茶目っ気を出して勧めるのを止めたなら、今度は矛先が牧野に向かった。その牧野は「いやーウォッカ美味い!」等と言うものだから、スポンサーで弟子のコバリョフが、これ幸いとばかりに「ロシアの軍隊では男同士はこうやって飲む」などと手の甲に置いたり、腕に乗せたり、グラスを口で直接咥えたりと、様々な方法でやって見せ、牧野を煽り、ワサビ入りのウォッカを、どんどん注ぐ。その内私も、そっちこっち回って“外交演説”をして歩いたから、その後どうなったかは分らなかったが、次の日、会ったなら「牧野さんは大変でしたよ、先生も一緒になって飲んでたはずなのに平気なんですか?」と同行したY君が聞いてきたから結構利いたのだろう。
実は、ウォッカの飲み方にはコツがある。ロシアに来るようになって十数年、七転八倒の苦しみの果てに私が会得したウォッカの飲み方は、口に運んだならそのまま喉に落して、絶対に口に入れて味わってはいけないというものだ。それともう一つは出来れば飲む前に駄目なら飲みながらでも良いから“一生懸命”にタンパク質系のものを食う事。勿論これも一定程度の“アルコール体力”と飲む量にもよるが・・・。これらの心掛けなしで、連中の一晩に最低、参加人数分はある“ドカンツァ”(これもドットナと同じで底まで飲むとか何とかという意味)に付き合っていたなら肝臓がいくつあっても間に合わない。アルコール分解酵素の少ない東洋人はたちまち“出来上がってしまう”。
1:00頃部屋に帰ろうと思った所、すっかり出来上がってる牧野が、明日帰るY君のために送別会(一日しか変わらないのに)としつこく騒ぐのでカラオケハウスへ。そうなったらそうなったで敵に背中を向けないのは私の主義だから4:00頃まででマイクを半独占し歌いまくった。2:30にホテルへ戻り、3:00就寝。部屋に帰った牧野はそれから、すっかり大変だったらしい。
モスクワ日記 4日目 審査会 平成14年4月8日
さすがに8:00起床で朝飯をくい、10:00より昇段審査。膝の心配があったので今回は稽古着を着ないで大人しくしている積もりだったのだが、つい見かねて、こうだと膝をひねった瞬間、激痛が走り、立っていられなくなった。みっともないからと頑張ろうとしても、足を着地した途端に、又激痛がしてどうしようもない。しょうがないから終わるまで口頭での指導となってしまった。件の牧野は顔を真っ赤にして「今日は駄目だ!ロシア人とド突き合いたかったのに」と騒ぎまくってるので、稲田と青木にマススパーの相手として参加させた。結構頑張ってたから何とか少しは名誉回復したか。
15:00に終わって早速アナスキン支部長が推薦するカイロみたいなのに連れて行いてもらったなら、帰りは見事に普通に歩けるようになった。先生に同じ治療法が日本にもあるか尋ねたところ「これは私が独自に研究開発した方法だ、治療して欲しかったなら、日本行きのビザを貰えるようにしてくれ」と鼻高々である。19:00頃から20:00頃まで夕食、膝のためにも飲むのは止めようと思ったのに、ここのレストランはベルギービールが美味いと勧められて飲んでしまった。つくづく意志が弱い。
それでも今日はさすがに膝の事もあったので、これで打ち止めで20:00頃解散と思ったなら両支部長が一休みして22:00頃から、又“ミーティング”だと!もうかなり眠かったのだが、敵に背は向けないがモットーの小生としては、受けて立つしかない!2:00頃帰ってきて就寝。
モスクワ日記 5日目 平成14年4月9日
6:30起床。今日は大人しくしてれば良いのに、「鶏(にわとり)は三歩歩くと物事を忘れる」式で、今度は飛行機内でのブロイラー状態&エコノミー症候群に備えるためにもと、少し軽くとプールに入り“華麗”に平泳ぎをした途端、又、膝に同じ激痛。何とか手だけでプールの縁(へり)にしがみ付いて上がった。諦めて部屋に戻ろうとも思ったが、しかしせっかくその気で降りて来たのに、このまま練習を切り上げるのももったいないと(シツコイ!と自分でも思う)膝をついての上体だけでの腕立て伏せ120と上体起こし100、背筋100を一セットにを5セットだけしたなら、何と!一応歩けるように回復した!やはりロシア正教のお膝元だけあって、「天は自ら助くる者を助く」か等と悦に入りながら、優雅な朝食と取って部屋へ戻り、出発時に慌てないようにと、荷造り。膝で乗ってお土産類をトランクにギュウギュウ詰めをしたなら、今度こそ完全に膝崩壊!!さすがに両支部長とディーナに呆れられた。
空港に向かう途中、世界で二番目(?)に高い“オスタンキノテレビ塔”の、間違いなく世界で一番高い300メートルの展望レストランで、ロシア側への御礼の意味も込めた昼飯に選手達も相伴させようとして連れて行ったら火曜日は休みとのこと。仕方なく近くの最近できたレストランで昼食。その後、昨日のカイロに行ったなら、ロシア語で、なんか怒鳴ってた。そりゃそうだ俺だって勝手にしろ言いたくなる。
17:00に空港着。入国の時はそのままフィリポフに付いて通関したから、通常なら機内で書かせられる申告用紙を書かなかったので同じようにそのまま通関しようとしたなら、いかにも融通の利かなそうな役人に止められた。アナスキン支部長がこの人達はVIP待遇だからといくら行っても頑として聞かない。これで30分以上手間取ったが何とか通関して19:00モスクワ発に乗り、10時間のフライトのあと無事10日の09:30成田着。
最近はロシア遠征というよりロシア修行という感じで中々成績は残せないが、以前は選手が寮生だったりアルバイトで生活しながら練習に打ち込んでいたから練習量は今の数倍はあった。が、最近は皆選手が仕事をもっているから、その時間をやりくりして練習するしかない。有望な選手が沢山いる大道塾としては、選手に集中しろといえないのが歯痒い気もするが、現実にそういう社会情勢がないのに、一時的に“スター”にして、その選手の人生設計を迷わせたくはない。
マスコミ的には「大道塾は良い選手が多いのにもったいない」と言って頂くのは嬉しいが、社会体育を標榜する以上、これも仕方がないといえば仕方がない。今は一日も早く、“社会体育”という意味が、(ショウビジネスの駒としてではなく)武道で競技者をしながら、一方で指導者としての収入で生活でき、且つ、社会に何らかの発言力を持つというような団体になるよう努力するしかない。
唯、これは指導する側の論理であって、選手が「条件が悪いんだから負けてもしょうがない」という気持ちになるのは間違いである。それは、条件が何だろうと、試合ではなく、現実で負けるという事の意味を考えれば、自ずと解ると思うが。少なくとも今の選手には、四年に一回の世界大会は絶対に譲らないという気持ちで日々の練習に取り組んでもらいたい。そのことが上述したような道にも通じる事だから。
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