キューバ・メキシコ遠征 > 高橋英明
メキシコ遠征記
はじめて訪れる国であるメキシコに行ってきました。個人的にはドイツに続いての今年2回目の海外遠征となります。
塾長と事務局長をはじめとする他のメンバーは、メキシコの前にキューバに行かれていましたが、それも参加すると1週間以上会社を休むことになるので、残念ではありましたが、さすがにそこまでは同行できませんでした。
10月27日(水)に朝7時から仕事をしたあと、正午に会社を出て、サンフランシスコとメキシコシティーでの2回の乗り継ぎの後に、メキシコ北部のモンテレーで飛行機を降り、目的地のサルティーヨという街のホテルに到着したのが深夜の0時30分。会社を出てからホテルに着くまでには26時間半を要したことになります。深夜にもかかわらず、ホテルでは塾長と事務局長が出迎えてくださいました。
外務省の海外安全情報によれば、モンテレー付近は、10月に入って手榴弾の爆発事件や銃撃戦が相次いで発生し、一般市民の被害者も出ているということで、「銃声を聞いた場合は姿勢を低くするとともに、直ちに現場から退避してください」などという通達が出ていました。大統領が変わって、当局と麻薬犯罪組織との衝突・報復、また犯罪組織間の抗争が激しくなり、モンテレー及びアメリカ国境付近のいくつかのエリアが、治安悪化により危険地域として指定されていました。空港からサルティーヨに向かう間に、迎えの車のドライバーから様子を聞きましたが、サルティーヨは大丈夫だということでした。ただ、セミナーの日は、サルティーヨでも事件があったという噂が流れた結果、少年部は外出禁止ということになり、セミナーには参加できなかった塾生もいたようです。
木曜日にはルール講習会とセミナー、金曜日は審査会、土曜日は第1回中南米大会という日程でしたが、ルール講習会には、はるばる10時間かけてアカプルコ(メキシコ南部の有名な観光都市)から参加したメンバー等を含めて10名程度が参加し、安城支部の加藤と早稲田準支部の中村が演武、黒木支部長と小松支部長が副審を務め、質疑を受けながら、一通り説明をしました。メキシコの中心者であるカルロスはまずまず理解しているようでしたが、他のメンバーにはルールの理解はまだまだのようです。日本の選手でも熟知している者がどれだけいるかと考えると、当然とは思いますが。ただし、実戦性と安全性の両面を重視してきた大道塾の30年の歴史の重要な一部分がルールの中に表現されているわけであり、空道をやっているものにとって、ルールを細部まで正しく理解することは、きわめて重要なことと考えます。
セミナーは、基本を1時間、技研を1時間弱というメニューでしたが、塾長が基本を指導されたあと、技研の部分を担当し、相手役を中村にお願いして、ジャブに対する防御からの攻撃、ストレートに対する防御からの攻撃、右中段回し蹴りに対する防御からの攻撃を、3〜5パターンずつ指導しました。 普段新宿支部で教えているパターンを一通り教えるには、少なくとも、立ち技に5時間、掴んでの攻防に1時間、投げに3時間、タックルに1時間、グランドに3時間は要しますので、1時間の指導というのは教える方としても教え足りない気持ちが残ります。
基本も、以前にやっていたテコンドウなどの癖が強く残っている者が目につき、特に突きはまだまだ形ができていないので、ほんとうは一人ひとりに指導できるとよいのですが、なかなかそうはいきません。日本から指導に行った際には、合宿のような形式で2〜3日間、1日あたり6時間程度みっちりと教えられるとよいと思うのですが、短発のセミナーと比べると現地の事前準備も大変なので、ある程度基盤が整った所からとなると思います。
審査会は、基本と移動を行ったあと、ほとんどの受験者は翌日の試合に出るために組手審査はなく、カルロス(42歳)の2段への昇段審査のための6人の組手審査のみとなりました。全勝の6勝で審査を通過し、支部認可や初の中南米大会開催とあわせてカルロスにとっては大きな意味のある3日間になったと思います。
中南米大会への参加者は、高校生を含めて27名でした。黒木と小松との3名で、全試合の審判を担当しました。写真は開会式の様子です。メキシコ支部の認可証が、この場で塾長からカルロスに手渡されました。審判団としては、まず礼の徹底の指導に努めました。
<開会式の様子。マイクを握っているのがカルロス支部長、1列目左端が加藤選手、右端が中村選手>
遠い間合いから、スピードと強さのある蹴りを出せる選手が目につきましたが、パンチはまだ形になっていない選手も多かったように思います。高校生には、将来性を感じる選手が何人もいました。今の状態で日本の高校生の相手をしても、体の地力を考えると、かなり手強いかと思います。
高地のため、酸素濃度が平地の85%という環境であり、またマスクをつけるのが初めての選手が多かったようで、グランドの最中に呼吸困難でタップしてしまう選手も出たりしました。また、ルールの理解が不十分なことから、マウントでのパンチ連打で効果をとったところでやめてしまう選手も目につきましたが、一方で、ルールの理解不足による反則はほとんどありませんでした。
決勝は加藤と中村の間の戦いとなりましたが、全日本が控えていることもあり、審判団としては早めのポイント判断をした結果、効果1をとった加藤選手の優勢勝ちという結果になりました。両選手は、今後第2回、第3回と続いていく中南米大会の記録に残る、優勝・準優勝者になったということです。相手となった現地の選手には物足りなさがあったかと思いますが、試合だけでなく、いろいろなことが、貴重な経験になったかと思います。特に、黒木と小松のコンビが参加する遠征に同行したことは、普段の生活では得られない、代え難い体験だったと思います。
大会終了後にメキシコシティーに移動し、市中心部の中華レストランで打ち上げをし、翌日曜日は早朝の3時半にホテルを出て、帰国の途につきました。往復に2日間以上を要したのに対して、メキシコにいたのはほぼ3日間ということになります。慌ただしい5日間(足かけ6日間)でしたが、会社を休むのは3日間ですむので、ちょうどよい行程です。
私は、本場のタコス等のメキシコ料理に加えて、唐辛子の一種であるハラペーニョを堪能してきました。肉厚の唐辛子です。またカルロス支部長の奥様からは、辛いサルサをお土産にたくさんいただきました。
あと3年もすれば仕事を引退できるので、世界の支部を、1箇所2週間〜1ヶ月くらいで指導してまわるのが夢です。そのためにも、あとしばらくは、体力を維持したいと思っています。
<メキシコシティーの中華レストランでの打ち上げ>
<ホテルの近くの丘の上から、人口100万人の街であるサルティーヨの郊外を望む>
<追記>往きが別であったことから、他の遠征メンバーとは別便で帰ってきました。飛行機の中で遠征記を書き上げて、仕事モードに切り替えて出てきたところ、由美子嬢が出迎えており、塾長等は1時間半前から空港のレストランで再度の打ち上げの最中ということでした。この日は体を動かしていないので、夕食は抜いて、家に帰ってから1時間ほど体を動かそうと思っていましたが、それから3時間、日本での熱い打ち上げが続き、結局、最終の東京駅行きリムジンバスで帰ってきました。
高橋英明(新宿支部)※文中画像、キャプションを含む