イラン遠征レポート
イラン遠征アレクセイ・コノネンコ

イラン遠征に行かせていただき塾長を始めとして連盟の皆様に誠にありがとうございます。 今回のイラン遠征は東先生にとって二回目になりました。一回目は15年位前(※1)。当時のイラン支部長がいつのまにか、段位を勝手に発行したりして武道ではなくビジネスに走って数年間連絡をとれなくなり、結局、イラン支部長は破門となり、支部そのものが消えてしまいました。

※1(編集部注)1995年2月第一回目のイラン遠征。

しかし、空道に憧れて空道そのものを続けたいという人が消えたわけでないので、様々な課題を克服し、数年ぶりにイラン支部が活動を再開しました。今回の東先生の訪問は新体制イラン支部の初めての訪問になりました。
私にとっても今回は2回目になりました。一回目は10年前位に「グレートジャーニー(※2)」企画中に自転車でトルクメニスタンからイランに入って1ヶ月半にかけてイランを横断し、トルコに入った経験がありました。当時の支部長は「既に1万5千人ほど生徒がいる」と誓約書を見せたので驚いたものです。

※2(編集部注)人類の足跡である南アメリカ・チリナバリーノ島からタンザニアまで(北ルート)逆ルートから遡って行く旅の過程を、探検家・関野吉晴が人力で挑み、その姿を追ったドキュメンタリー番組。
【これまでの参加レポート】
2004年 「ザ・グレートジャーニー企画参加の報告」
2005年 「<ザ・グレートジャーニー企画 > サハリン島遠征報告」

今回イラン遠征に誘われたときに行く前にとても心配しました。不安定な世界情勢の中でイスラムの原理の拠点であり、核兵器開発を疑われ、欧米と対立するイランで、私たちは本当に行っていい国なのか?と思っていました。しかし、実際に行ってみると思ったような緊張感が全くなく、町は生き生きし、テヘラン(※3)の住民は世界情勢について心配するように見えませんでした。イスラム教は社会生活に対して様々な制限があることで知られていますが、訪問先のテヘランが大都会だからかも知れないですが、日常な生活で男女ともかなり自由を持っているように見えました。

※3(編集部注)イランの首都。人口11,050,000人。

今回の遠征の結果を評価するとても複雑な気持ちになってしまいます。複雑な気持ちというのは、遠征中に様々なことを経験したからです。
一番大きな“+”はイラン空道連盟が国家公認イラン格闘技連盟に入っており、国、国内オリンピック委員会に認められているということです。遠征中にイラン格闘技連盟の会長と面会し会長の口から空道の発展を全面的に支援し、イランオリンピック委員会から必要な証明文面をいつでも発行しますという約束をいただきました。これは間違いなくオリンピックの運動への大きな一歩であり、中東、アラブ諸国で空道を広げるためにとても有利な展開です。
一番大きな“-”はこの地域の文化的な特徴かもしれないですが、イラン連盟のトップのマネジメント力不足でした。何でも非常にルーズな感じのやり方、行動が見られ、個人的な運営力不足、企画性不足が目立ったからです。折角、多くの人達の要望があるのですからもっと運営方法を勉強して大きく発展して欲しいものです。

遠征中にとった写真とそのコメントで遠征の報告をさせていただきたいと思います。

さあ、出発です!今回はEmirates航空でドバイ経由というルートです。飛行機はとても良かった!(席、サービス、映画、食べ物)

イラン連盟のためのネオヘッドギア

イランはアルコールが法律によって禁じられているので、遠征中にビールを飲めないかもしれないということで成田空港で出発前の“最後のビール”です。

トランジットしたドバイの空港はとてもゴージャスです。

空港の壁時計はもちろんロレックスです!

イラン連盟の関係者と集合写真。一番右は今回通訳してくれたマリアさん、右から二番目はイラン支部長のシャフリアリさん。

イランはアルコールが禁じられているため、アルコールに一番近いものはノンアルコールビールです。塾長のお気に入りのデレスターノンアルコールのビールです(ですが、味は日本のノンアルコールにかなわないです)

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到着の日にイラン格闘技連盟に挨拶しに行きました。そこでとても大事な話をしましたが、実はその事務所に入るまでどこに、なにをしに行くかは分からなかった。シャフリアリ支部長はもう少し計画建てて説明してくれればよかったと思います。

格闘技連盟の会長とイランオリンピック 委員会から協力を受ける約束。

右からイラン支部長のシャフリアリ、塾長からの「感謝状」を受け喜ぶ、イラン格闘技連盟の会長、東先生、アフマデイー事務局長。

実は会長と事務局長の2人はマフムード・アフマディーネジャード第6代イラン大統領と友達です。

次の日の朝は、朝から思い切りセミナーと審査と思いましたが、2時間遅れて現れたイラン支部長から政治的な理由でセミナーを開く前にホメイニー指導者(※4)のお墓を訪ねたほうがいいということでホメイニーのお墓に向かいました。

※4(編集部注)アヤトッラー・ルーホッラー・ホメイニー。1979年にパフラヴィー皇帝を国外に追放し、イスラム共和制政体を成立させたイラン革命の指導者。

時間はかなり遅かったので途中で伝統的なデイーシー料理(※5)を食べました。塾長と五十嵐支部長に不評でしたが、私は結構気に入りました。

※5(編集部注) イランの伝統料理DYZZY。壺のような容器に入れて供される。最初にスープを別の容器に移しその後残った肉、マメ、ジャガイモを専用の道具で潰してから食べる。

革命記念日が近かったのでホメイニーのお墓を訪ねる人が多かった。

セミナー参加者もバスでお墓に到着し、塾長を囲んで写真をとりながら中に入った。

表敬訪問が終わった後、バスでセミナー会場へ長い道。テヘランの交通渋滞は半端ではない。「車で15分で行ける」と言われたら、早くても一時間ぐらいかかります。

車の運転は好き放題で、交通ルールがほとんど存在していないような感じです。

テヘランの町並みは決してきれいとは言えないです。独特な雰囲気ですが、観光には不向きです。

ショッピングセンター内

テヘランの北部に高い山があって、普段スモッグではっきり見えないですが、たまに朝はっきり見えたときにとてもきれいな景色でした。

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全然聞いてない、予定してない行事を終えて、夜の7時にやっとセミナーの会場へ到着。今回の会場はマンションの一階にあるサバージムでした。

セミナーに60人の参加者が集まりました。様々な格闘技の経験者であり、ほぼ全員は黒帯を締めていますが日本の総本部にイラン支部の黒帯の登録は1人もいない。後日の審査で正式に認められたのは4人。

60人が集まったセミナー

塾長は膝の手術後に関わらず全身で指導を行いました。

一所懸命に基本をやっていた参加者ですが、一方で勝手にやめたり、後ろでおしゃべりしたり、お茶を飲んだり、土足でマットの上に上がったりした人もいました。礼儀とマナーの指導の徹底は必要です。

次の日にちょっとした大会が行われました。大会名、開始時間、流れを知らないままで会場へ。着いたらいきなり五十嵐支部長と審判。ずっと審判をしていましたので写真はとってないです。しかし、運営、管理の面で大会の後味が非常に悪いです。選手の評価ですが、パワーがありあまって、技とスタミナがないです。野獣の戦いみたいな感じです。指導の面でまだまだやることがいっぱいあるようです。

日本と変わらないのは子どもの目の輝き。レベルはまだまだですが、今指導に力いれれば必ずいつか強い選手になります。

この日のお昼はテヘランの日本料理の「KENZO」という鉄板焼きの店でした。すし、刺身、鉄板焼きを頼みました。魚は美味しかったですが、現地の米はすしにまったく合わないとよく分かりました。

アルコール無しの生活が限界に近づいたとき天からビールが降ってきた(笑)飲酒で捕まるとムチ刑(50回)があるようだが、いろんな情報を集めると、「50%くらいの人間は家で飲んでいる」とか(笑)。部屋にルームサービスを頼んで乾杯!

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次の日は審査です。本当は最初の日にセミナーと一緒にやる予定でしたが、セミナーは夜の7時から始まったため審査まで至らなかった。しょうがないので、本当は観光するはずの日に「朝から審査をやります」と塾長の決定。それに対してイラン支部長は「政府の許可がないと大きな審査できないので、10人前後なら大丈夫」という。塾長は「わざわざトルコから飛行機で来ているので、彼らの為にもやれ!」と一喝しました。

審査会

5人位受けました。一番左はシャフリアリ支部長、真ん中はアルダラン副支部長。

審査は無事終わりました。皆はよく頑張りました。その後またいろいろありましたが、空道をやりたい強い気持ちを持っている人が沢山いますので今後のイラン支部の発展を祈っています!

アレクセイ・コノネンコ(東北本部)

更新日2012.2.19

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