2016年5月インド遠征 参加者レポート
全日本空道連盟 副理事長 高橋 英明
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5月8日出国/13日帰国という日程で、インドのムンバイに行ってきました。
昨年の同時期のインド遠征と同じく、海辺のムンバイから2時間強ほど山の方に入ったところで開催される1週間の合宿と、この期間中に開催される全インド大会(第7回)に参加するためです。合宿参加者は昨年より100名多い1,050名、大会参加者は800名ということでした。
塾長は、北斗旗直後ということや昨年行かれているということもあり、今回は、私と長田師範と中西師範の3名で行ってきました。
8日は、午前に成田を発って、ムンバイ(時差は-3.5時間)に着陸したのが現地時間で17:15、合宿会場の近くのホテルに着いたのが20:10でした。1日早く現地入りしていた長田師範が20:30まで指導していたので、それが終わるのを待って、夕食。
写真は、空港に到着したときにもらったバラの花束です。数えてみたら、一人で指導や講習に行ったのを含めるとこれまで約20回の遠征に行っていますが、花束をもらったのは初めてでした。ホテルの部屋に飾っておきました。2日目は、6:15にホテルを出て合宿会場に移動。歩いても5分くらいで行ける近くの学校を、1週間借り切り、合宿参加者はこの建物内の寄宿舎に泊まっています。
昨年は、一般部の指導しかできなかったため、今回はジュニアの指導もしたいと申し出て、6:30からの1時間はジュニアの朝練を指導。日中は熱いので、稽古は早朝と夕方に行います。
8:00にホテルに戻って朝食をとった後、11:00から14:00までの3時間、ルールセミナーと審判セミナーの第一部を開催しました。事前にメフル支部長(インド空道連盟の理事長)と連絡をとって摺り合わせ、今回の遠征の第一の趣旨は、空道のルールをインドの多くの支部長等に理解してもらうこととしていました。
セミナーへの参加者は約100名。ほとんどの参加者は、空道を生で見たのは昨年のセミナーでのファビアンとヴィスピー(インド国内の支部長)とのエキジビションマッチだけであり、ルールを詳しく理解するのは、今回が初めてです。
まず、以前に世界大会や全日本大会で実施していたルール説明を、長田師範と中西師範に演武者を務めてもらい、もう少し詳しくかつ丁寧に行いました。その後は、審判講習を行い、登壇や降壇の方法、主審および副審の動作や役割などについて、参加者の動作練習を含めて行いました。ルールについてはいろいろと質問が出ましたが、より詳しくは第二部で説明するからと言って、第一部は終えました。最初からルールの細部に立ち入っても、記憶することは難しいと思うので、第一部では大体のところを理解してもらうということにしました。
ホテルに戻って休息をとったあと、第二部は17:30から20:30の3時間、今度は、日本でも審判や選手に配布している「補足説明資料」に基づき、ルールの細部まで、理解を深めてもらいました。
今回は、撮影担当がいないため、あまり写真がありません。若い塾生にカメラマンを頼みましたが、たまたま頼んだ相手は、あとで登場する、会長の息子でした。
最後の写真でニイーインザベリーを入れられているのは、昨年ファビアンとのエキジビションマッチの相手を務めたヴィスピーです。合宿地から400km離れたところで支部長を務めている屈強な男ですが、この写真の中でどれだけ辛い思いをしているかは、新宿支部の皆さんはわかると思います。これは、その前の写真で、「グランドの最中に、上になっている相手の肘で体を押されて、もしタップしたらどうなるのか?」と聞かれて、「そんなのより、ニーインザベリーで膝で圧力をかけられるほうがずっと辛いよ。決め技ではないが、もしタップしてしまったら、一本をとるしかないね。」という話しをしたときのものです。戦意喪失ですね。
最後は、皆疲れてきたところでメフル支部長が活を入れ、10分の休憩を入れた後に、審判として一番大事な判定方法について、最後の30分を使いました。
メフル支部長には、「これでようやくインドで空道が始まる。これまでは空道のルールを理解している者が少なかった。あと10年早く空道を始めたかった。」と言われました。
ホテルに戻ってから、長田師範の部屋の前のテラスで夕食。中西師範の奥が、ヴィスピー、その奥がメフルの弟のヘマンシュ、その隣がもうひとりのヴィスピー(事務局長)、手前に向かってパーシイ(テクニカル・ディレクター)とメフルです。
この時間に出てくる食べ物は、基本的に毎日同じ。チキン料理が3~4種類とサラダ、それに写真にあるインド風ピッツァとでも呼べそうな食べ物です。これは気に入りました。最後にアイスクリームを食べて、23:30に解散。
3日目も、6:15にホテルを出てジュニアの朝練を指導。この日も長田師範に指導をお願いしていましたが、お腹の調子を悪くしたので、代わって、掴んでのコントロールの方法3種、相手の中段回し蹴りをキャッチしてからの反撃を2種、相手の前蹴りを捌いてからの反撃を1種、最後に悪い大人に襲われたときの護身の方法として頭突きを教えました。
ジュニアの朝練を指導したあと、続けて一般部の昇段審査を開始。10時までの2時間半をかけて、通常の審査メニューを一通り実施しました。黒帯審査受験者以外も、セミナーということで参加していましたが、スペースの関係で基本と移動のあとは見学してもらいました。
ところが、移動稽古の手技を終えたところで、中西師範もお腹の調子が悪くてトイレへ。私はこのあとの組手審査の組み合わせを考えようと思っていましたが、足技の移動稽古以降を引き継ぎました。
審査会第一部を終えたあと、1時間の休息を入れて、11:00から組手審査を開始。受験者は合計23名、うち4名がジュニア、2名が女性でした。ところが、組手審査の対戦表を事前にメフル支部長に送り、受験者の名前、年齢、身長、体重等を記入しておいてもらうように総本部事務局に依頼していましたが、11:00の段階で存在したのは手書きの参加者名簿のみ。手書きだから読めない氏名もあり、身長はフィート表記、という状態でした。
苦言を呈してもしょうがなく、この状態で始めるしかないので、年齢と体重を考慮して、8つのグループに分け、受験者間で回せる場合は受験者間だけで対戦させ、年齢・体重の関係でそういかない場合は、受験者以外のセミナー参加者の中から年齢・体重を考慮して対戦相手を出してもらうということで、進めました。
長田支部長と中西支部長には、なんとか踏ん張ってくれと言って、審判を務めてもらいましたが、それでも一瞬、トイレに消えざるを得なく、その間は対戦者のコールと、審判と、結果の記録と、次の組み合わせの決定の四役を、私が平行して行っていました。
昨年の審査会は、初めて空道のマスクを被る者がほとんどであったことや猛暑であったことから、規定の対戦相手数をこなすことが困難で、例えば9名と対戦すべきところを6名とするなどしましたが、今回は、規定通りの人数で実施しました。昨年ほど高温ではなかったこともあったと思いますが、空手のスタイルから空道のスタイルに近づき、昨年と比べると内容的に大きな進歩があったと思います。この組手審査の最中に、インド空道連盟の会長であり、有名なアクションスターのAkshay Kumar氏がヘリで到着。体重の違いの関係から対戦相手を簡単には決められなかったジュニアの審査を最後にまわしていたので、会長が到着したあとに、会長の息子のAarav(前日の夜にカメラマンを依頼していた男)の審査を見てもらうことができました。日本の師範に審査の判定をしてもらったこと(インド内だと、どうしても判定が甘くなっていたようです)、組手や相撲の内容がなかなかよかったことから、会長はすごく喜んでいたようです。終了したのは、開始から4時間半後の15:30。時間はかかりましたが、昨年と違って混乱無く終了できました。
そのあと、ミーティングルームでジュースを飲みましたが、これが生のマンゴーを搾ったもので、飲むヨーグルトほどの粘度のある濃いジュースであり、たいへん気に入りました。6~7杯は飲んだと思います。固形物の食べ物も出ましたが、我々はお腹を気遣って遠慮。
集合写真は、向かって左側から、インド連盟テクニカル・ディレクターのパーシイ(64歳)、会長の息子のAarav(13歳にして178cm)、私、会長、長田師範、メフル支部長、中西師範です。
そのあと、16:00過ぎに校庭に集合し、Akshay Kumar会長の挨拶。このとき会長は、今年から自費で5名のジュニアを一ヶ月間日本に空道留学させることを発表したそうです。会長は、17:00にまたヘリで合宿地を後にしました。写真は2枚を繋げたパノラマ写真なので、実際には第一列目は直線に延びているところが、90度近くに折れ曲がって見えています。
17:30から、一般部の大会が開始されましたが、我々はホテルに戻って休息。21:30頃から夕食をとって、23:30に解散。さすがにこの日は疲れましたね。
下の写真は、高校の入口に置かれたポスターの前で撮ったものと、ホテル(一番左が中西師範の部屋、その右が私の部屋、その奥が長田師範の部屋)、中西師範の部屋の前、長田師範の部屋の前です。
4日目は、8:30からジュニアの試合が開始されていましたが、我々は10:30から観戦。感想は、長田師範と中西師範がレポートしてくれています。
私のほうから特筆しておきたいのは、最後の写真のように、試合が終わったらお世話になったスタッフに挨拶していること。礼儀がしっかりしています。我々とすれ違うときも、皆、足を止めて挨拶します。
壇上では、逐次、賞状とメダルを授与。真ん中にある分厚いファイルは、ジュニア大会への参加者名簿だと思われます。若いスタッフが献身的に一生懸命働いてくれています。
18:00から、校庭に集まって団体(支部のメダル獲得数による)の表彰式。最後は、「Lern KUDO, Love KUDO, Live KUDO, Enjoy KUDO」と「万歳」の大合唱です。実は、昨年はLive KUDOまででしたが、Enjoy KUDOは私が追加を提案していったものです。
そのあとは、さよならパーティ(ダンスパーティー)の予定でしたが、雷雨があって停電。屋外での機材が使えず、しばらく待ちました。この間、若いスタッフは、薄暗い部屋で、合宿への参加証書や審判セミナーへの参加証書への氏名記入等をしていました。皆、よく働きます。
次の写真は、厨房と食堂です。厨房ではナンを焼いています。それを食堂に持ってきて、カレーと一緒に配給していますが、部屋にはカレーのいい香りがただよっています。ただ、費用の関係だと思いますが、肉は一切出ないようです。パーティーが始められないおかげで、このような場所を覗く時間がありました。最後の写真は、日中に撮影した寄宿舎の様子です。こんな感じの部屋に、みんな寝泊まりしています。日が差している時間帯なので明るく写っていますが、薄暗くなってからは、すさまじい雰囲気です。会長の息子のAaravも、一緒だったそうです。の部屋の前です。
21:00に外部電源車が到着し、ようやくさよならパーティーが開始。大音響が鳴り響く中、皆、はじけています。女の子たちは、ちょっと距離を置いて踊っていたようでした。
最後の写真は、パーティーを途中で抜け出してホテルで夕食をとっていたところ、ヴィスピーが帰るという連絡がはいったため、校庭に戻ったところです。これから400kmを走って帰るためのバスが並んでいました。23:30です。ヴィスピーとはここでさよなら。
最後の日は、前日の組手審査の結果を対戦表に整理したあと、12:00に昼食をとり、ホテルをあとにしてムンバイの道場に寄ってもらいました。「女性の為の護身術センター」という名前がついたビルですが、その中に、空道や空手などが入っています。政府から貸与されているようです。近々もう一箇所に同じような場所が貸与されるそうです。女性は無料で通えます。
道場内は、大会のためにマットを持ち出していたりして雑然としていましたので、写真はとりませんでしたが、上は、道場内に掲げられた写真です。昨年、道場訓を録音して行きましたが、それも掲示されています。私の写真も掲示してもらっていました。
今回のレポートは、写真を多用しました。「百聞は一見にしかず」という言葉のとおり、レポートの言葉よりも、見て何かを感じてほしくてそうしました。ただ写真は平面的で小さな面積の画像にしかなりませんので、実際の空間の広がりや迫力は、想像してください。残念なのは、すれ違う度に皆が立ち止まって礼をする姿を見せることができなかったことですが、さよならパーティーでの写真に写っているような女の子達も、皆、ひとりひとり立ち止まって礼をして行きます。十字を切っての礼ではなく、気をつけの姿勢からの「オス」と言っての礼でした。
インドは「価値観を変える国だ」と言われますが、今振り返ると、複数の意味で夢の中だったような4日間でした。複数の意味でというのは、ひとつは、滞在が短かったこともあって、まさに夢を見ていたかのような感覚と、もうひとつは、理想としたいような空間・場があったということです。空道に対する価値観を変えさせる国かもしれません。
私は、特に仕事を辞めたあとは、頻繁に海外遠征に同行させていただいていますが、支部長の皆さんは、少なくても2年に1度程度はどこかに行かれたらよいと思います。いろいろな形で、良い刺激になると思います。また、日本に帰ってから見たテレビドラマの中で、心に残る言葉がありました。「胸を張れるものを世の中に送り出しているか?」という問いかけです。空道は、塾長が世の中に送り出されたものですが、我々は、それを伝え・広めるという形で関わることができると思います。