第2回関東地区空道合同練習会を以下の通り実施します。
場所 :新宿コズミックスポーツセンター第一武道場
実施日 :令和02年03月28日(土)
時間 :19:15~21:15
申込 :以下のフォームからお申し込み下さい。
大道塾大田支部 中村
第2回関東地区空道合同練習会を以下の通り実施します。
場所 :新宿コズミックスポーツセンター第一武道場
実施日 :令和02年03月28日(土)
時間 :19:15~21:15
申込 :以下のフォームからお申し込み下さい。
大道塾大田支部 中村
押忍。大田支部の中村です。
第一回関東地区合同練習会に参加頂きありがとうございました!
30名・10支部・1団体の方に参加頂きました。相手を痛めつけるような練習では無く、自分の練習をしつつも相手・周りを気遣いながら非常に良い稽古になっていたのではないかと思います。
練習会参加者・成田支部有志・大田支部有志の皆さんに頂いた寄付金ですが、子供の教育格差を無くすために活動している「チャンス・フォー・チルドレン」に寄付させて頂きました。
興味のある方はこちらご覧下さい。https://cfc.or.jp/problem/
私は今、リディラバという会社にいまして、社会問題を取り扱う仕事をしています。
また近い内に開催できればと考えております。
次回開催までちょっとお待ちください!
2020冬季合宿レポート
1/25(土),26(日)の一泊二日で、埼玉は秩父の赤谷温泉にて冬季合宿を行いましたので、そのご報告です。
今回の合宿に関してスタートからの経緯を申しますと、最初は一昨年の初夏辺りの話だったでしょうか?! この年は世界大会の為、総本部主催の地区合宿はありません。それで「支部内合宿はやらないのですか?!」と複数の生徒から要望がありました。皆様もご存知の通り、現在の大道塾の規定では、「合宿への参加は茶帯黒帯への昇級昇段の際の必須事項」となっておりますので、そこを狙っている生徒にとっては「合宿が開催されない」というのは結構な問題です。それは分かっているのですが、企画、運営の時間と労力を考えると、そうは簡単に「じゃあ、やろうか?!」とも言えずにいました。
そんな状況の中、生徒の一人が「合宿をやるのに良さそうな宿を見つけたので、一度、下見に行きませんか?!」と誘っていただいたので、ありがたくその話に乗らせていただくことに。
有志と共に11月に下見ツアー(もしくはプレ合宿)に行ったところ、大変に良い感じだったので「よし、来年以降にここでやろう」ということになりました。
さて年が明けて、いよいよ企画のスタートです。当初は昨年のプレ合宿と同様に「気候の良い秋がいいな」と思っていたのですが、皆考えることは同じようで(苦笑)、その時期はすべて埋まっているとのこと。毎年の常連客が、当年の合宿を終える都度、翌年の予約を入れて押さえてしまうということらしく、私らのような新参者が入る余地は全くのゼロ(泣)。
一度はあきらめかけたものの、「じゃあ秋がダメなら冬はどうだろう?! 実際、秋はやるにしても地区大会等の別のイベントも多く、そちらとのバッティングが怖いし。冬は寒くて嫌がる人もいるかもだけど『寒稽古』なんかは武道の伝統でもあるし、何より冬は他のイベントがないからその辺のバッティングの心配はないからな?!」ということで、再び問い合わせたところ「冬なら空いている」とのこと。また心配だった雪の問題にしても「例年、この時期に積もっていることはまずありません」との返答で、「よし!」とばかりに予約を入れました。
ところがいざ実際に参加者を募ってみると、思ったような反応が返ってきません(泣)。実は予約の際、先方からは「最低人数20人」と要求されていたのですが、交渉の結果、なんとか「最低人数15人」にしてもらったという経緯がありました。「20は自信がないけれど、15くらいなら普段土日に稽古に来ている人数で何とかなるかな?!」と見込んでいたのですが、このままでは到底そこに到達しそうにない感じです。そこで急遽、塾長に許可をいただいた上で、近隣のいくつかの支部に声を掛けさせていただき、それでなんとか人数が集まり、無事開催の運びとなりました。
最終的な参加人数は、私(渡邉)の道場(浦和、北本、大宮西)から11名、他支部(御茶ノ水、仙台中央、仙台東)から8名ということに。先に書いたように、今回の企画は「最低人数15名」で、そこに達しなかった場合には不成立、キャンセルの憂き目を見るところでした。参加いただいた皆さん、中でも他支部から参加くださった皆様に厚く御礼申し上げます。また他支部に声を掛けることを快く了承していただいた塾長に感謝いたします。
今回の合宿のメニューは以下の通り。
初 日:基本、
立ち組み(空道における立ち組み技の体系の説明と実技(※打ち込み))、
マススパー
二日目:基本、
寝技(寝技の打撃に関してのルールの確認と実技(※ドリル練習))、
技研(昨日、今日習った技の中、希望のものを反復練習)、
マススパー
それぞれ、約三時間近い長丁場の稽古。皆様、お疲れ様でした。
全てのスケジュールを終えて、参加者からは「少し悩んだけれど、参加を決めてよかったです」、「とても楽しかったです」、「すごく勉強になりました」等々の声が数多く寄せられ、中でも多かったのが「来年もまた開催してください」との要望でした。ありがとうございます。今回は先述のようなイレギュラーな状況下であったが故のこのような形の開催でしたが、もし許していただけるのでしたら、来年以降もぜひ同じ形でやらせていただきたいと思っております。反対に、今回、初めての企画運営で、至らなかった部分が多々あったかと思いますが、ご容赦ください。
あとは空道がスポーツ協会に加盟ができて公的競技になれれば、例えばこのような企画にも補助金をいただけてもっと楽に運営ができるし、もっと皆さんに還元ができるのかなぁ?! と考えたりもします。そちらの方向にも頑張らなければいけないですね。
正直、いろいろと大変ですし、私自身、力不足ではありますが、空道、大道塾の活性化に貢献していきたいと切に願っております。
皆様、今後ともよろしくお願いいたします。押忍。
渡邉慎二@浦和/北本/大宮西支部長
押忍、住友電工空道同好会・山田です。
会社側からの勧めもあり、2016年より会社(及び労働組合)と空道連盟より認可を受け、住友電工空道同好会として活動をさせていただいています。
現在5名で活動をしており、週に1回、会社内の体育館で汗を流し、部署も業務も違う社員同士の交流、運動不足になりがちな社会人の運動の機会、そしてストレスの解消で会社に貢献をする事ができ、今年2020年のカレンダーに載せていただく事となりました。
伊丹の事務所や現場などに掲示される事となり、より一層、空道の知名度UPにも貢献できると思います。空道初の会社公認の同好会として、今後も微力ながら空道の発展に貢献をしていく所存です。
押忍。
令和2年1月23日(木)、ホテル青森にて令和元年度のスポーツ賞表彰式がありました。
向かって左から 千代谷遙佳・相内美希・相内春花・神 舞優・船橋 怜
【スポーツ賞】2名
相内春花(U16女子 中2)
神 舞優(U16女子 中2)
【スポーツ奨励賞】3名
千代谷遙佳(U13女子・小6)
船橋 怜(U13男子・小6)
相内美希(小3)
青森山田サッカー部はじめ多くのジュニアアスリートが参列する中、本年度の受賞者代表謝辞を空道の相内さんが行いました。
お礼の挨拶(概要) 相内 春花
受賞者を代表いたしまして、「お礼の挨拶」を申し上げます。
このたびは、104名、19団体が青森市文化賞・スポーツ賞というすばらしい賞をいただき、ありがとうございます。
また、こうして皆様にお礼を述べる機会を頂き、感謝の気持ちでいっぱいです。
私は、小学校2年生から空道を始め、試合に勝てずに、何度もくじけそうになりました。
練習を休まず継続すること、努力することを学び、頑張ってきました。
指導者である五十嵐道場、五十嵐祐司先生を初め、道場の先輩や後輩、学校の先生や友達、地域の皆様の応援が私の励みとなりました。
そして、家族の支えのお陰と感謝しています。
空道は2025年の第80回国民スポーツ大会青森県大会において、デモンストレーションスポーツとして実施されます。
デモンストレーションスポーツに参加出来るよう、今後も努力し練習に取り組んでいきます。
これからも応援宜しくお願い致します。
以上でお礼の挨拶と致します。
以下は、パーティ前のいわば“アンチョコ(笑)”ですが、脱線したり継ぎ足したりで、実況としばし違っています。例によっての“はみだし人生”ですので、ご容赦のほどを(<(_ _)>)。
本日はお寒いところ、また正月のお忙しい中、「大道塾設立40周年、空道創始20年を祝う会」に、このように多くの方々にお集まり頂きまして、誠に有難うございました。
初めに大道塾と空道、それと一体の自分史を絡ませながら略歴を述べさせて頂きます。
私は1949年5月の宮城県の気仙沼市に生まれました。子供のころは当時創刊されたばかりの少年漫画雑誌「少年画報」「冒険王」等の影響で赤胴鈴之助、まぼろし探偵、月光仮面、怪傑ハリマオという漫画に夢中になる一方、これまた大人気だったプロ野球の王や長島に憧れ草野球に夢中になっていました。
体力があり余っていたので、草野球では物足りず、ガキ大将宜しく子分どもを引き連れて毎週隣村や隣町との“決闘ゴッコ”に明け暮れる“悪童”ぶりで、とうとう先生に「お前はこのままでは感化院行きだ!」とまで怒られ、親父には病院に入院するほどぶっ叩かれ、お袋には「ウチの400年の歴史に傷をつけるようなことだけはしないでくれ」と泣かれ、さすがにこれではいかんと反省し「良い子路線」に変更したような小学生でした。
そんなことで中学校では大人しく野球部に入り、持ち前の馬力を認められ、2年生から4番でを任されてましたが、練習では常に場外ホームランなのに、試合では全くダメで、「今度は打つだろう」という先生の期待を裏切り続け、卒業時までに打ったのは内野ゴロ一本という体たらく。
実は中学で急に“路線変更”し、品行方正な中学生になろうと、急に周りの目を意識しすぎたために4番打者としてバッターボックスに入ると急に「みんなに見られている」という意識が過剰になり、金縛りになったような状態で体が動かなくなったためでした。
そんな姿を見た親父は「お前は精神力が弱いから高校では柔道でもやれ!」と言われて、「そうか小学校ではガキ大将だった俺も、このままではみんなに舐められっぱなしになるな~!!ということで高校では柔道を始めたんです。
その頃は初めてオリンピック競技になった柔道のために国を挙げての柔道ブーム。あらゆるテレビや漫画で柔道を取り上げていて『柔(やわら)』『柔道水滸伝』「姿三四郎」等々。大体は講道館館長の矢野正五郎(モデルは加納治五郎館長)のもとで書生をしながら柔道に精進する、福島出身の実在の天才柔道家、西郷四郎先生をモデルにした姿三四郎が主人公の修行あり恋あり涙ありの青春熱血物語。
元は古流柔術の良い点と足技を考案し体系化しそれを“柔道”と名乗った、いわば新興武術だった柔道があらゆる格闘技と戦って勝つ筋書きですが、最後に対抗馬となるのは明治に中国経由で沖縄から日本本土に入ってくる唐手(のち空手)で、檜垣三兄弟というのが最強の悪役で、当時まぼろしの技術だった蹴りを使うために、初めは散々やられまくるのですが、修行に修行を重ね、人間的にも成長した姿三四郎の柔道が捕まえてぶん投げて勝つので、「ヨシ、俺も姿三四郎になろう」と。まさかその時、自分が後でそんな悪役だった空手をやるとは思わなかったんですが(笑)。
そんな訳で高校時代は、授業はさぼっても柔道の練習にだけは出て練習していましたから一応高校3年では県で重量級ベスト4にまでなりました。そんな訳で、高校三年の時に県の上位3校のみで戦う東北六県の学校対抗柔道選手権というのがありました。その時に見たのが、後年、世界大会でも何度か優勝している遠藤純男選手です。柔道全日本9連覇の山下泰裕選手を河津掛けで怪我をさせて、変な意味で有名になりましたが、、。
彼と対戦したのが自分が2回やって勝てなかった宮城県の優勝者、吉川修選手(のち拓殖大学柔道部主将)で、実力もあり紙付きだったんですが、その彼を遠藤純男選手が30秒ぐらいで投げたんですね!!しかもそれが跳腰という技で、柔道には大外刈り内股、払い腰、背負い投げと色々派手な技がありますが、その中でも最も派手な技で、それを見てから「俺はちょっと、柔道向いてないかな」と思ってしまったんです(笑)。
所が私は邪念が多い人間ですから、柔道に無中になりながらも、一方では、その頃ちょうど70年安保だったので、天下のNHKが「三姉妹」「竜馬がゆく」と言った明治維新をテーマにしたドラマを続けてやっていたこともあり、そういう政治運動のようなものも興味があったんです。その当時の先生は、おそらく60年安保運動などをしたために普通の会社では敬遠され、マスコミか先生になるしかないとなった、共産党系の日教組の先生がけっこう多かったと思うんですよ。その先生が言うには「東、見ろ、昔、明治維新は藩から起こって来た。薩摩藩、長州藩、土佐藩…。今は大学から革命が起こるんだ!」と。これを授業でやるわけですよ、凄い時代でした(笑)
私は単純だから、早く東京に行ってデモ隊にでも入り、旗の一つでも振らないと時代に置いていかれるなと。と思いながらも、分裂気味なんで、三島由紀夫先生が楯の会というのをやってまして、それが当時「平凡パンチ」と人気を二分してた「プレイボーイ」のグラビアにカラーで特集されたりしてたんで、カッコイイーと思って手紙書いたんです。そしたら東京の大学生じゃないとダメだっていうんです。「やっぱり、俺は東京に出なくてはいけないな」とそう思いました。
とは言っても東京に知り合いはいないし、大学に行くにも学費の話をしただけで「百姓が大学に行って何するんだ。就職しろ!」と親父に怒鳴りつけられ、まず無理だったので、「私を東京に行かせてくれるなら自衛隊に入りますよ」と自衛隊勧誘の人に言ったんです。普通は東京から地方に行くことはあるんですけど、地方から東京に行くなんて無理なんです、でも私、馬力があったんで、向こうもそれを買ってくれて、結局、東京の練馬駐屯地に約2年間いました。その時、何していたかというと、学生運動鎮圧の訓練をしていましてました。放水車に乗って暴徒に水を掛けるわけです。「おかしいな~、俺はあっち側にいたはずなんだけどな」と思いながら‥‥(爆)。
70年安保も下火になって来た頃、自衛隊に入ったお陰でお金も溜まったんで、早稲田に入ることが出来ました。残念ながら(幸か不幸か?)、学生運動終わっているし、何しようかなと思って文学部のキャンパスをふら付いていた時に、美人の女子学生に声をかけられて「あなた、生き甲斐ないでしょ?」と聞いてきたから「そうだ、生き甲斐がないんだ」って答えました。「一緒に勉強会に行かないですか」と誘われたんですね。
当時「勝K連合」って言ったんですが「●一教会」の勧誘だったんですね。私その会に1週間参加しまして、その当時、約200人ぐらいが参加してましたね。その会、1週間終わる頃にはほぼ皆涙流して「私の生き方は間違ってた。これから社会のため、世のためにこの宗教を広めます」と言う感じで皆入信したんですよ。その人達は皆北朝鮮(間違い、韓国-東注)に送られ合同結婚式に参加するわけですよね。その時、私が入信して韓国行っていたらどうなってるかわからないんですけども、もし行ってたなら当時タレントで全盛期だった桜田●子の旦那の“東 某氏”は東孝だったかも爆。
最後まで私を折伏しようとしてた人間が「あんたらは専門用語は知っているから口では勝てないが、顔が偽物だ」と悪態をつく私に「「あなたには、サタンが付いてるから、もう救いようがない」とか言われまして「何言ってんだバカヤロウ、サタンだろうがサンタだろうが関係ネェや」と言って振り切った、積りでした。
でもなんか洗脳されていたんでしょうね、「夜中にあなたの所にサタンが乗り移るんだ」って言われたからか、寝ていたら布団が重くなってきて「うぁ~ッ」って大騒ぎしたんですよ。そしたら、隣に住んでいた女子大生のオネェさんが「東さん運動不足なんじゃないですか?」と言うんですよ。「運動命で生きてきた俺がこれはまずい!」と思って極真空手をやるようになったんです。
極真会入ってとても面白かったし、大山先生に直に教わりました。でも私、柔道やっていたもので、組むとすぐ投げるんです。蹴りとかパンチとかは決まらなくても、柔道知らない人間には技がいくらでもかかるわけですよ。「空手は突き蹴りで、離れて戦う」という理由で反則ですけど。そしたら大山館長に「お前、柔道やるなら講道館に行け」って言われるようになったんです。
柔道はそれまで嫌になるほどしていたんで今更そんな気はなかったんで、そのまま極真を続けていましたが、「俺の今までの路上の勉強(笑)から言っても、柔道と空手を組み合わせた方が絶対に現実味があるし、見てても面白いんじゃないかな」という想いは年々強くなりまして、館長にも何度か直訴したのですが勿論却下され続けました。
当時は自分の夢は別にあったので、自分で団体を作るなどとは考えてませんでしたが、全日本で優勝した(1977年)の3年後の「第2回世界大会」で“極真命”のような考えに頭から水を掛けられるようなことがあり「それでは昼は別な仕事をしながら夜、自分の理想とする武道をするしかないか~」と、81年に投げを認めた「格闘空手」を標榜した大道塾を発足させました。
さて、文明論というにはオコがましいのですが、宗教も因習も違う様々な民族が隣り合って存在しているために“闘争が常態”の海外と違って、日本社会というのは「和を持って尊しとなす」というように協調性というか、お互いに助け合ってという社会ですからそれは非常に社会が安定していて良いんですけど。新しいことをやろうとする時、それがものすごく壁になるんです。新しいことをやるのはかなりの抵抗がある。「格闘空手」という新しいことをやることになっった為に、指導員が離れていったり、先輩からも「お前がやっているのは空手じゃない」と言われたり、普段は見えない人間性が見えたりと、結構きつい数年でした。
そんな時、東北では有名な亀井商事(現カメイ株式会社)の亀井文蔵社長がすごく大道塾のことを気に入ってくれまして、毎回大会にも来てくれたし、ズームイン朝なんかにも毎年出られたんです。それで日本全国に知られ、だんだん生徒も入り始めたんですけども、中々公的に認められることはなくて、そのうちに、文明の衝突で常に新しいものが生まれる海外の方で珍しがられドンドン広がって、15,6年ぐらい経って加盟国が17,8か国になった時に遂に「世界大会をやって欲しい」という声が上がってきたんですね。
その時、チョッと立ち止まって考えたのは、極真空手も伝統派の空手―今度オリンピックに入りましたけれども、それも世界大会やっている。その他にいくつかの世界大会がある。ここでまた新たに格闘空手の世界大会やったら世界チャンピオンが10人近くになり、「日本の空手界は一体どうなっているのか」と世界の人に言われるんじゃないかと思いました。さらに、投げや締め関節入れるとなると、闘いの様相が変わってくるので実際、「格闘空手」っていうのを名乗るのも失礼かなと思ったりして悩んでいました。
そんなこんなの2,3年を過ごしている時、息子が「お父さん、俺もオリンピック出たい」と言うんですね。それを聞いて「格闘空手では無理だな。しかし、総合格闘技のようなものがないから、それだったら出られるかな」と思ったりもしました。ただ、それは気の遠くなるような目標だし、もう50歳にもなって今からまた新しいことするのかと、大道塾で独立する時も色々裏切りや抵抗があって嫌な思いをしたのに、今更また、そんなことやりたくないなと思っていました。
そしたらその3日後に急に息子が亡くなって、自分は生きる張り合いをなくしたようで、どうしていいか分からなくなったんです。1年ぐらいグズグズ過ぎたなら、娘からも「お父さんしっかりして、大道塾はどうするの!!」弟子からも「私たちは強い先生に憧れて大道塾に入りました。お辛いでしょうがそんな先生見たくありません」などと色々言われて。「そうだな、俺が頑張らなければ大道塾はダメになってしまうんだ!もう少し頑張らなくてはならないな」と「息子にオリンピックに出れるような道を開いてやりたかったな」と、そういう意味もあって50歳と半年の歳になって「空道」というのを始めたんですね。案の定、色々なことが起き、一年一年を乗り越えるのは大変だったけど、その度に決意した日を思い出しながら牛の歩みを重ねてきました。
しかし、振り返ればあっという間の20年で、何とかここまで来ました。オリンピックの前にはワールドゲームスがあるんです。今の空手もそうですし、バトミントンやトランポリンなんかもまずはワールドゲームスに出て「これは人気ありそうだ、組織もしっかりしてる」という判断をIOCからされてオリンピック競技の可能性が出てくることになるんです。一昨年にデモンストレーション競技でしたがワールドゲームスにも出ることが出来ましたし、2025年には青森国体で公開競技ということで、全日本選手権が国体でやれるようになりました。そういう意味で、やっと7合目まで来たなと。
ウチは10周年、20周年、30周年のお祝いは、大会後の打ち上げの時にやったくらいで、こんな、特別な日を設けてパーティーはやったことがなかったんですけども、私も動けるのはあと10年ぐらいかなと、そういう意味で、昨日の支部長会議で「あとの10年間、みんなで一致団結してもっともっと空道をしっかりしたものにしよう。体育協会に加盟したり、国体に出たり、そういう風な目標でやろう!」と決意表明しました。
また今日お集まりになられている皆さんにも「我々のこういう決意をご理解いただき、今まで以上に見守って頂きたいたいと思います」と、ある意味“人騒がせな”な集まりを行いました。お許し頂きたいと思います。なんとか自分が棺桶に入る前に(笑)空道をより一層、高度な国際競技にしたい。そういうつもりでやっております。今後、益々のご指導ご鞭撻をお願いし、開会のあいさつに代えさせて頂きます。長々とご清聴有難うございました。