第二回ヨーロッパ大会遠征レポート文・画像 高橋英明(新宿支部)

2/17に開催された第二回ヨーロッパ大会に審判として参加するため、東塾長、平塚評議委員長、長田支部長、廣井支部長と一緒に、2/15〜19の行程でモスクワに行って来ました(塾長と評議委員長は、モスクワの後、ドイツとイタリアに移動してセミナーを開催)。

15日(金)の17時過ぎに、ほぼ予定の時刻通りにモスクワ空港に到着。塾長のテレビインタビュー(その日のうちに放映された模様)が終わってから選手の宿舎に向かい、簡単なパーティーに出席したあと、宿泊するホテルに到着したのは確か22時を過ぎていたと思います。
その後、モスクワ支部の方々と夕食を共にし、ベッドについたのは24時。3時に目が覚めたので、そのまま起きて8時まで読書と仕事。まずはメールチェックしたところ、1日会社にいないだけでいくつかの悩ましい報告があがってきており、この後どうなることやらと、ちょっと気が滅入りました。

16日(土)は、午前中に赤の広場とクレムリンの宝物庫を見学したあと、ヨーロッパ大会の会場と同じところで行われているモスクワ大会を14時から見学。決勝の最後の2試合の主審を廣井支部長と長田支部長にお願いし、主審の模範を示してもらいました。
私は、準々決勝以降の18試合でのロシア審判団および選手の動作をチェックしましたが、「効果」の判定基準に若干の違いがあるといったこと以外、ロシアの審判団はこのヨーロッパ大会のためによく訓練を積んだものと思われ、想像以上に統制がとれていました。4組の審判団が形成されていたようですが、日本のA級審判に匹敵する技術を身につけていると感じました。当初は審判講習会を開きたいと考えて資料も用意していきましたが、そこまでの必要はないと感じ、17時からの会議では、15項目程の改善点の指摘と質疑応答にとどめました。 2時間の会議の後、モスクワ支部の方々と夕食をとり、この夜は23時就寝。

開会式
開会式

大会当日の17日(日)は4時起床、6時からトレーニングルーム、8時朝食、9時にホテルを出発。
ヨーロッパ大会の開始時刻は10時でしたが、開会式がないままに、すぐに試合開始。1回戦と2回戦でそれぞれ5試合ずつ、主審を担当しました。ここのところしばらく、審判の指導に集中していたので、久しぶりの主審担当でした。

13時まで1回戦と2回戦を行った後、4時間のインターバル(この間に、開会式等で行うショーの最終リハーサルを行っていたらしい)の後、17時から開会式と準決勝以降の試合を再開しました。 男子は230未満、240未満、250未満、260未満、270未満、270以上の6階級、女子は1階級のみ。

女子のビコワは圧倒的な強さでしたが、態度は最低。対戦相手を尊重する姿勢がまったく見られず、武道の大会としてあのままテレビ放映されるのは、とても耐えられないと感じました。
男子は、技術面では思ったほどの進歩はなく、立ち技中心で、相変わらずパンチを振り回すスタイルが目立ちました。ただし、皆さんもよくわかっている通り、回転が速くて強いパンチと、強い拳、それに打たれ強さが驚異です。私が主審を担当した試合でパンチによりマスクが割れました。前回の世界大会同様、規定以上にバンデージをぐるぐる巻きにしていたということもあるのでしょうが、今までのような縦だけではなく、横にもひびが入りTの字に割れました。パンチでの効果の取り合いで、効果が5とか6の試合もあり、最後の判定を出さなければならないケースが比較的少ないという意味では審判として楽な面もありましたが、一方でスピーディーに「効果」の連続や取り合いがあり、旗を数える必要があるのに選手から目を離すことができないという難しさがありました。世界大会に出ていた選手の姿はあまり見られませんでしたが、来年の世界大会に向けて復帰してくるだろうと思うと、「技術面では思ったほどの進歩はない」という印象も楽観視できません。ただし、太ったシニューチンが審判を務めており、シニューチンが現役に復帰することはないだろうと思います。決勝7試合の主審と副主審は、すべて長田支部長と廣井支部長が務めました。ご苦労様でした。

前日の長田・廣井両支部長の模範的主審の姿を見たことと、15項目の課題の指摘を通して、ロシア審判団の技術はたった1日で格段に向上しましたし、選手の態度も試合が進むにつれて向上しました。これは、誰の目から見ても明らかなことだったと思います。選手の競争だけでなく、審判についても、ぼやぼやしているとロシアに追い越される危機感を感じました。
終わったのは21時で、閉会式の後、大会会場にて打ち上げパーティー。この日もベッドについたのは24時でした。

18日(月)も4時に起床して仕事を開始、6時からトレーニングルームで1時間汗を流した後、この日は朝食を抜いて、10時からのモスクワ観光に出かけられるように、帰国後の仕事の準備に集中。幸いなことに、頭を悩ますような内容のメールもなし。

背景は救世主キリスト大聖堂
背景は救世主キリスト大聖堂

モスクワの大学で日本語を専攻しているアーニャが観光案内をしてくれました。大学3年生だが、ロシアでは16歳で高校を卒業するそうなので、大学1年生の我が家の2番目の子供と同じ歳の19歳。日本語はまだまだだが、一生懸命通訳しようとしているところがえらい。メインの通訳を担当してくれたカーチャがすごく高い能力をもっている人なので、それを見ているアーニャもよい通訳ができるようになると思います。 この日は小雪で、市内や河は真っ白になっており、やっと冬のモスクワに来たという雰囲気でした。地下鉄を使って移動しましたが、地下深くにあるホームに向かう急勾配の長いエスカレータに乗っている人々の姿は、地下の炭坑に黙々と降りていく労働者の群れの雰囲気があり、ロシアを感じました。 救世主キリスト大聖堂を見学したあと、アルバート通りという古い街並みの通りを散策し、昼食のレストランに向かいました。


アルバート通りで長田支部長から借りた帽子をかぶって

塾長は中華を食べたいとおっしゃっておられたところを、我々審判3名のロシア料理を食べたいというわがままを聞いていただき、モスクワ支部の方で選んだ所が、古い豪邸をレストランにした、内装にもすごく凝った(肖像権の為と思うが、写真撮影は駄目と言われた)レストランで、本場のボルシチや、黒パンを発酵させて作った飲み物、骨付きステーキなど、ロシア料理を堪能しました。

それぞれが一言ずつ挨拶をし、その都度何度も乾杯して、非常に楽しい時間を過ごしました。私は審判という観点で話をしましたが、選手だけでなく審判についても、日本とロシアが、空道を発展させる為の両輪として力を合わせていかないと駄目だと思います。両輪と言うことは、片方が動かなくなっても駄目なわけです。ほんとうの意味で、お互いが一致団結して力を発揮しないと、駄目だと思います。そういうことを感じられたし、それができるだろうという認識を持てたことが、今回の遠征の一番の収穫でした。やはり、人間は同じ目的のために直接力を合わせる経験を持たないと駄目ですね。今回は第二回ヨーロッパ大会の成功のために、我々3名の日本の審判は最大限の努力をしましたし、その努力と、努力による効果を、ロシアの方々は強く感じたと思います。大会の成功に大きく貢献できたと思います。目的意識を共有し、成功させるという体験を通して、心が通じ合ったと思います。

ベゼルチャコフが、「我々は全力でボートを漕ぎはじめた。漕ぐ手を休めると、後ろからどんどん追いつかれる。全力で漕ぎ続けなければならない。」と言っていたことが印象的でしたし、モスクワ支部の人達は皆、このヨーロッパ大会のために全力を集中してきて、今は脱力感があるという状況は、我々が第一回世界大会を開催した時と同じだろうと思いました。

ブルガリアでの第一回ヨーロッパ大会への参加を、海外遠征の最後(最初でもありますが)にしようと思っていましたが、やはりロシアの審判の技術向上がきわめて重要という認識から、無理をして今回モスクワまで来ました。その甲斐があったと思いました。

レストランから空港に向かい、19日(火)昼近くに成田に到着した後、空港から会社に向かい、社長との会議をはじめ、4つの会議をこなしましたが、帰りの飛行機の中での記憶が薄く、ついさっきまでモスクワのロシアの雰囲気が漂う地下鉄に乗っていたのに今は東京の地下鉄に乗っていたり、ついさっきまでモスクワ支部の方々とロシア料理を囲んでいたのに今は会社で会議をしているという、不思議な感覚を持ちました。
気温、人々、雰囲気等々においてまったく違った世界にいた3日間から、急に日常の世界に舞い戻った感覚です。2つの世界を往復した4日間でした。このような体験はなかなかできないですね。 モスクワにいる間は毎日4時間くらいしか寝ていなかったので、この日の夜は4日ぶりにゆっくりと眠ることができました。

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