ウクライナ遠征東孝旅日記

当初のスケジュールではエジプトでのセミナー後に2カ国目として立ち寄る予定でしたが、前者が延期となったため単独のセミナーとなりました。「還暦を過ぎた身にはこの方が楽だなー(笑)」

2日間のセミナーは、首都キエフでの初日が150名以上、2日目の第2の都市ドネツク近郊では200名以上参加とテレビ局まで取材に来る盛況ぶりでした。サモヒン支部長の手腕で空道はウクライナ22州全てに広がり国民の殆どが知っているほどの武道に発展していました。「行く先々で“見知らぬ人間”に聞いた結果がそうだったから間違いない(笑) 」。

テレビ局の取材
テレビ局の取材

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ウクライナ遠征動画

ウクライナの地元テレビ局で紹介された空道セミナーの模様。

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ウクライナ遠征 続編

あくまでコノネンコのレポートの補遺として(筆が走り過ぎないようにってか  笑) 。

昇段審査と応援(?)者との記念写真

サーシャは弁護士として大成功して地方の方には、キツネやウサギなどを放し飼いにしてハンティングの時には車で追いまわすという広大な別荘地(!!)を持っているが、なんとこのキエフの空港の近くにも3000坪の土地を持っており、ここに日本庭園と道場を作りたいとのこと!!よーしこうなったならウチのかつてのビジネスマンクラスで現在は造園業者としてふんぞり返っている某I に請け負わせて、上前をはねてやるッか!!などと、“胸算用”したものだから、この話で一気に盛り上がった。
実は柔術が流行りだした10年ほど前に、「昔取った杵柄」とばかりに個人的に「寝技をもう少し勉強してみるか」などと思っていたなら、総合の初期のころの選手でガイメッツァ-という選手が、偶々ウチに練習に来たりした。この辺の経緯を書くと又別な“ドラマ(トラウマ笑?)”があり面白いが、話が長くなるから省く笑。で、その縁だったとは思うが、今は記憶が確かではないのだが、ジークンドウの中村君を紹介して貰ってロスのマチャドの道場に寝技修行に行ったりした。※

※この時は最初の練習でいきなり青帯とやらされた。高校柔道とは言えそれでも3年間は寝技もしていたので、何とか極めたと思ったなら、次はいきなり黒帯が出てきて、さすがにどうしようもなく、逆に「これなら来た甲斐がある、良い練習になるぞー!」と、次の日は意気揚々と張り切って行った。所が、受付で「あなたには教えることはできません」となった!どうも他の生徒の中に空手経験者がいて「あれは極真の何某で柔道経験者だ、云々」と上に告げ口したらしい。今は本、ビデオ、DVD果てはYoutube等であらゆる技が公開されるようになったから、そんなことを言っても技の流出は避けられないだろうが、当時はそんな感じだった・・・。中村君には「これは塾長の寝技が進歩するのを警戒されたという事で、名誉なことですよ」などと慰められたが、折角1週間道場を空けて費用と日時を掛けて行ったのに・・・、とガックリきたものだった。

それではと、その後、講習会で頼んだ時に良い印象だった(練習も好きだが酒も好き 笑)パラエストラの中井代表の道場に、日中何度か通ってマンツーマンで寝技の相手をして貰って結構楽しんでいた。所が、周知のように寝技は腰への負担が立ち技以上に大きい。5,6回目の練習後に選手時代からの爆弾である腰(と、それから来る膝)を悪化させて、起き上がれなくなるほどになってしまったので、それ以来は残念ながら警戒して寝技は滅多にしないようにして来た。

そんな事もあったのでその頃から10年ほどは、以前は馬鹿にしてしなかったが寄る年並みと、“勤続(金属?)疲労”には勝てず、週3回の練習の後にはマメにカイロやマッサージ通ったり、膝や腰への注射をするように努めてきたなら、何と、この頃はそれを忘れるほどに(いや忘れた!)頗る快調になっていた。
これまた、諸悪の根源である(笑)右ローも最近はなるべく使わないようにしているが、あまりに無防備な立ち方をしている選手には(威力は別にして 泣)「蹴って見せないと、覚えないからな」とここ1,2年は蹴ってやることも出来る程度には回復していたから、つい安心、を通り越して“増長”してしまった 笑。
通常、本部の金曜日の練習は、初めの1時間は私が立ち技中心で指導し、後半1時間を寝技の得意な先輩格がという事になっているが、この所、寝技を指導してくれる先輩格が来ないので、それでは試合に出る選手が可哀相だと、立ち技の後に何度か相手をしてやった!!薬物もアルコールもそうだが、依存症というのは、頭で「駄目だ、もう止めよう」と思っていてもつい手が出るらしく、私もつい・・でした。「驕る平氏は久しからずぅ〜」というか、案の定、次の日は歩くのが精いっぱいな爺(ジジイ)姿になり、椅子に座りPCに向かっていても(脚が長いから)多少o脚気味に股を広げると、右膝が外れそうにガクッとなるまでになった!!!!!それが遠征の1週間前だ!!
慌てていつもの先生方に泣きごとを言い駆け込んだなら「だから、寝技は駄目だと言ってるでしょう!!」などと文句を言われながらも、「でもたまにはやって見せないと今のガキは『塾長は寝技が出来ないんだ』、等と舐めるからそうも行かないのよ。なんとか矯正の方、頼んますよー」とか、「注射は痛くなって暫く時間が経過してからじゃないと駄目ですよ!」と言われても、「そんなことを言わないで注射してよー!」と泣き付いて、腰やら膝やらに打って貰って何とか漕ぎ着けた遠征だった。

実際、最近は深酒をすると自然に緩む筋肉が、更に以前に比して当然少なくなっているから、すぐに腰や膝に来る(泣)。そんな“斜体?”整備(体が傾いているから)状況だったから、数年前のモスクワセミナーの時のように、今回の遠征でも指導中に膝がロックしれ動けなくなったのでは『塾長限界説』にも繋がるから(笑)、少し節制して体調管理しないとな」とアルコールも極力抑え気味にして(いた積り)、指導には万全の体調で臨んでいた。(だから、セミナーはこの所の何番目かの立派なものになった―自画自賛)。そういう事情もあったので、作戦上パーティ会場でも、少し奥まった小部屋で様々な塾生の“陳情”をコノネンコの通訳で聞き分けるようにした。
その一方で、塾長の“有難ーい”お話に飽きた俊輔は、しかし健気にも言葉も知らない宴会場に一騎で“出陣し”ボディランゲージであっちこっちに声をかけては懸命にコミュニケーションしようと頑張っている。何と「ウオッカで30回は乾杯しました」らしい!!昼のセミナーで「なんか有名人になったみたいで気分いいですねー」等と言っていた勢いもあったのだろうが、それにしても偉い!(「でも、体に気を付けてな・・・」)度々言うが、最近の“ワケーもん”は、選手としてそれなりになってもそこまでで、人との繋がりを求める人間が少なくなって来ている気がするからだ。

武道は、「格闘技」という無機質、剥き出しな言葉の意味する「護身の術の習得」だけではなく、その先の「練習・修行を通じて人間として成長し、一個の人間として社会貢献すること」だが、そこから更に進んで「周りの人達の為に何かできる、力となれる人間にまで向上したい」と願うもの、だと思う。そんな時どっかの相撲取りのように「俺は強い等とふんぞり返って威張る」などは論外だが、反対に試合場では生き生きとしてるのに、打ち上げなどでは端っこの方で小さくなっていられても、周りも盛り上げようがなく困ってしまう。確かに生意気よりは良いだろうし、謙虚で好青年ではあるのだが、それでは一兵卒に過ぎず、将として!の、とまでは言わないにしろ、もう一歩、人の中に踏み込む器量というか、人間としての幅が欲しい。
確かに、こういう武道・格闘技を好きになる人間は、情熱的な(血の気が多い?笑)ために、人と普通に付き合うのが不得手だったり、感受性を持て余して、逆に内向的になったりする人間が多いのだ。いつも言うが、子供の頃から大抵自分の部屋を持っている今時の子供の大半は、ここでそのまま引き籠りやウチに籠る人間になってしまうのだが、さすがに武道や格闘技に興味を持つ子供はそこまで大人しくはなれないから良いのだが、その差は紙一重である。笑。それを打破する為に、何かで自信を持ち、自分の居場所、自分の立ち位置が欲しい、と道場の門を敲(たた)く。一寸、表現が古いか 爆。
(それに比べると、そもそも元々、外交的だったり、自信満々な人間は、一般的には「やっちまえー」とか「殺せー」という側には回るが(笑)、自分で苦しい想いをしてまで実際に競技者になりはしない。そんなことをしなくても言葉で相手を遣り込めたり、他の面で自分を支え、普通に他人と接したり、果ては他人と対抗出来るからだ)
そういう意味で、純朴な田舎者である私がこの道にへばり付いているのも、自分を支える何かが欲しいからだと思う(冷静だねー)。だからこそ昔の自分と同じような、自分のいるべき場所、人中(ひとなか)での“立ち位置”の分からない“今のワケーもん”には、武道で自信をつけて自分の場、自分の器量を広げて欲しいのだ。強くなってもそれでも自分の殻を破れない“本当に(過度に)謙虚な人間”には、多少酒の力を借りても良いから人と交わって欲しい(※)「ウケ狙い」とかまでは無理だろうが笑、そのうち自転車の練習と同じで、手助けがなくても人の中にいる事のぎこちなさは消え、普通に他人と話をするのは苦にならなくなる。

※:「人と結びで有情を体し」 だ!!
注:この意味は“友情”も含まれるが、それだけでは子供会みたいだから 笑、「人と付き合う事で人情を豊かに」という意味だぞ!!

閑話休題(話変わって)そんな訳で今回の私は(と、表現まで上品になった 笑)体調上&作戦上、控え目に会場の端っこにいたのだが、ウチの連中の認識は私の思惑にはお構いなしに「なんか塾長は今日は大人しいな?何か機嫌でも悪いのかな?」といったような疑心暗鬼が生まれたようで、どうも見てもみんな“ノって”ない。そのうち通り一遍の挨拶をして、一人二人とつまらなそうに帰ってゆく。
ここで娘が「やっぱり塾長が楽しくならないとみんなが遠慮するんじゃないですか・・・(こんなに丁寧には言わないが 笑)」と駄目押しする。そうなると、「確かに、せっかく歓迎してくれるんだから楽しませないと悪いな」と誠意“小”将軍としては、嫌々ながらも 笑、コノネンコが書いているような、コサックの餌食になり、そのままの勢いで“基本ウォッカ割”りをして、まぁまぁの盛り上がりまでには持って行った。フゥー!
ここまでは良かったのだが・・・。という訳で話は一気に冒頭の空港近くのウクライナレストランへ跳ぶ!!!

空港近くのウクライナレストランにて
空港近くのウクライナレストランにて

最後の最後の場で、ウクライナ特製の「わさび入りウォッカ」での乾杯が始まっ(てしまっ)た!!初めは私もそれまでの作戦もあり控え目に飲んでいたのだが、健気にも俊輔はここでも顔をしかめながらも頑張っている。「無理すんなよ」とは言いながら、その内、外国人の武道好きによくある、武道論やら、日本論が始まり、私も偉そうに乏しい蘊蓄を吐き出して段々気分は高揚して来た。そこを見逃さす、敵は私にもドンドン注ぎ始まった。それまでは挑発にも乗らず、我慢してたのだが、遂に地が出て「上等じゃねーか!」状態に突入ー!「俊!オメーだけには押し付けねーかんな」等と始まってしまった!!!
30分位の間にボトルが2,3本空き、空港に着いた頃は「矢でも鉄砲でも持って来い!」状態・・・・!!!!
と、3人の文章ではなるでしょうが、どっこい私としてチャンと覚醒しており、ただあまりに空道をみんなが知っていてくれるので、2日間のセミナーの成功と相まって嬉しくなり、折から大統領を迎えに出ていた空港警備の警察にも「空道、どうよ?」と質問してみたくなった位で、俊輔が言うように「暴れただの」、コノネンコの「以下は省略します」と言うほどではありませんでした。(娘のは少し怖いが 爆)おしまい!

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