押忍。北海道本部の田中俊輔です。この度、9月16日に開催された「空道南米選手権大会」出場のため同行させて頂いたブラジル遠征について御報告させて頂きます。
東先生から今回の南米大会出場のお話をいただいたのは7月のサマーキャンプの時だった。「ブラジルで試合!」というスケールの大きな響きに、つい勢いだけで「押忍」の一つ返事で了解してしまった。しかし正直ブラジルと言われてまず始めに思い浮かぶものと言えばサバンナ八木のギャグぐらいのもので、あとは地球の裏側にあるサッカーの強い国、というのが僕の頭から絞り出した精一杯のブラジルについての知識だった。そして、僕にとってこれは初の海外での試合。まさか地球の裏側でやることになるとは思ってもみなかった。昨年ロシアで行われたワールドカップには代表選手として出場する予定だったが、出国直前で体調を崩し代わりに師匠に試合をさせるという失態を犯したこともあり、今回はいつも以上に体調管理には気を使った。(その節は本当にすみませんでした汗。)
【編集部注1】「2011第一回空道ワールドカップ」において、田中俊輔選手に代わり急遽、吉祥寺支部飯村健一支部長が出場し-240クラス第4位に入賞を果たしました。(大会特集記事)
9月13日午後3時。成田空港国際線カウンターで東先生、事務局長、飛永支部長、繁樹先輩と合流。手続きを済ませた後は出陣前の乾杯。と言っても僕は試合を控えた選手なのでお茶で我慢。試合が終わったら浴びるほど食って飲んでやると心に決め、いよいよ出国。
中継ポイントのダラスまでは飛行機で約13時間。この罰ゲームのような長時間の移動での唯一の楽しみと言えばやはり機内食だ。しかし忘れてはいけない僕は試合前の選手だ。いちいち運ばれてくるハイカロリーな食事を残さず全部食べていては胃がもたれて試合に差し支えると思い、おやつに出されたハンバーガーは食べずにかばんの中へ。到着まで備え付けのモニターで映画やゲームをして時間を潰した。
ダラス到着。空港のゲートにはイカツイ保安官が麻薬犬を連れて入国者の列の周りを行き来していた。物騒な国なのだなぁ。と心の中でつぶやいていたその時、麻薬犬が僕に飛びかかってきたのだ。身に覚えのない僕は当然パニックに。そして一躍空港中の注目の的になってしまった。どうやら麻薬犬は機内で残したハンバーガーに反応したらしい。その後は僕だけ別の通路に通され暗い廊下を200メートルほど歩かされ検査員にチェックされた。そしてまた暗い廊下を200メートル戻ってようやく解放された。
まさかハンバーガーひとつ残しただけでこんな目に合うとは思わなかった。子供のころよく両親から「ご飯を残すと大きくなれない」と言われたものだが、「ハンバーガー一個残しただけで麻薬犬に噛みつかれ暗い廊下を400メートルも歩かされる」ということは両親から全く聞かされていなかった。まぁこれも試合前の厄落としだと無理やりプラスに考え、サンパウロまでの飛行機に搭乗。サンパウロまではさらに11時間、そこからさらに試合会場のあるポルトアレグレという街まで飛行機で2時間。札幌からポルトアレグレまで約28時間飛行機に乗っていた計算になる。もう今が朝なのか夜なのかもわからない状態だ。ポルトアレグレの空港ではブラジルの塾生が迎えてくれた。そしてロサンゼルスから一足先にこちらに来ていた伊藤先輩とも合流して車で市街地にあるホテルに向かう。
夕食はブラジル料理のシュラスコが食べられるレストランへ。席に着くと長い串に刺さった肉の塊が次々運ばれてくる。血の滴る肉とはまさにこれのこと。日本ではなかなかお目にかかることのできない豪快な肉料理だ。明日に試合を控えている僕は野菜とライスとチキンを少々、当然大好きなビールも飲めないが、向かいで本能のまま肉に食らいつく繁樹先輩の姿に一人悔し涙を飲んだ。
【編集部注2】シュラスコとは鉄串に牛肉や豚肉、鶏肉を刺し通し、荒塩(岩塩)をふって、炭火でじっくり焼いたブラジルをはじめとする南米の肉料理のこと。男性ウエイターが串ごと客席に運び、目の前で食べたい量を切り分けるという供し方が特徴。
そして翌日。いよいよ試合の日。コンディションはバッチリ。今日はいい試合ができそうだ。予定では午前中に審査会とセミナー、そして午後から試合をすると聞かされていた。しかしホテルから会場まで向かう車内で衝撃的事実を聞かされた。「やっぱり今日は審査会とセミナーだけ。試合は明日やる。」というのだ。南米のルーズな感覚ではそういうこともあるのだろう。まぁ今日より明日の方が時差ボケもマシになっているはず、と無理やりプラスに考え今夜も悔し涙を飲むことを覚悟した。
会場にはブラジルやチリから審査を受けるたくさんの塾生が待っていた。みんな上半身の筋肉がやけに発達している。パワーがありそうだ。セミナーは、東先生の号令で、準備体操、基本稽古、移動稽古と通常の稽古のように行うのだが、動作の意味やポイントを先生が通訳を通しながら一つ一つ丁寧に解説しながら進めて行く。それが終わるといよいよ組手が始まった。全体的に打撃はパワーに頼ったパンチ主体のファイタータイプが多いようだ。一方寝技の方はさすがブラジルだけあって柔術がうまい。
審査会、セミナー全て終了し夕食へ。当初の予定では今夜こそ胃のもたれなど気にすることなく存分に肉に食らいついてやるつもりだった。しかし今日もまた血の滴る肉はお預け。この日行ったレストランには店の中央にステージがあり、生バンドの演奏とショーが楽しめる所だった。ブラジルでショーと言えば、必要最小限の衣類を身にまとい背中にクジャクの羽のようなものをつけた女性が満面の笑みを浮かべて踊るあれを想像した。ブラジルでショーと言えばあれだろう。あれしかない。一人期待を膨らませるなか始まったのは、男性が1.5メートル程のひもの先にソフトボール大の玉のついたものを両手に一本ずつ持ちひたすら振り回すという異様なもので、僕の予想は完全に裏切られた。が、それはそれでなかなか見ごたえのあるものだったのでよしとした。
さぁこれにて今夜の食事会もお開き。ホテルに戻ったら明日に備えてゆっくり休もう、と思ったその時。ふとステージの方を見ると、ステージ上にはなんと東先生の姿が。繁樹先輩と僕が呼ばれステージに上がる。そして突然始まった大観衆の前での空道デモンストレーションマッチ。正面、主審(東先生)、お互いに礼をして試合開始。序盤はお互い様子を見る打撃の攻防。バックでは生バンドの演奏が試合を盛り上げる。組み合った瞬間、繁樹先輩に首投げを決められ、そのまま腕十字を取られ僕は一本負けを喫した。が、これはデモンストレーションマッチ。試合は続行する。今度は僕の左ミドルの連打でダウンを奪い一本勝ち。そこでようやく試合は終了した。場内は大盛り上がりで、僕らは大きな拍手と大歓声に包まれた。試合は明日だというのにまさかこんなところで闘うことになるとは思いもしなかったが、結果的には明日の試合に向けたいい予行練習になったのでよしとした。
そしていよいよ試合当日。会場にはブラジル、チリ、アルゼンチンの選手と観客が大勢集まっていた。試合を見ると、荒々しい闘いをする選手が多いが、中にはテイクダウンを狙う寝技を得意とする選手や打撃を得意とするムエタイスタイルの選手もいる。個性の強い選手が多く見ていて面白い。僕はシードだったので一回戦を腕十字一本で勝ち上がったチリの選手と対戦。力が強くしつこくタックルに来るのでやりづらさはあったが、前蹴りで効果ポイントを取りなんとか勝利。重量級の伊藤先輩もパワーのある相手だったが顔面ヒザでダウンを取り勝利。2人揃って決勝進出。僕の決勝戦の相手はブラジルの選手だが、チリ国内のムエタイチャンピオンらしく打撃がうまい。決勝まで首相撲でのヒザでKOして勝ち上がってきていた。延長まで行ったがなんとか判定で勝利し優勝することができた。次は伊藤先輩の番。先輩はマスクをかぶりコート脇にスタンバイしたところで突然、相手選手のケガによる棄権。伊藤先輩の不戦勝が告知された。少し締まらない終わり方ではあったが、日本人全勝には変わらないし、実際決勝を闘っていても伊藤先輩が勝っていたと僕は思う。ただ我々選手以上に大変だったのは全試合、8時間近くに渡って審判に入っていた飛永支部長と繁樹先輩のはず。(本当にお疲れ様でした。)
やるべき仕事を終え向かった先はバーベキューの出来るログハウス。ようやくありつける夢にまで見た血の滴る肉。食べるだけでは飽き足らず、もういっそ自分で肉を焼いてやった。遠征最終日だけにブラジル勢もかなりはじけているようで、序盤からビール一気の応酬。テキーラなども出てきて後半はほとんど記憶がない。結局、繁樹先輩と僕はそのまま酔いつぶれホテルへ送還された。翌日はひどい二日酔いののままブラジルを後にし、また30時間の過酷な空の旅へ出発した。
東先生はじめ事務局長、飛永支部長、繁樹先輩、伊藤先輩。それから、お世話していただいたブラジルのみなさん。本当にありがとうございました。今回の素晴らしい経験を糧にし、これからもがんばります。押忍!
田中俊輔(北海道本部)
更新日2012.9.26