(6.1更新)5.30更新の完全版を一部修正しました。
出発から今日まで、結構ぎっしりのスケジュールだったから中日を過ぎて、やっと時間が取れてこれを書いている。
と書いて「帰国して遠征の残務整理を1,2日したなら完成させよう」と思っていたのだが、成田に着くなり、遠征だからと遠慮してた(のか?)メールや、後回しにしてた仕事の山が遠慮会釈なく飛び込んできて、続きをまとめるのに、今日まで2週間掛かった!!その上、HPに載ったそれまでのレポを読み返してみたなら、前後関係があやふやだったり、もっと書き足したい所があったので、全面的に書き直したりしたこともあって・・・・・。なお、5月9日以降は他のレポに出ているので割愛。
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体力別が終わった1日あとの5月7日から13日の予定で、インドのムンバイから車で1時間半ばかりのカンダーラという町でセミナ及び審査をするために滞在している。メンバーは、高橋師範、能登谷佳樹支部長(※1)、シンガポール在勤で昨年の「第1回空道アジア選手権韓国大会」にも参加したFabian(元本部生)(が、今回は黒帯をかけて参加)それに事務局の由美子という5人のメンバー。
※1 寝技をきちんと指導できる指導者という事で、数人の候補者に連絡してみたが「仙台での体力別に出た後はさすがに・・・」という事で良い返事がない。「それでは関東圏で条件に当てはまる人間」という条件で絞ったが、それでも中々いない。で、今本部の金曜クラスを担当してくれてる能登谷支部長に“押し付けた”(笑)。しかし、常に飄々と試合をこなすイメージからか、「試合後だから選手は無理だ」という点はすっかり忘れていた(笑)。
しかし、ご存じのとおり体力別の怪我で急遽、来れなくなったので4人になりそうだった。そんなわけで、当初は自身の雑誌などへの取材が主目的で同行を決めてた多田英史弐段(本部水曜打撃投げクラス指導員、講道館柔道弐段)こと川保天骨編集長を急遽メンバーに何とか5人にした!!が、そのまま進まないのが大道塾たる由縁(ゆえん所以とも書く)。
何と成田でのチェックインの際に「多田様はキャンセルになってます」とのこと。インド側が能登谷支部長の名前を間違っていたのだ。結局、天骨編集長は次の日の便で何と時間が倍もかかるUAEのアブダビ経由で。何でも合計20時間も一人で飛行機に乗ったのは初めてで、ブツブツ独り言を言ってたそうだ(笑)。
夜中の2時半にムンバイ空港について、大量のトラックに挟まれ、中央分離帯もなく対抗車のまぶしいライトで道幅も見えなくなるような漆黒の高速道路(コワ!)を2時間、現地へ。就寝は5時半。
昼頃目覚めて15時から18時まで気温35度(しかし山で湿気がないから日本ほど疲れない)の中で基本と移動のセミナ。なんせ、伝統派の大御所だったインド支部長だから、弐段以上に限定したが、インド中の伝統派のいろんな流派の先生、師範達が集まり参加者約50人。所が5階の体育館での稽古が終わって下に降りたなら約1000人超の弟子がきちんと整列して待っている!!体育館の5階だけでは当然収容しきれないので、分散して練習しているらしい。
部屋で懇談会のような夕食。それにしてもなぜ海外では、事務局長が元大学教授(Fabianは「学長と言っていました」まさか!!)、財務担当が元銀行マン(同様に「この銀行は聞いたことがあります」)と、こんなにチャンとした能力とキャリアを持った人間が武道団体の運営に専従できるのだろう?“複雑系”の仕事ではないといっても笑、仕事として人が多く集まる所にはそれなりの運営、統治能力が要求されるのに、オリンピック競技である柔道などは別にして、日本の武道団体の多くは、そんな事は望めない(※2)。
※2 日本の頭脳集団とでもいうべき、M菱総研で「執行役員とパートナー会社の社長」を務めた高橋英明師範が、空道の価値を理解してくれているからだとはいえ(※2-1)、社長を長く務められたにも関わらず4年弱で辞任し(本人曰く、社長としてやりたかったことを計画通りにやりきった)、空道連盟の運営に今まで以上に携わってくれているのは、本当に助かってる(塾生一同“起立!”(笑))。他には、週一「ビジネスマンクラス」を指導してくれる松原隆一郎東大大学院教授のように、現役で仕事をしながらも、運営面でも色々協力して貰っている“有識者”は多く、ウチは物凄く恵まれている団体だとは思うが・・・。
※2-1 高橋師範のインド遠征記より
「これまでの32年間の企業人としての生活の中で、安全問題やリスク・マネジメント分野の専門家としてお客さんたちからのリスペクトや、経営者や指導者として部下からのリスペクトは、普通の人よりは受けてきたほうだと自負していますが、空道を通して、世界中のより多くの人たちから大きなリスペクトを受けることができることを、改めて実感しました。(中略) あとどれくらいの間、体を動かせるかわかりませんが、体が動くうちは、空道の面白さを世界に伝えたいと思っています。」
報酬的にもだし、「人材の育成手段として最も強力で、今日まで日本を支えてきた大きな“武器”」と思っている武道だが、後述するように一般的には、“特殊”な仕事と見られているので、将来性のある仕事と捉えて取り組む人間も多くはない(自分自身、成り行きでなったようなものだから大きなことは言えないが(笑))。一般のいわゆる町道場は当然だが、それなりの規模を持った団体でも、大概は家族(※3) と、良くて数人のパートの人達で支えている所が多い。
※3 事情や経緯を知っている人には「エッ、なんで!!勿体ない!!」と絶句されたが(泣)、娘には折角入ったN商を辞めさせ“家業(?)”に協力させている<(_ _)>
(話が恒例で横道にそれたが)建前上、ヒンズー教はアルコールは原則禁止だが、部屋で飲むとか、そういう施設(レストラン、パーティルーム、飲み屋等)では飲める。食べ物は基本的に芋とか米、野菜、果物といった菜食で味はカレー一色。肉は徹底して鶏であり「鶏よ、何でお前だけがなぁ〜、可哀相に」と冗談の一つでも言いたくなるほどだ(笑)。又、「水や氷は食べて(飲んで)はいけない」とネットでは書いてたが、ビールが温いので、「大丈夫かぁ〜」と思いつつも、氷をガンガン入れたのだが、ま、気仙沼の山川で育ったためか、丈夫なんだろう、何事もなかった。
今日は昨日の基本、移動に続いて、組技と寝技という予定で、天骨編集長がFabianを相手に指導。初めは受身(後方、側方、前方、前回り受身)。続いて一本背負い、体落とし、大外刈り、大内刈り、小内刈りと基本的な投げを指導。
投技は立った姿勢で、引き付けたり押し付けたり振り回したりと、一度に数か所の筋肉を微妙に異なる方向に動かさなくてはならない。言わば今流行の3D感覚が要求されるので、覚えるのは簡単ではない(笑)。その上、投げの原理を習っても、相手は自分より大きかったり重かったりすれば基本や原理を習っただけでは投げることができない。又、相手は投げの原理(崩し)通りに動いてくれないので“作る(崩す)”という段階も必要だ。
その点、打撃は鋭い反射神経は要求されるが、それはある程度先天的に決まっているし、出す方向も直線的か曲線的で、途中から方向を変えたりしなくて良い(というか、そんなことを繰り返したなら筋肉を痛める)。後は自分なりに定められた範囲でスピードを磨いたり、コンビネーションを身に着ける為の、単調な反復練習に耐え、コーチの作戦に沿った試合をすれば良い。
又、柔術(寝技)は、当然、立ってはしないから、大きいとか体重が重いという、立ち技では優位、劣位を決める決定的に近い要素が半減している上に(同じ運動神経なら、大概の運動同様、大きくて重い方が一般的には有利なのは否定できない事実だが)、スピードを競うものでもないから、あんまり運動神経とか機敏さは要求されない。逆に理詰めにジックリと粘り強くコツコツと(みな同じか 笑)攻めることが大事である。となると先天的な才能と同様に、いかに時間を掛けて(原理原則に則った)練習をしたかが問われる。そう意味で柔術が日本中のインテリ(多くは反射神経ではなく理詰めで動く)が集まった、旧制七帝大で受け継がれてきたのは「故なしとしない」ものである。
だから、寝技はある程度までは独学でも習得できるが、というより独りで考え≒学ばないと伸びない。又、打撃系はその人が選手として優れてなくても、チャンとしたとした理論や練習法を知ってる“良い指導者・コーチ”の元で“努力”するかが成功のカギとなる。逆に天才から習うのは難しいかもしれない。しかし、投技の技量は自分で理論を知ることや戦法を指導されることも当然大事だが、一番は「いかに指導者本人が“自然に(見えるほどに)技を使える人”かどうか?」又「それを直接見ることができ、体で習得=“体得”できるか否か?」が大きな岐路になるような気がする。
そういう意味で組技の練習には指導する側も、指導される側にも、集中力が要求される。又、指導される側は感覚を鋭くして指導する人の一挙手一投足に目を凝らし、始めは素直な心で体感し、真似て、体得しなければならない。
ついでにこの3種の技術体系の差とその差がうむ競技者の性格や傾向について述べると。
投技は、相手を掴んでから相手の動きに合わせて(利用して、もしくは誘導して)技を掛けるから、競技者は相手と接近することに何の抵抗もない(スキンシップ)し、相手の動き(=言動)に“合わせたり”とか“先を読ん”(で、合わせたり)が習性となり、受け身的、後手的な対応や言動をするから、相手に安心感というか、正に“柔らかな”印象を与える。半面、ユッタリとして緊急的言動は不得手になる。
一方の打撃は、基本的に制空権を守る戦いである。相手が打撃の届く距離以内に近付いてきたなら、本能的に下がって防衛圏を確保しようとするから“スキンシップ”は生まれ憎(にく)い、じゃない難(にく)い(笑)。また「相手の動きに合わせる」というより(比較的もしくは自分の感覚的だが) 「自分の動きで相手を捉えよう=相手の動きより、先ず自分の動きが優先する」。従ってどちらかというと、攻撃的、先手的な対応や言動をするから、往々にして、相手に警戒心や、硬(かた)さ(≒生硬、硬結)、難(かた)さ(≒気難しい)、固(かた)さ(≒頑固)を感じさせてしまう。半面、緊急的言動は素早い。
私は感受性が強かったからだろう笑、小学生で“悪ガキ時代”があり、本質的には“せっかち”なのだと思うが、「悪ガキ体質を矯正しないとヤバい!」と思って中学以来「“茫洋とした人間””になる」という人格改造に努めたお蔭で、今は隠してるつもりはないが、滅多にそうは見られない。しかし、柔道から始まった武道・格闘技遍歴から最終的に打撃を含んだ、この“総合武道・空道”に進んだということは、打撃系の要素が潜在していたからだろう。
ま「我が田に水を引く」いつもの癖で、「性格は両者が程よくブレンドしているな」との自画自賛はこのへんにして、打撃系に集中していた時代があったからこそ、何度、交通事故の加害者、被害者になることを逃れたか知れない、という経験がある。物事への緊急(瞬間) 的対応力が鋭くなった為だと思っている。
閑話休題(横道迷走修正)
その点、寝技は先に述べたように、上記の二つの技術体系の成否に大きく関係する「身体能力比べ」の面は小さく“詰将棋”とか“碁”みたいなもので、相手の動きを読んで対応したり(後の先)、逆に罠を仕掛けて嵌める(先の先)といった頭脳戦の要素が多いので、個人としては確固たる信念や自信ができるが(というより、だから)、勢い人間関係に慎重になる(笑)。
だから「先天的な体力に自信がないが負けたくはない」とか、「“体育会系”という言葉はあまり好きではない」理系の人間や、文系でも法学や経済学、哲学といった論理的分野の(理屈っぽい笑)人間が多い(気がする)ので、一見して武道・格闘技をしてるようには見えない(その為、舐めてかかって痛い目に会ってる“街の喧嘩好き”も多いと思う(笑)。個人戦においては、だが)
冗談半分、本気半分でよく聞くのだが、寝技関係者はあまり仲間内で飲んだり食ったりしないようだ(笑)。ま、一般的に言ってこの“少子化時代”である。そもそも兄弟がいない子が多く、隣近所に同級生も少なく他人と交わる経験が少ない。それに輪をかけるように、子供の頃から一人部屋にゲーム機やスマホである。そんな時代に更に理詰めの競技を「ジックリと粘り強くコツコツ」していたなら、他人との違いに人一倍敏感になる。
社交というのは一つの技術であり情念をもとにして生まれる心の幅であり「小異を捨てて大同に就く」気持ちがなければ成り立たないものだ。それでなくても複雑 (怪奇?)なこの時代、細かな点に拘っていては他人と話の糸口もできないし、厳密な事を言い出したならキリがない。ある程度の“鈍感さ”が必要とされる。中々そうはなれない寝技系の人は、良否を問わず“孤高の人”が多い感じがする。
しかし、とはいいながらも寝技にマウント・パンチという“時代が許した(私は“武道”としては積極的には認めたくないが)究極の闘争形、バーリトゥードーの“ハロー効果”で、競技人口は当分は増え続けるだろう(長くなるので、別の機会に書いてみたい)因みに、バーリ・トゥードーは“総合”であり寝技では括れない。(長くなるので、別の機会に書いてみたい)
午後は審査。通常、他の武道・格闘技から空道に移行する場合の段位や級は、まず、当然ながらそれまでの経験により獲得した段位を加味したものになる。それを無視して「空道は初めてだから白帯からやり直せ」というのは、それまでの他の分野での心身の努力や経験を無視した“独善的”なものだからだ。かと言って技術体系である以上、技術が伴わないのに、経験や体力だけで“プロパー”(笑)と同等のランクにはできないのも、当然だ。
そこで、具体的には、空道で要求される3つの項目、①直接当てている競技 (ボクシングやキック等)、②組技(柔道、レスリング等)、③寝技(柔道、柔術、レスリング等)等々の経験の有無、に分けて検討し総合点で段位を決める。インドの場合は、メハル現支部長が4年前に「とにかく空道しかない」と、決断して伝統派(寸止め)空手で七段まで取っていて、国ではそれなりの立場であったものを置いて飛び込んできた経緯がある。
「将来性はあるが、まだ“権威”や“周知”のない所に飛び込む」という事は「年齢的には高くても何の経験もない人間」にとっては“挑戦”だが、「それなりの立場のある人間」が同様なことをした場合は、“無謀cとか“奇矯“(「何を考えてるんだ??」)となる。(だから今まで何人の人間が「空道は素晴らしいと思うから始めたいが、現在の段位より下がるのは…」と立ち止り、後退(ずさ)りしたことだろう・・・。。
因みに、上述したように初めは技術体系の違いから何ランクか下から始まっても、それ以降は通常、昇段には段位の数字と同じ年数 (初段から弐段位は2年、参段から四段は4年・・・) 掛かるのだが、他武道・格闘技の経験者は経験を活かせるので、元の段位までは1年毎に審査を受けることができる(勿論、合否は努力次第であるが(笑))
ウチのことを良くご存じの方は知っていると思うが、以前にもインドに数年滞在した長谷川朋彦参段が個人的に教えた人間がインド東部のチェンナイ(旧マドラス)で始めた支部はあったのだが全くの職人的活動で、その後の数年、登録も審査結果の報告も全くなく組織的な活動とは言えないものだった。
そんな訳で、2011年にメハル現支部長がメールでの問い合わせからムンバイ(旧ボンベイ)で初めてのセミナをしてそれ以前の支部長も就業しつつ組織運営だったから、合意の上で引き継いだ。だから、基本や移動などは修得していたが、如何せん、Munbaiはチェンナイと真反対の町(インド大陸の東と西)で遠いこともあって、ビデオ教本や大会のDVDなどを参考にしながら見よう見真似で継続していたので、4年目にして初めて約40人(全て伝統派弐段以上)の審査となった。
とは言っても、組手に関しては“争いを好まない国民性”(に見える。ガンジーの非暴力主義の影響??)という事もあるのだろうが、空道の形になってるものは2割くらいなものだ。それでも彼らにすれば初めての「顔面ありのフルコンでの審査」という事で、及び腰で少しでも距離を作ろうと顎を上げて“オッカナビックリ”で顔面にパンチを出す。一寸でも当たると「ウォー!」という感じで顔を背ける。また、寸止めでは立派な一本になる中段突きも、余程のタイミングでないとダメージがないから「こんなはずでは・・・」と攻めあぐねている。
しかし中には数人「この人間の身体能力があれば、将来的に良い選手になるな」という者もおり、今年10月のモンゴルでの「第1回空道アジアカップ」への出場を進めてきた。
【補足1】2011年インド遠征(ムンバイ支部設立セミナ兼「アクシャイクマールカップ大会」)報告はこちら
【補足2】「第1回空道アジアカップ・モンゴル大会」。モンゴルの首都ウランバートル市で2015年10月4日開催。詳細後日。前後に「アンチドーピング・セミナ」や「昇段審査」有り。過去にモンゴルでは「第3回空道世界大会」前にアジア予選として「第1回アジア空道選手権大会」が開催された。(その際の遠征レポートはこちら)
この審査で驚いたのは先に紹介したSimon Fabianである。元々は日本への興味から日本に留学(慶応大学卒)し、卒業後はフランスの銀行に入行したが、日本勤務を希望し「日本文化の神髄に触れる」という感じで総本部に通っていた。フランス語は当然だが、日本語、英語を流暢に話すだけでなく、アスリートしてもセンスが良くとんとん拍子に3級まで進み‐230、−240の選手としても楽しみな存在だったのだが、仕事ぶりが認められシンガポールに転勤となった。空道の支部のないシンガポールでも空道への想いは断ち難かったようで、いつもは夜10時11時まで仕事をする傍ら、勤務時間を自分の裁量で決められるようで、時に早上がりをし、自宅やキックや柔術、総合のジムで練習していたようだ。(練習内容をレポートさせたが・・・几帳面さが伝わってくる内容だった!)
とは言っても、昨年の「第2回アジア空道選手権ソウル大会」の折も大会進行を手伝いつつ(※4)審査も受けたのだが、やはり一人練習では限界があり「伸びが止まっているな〜」と少し残念だった。
※4 「大会の運営」ということに関しては休暇を取って協力してくれほどで、昨年の「世界大会」でも流暢な英語と日本語を駆使して円滑な進行に寄与してくれたのは周知の通り。
そこで今回のインド遠征。このところの世界的な経済不況でインドも3人までしか旅費は払えないという。なんせ、日本側の高橋師範や当初予定していた能登谷支部長にも「海外での審判手伝い」という事で「審判ライセンス基金」「本部」「自己負担」と1/3の協力を要請するしかないくらいだった。(※5)
Fabianには2月の時点で「今度のインドセミナでは審査もあるのだが、受けたらどうだ?但し旅費は自費だし、この前の審査の状態では、それまでは30日以上の練習をこなしておかないと駄目だが・・・」と言ったのだが、二つ返事で「是非、お願い致します」だった。
※5 これに関しても最近の不景気を反映してか「他団体は自費で来てセミナをしてくれるのに、大道塾は自分たちの競技(空道)を広めに来るのに、こちらが旅費を払うようだ」など訳の分からない言い方が出てきている(泣)。所が、色々聞くと、彼らの言い分にも根拠はあり「同名の競技の団体間の競争から、自弁で出張指導をして勢力の拡大を図っている団体」は結構あるようだ。それこそ20年くらい前の映画で、潤沢な資金と武力を元に、勢力拡大の為に身の危険も顧みないで世界にキリスト教を布教した伝道師達の話を(彼らの立場から)美しく描いた“ミッション”という映画があるが、それと同じかもしれない。しかし、別にウチは同名の競技はないから、勢力拡大したくて海外セミナをしてきた訳じゃない(第一、そんな資金はどこからも出ない(泣))し。「どうしても」という求めに応じた結果が今日の加盟国数になったものだ。空道を通じて世界を見て見聞を広めるという支部長などが協力してくれるのならなら分かるが「それでなくても多忙を極める昨今、なんでわざわざ時間と費用を掛けてまで他国で指導(指導料などは殆ど貰った試しがない)しなくちゃならないんだ?」である(泣)。
審査は40人を4人ずつ10のグループに分けて行ったのだが、棄権したり、途中、続行不能になったりだった場合には、ある程度力量のわかるFabianを当てるから、合計で約20人くらいとやったはずだ。昔、というと年寄り臭いからなるべく言わないようにしているが笑、我々の年代は「他人より一試合でも多く組手が出来た方が自分の為になる」と積極的に応じたものだが、最近では「対戦者となった場合は勝ち点数を自分の審査に上乗せを」という風潮だが「オス!」と嫌な顔一つしないで戦う。相手のレベルがいまいちとはいえ、体力指数が2~3階級以上を相手にほぼ全勝し、文句なしの黒帯になった。
そんな訳で、約4時間掛かった審査も終わり「やっと夕飯に有り付けるぞ〜!」と指定されたパ〜ティルームに行くと、いきなりの耳を劈(つんざ)く大音響!!見れば昼間審査途中で「もう駄目だ〜」とばかりに会場横でヘタっていた人間が目を爛々と光らせて元気百倍みたいな動きをしている。
前回のセミナでもダンスパーティーはあったが、試合をしたのは子供だけだったので、盛り上がりはこれ程じゃなかった。所が!である。今回はアドレナリンが出まくっているからだろう、正に踊り狂っている!!そのうち、我々にも「一緒にどうですか?」とチョッかいを出してくる。しかしコッチはまだ一杯も遣ってない、全くの素面(しらふ)なんで、とてもその気にはなれない。パーティ好きの天骨編集長も輪に混じるのだが、燃料が燻って爆発には至らないからタービンが回らない。一緒に「もうチョッと飲ませろ!」とひたすらビールを煽る。所が連中はアルコール燃料なしに爆発できる!!さすがダンス天国インド!!「どうも分が悪いな」と思っている内に、今日一番活躍したFabianが「日本が大好き」とは言いながらも「先天的に酒の強い“西洋人(笑)”」の上に、審査後のアドレナリンが満タン状態だから「先天的に社交的な“西洋人(笑)”」に先祖返りし(「ヒェー!」である)、孤軍奮闘、狂喜乱舞してくれて、何とか日本勢の恰好着いた。
朝の6時頃から窓の外ががやがやと騒がしいので目が覚めたが、何せ1000人からの集団が朝練だ、煩いわけだ。我々は8時に体育館に移動したが、既に少年部が約120人整然と並んでいた。子供たちはそれまでに早朝練習で2時間が経過しているが、健気にも空道の技を身につけようと中には欠伸をしている子もいるが、一生懸命に目を凝らして、それから2時間ほどの練習についてきた。練習中一度だけ給水させたのだが、2個しかない給水機に整然と並んで順番を待って飲む。先輩先生の命令は絶対に近いものがある。
これは競技ルールの差から来るものだし、また、武道の武(強さ)に重きを置くのか、道(教育や指導)に置くのかの差からも来る現象だが、一般的に伝統派(寸止め)の方が基本は綺麗だし、礼儀や言動などもシッカリしている。それは勝敗を相手に与えたダメージで測るのではなく、タイミングや形スピードといった“基準”や“規範”で決めるから、日頃からの態度や言動、機敏さが要求されるからだ。
比べてフルコン派はタイミングや形スピードより、実際にあてて甲乙を付けるものだから、いくらタイミングや形が良くても、当たった攻撃が相手にダメージとなって現れない限りは無効だし形はスピードは劣るが、相手にダメージが出ればよしとなる。言わば、結果主義的でよりスポーツ的になる。
だから、人間関係も、先輩後輩という年功序列(建前?)より実力主義事が進み、ある意味人間関係もサバケて(?)いる。そのために伝統派ほどに人間関係は堅苦しくはないが、行き過ぎると「王候少相寧(イズク)んぞ種あらんや(※6)」じゃないが、一歩間違えば「勝てばいい=俺が勝ったんだからすべて俺が正しい」とかになりがちだ。
※6 《「史記」陳渉世家から》王侯や将軍・宰相となるのは、家柄や血統によらず、自分自身の才能や努力による。(出典:デジタル大辞泉)
武道や格闘技の場合、単純に言えば“力≒武器”を持たせるわけだから、その辺の本質を弁えて指導しないと選手としては立派に育てた積りだが、気がついたなら人間的には「あれ!」とか「何故だー!」ということになることがある。
先日、偶々スポーツゴジラ(※7)での記事に関連して雑文を書かせて貰った。「競技としての優秀さと人間としてのバランスを伴った人間を!という事だが、正直、競技者として秀でるには他人とは違う感性、感覚を持ってないと、身を削るような苦しい道を歩み続けるのは難しい。平均、いや、往々にして、易きに流れやすいのが人間だから、それを自己制御してゆく内に独り善がりになったり、他人と強調するのが下手になったりしがちだ。それを適宜修正しつつ両方をバランスよく向上させるのは簡単ではない。武道の指導を始めて約40年以上になるが、指導者としてはなお修行中というのが現状だ。
※7 『スポーツゴジラ』は都営地下鉄106の各駅と主要大学60校で無料配布され、多くの人に読まれているクオリティマガジン。今年創刊10年目を迎える。http://sportsnetworkjapan.com/godzilla/ 『スポーツゴジラ』のおもな配置場所 http://sportsnetworkjapan.com/godzilla/place.html
一応のスケジュールは終わったというので、午後は近くの「カーラ洞窟群」という所に観光に行った。この洞窟群はムンバイのあるマーハラシャ州で約2千数百年前に栄えた岩山を刳り貫いた洞窟寺院群である。詳しい事はインターネットや物の本で触れられると思うが、2011年11月のムンバイ支部設立セミナを兼ねた「アクシャイ・クマール(※8)カップ大会」の際にも訪ねたもっと有名な「カーンヘンリー石窟群」を訪ねた時もそう思ったものだが、人間というものやはり自己を没頭させる何か=生甲斐が必要なんだな、と改めて思う。
あの岩山を大した掘削工具もなかった2000数千年前に、ほゞ人力で掘ったということは気の遠くなる事業だったはずだ。しかし人間は絶望することなく堀遂げた。それは単に権力の絶大さだけではなく、生を受けたものとして、その生を燃焼し尽くすためには(気が触れないため、かもしれないが)自己を没頭させる何かが必要だったんだと思う。
※8 インドの人気映画俳優。柔流空手黒帯。
翻って、現代。「生きる意味が解らない」と自分で自分の命を絶ったり、然(さ)もない事で人の命を奪ったりと、いかに多くの命が無駄に消滅しているかを考えた時「夜郎自大し自惚れた程にはものにならなかった自分の能力への諦観」や「思うに任せない周囲の状況に苛立ち」ながらも、お袋が「家の歴史に泥を塗るようなことだけは、絶対にしては駄目だぞ」と何度も何度も諭してくれたガキの頃や、若い一時期、みんなと同じレールからは外れて「銭金は要らん。自分が生きたという証が欲しい」とまで思っていた時代。更には、今こんな前向きな気持ちで生きていられることが不思議なくらいに、正に、「晴天の霹靂とでもいう事件で人生に絶望し」ながらも、何とか生きてきた。
人生を、外れることなく堅実に生きてきた、多くの“真っ当な人々”と同じように、今は何とか人並みには暮せてる。その上、俺には「必死になって取り組まなければ成就しないこの仕事」が与えられている。よけいなことを思い煩っている暇はない。本当に有難いことだ・・・。
等などと思ってしまった・・・・・。本当にインドというのは、ガサツな私に柄にもなくそんな事を考えさせる国なのかもしれない(笑)。
初稿2015.5.12 加筆改稿5.21 完全版に差替5.30 修正6.1