道の渋滞。成田。寝てないから。ラーメン。本。役員と合流。ガラガラ。空気がキレイ。選手村へ!棟。食堂。知っている選手がいない。フィットネス、ケーブル探し、ショー。部屋交換。部屋の作り。
09:50予定通り家を出発。家の前の一方通行路の右手で道路工事していた。サンシャインについて荷物を預けて車返還、と思いきや通行止め!!住人だと言っても「申し訳ありません」の一点張り。丁寧な女のガードマン(ウーマン?)だったから冷静に対応したが、男で無愛想に「ダメです!」などと言われた日には逆上するところだった(笑)。それにしても道はここしかない。何とか車を入庫させなければリムジンに乗れない。こうなったなら止むを得ない、道の途中に出て100mほどを一方通行を逆走するしかない。男のガードマンが「何をするんだ!?」といった顔で見ているが当然のことながら一方通行の先が通行止めなんだから来る車はいない。諦め顔でただ見ていた。急いで自転車に乗り換えて戻ると案の上、最高師範が心配顔で待っていた。今や殆ど中国、韓国の旅行客の定宿という感じで分からない言葉が飛び交う中を掻き分けコンビニ急いでお茶を買ってバスに乗り込む。
韓国、マレーシアから帰国後、少しは休めるとの期待・願望(?)に反して相変わらずの野暮用に追いまくられながらも、何度か細切れに繰り返し観た今大会の予選となった、「第9回世界武術トーナメント」(昨年11月、北京。参照:2007遠征レポート)。大体の選手の癖は分かったが、笹沢に見せるためには活字にしてなかったので昨夜急いで「08北京武術トーナメント参加選手の分析」(PDFファイル 63KB)を打ち込んだので殆ど寝てない(ま、“泥縄式”はいつものことではあるが 笑)。お蔭さまで乗り込むや否やそのまま引き込まれるようにして夢の中。気がつくとバスが見慣れた成田への風景ではない、レインボーブリッジの上を走っているではないか!!
これはこれでいつも通る度に、25歳で意気揚々とニューヨークに行った時の45年前にタイムスリップさせてくれる好きな場所だ。「スゲェー!ここはまるで宇宙都市じゃねぇーか〜」とアメリカ文明に圧倒されながらも、しかし「負けネェーゾーやってやる!!!」と闘志を掻き立ててくれた原風景ともいうべきところだ。
だが、今はそれ所じゃない!もしかして慌てて羽田行きに乗ったんじゃないかと何度も風景を確かめながら焦った!!今は“旅”がそれほど珍しくはなく、昔ほど人を気負わせたり、はしゃがせたりはしないにしろ、“生活”から離れるという“非日常”が、みんなにそれなりの“高揚”を与える。そんな人達に、今さら「このバスはどこに向かっていますか?」など、いくらなんでも間が抜け過ぎる(笑)。聞くに聞けないでいると、バスは橋を渡り切った所でいつもとは逆の左へカーブ!!どうやら酷い渋滞で回り道をしたようだ。「焦らせんなよー」と勝手にホッとしながらまた二度寝。気持ちイイー。
11:40成田着。案の上いつもより30分も多く掛っている。やはり北京オリンピックの影響での渋滞かななどと考えながらチェクインカウンターで「混んでいるの?」と聞くと「8割くらい」ですね、との答え。意外だなと思いながらも、航空会社には悪いが、長時間エコノミーに座らされる身としては空いてるに越したことはない。(滞在日数の時間は措いて、8月は今日まで、乗り継ぎの待ち時間を入れた旅の合計が、12日間でなんと95時間、そのうち(拷問?)椅子に座った時間は、正味63時間!!腰が悪くなるのもむべなるかな!である)
「窓側2席だよね?なるべく前の方で2席空いているなら、その通路側で頼みます」と言いたい放題言うと、いつもは嫌な顔をさせるのに「分かりました」と拍子抜けするくらいに愛想がいい。「おかしいナー?いやさすがに中国もオリンピックとなれば対応が違ってくるんだろう」と感心しながら、レストラン街のラーメン屋で、ラーメンの“総合“ともいうべき五目ラーメンと半ライスを食べ、これまた恒例の本屋へ。
ここのところ本屋に行く暇もないから見出すとキリがないし、荷物になるので(一旦本屋に入ると、通常短くて2,3時間、長いとそれこそながぁ-----い 笑)のでなるべくアレコレ見ないようにして、この旅で読み切れそうなものと単行本の欄に。良いのがあった!!
しかしこれから中国に行くというのに「中国人に告ぐ!」だの、「中国ODA6兆円の闇」では喧嘩を売りに行くようなものだ(笑)空港で没収されたり、「こっち来い!」などとどっかに連れられたんではまずいから、もっと温厚なものをと2,30分物色し3,4冊買った。(題名はやはり内緒だ。試合でいうと非公開 笑)
その中で、先日の韓国セミナーでの嬉しい感想もあったので「これで良いのか?日中韓 表の顔裏の顔」(金 文学)という本を買った。これはタイトルだけ読むとどうかと思うが、帯に「中国瀋陽で韓国人3世として生まれ、85年中国の『東北師範大学日本文学科』を卒業後来日、現在、呉大学福山大学で教鞭をとり、日中韓3ヶ国語による執筆、講演活動を精力的に行い、本書は中国韓国でもベストセラーを記録した」と書いてあったので、現在の自分の嗜好に合うとつい買ったのだが、これが中々面白い!!もう少し機中で寝るかと思ったのに、中国に着くまで読んでいた(機中食を食べ寝た1時間以外は 笑)。
16:00 北京空港着。時差-1時間だから日本時間では17:00、ということは4時間のフライト。昨年とは違う空港だ。入管から荷物受取所までシャトル(軽軌交通)で10分(5分だったかも?)も掛かる大きな空港だ。「日本武術太極拳連盟」の石原先生に聞くと「今年3月にオリンピックに合わせて完成した新しい空港です」との事。今更ながら中国のオリンピックに賭ける意気込みが窺われる
空港で石原先生と別れて“選手村”行きのバスに。約1時間くらいだが、空港から選手村(北京中心部?)までオリンピック専用レーンになっているらしく全く渋滞なしで“選手村”(クドイか 笑)に着く。まさかこの年で、というか、みんなと一緒で、オリンピックなどというものはテレビや、新聞を通して観たり聞いたりするもので、まさか自分なり知っている者の誰かでさえがそれに関係するとは夢にも思っていなかったから、「お父さん凄いねー!オリンピック村に入るんだねー!!」などとはしゃぐ娘や最師(※)に言われても、何かピンとこない。
※最師 毎回、最高師範では長いから短縮。しかし“ソンシ”にも聞こえるな、オットこれは悪い冗談だ 妻子の同音異義語と解釈乞う。
まして前から言っている今回の“散打”の本体である“武術”自体のオリンピックでの位置づけがまだ明確でないからなお更一緒になってはしゃげない。 とは言っても“選手村”だ(済まん!)スポーツの超エリートが集まるという意味では紛れもない異世界/異次元だ。出来る限り彼らの存在力/エネルギー/オーラを感じ、いつの日にかの“空道”の未来に繋げ/生かせるようにしたいものだ。
武術チームのビルに着き空手でいう所の型=“套路(トウロ)”チームの孫先生一同男女5名と合流。何度か予選で会っているので顔は馴染だが、今まで一緒に長く行動したことはないのでこの1週間互いに良い結果が出るように協力したいものだ。
套路(トウロ)チームはこれまで3週間ほど中国での強化合宿をしていたので、今日は選手村にも先に着き既に済ましていたというので、二人で夕食を摂りに全選手が競技時間との兼ね合いで適宜、三々五々集まるレストランへ。
いるいる!笑 縦50m、横100mくらいのバカでかい食堂に、規格的に(2m超も)、鍛練的にシェイプアップされた、凄い体をしたアスリートエリートが“うようよ”と言うか“うじゃうじゃ”というか・・・。食事は地中海風、西洋風、アジアンなどと各コーナーがあり、選手はトレイを持ってそれぞれ好きな物の前に行き給仕のボランティアに持って貰いテーブルに運び食べる。いわゆるフードコート風だ。目移りがするが笹沢はあと2kgほど調整が必要ということで控えめに食べている。前回のベトナムでのこと(参照:2005ハノイ遠征レポート)があるから注意しないと(笑&マジ)
その後PCケーブルを探してボランティアに聞きながら村を右往左往。途中憩いの広場という感じのステージで毎日何らかのショーがあり緊張しがちな選手の癒し空間を意図しているようだ。この日は小林拳のアトラクションがあり、スポットライトの中で跳んだり跳ねたりして喝采を浴びていたのでそれを少し見て部屋に戻る。散打の監督ということで部屋割で気を遣って貰っていたんだろうが、自分が一人部屋で笹沢は套路の選手が相部屋だったので、替わってもらい相部屋に。昔は良くしていたが、この所ブラジルでは黒木ともそうだったが、久し振りで弟子と相部屋になるなー。俺の鼾(いびき)の中で寝むれる奴は出世するぞ!!ってか 笑。
就寝11:40 布団が固いから床で寝なくて良いのはありがたい!でないと今日はカーペットじゃないから板の間に毛布を引くようだった
8:30武術連盟へ。注意事項。10:30帰村。インターネット騒動-13:00。15:30まで待機。16:30まで仮眠。17:00-19:30までパターン練習+自分トレ。20:30までシャワー、サウナ。21:00まで夕食。23:00明日の打ち合わせ。23:45日本へ電話。00:00就寝。
3:30起床。インターネットが繋がらないから、久し振りに遠征日誌でも書くとするか、と気安く始めたものの、始まると適当に流すことができない性分なので、ついつい07:30まで。(その間、通常なら送受信するべきメールの遣り取りが、後日ドッと押し寄せてくる恐怖が胸をよぎるが、どうしようもない(泣)08:00前夜取って置いたバナナを食った。
「お父さん腹は出さないでよ」とのボウズとの約束だけではなく、腹が邪魔をすると足が上がらず“若けぇーの”の顔を蹴ることが出来なくなるから(不純な動機、か?笑)と続けている、週3回の腹筋1000回がこの所の多忙にかまけて2回には減ったもの必ずしている。しかしどうしても夜中に起き出してメール交換して朝方1時間ほど“すぐに熟睡”するためには、何か腹に入れるようなので、どうしても軽くお茶漬けとかヨーグルトを摂る。そのうえ、寄る年波には勝てず代謝が下りてきているから、少し食べ過ぎたり、飲み過ぎたりするとすぐ膨満感がして次の日確実に腹は緩む。
そこでこれまでいくつも試しては放り出した“ダイエット”に再度挑戦とばかりに、この所、今はやりのバナナダイエット(※)というものを(不定期だが)するようになった。先には“キャベツダイエット”というのが流行って、90Kgあった学者が毎食の度にキャベツをボウル1杯食べ1年で30Kg も痩せたと話題になったが(女にもモテルようになったというのはご同慶だが・・・)、小学生の頃、家の手伝いでキャベツを刻んで糠と混ぜてニワトリを飼っていた記憶があるから、一寸その気にはなれなかった(笑)
※バナナと言えば今の子供は「なーんだバナナかー」と言うらしいが、馬鹿もん!である。我々が子供のころバナナと言えば滅多に口に入れられるものではなく、カレーライスと共に心を躍らせた食べ物だった。それを痩せるために食するなどご時世とはいえ何と有難いことである、ナンマイダ、ナンマイダ(南無阿弥陀仏の気仙沼弁。いかん、文字通り“じじ臭く”なってきた 笑)。
31歳で選手を止めてからは90Kg以上にはならないようにと、88Kgを維持するのに四苦八苦していたのに、この所旅役者稼業のせいもあるのだろうが、なんとマレーシア遠征から帰って体重を計ったなら、体重が、あり得ない!現役当時の85kgを切っていた!!ヒャッホー!!くらい言っても許される、ここ20年来の快挙である。今回、出てくる時もズボンの穴をベルトの根元方向に2ツ増やして来たものだ!!
(やっと閑話休題)作文が一段落して30分ほど横になり、08:30に他の国の役員と一緒に套路の孫先生に連れられバスで30分ほど掛けて国際(≒中国)武術連盟本部へ。役員の話は中国語だし、通訳の英語はこっちに聞き取り能力が低いのと声が低くて「今まで連盟はオリンピック参加のために大いに貢献してきたが・・・」辺りまでは何とか分かるが、それ以上詳しいことは分からない。隣の孫先生にかいつまんだ話を聞くと、何でも「オリンピック村に入れた感激に興奮してはしゃぎ過ぎた国があったので、連盟が大変迷惑している。(オリンピックを中国でやるという“地の利”があったからこそ可能だった、また連盟として傘下の国々にその感激を味わって欲しかったからこそ、多少(大いに?)強引に進めた“選手村入り”だから、各々自粛をして殊更に目立つことはしないで貰いたい」との事。武術連盟とIOCとの関係や、他のIOC入りを狙っている競技団体の羨望と嫉妬を考えれば当然のことだろう。
11:00に戻って、今の私の生命線/命の綱ともいうべきインターネットが繋がらないので何とかして欲しいと孫先生にいって管理事務所まで同行してもらう。色々遣り取りがあったが、やっと「それでは特別に何とかしましょう」なって言われたところに勇躍(ゆうやく)と指示された所に駆け込んだが、例によって(案の定)話が通じてない。何度か行き来してやっと話が通じたが、たったの5日間の使用だけで15,000円だと!!怪しいサイトを覗くわけじゃあるまいし「そりゃーないだろう!」と思ったが背に腹時は変えられない、選手村ではアルコールが一切ご法度なので、その分だと考えれば諦めも付くかとカードを出した(泣)。巷間、善からぬ連中が「東は毎日飲まない日はないそうだ、アル中じゃないか?」などと根も葉も(幹も、枝もない 笑)噂をしてらしいが、この通りもう暫らく(と言っても2日間だけだが笑)“酒断ち”をしているのだ!(先日亡くなった、赤塚不二夫調か?)
そんなこんなで動き回ってから、笹沢に持ってきた予選のDVDであの試合を振り返るように言って昼飯を食べてきた。ベッドに横になって持ってきた本を少し開いているうちに睡魔が襲ってきて30分ほど熟睡。
17:00から笹沢が昼食の間に見ていた試合と、前夜まとめた試合のレジメをもとにフィットネスセンターへ行き二人でパターン練習。散打はパンチ、キック以上に投げのポイントが高いので、いかにパンチ、キックに付き合いつつ、相手がそれらを出した時に往々にして崩れる体の中心線を捕えて投げるか(投げの基本はいかに相手のかバランスをくずすかである)が勝敗の大きな分かれ目となる。それを見ていた恐らく同じ散打のコーチだろうが、選手と一緒に調整していたのが、親指を上げ“グー!”口は尖らしてなかったからエド・はるみは知らないと思うが(笑)、肉体言語でのコミュニケーションは良い。その後、自分の練習。またまた、それを見ていたのだろう、カナダかどっかの何の選手か知らないが大きい男が「Excuse me, How old are you?」 と来たから「この野郎、歳だと思っているな!」と「How old you look me?」 と聞き返したなら「around 50(流行りでいえばアラ・フィフか?)」と来たので気分がよくなり益々気合が入った(笑)。
そしてなおさら嬉しかったのはサウナがあったことだ。総じて海外ではバスタブ(風呂桶)のある宿泊施設は4ツ星以上の高級ホテルに限られるので、シャワーがあれは良しとしなければならない。今、コロンビアで頑張っている黒木じゃないが、私もベッドが柔い場合はたまには枕もとをゴキブリはウロチョロしようが、床に寝ることすら厭わない男だから贅沢をいう気はないが、腰に腰痛という“爆弾”を抱えて走り回る自爆テロリストみたいな男である(尤も爆発しても自分以外誰も被害者は出ないが)。練習あとは十分に柔軟をしないと次の日には一日中腰痛になやまされることになる。だからバスタブがないならサウナなのである。
運動+サウナと揃えば当然次はビール!!であるがなんせここは修道院もしくは断酒道とでもいうべき所。「ググッ、クーッ!」と行きたい所を、ジュースやスポーツドリンクは村中どこにでもある自販機に支給されたコカコーラのマーク付きキーホルダーを金額の小窓に押し付けるか食堂に行きさえすればいくらでもタダで飲める。その有難さを必要以上に意識して代償行為とすることで何とかごまかす。
やけ食いじゃないがアジア料理から西洋料理、地中海料理まで食いまくってやや幸せな感じになった所で、やっと豊かな気分になったので部屋に帰ると既に9時半を回っている。それじゃー明日のためにもう一度DVDでも復習するか、しかしちょっと腹がクチイから横になって消化を助けようと横になった途端爆睡。
11:30 套路の孫先生たちが練習して帰った音で目が覚めた(練習場所は各国に時間で割り当てられるからこんな時間の場合もある)。それから共有スペースで明日の予定(計量、組み合わせ、ウェルカムパーティ)などの打ち合わせをして部屋に戻る。一度寝ているからこういう場合、私はまた眠くなるまで何かするのだが、今回は二人部屋だし、ましてや笹沢は明後日に試合を控えている“選手”である。自分だけ起きていてスタンドを付ける訳にはいかない。今回は笹沢のペースに合わせないといけない。(笹沢このヤロー必ず勝てよ!)と独り言を言いつつ電気を消す。部屋に机でもあればスタンドを覆いながらも本くらいは読めるのだが・・ここでも“しょうがない”、明日の朝(と言って夜中だが)起きてやるしかないと熟睡後の二度寝という離れ業に挑戦、1時間掛かって寝込んだ(泣)
奥(略字)運村はオリンピック村
04:00起床。グッスリ寝て起きたので5、6時間も寝た良い感じだった。目覚め爽やかにPCに向かい昨日のことを思い出しながら日誌の続き。本当にB型の過去は謎だという本があったが自分でもそう思う。こんなことでもなければ昨日何したか思い出すのに一苦労だ。しかし今日は違う。何と言っても組み合わせ抽選の日だからだ。7:30出発のバスに乗りは良いが、選手村のバスプールは東西に二つありそれぞれが1番から60番くらいまで停留ポストを持っている。その番号が分からなければプールまで行っても物凄い数のバスと人で先は見えない。かといってポストはバスの陰に隠れるか行き先などを一つ一つ読んではいられない。エレベーターに乗って携帯を忘れたのに気付き戻りながら念のため「行けば分かりますよね」と確認して「計量する場所へのバスは40番だよ」と聞かなければ間違いなく乗り遅れていた(汗)。ここまで色んな紆余曲折がありながら辿り着いたのに「計量時間に間に合わず(試合に出られなかったので)負けました」では泣くに泣けない。
滑り込みセーフでバスに乗り込み「中国(≒国際)武術連盟本部」での計量を69.5Kgで難なくパス。その後はルールミーティングだったが、昨日と同じで海外では(それでなくても普段から賑やかな中国である!)、会議だから静かに聴こうなどという雰囲気は会場の中でも外でも!全くない!いつもなら「うるさい!」とか「静かにしようよ!」(?)と言う所だが、何せ武術(ウーシュ)の世界では全くの異分子、新顔。下手に審判に目を付けられると判定の時に怖い。ここは耳をほじくり途切れ途切れに入ってくる単語を繋げて想像するしかない(笑&泣き)。それにしても最近テレビの音でよく娘に言われながらも、そんなことないというのだが耳も遠くなっているのかなー。
会長の昨日と同じ話から始まって、次に会場係の役員がプロジェクターを使って会場の説明をするのだが、絵が小さい上に設計図を1m四方に拡大しただけだからゴチャゴチャして何を書いているか、眼鏡をかけても分からない。去年と同じ会場でなければ何を言っているか全く分からなかっただろう。次に怖い顔をした審判部からの注意事項。警察もそうだが、どこでも法(ルール)の番人はこういう顔にならざるを得ないか(笑)というような顔の役員が、眉間にしわを寄せながら、今度は大きな声で、きっぱりと、「女子は髪を長くするな!」男に対しては「負けたからとグローブやヘッドギアを投げるな!」、両者に「審判に敬意を示せ!」、「ウーシュは教育だ!」、最後に安全性を確保するための各種注意事項などなどを怒鳴りまくる。こんな調子で小1時間ほど、眠くて眠くて仕方なかったが、(前の○○○○のコーチなどずーっと寝ていた)次の組み合わせまではそうも言ってはいられない。目を擦り腿を抓って頑張った。
いよいよ本日のハイライト、組み合わせ抽選!!女子53Kgから始まって60Kg級。男子56Kg級と続いて笹沢の70Kg級。その前にシードがあるはずだからと組み合わせ表に近づいてシード国の位置を確認しようと前に出るがエジプトやアルメニアの大きな監督のために見えない!!辛うじて優勝の中国マカオが一番上で、準優勝の韓国が一番下か分かる。ついで第2シードエジプト、ロシアのが引いたがどこに入ったか分からない。アルメニアの次に引いたと思うが、なんと!!一回戦が予選ベスト4のロシア、2回戦が準優勝の韓国と出た!!富くじならドドンー、大当たりー!みたいなものである。
組み合わせは2強を前半後半に分けて、ベスト4の残り2つの国がその対抗馬になるように4つのブロックに均等に分けて、それぞれにベスト8の残りの国を抽選で当てるという、至極オーソドックスなものだったが(※)、前半に昨年優勝の(中国)マカオとエジプト、後半には準優勝の韓国とアメリカとなると、何とかして前半を引きたいところだったが見事に「大当たりー」である。笹沢済まん。俺はクジ引きでロクなものが当たったことはないんだよ。しかしかといって予選の試合分析はしているから同じ選手が出てくるなら必ず勝てる!心配すんな!と自分が試合をするのでもないのに空を睨む(王将か)。
※近年公平さを殊更に演出しようと、前年の優勝や準優勝なども一緒くたにして抽選をする大会があるが、それではどこと当たっても勝っての優勝だから実力NO.1は分かっても、No.2以下の順位は全く意味をなさなくなるのでおかしいと思う。試合結果が報賞金に結び付き、「優勝以外は無意味だ」というプロならそれも分かるが、「努力の過程も評価してやるべき」プロ以外の試合ならこういう組み合わせが方法が妥当だと思う。
12:30過ぎに部屋に戻って昨日から申し込んでいたインターネットの設置を再度頼んで来るのを日誌に付けながら待つ。二日がかりの要求がやっと実現してやっとインターネットにつながる。いくつの無理難題が入っているかは知らんが取りあえず帰国した日に1週間分がドーンと降って来る!という“大惨事”は免れそうだ。
昨日の話では部屋にADSLなるものが付けられるそうだがエライ大掛かりな事をするもんだな。ハハーこれは例によって変な書き込みなどを防ぐために誰かれなく使わせないためにハードルを高くしているのか?しかし俺にとって各国とのメール通信は飯を食うような生命維持活動だ。ましてや今は「第一回アジア大会」や「中東アフリカ大会」の指示や連絡が頻繁に必要な時だ、何でも良いから繋いでくれとハヤル心で言われるままにサインし、隣の財務係のデスクでカードを渡した。
「たったの5日間でいいのですか?」と言われたが「俺にはその5日が後で大きな厄災となって帰って来るんだよと(本当にそうなったんだが 泣)数字が“¥7千7百○○”と書いてあった書類に、「エライ数字が大きいな?元は北京空港で両替した時、1元=18,9円のレートだから約20倍とすると、15万円近いじゃないか!まさかこれは¥だから7千なんぼ円」だろうとサインした。しかしこっちはたったの5日間しか使わないんだから、当然レンタルだと思っているのに、作業に来た連中は真新しい箱から機材を出して設置し始める。待てよ?昨日の契約書に書かれていた数字を笹沢や武術協会の役員に見せても「1万5,6千円ですか結構しますね」と言われて安心していたが、これは念のために・・・と慌てて日本の森(湘南・横須賀支部支部長)に電話をして聞くと「ADSLというのは新しく電話を引くと同じで短期の使用に施設するものじゃないですが、機材の貸し出しで3,4千円、月の維持費が同じくらいとして7,8千円ですから15万円はないでしょう」というからまた一安心した。
ところが孫先生も套路(トウロ)の会議から帰ってきたから見せると「これは元だから10万以上するよ」とあっさり宣告されドッと脂汗が出た!!やはりそうかそれならいくらなんでも「1週間でドーン!」を選ぶしかない。もしくは面倒だが何とか事務局長たち応援団が泊っているホテルに時間を見つけて行き(実際は無理だが)ダウンロードするしかない、と一緒に掛け合いに行ってもらった。そうしたところ「ここはお金の出し入れだけで設置業者に金は渡っているし、サインをしているのだから返金はできない」と来た!日本なら、「こ、これなにー!」となるのだが。ここは冷静にと「しかしいくらなんでも5日間で15万円はないでしょう」というと、「これはオリンピック委員会が決めたものだから」と来た。確かに北京市内は今何でも通常の5倍から10倍に高騰しているからそれもあるんだろうが・・・。それにしても悪徳商法もいいところだ!!通常は絶対にこのままでは引き下がらないのだが、昨日今日の会議でくどくなる位に「面倒は起こさないように」、「目立たないように」にオリンピック村に入れること自体を感謝してください」という言葉が脳内を駆け巡り、套路(トウロ)の選手達のことも考えなければと、無理やりの作り笑いで、またも「しょうがないか」とため息を継ぐしかなかった。
ま、「クアラルンプールで財布泥棒を防いだと思えば(参照:堀越亮祐「韓国マレーシア海外セミナー」レポート)とか、「1週間酒断ちをしたと思えば、飲み代、接待費がそれくらいは浮くだろう」、等など、どうしようもない状況が続く時に生物が取る“代償なんとか” という気持ちに切り替えるしかない。「こうなったなら笹沢!絶対勝つぞ!」とまた空を睨む(笑)
それにしてもインターネットがつながったのは有難いというか・・・。「来ないと心配、来れば面倒」と何かに似ているが、来るわ来るわジャンクを入れるとたったの2日間で約1000!!前にも書いたがジャンクだからと無造作、無思慮に消してしまうと、海外の新規の支部希望者のメールを消してしまうことが2,3百件に1件くらいある。先月のブラジルもそうだったし、今進行中のもそうだ。面倒でもせめてソートして重複は一気に消しながらも、一応全てに目を通さなければならない。
そんな辛く幸せな時間を過ごして夕方6時半になったから、昼過ぎから先に出て個人の応援者と会っている笹沢を除いた日本チームと「武術連盟」主催のパーティに向かう。例のモータープールで女子バレーの何人かがいるのに、正に“遭遇”した。憧れの“メグちゃん”(笑)はいなかったが、○○○○選手はいた(それだけだが 笑)。
会場で笹沢も合流し豪華な中華料理。武術も同じ“武の世界”ではあるが套路(トウロ)の選手たちは精密な演技が要求されるからだろう、殆ど酒を飲まない。おまけに笹沢が下戸だから隣の某国の代表が「ビール!」とウェイトレスに声を掛けているのを目敏く見つけて(耳敏く聞き付けて?)話をスッかける(気仙沼弁で「話し掛ける」) 聞けば元は松濤館をしていたみたいで、空道の名刺を見ながら、「空手か〜、ムエタイも知っているが怖いからと意味ありげに(どういう意味かは、知らない)」と笑っていたから、いやこれは“クウドウ”といって空手と柔道を混ぜたようなものだと言ったなら「オォー、それは散打向きだ」と来た。中々「違いの分かる男」のようで色々話しこんだ。聞くところによると来年の4月にIOC の主催で「アジア格闘技(Martial artsと言っていたからこれでいいだろう)選手権」という空手、柔術、ムエタイ、合気道などの大会があるとのこと。そんなのをIOCが主催するとはにわかには信じ難いが、本当ならぜひその情報が知りたい。「後でメールして良いか?」と聞くと、名刺の裏にアドレスを書いてくれた。この話は面白い。チョット追っかけてみよう。
自分でも薄々感じてはいたのだが(今更気が付くのが遅いか?)今回本当に俺は“ヤジ馬”だなーと思った。選手村でも特別な用事もないのに、人がゾロゾロ歩いている方向や何か変わった建物や音がすると、すぐそれを見たがる、試したがる。普段は忙しさでそれが封印されているが、今回みたいに日本を離れて電話は来ない、人は来ないとなると、(おやじが言った言葉だが“糸の切れたタコ”みたいなもので、暇があれば)何かしてないと気が済まないらしい。「小人閑居して不善をなす(小物は暇があればロクなことはしない(から忙しい位が良い、か?)」の典型みたいなものか。
パーティを途中で抜け出して事務局長始め、散打の試合にこれまでも付いてきてくれている村上智章師範代(中四国本部)、東京散手倶楽部の田村コーチ、大学の先輩のAや同輩の勝直光(中部本部)などの、応援兼コーチ団が近くのホテルに着いたのでタクシーを拾って移動。笹沢はいつもの練習仲間である2人と少し汗を流したいと言うので近くの公園へ向かった。何気なく送ってから後で、「日本と違うんだから、9時過ぎた公園で変な動きをし“不審者”で逮捕され足りしないだろうな」という思いがよぎった。実際かなり人が集まったらしい 笑)
11:00ころに宿舎に帰って、笹沢はやっと手に入れた電気ポットで“サトウ”の御飯を茹でて美味そうに食べ始まった。俺は明日の朝起きたならすぐに共用スペースに移動しパチパチ出来るように、バッグに必要なコードやアダプタを入れて少し試しに打ち込んで消灯、01:00。
タクシーが選手村の入口を間違えたため途方にくれていた時、バレーの選手が声を掛けて別の入り口まで(10分も掛かった!!)乗せて貰い無事辿り着いた。
これは「グーッ!」じゃないぞー。「カメラのボタンを強く押して」という動作(念の為)。
5:00起床。サ、愈々決戦の日だ!!やるぞ!!と空がないから天井を睨むがまだ5時だから暗くて何にも見えない(笑) まずはインターネット。案の定、モンゴルからのアジア大会の申し込み状況(現在8カ国だというから何としてもあと2ヶ国に声を掛けないと)報告やら、ブルガリアが中心となってバルカン半島周辺の6ヶ国でのトーナメントやヨーロッパでの審査、コロンビアからの国交80周年ということで南米大会を来春にしたい等々の申請。丁度良い、それまでにアメリカ本土からも参加できるようにすれば(南北)アメリカ大会にできる。UAEから中東アフリカ大会の状況報告。率直な質疑応答(文句?)後、やっと疑念が晴れたようでヨーロッパ各国からのNHG申し込みなど。広報からホームページの記事についての打ち合わせ、等など盛り沢山に入っている。これを来週の帰国日25日まで放置しておいたなら大惨事どころではなかった。
そうこうする内に11:30。そろそろ出発の準備だ。ついでに溜まった洗濯物を行き掛けにランドリーに出す。今日は昼ころに出る都合の良いバスがないのでタクシーだ、と思って出口に向かう。ところが出口付近では各競技の選手や応援団がみな中々捕まらないタクシーの奪い合い。やっと捕まえたと思うと、既にどっかの国の予約が入っている予約車。30分ほどしてもダメだったので笹沢が「歩きましょうか?」となった。歩き大好き人間だからいつもなら「よし歩こう!」となるのだが、これも治安上の理由だろうが、選手には大雑把な地図しか渡されていないから、万が一間違った方向にでも歩いたなら大変ことになる、と「いや今回は何とかタクシーを捕まえよう」と思い止まった。幸い笹沢が声を掛けたタクシーが初めは散打会場の「北京中央センター体育館」は知らないというような素振りをしていたが「構わず乗ってしまえ」と乗り込み、こんなこともあろうかと少し詳しい地図に手描きで書きこんだ場所を示して「ここ、ここ!」と中国式に怒鳴り散らすと(日本人の感覚では喧嘩にしか見えない 笑)観念したようで、渋々走り出した。
この日はすごい渋滞で普通なら10分位で着く所が30分も掛った。最悪、昨年の予選で渋滞に巻き込まれて出場できなかった選手がいて、監督コーチがうなだれていたシーンが頭をよぎった。。会場の入り口に着いてもWush(ウーシュ=武術)会場といった掲示がどこにもなく、また10分ほどあっちこっちウロウロしたが、余裕を持ってスケジュールを組んでいたお陰で予定より30分遅れの13:20、何とか会場に入った(試合は15:50)。フー、今に始まった事じゃないが弟子の試合は疲れる。
会場に着くと応援団&コーチ陣は、会場も場所も初めてな所なのでと、午前中の套路(トウロ)の時間から来ていて、午前の部の観客がいなくなっても売店でマックだけ食べて待機していてくれた。有難う、早いところ勝利の美酒とともに旨い中国料理でも腹一杯食べさせたいものだ。所がそんな早い時間でボランティアの学生以外誰もいないから幸いしたのだが、試合が始まれば駄目なアリーナ席に降りてきて、これまた試合が始まれば許されない選手待機場に入っていつものAのコーチで勝がミット持ちといういつもの慣れたトロイカ体制で小1時間ほど汗をかいた。
試合会場(開場前)
笹沢、やはり体力別のころから引きずっている足首の捻挫が癖になっているらしく、北京に来てずっとしているシップやテーピングが気になる。昨日確認したように相手の癖はハッキリしているからその通りできれば十分に勝てる相手だが、その足首のために踏み込みが弱いので、パンチ主体の練習をしてきたようで、そこがチョット不安だ。女子52Kg級、60Kg級、男子63kg級と終っていよいよ我々の70kg級の入場。所がこの時なって気がついたが、もう一人のセコンドになってくれることになって(「・・いるので大丈夫です」と、東京散手倶楽部のK氏からは聞いていた!!)の孫先生が試合間際になっても来ない。散打と套路(トウロ)で構成される武術チーム全体の人数制限のため、散打は選手もセコンドも1名だけしか行けないので、孫先生が応援に付くことになっていたのに!!
始めからセコンド2名ならこのトロイカの2人を参加させて私はゆっくりと大会スタンドの上からそれこそ“高みの見物”が出来たのだ。一人の場合でも気心が知れている勝を当てようと思ったのだが、それ以前に散打の予選で、これまでセコンドをした人間でなければならないという規約があり、これもダメ。(参照:昨年の武術トーナメントレポート)笹沢も「塾長にセコンドをお願い致します」と大胆にも(笑)指名してくるから、やるしかないか!となったものだった。
慌てて電話連絡するとまだ宿舎にいて「私は套路(トウロ)の試合が夜あるのでそっちの選手に付いていなくちゃならないから散打の試合には行けないよ」とアッサリ!!!アチャー!!である。しかし中国ではブラジリアン柔術以上に紀元前から「何でもあり!」だ(爆)。こんなことで動じてはいられない。
急遽「じゃぁー、勝お前が代役だ」となって試合場入り口まで行ったが、「待てよ、勝った後で、「向こうのセコンドはオリンピック選手のIDカードを下げてないじゃないか!!」などと抗議され取り消されでもしたならアホラシイ、ここはしょうがない、俺一人でやるからいい!」と勝も2階の応援席に回した。相手のセコンドは試合前だから話しかけてこそ来ないがロシアでの空道の知名度から、こっちのことはテレビなどで見ている為だろう、試合場入り口で背伸びして進行中の試合を覗いていたなら前を塞いでいるAKUHADOV MURAD選手に退くように指示し軽くお辞儀をしてきた。中々態度が良い。一目置かれている以上、なおさら、勝たなくっちゃ(笑)
いよいよ選手の呼び出しだ!一歩会場に足を踏み入れると、7000人の会場がほぼ満杯だ!割れるような歓声だが、いつもは散打関係者だけの観客席が、中国での散打重視を反映してか今日は一般の入場者も多い。中国国内ではテレビ放映も他のオリンピック種目と同じ扱いだ。それ以上にいつもと違うのは太極拳連盟のツァーで参加している日本人の応援団や笹沢の会社の北京や上海支社の人々の声がひと際高く聞こえることだ。「日本、頑張れ!」。「笹沢ー、頼むぞ!」といった声の中にAの振る日の丸も見える。
登壇直前に「必ず後ろ蹴りかバックハンドが来るから、この“御馳走”を見逃すなよ!」と再度言い聞かせて擂台(らいたい)に送り出す。初めは向こうも警戒して中々攻撃してこない。笹沢が左ジャブからのインロー(内腿蹴り)を出すと右ローを返す。重い。次のインローには右スト、左フックといった1,2度の応酬の後、来た!!後ろ回し蹴りだ!!中に入って左足払いで転倒させろ、頂きー!と思ったが、笹沢が反応しない???危うく踵が入る所だったが、脹脛(ふくらはぎ)だから辛うじてダメージはないが、首を刈られた感じでバランスを崩し前のめりに立入れる。2ポイント奪われる。
気持ちを持ち直して左ジャブ、左インローを繰り返すが空を切る。ペースを掴みたくて、再度左ジャブを出すが今度は右ローや、右フックのクロスカウンダーを合わせてくる。ワン・ツーの右のストレートには左フックを、左ジャブからの左インローには右ストレートから左フック(一瞬グラつく!)を、と典型的なリターンをきっちりと出す。かなりパターン練習を重ねているのが分かる。
中盤、笹沢のインローがまたも空を切ると、すかさず右後ろ蹴りを出す振りをして右バックハンド!これも折込済みだ!ステップインして抱えて左に振って転倒!と思いきや、右のストレートでカウンター狙いに行く。当たらない。後蹴りは回転した時、体を前傾して蹴るからカウンターのパンチを貰いにくい技だ。だから投げなのだ。逆にバックハンドをまともに貰い思わず前のめりになる。しかし案の定、相手は背中を向けるのが好きなやつだ!こういう選手は得てして気の弱い選手が多いので、一回転倒させると委縮してこっちのペースになるんだが・・・・。笹沢ー、後ろ蹴りを見逃すなー!と声を上げるが反応しない。
試合前の新聞のインタビューなどに「パンチには自信があります」みたいなことを答えていて、どうもパンチで勝負しようとしているのか、それともアップの時も隣で視察しているロシア陣営に警戒されると思って、昨日やったパンチ、蹴りに対しての反復練習は敢えてさせなかったからか、パンチしか出ない。
確かに右の蹴りが出せないのはコンビネーションということを考えた時、ほかの技もスムーズに出なくなるものだが、笹沢は特に右の蹴りを武器にしているタイプではないから、それで他のコンビネーションに大きな影響は出ないはずだ。蹴りが思うように使えないからパンチで勝負!では散打の本質(転倒や場外落下が一番重い失点)を踏まえていない戦法だ…などと思っている内に、相手は好き放題に様々な技を出してくる。今度は、同じインローをステップバックしてかわしてから、右ローで入る振りをして左バックハンドだ。
“かすった”程度で危うく難なきを得たが、ここに来て笹沢ようやく気付いたか!即、接近して胴タックルに行く。しかし、相手も後ろ蹴りを多用する戦法だ。すぐに体を反転させて後ろは取らせない基本はできている。逆に長身を利してサバ折り気味に体重を掛け笹沢を腰砕けに崩す。笹沢、倒されながらも何とか上になって、相手を場外に押し出す。ヤッターこれで2ポイント奪取か!と思うがそれまでの劣勢が審判の脳裏に刷り込まれているためか、勢いがないからか審判は取らない。相変わらず2対1のままだ。
場内に戻り、離れて両者軽快なステップから右のストレートの相打ち。これでやっと乗ってきたか、笹沢。相手の左構えの前足が上がった所を見逃さず、痛さも忘れてその軸足(後ろ脚)を渾身の右下段蹴りで払い見事に転倒さす!やった1ポイント挽回だ!と流れが自分に向き始めたのを感じたか、相手の苦し紛れの後ろ蹴りものとせず再度右ローで入る。しかし、敵も今度は同じ手は食わない。態勢を低くしてそれをキャッチし逆に転倒させられた!これも分析したように折込み済みだ!!が、普段使ってない技は一夜漬けでは無理なのは知っている。どうも波に乗れない。4対1と点差が開く。
やっと1ラウンド終了。このラウンドは完全に取られたが、技が出始めたからまだ勝機は十分にある。「どうした動きが硬いぞ」といったところ「大丈夫です、勝てます。」とくる。恐らくやっと予選の時に大きなポイントを稼いだ投げを使う気になり、自分なりの勝機は見つけているんだなと「分かった。しかしくどいが後ろ蹴りやバックハンドがまた来るから、必ず頭の中に入れておいて、来たなら即反応し絶対にあれを見逃すな」というと「分かりました、やります!」と返事が来る。よし、行け!
たちまちインターバルは終わって2ラウンドへ突入。2ラウンド早々又も後ろ蹴りだ!今度はうまくサイドステップでかわしたが、まだ自分の技(転倒させる)にはできない。しかし今度は自分から右のフック、左インローと行くと相手が右ローで応酬するがしっかり左脛でカットする。右ストへの左フックのリターンもダックしてかわす。テンポの速い技の応酬に観客からの声援がひと際高くなる!やっとエンジンが掛ってきたか!しかしここでも波に乗れない。パンチの打ち合いから接近して右首投げに行くが右足が踏ん張れない上に、地力の差で首を抜かれて逆に左の投げで転倒させられる。5対1。
笹沢の必死の左ジャブから右が軽く当たる。そのまま組んで大外刈りに行くが足を大きく引かれて掛けられない。さらに左フックから右ストに行くと、KUHADOV MURAD体を倒しながらの右クロスで、笹沢の右がかろうじて右肩をかすめる。再び組むと目先を変えて左小内刈りだ。しかし膝を付いただけで2ポイントはないだろうと思うが、ほかの審判からは文句が出ない。7対1。
離れてすぐにまた後ろ蹴り。今度は斜めにステップするまではゆくが足を抱えるまでには至らない。焦る笹沢、右ストから2,3度入るがその旅に左ストを合わせられる。そのまま組んで得意の大内刈り!!よしこれで2ポイントだと思ったが、こちらもそうしたように、敵も当然笹沢の技を研究してきたのだろう、体をグンと張ってガッチリ受け止めて、逆に体を左に捻って典型的な大内返しで笹沢を転倒させる。(これもさらにその後の返しも練習させていたのだが・・・)しかし、これは1ポイント。少ないのは良いが、投げのポイント基準が分からない(泣)2,3度これを繰り返す。焦って撃ち合いに行くが相手は余裕からよく見て前述のリターンを的確に返してくる。大したことはないが鼻血が出て一旦ドクターストップ。
残り20秒を切ったころ、相手の大振りの左フックをくぐって接近して、遅まきながら伝家の宝刀大内刈りが見事に掛り、やっと2ポイント奪取で7対3。時間が欲しい!もう2,3回投げないと!!しかし相手もう甘くは見ない、回転の良い後ろ回し蹴り(軽く当たる)、左バックハンドと付け入るスキを与えない。クソー時間だ!!!負けたー!!まさかぁーという感じだったが点数的には文句の付け所がない判定だ。
結果はかなりな自信を持っていた笹沢だけでなく、優勝を考えていた私にとっても思いもしなかった1回戦での敗退という厳しいものだった。ここに笹沢の夏は終わり、同時に“散打戦”を通じての大道塾のアピール、選手に大舞台での経験を踏ませるという10年来の行程も一応の収束を見た。名古屋に住んでいる笹沢に付きっきりで見て来た訳ではないので、十分に準備対応したとはいえないまでも、対戦相手は予選の時と同じ選手で、試合も何度か見て癖や戦法は十分に分かっていたのに、勝てなかった・・・。
「第三回世界空道選手権大会」を来年に控えた今、この試合は寝技がないという点で大きく違うが、様々な点で大きな示唆に富んでいる。試合中、大会中に感じた諸々:傾向と原因と対策等々については後日改めてマトメてみたいと思う。笹沢選手個人に関しては学生時代の豊富な練習量に比べれば、大きな企業に就職し仕事が終わる9時、10時頃からの練習しか出来なくて満足のゆく練習が出来なかったことが大きな原因だとは思うが、“社会体育(※)”を標榜しながらも経済的、組織的に純粋な民間組織として自助努力で運営されなければならない「空道」、そして「大道塾」の現実である。
※プロ格闘技選手の養成を主たる目的とするのではなく、様々な分野で“社会に貢献する人材の育成”をするための体育
1年後の試合を控えながら「鶏が先か卵が先か」論争をしても始まらない。蟷螂(かまきり)の斧的、無謀な企てなのかも知れないが、こんな条件/環境の中でも、本道である「空道」の試合で勝つためには、どんな技を、どう向上させることが必要なのか?「空道とは何か?」という原点を今一度振り返ることで、その練習内容や効率、優先順位や戦法といった諸々を改めて、早急に、確認、徹底する必要がある。
今はこの試合のために物心両面で多大なご支援ご協力を頂いた役員はじめ塾生、ファンの皆様に、自分が付いていながらこのような結果になってしまったことへの心からのお詫びと、そして感謝の言葉を述べさせて頂きたいと思います。有難うございました。
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