エジプト・イギリス遠征  >  五十嵐祐司レポート2

イギリス日記

エコノミー席には体重制限を設けるべき

イギリスへ向かう機内は、予想に反して意外にも搭乗率が高かった。
得意の非常口付近などは確保できず、中央席に三人横並びという、体重92kgの私的にも少し窮屈だなぁと感じていた時に前方から顔も体格も武蔵丸にそっくりな白人がノシノシと歩いてきた。「頼むからこっちに来るなよ!」という我々の願いは辛うじて通じたのか、座席番号を念入りに確認していた彼の席は我々の斜め前であった。
彼は、意外に優しく隣人がトイレに行く際など鏡餅のような腹を引っ込ませ「プリ〜ズ」と言っているが、そのスペースは大してできていない。
真面目に120kgを超えたらエコノミーでは反則、迷惑であると思った。
隣人が、離陸して暫くしてから彼の圧迫感に耐え切れず必死にCAへ席替えのSOSをお願いしている。その様に笑いをこらえきれず内輪では、意外と盛り上がったものである。

ロンドン・ヒースロー空港へ到着

ほかにもロンドン・ヒースロー空港(イギリス)に到着するまで色々あったが、とりあえず無事、入国。
この空港の雰囲気が、文明国に来た!という高揚感を与えてくれた。
日頃、当たり前に感じられていることが全て封殺、腐敗している国から先進国へ移動してきたという実感、喜びが空港システム一つをとって見ても、正しく遂行されている光景を見るだけで沸いてきた。

クリスマス近い夜のヒースロー空港
クリスマス近い夜のヒースロー空港

お出迎えに 支部長アナスの登場

空港にはしっかりと今セミナーの責任者・ウインザー/スラウ支部長のアナスが来ていた。
彼は、スリランカ出身で敬虔なムスリム(注1)。エジプトを離れ、ムスリム集団とは少し距離ができるのかと思いきや、彼の弟子たちもほぼ全員ムスリムなため、ここイギリスに来てもまたもやムスリムの呪縛からは解かれそうにもない。今や世界に台頭してきたムスリム勢力、恐るべし。
「ここはイギリスだよな?」と自問自答しながらも空港で見かけた白人たちが颯爽と歩いていくイギリスらしい光景はすでに薄れてきた。

注1:モスリム(または、モスレム)とも言う。「(神に)帰依する者」を意味するアラビア語で、イスラーム教徒・回教徒のことを指す。

イギリスのムスリム塾生は、こんな明るい者たちが多かった。
イギリスのムスリム塾生は、こんな明るい者たちが多かった。

14年前の記憶がよみがえる

アナスとは去年の世界大会で面識があった。
その世界大会の時に「私は、14年前に五十嵐さんがスリランカに来て東先生とセミナーをやった時にいました。覚えていますか?」と聞かれ「覚えてないなぁ・・」と答えて別れたのだが、今回、又、同じ質問をしてきた。
しかも、その時(14年前のセミナー)のメモリアルフォトを今でも大切に持っていると言う。
でも、かれこれ14年前のことだ。こっちだって25歳の時の話だから中々思い出せない。
しかし彼が、「私はあなたに友好の記念にお皿を渡しました」と切り出した話で一気に蘇ってきた。それは覚えている。
なぜならば未だにその皿は自分の部屋に飾っている。
そして、それを受け取ったのは君(アナス)の家に招待された時だったから。
当時、寸止めスタイルの道場からフルコンの空道に切り替えようとしていたスリランカでアナスをはじめ色んな道場生とマススパーをたっぷりやった記憶がある。 我々が96年のセミナーを開いた2年後に、彼はイギリスへ移住し現在に至っているという。
本当に月日の流れとは恐ろしい。14年前に撒いた種、出会いが、こうして一つずつ花を咲かせている。
昔の記憶が戻り、アナスの面影を思い出せた嬉しさで『世界ウルルン○○』ではないが思わず、どちらからとなく抱き合ってしまった。
お前、14年前はもう少しやせていて、ヒゲもそんな長くなかっただろうと・・・。

14年前、アナス支部長から頂いた記念皿
14年前、アナス支部長から頂いた記念皿

ウエルカムパーティーの席で
ウエルカムパーティーの席で
右からアナス支部長(スラウ・ウインザー)、ネリ支部長(マンチェスター)、
五十嵐、リッツ支部長(イタリア)

おっちょこちょいなアナス

アナスの計らいでホテルは、ロンドンから車で1時間ほど離れた彼の地元・スラウ市にあるホリデーインを用意してもらったは良いが、塾長が気にしていたバスタブはついていなかったので滞在2日目はバスタブ付の別なホリデーインへ移動となった。
私は二日連続でツインルームを与えられ、分不相応でおかしいなとは思ってはいたが、エジプトでもそうだったし、アナスが、どうせおっちょこちょいでツインを2室とったんだろうと思っていたところ、塾長が「アナスにPCのLAN接続ができる部屋にしてくれと言ったはずなのに繋がらないんだ」と来た。
「アイツ、お前の部屋とサービス申請を間違えたのでは?」と指摘され塾長ご夫妻とお部屋交換をすると、ご夫妻部屋は何とダブルベッド1つのみであった。
LAN接続サービスを指摘されなかったら独り者の私が二日連続のツイン。一方、世界の塾長ご夫妻はダブルベッド一つ・・・。
頼むぞ、アナス支部長。

初日、二日目と宿泊したホテル
初日、二日目と宿泊したホテル

タンタ(エジプト)のホテルとは全てが違う。当たり前か?
タンタ(エジプト)のホテルとは全てが違う。当たり前か?

初日のセミナーと昇段審査 

アナス支部長の宣伝が良かったのだろうか?
滞在二日目に行ったセミナーと審査会には100名近い参加者が集まった。
遠くはイタリア、ハンガリーなどからもわざわざ来て空道の段位を取得しに来るのである。
ヨーロッパは上手く発展、展開してきていると言えるのではないだろうか。
イギリス国内においても首都ロンドンをリー支部長、マンチェスターではネリ支部長が切磋琢磨しながら頑張っており、この審査会にも当然、駆けつけて自ら昇段に臨んでいた。
余談だが、この二人(リーとネリ支部長)は白人なため、イギリス国内三支部の塾生が、おそろい踏みで整列された光景をみれば、白人とモスリムの割合がなんとか半々となり、ようやく「これは、イギリスセミナーだな。」という雰囲気が出てきたと感じたものである。
今回の審査は新体系で行った。
これまでの旧体系では前屈立ちなどに象徴されるトラディッショナル(伝統)スタイルから始まるコンビのボリュームが多く、その辺を多少は残すも割愛して実践的な蹴り方、新たなコンビなどを融合させ、又、総合と提唱しながらも打撃要素が多かった審査項目を、組系要素も厚くし「打撃:組み」の比率に均等性を持たせた新体系は、実践的で教えやすいと思った。
これが今後の世界基準になり、その基軸から各国の先生方の嗜好、格闘観、武道観で多種多様なファイトスタイルが出来上がって国際舞台で競い合っていくという将来的な期待値と姿が非常に持てる充実したセミナー、審査会であったと振り返る。

セミナー終了後に恒例の記念撮影
セミナー終了後に恒例の記念撮影

イギリス大会・朝の計量で

滞在三日目。記念すべき第一回イギリス大会の当日を迎えた。
「日本を出てから、もう一週間、白いお米を食べていないせいか胃も疲れてきたので大会が終わったらロンドンで観光し、日本食を食べに行こう。」という塾長のご厚意を聞き、張り切って会場に向かった。

我々の予想では参加数からいっても午後2時には終わり、観光するにも丁度良い時間がとれると感じていた。ところが、午前8:00には会場へ着いたが、まだ設営中。

9時に開会式と聞いていたが、マットの枚数が不足しているし、どうも段取りができていない。
見るから開会式の遅延は止む無しといった怪しい様子。
追い打ちをかけるように、数分遅れて来たアナスは、「今回のやぐら(組み合わせ)は本日、作成です」ときた。
「じゃあ、やぐらはこっちで(塾長が)組むから選手のリストを、とりあえずよこせよ。」
と選手計量の部屋へ小走りで向かいながら言うと、
「ソーリー。先に選手の身長、体重チェックだけやらせてください。」と言ってアナスがカバンから出したのは、なんと鋼製(スチール製)巻尺。
一人一人測るたびにシュルシュル〜と畳んでやるではないかー!
「お前、そんなもんで、一々測ってたら日が暮れるぞー」「俺がやるから代われ!」
と言って選手リストも回収し塾長と共同作業でやぐらを組むことになった。
結局、開会式は、1時間遅れの10時となった。

第一回イギリス大会は良く言えば手作り感あふれるアットホームな大会であった。
第一回イギリス大会は良く言えば手作り感あふれる
アットホームな大会であった。
写真は大会の設営リーダー、カメラマン、司会進行、
そして選手と一人数役、奮闘するアナスのお弟子さん。
フィストガードをつけながら司会を務める。

イギリス大会を振り返って

ほかにも笑える話が多々あるが、あまり記すと団体、大会の権威が損なわれるので、逆に感心したこと、大会内容などを上げたいと思う。

1)会場となったウインザー市の市長が直接、祝辞を述べに来場されたこと
今大会の主催はスラウ・ウインザー支部のアナス支部長であったが、彼は前述したとおりスリランカ出身のアジア人。イギリスという白人優先主義社会の中で、人種の違う者が、テレビ新聞メディアはもとより行政の認可までも受け、首長来場というところまで運ぶことができたのは、彼の長年の地道な努力と人徳によるものだろう。

2)少年部ルールの展開
近い将来に向けたジュニア部門の世界大会を具現化するべく、この国においても少年部ルールを指導し当日は、U-15、U−10の2クラスに分けて試合を行った。
内容は、パワーこそやはり海外と思うも、現在の日本の子供たちのテクニックは非常に高いので、対等もしくは、それ以上にやれると感ずる。是非とも早めに実現させ、日本の子供たちのためにも戦わせてみたいと感じた。

3)シニアの試合
これといって目立った選手はいなかったが、第三回世界大会で−240に出たデービット(スペイン)、−250のマーク(イギリス)ほか上位連中は、いい動きをしていた。当然、来年のワールドカップにも出てくるものと思われる。
所感を言えば、こうした他の大陸大会はまだまだ層が薄いので、ロシア以外の外人選手には、日本勢も自信をもって戦ってもらいたい。
ただ、こうした我々の海外活動からくる影響力、普及の早さ著しいので、いつ急にダークホース的な選手が出現してくるかは本当に予想できないものである。
来年のワールドカップに向けて対海外で勝つには何といってもロシアだという認識で構わないが、ロシアとやる前に緒戦で、こうしたダークホース的な選手と当たって自分が星を落としたくなければ、毎度毎度言われている安定して勝ち上がるために必要な土台(フィジカル)とスタミナを作らずして戦略も戦術論もないでしょうというのが本音である。

閉会式後の入賞者記念撮影
閉会式後の入賞者記念撮影

ロンドン観光は、結局・・・・

仕事優先。昼休憩ナシで審判業に没頭し気がつけば大会終了は午後4時であった。
それからイギリス国関係者全ての方々と別れロンドンへタクシーで移動。
夕方の交通渋滞に巻き込まれホテルにチェックインしたのが6時30分ころであった。
冬のロンドンの寒さをなめていた私は日本からコートを持ってくることを忘れ、青森並みの冷え込みが顔、体に染みていた。ちらちら雪も降ってきて年の瀬を感じさせる。
何とか今回のセミナー(仕事)をやりきったご褒美だろうか? 事務局長からの労いで、この日のホテルは、ロンドン市内を流れるテムズ河沿いに聳え立つ立派な四ツ星ホテル!
心も体も一気に温まった。部屋から見える景色が、とにかく素晴らしく、目の前にはビックベン、ロンドンアイ、テムズ河にクルーズ船などが一望でき、バスルームも身長181の私が足を伸ばしても余裕のある大理石ばりで広くキレイなこのお部屋は私の経験する海外遠征では過去最高!!(事務局長、本当に有難うございました。)
エジプト・タンタで過去最低を味わい、イギリス・ロンドンで過去最高。
このギャップがかえって調子をおかしくしたのか、この日の夜に、プチ観光で一箇所だけ映画ハリーポッターの撮影場所となった有名な地下鉄駅を見学した後に、塾長に連れて行っていただいた日本食レストランでは思ったより腹に入らず。
  久しぶりに食べたおコメの食感だけで感無量といったところだったのか。でも日本そばは、明らかに乾麺とわかっていても美味しかった。
『埃と騒音の混沌劇』から始まった今回の遠征。次に来たのは『アナスの天然伝説』。でも今は『町中イルミネーション』といった静かなロンドンの冬景色を味わっている。 
本当にご馳走様でした。

さすがロンドン。キレイな赤バスが目立つ
さすがロンドン。キレイな赤バスが目立つ

日本より一足早い「ナルニア国物語」公開を記念したイルミネーション
日本より一足早い「ナルニア国物語」公開を記念したイルミネーション

食事帰りはチャイニーズVS白人の食い逃げ犯けんかなどもあったりして・・・
食事帰りはチャイニーズVS白人の食い逃げ犯けんかなどもあったりして・・・

ロンドンの素晴らしい朝

最高のホテルで気持ちよく目覚めたものだから、夜明けには観光がてらランニングに出た。
テムズ河沿いは、きれいなランニングコースがあり、気温4,5度という寒さの中、白い息を出しながら出社前のビジネスマンが結構、走っている。アジア人の私にも気さくに「グッモーニング」と。
国会議事堂前の芝生はシャドーするにも補強するにも丁度、良かった。
ホテルに戻り、期待の朝食は、おなじみビュッフスタイル。
でもタンタとは違って、焼きたてのクロワッサン、アプリコット、シナモンパン。ヨーグルトも多種。
フルーツも食べ放題。サイドコーナーには、カリカリベーコン、ソーセージ、スクランブルエッグやトマトの山。飲み物もアップル、オレンジ、パイン、グレープフルーツ、牛乳、コーヒー、本場のイングリッシュティー。
まあ、どれをとっても温かくて美味しい。
海外遠征も悪いことばかりではない。

ロンドンの夜明け
ロンドンの夜明け

議事堂前の芝生
議事堂前の芝生

川沿いから臨む国会議事堂
川沿いから臨む国会議事堂

再びエジプトへ

朝食を食べた後は、いよいよ日本へ戻るために再び3日前に降りたヒースロー空港へ。
帰りルートはロンドンからの直行便ではなく、エジプト・カイロ経由での戻りルート。
中学の地理で習ったことを思い出せば、日本とカイロの時差は丁度7時間。イギリスとは9時間ある。時間の差というのは、経度差が15度で1時間ずれ、イギリスとエジプトは丁度30度違うから2時間差となり非常にわかりやすい。
昼過ぎにイギリスを出てエジプト着は夜になり現地(カイロ)で一泊となった。
エジプトのホテルは、空港から近いカイロ市内にある四つ星ホテルを用意していただいたが、こちらのホテルも事務局長手配によるものであったため比較的にスムーズに着くことができた。このホテルは、ガイドブックにも記載されているオススメのホテル。本によると「お部屋からピラミッドが見えます」と書いてあるものだから深夜に部屋の窓からうっすら見えた三角山に「もしや、これがピラミッドでは?」と少しは期待しながら就寝。

イギリスでの最後の食事は、空港内で本場のスモークサーモンセット&地ビール。
イギリスでの最後の食事は、空港内で本場のスモークサーモンセット&地ビール。

塾長、押忍、本当においしかったです。ご馳走様でした。
塾長、押忍、本当においしかったです。ご馳走様でした。

ピラミッド観光

朝起きて、窓を早速、確認した。昨夜、期待した三角山は、なんと普通の建物だった・・・。
よくよくガイドブックを見ると「ピラミッドビュー(ピラミッドが見えるお部屋)は全室ではありません」と記載している。まぎらわしい。私だけではなく、塾長も、そう思われたようで深夜に写真まで撮られたと言う。
さて、気分を一新して、午前中に歩いてピラミッド見学に向かった。
普通は観光バスで行くものを、ここは大道塾流。またもや埃と騒音の中を歩いてピラミッドの地へ。歩くと非常にわかるのだが、子供のころにイメージしたものと違い、ピラミッドが建つ場所の手前までは普通の騒がしい公道だらけ。ピラミッドが建つ場所も砂漠ではなく、広い土グランドの中にあるという感じ。ラクダは、監視員の足代わりとして使われているだけで、何十頭もいるものだから、下の臭が、かなり漂ってくさい。これは夏だと、かなり大変だろうと思った。観光バスが次から次へと十数台も停まり、連日、世界中から千人近いツアー客が訪れているという。
兎にも角にも、エジプトの象徴ともいえるピラミッドだけは観光?確認はしてきた。
これでなんとか「エジプトに行ってきました!」的な話はできそうである。
ガイドブックにも出ていない「タンタだけです。」では、トホホである。

何とかピラミッドへ
何とかピラミッドへ

常に「チップくれ」としか言えないピラミッドを監視する警察
常に「チップくれ」としか言えないピラミッドを監視する警察

ようやく日本へ帰る

ピラミッド観光の後は、世界一長いナイル川を見て、すぐにカイロ空港へと向かった。
今回はあっという間という感じではなかったような気がする。
中々、全てが中身の濃い指導遠征であった。いつも感じるが成田に着くと、ホッとする。
現在、成田空港内に勤務する東家ご令嬢の由美子さんが有難いことに私達の帰国を待っていてくれ、昼食をとりながら旅のガスを抜いていただき、その後は夜行バスでおとなしく青森へ戻った。この経験は2011年の活動に活かしていきたいと思う。

五十嵐祐司(青森市・三沢・弘前支部))
※文中画像、キャプションを含む

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