ウクライナ遠征随行記東由美子

東由美子「ウクライナ遠征随行記(長編)」

4月23日 | 24日 | 25日 | 26日 | 27日 | 最終章

最終章

皆さんお疲れのところ、最終章に相応しい騒動です。

【Phase1 ほろ酔い】

16:45空港着。車から降り、塾長があちこちに電話したい衝動に駆られているのに気が付きます。これで、酔っているんだな、と判別が付きます。ほろ酔い程度だったはずの酔いが、車に乗っている間に回ってしまったようです・・・。私はその姿を目にし、すぐに止めにかかり、振り返り気が付くと、サーシャさんが空港の警察の方々に何か話しかけられています。コノネンコさん曰く、「近年、飲酒運転などの取り締まりが厳しく、今はうまく誤魔化せたものの、こちらは皆かなり飲んできているので、目に付く行動は少し控えた方がいい」ということです。
少々緊迫した空気が流れ、それを、眉間にしわを寄せて真剣な表情で聞いていた塾長。口を開いて一言目に、「そうか・・・、よし、おもしろいからあそこにいる二人組(警察)にちょっかい出しにいくぞ!」どうやら、酔いと眠気でしかめっ面になっていただけのようです。コノネンコさんは即座に、「さすがに今回、それは少々マズイかと思われます、先生・・・。」「そうか」と言って一安心をさせるも、車から荷物を出したり私たちの見ていない間に、そちらに向かって行こうとするので、私もそれを必死に止めます。納得したふりをしては、すぐに目を盗んで歩き始めるので、その度毎に、着ているシャツを引っ張って必死に行かせないようにします。
それがまた話し掛けたくさせるのか、次に、遠くから大声で、「ヤッホー」とか「空道○×△・・・」と叫ぼうとします。「空道知ってっか?」と聞こうとしているのは容易に想像が付きます。それも止めさせて、掛け込むように空港へ入ります。最後には、警察に向かって大きく手を振りながら歩く塾長を空港内へと無理やり押し込み・・・、というように、なんとか終息したかのように思われました。まるで永遠の別れか亡命するかのような光景です。

【Phase2 話しかけたい】

チェックインカウンターへ。
ここで、お世話になったサーシャさん、ルスランさんとお別れです。カウンターに並ぶ人々の行列の前で、周りの方々に見守られながら、大声量での万歳を終えます。私は、塾長が自覚して少々の愛嬌で酔っているのか、完全に意識外の行動なのか、見定めようとしていますが、塾長の場合、笑えない冗談も多々あるので、その判断に意外に頭を悩ませます。まだ許容範囲内かなと思い、目を見張りながらも、グッと黙っています。

列に入り、前に並んでいた方に「Do you know KUDO?」と始まり、始めは嫌がっていたようなその方も、面倒くさそうな様子をしながらも、「Yes」に始まり、塾長の質問に毎回受け応えをし、サモヒン支部長のことも「勿論知ってる!」とのことでした。さらに、息子さんが合気道をやっているというので、塾長が、ウクライナでもらった今回のセミナーのポスターを見せて、「This is, Me!」「Him!」「Him!」と、塾長自らと、コノネンコさん、田中さんと指さしながらアピールすると、怪訝そうな表情がようやく緩み、笑みに変わっていきます。“単なる酔っ払い”ではないことに気付いて下さったようでその後も微笑んでいました。コノネンコ師範代も田中さんも、ウクライナでの空道への反応の良さに、驚き喜んでいました。一番喜んでいたのは恐らく塾長で、隣のカウンターに並んでいた男性にもすかさず、「Do you know KUDO?」と始まっています。この時点ではまだ、なんとか問題なく過ごせるかと思っていました。
・・・が、そのうち、航空会社の女性の方がものすごい形相で近づいてきて、コノネンコさんに暫く、かなり強い口調で警告をし、コノネンコさんも必死に対応するものの、表情に徐々に緊迫感が高まっていきます。「大統領が来るため朝からかなり厳重な警備をしていて、もし次に周りの方々に話し掛けたり大声を出したら、別室に連れて行くので搭乗は出来なくなってしまうそうです。空港内の警察にも通報されていて、もうマークされているとのことです。・・・ですから、塾長、どうかお願いします・・・」とコノネンコさんも必死で、今騒動の対応にずっと出ているので、さすがに少々パニックのようです。
ここに並んでいない方がいいと思い、コノネンコさんと田中さんに荷物などのチェックインをお願いして、塾長と二人、列から外れることにします。その間も「いま来た係の女性が俺に来いって言ってるから行く」「態度が気に食わないから更生する」などと言い張り、塾長のガードは徐々に難易度を増してきます。感情的になるとますます火をつけてしまうと思い、極力柔らかい物腰で対応に当たります。まだこの段階では、その都度「お願いします・・・」「お願いなので・・・」と向かい合うと聞いてくれます。ですが、30秒黙った後に、「・・・でもやっぱり、」といった具合で延々と繰り返されます。

ようやくチェックインが終わり、次のパスポートコントロールへ(泣)
ここでも、前に並んでいる年配の男性に話しかけようとします。ですが今度は大変心強く、コノネンコさんも、田中さんガードに参戦です。塾長が、前の方の左肩に手を伸ばそうとすると、塾長の左前にいるコノネンコ師範代がそれをすかさず防ぎ、塾長が前の方の右肩を叩こうとすると、右前にいる田中さんがサッと前に出て、その手が男性の肩に到達する前に止めます。そんなことを約15分間し続けます。塾長は、10分程はそれを楽しんでいるようにも見えましたが、それが飽きてきたのか、コノネンコさんと田中さんにも「このおじさん話しかけて欲しそうな背中してるだろ?なんだかさみしそうだろ?」「そう思わないか?」「俺悪くないだろ?」・・・等の尋問が続くようになり、お二人ともお困りの様子(本当に)です。さすがにここで、私も積りに積って、“許容範囲外”と判断しました。塾長の順番が来たので、「30秒間だけ一言もしゃべらないでくださいね!」と懇願し、神に祈りながら、塾長が私たちの警備から外れて一人だけの30秒間。後ろで見ている私たちは気が気ではなく、前傾でスタンバイしている状態です。なんとか難なく潜り抜け、た・・・、と思ったら、塾長がどこかに消え、左に消えたのを見ていたので、次のコノネンコさんがコントロールを抜けるや、「コノネンコさん、左です!!」と叫び、コノネンコさんが走って見渡すも見当たらず、「うぅ〜っ・・・!・・・もしかしてそこにお手洗あったりしますか?!」と、完全に犯人捜索状態です。コノネンコ師範代は終始、警察や空港の方との対応をしていたため気が滅入っていて、その心境は恐らく、100%中、疲労50%、パニック50%というようだったと思いました。この日は、コノネンコ師範代のお誕生日だったのですが、自分でもそれを忘れてしまっているかもしれないくらいお疲れの表情で、“Happy Birthday!”だなんて誰もとても言える状態ではありませんでした。

この後、コノネンコさんの搭乗券紛失、塾長の搭乗券捜索・・・(笑)と、何かと搭乗券とは相性の良くない旅の展開です。さらに、その後も、【Phase3 手に負えない】と事件が続きますが、“大変だった記憶”として留めておくだけの方が良いと思うので割愛させて頂きます。(笑)塾長の、手を変え品を変えの言動に振り回されながらもしきりに、「怒ったら負け、怒ったら負け」と言い聞かせ、終いには「絶対に警察には渡さない!」という心境で臨みました。(笑)

【Phase4 上機嫌(?)】

20:00 客室乗務員の方々の冷たい視線にも耐え(笑)、経由地のパリに到着。3時間のフライト中、塾長が大人しい間、約1.5時間の安息の時間のお陰で、気持ちが少し落ち着いてきます。そんな平和な時間も束の間、「起こさなくては・・・」と恐怖の瞬間が来ます。恐る恐る揺すり、声を掛けて、反応を待ちます。大人しい様子で目を覚まし、口を開いて一言。「どこだここは?」「パリ、フランスですよ」と答えますが、特に問題はなさそうです。そしてもう一言大声で、『ふらぁーんす!ふふふ、ふらぁぁーんす♪』と、・・・ご機嫌は良好のよう・・・?ですが、こちらは反面、まだ安心できず、まだまだ続くであろう幾多の苦労を想像し、気が重くなります。乗り継ぎ便のゲートに向かう途中、話す言葉といえば、「ふらぁーんす」「ふらぁーんす」で、発音チェックを繰り返します。それを、「な、ニャンコ(コノネンコ)、ふらぁーんす!」と、コノネンコ師範代に意味の分からない振りをします。それに対しコノネンコさんが返した言葉は、、、「押忍、フラァーンス」「(・・・コノネンコさん優しすぎますからぁ・・・)」
この「ふらぁーんす」で上機嫌の合間に話しかけてみると、塾長は、胃の不快感だけは残っているためあまり機嫌がよろしくなく、ウクライナの空港での一切は全く記憶していないようです。「(もう、さすがに・・・)」と思い、次の便のゲート前まで行き、そこで放って寝てもらいます。コノネンコさん・田中さんとお土産を買いに行き、心の安定を取り戻し、ここでようやく、コノネンコさんの“Happy Birthday”と思えるゆとりが3人にも戻りました。ちなみに、東北本部、吉祥寺支部へ、ウクライナではなくフランスのお土産を買って行かれたのはこんな一連の騒動があったためです。(皆さまにご迷惑おかけして申し訳ありませんでした・・・。)
搭乗開始時刻が迫ると、塾長(遠目からこちらに向かって来る姿を見て、お酒も覚めている様子!?とタダひたすら期待)も起きてきて、「ラーメン食いたい」と言って、それから探しに。急いで近くのお店のスープを胃に流し込んでもらい、最終搭乗時刻ギリギリで搭乗します。

【Phase5 全快】

23:30 最後の搭乗。一路成田へ。なんだか喉の調子がおかしいな、と思いながらの13時間。そして、塾長が、コノネンコさん・田中さんや、周りの方々にご心配をおかけしたことを余りにも記憶していないことに対し、やり場のない気持ちが込み上げ、なんだか不完全燃焼です。片や塾長は、映画を見たり、何事もなかったかのようにワインを嗜んだり、充実した時間を過ごしています。見ると沸々と込み上げてくるので、終始、塾長を視界に入れないように過ごします。(笑)
18:00 成田空港着。ぐったりのコノネンコさんと田中さんに、「最後の最後で本当にご心配、ご苦労をおかけしましてすみませんでした。でも、先生の弱み、たくさん収穫ありましたね!」と言い、皆さん笑顔(苦笑い)で解散となります。残念なことに塾長は弱みとは思っていないかと・・・(;;)
塾長は、ウクライナ遠征は大成功だったという様子で一貫してご満悦なので、さて、事務局長の反応は・・・と気になりながら、ドキドキと遠征の一部始終を事後報告すると、「ね、あなたいてくれてよかったって言ったでしょ。こういうことよ。」と、この一言で全てが報われたような気がしました。年の功とはまさにこのことで、重々しい言葉が心に染み渡りました。もう一言、「私がいたら絶対に、〓※▲×★どころじゃないわよ!」これには異論もなく納得です。

それにしても、塾長の最高潮(笑)の際の表情を見ていた時は、本当に心配したので、無事遠征から帰っての感想は、「とにかく、元気になってくれてよかったぁ・・・」の一言でした。私はと言えば、案の定、帰国翌日から風邪をひき、ゴールデンウィークは寝込むハメになったということは言うまでもありません。(笑)

最後に

塾長が、「10年ぶりにウクライナに来てここまではっきりと発展がみられてうれしい」と言っておりましたが、そんなウクライナ支部へセミナーや審査のお手伝いで参加させて頂き、サモヒン支部長・その他支部の支部長の方々の人柄に触れ、「なるほど!」と実感させていただくことができました。
また、セミナーの規模や、塾生や皆さんの一体感・意欲的な姿勢などは、「“発展”というのは、ただ強くなることだけではなく、空道の根本に基づいて社会貢献も担っていること」を、ウクライナのサモヒン支部長が理解・共感されているからこそ出来あがっているんだな、と心から納得しました。技術的なことはあまり分からないですが、カメラを通して見たウクライナの塾生方々のセミナー・審査風景からは、ロシアの支部とも異なる、現在も益々進展中の強さや純粋さがあるように思いました。

そんな貴重な空道の発展を直に体感させていただく機会をいただきましたこと、皆様に感謝致します。また、同行して最後の最後まで多大なるご協力いただいたコノネンコ師範代、田中さん、様々な点で至らなかったことをお詫び申し上げます。辛抱強くお付き合いいただきありがとうございました。心より感謝を込めまして、「お疲れさまでした!」

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