インド遠征レポート神山歩未
はじめに

押忍
日進支部の神山あゆみです。10月19日から26日にかけて、姉妹で塾長率いるインド遠征に随行させて頂きました。

今回の遠征の目的は、総本部のホームページで告示された通り、現地で開催される武道大会において、空道の演武を姉妹で行なうことでした。また、空道連盟加盟を前提としたセミナーを実施するとのことでしたので、我々姉妹で、演武成功の他に、目的もう一つを決めて出かけることにしました。それは、女性ならではの、やわらかい空道国際交流を行なうということです。空道の遠征、セミナーと言えば、男性選手が随行することがほとんどです。男性と同じ目線で、同じことを成し遂げようとしても、拳で戦う武道の世界、そこには限界があります。なので、女性は女性の目線で、我々姉妹には姉妹にしかできないことを成し遂げようと決め出発しました。

ムンバイの様子、姉妹の旅

さてインドといっても、前回塾長が赴かれたインド遠征とは異なり、我々が降り立った地は、ムンバイ。西海岸沿いに位置する、インド最大の都市です。人口は、1383万人と、南アジアを代表する世界都市の一つといわれています。


ムンバイの様子

世界都市と聞くと、多くのビルが立ち並び、スーツを着た多種多様な人々がコーヒーを片手に行き交う姿を想像します。しかし、空港から降り立った私が初めて見たものは、道路の真ん中に立ち交通整理をしてくれている野良ウシ。舗装されていない道路。道の脇で寝ている野良犬たち。日本ならば一車線であろう道を、クラクションとパッシングを多用し、三列にも四列にもなって進んでいく交通状況。女性の六、七割がインドならではのサリーやパンジャビと呼ばれるワンピースを来ている様子。加えて潮風に混じってうっすらと薫る何だかわからない香辛料の匂い。黄土色にぼやけた風景。ムンバイは、私のイメージする都市とは大きく異なる様相をしていました。

到着翌日、領事館表敬訪問の後、現地案内人が観光としてインド門*1に連れて行って下さいました。インド門を囲む開けた広場では、外国人観光客の姿は少なく、沢山の現地人観光客にまじり、埃で真っ黒になった顔をして、汚れた服をまとい、つたない英語でたった一ルピー*2を乞う子どもたちに出会いました。ただ貧しいからという理由ではなく、病院等で盗まれた子どもたちが、インドで暗躍するマフィアなどに組織化され、自分よりちいさな子の面倒をみながら物乞いをさせられているのだとか。ムンバイでは、人口の約54%がスラムで暮らしているのだと聞きました。お金を渡さないことが、組織撲滅に繋がると案内人から説明をうけ、ジャケットの裾をひっぱる子どもたちに、申し訳なさそうに「No」ということだけしかできなかった姉妹。話しに聞き、テレビで観ていたけれど、実際に目にする全てがとても衝撃的でした。

*1 インド門 港町ムンバイのシンボルで、1911年にジョージ5世とその王妃のインド訪問を記念して建てられたもの


*2  一ルピー、約2円

少しでも多く現地の人々の暮らしをみてみたいと、休息時間をみつけては、姉妹でオート*3をつかまえ、街をみてまわりました。そして休息時間以外は、現地の案内人に連れられ、観光だったり食事会だったりと素敵な時間を過ごしました。

*3 オート オートリクシャのこと


オートリクシャ

姉妹で街を歩き回りわかったことは、ムンバイの昼間は治安がとても良いことです。街行く人は、姉妹が困っている様子だと集まってきて助けて下さるし、なにか訪ねても気楽に答えてくれました。さらにスリにもあわず、お店やオートは料金を誤魔化すと聞いていましたが、料金を誤魔化していたのは、姉妹だということに後で気がついたくらいです。

街を歩き回り学んだことは、現地の人々にとって、いわゆる食品のスーパーマーケットというところはなく、野菜はその辺の露天で購入すること。スターバックスの代わりに、露天で砂糖をたっぷりつけた新鮮果実や絞りたてジュースの販売が人気なこと。洋服の代わりにサリーを堂々と来ていること。お米や香辛料は、専門店で量り売りをしていることです。


路上でメヒンディを施してもらっている様子

そしてなにより、道着を身にまとい、武道に携わることができるのは、中流以上の階級の人々であることがわかりました。iPhoneやタブレットを片手に現地案内人が連れて行ってくださるお店は、どれも高級そうだと感じ始めているころでした。中央分離帯で眠る子どもたちから、高級アジアンレストランでお寿司を選ぶマダムまで、ムンバイの多様な面を、すこし垣間見た姉妹でした。

二つの目的

最近の国内の空道の女性たちの動向として目立ってきたのは、古くからの選手が世代を交代し、新しい選手が少しずつ北斗旗に挑戦しはじめたことです。これまで無差別で行なわれてきた女子の試合も、近い将来には、階級別に分けること叶うかもしれません。国内の空道の女性たちがゆっくり少しずつ発展し始めたところで、空道女子部による海外での演武は、主観的ではありますが、空道に興味のある女性たちの心に、一石を投じる価値があったのではと感じます。

到着後予定が変更され、別々の日に行なう予定であったセミナーと演武を同じ日に行なうことになりました。前々日に武道大会の見学と下見するため訪れた会場には、ジョイントマットが敷き詰められ、黄色と青色のマットで、試合コートが六面設えてありました。毎年その会場では、男女、年齢、種目など多岐にわたる部門別に、数日間かけて朝から暗くなるまで、試合が行なわれているそうです。会場に着くと、主催者の計らいで、塾長とともに舞台の上にあげられました。会場中が少しざわめく様子に、空道への関心の高さが推測され、セミナー成功への期待を持つことができました。そして、舞台下にふと目をやると、目に涙をいっぱい浮かべた小学校四年生くらいの男の子が、父親であろうかと思われる方と、選手係と思われる方と三人で何やら話している様子が目にはいりました。なにを言っているのか聞き取ることはできませんでしたが、その様子は、少年部の地区大会等でよく目にする光景でした。国が違えど、地球国に生きる我々、同じように帯を締め、同じように涙をながすのだと、微笑ましく感じました。

同会場で行なわれたセミナーですが、参加者は300人弱。当初、年齢別に分かれて指導する予定が、舞台の上から塾長自らマイクで説明しつつ、我々はお手本になるというもので、突きと蹴りの基本稽古を中心に指導が進められました。そのため、現地の人々の間に混じり、話しをしながら、指導するという機会には残念ながら恵まれませんでした。

セミナー後に行なわれた演武は、大会の閉会式、表彰式にあたる式典の中で行なわれるものでした。出資者の挨拶、開催者の挨拶に続き、表彰式がおこなわれ、その後に演武という流れで進められました。我々の演武は、全ての演目の一番初め。なかでも姉妹の演武を先に行なうことになりました。ヘッドギアを被った時、投げやきめを行なった時など、会場中が沸き立つ声に、我々にとっては当たり前になっていた空道が、現地の人々にとっては真新しく斬新であり、空道が世界にとって未来を予感させるものであるということを教えられました。空道の演武の後には、形、剣術、棒術など、派手な演目がつづきました。演武後に笑顔の塾長から、「よくやった」とのお声を掛けて頂いたことだけ、強く印象に残っています。

また、我々の行なう演武について、武道大会の参加者の様子から、「カラテの母国日本から、フルコンタクトをやっている選手がくる」といったように、彼らにとって、とても大きな話題になっていることがよくわかりました。我々を見て歓喜の声を上げどよめき、すこしでも近づこうとする彼らの様子に、今まで経験したことのない感覚を覚え、とっても不思議に思われました。また同時に、道着を来た日本人、堂々とそして毅然としていなくてはならないと改めて感じさせられました。

演武後、現地の方々から「こんなちっこい奴らに何ができるのかと思っていたが、驚きであった。」「その怪我は、トラとでも闘ったのか?」等と賞賛や冗談まじりの声をかけて頂きました。微妙な失敗があったものの、初演武にしては満足な出来であったと思います。男性だけでなく女性も、加えて、けして体格に恵まれてはいない人や子どもたちも、空道に挑戦することができるということを伝えられたのではと感じます。

さて、もう一つの目的であった姉妹ならではの空道国際交流は、子どもたちと遊びつつ彼らの子守りをしたり、女性たちとムンバイでの女性の暮らしについてゆったり話しをしたりしました。我々姉妹はトラと闘うような輩ではなく、お洒落やアクセサリー、キレイになることに興味のある普通の女の子であると言うことを知ってもらい、折り鶴を折ったり、ファッションや化粧品の話しをしたりして時間を過ごしました。そして話しの中で、現地の女性たちがいかに空道について積極的に捉えているのかを知ることができ、個人的にとても嬉しく思いました。

現在、空道の前線で戦う選手は男性が中心です。男性は、拳と拳で話しが通じますが、女性は繊細で、拳で話しが伝わるわけではありません。拳の話しが始まると、女性はいつでも蚊帳の外です。事務局長が中心となり、女性たちが身を粉にして陰になり日向になりと支えてくださるからこそ今の空道があるように、女性の支えが無くしては、空道はトゲトゲの荒々しい拳だけの道になってしまいます。男性とともに前線で戦う女性選手も大切な存在ではありますが、選手と同じくらいに、その他大勢の空道に関わる全ての女性たちの存在を思い出し、感謝し大切にしたいものです。そう言った意味で、現地の女性たちと交流ができたのは、新たに強い空道の支えになってくれる女性とのつながりを持てたという点でも、快く感じます。塾長も、今回の遠征は女性がいるお陰でめずらしく、おだやかな遠征になったと仰ってくださいました。我々の二つ目の目的も、まずまずだったのではと感じます。

さいごに

今回のインド遠征で塾長には、ご息女と同じ年頃の女の子二人を随行させるということで、安全面等々いつもに増してご配慮いただき、心中穏やかではなかったのではと感じます。まして、少しの時間を見つけてはオートをつかまえ街へ繰り出してしまう腕白姉妹なら尚更です。それでも、我々姉妹を随行させて下さり、普通では味わうことのできない経験を得る機会をくださった塾長に、感謝の気持ちでいっぱいです。お酒を交えて楽しく宴会をしているようで、それぞれの人に対し慎重に心を配り、観察している塾長の様子にも、大きく感心させられました。塾長の大きさを改めて知る良い機会になりました。

また、塾長のお供ならば心配ないと平静を装い、世間知らずの娘二人を送り出した父の心中を思うと、胸が痛みます。

そして事務局兼通訳の由美子さんには、出発前後と大変お世話になりました。自分のことはさておき、我々姉妹に素敵な思いで作りができるよう始終配慮して下さいました。本当に有難かったです。

空道の下に生まれた姉妹、空道という道を一途に歩いてきたからこそ、涙も人の倍、苦しさも人の倍であったと思います。しかし、普通に生活していては味わうことのできない大きな感動と喜びを三倍にも四倍にも経験させて頂きました。これからも、空道という道しか知らない我々姉妹が歩いていけるのは、この道しかないと感じます。

武道の世界では未だマイノリティである女子に対する認識の向上と、これからの空道の未来を担う子どもたちのために、非力ではありますが、精一杯空道に貢献していきたいと思います。

最後になりましたが、姉妹の演武指導をして下さった四日市支部小川支部長に、この場をお借りして御礼を申し上げたいと思います。なかなかうまく動けない姉妹に、気を揉まれたことと思います。

そして、我々姉妹を日々支えて下さる日進支部の一般部、少年部の皆さん、お留守中も稽古に励んでくれたこがめたち、何も言わずこがめ指導代行を引き受けてくれた末の妹に、なにより姉妹を送り出してくださった両親に、心より感謝致します。有り難うございました。

神山歩未(日進支部)

更新日2011.11.8

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