インド遠征レポート(10月19日〜26日)山田壮

始めに、今回の遠征に当たって指名していただいた東塾長は勿論、1週間以上の遠征に快く送り出してくださった会社の同僚、上司、道場の留守を守ってくれた道場生の皆、そして家族と友人達に改めて感謝の意を捧げます。

10月18日 出発前夜

終電で成田のホテルに到着(午前1時)。仕事から直接の成田入りだったにも関わらず、翌日からのインド遠征のことを考えてあまり眠れず・・・遠足前の小学生の様な気持ちで2、3時間の睡眠で翌日を迎える事となりました。

10月19日 出発当日

朝9時成田空港第二ターミナルにて集合。
これからインドまで12時間の旅路となるわけで・・・飛行機の中でそんなに寝られるか!と思ってたのですが、いざ飛行機に乗り込むと昨晩ほとんど寝ていないこともあってすぐにうつらうつらと・・・合間、前の席に座れている清治先輩をチラ見するとずっとアルコールを摂取していました。

インドの首都デリーに到着したのは午後5時15分。時差が日本と3時間半あるので、日本時間では午後8時15分。降りると何とも言えないオリエンタルな香り(としか形容できない・・・)が鼻に流れ込んできました。半分以上寝てた私とアルコールをたっぷり摂取した清治先輩、そしていつもと変わらない風の塾長、由美子さん、歩未先輩、喜未先輩の6人でさらに飛行機を乗り継ぎ、2時間かけて今回の目的地のムンバイへ。

ムンバイに到着して空港から出ると、ムっとする湿気と熱気を感じました。よく「外国の暑さは日本と違ってからっとしている」なんて言う人もいますが、とんでもない!日本の梅雨時の湿気に真夏の暑さをミックスした様なとんでもない蒸し暑さでした。 到着口で待っていてくれた今回の案内人であり、インドの空手インストラクターでもあるのサンディープ氏とメハル氏(名刺もらっておらずスペリングがわからず・・・)と合流し、車にてホテルへと送っていただきました。

ホテルまでの道のりは3、40分程度ですが、物凄い車の数と交通法規なんて一切無視した運転に飽きることなくホテルに到着することができました。 今回インド側に用意していただいたNOVOTEL(名刺なくしてしまったのでスペル自信ないです・・・※)HOTELは非常に良いホテルだったみたいで快適なところでした。清治先輩との2人部屋で、部屋に入るとすぐに寝てしまいました。

※(編集部注)Novotelは満室で、実際に泊ったホテルはRamee Guest Hotelでした。

10月20日打ち合わせ

7時半に道着に着替えてホテルのトレーニングができる屋上で待ち合わせ、塾長の指導の下、英語による基本稽古の指導方法と演武の確認を行いました。

基本的に技の名前や立ち方、礼儀作法は日本語で行うのですが、その意味合いを伝える為に統一した英訳も伝えられました。例えば“組み手立ち”は“Fighting Stance”と言った風です。塾長から丁寧な基本稽古の指導を受けられる、と言うのも非常に貴重な機会で、「基本が下手」といわれる私には非常にありがたい機会でした。 最も歩未先輩と喜未先輩は数ヶ月前から毎日の様に演武の練習を行っており、すばらしい形で出来上がっていたのですが、私と清治先輩は元々住んでいる場所も(東北と関西)と全然違いますし、練習も2年前の世界大会前の強化練習で少しマスをやった程度と一切何も決めていませんでした。

塾長には「ガチンコで魅せます!」と宣言したものの、改めて「せめてオチだけでも考えろ」と言われ、さらにアドバイスを頂いて3分間の組み手で、がんがん殴り合って途中お互い3つずつポイントを獲る動きを行うという形に決定しました。
最もこの時点ではポイントを獲る動き・技を決めきれず、翌日改めて練習を行う、という話になりました。

その後、日本総領事館へと挨拶に伺いました。
総領事館は厳戒な警備で銃を構えたインド人の兵隊と話して中に入り、さらにボディチェックまで行われての入館です。
スタッフの皆さんと歓談し、空道とは何か、そして明後日演武があるので是非お越しいただきたいという旨を伝えました(事実、演武当日に総領事館の持田さんが足を運んでくださいました) 。

10月21日さらに打ち合わせ

この日も午前中から確認と、我々は演武の打ち合わせを続けました。
塾長より空道の色々な動きと技術を盛り込んだ、かつ映えるものをとアドバイスをいただき、話し合った結果以下の通りとなりました。

数十秒の攻防→私が上段回し蹴り→数十秒の攻防→清治先輩が上段ワンツー

私が組んで膝からの足払い、ニーオンザベリー、腕拉ぎ→数十秒の攻防→政治先輩がビクトル投げからの膝十字

私が組んでの膝、肘、頭突きの連打→数十秒の攻防→清治先輩が後ろ回し蹴り2連発から踵落とし、それを私が抱えたところを飛びつき三角絞め

と、一部試合で使うこともない技も入っていますが・・・フルコンタクト競技を知らない人でも楽しめ、かつ空道の打撃、組み、組み打撃、関節技を盛り込んだ内容となりました。

10月22日そしてセミナー、演武!

遠征の目的であるセミナーと演武はこの日に行われました。
総勢273名のセミナー体験者の前で塾長と共に壇上に立って、号令をかけました。
これだけの人数の前で基本をやるのは初めてのことでしたが、周囲の熱意と集中力のおかげでこちらも自信を持って指導を手伝うことができました。しかし元々伝統派の試合しかしたことのない受講者達はイマイチ基本稽古や受け返しの意味合いが理解できない様だったので、塾長の指示の下、夜の演武で行う技を披露しました。
受講者達に円状に囲まれた中で行った演武は、1つ1つの技毎に大きな歓声をもらい、夜の演武に向けて大きな自信となりました。
セミナーの大成功で自信を持ち、6時半からは演武です。

“Akshay Kumar Karate Tournament2011”の表彰式に始まった演武会は、観客1500人近い中で行われました。5つ行われる演武の一発目が我々です。
まず歩未先輩、喜未先輩の練習に練習を重ねた演武が行われ、その後はいよいよ私と清治先輩のガチスパーっぽい演武です。周囲の熱気に後押しされた我々は普段「以上に」お互い激しく殴り合い、蹴り合いました・・・が、観客の反応はイマイチでした(これは後に他の演武者から指摘を受けたのですが・・・)

その後他の演武や表彰が終わると、会場の子供達に「写真を撮らせてくれ!」ともみくちゃにされながら(もちろん人生初体験!大変貴重な経験をさせていただきました)、塾長について退場し、スーツにドレスアップして宴会会場へと向かいました。

宴会は会場の3分の1が踊るために空いているという日本では見られない形式で、酒を飲んでは皆で踊る・・・の繰り返しで、ダンス経験豊富な喜未先輩、そして自称“見よう見まね”ダンスの清治先輩が大人気でした。
私も下手なりに踊り周り、後々に塾長から「下手なりに頑張った!」と褒めていただきました(勢いだけなのは組み手もダンスも一緒ですね・・・)

この合間に先の演武で一緒だった伝統空手の子に我々の演武の感想を言われました。彼曰く 「私は非常に面白かったが、伝統派の試合しかしたことない人には難しすぎてわかりにくい部分もあったんじゃないか?」 との事でした(これが歓声があまりあがらなかった理由なのかなと感じました)。

宴もたけなわ、私と清治先輩のワイシャツが汗でびっしょびしょになったところで、メハルが塾長に向かって、インドの空道の発展を誓う宣誓が行われました(横では汗びっしょりの私と清治先輩が神妙な面持ちで並んでいました)。

23日お買い物とか

この日は1日空いていましたので、昼近くまでセミナー・演武(と宴会の踊り)の疲れを癒し、買い物へでかけ、夜はメハルの友人のホテルでパーティーを行いました。
ここではダンス・・・ではなく、塾長と我々塾生の本領であるカラオケがありました。
しかし洋楽だけ・・・ここではバンド経験のある清治先輩と、(私の様ななんちゃってアジア英語ではなく・・・)流暢な英語を操る歩未先輩が大活躍でした。私も一応なんちゃってLETITBE(塾長曰く「LETITBEらしきもの」)を歌いましたが、ダンスパーティーほどの活躍をすることはできませんでした。

4日古代寺院とサヨナラパーティー

お昼からNational Park(国立公園?)に連れて行ってくれる、と言う事で午前中空いていたのですが、清治先輩がお疲れだったので、一人で町を散策して買い物をしたり、ジムで汗を流したりして過ごしました。

NationalParkへはメハルの生徒(伝統空手)の女性の車に清治先輩と乗せていただきました。NationalParkと言う響きで私は勝手に動物園か、サファリパークみたいなものだと思っており、後述の遺跡に到着するまでずーっと清治先輩に「動物いないですね」「鶏しか見てないですよ」「あ、猿がいましたよ」「犬もいたから桃太郎もいますかね」とずれた事を言い続けてました(清治先輩スイマセン)

目的地は古代の遺跡でした。
カンヘーリ石窟郡(Kanhericaves)と呼ばれているこの遺跡は、2世紀〜9世紀頃に作られたもので、総計109もの石窟がある仏教の寺院跡地です。元々こういった遺跡が好きな私は健脚な塾長に付き従ってひたすら上上へと上り続け、頂上へと到達し、気持ちよく汗を流しました(午前中のジムで上半身しかやらなくてよかった・・・) 夜はサヨナラパーティーでした。最後の夜も一週間を共にしたサンディープ、メハルをはじめ、多くのこれからのインド空道を担う連中と杯を交わしました。

25日帰国

最終日、お土産でパンパンになったスーツケースを閉め、空港へと向かいます。 ぎりぎりまでお見送りにきてくれたメハル夫妻とサンディープ夫妻にお別れを行ってムンバイを後にしました。
デリーでの搭乗前によくわからないトラブルが発生し(未だによくわかっていませんが・・・)出発五分前に空港を走って飛行機に駆け込み、インドを後にしました。飛行機に乗り込み、気がつけば朝食のサービスで起こされ、すぐに日本に到着しました。

清治先輩と東京駅までのバスに乗り、東京駅でとりあえず・・・とラーメン屋に入ってラーメンを一口食べて・・・ああ、日本に帰ってきたんだなと痛感しました。
第一回アジア大会から3年ぶりの遠征でした。幸い前回の様なトラブル(モンゴル遠征レポート最終日参照)もなく、由美子さんから「壮さんにトラブルがなくて残念」とまで言われてしまいました。少々の予定の変更等は、外国での遠征には付き物(塾長談)らしく、それで一々不安がったりぶれたりしていてはいけない様です。

色々ありましたが、前回の遠征に引き続き、いかに空道が外国で期待され、学びたいと思っている人が多いかを改めて認識させられました。また、我々現役選手が外国のこれから空道を学ぶ人々の手本となる様に日々稽古を積まねばならないとも思いました。こういった自身の見聞を広める機会を与えてくださり、真にありがとうございました。

最後に改めて、貴重な機会を与えて下さった塾長、旅に同行させていただいた歩未先輩、喜未先輩、清治先輩、由美子さん、日々稽古をつけて下さっている師範代・関西の仲間、忙しい時期に一週間以上席を外す事を快く認めてくださった会社の皆様、そして「ちょっとインド行ってくる」と言う私の発言に「いってらっしゃい」と言ってくれた家内へのお礼の言葉で締めようと思います。押忍

山田壮(関西本部)

更新日2011.1.8

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