アジア選手権大会レポート山田壮(関西本部)

9月4日 | 5日 | 6日 | 7日(アジア大会) | 8日 | 9日 | 10日

押忍、関西本部の山田です。今回は僭越ながら第一回空道アジア選手権大会に出場させていただく事となり、モンゴル、ウランバートルへ行ってきました。

9月4日

午後5時に成田空港・南ウィング搭乗口に集合と言う事で、余裕を持って朝早く家を出て、東京を経て成田に到着したのが午後3時過ぎでした。塾長はじめ10人の大所帯の旅でしたが、幸い出国チェックに引っ掛かる事もなく日本を旅立つ事ができました。

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5日

朝7時に北京空港で目を覚まし、そのままモンゴル行きの飛行機へと乗り込みました。北京空港からウランバートルのチンギス・ハーン空港までは2時間程度の短い旅でしたが、降りたとたん環境ががらりと代わり、気温も30度から15度程度まで下がっていました。慌てて上着を着て外に出ると、点在するわずかな建物以外は殆ど何もない雄大な大地が広がっていました。日本ではそうそう見る事が出来ない地平線を見て、「ああ、大陸に来たのだな」と痛感しました。
モンゴル支部局長のガンチュルガ支部局長と挨拶を済まし、TVにて生出演される塾長方と別れて、空港からホテルまでは大道塾モンゴル支部の道場生が運転する車で移動しました。現れた道場生は二人は体格が良く、揃いの「MONGOLIAN KUDO TEAM」と書かれたジャージを着ており、やる気と力強さが感じられました。

正午前くらいにホテルに到着し、夕方のウェルカムパーティーまでフリーだと言われたので、試合の準備の為にミネラルウォーター等を買いに街へ出ました。街は埃が多く猥雑で、日本の上品な交通ルール等一切無視されているような状況でした。右ハンドル・左ハンドルの区別無く車が走り、ウィンカーも信号も関係無く、目の前で人がごつん、と車にぶつかって倒れても起き上がってわめきながら去っていく様な中をおっかなびっくり歩いていきました。
「これはモンゴル人は相当強引な試合運びをしてくるかもしれない」等と高橋腕先輩、堀越君と笑っていました・・・2日後にこれが冗談では済まなかった事を身をもって知るのですが・・・。

ウェルカムパーティーではモンゴルチームと我々日本人、そしてやってきた台湾チームで挨拶と食事をしました。カザフスタンチームは飛行機のトラブルの関係でバスで向かってるとの事。大体48時間(!)かかるとの事で、本当に来れるのかと不安になりました。
改めてモンゴルチームの面々を見ると、皆日本の組み技系選手よりも一回り横幅が大きく、見た目からでは階級がわからない程 でした。
どうしても試合前なのでお互いあまり会話する事が出来ませんでした(言葉が通じないのもありますが・・・)。

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6日

ジムで稽古朝食を食べてから、モンゴル支部で使っているジムにて明日の為に軽く稽古を行いました。 我々と台湾チームが稽古をしている中、モンゴルチームはずっとビデオを撮っていました。そんな中東塾長から直々に指導をしていただき、廣井支部長にミットを持っていただき、さらに高橋腕先輩、堀越君とマススパーリングと、貴重な体験をさせていただきました。稽古の最中高橋先輩がふと「なんかいつもより疲れる」と言い出しました。自分が「旅行疲れではないです か?」と言っても先輩は「いや、おかしい」と言い、腕時計に着いている高度測定を行うと、標高1,480m。富士山の中腹程の標高がありました。

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7日(アジア大会)

試合場へ行くと大きな会場にKudoと書かれた大きな段幕が掲げられていました。初の海外試合・対外国人という事でいつも以上 に緊張感が高まります。
大相撲のモンゴル場所を行った由緒ある会場はこの日は空道一色になっており、異国の中で見慣れた畳と審判席に少しだけほっとしました。開会式、ルール説明と続き、すぐに試合が始まりました。

軽量級からスタートなので高橋先輩、堀越君と試合が続き、二人とも2勝して決勝進出へ。 私の一回戦の相手はカザフスタンの選手でした。事前情報ではカザフスタンの選手は(外国の選手にしては)アグレッシヴではないと聞いていましたが、この選手もそこまで打撃で責め立てて来るわけではなく、元々前に出ることしか出来ない私が逆に打撃で攻めていって、投げられてしまいました。幸い投げられてからの攻防を練習していたので寝技でひっくり返してニー・オン・ザ・ベリーで効果を得る事が出来ましたが、立ち上がった時には寝技の下からの打撃で少し頭がぼっとしていました。寝技の下からの打撃でここまで効くのは日本ではない経験で驚きましたが、幸い相手が引いてくれたので何とか効果優勢勝ちをとれました。

一回戦 カザフスタンの選手との試合

2回戦の相手は地元モンゴルの選手でした。タックルが上手い選手でしたが、カウンターの膝蹴りが入り、優勢に試合を進められました。しかし後で聞くと肋(あばら)が折れていたとの事で、肋が骨折していても戦いを挑んでくるモンゴル人の心の強さを痛感しました。

そして決勝戦、前の試合の用に前へ出ようとしたところに打撃によるカウンターで効果を取られ(「これはスリップダウンだった」塾長談)、そのまま試合をコントロール されて判定負けに喫しました。
高橋先輩、堀越君と二人が優勝した後に日本選手全勝を果たせなかった事を非常に恥ずかしく思い、二人に謝罪をし、閉会式を行い、 その後ホテルに帰って気持ちを切り替えて打ち上げパーティーに向かいました。

選手たちと打ち上げパーティーは綺麗なフランス料理店でした。先ほどまで思い切り殴り合っていた人達と同席して酒を飲むというのも不思議な感じで、何となく照れくさいものがありましたが、いざ宴会が始まると東塾長の「殴りあった人は飲まない。殴り合わせた人(支部長、審判、コーチ)は大いに飲む!!笑」という最初のスピーチもどこへやら、際限なく続く乾杯の音頭のもと飲みまくり、親交を深め合いました。
異国の人間と力一杯殴り合って蹴り合って投げ合って締め合った後にこうして宴会で古い親友同士のように語り合い、東塾長が常々言われる「武道の素晴らしさ」を身をもって体験しました。
ビール・ワイン、そしてチンギス・ハーン・ウォッカ(アルコール度数39%、カザフスタンの選手は「これはただのアルコールだ!」と叫んでいました)とたっぷりと飲み、そのままカラオケに。午前2時頃まで宴会は続きました。
酔ったまま寝ると翌日に残ってしまう体質なので、部屋に戻ってから午前4時前くらいまで堀越君をつきあわせて(迷惑だったと 思います、堀越君、申し訳ありません)二人でしゃべり明かしてから眠りました。

全員集合

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8日

9時前に起きて朝食へ。高橋先輩も堀越君も「朝食よりも睡眠が大切だ!」と言うので降りると、試合の後以上にぐったりしたカザフスタンの選手が朝食を食べていました。「日本の宴会っていつもああなの?」と聞かれたので「いつもはもっとすごいよ」と虚勢を張っておきました。カザフスタンの選手も試合のダメージで頭が痛いらしく、その辺りは日本人と大差がないなと感じました。朝食を半分程食べた後、審査会へ向かいました。

審査会は体育館で行われたのですが、50人近くが来ており、非常に真剣な面持ちで塾長の指導を聞かれていました。
しかし全体的に基本・移動稽古をあまり行っていないようで、塾長が何度も修正せねばならず、試合では技の荒さには付けいる事が出来るのでは、と感じました。結局予定時刻を大幅にオーバーして審査会は終わりました。
夜はガンチュルガ支部局長、モンゴル空道連盟会長、韓国代表のキム・ガンス(KIM KWANE SOO)を交えて中華料理をご馳走になりました。隣の高橋先輩にひたすらにワインを飲まされ、気がついたら午前1時のホテルでした。

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9日

モンゴル空道連盟会長が所有する牧場で羊を一頭ご馳走してくれるとの事で、行く事になりました。
この話を聞いた際に廣井支部長が「行く前に調理しておいてくれないかな」と言われて、動物好きの自分としてもまったく同意見でした。
2時間以上道無き道を行き、何もない草原を100kmオーバーのスピードでひたすら走り、牧場に到着しました。 気温7、8度、冷たい風が体温を容赦なく奪う環境でしたが、ゲル(遊牧民が使用している、伝統的な移動式住居のこと。)の 中はとても暖かく、(幸いにも)調理済みの羊肉と馬乳酒で乾杯しました。
岩塩で味付けした羊肉は非常に美味で、ゲルの真ん中に座った塾長はまるで大家族の父親の様に器用にナイフで羊肉を切り分け(モンゴルの方々も手際を絶賛されていましたて配ってくださりました。後で聞けば、肉を切り分けて配るのは本当に家族の長(おさ)の仕事との事でした。

羊肉を切り分ける東塾長

また、塾長が会長から馬を一頭プレゼントされておりました。名前は「クウドウ」で、来年の馬術大会に出場して活躍するとの事です。
後に通訳から伺ったのですが、モンゴルにおいて馬をプレゼントすると言う事は最大の礼讃との事です。 ウランバートルに帰って自由時間の後、最後の夜に乾杯してホテルへと戻りました。

大平原

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10日

早朝、車でチンギスハーン空港に向かい、通訳をしてくれた皆に別れを告げて出国手続きを行いました。これで無事に帰国出来る・・・と思ってると空港の職員が恐ろしい形相でこちらに向かってきました。どうも「出国は出来ない、問題がある」と私に言っているようで、そのまま空港の地下に連れて行かれました。何か問題があったんだろうか?まずいな・・・と不安に思っていると、地下の出荷場に自分の荷物が置いてあり、職員は私をにらむと「開けろ」と英語で言いました。壊れないように道着でくるんだトロフィーが怪しかったのだろうか?とそれをほどくと首を横に振るので、さらにどんどん開けていくと、岩塩が目にとまり、職員は笑って「OK , No Problem」と言い始めました。国の特産品で止められるなんて・・・と私は怒りを露わにし「何を考えてるんだ!」と言うも、職員は笑って「No English , No English」と英語がわからないそぶりをしました。さっきまで英語で話してたのに・・・。
腑に落ちないまま皆のところに戻ると塾長が心配そうに、飛永支部長と高橋先輩が嬉しそうにこちらを見ておりました。後日飛永支部長より「最高のギャグだったよ」と言われましたが、自分は気が気で無かった事をここに書いておきます。

その後幸い何も問題なく成田まで戻ってくる事が出来ました。ほんの1週間の旅だったのに、自分には1年も日本を離れていたような感覚がありました。今でも本当に1週間の出来事だったのかと勘ぐっています。
今回の旅では普通経験する事が出来ない貴重な体験をする事が出来ました。この経験を活かして今後自分の人生・空道修行が良い方向へと進んで行くと思っています。
最後に貴重なチャンスを与えて下さった塾長、審判をして下さった支部長・先輩方、一緒に旅をし、激しまして下さった高橋腕先輩・堀越君、そして日々稽古をつけて下さっている師範代・関西の仲間へのお礼の言葉で締めようと思います。ありがとうございました、不甲斐ない私ですが今後ともよろしくお願い致します。押忍

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