押忍。
仙台木町道場の浜松です。この度は第一回アジア大会に審判として同行させて頂きました。
以下に今回の遠征をレポートいたします。
<INDEX>
成田空港にて
北京国際空港にて
ウランバートル到着(9月5日)
モンゴルの交通事情
試合前日(9月6日)
第一回アジア大会当日
試合後の打ち上げ
モンゴル支部審査会(9月8日)
観光(9月9日)
帰国(9月10日)
おわりに
冒頭より私事で恐縮ですが、自分、三十路の声を聞く数年前より頭頂部にトラブルを抱え、ここ数年は某製薬会社から販売されているリアップなる育毛剤に身をゆだねる日々を過ごしております。
よって、今回の遠征に於いてもこのリアップは自分の頭髪延命をになう重要な役割を果たすハズでした。が、・・・自分が以前海外遠征に参加させていただいたのは今をさかのぼること7年前。当時は同時多発テロ以前であり、飛行機内に毛生え薬をはじめとした液体の類も制限無く持ち込み可能であったと存じます。しかし、7年前の情報しか無い自分にとって、世界の航空事情の変遷は知るよしもなく、今回、自分のリアップは、航空機内への液体物持込制限に引っ掛かり、あえなく成田で没収となってしまいました。(但し、リアップ以外の液体は三輪さんから頂いたジッパ付ポリ袋のおかげで難を逃れられました。三輪さんありがとうございました。)そもそもは、機内に毛生え薬を持ち込もうという自分の潔く無い態度が悪かったのだと反省いたしております。しかし、今回のスケジュールでは北京空港でウランバートル行便までの連絡時間があり、この時間ですら頭皮への一日二回の栄養補給を欠かせない自分といたしましては見逃す訳にはいかず・・・結果として一週間の長きにわたり頭皮ケアーから遠ざからざるを得ない始末となってしまったのでした。
個人的にショックの大きい出だしでしたが、とりあえずは無事全員出国がかない、塾長の音頭の元、出発ゲート付近にて、遠征一回目のカンパァ〜イをいたしました。
中華人民共和国は空港の作りも、外国からはるばるやってきた旅行者の扱いも大雑把な国だとつくづく感じました。
塾長、事務局長がご堪能な英語できちんと案内係に道を尋ねていただいたにも関わらず、目的ゲートまでの移動におよそ2時間強もの時間を費やしました。塾長、事務局長の質問に対し中国人の空港職員は皆それぞれ自信満々にデタラメを言います。塾長によりますと彼等自身が空港内の事情に疎いためではとのことでした。であれば適当なことを言わないで一言「知らない」と言ってくれれば良いものを、しかし、悪びれず、堂々と胸を張って目的先と異なる場所を教えてきます。
結局は中国国内へ一度入国する羽目になり、おかげで自分のパスポートには9月4日付けで中国への入国、出国のハンコが押され、箔が付きました。ターミナル同士の連絡をするモノレールにも乗れました。目的ゲートに付いてみれば、到着ゲートからさほど遠い箇所ではありませんでした。誠にもってトホホな国です。これほどいい加減な国でオリンピックを開催できたことが未だに信じられません。
明け方空港内の軽食屋で事務局長と廣井支部長に朝食をごちそうになりました。この時、すばらしい朝日を拝めることができたのがせめてもの救いでした。
モンゴル空の玄関口チンギス・ハーン国際空港は北京国際空港とはうって変わって至極質素で慎ましやかな空港でした。しかし、私達に対する扱いは、北京国際空港とは全く異なります。中国ではアゴでデタラメな行き先を示される屈辱を受けた私達も、空道創始者とその御一行ということで、ここではVIP扱いを受けました。
入国手続きを済ませるやいなや、厳かで、いかにも特別な部屋に通され、塾長をはじめ廣井支部長、高橋先輩が早速テレビ局の取材攻勢にあっておりました。その後も塾長を筆頭に編成された広報部隊はテレビ局にて記者会見をなされ、その模様はディナーの際に、レストランのテレビにて拝見することができました。とにかくモンゴルでの空道の取り上げられ方はすばらしく、みんな興味を持って頂いているのが良く分かります。これもモンゴル支部長(ガンちゃん)とモンゴル支部会長(とても32歳とは思えない貫禄がございます)が尽力下さったたまものと、つくづく頭の下がる思いがいたしました。
塾長、事務局長、廣井支部長が記者会見に臨んでいる間、現地通訳のティム君(モンゴル支部道場生)、台湾選手団、日本選手団、飛永支部長と自分はホテル近くの立派なレストランにて初のモンゴル料理を頂きました。この後も口にする機会の多かったモンゴル料理でしたが、そのすべてがビックリする程おいしかったです。遠征後、飛永支部長から伺ったところ、モンゴルでの食事があまりにも美味しく、口に合うものでしたので、飛永支部長は今回の遠征で5sのウェイトアップに成功されたそうです。試合を控えた選手団には大変申し訳なかったのですが、この時、飛永支部長と自分はバドワイザーも頂きました。流ちょうに英語を操る山田君が通訳してくれたおかげで、ほろ酔い気分で楽しい会話と食事の時間を過ごすことができました。
ウランバートル到着から帰国まで、審判団、選手団の移動手段のほとんどがガンちゃん支部長に手配いただいたタクシー、もしくは会長(32歳)お抱えのドライバーの運転によるものでした。そして日本では絶対お目にかかれない、凄まじい交通事情を体感できたのでした。
一般車両がパトカー相手にクラクションを鳴らして煽る姿にはあっけに取られました。さらに、蓋のないマンホールが点在する道路を、どの車両もものすごいスピードで突っ走り、その突っ走る車の間を通り抜けて歩行者が片側4車線の道路を悠々と横断するのです。その中には子供連れの人も目にします。選手団は歩行者が車にはねられるのを目撃したというし、自分もホテル前で車同士の接触事故を目撃いたしました。ところがどちらの事故でも警察を呼ぶではなし、保険会社に連絡するでもなし・・・おおらかと言うのか、いい加減というのか・・・この国では一体何が交通違反に当たるのか想像もつきません。はたして警官は交通違反で違反者を取り締まることがあるのでしょうか。今回の遠征でお世話になった通訳の一人、バキ君の話では、やはりウランバートル市内では交通事故による死傷者が絶えないとのことでした。
「自分の身は自分で守る」セルフディフェンスの精神が根付いているワケがこんな所にもあるのだなあと変に感心いたしました。そしてモンゴルをはじめとした開発途上にある国々でセルフディフェンスの具現者である空道が歓迎される理由を再認識できました。
お昼よりモンゴル支部の道場をお借りして選手および演武者の稽古を行いました。
モンゴル支部の道場はウランバートル市内の大通りに構えるビルの中にあり、このビルには道場のほか、洋服屋や雑貨屋などが入っておりました。
道場はトレーニングジムを併設、もしくはトレーニングジムを間借りしているご様子で、道場内にはウェイトトレーニングの設備が充実しておりました。恐らく道場はウランバートルでも一等地に位置するものと思います。そこに通う道場生たちもきっと比較的暮らし向きの安定している者が多いのではと思われました。
事実、通訳のティム君を始め大学生もたくさんいるとのことでした。モンゴルで大学生と言えば、相当優秀な人材か、かなり社会的に恵まれた家庭に生まれた者と想像されます。この学力に秀でた優秀な若者達ですら翌日開催されたアジア大会ではファイティングスピリッツむき出しの根性ある試合を見せ付けてくれたわけですから、これが貧しさにこらえながら腕力一本で世に出ようとギラついているヤツらであれば・・・モンゴルの底力に恐怖を感じます。そう遠くない将来、モンゴル出身力士が大相撲で活躍しているように、きっとモンゴル選手が空道世界大会入賞者に名をつらねる日がくるものと確信いたします。
合同トレーニング |
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台湾選手に指導 |
稽古後は塾長の計らいで、塾長がご宿泊されているホテルにてサウナ付きのお風呂に入らせて頂きました。さらにその後、ホテル内の日本食レストランで日本食をご馳走頂きました。まさかモンゴルで日本食が食べられるとは思いもしませんでした。味も日本で食べるものとまったく変わらず、非常に美味しかったです。とにかく今回の遠征中、行くところ行くところ食事が不味かったためしがありませんでした。そしてその総ての食事がボリューム満点。前日のディナーの時点より減量苦から解放された選手団はボリューム満点の料理にも関わらず、皆二品以上注文してバカバカと食っておりました。やっぱり強いヤツはたくさん食べる!!ちなみに塾長も二品召し上がっておりました事付け加えさせて頂きます。
夕方からは試合会場へ移動し会場設営とルールミーティング並びに審判講習を行いました。
試合会場は大相撲モンゴル場所が開催されたとあって、立派な会場でした。会場の大きさは代々木第二体育館を少しばかり小さくした感じでしたが、試合場のぐるりに張り巡らされた世界規模の大手企業広告がこの会場がモンゴルでも指折りの会場であることを物語っておりました。企業広告の中には大手企業のモノと並んで、やたらと朝青龍が出資している企業の広告が目に付きました。朝青龍の出資企業は企業名のどこかかしらに「ASA」の字が入っているので、一目で分かりました。
会場設営に移ると、いろいろと至らぬ所が目に付き・・・結局は塾長が現場監督となり試合場設営のご指示を下されておりました。国内規模の大会であればモンゴル支部内だけで行った事はあったとのことでしたが、やはりいざ公式の国際大会開催となると、設立して数年の支部には荷が重すぎた感がありました。そう考えると大道塾が三十年近くの長きにわたり滞りなく毎年北斗旗を開催し続けてきたということが、ものすごいことなのだと改めて感じさせられます。
あらかた会場が会場らしくなってきたところで、塾長、廣井支部長を講師としてルールミーティング、審判講習が行われました。
起床後飛永支部長とホテル二階のレストランへ朝食を食べに行くと、当日朝5:00にホテルに到着したカザフスタン選手団から「オス」と挨拶を受けました。心なしかどの選手もみなやつれ気味です。それもそのはず、我々日本チーム同様、二日前に飛行機で到着するはずが、飛行機に乗り遅れ、1200qの道のりを48時間かけてバスでやってきたというのですから、当然です。そんな思いまでして試合に臨もうとするカザフスタン選手の心意気がとても気に入りました。
大会が始まると進行の遅さと、段取りの悪さが気に掛かりましたが、どうもやきもきしているのは選手と我々日本から来た関係者だけで、観客もスタッフもそれほど気にしていない様子でした。おそらくあの程度の進行の悪さにはモンゴルでは見る側も大会を催す側も慣れているのでしょう。
さらに試合が開始されると慌ただしさに拍車がかかり、そんな中で試合を行わなければいけない選手達はさぞ大変だったと思われます。しかし、そんな過酷な試合条件の中で優勝、準優勝と全員結果を残せた日本の三選手は大いに自信をもって良いと思います。
海外勢の印象といたしましては、モンゴル勢の腰の重さ、とカザフスタン勢の前に出る勢い・パワーが目に付きました。日本勢については他国の選手に比べ、立ち技のディフェンス、グランドでの緻密さと試合全体を通したスタミナ(もしくはスタミナ配分)において秀でていたと感じました。
世界大会においてもここら辺が外国勢封じの要になるのではないかと思います。今大会でも日本選手が外国勢にパワーで押され、劣勢に立たされる場面も幾度かありましたが、3選手ともほとんど効いた突きや蹴りはもらっていなかったと思われます(少なくともそう見えました)。
また、モンゴル選手に多く見られた「極め」の動作への貪欲さは見習わねばならないと思いました。ともすれば綺麗な投げの後を除くと、たとえ床に背を付けた状態であっても顔面の防御がおろそかになりがちです。モンゴルの選手は不格好な投げの後でも、相手に対し自分が優位な体勢(立った状態)にあると、すかさずそのがら空きの顔面へ極めの動作を狙ってまいります。あまりにも顔面が無防備であるため、今大会では自分も副審として「効果」の判定を下したことが度々ありました。実際のダメージがはかれないため、「極め」によるポイントは審判によって取ったり取らなかったりする場合がありますが、やはり気合いを込めた「極め」には良い印象を持ちます。世界大会ともなると実力差が伯仲し、細かいポイントの取り合いになる場面も多くなると思います。「極め」の重要性も再認識する必要があると存じます。
もたつきと、スケジュールの不透明さで大会の進行に遅れがありましたが、どうにかこうにか各階級決勝戦を終わらせ、大会も無事終了できました。大会が終わってみると日本選手は3階級出場で2階級制覇、1階級準優勝と第一回目のアジア大会としては日本代表として結果を残せたと思います。もちろん3選手にはこの結果に甘んじる事無く、世界大会へ向け精進を重ねて頂きたく思います。
また、一度の交代もなく全試合の主審、副主審をおつとめいただいた廣井支部長、飛永支部長におかれましては大変お疲れ様でした。公平な判定と審判としての毅然とした態度はきっとモンゴル支部審判団の良いお手本となったことと思います。
重量級はモンゴル支部の塾生が優勝いたしました。優勝が決まった際、モンゴル支部長のガンちゃんの目に涙が浮かんでいたのが忘れられません。設立数年で国際大会を開催でき、さらに優勝者も出せたこと、本当にうれしかったことと思います。
まさに大道無門を体感できるひとときでした。ろくに言葉も通じない、さっきまでお互いに殴り合っていた若者同士がグラスも砕けんばかりに(実際に何個か砕けた)「カンパァ〜イ、カンパァ〜イ」の連続。
さらに、各国代表歌の熱唱に次ぐ熱唱!加えて、ガンちゃん支部長33歳の誕生日を祝してハッピバースデートゥーユー。国籍、人種、宗教、年齢、あらゆるものを越えて、皆、空道で繋がっていたことを実感いたしました。
空道万歳、大道塾万歳でした。
二次会にカラオケを挟み、最後は選手団ホテル前の路上で塾長音頭による『ふるさと』を熱唱して2時頃解散したのでした。
お昼よりモンゴル支部の審査会が開かれました。当日は月曜日でしたが、参加はおおよそ60名。塾長直々に稽古をつけていただけると言うことで、平日にもかかわらずこれほど多くの塾生が参加されたのだと思います。
皆気合い十分に審査会に臨んでおりました。途中、全体的に基本稽古がなっていなかったため、塾長自らによる基本稽古、移動稽古の入念な指導がございました。初心者にはわかりやすい、そして、熟練者にとってはタメになるご指導でした。
普段何気なく行っている基本稽古が、いかに重要であるか、いかに有用であるかを再確認できました。若いウチは勢いでごまかせていた「強さ」も年齢を重ねるうちにそのメッキがはがれる。しかし、基本稽古をおろそかにせず、正しい形で回数をこなすことによって身に付けた「技」は年をとっても「強さ」を支える裏付けとなる。改めて基本稽古に費やす時間を見直すべきだと反省いたしました。
審査会の締めくくりは昇段希望者の連続組手でした。前日試合に臨んだ選手達が連続組手受験者の中心でした。
受験者は皆、他の道場生に比べると、技術も精神力も頭一つ抜け出ておりました。菅原支部長と自分が審判を担当した二名の受験生は、一つの引き分けを除いて、すべの組手で勝ちをおさめました。各昇段試験受験者には、体力や技術にも目を見張るものがありましたが、それよりも必死で勝ちをもぎ取ろうとする気迫に素晴らしさを感じました。
明日の帰国を目前にこの日は観光、ショッピングを行いました。
前日の晩は中華料理をご馳走いただきました。その中の水餃子が特に美味しく、たくさん頂いたところ、食べ過ぎのためか、お腹の調子を悪くしてしまいました。それからは、事務局長から頂いたビオフェルミンと飛永支部長から頂いた吐き気止めのお薬が手放せなくなってしまいました。お薬が無ければ一体どうなっていたことかとゾッといたします。本当にありがとうございました。
ビオフェルミンと吐き気止めを交互に飲みながら観光を楽しみました。会長(32歳)の牧場にて振る舞われた馬乳酒を頂いたところまではよかったのですが、その後、羊の姿煮を頂くに至り、塩味だけにもかかわらず、これも大変な美味とばかりに頬張りすぎたのがいけませんでした。再び腹痛に見舞われ・・・さすがに大草原で小間物を広げる失態は免れましたが、ホテルに戻るなりトイレに駆け込みました。
会長(32歳)の牧場では塾長が会長(32歳)から馬を頂き、馬主になるといったサプライズもございました。そして馬の名は「クウドウ」。なにやらモンゴル競馬のチャンピオンの子だとか。いずれこのクウドウがモンゴル競馬のチャンピオンになる日がくることを願ってやみません。
また、乗馬も経験させて頂きました。自分は馬に乗るのは初めてでしたので、いたく緊張いたしました。塾長は昔ご実家で馬を飼っていらっしゃったとのこと。乗り慣れたご様子で色眼鏡をかけながら颯爽と馬にまたがるその姿は、さながら現代の馬賊(失礼!)といった雰囲気でした。
その日の夜はモンゴル風バーベキューのレストランにて、アジア大会当日よりご同道いただいたマーシャルワールド様にご馳走になりました。さすがに自分は前日の中華料理、お昼の羊肉でさんざんな目にあいましたので、野菜ばかりを頂いておりました。しかし、そんな自分を尻目に隣では飛永支部長がお肉をモリモリ召し上がり、遠征中も欠かさず行ってらっしゃった加圧トレーニングでいじめ抜いた筋肉に栄養を補給されておりました。
食事の最後にはガンちゃん支部長、会長(32歳)から塾長へ今回の遠征を記念した贈り物がおくられました。
ガンちゃん支部長、会長(32歳)をはじめモンゴル支部道場生に見送られチンギス・ハーン国際空港をあとにいたしました。今回の遠征では最初から最後までガンちゃん支部長、会長(32歳)のもてなしは完璧であったと思います。初めての国際大会開催、諸外国選手・スタッフの接待といろいろ気苦労が多かったことと思いますが、本当によくやって頂いたと感謝いたします。
帰りも北京国際空港に寄港いたしました。さすがに帰りは行きと異なり何事もなく帰国できるであろうと思っていたのですが・・・成田への帰国便出発ゲートが変更になるという珍事がございました。廣井支部長が出発便変更のアナウンスに気付かれたので事なきを得ましたが、お気付きにならなければ出発に遅れていたかも知れません。なにせ、あれだけ広い空港なのに出発便の案内をする電光掲示板がほとんど見あたらないためです。今回の遠征を通してトラブルらしいトラブルと言えば、行き帰りで経験したこの北京空港でのモノぐらいです。おそるべし中華人民共和国です。
何はともあれ、無事全員帰国と相成ったのでした。
自分がモンゴルに興味を頂いたのは10年ほど前、ウランバートル市内のマンホールの中で暮らす子供達を取材したテレビ番組を見たのがきっかけでした。国の宝であるはずの子供らをマンホールの中で暮らさせざるを得ないとは、一体この国はどうなっておるのだ、と憤りを覚えると同時に、若さからくるうぬぼれか、自分の力でこの国を立ち直らせてみたいものだと思ったのでした。ちょうどそのころ塾長にもお酒の席にて冗談まじりとは思いますが、「お前は蒙古顔だからモンゴルで大道塾を広めぇい!」とのお言葉を頂いておりました。それ以来モンゴルへの想いが離れることがございませんでした。
結局その後、塾長のお言葉を実現することはかなわず、現在まで至っております。塾長には、そんな自分のモンゴルへの想いを汲み取っていただき、今回の遠征への同行をご許可頂けたのだと思います。
実際にモンゴルの地に足を踏み入れ、着実に彼の地でも空道と大道塾精神が根付いている事を確認でき大変うれしく思います。そして空道の修行を通じ、これからのモンゴルに寄与貢献できる人材があまた育成されることを願ってやみません。
最後となりましたが、自分などにこのような貴重な機会をたまわりました塾長、事務局長、本当にありがとうございました。
また、菅原支部長におかれましては遠いところ北海道から韓国経由でガンス君を連れはるばるモンゴルまでお越し頂き、大変お疲れ様でした。廣井支部長には大道塾随一のジャッジを一番近くにて感じる事ができ、とても勉強になりました。ありがとうございました。飛永支部長、一週間の長きにわたり寝食を共にできたこと忘れられません。遠征後半では先輩の強靱な胃袋の前に遅れをとったこと、お恥ずかしい限りです。次の機会(?)までに、鍛え直して参ります。高橋先輩、世界大会でのご活躍、祈念いたしております。先輩の食欲があれば3階級制覇も夢ではありません。岡さん、やっと試合ができそうですね。ブルガリア大会頑張ってください。山田君、持ち前の気迫と英語力で世界に羽ばたく男になってくれ。もちろんそのためには世界大会での活躍が前提条件。堀越君、みちのく出身の世界チャンピオン誕生、同じ東北出身者として期待している。時間があったら帰省時にでも木町道場に顔出して若いヤツらを揉んでやってくれ。三輪さん、遠征後も編集やら何やらで、大変なことと思います。成田でのジッパ袋はじめ色々とありがとうございました。
長々と失礼いたしました。これにて遠征レポート終了いたします。押忍。
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