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第1回空道パンナムカップ参加者レポート

全日本空道連盟 副理事長 高橋 英明

写真をクリックすると拡大写真を表示します。

第1回パンナムカップの審判を務めるため、チリ/サンティアゴに行ってきましたので、報告します。

[往き]

日本とサンティアゴとの間の時差は12時間。時差的にはちょうど日本の裏側になります。時計を調整しなくてもよいので、便利です。また緯度は南緯33.5度なのに対して東京が北緯33.4度なので、赤道を挟んでのちょうど反対側になります。標高は約600m。チリ全体は南北に約5,000kmにもわたる細長い国であり、西側は太平洋に面していますが、サンティアゴは真ん中よりもやや北側にあります。チリの南端はパタゴニアとなり、ここから南極大陸のしっぽの先端までは1,000kmもありません。

日本からは、アメリカのニューヨーク、ダラス、ヒューストンを経由する飛行機が飛んでいます。我々は、ダラスを経由するアメリカン航空機で行きました。

成田を10月29日の18:20発、ダラスへは同日の16:00着ということで、飛行時間は11時間40分。ダラスからは21:50発、サンティアゴ着が翌日の9:20ということで、飛行時間は9時間30分。合計すると20時間10分です。これまでに経験した、最長フライト時間です。座席は、帰りのフライトを含めて、バルクシートと言う、前に座席がないところを予約していただいたので、足を上げて伸ばすことができ、よく眠ることができました。
ダラスまでのフライトは、強い偏西風に乗って、なんと、対地速度が時速1,160kmと、音速に近いスピードが出ていました。これも、これまでに経験した最高速度でした。これがまず1回目の興奮。

ダラスからは、カリブ海の上を縦断した後、アンデス山脈の西側を南下して行くわけですが、テレビ画面でフライトマップを見ていると、太平洋の海岸からすぐに3,000級の山が立ち上がり、海岸線には緑の平野部分がまったくありません。これが、コロンビア、エクアドル、ペルー、そしてチリにわたって延々と続き、サンティアゴに近づいたところで、ようやく緑の平野部分がちょっとだけ見えてきます。山頂付近はまだ雪を頂いています。アンデス山脈すごいな、すごいところまで来たなと、2回目の興奮をしていたところで、突然、「あ、帯を持ってくるのを忘れた」と気がつきました。どう振り返っても、旅行カバンの中に帯を入れた記憶がありません。帯を忘れるということは本来は大変なことなのですが、大事なものを忘れたということよりも、なぜこの瞬間に、「何かやった」ということを思い出すのではなく、「しなかった」ということを急に思い出すのか、この瞬間に脳の回路がどう繋がったんだろうかという方に思いが行き、人間の脳の不思議さの方に興奮していました。

帯はチリのラファエル支部長に古い帯を借りればいいかと思い、サンティアゴ空港から外に出てラファエル支部長と握手をしたときに、早速、お願いしました。

市内のホテルに向かい、ホテルの日本レストランで昼食をとったあと、夕食時間まで休息。ホテルのジムでの1時間半の運動と、1時間半の仮眠。贅沢な時間です。

夕食は翌日のウェルカムパーティーと同じレストランでだったので、あとで纏めてレポートします。

[セミナーと審査]

翌日の10月31日は、朝の8:30にホテルを出て、セミナーの会場に向かいました。翌日の大会と同じ会場です。

セミナーには約70名が参加しました。最初に塾長の号令のもとで基本稽古をしたあと、緑帯以上は塾長と多田指導員が指導する投げのクラスと、朝岡支部長が指導するグランドのクラスに分かれ、私と選手として参加した伊藤新太(日進支部)とで5級以下約40人を相手に、再度の基本稽古と、移動稽古を指導しました。

最初の挨拶では、スペイン語で次のような話をしました。

基本的な動作を習熟することは、自身の能力を100%活かすために重要なこと。

間違った動作をしていては、可能性を活かしきることはできない。

したがって、基本稽古はきわめて重要である。

また、動作を統一することが重要である。

基本稽古では、個々人の個性を発揮してはいけない。

空道の基本稽古は、世界中で同じでなければならない。

これは、基本稽古に十分に時間をとって指導することができたスペイン、メキシコ、インドでも言ってきたことです。当然、新宿支部では言い続けてきたことです。

今回は、基本稽古と移動稽古、それに投げの指導は、スペイン語でできるように準備していきました。メキシコに行ったときは、新宿支部の横井指導員に翻訳してもらったものを読みながら指導したのですが、今回はそれを記憶しました。A4の紙にすると、基本稽古で5ページ、移動稽古で2ページの分量になりますが、これを手に持って、散歩するときや電車に乗った際に暗唱するなど、事前にかなりの時間をかけて覚えて行きました。

手技の基本稽古を、上段ジャブから始まって分割して説明し、伊藤に号令をかけてもらうという形で進めました。手技の基本稽古が終わったら手技の移動稽古、その次は足技の基本稽古から移動稽古という順番で進めましたが、最後は時間不足で、足技の移動稽古の一部を省略せざるをえませんでした。

前述したスペインでは、3日間で合計10時間、メキシコでは10日間で28時間、インドでは2日間で12時間の指導ができたので、それぞれ、基本稽古と移動稽古だけでも3時間近い時間を当てています。今回はその半分の時間もとれませんでしたが、指導していく中で、確実に上達していく姿を見ることができました。また、基本稽古の重要性も、認識してもらえたと思います。

セミナーが終わったあとは審査組が残って、審査会を実施。昇段審査は、翌日の大会に昇段をかける者を除いた8名が受験しました。ポイントが不足した者には追加の組手を行い、各国支部長は全員が合格しました。

全体で5~6時間かかりました。

[ウェルカムパーティー]

夜は20:00頃にホテルを出て、ウェルカムパーティーの会場へ移動。

写真の6名は、各国の支部長。その左後ろに小さく写っているのが、チリのラファエル支部長と、その秘書のタニァです。

大会前日の試合場

このパーティーの前日も同じレストランで夕食をとりましたが、下は、両日に飲んだワインとカクテルの写真です。黄色いカクテルは、ティスコサワーという、チリ名物の強いカクテルです。

写真のワインは、アルコール度数が15.3%という、これまで見た中で最高の度数のもの。その次の写真のワインもアルコール度数が15%でした。このワインは、帰国日に「世界のワイン(al Vino del Mundo)」という大きなワインショップで値段を見たら、日本円で2万円もしていました。両日ともに、ワインの味がわかる人(?)だけで乾杯。

下の写真は、メインの牛肉の煮込み料理です。

翌日に第1回パンナムカップを控えているため、早めに解散。

[第1回パンナムカップ]

大会開催日である11月1日の朝も、8:30にホテルを出て、会場に向かいました。下の写真が大会会場となった体育館です。入口が、車の先にあります。

下の写真は、開会式で並んだ45名(うち女子が3名)の参加選手です。

会場に到着した時点で、試合の組み合わせ表はなく、あったのは出場選手のリストのみでした。急いで塾長が組み合わせ表をつくり、更に、試合進行中は、塾長と事務局長とで計時係と記録係を担当されました。これはまったくもって想定外のことでした。

審判は、日本からの2名と南米から4名だけだったので、監査役はなしとし、6名で交代しながら全試合を担当しました。これは想定内です。むしろ、想定していたよりも1名多く、このおかげで交代要員をつくることができました。

今回改めて思ったのは、主審が、試合の観戦を楽しめるベストポジションだということでした。楽しく、主審を務めました。また副審を務めて改めて思ったのは、「見えない」ケースが多々あるということでした。特に掴んでの膝蹴りに対しては、ブロックしているのかそれとも無防備なマスクに当たっているのか、選手の方向によっては2名の副審から見えないケースがあります。無防備のマスクに、特に膝や肘といった重い部分が当たったときは、「効果」をとる必要があります。マスクで受けるということを許してはいけないので、旗をあげてあげたいのですが、見えないとどうしようもありません。

試合開始まではバタバタとしましたが、試合の内容は、なかなか面白いものでした。

一言で言うと、「試合」や「ゲーム」ではなく、「闘い」でした。-230や-240は、スピーディーな試合もありましたが、-250以上になると、パワー空道です。空道でしか許されない、パワー溢れる、掴んでの打撃と蹴りです。最小限のルールの下でのストリートファイトです。女子の試合も同様です。しかし、熱くなってやっているのかと思うと意外と冷静で、試合終了の笛(塾長が吹いています)がなると、主審が「やめ」をコールする前でも自分たちでストップしたりします。また掴んでの打撃も、お互い抱き合って動きが止まった状態が続くということはなく、また10秒経過して主審にストップされる前に離れて、すぐ次の打撃に入るというケースも多く見られました。

大道塾発足時の命題として、路上で大きな力士とどう闘うのかということがありましたが、この事を思い出しました。突進してくる力士やパワーあるラガーマンに対して、どうするのかということです。参加選手の多くに白帯もいるのですが、パワーを活かし、技術をパワーが凌駕しています。このまま技術が伴っていけば(適切な指導ができれば)、ロシアを倒すのは、日本選手ではなく海外の選手のほうが早いのではないかと思いました。

伊藤選手も、パワーにやられました。非力さを感じたのではないかと思います。ぶつかり合って負けない体の力と、1発で倒せるだけの打撃と蹴りへの自信が必要と思います。

詳しいレポートは、取材にあたっていた多田指導員と、最後のほうは取材のために審判から外れた朝岡支部長に委ねます。

[さよならパーティー]

これも、多田指導員と朝岡支部長がたくさん写真を撮ったと思うので、レポートは任せますが、この写真は、試合で左脛を骨折したあと、病院で手術を受けて、パーティーに戻ってきた、アルゼンチンのゴメス選手。その次の写真でマイクを持っているのは、チリのラファエル支部長です。頭に包帯を巻いているようにも見えますが、帽子です。ただし、このあと彼は、本当に包帯を巻くことになります。

さよならパーティーは、アメリカ、特に南アメリカに、空道ファミリーの存在を感じた時間でした。

[帰国]

大会翌日は、ワゴン車1台と大型バス1台で、ワイナリーと海岸の街を訪問。ワイナリーでは3種類のワインを試飲できたのですが、1~2杯しか飲まない人が多かったのか、最後に空けた一番おいしいワインが多量に残っていたので、最後の1杯まで残さず、合計で16杯も飲みました。少なくともボトルで半分は飲んだと思います。この最後に飲んだワイン(ブドウはシラー)を、お土産に1本いただきました。

その翌日が帰国日ですが、飛行機の時間が遅かったので、塾長と事務局長との3名でラファエル支部長にショッピングセンターに連れて行ってもらい、私は、当初の希望通り、チーズとワインを購入しました。5泊くらいだと、通常は機内持ち込み可能なカバンひとつで行くのですが、今回はワインとチーズを買って帰りたかったので、大きな旅行カバンを持っていきました。

チーズは、思っていたよりもはるかに多くの種類のものが置いてあり、40種類以上はあったのではないかと思います。パタゴニア産の羊のチーズなど4種類を選んで、合計で3.5kg購入しました。ワインは、いただいたものが1本あるので2本購入しましたが、意外と高いワインが多く、前述のように、ウェルカムパーティーで飲んだワインは、日本円で2万円もしていました。私は、赤ワインのラベルをよく見て歩いて、アルコール度数15%以上でかつ2千円以下のものを探してまわり、やっと1種類だけ見つかったので、これを2本購入しました。

遠征に行くと、いつも体重が2kgくらい増えてしまいます。普段は1日に2食しかとらないのに、遠征だと3食とり、また運動量も少ないので、どうしても増えてしまいます。帰ったあとで元に戻すのにしばらくかかるので、今回は、最後に昼食をとったあと家に帰るまでは何も食べないと決め(多田からは高橋師範はラマダンに入ったと言われましたが)、帰りの2回のフライトでは合計5回の食事が出ましたし、他の一行はサンティアゴ空港でも途中のダラス空港でも飲食していたのですが、私は水とトマトジュースだけにして、家に帰るまでの40時間ほどの間、食事を控えました。おかげで、もう元の体重に戻っています。これからも、遠征のときはこのパターンがよいなと思いました。

今回は、サンティアゴのホテルには4泊でしたが、機中泊が3泊あったこともあり、長く感じました。この間にシナイ半島で民間航空機が墜落し、200名以上が亡くなったことは知っていましたが、縁起が悪いので、話題にはしませんでした。いつものことですが、成田空港に無事に着陸すると、ホッとします。

40代の頃までは、「あと5年くらいは体を動かせるだろう」ということで先を見ていましたが、今は、「あと1年だったら大丈夫かな?」という感じです。今年の遠征はこれで最後ですが、来年も、できる限り同行させていただければと思っています。それから先のことは、わかりません。

とにかく、皆様、お疲れ様でした。

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