第1回空道パンナムカップ参加者レポート
川保 天骨
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川保天骨の南米デビュー紀行
団体行動苦手な奴が日本の裏側まで行く!
「美味しいワイン飲みに行きましょうよ~天骨ちゃん」奥様からの誘いに乗って、今回もノコノコと地球の裏側まで行ってきましたよ~。この前のモンゴルと違って今回は先生を含めて全部で6人という人数での遠征です。モンゴルでは17人もの人間が大移動だったので、色々大変だったが、今回は少人数で楽だ。通常は一人か二人の旅しかしたことのない俺は団体行動が苦手なのだ。いつもは自由気ままに自分勝手に動きまわるわけだが、団体行動だとそれが人に迷惑かけることなっちゃうからね。一応それぐらいの常識は持っているのだ俺だって。
さて、旅の概要や行程などのデータ的な事は誰かが書くだろうから俺は今回の旅を俺の主観によって書いて行こうと思う。
生まれて初めてアメリカに入国した川保
アメリカ初めてなんですよ! 驚きだがそうなのだ。これまで、40から50カ国は取材で行ってるが、ヨーロッパ、アジア、オセアニアに限られるんです。なんで今までアメリカに足を踏み入れなかったか! なんで川保天骨ともあろうものがアメリカに足を踏み入れなかったか!
確かにこれまで何度か行く予定があったが、ことごとく何かの都合でキャンセルになっていた。よほど縁がないんだなと思ってたし、あまり行きたくなかった。
あのね、思うんだが、何かを求めてそれを世の中にぶつけてる人間、何かに挑戦している人間、世界と対峙して自分を突き詰めてる人間は、どこかでアメリカを意識してるんだ。立ちはだかる巨大な存在に気づくんだ。ペリーが浦賀に来航してから現在に至るまで、ず~と日本に何かしらの圧力をかけ続ける国、アメリカ。「そんな国に何の覚悟もなしに行けるか!」という意気込みで生きてきたんだがよ。それが今回「トランジットで5時間あるからケネディー暗殺現場に行くかぁ~」という先生に引き連れられて自動的にアメリカの地を踏む事になった間抜けな俺であった。おまけに入国の時に発行される入国チケットみたいなものに「×」印がつけられてて、出口に立ってるオッサンに「お前はあっちだ」みたいな風に選別されて別の列に並ばされた時の屈辱と不安。もっともその後に朝岡さんと伊藤新太も同じ列に並ばされたので少し安心した。俺って肝(キモ)小っちゃ! なんか、初めてアメリカ入国する人間は並ばされるみたいだ。
その後、無事アメリカに入国してケネディ暗殺地点で記念撮影。ケネディが頭撃たれた場所に「×」印がついてるんですね。「お前、あそこに行って倒れろ」と先生に言われたが、さすがに車も走ってるし、あと、恥ずかしいし「無理です」とお答えいたしました。先生はその後、その「×」スポットに立って記念撮影しました。まあ、アメリカはそんなもんですよ。太った人が多いなという印象ですかね。
寿司!?
チリ着きました! さすがに俺も疲れたよ。こんなに長く飛行機に乗ったの初めてだし。25時間ぐらいかかったんだと思うよ。空港にチリ支部の人たちが迎えに来てくれていて熱烈歓迎みたいな様子。後々この人達に俺は友情を感じ始めるわけだが、とにかくホテルに直行! ホテル着いたら少し休んで昼飯食べるぞと。シャワー浴びた後ホテルのレストラン行ったらなんと日本食レストランだったんですね。メニューが居酒屋系、そして寿司! 「え!何で?」って思いますわな。なんで、チリまで来て最初の食事が日本食なんだって。この時嫌な予感したんですよ。ちょっと前のモンゴル遠征で、俺の予想では毎回羊の肉とかがワンサカ出てきて「ウプゥ~、東先生、もうこれ以上肉食えません、ゲプッ」となると思ってて、モンゴル行く前1週間は肉食わなかったんだよ。そしたらモンゴルで肉ほとんど出てこないでやんの。なんか中華料理が毎回出てくる。おまけに3回とも同じメニュー。稲垣先輩は3回目に「あ、また中華だ。ガッカリ中華だ~」と悲痛な表情をしながらこぼしていたっけ。こういう遠征の時は相手側が用意したレストランに行くか用意された食事を食べざるを得ず、自分の好きなものを食べる事はなかなか難しいんですね。
結局今回は半分予想が当たり、何かといえば寿司が出てくる展開でした。昼飯も含めると4回は寿司が出てきたね。もちろんチリ料理も食べれることできましたけどね。「お前、贅沢なんだよ!」と言われるかも知れんが、ここ、日本の裏側ですよ! 25時間以上かけて頑張って異文化に触れようとやって来たんですよ。皆さんにもこの気持ち解っていただけると思いますよ。チリ料理が毎回出てきて肉ガンガン食べて、「オエ~、そろそろ日本食とか食べたいね~」なんて最終日あたりに思うタイミングだったらいいですよね。タイミングですよ何事も。と、まあ罰当たりなこと書いてしまいました。寿司おいしかったです! 押忍!
朝岡さんって面白い!
朝岡さんと遠征で一緒になるのは去年のロシア以来2回目になるんですが、今回はすっとぼけた感じで面白かった。今回はというよりも、そもそもすっとボケた人なのかもしれないね。面白かったエピソードはかなりあるが、いくつか書きますね。
まず、アメリカでトランジットの時、空港のレストランで暇つぶしに皆でビール飲もうという事になった。とりあえず、人数分ビールを頼んで数分後運ばれてきたんだが、朝岡さんの前にだけにビールが置かれない。「アレ? 彼にもビールを」とウェイターの黒人に奥さんが言ったら「パスポート見せろ」と朝岡さんが言われたんだよ。その時の朝岡さんの顔が最高に面白かった! 「アイム フォーティーファイブ!」と言っても黒人のウェイターは首を縦に振らない。仕方なく鞄からパスポートを出す朝岡さん。まあ、童顔で小柄だし、席の並び順が東先生、奥様、朝岡さんという横並びで「夫婦+子供」と思われたのかも知れんな。こういう場合、かける言葉はないですよね。「ウハハハハッ」と俺は笑うしかなかった。釈然としない朝岡さんは遠くを見ていたなぁ。
チリに着いての1日目、「帰りたい」と朝岡さんが言い始めた。「もう帰りたい。子供の顔見たい。家に帰りたい」切実な顔でそう言う。ホームシックにかかってるみたいなんですね。何となく元気ない。「そうですか~、それはそれは」と俺は慰めようとしたが………、結局他人事ですが…。朝岡さん、ホテルのベットで一人、膝を抱えて窓から空とか見てるのかな~とか想像したら吹き出しそうになりましたけどね。
2日目の夜の歓迎パーティーでレストランに招待された我々。朝岡さんあんまり元気ない。時差ボケがまだ残ってるのか、寝むたそう。ちなみに俺は時差ボケほとんどないです。日本でも寝たい時に寝て、起きたい時に起きるような生活で昼夜逆転しようが構わない感じなんですよ。
それで朝岡さん、この時、どこかで携帯電話なくしたんです。次の日の朝、不安そうな感じで集合場所に現れた。「レストランはチリ支部の知り合いがやってるところだから出てくるよ~」と俺は何の確証もないのに適当なこと言って慰めたが………。確かに外国で携帯電話なくすってかなりきついですよね、精神的に。朝岡さん「ホームシック+携帯電話紛失」というダブルパンチですよ。ここにさらに追い打ちをかけるような問題が起こるわけです。彼は審判でもあるのだが、審判用に持ってきたズボンがなぜか小さいのだ。
「あれ~何でこれ、こんなに小さいんだ?」見ると裾がかなり寸足らずで立った状態でもくるぶしが丸見え。腰の部分はズボンがパンパンに膨らんで、無理やりジッパーとウエストのボタン締めてるものだからカボチャのパンツ履いてるみたいになってるんです。我々は大爆笑です。椅子に座るとさらに裾がずり上がっちゃって脛も相当な所まで見えちゃう状態。とにかく「アハハハハ、何かヘン!カッコワル~」という感じです。
「日本人はこういうズボンのはき方をするって思われると、なんか嫌だな~」とか本人は言ってました。俺は朝岡さんが審判している時、ズボンのおしりの所が縦にパリ~ッって破れてパンツが丸見えになるんじゃないかとヒヤヒヤしながら、そしてちょっとそのシーンを期待しながら見てましたが大丈夫でしたね。
審査が終わった後、二人してテーブルに座っていたら南米の塾生が続々と集まってきた。手に今回の大会のポスターを持ってサインしてくれという。俺と朝岡さんのサイン会です。そりゃあ、気分いいですわな。少なくともサインを求めてる人は俺の事嫌いなわけないしね、ちゃんと俺という人間を多少なりとも知って、サイン欲しいっていうんだからね。「俺がサインしてるところ写真撮って!」とか通訳の人とかに頼んだりして調子乗ってんだよ。サインしながら「これってドッキリカメラとかだと嫌ですね」と俺がつぶやくと「日本人をどこまでもいい気にさせて、最後落とすとかいう展開ですかね?」と裾が寸足らずの朝岡さん。そういう事考えると少し夢から覚めたような感じになったのだった。
まあ、人間って旅行とかで一緒にいて身近に接してみると今まで知らなかったような一面が見えるもんなんですね~。歓迎パーティーの時、ウォッカをガブ飲みして巨尻の女性とお尻をぶつけ合って踊っている朝岡さんを見ながら俺は感慨にふけるのだった。
川保天骨ともあろうものが!
最終日、飛行機搭乗まで時間があるので先生たちとは別行動を取って俺と朝岡さん、伊藤新太というトリオでサンティアゴの下町にでも行ってみようと言う事になった。我々が泊まっているホテルはビジネス街のような所に位置していて、周辺がいまいち面白くない。かつてヨーロッパの暗黒街、アジアの最悪スラムを3年にわたって取材し続けた俺である。監禁される事3回。リッピングや詐欺まがい、強盗のトラブルも通り抜けてきた自信が俺にはある。チリは比較的治安がいいと言うし、楽勝!楽勝!という感じ。地図を入手して観光客相手ではなく地元の人たちが集う「ベガマーケット」という所を目指して3人は地下鉄に乗った。
「TOBALABA駅」から1号線に乗り「LOS HEROES駅」で2号線に乗り換え「PATORONATO駅」で降りるとすぐに「ベガマーケット」がある。まず、我々はTOBALABA駅を探し出すとさっそく地下鉄に乗り込んだ。乗客の込み具合は7割ぐらいか。同じ車両に笛を吹いている若者がいた。ラジカセでBGMを鳴らしながらそれに合わせて笛を吹いている。かなりの腕前だ。日本なら迷惑行為でつまみだされる可能性があるが、ここは南米のチリである。外国ではこういう公共の乗り物で商売していたり、芸を披露していたりする人が結構いるのだ。乗り換えの駅の直前ぐらいでその笛吹きは演奏を止め、見物料を徴収するために客席を回り始めた。次第に我々の所に近づいてきたので、俺は肩から袈裟がけにぶら下げていたポーチから財布を取り出し幾ばくかの小銭を彼の手に落としてやった。
LOS HEROES駅で我々は2号線への乗り換えのために降りた。2号線の込み具合は6割ぐらいか。なし崩し的に俺が引率者的な役割だったので片手に地図を持って停車する駅を確認しながらの乗車だ。
さっき乗っていた1号線でもそうだが、キスしているカップルがまたいる。「なんだよ~、見せつけやがって!」赤の他人が隣でキスしているのは気分がいいものじゃないな。
そうこうしている内に我々の降りる駅、PATORONATO駅が近づいてきた。俺は朝岡さんと新太に「降りますよ」的な目配せをした。すると停車する直前、目の前の男が俺の足元に定期券のようなものが入ったパスケースを落としたのだ。男は中腰にしゃがみこんでそれを取ろうとするがうまくとれない。俺の脚が邪魔らしく、右手で俺の脛とふくらはぎ辺りを手で強く押してきた。俺はその男がそのパスケースを取りやすいように少し脚を移動させたりしてやった。停車して出入り口のドアが開いた瞬間、男はパスケースを拾い上げると、そのまま起き上がって出口に向かったのだ。俺も続いてその車両から出た。その男は俺のすぐ前を歩いていたが、急に体を方向転換し、今我々が乗っていた地下鉄の別の車両に乗り込んだのだ。その男が乗り込んだ瞬間、ドアが閉まって車両は動き始めた「あれ、あいつ、なんでまた同じ車両に乗ったのかな?」一瞬、思考がそこで停止したが、「あっ」と思いポーチに俺は手を伸ばした。いつもは閉めているはずのポーチのジッパーが開いていた。中に手を入れてみると財布がない! 「あ!しまった!スラれた!」突然のショッキングな事実に目の前でフラッシュが焚かれたような閃光の幻視を感じた。
以前、歌舞伎町で飲んだ帰り信号待ちしている時、二人組のスリに遭遇した事がある。一人が俺の正面にやってきて、「にいちゃん、どこで飲んだの今日は?」両手で俺の両肩を掴んでそう話しかけてきた。その隙に後ろから来た男が尻のポケットに入れてある財布をスッたのだ。俺は用心のため財布にはビニール製のスプリングストラップをつけていて、その財布を持ち逃げしようとしたオッサンはそのスプリングストラップに気づかず、俺の財布を持ったまま走り去ろうとしてたのだ。ベルトに固定されているストラップが1メートル以上伸びたところでオッサンはそれに気づき財布から手を離した。前回モンゴルで川下選手がマーケットでカバンに入れてある財布をスラれたのだが、「ああ、財布にはこういうスプリング式ストラップをつけて身体に固定してないとダメだろ。うん」とか自信満々に俺は東先生を含め色々な人に実際に財布を見せながら自慢していたものだが、今回それを突破されたんだよな。根元からストラップは切断されていた。
まさかこの俺がスリに財布をスラれるなんて! これまでの自信がガラガラと崩れおちた。というかこの自信が慢心につながり、このような事態を招いたのは否めない。数分後、俺は最初のショック状態から覚め、悔しさと同時に、なにか得体の知れない感情が己の中に沸き起こるのを感じた。ありえない事だが、そのスリに感心しているわけだ。
武術というのは相手を徹底的にやっつけて屈服させるのはレベルがまだ低い。「位(くらい)」が上の極意は相手が負けたという事をも悟らせない。知らぬ間に制御されてしまい、むしろ畏怖の念をさえ覚えさせるものこそ武術の極意。今回、俺は負けた事さえも悟る事が出来ず、そのまま立ちつくしていたわけだ。確かにスリは泥棒で、俺の財布を持って行った奴は人間のクズであるが、この術的なものに関しては「凄い」と言わざるを得ない。俺の左足に神経を集中させ、ジッパーを開け、ストラップを切断しながらポーチから財布を抜き取るなんて! 場所の状況、立ち位置、相手の様子、もちろん俺が観光客であることがターゲット選定において重要な要素であったことは確かだ。とにかく、複合的な要素を全て制御して仕事に取りかかったプロの術だ。思えば最初の車両に乗っていた時、笛吹きにチップを渡す時から今回の犯行は始まっていたのかもしれない。笛吹きもグルかもしれない。
しかし、そのスリ野郎はこのスリ術の修練にどれほどの時間を費やしたのか。いずれどこかで捕まって法の裁きを受けるにしても、愚かな奴である。今回の財布の中身は日本円で1万円程度。クレジットカード2枚入っていたが、すぐに使用停止したので被害はそれだけだ。財布は俺が5年以上愛用していたPaul Smith製のものだった。もちろん保険に入っていたので、それなりの保証金はもらえるだろう。実害はほとんどない。
その財布のフチに俺の子供のプリクラが貼られていたわけであるが、盗んだ犯人はそれを見て何とも思わないのだろうか? 少なくとも後味の悪い思いをしたのではないだろうか? その日から俺はその犯人が無残で、最悪で悲惨な死を遂げるよう、特殊な呪術によって呪いの電波を送り続けているわけで、まあ、いずれ苦しみもがいて死にますな! ハハハハハハッ!
泣く泣く南米を後にする!
まあ、そんなこんなで、相変わらず遠征記でロクな事書かない俺である。まあ、勘弁して下さいよ! こういう人間なんですよ。
スリに財布をスラれた俺をあまりにも哀れに思われたのか、空港で奥様がチョコレートやキャンディやビーフジャーキーに加えモアイ像の置物まで買っていただき本当に照れくさく、ありがたい思いに胸を熱くしたのだった。そんな奥様は空港でチリ支部の人達と別れの挨拶している時に涙を流されて別れを惜しんでいた。それを見て最近感動する事が少なくなってきた俺も思わず泣きそうになったっすよ~う。
南米は我々の住む日本の真裏に位置していて凄く遠いけど、そんな遠くにも同じ武道をやっている仲間がいる。文化や人種は違えど、空道という武道を通して心が繋がってる。なんか、すごいな~。そういう武道を東先生が作ったんだよな~。凄いな~。いつも身近にいるからこそ言えないのですが、「先生! 凄いっす!」
以上