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インド遠征  > 黒木克昌

(編集部注)文中、東塾長のコメントを青字で表記しました。


押忍、江東支部の黒木です。
それは一本の電話から始まりました。3月1日火曜日の夜、自分の携帯電話が鳴りました。
声の主は塾長です。
「急なんだけどさ〜お前、インドに行けるかぁ〜(猫なで声)?」
「押忍?」(インドぉ〜?・・・ですか〜?)
「そうだぁー、インドだよ、インド!」
「押忍、いつからでしょうか?」
「3日後の金曜日!」
「……。お、お〜す↑?!?(押忍の五段活用、疑問の押忍(語尾が上がる)」(マジ!? 本当に“急”だーー!)
「あ、あのぉ、明日、返事を…」
さえぎるかのごとく「ビザの関係で明日じゃ遅いんだ!今、決めろ!皆、仕事持っていて忙しいんだ!暇な(「時間の調整ができる」と言ったはず)奴はお前しかいない!」
本当は手帳が2冊あっても足りないくらい多忙なのに!う、嘘です(汗)。
「押忍!行きます!行かせて頂きまーす!」(あー、言っちゃったよ!)
「そうか!じゃあ明日、10時に本部へパスポート持って来てな!」
「押忍!!」
Noと言えない寮生・内弟子出身者!!…こうして自分はインドへ・・・・・行く事になりました。


この度、インドへ3月4日出発〜8日帰国の日程で行って来ました!
今回のメンバーは“急で”(シツコイ!)声を掛けられた、数人の支部長方(!)は誰も行けないということなので、寮生の内田、プチ寮生(※)の加藤久輝!(お前とはこの短期間にもう三回目だよ)けっして怪しい関係ではありません。

ワールドカップまでの強化練習の為に短期で本部に住み込んでいた。

自分の遠征の役割は「第一回 南アジア空道選手権大会」の審判をするという事です!

朝九時半、シンガポールエアラインカウンター前集合。チェックイン後、恒例の成田で乾杯!
がっちり腹ごしらえをして、尚、機内食を迎え撃つ、久輝と自分。
(内田は大会出場が控えてるため、自分達とは席を離されていたのだ)
成田の続きという事で機内でも盛り上がって、久輝のアクションで自分は赤ワインまみれに。(久輝、有難う!とっても冷たいよ。)
良かった!黒い服で。

もう三回目の旅になれば彼の事もだいぶ分かります。本当にこの男、食べても食べても燃費が悪い。
シンガポールに着くや否や「せんぱーい、お腹空きましたよ〜、インドまで持ちませ〜ん!」(あっそ)
「あ!あそこにバーガーキングがありますよ!行きましょうよ!」(俺は行きたくない)
「何にします?」(俺は食べたくない)
「ダブル?トリプルですか?自分はダブルにします!」(俺はシングルでも嫌や)
「すみません!じゃあ、これとこれ、お願いします!内田さんはこれみたいですよ!」(ふーん)
と思いつつ結局、頼んでしまった。またNoと言えない日本人。会計は自分。意外と自分も燃費が悪い(笑)。

そしてシンガポールを発って四時間半後、インド・チェンナイ空港に到着しました。
インド時間の夜十時。(日本とインドの時差はマイナス三時間半)なんだかんだで半日の移動でした。
大会の開催される町は「地球の歩き方」にも載ってない町。(どこだ?どれくらい掛かるんだろう?)
とその前に!だ、誰も迎えが来ていない!(おいおい、この展開が一番まずいんだよなぁ)

さすがに塾長もご立腹の様子。(早く来い!早く来い!)
約30分後、今回の主役、インド支部・ゴウダム支部長が現れました。(この野郎ぅ〜、でも良かった!)
重苦しい雰囲気の中、今度は狭苦しい車に乗車しました。真っ暗な高速道路をクラクションを鳴らしまくり、 ライトはハイビームでがんがん運転するドライバー。高速を下り、市内の国道に入ると今度はデコボコ道を同様の運転でひたすら走る。 カーチェイスばりの運転で上手いのか、下手なのか分からないと感心していると、時折、居眠り運転までしているではないか! (本当に危なかった!)当初、二、三時間と聞かされていたが結局五時間半掛かって目的地・ティルバンナマリという町に到着しました。 日本時間の朝七時の出来事です。この日はホテルにチェックインして体を休めました。内田、久輝、自分でトリプルルームです。
今大会は三日間で開催され移動日のこの日は予選が行われていました。明日からが本番です。

朝食後、ゴウダム支部長と簡単な打合せをして午後三時からの大会まで休憩時間になりました。部屋に戻ってから部屋の家具を使って筋トレをし、ガッチリ汗を掻いてから会場に向いました。

会場に着くとスリランカ支部・モヒディーン支部長がいらして会場内で忙しく動き回ってました。 今大会に向けてのゴウダム支部長の仕掛けが素晴らしく(これは皮肉でも冗談でもなしに!)、町には大きな宣伝用の看板、当日の新聞にはデモンストレーションの記事が掲載されていました。 いよいよ開会式です!現在午後三時過ぎ。けたましい太鼓の音と共に現れた人が歌を歌い始めました。(おぉ!、凝ってるな!)と感心していたら、いつまでたってもこの歌が終わりません!やっと終わったと思ったら、今度は民族衣装を身にまとい楽器を手にした軍団が現れて演奏を始めました。 これがまたいつまでたっても終わらないんです。時刻は午後四時を回ったあたりで演奏終了。(よし!始まるぞ!)と思ったその時!また別の軍団が現れて、今度はゴリラの着ぐるみを着た人やダンサーが登場し意味の分からない踊りの披露が始まりました。
ここまで来たら彼らの好きな様にして貰うしかありません(苦笑)。午後五時過ぎ、二時間ちょっとの開会式は無事終わりました(爆)。 この日は準々決勝までだったので開会式よりも早く試合が終わりました(笑)。
インドは真夏です。審判をしていて汗と埃まみれになり、着ていたワイシャツもびしょびしょになりました。足も真っ黒です。 これもインドの洗礼なのか?

南アジア大会

インドは宗教上、お酒を飲む人が少なく、ホテル内のレストランでさえ飲めません。
この日はこの”開会式の打ち上げ”と称して何が何でも飲むぞという気持ちで、冷えてないビールを何とか調達して自分達の部屋で飲みました。
やっぱり部屋飲みは落ち着いて良いもんです。この日も、塾長から貴重なお話を聞け、楽しい夜になりました。

大会最終日、今日の開始時刻は午後五時からです。午前中、市内の有名な寺院に観光?に行きました。 瞑想という昼寝なのか、瞑想という日焼けなのか分からない人だらけでした。(これで世界平和になれるなら苦労しないな)
その後、ゴウダム支部長の自宅に招かれ、簡単な昼食を取りました。
一休み後、会場に向かい昨日とは打って変わっていきなり試合が始まりました。 選手の中には日本に来ていたスリランカのハーシャやアリの弟が出場していました。特にアリの弟は当て勘が良く、軽量ながら将来が楽しみです。
ここで注目の選手をご紹介致します。彼の名はチャモール。スリランカ支部の19歳です。身長172センチ、体重128キロ。身体指数ジャスト300! 単なるおデブではありません。動けるおデブちゃんです。愛嬌もあって凄くイイ奴なんです。ニックネームは“ビックマック”!・・・と自分が付けました。 余談ですが、“世界一若い支部長”モルディブ支部・アッシャム支部長も今大会に役員として来ていました。彼も19歳です。ちなみに身長166センチ、体重54キロ。身体指数219!指数差80超え、ビックマックといったい何の戦いになるのでしょうか?押忍、失礼しました。

肝心の大会は事前の宣伝活動が効を奏したのか観客は400人近く来場し、内田の優勝で幕を閉じました!
会場は最後の最後まで大盛り上がりでした。さぁ!ここから閉会式です!押忍、ご想像にお任せします(笑)。割愛させて頂きます!

特記すべき点は、今大会の支援者の方々です。市長(医師)、並びに副市長(我々の宿泊先のホテルのオーナーであり今大会のスポンサー)、近隣の学校の先生、体育協会の様な組織のトップ、有名映画監督にその俳優・・・と驚きました。
約二ヶ月おきにメキシコ大会、チリ大会、南アジア大会と見てきて内容的に一番完成されていた様に思いました。
空道を世界的な存在にする事も、意外な(失礼な意味ではなく)地域の努力からが実を結ぶのではないかと将来性を感じずにはいられませんでした。翌日の朝、更に驚いた事にこの大会の模様が特集になってテレビで放送されていました!それも何度も、何度も。内田が一躍“時の人”になりました!

有名な映画監督,右隣は有名なインド体協の会長でここの市長
有名な映画監督、右隣は有名なインド体協の会長でここの市長

現地で開催までご尽力なさったスリランカ支部・モヒディーン支部長、今回の主役インド支部・ゴウダム支部長お疲れ様でした。 今回も貴重な体験をさせて頂きましてとても良い刺激になりました。塾長、有難うございました。
決定してからの数日でビザから航空券、宿泊先全てを用意して下さいました事務局長、有難うございました。
毎度毎度突然居なくなる自分の留守を守ってくれた江東支部の塾生、それをご理解頂きました幼年・少年部のご父兄の皆様有難うございました。
今回の遠征の経験を活かし、自分に出来ることはどんどん挑戦していきたいと思います。
簡単ですが以上でレポートを終わらせて頂きます。押忍。

黒木克昌(江東支部)

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