高速道路を下りてしばらくしたあたりだったでしょうか、眩しい陽ざしが豊かな緑を照らすのを目にして、「今年も来たな」と思い、軽い戦慄に似た心の高ぶりを感じました。私の心を高揚させ続けた、真夏の素晴らしき非日常はこうして始まりました。
稽古の会場は、昨年よりも広く、空調も存在していましたが、その暑さたるや昨年に勝るとも劣らないものに思えました。脳の温度が上がっていくような感覚を覚えながら、「これは体に悪いのではないか」とか「快適な環境で練習したほうが、集中できて、安全で効果的なのではないか」とかいった小賢しい考えが、一瞬、頭をよぎりましたが、それはすぐに消し去ることができました。ふと昨年の塾長のお話を思い出したのです。「昔は合宿と言えば、1週間ぐらい続いたものだ。最後に本当に疲れた時に出る技こそ本物だと言われていたものだ」といった主旨のお話です。何日も合宿を続けるのとは話が違いますが、この暑さのような悪条件のもとだからこそ、より優れた心や体のコントロールの仕方が身に着くような気がしてきました。暑さのせいか、大勢で熱心に稽古に取り組む雰囲気のせいか、日頃、シニカルなものの見方を身につけてしまった「大人」も、「これを超えれば強くなれる」といくらか心を熱くして稽古に取り組むことができました。
技術講習も昨年に引き続き、その贅沢さに酔いしれることができるものでした。普段はYouTubeやDVDでディスプレイ越しにしか見られないレジェンドたちが、息遣いや空気の流れまで感じられる距離で技を解説してくれるだけでなく、時に自分に技をかけ、自分向けに助言をしてくれるわけですから。
茶色の帯はいただいているものの、元来、臆病者の私には、普段は技を交わすことのない方々とのマススパーリングは、緊張感があり刺激的なものです。また、お相手いただいた方と、「去年もご一緒させていただきましたよね」、「そうでしたね」と短く交わされる会話を通じて、あるいは、それだけの会話さえなくても、「この方、ますます巧くなられたなあ」と感じることを通じて、違う日常を過ごしながらも同じ道を進む仲間の存在を心強く思い、自らの精進の決意を新たにできた時間でもありました。
昨年は任意参加だったランニング(編集部注)が、今年は正式なメニューとして復活していました。心肺機能、足回りの強さ、いずれも自分には足りておらず、かなり苦しいものでした。しかし、そのひと蹴りひと蹴りを通じて、そして、この夏から継続的にランニングを行うことを通じて、いくらか強化された一年後の自分をイメージしながら、何とか走り抜きました。
今回のサマーキャンプで、私にとって特筆すべきことの1つは、朝岡支部長の参段への昇段でした。昇段審査のご予定など、こちらからたまたまお尋ねでもしなければ分からなかったほど、前の週も何一つ変わらない様子で稽古をされていました。そして、当日も表情を変えることもなく、いつも通りの動きで完遂されていました。武道修行のあるべき姿、武道家のあるべき姿を身を以て示してくださったような気がします。ご本人はいつもの口調で「別にそんなつもりないですよ」とおっしゃるのでしょうが。
乾された道着から汗の匂いが降ってくる大広間での雑魚寝も、「強くなるための合宿」のワンシーンとしては、あまりに似つかわしいものであり、また一興でした。支部の仲間と語り継がれるべきエピソードにお腹を抱えて笑った時間もこのサマーキャンプにおいて忘れ得ぬものとなっています。
いくらか残る疲れが癒える頃には、少し強くなって、少し新たな気持ちでまた前に進み始めているでしょう。大道塾入門2年目にして、2回目のサマーキャンプへの参加でしたが、このような真夏の素晴らしき非日常は、自分にとって欠かせないものになりつつあるのを感じます。少しづつ形は変わっていくかもしれませんが、これからも、毎年、こうした真夏の素晴らしき非日常を過ごして、少し強くなって、少し気持ちを新たにできることを願っています。
三輪紀人(水道橋支部)
更新日2012.8.19
(編集部注)
昨年(2011年)の関東地区SC早朝ランニングは福島第一原子力発電所事故の影響を鑑み、少年部は中止、一般部は任意参加となっていました。