10/26〜11/1の約1週間にかけて、髙橋首席、長田塾長、亮汰先輩、曽山選手とともにヨーロッパ大会に出場する為にリトアニア遠征をして参りました。
ヨーロッパ大会の結果は初戦敗退でした。
英語も話せず、試合に勝つ事が仕事であったのにも関わらず、初戦敗退という結果に終わってしまった事に大変申し訳なく思っております。
ヨーロッパの方々は、日本人に強くリスペクトをして下さっており、日本人がどんな試合をするのだろうと非常に興味を持っていてくれていました。
髙橋首席が推薦して下さったというお話もお聞きしておりながら、期待に応えられなかった事にも申し訳なく思っております。
この度遠征で得ることが出来た貴重な情報と得た経験・知識の内容をご報告致します。
10/26~27 移動:羽田(東京)→ヘルシンキ(フィンランド)→ヴィリニュス(リトアニア)
亮汰先輩の自宅前で集合し、バスで羽田空港まで移動。
途中おにぎりを一緒に食べて、髙橋首席、長田塾長、曽山選手とも合流。
気合いを入れて飛行機に乗り込もうとした矢先、失効したパスポートを誤って持って来てしまい(過去に紛失届を出していたパスポートだった)、このままだと出国できないと言われてしまった為、急遽羽田空港から自宅までタクシーで片道30分の往復1時間、タクシー代2万円かけて往復することとなった。
関係者の皆様にご迷惑をお掛け致しました事をお詫び申し上げます。
飛行機は羽田空港からフィンランドのヘルシンキ空港まで13時間ほど、そこから5時間ほどトランジットがあり、ヘルシンキ空港からリトアニアのビリニュス空港まで2時間ほどだった。
※ トランジット:乗り継ぎや飛行機の燃料補給のために途中の空港に着陸すること
バスや飛行機の様な環境下が苦手で、厚手の服やタオルケットを頭から被り、即席の個室を作成したが、それを見た亮汰先輩からずっと「寺阪はやっぱり変人だな」「すげえ変人だ」などと言われた。
フィンランドのヘルシンキ空港を経由し、リトアニアのビリニュス空港に到着。
世界大会の準決勝で対戦したヴィリウスと再会。
「ようこそ!リトアニアへ!」と歓迎を受けた後に、車で1時間移動。その後、ヴィリウス達と一緒にインド料理を食事する事となった。料理がなかなか出てこず、セミナーの時間もずれてしまったが、味は非常に美味しかった。
髙橋首席から激辛料理を頂いたが、非常に辛くて大変だった。
食事後は1時間ほどホテルで休憩し、ホテルの近くの体育館にて長田塾長のセミナーを開催。
10/27 第1回セミナー
セミナーの内容は主に基本稽古、移動稽古、投げの基本動作などを中心に約2時間。
アドバイスしたい事はあったが、英語が話せず、引っ込み思案な所が強くある為、なかなか声をかける事が出来ず、髙橋首席や長田塾長に丸投げをするという格好となってしまい、申し訳なく感じた。
自分は英語が全く出来ない為、ヴィリウスを含めて海外の方達とは、深い話が出来なかったが、ツーショット写真を撮る、サインを書くなどの交流は出来た。
その後はホテルに戻って就寝。
10/28 計量・審判講習
朝8時にメンバーで朝食を取り、雑談・打ち合わせ。
13:00から計量だった為、午前中は自由行動に。
曽山君は観光に、私は計量までゆっくりホテルで休む事にした。
計量は、全く問題なくクリア。
73kgがリミットだったが、計量時の体重は69.5kgだった。
その後、無事出国する事が出来たウクライナの少年部の選手達と昼食を取る事となった。
ウクライナでは戦争状態にある為、成人男性は出国出来ず、子どもと引率者となる大人1名でようやく出国が出来る状況だという話を聞いた。
ウクライナは成人男性を戦場に駆り出す気満々だなと感じた。
戦争中で練習はあまりできないのかなと思ったが、ウクライナの選手は、毎日欠かさずに空道練習をしていると聞き、驚いた。
昼食を食べ終え、少しの休憩の後に審判講習。
曽山選手と共に投げ決めやタックルに対して、殴って良い状況、殴らずに効果が取れる状況、蹴りで転倒した際にも決め動作を入れたら効果になるなど、私自身も非常に勉強になった。
講習の内容
・タックルを仕掛けられて相手が自分の足を掴んでいる状態→殴っても良い、決め動作をしても効果は入らない。
・タックルを仕掛けられて相手の手が地面に着いている状態→殴ってはならない、決め動作をしたら効果が入る。
・ガードボジション時に相手を持ち上げる→審判は即座に止めなくてはならない、選手は相手を持ち上げた状態で叩きつけてはならない。
など
審判講習後は、支部長会議があり、その後会食をする事に。
会食後は、就寝。
10/29 ヨーロッパ大会・サヨナラパーティー
8時半にホテルを出発。
11時に大会開始。
バスの中でイメージトレーニングしていたら、途中で寝てしまった。
当初では、アゼルバイジャン人と対戦する予定だったが、対戦表の入れ替えが起こり、初戦でキモ・カリオ(フランス)と対戦する事に。
キモはフランスの支部長であるファビウス・カリオの息子であり、空道歴が長い選手。
今年の5月に開催された第六回世界大会の準々決勝にて対戦したことがあり、その時は本戦4-1で勝利した。
距離間が独特で遠く間合いを持ちながら、打撃で戦うタイプの選手。やりにくさはあるが、腰が軽く、打撃・組技・寝技の中で、特に飛び抜けた要素を持っていない選手という印象だった。
対戦表を見た時の作戦は、前に出て、プレッシャーをかけながら距離を詰めて、相手に攻撃を出させてから、カウンターを狙う、あるいは自分からそのまま行く。
腰が軽い為距離を詰めて組技主体でテイクダウンして効果・一本を狙いに行く戦法で考えていた。
今回のヨーロッパ大会に出場する上では、差を見せつける為に、一本勝ちをして優勝しなければならないと考えていた。
24試合目が自分の試合だった為、何試合か見てみると全体的にレベルが高く、KO勝ちヤ一本勝ちが多く、油断したら持っていかれそうだと感じた。
そんな中、U-19でやたらと強い少年部のジョージア人選手がいるなと思っていたら、わずか16歳という若さという事を知り、驚いた。
日本の少年部の選手達には、世界にはこのようなレベルを持つ選手が数多くいる事を知って貰う為にも、是非とも海外の試合に出て、実際に見てみて欲しいと感じた。
本格的にアップを始めようと思った矢先、突然自分の名前が呼ばれた。
24試合目じゃないのか!?と困惑しながら、急いで防具を付け、アップなどの準備がろくに出来ずに壇上に上がる事になり、困惑したが、「相手も同じ条件で闘うだろうから仕方ない、腹を括れ」と言い聞かせ、フランスのキモ・カリオと第六回世界大会の5ヶ月ぶりに相対する事となった。
正直に書くと、これまで考えていた作戦というものをすっかりしまい、頭が真っ白になってしまっていた。
蹴りをキャッチして、テイクダウンまでは持って行っても、そこから次をどうするのかという総合的な所まで頭が回らず、ただ寝技で時間だけが過ぎて行ってしまう事が2回もあり、本戦を終えた。
旗判定ではなんとか白(自分)3本に旗が上がったが、延長戦となった。
全体を通しても、酸欠状態となってしまっており、セコンドの亮汰先輩もほとんど聞こえていなかった。
途中、膝に合わせて足払いに行けという一瞬声が聞こえた為、膝に対してテイクダウンする事は出来たが、10秒以内の投げではなかった為、仕切り直しとなった。
試合というものが全くもって楽しいと思える様なものではなく、ただただ辛く、苦しいものだという事を忘れていたのを深く実感した。
自分の身体が鉛のお風呂に浸かっているみたいに重く、気持ちは前に出ているのに、身体が付いてこない感覚があり、非常に苦く、焦った。
世界大会を戦った時は、身体が軽く、自分の思考より先に身体が動いている様な感覚だったが、今回では、イメージではもっと前にいる筈の自分の身体が、2歩3歩遅れて出ている様な感覚が強く、そのギャップに頭が真っ白になってしまった。
効くことはなかったが、組技で多くの膝蹴りを貰ってしまっており、「このままだと負けてしまう」を焦ると同時に、「こんな試合をあと2回もしないと優勝出来ないのか」とまだ試合が終わってもいないのに、先の事を考えてしまった事が勝負の決め手となってしまった。
残り時間最後の10秒で、自分が前に出ながら頭を下げたタイミングでキモの後ろ蹴りを顔面に食らってしまい効果判定。
そこから先は大会が終わるまで、あまり記憶がなく、ただただ茫然としていました。
いまだにまだ気持ちの整理はついていません。
その後、キモ・カリオは次戦でアゼルバイジャン人に効果2本を取られて敗退。
曽山選手は、ウクライナ選手とリトアニア選手からそれぞれ1つずつ効果を取り、優勝を果たした。
大会終わりにサヨナラパーティーを出席し、その後眠りについた。
10/30 昇段審査
大会翌日には、昇段審査を開催。前日のヨーロッパ大会にも出場していた選手も参加しており、ヨーロッパ勢のレベルの高さを再度肌で感じることが出来た。
柔術もやっているからか、寝技単体の技術も高かった。
しかし、空道ならではの打撃からの組み、組みからの寝技といった連動性の高さはそこまで強くは感じなかった。
昇段審査が終わると、空港近くのホテルまで移動し、観光や食事を楽しむ事にした。
10/31 移動
11/1 帰国
空道に携わる皆様には、私にリトアニア遠征という貴重な機会を与えて下さった事に深く感謝申し上げます。
空道を始めたばかりの自分に、「9年後にはリトアニアに行っているよ」と言われても信じないでしょうし、想像すらもしなかったです。
リトアニア遠征は貴重な経験であり、髙橋首席、長田塾長、亮汰先輩、曽山君、ヨーロッパの空道家達と親交を深めることが出来、非常に楽しかったです。
しかし、その反面、今回のヨーロッパ遠征には反省すべき点が数多くありました。
11/19には無差別大会があり、それに出場する事を決めています。
試合というものが、ただただ過酷で辛く、苦しいものであるという事を心に刻み込んで、自分と向き合っていこうと思います。