大道無門 東孝コラム6 格闘空手と組み技

この対談は『月刊空手道』(福昌堂発行)1985年3月号に収録されたものです。肩書は掲載当時のものです。

 私は現在、格闘技としての空手、つまり「格闘空手」を標榜し追求している訳だが、この格闘空手の大きな特徴が顔面パンチと金的蹴り、そして瞬間的な組み合いからの投げであることは周知の通りである。 顔面パンチと金的蹴りについては様々な機会に触れさせていただき、 最近やっとそれらの意義についての認識が拡がってきているのはありがたいことである。 そこで今回は組み技について述べてみよう。

 空手で組み技というと、これまたあまり好感を持っては聞いてもらえない。 第一の理由は、空手はそもそも組み技を認めない技術体系で成り立っているのだから、組み技を取り入れること自体邪道であるという理論である。 そして第二の理由は、空手は一撃必殺であり組む前に相手を倒すものだから組み技を学ぶ必要はないとする理論である。

 第一の理論に対しては、そもそも競技としての空手のみでなく、極力反則技を少なくして格闘技として認め得る空手を標榜する我々としては何の言葉もない。 発想の原点が違うということになるのだろう。 しかし一言、言わせてもらえば、 どの流派、 会派もいう「我々の空手こそ最強である」 とのセリフは、「ルールという枠の中に限って言えば・・・」という注釈をつけて使うべきだと思うのだがどうだろうか。

 次に第二の理論に対しては、私が繰り返し述べてきた、「柔道、レスリングなどの組み技をある程度(約5年以上) 経験している、 体力のある首の太い人間は、単なる突き蹴りではそう易々とは倒れない。 増してや興奮状態にある場合などなおさらである」との持論を持ち出すしかない。しかしこれはあくまで現実なのである。

 さて、それではそういった組み技にたける大柄な人間に対して、空手をする体の小さい人間に、はたして勝機はあるのか。その答えが 「顔面パンチを含んだコンビネーショ ン」であり「金的蹴り」 であり、今回のテー マである 「組み技」 なのである。誤解されたくないが、 私は何も空手をしている人間に投げで勝てと言っているのでは決してない。 ただ、体力差を大きくカバーする金的蹴りや、うまく当たれば一撃必殺の可能性を持った顔面パンチを含んだコンビネーションを使いながら攻撃していったとしても、確実に相手を 倒せるとは限らない。 そこで初めて組み技がネックになるのである。

 たとえ相手が組み技の経験がなくとも、顔を叩かれると人間というものは無意識に掴みにくるものである。こういう状態、それがもし試合ならクリンチワークを使うなり、フットワークを使うなり してうまくその場を逃れようとする。 しかし実戦においてはそうはいかない。 審判が仲介に入るわけでもないのである。 そういった状況になった場合、 普段から組み合うケースを無視して突き蹴りのみの稽古に終始していては、組み投げに対する対応が全くできず簡 単に投げ飛ばされてしまう。

 ついでにいうなら実戦において、投げられて相手の下に位置するということは負けを意味する。特に、いわゆる突き蹴りのみの空手ばかりしていると、動きや普段の鍛練も直線的になりがちであり、面的 (左右横への動きや、行きつ戻りつする動き) な抵抗力が弱いので、組まれると易々と投げられてしまう。それに対して普段の稽古の中で相撲や簡単な組み技の練習(欲をいえば週一回程度のまとまった稽古)をしているならば、もともと空手の稽古でスタミナや基礎体力があるので、その線的な体力を面にまで拡大するのはそう難しいことではない。みるみるうちに足腰に粘りができてくる。

 そもそも相手と組み、投げるということは 相手の体全体を全面的に動かさなくてはならない。 空手のように、相手が止まっている、 動いているにかかわらず当たれば衝撃を与え得る技術とはまったく違うのである。そのため、相手が投げられまいとして徹底的に受けにまわったならば、それを投げるには相手の二倍の実力がいるとさえいわれている。そのことから考えれば、相手の半分の実力があれば相手に投げられず頑張れるということであり、組み技の稽古の第一の主眼を、この相手に投げられないという目的においてもいいと私は 思うのである。もちろん相手を投げるつもりで稽古をするのであるから、それでも一年もたてば組み技を全然知らない人間ぐらいは楽 に投げられるようになる。 何故なら技というものは、知らない人間には結構うまくかかるものであるからだ。

ここで組み技の稽古の意義を要約してみよう。

(1)組み技を知らない相手を投げられる程度のレベルになり、 倒して突き蹴りで「極める」 というパターンを身につけることにより攻撃の幅を拡げられること。

(2)相手を投げることはできなくても、相手に簡単には投げられない抵抗力を身につけること。そうなればあとは、密度の高い突き蹴り による攻撃を伸ばすことができる。

(3)相手の投げを防げないにしても、ダメージの少ない投げられ方を身につけ、さらに投げられることに対する過剰な恐怖心を無くする。 この心の余裕により、投げられても下からの反撃が可能になる。

 以上のような、組み技に対する技術的、精 神的対応が可能ならば、空手は小よく大を制し得る可能性を真に秘めた格闘技として存在することができる。

 空手で組み技というと、形式を重んじたり「既成の概念にとらわれやすい人達には不自然に見えるかもしれない。しかし私は小よく大 を制し得る可能性が最も高い突きと蹴りを、より強力に最大限生かすために、昔から空手のすぐ隣にあった組み技を取り入れるという、 いささか逆説的であるが、しかし現実的な方法をとることにより、空手を柔道や相撲と伍せる格闘技として存在させたいのである。そ してその時代がすぐそこまできていると私は思うのである。