東孝VS田原敬三 対談

この対談は『月刊空手道』(福昌堂発行)1988年7月号に収録されたものです。肩書は掲載当時のものです。

 

東孝(あずまたかし)

昭和24年、宮城県気仙沼市生れ。極真会館 第9回全日本大会優勝。
昭和56年に大道塾を発足し、実戦的な格闘空手を標榜する。北斗旗大会は多くの格闘技ファンを魅了。
本誌に「格闘空手Ⅱ」を連載中。
現在、大道塾代表。

田原敬三(たはら けいぞう)

昭和27年、広島県横川市生れ。極真会館3回世界大会7位入賞。
世界大会の舞台で、ウィリー・ウィリアムスを倒した男。昭和60年に元、極真会館広島支部長・森周治氏と共に徹武館を発足、広島の地で空手普及に尽力する。
現在、徹武館館長。

 

超ド級の対談が実現した!!

かつて極真の晴れ舞台で感動的なまでの活躍をみせ、現在はそれぞれが目指す空手に邁進する両雄。
“格闘空手” 東孝、そして“メガトン空手” 田原敬三。

空手に賭け、空手に生きる2人の出会いは、互いの情熱がほとばしる熱いKARATEDO TALKへと展開する。
指導者として、また実践者としての両面から、常に空手を見つめ続ける両雄。パワー満点/重量級の
圧力で突き進む、2人のトークを聞け!!

 

●ドアを開けると東師範がいたんです

―お2人は同じ極真会館の出身ですが、現役時代から親しい間柄だったんです
か?

東 いやー、それが意外と面識がないんですよね。時代も多少違ったんだろうけど、多分言葉をかわす機会もなかったんじゃないかな。ねえ?

田原 ええ、そうですね。自分が年齢的にも東師範より下ですし、極真で始めたのも25歳と遅かったですからねえ。今日が初めてのようなものですねえ。

東 そうだね。そうすると、田原君が最初に出た極真の全日本大会は、第何回になるのかな?

田原 二宮師範が優勝したときです。だから第10回ですか。まだ緑帯でしたし、一回戦で黒帯の人に負けてしまいました。ちょうど東師範が優勝された第9回の翌年が、自分の初出場になるんですよね。

東 ああ、そういえば僕は第10回は出場しなかったんだよね。次の第11回は第2回世界大会の選考も兼ねていたんですけど、あれには出てた?

田原 はい、出ました。あれで東師範と初めて同じ大会にエントリーしたんだと思います。あのときのことで今でも覚えていることがあるんです。当日会場入りして、緊張しながら控え室のドアを開けると、いきなり目の前に東師範がドンッと座っているんです。何しろ雲の上のような人でしたからねえ、何かもうピックリしちゃって…、もうマイツ夕、今日はどうなるんだろうかと、舞い上がってしまったんですよ(笑)。

東 ハハハ…(笑)、そんなことがあったんだ。残念ながら、僕は覚えてないけど。

田原 とにかくあの当時は、自分なんか東師範、三瓶師範、中村師範たちとは組み合わせが当たりませんようにって、祈ったもんですよ(笑)。ホント、正直言って。

東 いやー(笑)、で結局、試合では僕と田原君はやったことはなかったよね。

田原 ええ、おかげさまで…(笑)
   とにかく東師範は、自分が極真に興味を持った、『地上最強のカラテ』の映画にも出ておられましたし、大先輩なんです。今日こうして対談させていただけるのは、とても光栄です。

東 いえいえ、それほどではないですよ。とにかくリラックスして、いい対談にしようじゃない。ねっ。

田原 はい、そうですね。

 

●どんなスポーツでも空手に生きる

― 東先生は柔道、田原先生は野球と、空手に入る前にそれぞれのスポーツを追求してきていますね。空手と他のスポーツには、どのような関連がありますか?

東 これはね、例えば野球でも柔道でも、サッカーでも何でもいいんだろうけど、結局、運動の絶対量が重要だと思うんだ。つまり競技うんぬんというよりも、いかに人より多く汗を流したかということが、空手に入ったときに大きく左右してくる。例えば、大学から空手を始める2人がいるとして、一人は中学、高校と運動をしてきで、一人は全く何の経験もなければ、そこにはかなりの運動量の差がある。もちろん15歳からと18歳からの3年間では質は違うけど。

田原 ええ、自分も野球は幼稚園の頃から始めて、大学の途中までやったんですけど、とてもいい経験でした。

東 うん、僕の柔道の経験も、極真に入って少なからず生きたと思う。やっぱり筋肉が太くなって体がガッチリとしてくるし、もみ合いに強くなる。足払いなんかの足技を持っているのも強みだよね。それに柔道は大きい選手が多いから、空手で多少大きい人を見ても威圧感がないんだ。一応三段までやったんだけど、ざっと挙げてみても、空手の中でこれらの点に長所があったね。田原君はどう?

田原 ええ、僕の場合、まず集中力ですかね。野球の守備は同じ動作の反復ですし、バッティングはちょっとしたその日の調子でスイングが狂い、打てなくなるんです。それを1つの機会(チャンス)に集中して、うまくものにするんですねえ。いい方を変えれば、マインド・コントロールといってもいいと思います。プレッシャーの中でも、自分の力を出すというんですか。私が現役最後の年に自分で納得のいく結果を残せたのも、“もう最後なんだ”という集中力が大きかったと思います。3分間の中で何度も倒れそうになったとき、あとは気持ちだけですからね。

東 なるほどね。それにやっぱり基礎体力のアップは大きいよね。

田原 はい、それはもちろんですね。

東 極真の選手でも、佐藤俊和さんは野球、中村君はサッカー、三瓶君はラグビーなど、強い人はそれぞれ何かしらスポーツをやり込んできてるよ。だから話は戻るようだけど、運動の絶対量を積んでおくことだね。
そういえば田原君は、甲子園に出たらしいけど?

田原 ええ、一応昭和45年のセンバツなんですけど…。愛媛県の西条高校で、1回出たんです。

東 それで結構度胸も座ったのかな。

田原 まあ、観客慣れはさせてもらいました(笑)。

東 それは確かだ(笑)。

 

●若いんだから体で教える

― 現在はお二人とも指導の立場にあるわけですが、それぞれが考える空手、目指す空手という点に、お話を移していただきましょうか。

東 自分が考えるのは、総合格闘技としての空手なんです。突き蹴り、組み技、投げ技、そして常々大道塾で練習してる締め技、関節技を含めてね。ただこれらが形になるためには、なかなか簡単には……難しいとは思うんだけど、5年、10年という長い期間で考えないとね。それに“空手”として考えた場合、僕の書籍じゃないけど、“はみだし”てくるとは確かに思うんだ。やっぱり空手は突き蹴りが主流だし、組み技、投げ技までならまだしも、締め、関節となれば、空手の範鳴からは脱してくる。でも、総合格闘技に仕上げたいというのは、自分の夢なんだよね。だから変ないい方だけど、分けた方が理解されやすいのならば、空手と総合格闘技と、別枠でやっていければとも考えたりするんだ

田原 自分の場合は、いま広島で徹武館という道場でやってますんで、地域の人たちに空手を広められればと思うんです。年齢も子供たちから壮年まで、女子も含めて幅広い層の人たちが来てますから、それぞれの年代に合った空手を考えたいんです。それで、ルール的にもこれといって決めない方針なんです。ルールを決めると、そのルールの中でいかにやるかということになっても、いやなものですから。ただやっぱり突き蹴りを中心に考えたいですし、年に1回の道場の大会は、極真ルールで開催しているんです。極真ルールのいいところは、緊張感があるし、何といってもつらいことですよ。つらいことをやらなければ、自信につながりませんので。

東 そうすると、練習のメニューはどんな組み方をしているの?

田原 いま言ったように、いろいろな年代の人たちのことを考えますもので、空手のいろいろな部分を満遍なく提供します。例えば基本稽古の日、極真ルール組手の日、格闘ルールの組手の日など、その日によって中心に置くものを変えたり、時には護身術の説明、また型の練習などもやりますね。強くなりたいという目的の人ばかりでもないので…、特に壮年層や女子などですね。だから文化的に意味のあるようにというんですか、たくさんの側面を見せてあげたいと思うんです。

東  なるほど、うちなんかはメニューの6割は僕が作るわけなんだけど、あとは生徒に結構まかせているんだよね。例えば、突きの引きはこうだとか、角度はこうしなさいとか、すべてマニュアル化すれば、組織としてはまとまるかもしれない。でもやっぱりある部分自主性を持たせておかないと、個性や技の新しい発展がなくなってくると思うんだよ。

田原 ええ。うちなんかでも上級者になってくると、大会の上位を狙うために、またそれぞれ工夫しています。北斗旗の格闘ルールもやらせていただいてますから、僕自身も組手に参加して、いろいろ考えてみているんですけど…。北斗旗大会に選手を出させてもらったりして、道場として、チャンピオンクラスの選手を育成することも、大事に考えているんです。

束、ええ、北斗旗はオープントーナメントだから、またどんどんいい試合をやりましょうよ。

田原 はい。ただ指導してて思うんですけど、まだ自分らは40前で若い方ですし、自分自身が試行錯誤の部分もあるでしょう。だから指導者であることに難しさを感じたりすることがありますね。

東 うん、それはある。自分も27歳で指導の立場になったりしたんだけど、自分が確立していない状況で人を指導することは、ほんとに責任を感じるねえ。当然、やりがいもあるんだけど。

田原 空手の場合5、6年の経験で指導の立場になるでしょう。ただ、フルコンタクトの技術は、体で教えなければいけないので、若い方がいいということに
なりますけど…。座ったまま口で教えるのでは充分じゃないので、その良さはありますね。

東 自分もどっちかっていうとまだまだ自分でやりたい方だから。選手の試合を見ていると、出ていきたくなる時があるんだ(笑)。

田原 ええ、分かります(笑)。私も自分の練習はしてるんですけど、もう試合は難しいでしょうねえ。

東 いやー、もうダメだよ。人間、技術や精神力は変わらないけど、スタミナだけは年と共にどうしょうもない。足がついていかないって(笑)。

 

●いつまでも空手に打ち込んでゆく

― 大分ご自身の話になってきましたけど、やっぱり現役を離れても一空手家だということでしょうか。

田原 それはやっぱりそうですね。道場でも今だに、自分がもっと強くなる練習はないものかという試行錯誤ですから。それが生徒にも伝わっていくでしょうし。

東 そうだね。技術を積み上げることは大事だよ。指導者というのは、まず技術を見られると思うからね。

田原 ええ、それとまた話は違ってくるかもしれませんが、自分なんか空手に対して、年相応に価値感が変わってきているところがあるんです。以前はとにかく強さばかりを求めていたんですが、今はその気持ちも落ち付いてきて、型なども好むようになっているんです。実は毎日やっているんですが…。

東 いや、そのへんも同感だよ。現役時代のように体が動かなくなっていくことは、すごく寂しいことなんだよね。だから空手人としての自分を昇華するために、何かしら求めていこうという気持ちは自分にもあるんだ。ただ自分の場合は型はあまり好きじゃないもので、例えばいつまでもできる格闘技という観点でも考えている。

田原 いや自分も型はうまくない方ですから、夜真っ暗になってから、人に見られないように外でやるんですよ(笑)。まあ、集中する時間を大切にしたいん
です。連打が中心となるいまのフルコンタクトの技術には、1つ1つをピシッと止める型はそぐわないということは分かっていますので、道場で生徒にやらせるのも、集中力を養うことや健康の意味が大きいんです。きちんと気合さえ入っていれば、3回でも4固でもいいと思うんですよ。

東 うん、やり方としてはうちと違う部分があるけど、よく分かるよ。それに、いくつになっても空手人でありたいというこだわりでも、僕と田原君は共通するみたいだね。

田原 ええ、空手は自分にとって財産ですから。それで、今は道場の指導に専念しているんですけど、じきにまた仕事に戻らなければいけないと思うんです。そうなっても、週に1回奉仕のつもりで指導できればなあと思っているんです。ボランティアのような形でも、広島の地域性を大事に、頑張れたらなあって…。

東 ああ、頑張ってよ。自分も大道塾を始めて7年。まだまだこれからだと思っているんだ。さつきもったように、ここにきて締め技、関節技を取り入れて、新しく大会の開催も模索しているところなんだよね。開催できるのはまだ2、3年先だろうけど、今年の後半からは練習試合をやりたいと思っている。ただ今の北斗旗を変えるつもりはないんだ。春の体力別、秋の無差別のスタイルはね。それとは別に、例えば“格闘技戦” みたいに銘打って、締め技、関節技ありの大会を開きたいんだよ。

田原 スーパーセーフで素手というスタイルは変わらないんでしょうね。

東 それは1つの自分のポリシーだからね。例えば、グローブをつけたらということも、確かに考えられるよ。でもグローブと素手では技術も、また感覚も全然違うんだ。グローブの厚みの分、ディフェンスが楽になるし、攻撃も違ってくる。それに素手で殴る感触というのは、普段からやってないと身につくものじゃない。だから今のところ、当然変わらないでしょう。顔面ありの格闘ルールでね。田原君のところは、年に1回道場のトーナメントをやるという話だったけど、少年部や女子も一緒にやるの?

田原 はい、みんな参加します。うちはいまのところ、生徒にとってこれ以外の大会チャンスがないもので、みんな目標にしてくるんですよ。だから幅広い育成のためにも、今後はもっと大会やイベントを多くして、生徒の目標を増やしてやりたいです。それが今一番思うことですね。それに上の方の選手は、北斗旗を目標に出してやりたいので、また挑戦させて下さい。

東 うん、楽しみにしてるよ。

田原敬三先生とウイリー・ウイリアムストの死闘!