インドセミナーレポート 横浜北支部 寺口法秀

インドへ6/26~8/7でセミナーに行きましたので、報告を致します。

6/26ムンバイ

インド空道の代表のメフル氏の道場にて指導。2部練であった。

1部目…10歳までの子供と道場の指導員で16人程度集まっていた。基本稽古と受け身の解説だけで1時間程度の稽古時間は終了した。

2部目…10歳以上の大人・子供が20名程度集まった。基本稽古・移動稽古(手技のみ)・受け身・横浜北支部式のストレートと左右回し蹴りを指導して1時間半程度の稽古時間は終了した。

公式基本稽古を普段からやっている様子はなかったので、時間をかけて丁寧に解説した。特にメフル氏の17歳の息子であるプランシュは、これからのインド空道を引っ張る人物になるので、自身で説明までできるように指導した。

6/27移動日 ムンバイ→プネー

車で3時間程度かかった。ホテルに荷物を置いて、学校訪問へ再度移動した。インドでは空道や空手の先生・指導員は専業で行うのが普通なのだが、そうした人達は昼間仕事がないので、弟子達が所属している学校へ定額ないしボランティアで護身術教えに行く。このような活動が会員数獲得に貢献している。

またこの日は訪問2校目がスポーツアカデミーであり、歓迎でマラカンマというストリップダンスの原形にもなった運動を見せてもらった。インド人の高い身体能力が伺えた。

6/28 警察&インターナショナルスクール訪問

プネーのあるマハシュトラ州警察を訪問した。警察では指関節を極めて制圧する技術や棒・ナイフに対する護身術をメハル支部長が指導していた合気道に近い技術体系だろうか。

この辺がメハル支部長の上手いところ。私は競技のルールの中で勝つことばかり考えていたので、広報において世間が求める護身術との乖離がやはりある。まず空道を知ってもらう・興味を持ってもらうためのプロパガンダに余念がない。

空道を習っている警察官もそれなりにいることから、(日本の柔道みたいに)州で警察選手権を提案していた。

私は完全にいる・写真撮影に応じるだけの客寄せパ◯ダ状態だったが、とても広報の勉強になった。

州警察の幹部からインドはどうですかっと聞かれたから「ノーヘルバイク(インドでも違法)ばかりで、若くてエネルギッシュでいいですね。日本社会は高齢化しているから全然ノーヘルがいなくて元気がない」ってブラックジョークをかました。

2件目は高級私立小学校を訪問。インド空道のこれまでの国内実績と(世界王者をコーチに招いて)これからの飛躍をメハル支部長が熱弁して終了。私は暇だったので、学校にいたアマボクサーとパンチの打ち方について、ルールの差をテーマに熱く語っていた。

明日はセミナーなので、夜はホテルのジムで(自分の練習をした後に)メフル氏の息子のプランシュを呼び出し、彼の基本稽古と移動稽古の修正と説明の補足をした。

6/29プネー地区の空道セミナー

やっと本番。自分達が到着したらすぐに歩いて会場に入る様をドローンで撮影した。SNS広報用なのだろう。ここでもメハル支部長のやり手ぶりが伺える。会場入りすると、250人くらいが整列し、真ん中の列を空けて特有の掛け声と手拍子で迎えてもらった。大勢集まったが、帯を見ると大道塾空道だけでなく、剛柔流や松濤館など地区の様々なインド人空手家が集まったセミナーだった。地区の日本武道の盟主に大道塾空道がなっていて、有力者などに食い込んでいるのは凄い。インドは「カオスの国」、これを統制するのは大変だ。非大道塾はそもそも基本稽古の体系から違うのだから。英語がわからない子供も多く、また私の日本アクセントの英語に慣れていない人も多いことから、メハル支部長の息子(以下、プランシュと表記)が指揮を取って指導することになっていた。現地のテレビカメラも来ていたので、プランシュに花を持たせるため、前日にホテルのジムで基本稽古の説明をきっちりしており、何とか様にはなっていた。

彼は自信に満ち溢れて指導しており、将来が楽しみだが、細かい所は私が修正しながらコントロールした。私が彼の年齢ではこの人数を前に堂々と指導はできないだろう。指導内容は基本稽古と受け身そしてワンツーと実戦的右ミドル、そして大腰・足払いを指導した。

Q&Aではまだ寝技が導入されていない年代の女の子(※しかも帯が大道塾じゃない!)からバックマウントの逃げ方について質問が出た。私はかなり驚いた。なぜならそれは私が空道全日本で優勝した時にはまだ辿り着いていなかった領域だからだ。ましてや、打撃優位で寝技の技術が遅れているインドでだ。レ〇プから、もしもの時に自分の身を守る護身術としての質問だとしたら、問題の根深さを感じざるを得ない。女子を集めて動きを見せてしっかりわかりやすい「出川イングリッシュ」で解説。

受け身(床で滑った、バイクから落下した時に大怪我から身を守ることを説明して)やその技術などもしもの時に身を守るすべを時間長めにかけてセミナーした。

そのせいで基本稽古しかできず、移動稽古ができなかったことは痛いが仕方ない。

セミナー終了後に人生初ターバンを巻いてもらい、セレモニーが行われた。日本とは違い、あえて偉そうしないといけないのは何か慣れない。話す機会があったので、熱いメッセージを送ったが、子供達にはどこ吹く風…。当たり前か、英語しかも日本アクセントの英語を子供がわかるはずがない。プランシュにカンペを渡して通訳させるのを忘れたのは大失態。まぁ高校生以上に響けばよしとしよう。

かなり蒸し暑いので休憩時間は多いが、拘束時間が11時間を超えたので少し疲れた。

また年上が荷物持ちを買って出てくれたのだが、丁寧にお礼を言うと、プランシュから「インドではマイナー言語含めて150くらいある。英語がわからない人でも誰が偉いかわかるように堂々としてくれ」と注意された。元身分制社会のインドが顔を覗かせる。

↑メフル親子と私だけの休憩所、元身分制社会の名残がある。

 

6/30 移動(プネー→スラト)&記者会見

7時間かけて車で移動し、スラト地区のヴィスピン・カラディ氏の道場で記者会見が行われた。記者会見自体が人生初の経験でしかも訛りの強いインド英語だったので、難しいものだったが、周りの力を借りながら何とか乗り切った。その後、ヴィスピン氏のyoutubeチャンネルでメフル氏も交じって鼎談が行われた。この時は周りの助けはなかったので、コミュニケーションは成立しなかった。

 

7/1~3 スラト地区セミナー

この地区は夫婦でフィットネスモデルをやっていて、支部長は破壊する系のギネス記録を幾つももっているフィジカルお化けのヴィスピン氏が務めており、ビルオーナーがジム会員でもあることから、ゴールドジムのような恵まれたシステムとなっていた。

また地区のインターナショナルスクールで空道場の開所式が行われ、テープカットとサンドバッグの蹴り始めを光栄なことにさせてもらった。この地区でも空道の影響力をまざまざと見せつけられた。支部長の息子ジダン・カラデイはU19で写真のような筋骨隆々の肉体を誇り、打撃荒削りだがとにかく動きが速く、大腰系の技がキレる。インドでも空道ネイティブが台頭してきている。これは将来期待しかない。

基本稽古は飛ばして実戦をやりたがっていたが、私にはそんなの関係ない。ストレッチと初日は基本稽古から、二日目は移動稽古から、三日目はマット運動からスタート。

セミナーはアシスタントの力を借りながら、3階のほっこりジュニアクラスと4階の選手クラスの二つを行き来していた。選手クラスはU16からフルパワーで顔面の殴り合い・肘や頭突きをしており、止めて回るのが大変だった。

空手系道場あるあるで若い人口が多いと人権意識が低くなり、スパーリングの強度も上がる。一方、ガチスパーリングだと自分の得意な技術しかしないので、全方向への成長が遅れる。こんなことを言う私も大阪時代は支部長の言うことをあまり聞かず、今の彼らと同じだった。懐かしい平成の匂いがそこにあった。ただ10月のアルメニア遠征に行くメンバーもいることから、年代別のルールについて時間を取って話をした。

7/4 移動(スラト→ウダイプル)

スラトから州をまたいでラジャスタン州のウダイプルまで車で10時間移動した。

メフル親子にカラディ親子も交じっての移動だったので、色々な話をしながら、疲れたが充実した時間となった。

 

7/5~7/7 ウダイプルセミナー

このジムは倉庫を改装したのかとても広く、豊富なウェイト器機・フルゲージオクタゴン・多数のサンドバッグなどかなり練習環境に恵まれている印象を受けた。支部長のメナリア支部長は還暦越えも筋骨隆々、貫禄充分。高いカリスマ性を誇る。インドでは誰が偉いか、強そうか見た目で示すのはとても大切なようだ。足を触りにくる(インドで高い尊敬の意を示す行為)生徒の割合がとても多い。

また生徒同士もとても仲が良く、最終日には(小学生を除く)皆で近くのプールを貸し切って楽しんだ。スパーリングも適切な強度だったと思う。

今回のインド遠征では唯一スパーリングに混じった。向こうの黒帯とヘッドギアなしのスパーをしたのだが、わざとではないにしろ、顔に普通にパンチを当ててきた。空道の距離間・間合いが全然わかっていないのだなと感じた。インド空道選手は空手出身が多く、腰はかなり軽いので、何度も簡単に投げて極め突きできた。1本スパーをした後に、ジダン・カラディが飛んできて「(寺口)先生は偉いのだから、こんなところに混じってスパーをするな」と注意された。ここでも元身分制社会が顔を覗かせる。

7/8 移動日(ウダイプル→ビーカーネール)

今回最長の移動で、車で12時間だった。ここからはメフル親子・カラディ親子・ミナリア支部長と一緒に移動した。悪路も多くよく揺れるので、辛い移動だった。夜遅くホテルに着いたら、歓迎の音楽団がいた。光栄ではあるのだが、夜9時半過ぎにホテルの玄関で大音量で演奏なんかしてもいいのかと疑問に思ったが、音楽・ダンスの国インドではお構いなしとのこと。移動で疲れていたので、夜食を済ませてすぐに就寝した。

 

7/9,10 ビーカーネールセミナー

この地区は地元警察に繋がりを持つセーン氏が支部長を務めており、(その娘でない)女子-220アジア選抜代表のプリヤンカ・シン(現役選手)を中心に道場が回っていた。全員で80人くらいが集まり、65人くらいが子供。国が若い!その分、基本稽古ができない子も多いので、初日朝は基本稽古のみをフル解説で、2日目朝は移動稽古のみをフル解説した。多分彼らは移動稽古を知らないと思う。昼からは2日とも別のインターナショナルスクールを訪問した。学校ごとに歓迎の舞が違うのは面白い。植樹祭も経験した。その後は道場の取材対応だったり、小学生や地元警察の護身術セミナーの実施だったりと大忙し。もちろん夕方も通常の空道セミナーをしている。初日は寺口や横浜北支部のオリジナルの打撃、二日目は空道に活かす柔道・レスリング講座を実施した。時間帯を分けて解説したので、ごちゃ混ぜになっていないことを願う。

町並みがとても歴史を感じる造りなので、仕事等で長期でインドを訪れる際にビーカーネールはオススメです。(※私は隙間時間は脳が疲れて仮眠ばかり取っているので観光どころではないが…)

 

7/11 移動日(ビーカーネール→ジョドープル)

車で7時間の移動であった。私の希望で移動途中にヒンドゥー寺院へお参りした。ネズミが神様らしく、参拝者がネズミの餌を撒いており、凄い数のラットがいた。ラット自体とそのフンは臭いがキツく、参拝は裸足が義務なので、体が丈夫ではない人にはオススメできない。ただ寺院内部の装飾は歴史を感じさせる素晴らしいものだった。

また移動途中に牛・馬・羊だけでなく、ラクダや象(野生ではない)が道路を歩いており、驚かされた。

 

7/12 ジョドープルの支部長の自宅訪問と市内観光

朝7時半から公立学校を訪問し、8時から11時までセミナーを行った。前半は未経験者の体験でもあったので、パンチの基本稽古と受け身の練習。後半は経験者であったが、学校の空道部なので基本もできておらず、基本稽古と受け身のみの練習となった。

夕方からここの地区の支部長の一人であるアルナ・パテル氏(女性支部長)のご自宅に招待された。歓迎の舞があったのだが、何故か私もダンスする羽目になった。その後、巨像のある丘に案内してもらい、そこから市内が一望できた。市内の至る所で色々な音楽や演奏が聞こえた。

この日の晩でカラディ親子は息子の定期テストのために離脱した。

 

7/13 ジョドープルセミナー

土曜日にも関わらず、朝7時40分から公立学校に70~80人くらいが集まり、稽古をした。子供ばかりだったので、U13で許される投げ技を中心に教えた。

その次は通称キングスクールと呼ばれるイギリス植民地時代に白人子女が通っていた由緒正しい学校を訪問した。建物は壮大で重厚な作りであった。ここにも空道部がある縁で、副校長が学校を案内してくれた。幹部との懇談だけで、ここでは練習はなし。朝練習していた公立学校で、夕方からも練習があり、基本稽古の後にエビなどの簡単な寝技講座をして終了した。

7/14 ジョドープルセミナー

この日はホテルのホールを貸し切ってのセミナーであった。学校でのセミナーと違い、普段から空道を習っている人達(子供中心ではあるが)が集まったので、少し進んだセミナーを期待していたが、動きはグダグダであった。英語で話しても、指導員に現地語に翻訳してもらっても何も伝わらない。左右・肘膝くらい理解してもらわないと指導にならない。インドに来て初めて、少しイライラしながら指導していた。そのことを察してくれたのか、稽古終了後にメフル氏が現地の指導員を集めて、幾度の停電も関係なしで30分くらい現地語にて説教していた。

 

7/15,16 ジョドープルセミナー

この日は朝・晩を地区の常設道場で指導をし、昼間を初日インターナショナルスクールで、二日目を公立学校でトークイベントをした。インターナショナルスクールでは日本とインドの食文化の違いを考えるというテーマであった。難しかったが、インターナショナルスクールの子供は訛りが小さいので何とかなった。空道の指導は、2日間で横浜北支部式の移動稽古とミット、柔道、レスリング、柔術という4部構成で行った。

7/17,18

この日は前二日と同じスケジュールで、もう一つの常設道場を指導した。練習内容はほとんど同じなので割愛。

 

7/19 移動日(ジョドープル→ビワディ)

朝9時から飛行機含めて7時間の移動をして、ビワディのホテルで一日を終えた。

 

7/20 学校訪問→ビワディセミナー

朝から学校を訪問し、トークイベントを行った。その学校の空道部の男の子(ベジタリアン)から強くなるための食生活について聞かれた。メフル氏に助け舟を出して貰いながら、何とか回答した。

倉庫にマットを敷いたような常設道場が学校の近くにあり、広くて指導しやすかった。午前の部では基本稽古と移動稽古の指導をした。午後の部では受け身とU13,16で許されている投げ技(レスリング含む)について練習した。練度は低く少し苦戦したが、ミナリア支部長が省略されたニュアンスを付け足しながら翻訳してくれたので、形にはなった。

 

7/21 ビワディセミナー

朝・昼・夜と三部稽古であった。朝稽古は簡単な寝技技術を披露した。昼は暑さのため中止となった。晩は地区のゲストを交えてクロージングセレモニーが行われ、ゲストに基本稽古を披露するだけであった。インドではセミナーよりクロージングセレモニーを一番重んじているので、そこは日本と随分感覚が違う。クロージングセレモニーでは空道ショーのようなものがあり、映画さながらのアクションを見てインド人の身体能力の高さが伺えた。

7/22 学校訪問、移動(ビワディ→シリグリ)

朝からインターナショナルスクールを訪問し、トークイベントを行った。飛行機の時間の都合で40分ほどで退出となり、お世話になったミナリア氏とはここで、メフル氏とはデリーの空港でお別れとなった。空港から一人でのフライトとなったが、到着した空港からグジャラート州の支部長であるプリヤンクがアシスタントを務めてくれることになった。プリヤンクと現地のバルマン氏の案内で、次の目的地のシリグリに移動し、その日はホテルで過ごした。

7/23 学校訪問、現地常設道場でセレモニー

朝から英語小学校とインターナショナルスクールを訪問し、体育で空道をしている子達と基本稽古(手技のみ)を一緒に行い、その後全員に向けてスピーチをした。

夜は常設道場にて稽古はなしで、セレモニーがあり、スピーチをした。インドで初めて故東孝塾長の写真がデカデカと掲げている道場を見た気がする。

 

7/24,25 学校訪問、シリグリセミナー

ゆっくりした朝を過ごし、昼から公立学校を訪問し、スピーチをした。なかなか並ばない生徒に対し、棒を振り回して笛を吹いて整列を促しているのはなかなか面白かった(もちろん棒で体罰はしていない)。皆で基本稽古の手技を行った。皆楽しそうにしていたと思う。

夜はホテルのホールでセミナーを行った。説明付きの基本稽古、横浜北支部式のステップ・手技、空道に活かす柔道とレスリングを教えた。

翌日も同様のスケジュールで、昼からクリスチャンの私立女子高校を訪問した。スピーチと護身術セミナーをした。一番出来がよかったと思う。その後、空道部がある公立学校で部員と基本稽古セミナーをし、全員にスピーチをした。

夜は昨日と同じ所で、説明なしで基本稽古、説明付きで移動稽古、横浜北支部式の足技、空道に活かす柔術という構成になった。

7/26 移動(シリグリ→シモガ)

朝9時にホテルを出発し、昼から飛行機に乗り、そこから長距離列車に乗ると、夜の10時を過ぎていた。食事を取り、すぐに就寝した。

 

7/27 シモガセミナー

ゆっくりとした朝を過ごし、正午過ぎからオープニングセレモニーが開催され、その後に基本稽古だけを説明付きで実施した。休憩後、夕練があり、そこでは横浜北支部式のステップ・手技・回し蹴り、そして空道で活かすレスリングを伝えて終了した。

 

7/28 学校訪問&シモガセミナー

朝練では、説明なしで基本稽古、説明付きで移動稽古、受け身と空道で活かす柔道を伝えて終了した。午後の練習ではマット運動、空道で活かす柔術、ストッピングの基礎、基本稽古の横蹴り、移動稽古のローキックを試合での活かし方を解説して終了した。夜は私立の学校の女子寮と男子寮でスピーチをした。女子寮では護身術講座、男子寮では基本稽古の手技を体験してもらった。

 

7/29 学校訪問&シモガセミナー

朝から5時間かけてシャビール支部長の母校に移動し、スピーチと基本稽古の手技の体験会を行った。その後、その学校近くの大きな滝に観光で連れていってもらった。そこでの写真・映像を後日に道場の動画へ活かしているあたり広報に余念がない。

夜だけ練習があり、そこはシャビール支部長のジムで行われた。そこは豊富なウェイト機器、立派なサンドバッグ、MMA用の金網があり、とても恵まれた環境だ。15人程度で稽古した。内容は首相撲、打撃の防御(ムエタイ式)、打ち返しの講座を行った。

7/30 学校&シモガセミナー

朝から3つの学校を回ってスピーチ・基本稽古の手技の体験会を実施した。

夜はシャビール支部長のジムで柔道と変則投げの講座を行った。

 

7/31 移動日(シモガ→ゴア)

朝から車→飛行機→車で移動し、ホテルでゆっくりして、夜にレストラン行って一日が終了した。

 

8/1 ゴアセミナー

朝はゆっくりして昼練は説明付きで基本稽古、横浜北支部式のステップ・足技、空道で活かすレスリングを解説した。夕練は説明なしで基本稽古、説明ありで移動稽古、U13,16で使える投げ技、蹴りキャッチからの投げを解説した。

8/2 ゴアセミナー

8/1と同じスケジュールだった。朝練はクローズドガードについて時間を取って話し、帯取り返し・隅返しを練習して終了。夕練は受け身、空道で活かす柔術、打撃or打撃防御からの投げ、投げからの腕十字or襟絞めを解説して終了した。

靴の並びが乱れている。心の乱れなので、直すように指導すると翌日にはキチンと直っていた。

 

8/3 移動日(ゴア→オディシャ)

朝の5時半にホテルを出発して車→飛行機(乗換あり)→車移動。午後4時過ぎにホテルに到着。夕食を済ませてすぐに就寝した。セミナーはなし。

 

8/4 オディシャセミナー

2日間にわたってスポーツホールを貸し切り、朝練は例のごとく基本稽古から始まるのだが、今回の訪問先で唯一パンチを打つ時に腰と爪先が両方回転していて、伝統派空手の良くない癖が少なかったのでとても教えやすかった。横浜北支部式の移動稽古まで短い時間で教えることができた。昼はオープニングセレモニーがあり、メディア対応をしつつ空道生に対してスピーチをした。

テレビカメラの前にて支部生同士で試合をしたのだが、礼法が滅茶苦茶だった。セレモニーが終わって、テレビが帰った後に支部長・指導員・選手だけを集めて、礼法の解説をしつつ20分くらいマジ説教をした。「派手好きで面子を重んじて、セレモニー・テレビカメラが大好きなのに、そのテレビカメラの前でちゃんと礼法すらできないのか」という怒りを抑えつつ、冷静に話そうとする自分の温度感を伝えるのに、アシスタントのプリヤンクは一生懸命に翻訳してくれたと思う。

夜練は受け身、U13,16で使える投げ、打撃キャッチからの投げを中心に指導した。

8/5 オディシャセミナー&学校訪問

朝練は移動稽古と基本稽古の横蹴り・移動稽古のローキックの試合での使い方を説明し練習させて終了した。午後から公立学校を訪問した。公立学校は小学生から高校生まで約45000人が在籍し、私の歓迎のために運動部に所属する約3000人が手拍子で出迎えてくれた。なかなかの迫力だったが、スピーチは慣れているので、空気に飲まれることなく、上手くいったと思う。その学校の在校生で空道U13の国内王者の男の子がマジスパーを見せてくれたのだが、レベルは日本国内と比べるとまだまだ時間がかかりそうだなと感じさせられた。

セレモニーでは柔道ショーのようなものがあり、柔道らしさはあまり感じられないながらも、インド人の身体能力の高さを再認識させられた。

この日は夜練がなく、1日が終了した。

3000人の拍手はなかなか迫力がありました。

柔道ショーでまさかの飛び蹴り!バク宙も普通にこなす身体能力の高さは見事だった。

8/6 オディシャセミナー

朝練では説明なしで基本稽古、首相撲、ムエタイ式の打撃防御、首相撲からのテイクダウンを指導した。昼練では空道に活かすレスリング・柔道、打撃防御からの投げを指導した。夜は空道で活かす柔術を練習した後にクロージングセレモニーをして終了となった。これがインドで最後のセミナーとなった。

 

8/7~9 移動日(オディシャ→ムンバイ→ベトナム→成田)

この期間は指導はなし。ベトナムで乗換時間があったので、縁あってベトナム空道を訪問した。横浜北支部で一緒に稽古したトン君が家族の都合で戻っていたので、今回の訪問が実現した。

20分だけで飛行機に向けて出ないといけないので、指導やスピーチはなし。ストレッチとアップだけを見学。Tシャツを頂いた。

広い稽古場に13人くらいで稽古。この日はノーギデーらしく、内容はキックボクシング時々柔術って感じ。

ベトナムには9月下旬に塾長の訪問が叶うらしい。恵まれた道場なので、しっかり練習して黒帯に向けて頑張ってほしい。

 

 

 

豆知識&雑感

インドにおける空道は実に複雑で、インドにNBS(ニッポンブドウソウゴウ)という伝統派空手に柔道の技術を足した団体があり、そこのトップであるメフル氏(剛柔流空手8段、大道塾空道5段)が正式に東孝塾長から承認を得て、インド空道を名乗っている。故に稽古体系は剛柔流空手や松濤館空手のままであることが多い。突きや蹴りで体を回転させるという発想がなく、基本稽古や移動稽古を教えることが大変であった。本部には基本稽古と移動稽古の英語字幕付きの正式な動画がyoutube等で見ることができるようになることを期待したい。ちゃんとした空道を教える人がいない。多分この問題はインドだけではないと思う。しかし本部も少人数で巨大組織を動かしており、マンパワーが足りないことは理解しているので、これは大変なタスクであると思う。また空道未加盟国でその動画を見てモグリで空道を名乗って道場を始める輩が発生する危険もあるが、是非ご検討願いたい。

 

インドではそのNBSの体系で黒帯を取得した者の中から現地支部長の推薦を得て、メフル氏の前で審査を受けて、大道塾空道の初段を取得するようだ(合格率は1/4くらい)。インド空道には大道塾の色帯が存在しないので、国際大会で奇妙な色帯が見られるのはそのためである。私寺口から見て選手の中で大道塾空道の初段を締めている人間は、確かに他の人間より動きにキレがあった。

 

日本とインドで最も違っていたのは、平等性社会と階層性社会である。インドでは支部長クラスは基本的に椅子から動かない。休憩所や食事も特別に囲われた場所で行うことが多い。雇われコーチが精力的に動いて指導していた。今回の遠征でインド各地のコーチをしっかり指導できたので、それは良かったと思う。インドは階層社会の色が強いので、武道の礼節との相性は良いように感じた。この国ではMMAと空道がしっかりと色分けできると確信した。

 

最後に今回の遠征は私一人の力では到底実現できないものでした。長田塾長、高橋首席師範、小松先輩をはじめとする本部の方々、インド空道の代表のメフル氏、ラジャスタン州空道のトップのミナリア氏、スラト支部長のヴィスピン・カラディ氏、グジャラート州空道のトップのプリヤンク、他現地支部長の皆様への感謝を綴り、このレポートを締めさせて頂きます、押忍。