コラム15 2011年年頭挨拶「みんなの力で日本再生元年に!」

「昨年末に書き掛けたのだが、例によっての(はみ出し・道草)人生だから今日になってしまった 謝」

日本衰退(滅亡)論

このところ日本の衰退が国内外のマスコミを通じて喧伝されて久しい。(私もそのお先棒を担いでいる一人だが笑)約10年ほど前に隣の国の偉い人が「日本なんてあと10(20?)年もすればなくなるよ」という恐ろしいことを言ってるし、極秘計画では日本の東半分が(内モンゴルやチベットみたいな)日本自治区で、西半分は東海省となるのだそうだ。

中国の偉いさん
日本解放第二期工作要綱
※米太平洋軍総司令官のティム・キーティング氏の発言:2007年5月に中国を訪問した際に、中国側から太平洋を東西分割して協力体制を持つのもどうかと言われたと7月の記者会見で冗談混じりに話していた。
2050極東マップ

政治・経済・国防の行方は?

いたずらに不安感を煽る“狼爺ィ”になる気はないのだが・・・・。実際、どこを向いているかわからないような政治の混乱。止まるところを知らない円高。票欲しさの収支を無視した“バラマキ政策”による1000兆円なんなんとする国債発行残高。“外国人参政権”等という狂気の沙汰としか思えない政策。人件費の安い海外への工場移転などによる国内産業の空洞化。経済成長率やGDPの下落等などの国内外経済の停滞。尖閣、竹島、北方領土などなど蚕食され続ける国土・・・・等など。「右を向いても左を見ても」じゃない、国内を見ても海外を見ても日本の発展どころか、現在の位置を維持するだけにしても、良い材料はどこにもないように見える。ここいら辺で日本も踏ん張らないと、本当にお隣さんの言う通りになるかもしれない。

一人ひとりが頑張るしかない!

一体我々はどうすればいいのか?と風呂敷を広げてみても、浮世離れした生活をしている愚生になど良い案が出てくるはずもない 泣。「みんなで力を合わせて頑張ろう」くらいの単純な事しか言えない 泣&謝。しかし、しかし、だがそうなのだ。それしかないのだ。敗戦から立ち上がった現在70歳80歳の先人に倣って、みんな一人ひとりが「今自分が取り組んでいる“それぞれの分野で”頑張る」しかないのだ!!必死になって人一倍、いや人二倍三倍頑張れば必ず自分の能力は向上するし道は開ける。他人の悪口批判はひとまず脇に置いて、まず自分の頭の上のハエを追え!だ。

何でも簡単に覚える、身につけることができるGift(天与の才能)を持っている人間に腹は立つ、「何であんな奴が俺より・・なんだ!!」と。しか、自分がそうでないなら、それを嘆いたところで何とかなるわけじゃない。ただの時間の無駄である笑。それならば、潔く(?)考えを切り変えなければならない。

時間の効用

そうなんだ。何度も言ってるが、何の分野でも凡人が他人より抜きんでるには「人より多くの時間をかける」しかないんだ。かと言って額面通りに人の2倍3倍なんて考えると億劫になる。取り敢えず、1.5倍でも人並よりは確実に違ってくる。逆に「短時間で効率よく何々をマスターする」とか、「無駄を省いて効果的な方法がある」などという本や雑誌の情報は溢れているが、そんな個性も能力も違う他人の成功例を読む暇があったなら、まず“行動”だ。闇雲でもいい、人より多くの時間を掛けて一つのことに取り組めば、普通に生きている他人の見えないものが見えてくる。その中で自然と自分に合った効率的な方法も身に付いてくる。「まず行動ありき」なんだ。

情報氾濫の中で

しかし、今の時代はいろんな情報が溢れすぎで一つのことに集中することが本当に難しい時代だ。新聞やテレビ、雑誌の情報を見たなら皆見たい知りたいものばかりで、一つの事の絶対的な知識を得ようと思っても別な情報が気になって仕方がない。また、いろんな情報に触れれば触れるほど真っ向から反対のものも沢山あるから、どれを選んでいいか分からなくなる。

そうなると、いろんなことは中途半端に知っているが確信が持てないから、結論が出せない。従って何事も熱く取り組む気がしなくなり、遠くから第三者的に物事を(斜めに)見たり、冷笑すること(熱くならないこと)が格好いいような気分、風潮が蔓延する。かくして、多くの人間は中途半端な評論家になり色んな事を浅く広く見て“したり顔”で、行動し発信する主体となる人間にケチを付ける。

「行蔵は我に存す~」

こういう人間は一生懸命物事に取り組む人間に取って一番厄介だ。自分では何も生産しない癖に人の向上心に水をかける。しかし、そんな奴は気にするな、放っておけ。そんな時は、昨年のNHKドラマにも出ていた幕末の偉人、勝海舟が言った格好いい言葉を思い出せ。『行蔵(こうぞう)は我に存す、毀誉は他人の主張、我に与(あずか)らず、我に関せずと存候』と。即ち「出処進退(自分の進む道と解釈しても良いだろう)は自分で決める事だ。誉(ほ)める、貶(けな)すは他人のする事だ。俺には関係ねー」と。

集中する難しさ

かく言う私も元々は何でも知りたがる“野次馬根性”の人間だから、空手に狂って一日5~8時間の練習時間を確保するために、練習と睡眠(と酒 笑)、気分転換の二番上映館 (池袋「名画座」、飯田橋「佳作座」、早稲田松竹)巡り以外、数年間「小説どころか、テレビを見ない、新聞も読まない」という日々が続いた時は心底、不安で一杯だった。「常識的な情報も知らないで果たして俺は時代に遅れていないのだろうか??」、「同級生は就職だ結婚だと言っているのに毎日毎日汗を流すだけの生活で果たして俺に未来はあるのか?」、「俺は浦島太郎になるんじゃないのか?」と。(その上、親からも「いつまで空手なんて夢を追っているんだ!!さっさと、就職しろ!」と“せっつかれた”し・・・)

しかしその一方、「何一つ自分に自信が持てない人間が社会人になって周りと一緒に行動(流され?)したからと言って、時代について行っているとは言えないはずだ。俺なりに考えてこの道を選んだんだから今はこの道に集中することだ!!」と、何度も何度も自分に言い聞かせ(て、最後は開き直っ)たものだった 爆。

「どこまでも“真理”を追求し間違いのない道のみを歩もう」と学者の道を極めるのも(頭の良い人間には)良いが、そうでないなら(笑)、ある程度自分で考えて決めたことに、とりあえず夢中になって取り組んで、過ちに気がついたならそれから修正すれば良いじゃないか?人生は何も一本道じゃない。そう考えるから窮屈になりみんなとチョッと違った道を歩むと不安になり、チョット失敗すると俺はもうだめだ!!となる。第一、そんなに物事の先が正確に読める人間が世の中に溢れているなら、世の中はもっともっと一直線に発展していたんじゃないのか?

俺の場合

閑話休題(はみ出し休止) 私の場合は政治家、冒険家、教育者、文筆家、(ヤクザ笑)などなど色んな道や夢があったが、10年近い“浮遊”ののちに(笑)、ある時一人になって、現実に実現可能な道を考えてみたならそう多くは残っていなかった。そこで教職課程も取っていたし勧めてくれる先生もいたから『高校の先生にでもなれたなら柔道を教え好きな本を一杯読みながらのんびり生きるか』が一つの道だった。

所が、それすらも仕事と空手と夜学で中途半端な勉強しかしてなかったから「果たして俺はチャンとしたことが教えられるのか?」という不安もあった。そこで「もっと本格的に勉強をしたい。それなら海外の大学に入るしかない。しかしそんな金はどこにもない。それなら自分が持っている乏しい能力の中でも多少他人よりはましだと思える運動能力を生かして実現するしかないだろう」

退路を断つ

という訳で、「よし!(当時の所属団体の機関誌に載っていた)“空手海外指導員” しかない!!」と“はみ出した”結論に達し、退路を自分から絶ってしまった。しかしだからこそ、それまで何事にも興味を持つが全てが中途半端だった私でも、「ここで結果を残せなかったなら、何の為にこんな回り道をしたか分からない」という想いから、死に物狂いで練習に集中でき、それなりの結果を出せたのだと思う。

こんな、死に物狂いで、練習をした時代があり、幾分かは人の見てない地平や時空を経験することができたからこそ、今“そこそこには”人前で偉そうに講釈したり、範を垂れたりして何とか飯も食えている。高校時代の“青雲の志”とはずいぶん離れた“職人”の世界ではあるが、こういう判断しかねる物事が次々と毎日起きてくる時代、様々な体験を重ねてきたからこそ、人より少しは確信のある、広い見方が出来るといいうことは、悪くない人生なんじゃないか?

目標設定と集中

繰り返すが、人生のどっかで「俺は何で世の中を渡って行くんだ?」と自問自答する時が必要だ。そして「ここが俺の分かれ道だな」と結論したなら、思い切って退路を断つくらいの気持ちで、他の事は暫く忘れて一つのことに集中することだ。そうすれば必ず人の見てない世界、地平が見える。

改めて、日本って国は?

先日「マラソン世界一周」を達成した間寛平氏が「日本が素晴らしい国だという事が分かった」と言っていた。口はばったい事を言わせてもらえば、私もこの仕事のお陰で7~80ヶ国前後を訪れていると思うが、全く同感である。まだ色々海外に学ぶこと、改善しなければならない事も多々あるが、いつも、どこの国へ行っても、“総合的に見て”日本という国は既に世界でも1,2番を争うほどに素晴らしい国だ!(見てない国とは比較できないが 笑)本当に海外に出る度に、日本に生まれた事に感謝する。日本人は日本に大きな誇りと自信を持って良い。そして感謝と。

高転び(※)したこの20年間の日本

日本は戦後の国民総懺悔的な教育、社会風潮の中で、だからこそと「経済第一主義」の国家運営をした。その内「ジャパン・アズNo1」(1980年) とまで称賛されたが、その「経済第一主義」が1980年代後半からの「日本経済脅威論」を招き、1985年「ドル安・円高」のプラザ合意を機に、(一時はバブル景気を謳歌しアメリカの象徴とまで言えるロックフェラーセンターを買収までしたが)円高により生命線と言うべき輸出の不振を招き経済も失速した(バブル崩壊)。「経済第一主義」の国家運営だったから、頼みの綱の経済が失速した事で、思想や文化を後回しにして育ってきた世代が大勢を占める現代日本は、思想文化歴史といった分野での(基礎)知識や蓄積で後れを取っており、世界から舐められっぱなし、言われっぱなしである。

※高転び:戦国時代、禅僧で武将でもあった安国寺恵瓊が、「信長の時代はあと3年か5年は続くだろうが、その後『高ころびに、あおのけに、ころばれ候ずると云々』と言ったのが原典。「調子に乗って浮かれて油断している所を足下をすくわれて真っ逆さまに転落するだろう」という意味。

日本再生“元年”だ!

しかし、当然どこにでもある欠点の“何十倍”もの素晴らしい長所がある、こんな立派な国を作った、こんな優秀な民族が、このままおかしくなるはずがない。日本人は島国で周りを海に囲まれて謂わば“純粋培養”されており、世界の中でもかなり人が良過ぎるから、チョッと浮かれて油断しただけだ。虚心に現在の地盤沈下を認めて、もう一度日本人としての自信と誇りを基に、一人ひとりが本気になって自分の持ち場を守り発展させることを心掛ければ、滅びるどころか日本は益々素晴らしい国になるはずだ。滅びるどころか、期待に反して“人類の理想郷”、“地上の天国”にもなれる国なんだ、日本は。

冗談半分で言えば「それはそれで憧れから日本に殺到されても怖い」位だ 爆。

文書日付2010.1.13