25日(現地時間)コロンビアのカリ市に到着。26日から1月2日まで、コロンビアのカリ市に来年のワールドゲームズの打ち合わせ+セミナー(何と5日間に10回!!)で滞在する。これだけ言うと「良いですね~年末年始は海外ですかぁ~、素晴らしい!!」とか(乗継の為なんだが)「カウントダウンはマイアミ!!へ~羨ましい」などと言われることが多いが・・・・。
そんなことが契機になって、今までの「年越し」が妙に気になり振り返ってみた。
19歳で家を出るまでは、私(我が家)の年越しは、風呂上がりに新しい着物(下着や和・洋服など)を貰って、中間(なかま)といわれる炬燵もない寒い部屋にオバンツァン(祖母)を筆頭に一家全員(11~14人!!兄が2人に姉が4人の7人兄弟)が揃って、親父の「今年もみんな怪我もなく一家無事っで良かった云々」と言う言葉を聞きながら、「年越し膳」(ナメタ鰈(かれい)の煮ものと、卵、長ネギ、山で採れる松茸が入った醤油汁等)などを食べるのが習わしだった。
(参考)宮城の年越し膳 http://matsusaka-cs.jugem.jp/?eid=316
19歳で一人暮らしを始めても大晦日というと必ず実家に帰って一家揃っての「年越し」をした(いつの頃からだろうか、大晦日の夕方から晩御飯(年越し膳)にかけては部屋に引きこもり「今年を振り返り来年に期す」みたいな日誌を書くようになったのは)。さすがに20歳を過ぎてからは(オバンツァンはとっくに亡くなってたし)二男や姉達も嫁いで自分の家庭で年越しをするようになって、実家の家族が減ってからはそういう賑わいはなくなったが、それでも自分で結婚して数年までは、家族で帰省して同じような行事には参加して「年越し」を過ごした。
そのうち正哲(まさあき)が小児喘息だということで(また住まいを仙台から東京に移したこともあって)、帰省して天井の高い(寒い)実家に泊まる度に(電気ストーブをつけて貰っても)風邪をひいたりするようになってからは、次第に年越しや正月の帰省は遠のいて行き、代わりに家族4人での「年越し」をするようになった。
初めは親父の真似をして自分で「今年も云々」などと言っていたのだが、戦後の“民主教育”を受けた団塊の世代の誰でもそうだったろうが、どうも自分が子供として見上げていた家父長制時代の親父の貫録には到底及ばない気がして、何となく照れ臭くてしょうがなかった。
それでもそれからの約20年は常に家族4人で揃っての「年越し」で、ましてや正哲の誕生日が12月30日ということで、カラオケやいろんなゲームをしたりして、それにも増して楽しいものだった(当人は「プレゼントが一緒にされるから面白くない」などと贅沢を言ってたが)。実家と同じようにしようと、一時は無理やり百人一首やトランプをひっぱり出してきて顰蹙(?)を買ったりしたこともあった(笑)。それでもお酒の好きな人と結婚したお陰で(優しい表現だ 笑)、大体7時ころからの「年越し」は、始めはビールで始まるが次第にウィスキーから日本酒になる12時近くには眠くなるのだが、ある番組だけはしっかり見てから床に入ったものだ。
焦らし過ぎだが、またこんなことを言うと爺臭いかもしれないが、そのある番組とはNHKの「ゆく年くる年」である笑。特に意識して見るようになったのは、「明日はどうなるんだろうな~?」という日々を過ごした大道塾設立前後からだろうか。酒を飲みながらNHKの「ゆく年くる年」を炬燵で見つつ「あー今年もあんな事こんな事、いろんな事があったが、どうにかこなしたな~」と、何とか飯を食えたことに感謝しつつしんみり過ごし、アドレナリンを静めて行く。そして、正月の松の内にかけて「よ~し、しょうがない始まってしまった。今年はこういう年にしたいものだな~」等と徐々に静めておいたアドレナリンを再度分泌させつつ(笑)、新しい年に望む腹積もりを固めるのが恒例なのだ。
これは本当に今まで一度しか外したことのない“我が家の行事”である(※)。これがないとなんか正式に年を越した気がしないし、チャンとした年を迎えられないような気がする。(チョッと大袈裟だが)いつもの雑な“俺”ではない笑、私の一年で一番の貴重な時間と日々である。
ま、大相塾設立以来32年間、空道創始12年間、もがき続けてきてようやく念願の「公的スポーツ」への脱皮の端緒に辿り着いたことを思えば、そんな個人的な 感傷に浸ってるときではないのは十二分に分かっているのだが・・・・。実際、ここ1~2年は本当に設立以来の重要な年月(としつき)になるだろうから、逆に 年末年始から助走をつけて前進しなければ、天罰が当たるというものだろう。年末に働いている人は私だけじゃあるまいし・・・・。
※ある年一度だけ海外で年越しをしたことがある(続く 笑)
左 エドワルド・カイセド コロンビア支部長
中央 ロルダン カリ市スポーツ局長
右 ルイス・エチェベリ氏(WG2013 Caliのディレクター)
文書日付2012.12.29