なんせ1日20~30通のメールが国内外からきて、それがどれもこれも簡単な話じゃなく、面倒な問題や考えて返事するようなものばっかりだから、メールに返事するだけで1日の仕事が終わってしまう。そんな状況で、返事してやりたかったんだが、つい遅くなってしまった。
今年(2016年)の6月6日 (16:29笑)に、お前から支部長としての初めてのメールが入った時も、(情報共有の為にinfo@daidojuku.comは5階の事務局の人間はみんな見れる)他のメールを読みながらだし、単なる事務的なものだったから流し読みしただけだったが、嬉しい気分で、やり掛けの仕事を続けたものだった。
寮生の記録を見ると、お前が入寮したのは第6期で、(現在は36期!!俺もジジイになるはずだ笑) 1985年(昭和60年)となってるから、総本部が仙台から東京に移る前の年だな。あの頃は、「突き・蹴り・投げの大道塾」という理念が当たって、いろんな雑誌、テレビなどが「大道塾特集」を組んで、全国の道場で生徒が増える一方だった。
が、一方で、震源(?)の東京支部(当時は新宿区弁天町)は、「指導員が生徒を動くサンドバッグ代わりに、練習台にして次々と辞めさせてる」等という投書があったりして「俺は仙台を終の棲家と思っていたんだが、より人口の多い、ますます発展するであろう、関東や、今後の全国展開を考えると、仙台にいては監督できないのかな~」と上京を思案し始めてた頃だった。何かと慌ただしくて、余りお前たちの面倒を見られなかったと思う。
そんなこんなもあってか、卒寮後に、お前が一般企業に勤めてからは、たまに試合を見には来てたが、道場からは足が遠のいて、チョッと寂しかったものだった。とは言え、「社会体育」を唱えている俺としては、それも当然あって然るべき姿だと思ってたから、武道とは別な道を歩んでいる他の卒寮生同様、「寮で経験したあれこれを生かして“一隅を照らす”一丁前の社会人になってくれれば良いな」とも思っていた。
それが、2,3年前から、寮生後輩の所(▲▲支部)で汗を流してると聞いて「やっとアイツも社会人として安定し“ルーツ”というか、自分の青春の“故郷”に戻る気分になれたんだな」と、喜んだものだった。そのうち、「子供にもやらせたいので、支部なり同好会をしたい」となった時には「スポーツでも仕事でも、自分の汗している姿を見せながら子どもを育てる、というのは理想的な子育ての姿だ」と思ってるから、心から良かったと思った。
大道塾も設立以来36年も経ったということで、当時18,19歳のから20,23歳くらいまでの“若ケーモン”だった寮生も、子供が習い事をするような年になり、各地の支部、同好会に入門して来ていて、昔の彼らを知ってる俺としては微笑ましくもあるから、無責任に「親の仇を~か」か?とか、「(大道組)代理戦争だな?」などと笑って“孫たち”の戦いを見てる。
今まで多くの「弟子とその子供」の関係を見てきた俺としては、その子供が「空道をしたい」といった時の“むず痒いような悦び”は身をもって分かる。また、同じ“業界用語”(笑)を使う時の“一体感”は、他では味わえないものだから、子供とのコミュニケーションも取れやすいので、なおさら親子関係は深くなる。しかし、それ故に、 “のめり過ぎる”場合も往々にしてあるから要注意だ。
子供も初めは「道場では“先生”である自分の父親」に色んなことを、直接、教わる “特権(?)”を感じ嬉しいし、当然、伸びも早いので空道が面白くて仕方がない。しかし、その父親の期待があまりに大きかったり、親の理想を押し付けられ、箸の上げ下げまで指示されるような感じになると、徐々に重荷になる。ましてや、(これはどの“業界”でも同じだろうが)その親が他に抜きんでる戦績などを残していると、当然、周りもある種の期待をするし、往々にして親も「なんでこんな(そんな)ことができないんだ!!」ともなりがちだから、子供は始めた時の楽しさが、今度は一転して、苦痛になってくる。
親としてはそういう気はなくても、「子供は自分自身」だから、無条件に可愛いがゆえにそうなるのだが、逆に子供にはそれが重荷になり、次に、練習や試合が嫌になり、遂には、ある程度の時点で“辞めて”しまう。そして、大概、子供の頃に集中してやった子供が、あるキッカケで“辞めて”しまった子供は、その後よほどの“何か”がない限り、まずこの世界には戻らない。空道≒苦痛というトラウマが染みついてしまうからだ。
ま、それはそれで、その子にとっての良い“挫折”の経験なのだが(実際にそれをバネに別の分野へのジャンピングボードにしている子供もいる)親としては「もっと続けてほしかったな~」と後悔したり、一時的にしろ「なんで辞めたんだ!!」との “親子の断絶”が生まれる場合もある。
だから、それを避けるには、子供がある程度覚えてからは「聞いてきたなら教えてやる」というくらいが一番良いのだと思う。親子の関係は千差万別だから、親の指導に素直に従ってる(ように見える?笑)場合もあるので、その辺のサジ加減は、一概には言えないが一応、気に留めておいてもらいたいものだ。
閑話休題(本題に戻る)。「Welcome Home !」とは言っても、少子化の上にスポーツ人口が減り、その少ないスポーツ人口も、“映像の世紀”である今の時代を反映して、テレビに映るとか、多くの人の目を引く派手な競技や、世知辛い世相を反映して、金になる競技に傾き勝ちで、昨今、同好会なり、支部なりが軌道に乗るのは短くて1,2年長ければ数年かかると思っていた方が良い。
しかし、何年かして自分が育てた(とまでは言わなくても成長する手助けをした)、と思える人間が目の前に現れて「先生や大道塾のお蔭で、現在の自分があります」とか「社会に出て、苦しい、辛いことに出会った時でも、道場での練習に比べたなら、何でもなく感じられました」などと言われた時の喜びは、本当に「“銭金”には代えられない“至福の瞬間”」だぞ!!(この年になると年に数回はある笑)。
先日、あるテレビで、東大法学部を出た秀才が、(ジックリ見てないので、理由は見てないが)東南アジアのある国に渡り、何かのキッカケでその国のごみ処理システムだかを作る仕事にハマり(?)、悪戦苦闘しつつも「ここでは私の肩書は何の意味もありません。この仕事を成功させ、地域の人たちに何らかの貢献ができた時に、私の価値は決まるのです」と言っていたが、その通りだと思う。
生き抜くのが大変なこの時代、社会人として一家を構え、子供を育てて、安定した一生を送ることも勿論、大変だし、十分に価値ある生き方だが、「人の一生の価値は、社会に何かを還元できたかによって決まる」と思える人間なら、俺たちのやってる仕事は、地味だが、その人間の「心身の骨格」を作り上げ、「国や社会(共同体) の将来を支える人物を育ててるんだ」という変な“クスグリ”に似た嬉しさが湧いてこないか??
ましてはその“社会”が、直接自分が育てて貰った、自分が現在も住む共同体なら、なお遣り甲斐があるんじゃないか??自分が好きで殴る蹴るの世界 (そして、そのあとの「細胞に染み入るようなビールの美味さ笑」を知る!)に入り、自分の楽しみの為(?)だったが、引いては誰かの力になるなんて、望外の武道冥利じゃないか??今後の道場の発展を期待し、Bon Voyage !!
————–【返信】————– 先生 押忍。ご連絡ありがとうございます。自分は13年間留守にしてまして、戻った時には、今更何しに来た!と言われても仕方がないと思っていましたが、先生、奥様はじめ、先輩、後輩、暖かく迎えていただき本当に感謝しております。社会に出てると当然、理不尽なことも多々ありますが、心の支えになったのは、「俺は内弟子出身なんだ!」という思いでした。先生が書いておられるように、ルーツというか故郷というか、自分の居場所に気付く事に長い時間が掛かりましたが、でもこの歳になって気付けて良かったと思ってます。自分が入門した頃には、想像もできなかった世界の大道塾に成長し、そのチームの一員として、未熟ながら、参加できることが嬉しいです。まず錆び付いた自分の身体をしっかり鍛え直すことが先決ですが・・。これからも、ご指導、ご鞭撻のほどよろしくお願いします。
文書日付2016.7.8