コラム31 塾長、40年ぶりに基本、移動を撮る

塾長が今年2020年になって1月の支部長審査で号令を掛けながら自らも動いている映像https://www.youtube.com/watch?v=SSnLAf0kPBk は周知のことと思いますが、その後はコロナ騒動などもあり70歳を過ぎた塾長ですので、慎重策を取り、集団稽古を避け塾生の来ない午前中(週3回2.5~3時間)を主体として個人稽古を継続しております。


塾長としては「自分の練習のみに没頭できるから体調は極めて良い(笑)」という事で、ここ数年考えていた懸案に取り組むことにしました。

というのは「最近、審査をして、大道塾設立当時から比べると、基本や移動のできない昇段審査受験者が大分増えてきている、と度々感じており、その度に修正しているが、全国にまでは届かない。そこで、もう一度基本や移動などの土台部分の映像での指導が全国的に必要だと感じていた」という事でした。(因みに、昨年の年末の関東合同審査でも、23人中、なんと三分の一の8名の受験者が基本移動とその説明が酷いという事で再審査となりました。)

*******「以下塾長談」*********************************

今まで何度も説いているのだが“強さへ至るルート”は様々にある。

まず大きく言えば剣道やフェンシングなど武器を使う競技か使わない競技かで二つに分かれるが、我々のやっているのは、いわば徒手格闘技・武道なので、武器を使わないルートに限って考えてみる。

が、ここでも大きく4つに分かれる。打撃系ルート、組技系ルート、寝技系ルート、それらを組み合わせた総合系ルート。

更にそれぞれのルート内部での団体や流派を考えると“強さへのルート”は無数と言っていい。

何れにしろ、それぞれのルート、団体の一つに属して修行する以上、他団体、他競技の良い所は適宜検討、修正、変化させていくにせよ、それが組織的に決定されないうちに、指導者個人の経験から勝手に支部や道場で基本や移動と言った土台部分が異なって代々伝わっていっては何年か後には大きな隔たりが出来てしまう。大きな問題である。

これは技術の伝承で必ず起きる現象、所謂”守破離“という技術論とは違う問題であり、指導者個々人の工夫変更を、土台の部分で許していては同じ組織団体を維持することは出来ないという組織論の問題だからだ。

現代テクノロジーでの素材が開発されるまで、実際に素面素手での攻防練習は出来なかった打撃系競技の場合、早い時期に統一したルール(=統一した団体)を構築できなかった為に、無数の考え方での練習法に加え、多くの天才、奇才、大天狗小天狗が創出した無数の団体流派が現出し「我こそは最高、一番!」と、共通での評価基準を持たないで唯我独尊を唱えて漂流して来たのが歴史である。

またこれを社会的現象と考えた場合、「共同体を維持する上で大切な、決まりだとか伝統だ協調だなどはどうでも良い。要は自分だけの成果が上がれば(=強ければ)良い」んだという、言わば社会の決め事を守れない、守らない”アウトロー” を養成して社会に送り出すことになってしまうからだ。

そういう意味で、同じ団体なら、基本や移動稽古での動作については共通の動きが要求されるのだ。

例えば、空道でありながらフルコン的な基本であったり、空道でありながら伝統空手的な前屈立ち主体の移動稽古、空道でありながら腰高なキックやムエタイ的な蹴りや構えであっては、会員同士の一体感にも関わって来るし、支部間での交流もギクシャクしたものになり、一番は新しく会員になる入門生はどれを真似たなら良いか途方に暮れるだろう。

勿論、基本の上にある応用=組手となると、大きくはその個人の個性(身長、体重、運動神経、スロースターター、攻撃型、強気、弱気等々)に組み立てられる為、逆に同一の型に嵌めようとすると、“角を矯めて牛を殺す”事になりかねないので、(※)ある程度は自由な構え、パンチ、蹴り、攻撃方法になることは許されるだろう。

※よく「あの選手は先生にそっくりな動きをするね~」などと言って悦にいっている師弟の場合、よほど個性(上記)が合わない場合、師を超えることはないものである。

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そのような理由で、空道連盟の基本、移動の土台の共通性は必ず維持されなければなりません。

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そこで、大道塾、空道創始者である塾長は、「基本を作った40年前に比べれば当然筋力も柔軟性も衰えており、技術のスピードや精度も格段に落ちては来てるが、まだそれなりに体の動く今のうちに何としても言葉と動作でもう一度、大事な点を強調し後世に残るものを撮影しておかなければ」とここ数年思っていたようです。

とは言いながらも、「世界60数か国に広がった大道塾、空道連盟からは、組織人として毎日、山のような難問珍問愚問(失礼笑)が来るので、中々時間が取れず、じれったい思いをしていたが、今回のコロナ騒動で、思いも掛けない時間ができた」という事のようです。

現在、第1回目では今回の企画の最も重要な部分、基本と移動を撮りました。

「極力、間をあけずに次の段階へ進めるつもり」ですが、道場が再開した6月からはまた組織人としての机の仕事が押し寄せてきており、中々、計画通りにはいかない恐れがあります。

しかし、「その合間を縫って順次、時間の許す限り①投げ技や②寝技や③組手(※1)と④定法(※2)と言うように進めて行きたいと思う」との計画のようです。

これらの③※1に関しては一人一流儀というほどに多種多様な技術や試合スタイルの拡がりが有り、全部を網羅することは出来ません。塾長が現役時使った技を土台に、現役を退いた31歳からの組織人としての多忙な日常業務の合間を練って、それらと融合し創造した大道塾、空道らしい技に限定されますが、「武道家、東 孝の集大成として解説、演武する」との事です。

④※2の定法ですが、空道家(空道人) にとって60歳を超すと永年の修行の“成果(笑)”として体の節々やパーツに損傷が蓄積し、若い頃と同じような動きは不可能になります。

そこで取る方法の一つがコーチ業です。これも中々に奥の深いものがあり、先行したボクシングなどでは多くの伝説のコーチが記憶されます。

一方、しかし、やはり自ら体を動かしたいという人にあるのが、まず、いわゆる“型”の修行です。これは伝統派空手の先人が残した奥深いもので、それをフルコン流にアレンジしたりして、愛好者は多数います。

型には賛否両論はありまりますが、生涯スポーツ(武道、修行)という意味では大きな存在意義があります。(※)(とは言っても、空道を通じて汗をかいてきた多くの空道修行者には、基本立ちが三戦(さんちん)であったり、縦横への移動が前屈立ちであったりと、習得は難しいでしょう。

http://daidojuku.com/jp/2017/07/07/05-2/ コラム05 型には二つの意味がある。一つは“技術の伝承”もう一つは“体育教育”

その空道家(人)の為に生まれたのが、基本の構えが、それまでの“組み手立ち”で行え、それまでの修行で得た膨大な技術の蓄積を後進に伝えながら自分も体を動かせる“定法”です。

今までの膨大な北斗旗の戦いの中で実際に使われた技や攻防をパターン化した”定法”は、攻防を反復動作することで、中高年の修行者にとっては適度な運動量とともに、それを後進に伝えることでの指導力やコミュニケーションも生まれてくるはずです。

これこそが “生涯スポーツ(武道)”を標榜する空道、大道塾を学んできた塾生の、

武道人生の最終章として是非取り組んでみて欲しいものです。