“格闘空手家”東孝と大道塾 ⑤ 空手に失望、人間に失望。しかしライバルが現われる

アメリカは私の人生を大きく変えた。夢と希望に満ちていたアメリカが失意と絶望のアメリカに変わり、しかし皮肉なことにそれ故に私は空手という庚なし沼に引きずり込まれて行く事になるのである。

未知の国、アメリカ、憧れていたアメリカの地を踏んだ私は、たとえその手段が空手修業であったとしても、その喜びは小さくなかった。だが、私はアメリカに着くや否や早々にして絶望感を味わったのだ。
「 東 、なんでお前なんかが来たんだ。極真会ではお前など必要ない。帰るんだな!」
アメリカの指道員である某大先輩の言葉だが、私にとってその言葉は大きなショックだった。
その先輩には、以前から快く思われていないのは知っていた。これも人間の一つの出会いの形だと、私は自分を納得させてはいたものの、その人に会うまでも計画と現実の差に気付き始めていた私にとって、その一言葉を聞いた時は百年の夢もいっぺんで醒めてしまった。

馬鹿馬鹿しい、もうやめた!こうなったら滞米の意味はない。早く日本に帰ろうと思った。そして、ここで日本に帰っていたなら今日、私は空手をしていなかったに違いない。

しかし、幸か不幸か、この3ヵ月のアメリカ滞在では、もう一つ、大きな出来事があった。ある日、稽古の最後に私は二宮城光君(芦原会館USA本部師範)と組手をやらされた。彼は1年前の大会でベスト8に入り18歳でアメリカに渡ったという筋金入りである。性格も朴訥として人柄がよく、 また空手についても天性の物を持っており、まさしく空手エリートといってもよい風貌を兼ね備えていた。

だが組手になれば別だ。絶対負けるか!と気持ちを張った時、佐藤勝昭先輩に、「東、今年は世界大会だ。お前はローキックしかないんだからスネなど蹴って日本人同士怪我させるなよ」といわれた。急に拍子抜けして私は二宮君に対した。又、空手の選手としてまだ2年目という立場もあって、空手での勝負をそれ程重いものとは考えていなかった。どうしたものかと思っているうちに向こうはガンガン来た。都合3回、顔面に回し蹴りをもらった。さすがに頭に血が昇った私は後半から夢中で下段を蹴っていった。手応えはあった。とその時「止め!」の一声である。ぞれが後にこういう言葉として私の身に突き刺さった。
「お前は二宮に負けた」 と。
冗談じゃない。先の某大先輩の言葉で失望していたものが、今度はこの言葉でまた大きく変化した。

「ケジメをつけるまで止められない 」

この一言が私の人生を決めたようなものだった。