特別座談会 俺たちは、トーナメント荒らし ②

東京にはこんなにいっぱいの空手の大会があるんでびっくりしました

――ちなみに、皆さんの名乗る流派と、現在の練習についてもう少し詳しく聞かせて下さい。

鍋島 永心流は正確には永心連盟雄体空手体術と一言一って、6、7年前に僕や小田昭典さんといっしょに作った芸大のクラブが母体です。現在は、大学とは別に、週一度、仲間と自分の練習をしてます。一回の練習時間は3時間くらい、練習の内容はほとんど空手じゃないですね。倉さんという先生に斗争格闘術や関節技を、永野師範に、タイ式ボクシング、ボクシングなどの技術を学び、その他はヘッドギアに指の出るグローブをつけてのスパーリングが中心ですね。

中畑 自分の闘心流は、自分一人しかいないんですよ(笑)試合に出るとき、書類に流派名を書く所があるんですが、ファイティングスピリッツを持つという意味で名付けたんです。練習は、自分が勤める高校の空手愛好会で、高校生と一緒にやるのが中心です。高空連ルールですので寸止めですね。あとは、毎日早く学校へ行って、トレーニング室でウエイトトレーニングとサンドバッグですね。投げの練習は、たまに生徒を相手に首投げをやるくらいです。
 こういっちゃ御幣があるかもしれませんが、自分の場合は、練習相手がいないから、試合が練習みたいなもんなんです。そこで感覚を養っていかないと……。

平岡 私の日神会は、組織的には日本心霊研究会という宗教法人の体育部の中の空手部なんです。ですから生徒は、そこの職員の人たちで、40歳から上は65歳まで。しかし、50歳の女性の方でもすごいですよ。自分の意識がなくなり、ブツ倒れるまで稽古を続けますからね。自分なんかも、本当に生徒さんたちから教わることが多いですよ。
 それ以外は、夜、仕事が終わったあとの一時間半のジムでの稽古ですね。自分くらいの年になるとそれ以上は翌日に残りまずからね。内容はウエイトが半分、あとシャドウ、ジムに通ってくる4、5名の仲間と何種類かのスパーリング、マストレーニング。自分たちは、試合以外では当てないようにしてるんです。

―― 次に、皆さんに、それぞれの大会の印象を聞きたいと思います。大道塾以外の共通した大会に極真会がありますね。

鍋島 僕らの流派はサパイてから技を返す柔の技が多いですからね。極真会の人は体が大きくてパワーがあるでしょう。あのパワーに柔のパワーでどう対処できるかという点で勉強になりましたね。僕らの流派も40歳まで戦えることをモットーとしていますから、それにはサパイてパワーで倒す組手。それとパワーですね。この場合のパワーは、ガムシャラなカでなく、的確にポイントを打ちぬける技術のことです。

平岡 自分も極真の第9回大会に出場したことがあるんですが、あのときは浪人中でしたけどね。一ヵ月アルバイトした金で山ごもりしたんですよ。当然、大学はあきらめて。(笑)宮城沢の山奥でして、ランニングすると月の輪グマとバッタリ合うようなところなんです。夜なんかね、月あかりの下で練習して、つらいですよ。何がそれを支えていたかと一言うと、ロマンですね。極真の大会は若い頃の自分の憧れでしたよ。当時はメシを食うことと空手のことしか頭にありませんでしたから。若い情熱をたぎらすロマンが極真会にはありましたよね。
 え?その結果ですか? 2回戦で前田政利さんとあたったんですが、いくら蹴っても全々きかないんですよ。自分は当時は蹴りが得意だったんですけどね。試合が終わったあとは一週間は動けないですね。

中畑 自分も大学2年のとき、極真の東北大会に出ましたけど、そのときは山じゃなく部室にこもったんです。(笑)10日間くらい部室に寝とまりして頭も丸めて………。あの頃は自分は強いだろうと舞い上がってたみたいですね。ぞれまで寸止めの空手協会しか知らなくて、極真の道場を見学に行ったとき、出ないかって言われて出場したんです。青森から独りで朝早く電車に乗って試合場に向かったんですが、他流派から自分一人ですからね。後悔して帰ろうかと思いました。でも、精神的には今よりも強かったみたいで、とにかく打たれても退がるまいとして前に出て、6位だったですかね。
 あっちじゃオープンの大会なんてほとんどありませんでしたけど、3年前にこっちに出てきて、こんなにいっぱい空手の大会があるんでびっくりした。もし、青森にいたなら今頃ひとりで空手をやってるだろうな、と思いますよ。