金澤弘和VS東孝 対談② 空手をルールだけから見て、何が真理かとは言えないんです

この対談は『月刊空手道』(福昌堂発行)1987年8月号に収録されたものです。肩書は掲載当時のものです。

 

東 そういえば先生も空手の前は柔道やボクシングとか、いろいろ経験なさったそうですが。

金澤 はい。やはり強くなりたいって思えば何でもやってみなければわかりませんからね。だから、とにかくにプラスになるなら……というつもりでやったんです。

東 そうですね、初めは他のものから学ぶといっても、いいものを吸収するという事なんですからね。決してそのものに降参するわけではないんです。それがどうも日本の武道界は他の事と接点を持ってはいけないような風潮があるんですね。

金澤 それに色々やったというのは何も飽きっぽかったわけではなくて、もっともっとそこには何かがあるはずだという純粋な向上心の現われだと思うんです。

東 でも、自分にとって金澤先生はやはり大先輩にあたるわけで、先生の頃は自分の頃に比べて数段、空手というものに対する知名度はなかったわけですよね。練習はどんな事を主にやっていらっしゃったんですか?

金澤 その当時は確かに空手というのはほとんど普通の人は知りませんでしたね。拓大に入って本格的に空手を始めたわけなんですが、いやー、言葉で表現できない程苦しかったですね。いわゆる地稽古というやつなんですが、ほとんどが基本の繰り返しで、追い突きにしてもそればかり延々とやらされたりですね。走ってこい!といわれればどこまでも走らされるし、騎馬立ちをやれば倒れるまで膝の上に乗られ続けるし、それが自由組手でもあれば自分の力で何とかなるんですが、そうじゃなくて、肉体と精神のぎりぎりのところまで追い込まれるわけなんです。

東 組手なんかはいかがだったんですか。

金澤 普段の稽古ではやらないんですが、大学対抗の交歓試合で技を競い合うんです。当ててはいけないという約束なんですが、先輩には当てて来いといわれるし、それで当てれば何んで当てるんだ!!とおこられるんです(笑)。
 私は試合組手についてはこう思うんです。武道技量や力量を知る意味で自由に技をかけ合うために組手があるんです。ですから厳密な意味でいえば競技組手、スポーツ組手と違って、道場で行なう試合組手というものには特別のルールがないんです。強いていえば自分の心がルールなんですね。鍛え抜いた技が目標寸前でピシャリと極まるという事は、自分の挙足体を心で命じるままにコントロールできるという事なんです。だからこそそれは自分の精神をコントロールする事を意味しているんです。そういう事から今のルールがあるんですね。でも、そういう考えに対して極真会のルールというのは当てなければ鍛練の結果が出ないという発想から起きているわけなんですね。それはもう、どっちが真理だとはいえないと思うんです。ただ、私も東先生の本を読みまして、自分も若い頃、そういう組手ができたらなあ、とうらやましい思いがしましたよ。

東 そうですね。自分にとって、極真会が自分の空手の原点ではあるんですが、極真会の組手というのは本当に青春の組手、といったところがあるんです。確かに年をとったらできないかもしれませんが、若いうちにあれを経験するというのはとても大切だと自分は思うんです。空手というと技であるとか、精神といった
事が重要視されますが、その前に闘争心や情熱を爆発させる事の意義は大きいと思うんですね。その意味では極真の組手というのは素晴らしいと思うんです。

金澤 確かに本音をいいまして、私も若い頃止めてばかりいましたので、そういう組手を経験してみたかったですね。あの、防具付はやった事はあるんです。剣道の面みたいのを付けてやったんですが、それを蹴ったら指をね、金具で怪我しまして、それ以来怖くてやってないんです。でも、これも自分が協会の研修生時代に、静岡で今度は手にグローブをつけ、胴には剣道の防具をつけて組手をやったんです。そうしたら、蹴りで胴の防具が割れましたね。まあ、いずれにしてもルールに完璧というのはありませんからね。極端にいえば極真は当てていいといっても何故、顔面はだめなのか、という事になるし、そうかといってグローブをつけても、そこに制約が生まれますしね。

東 結局は、そのリーダーの考えというか、やっている本人の志向によって変わってくるんでしょうね。